弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

モスクワは大都会だった

2015年09月25日 | 日記

まだロシア旅行の整理ができない。

ただ、モスクワは思っていたよりはるかに大都会だった。
人口は約1200万人というから当然かもしれませんが。

道路は中心地でも片側4車線ありますが、車でいつも混雑していました。
ラッシュアワー時には物凄い渋滞になるということでした。

   
黄金の環とモスクワを5日間にわたって案内してくれた現地ガイドさんのお話です。
年齢は分かりませんが、まだ若い女性です。

彼女の話では、高齢者にとっては生活が難しい。
年金の最低額が6000ルーブル。
家賃に3000ルーブル払うと、3000ルーブルでは最低限の食料品分だけ。
ただモスクワなどでは追加支給分があり最低12000ルーブルになるので、
一応の生活はできるという。
しかし若い世代には希望があるという。
本人にやる気があれば、休暇に海外旅行するなどのゆとりもあるということでした。
自動車はモスクワの場合、一家に2台が普通だとも言っていました。
(冬はガレージの預けるので、道路は空いている)

ロシア人は共稼ぎがほとんど。
アパートを買うためにローンを組む。
家族は平均3人(夫婦+子供1人)
ただしモスクワでは子供は2~3人が多い。
(モスクワはちょっと違うようですね。豊かということか)
大抵は大学まで進む。

彼女の話がどこまで本当かわかりませんが、確かにモノは溢れていました。
(これはほかの地域でもそうでした。)
モノを求めて行列というのは昔のことのようです。

24時間営業のスーパーマーケット(コンビニではない。何でもありの大きなものです)
もあちこちで見ました。

これはモスクワで宿泊したホテルの真ん前にある24時間営業のスーパーの様子です。
夜の10時ちかい時間帯です。
本当に広いです。ここは野菜の売り場です。

   
これはハムなどの肉製品の売り場です。

   

ここはお惣菜のコーナーです。仕事帰りらしい男性が買い物していました。

   

いかがでしょうか。

グローバル化といいますが、本当にそのとおりだと思いました。


フランシス・ローマ法皇、アメリカ訪問

2015年09月24日 | 日記

フランシス・ローマ法皇がキューバ訪問を終え、アメリカにつきました。
ここをどうぞ。

アメリカも日本と同じ、国教禁止条項があります(Establishment Clause)。

アメリカとキューバの国交回復の仲介をしたということですが、
ローマ法皇の世界における力を知りました。
世界がどのような力によってどのように動いているのか知るいい機会です。



 

 


オンラインによる国勢調査

2015年09月23日 | 日記

国勢調査のオンライン利用世帯が37%と知り、ちょっと驚きです。ここをどうぞ。

私自身はオンラインでできることになったのを知り、どうするか迷いましたが、
今回は紙ベースにしました。
特に理由はありませんが、オンラインよりも調査用紙に記入する方が
手間がかからない気がし、敢てオンラインを選択するメッリトを感じなかった
からです。


ロシア旅行で救急車プラス警察出動(その2)貴重な経験

2015年09月22日 | 日記

昨日の続きです。
救急車が来てから救急車が出発し我々が解放されるまでに、実は約4時間半もの
時間がかかっているのです。

応急措置が済んだようにみえるのに救急車は出発せず、2台目の救急車が来ました。
女医さん?が来たようで、中で何かしているようでした。
すぐに動かせないので車内で治療しているとすると重症なのかもしれないなどと
気が気ではありませんでした。
暫くして女医さんは乗ってきた救急車で立ち去ったのですが、我々の仲間の乗った
救急車は止ったままで動きそうにありません。
今度は警察の車が来て、救急車の後ろに駐車しました。
全く事件性がないので警察が関わる理由はないはずと思うのですが、
ロシアだけに(旧ソ連時代のKGBを思い浮かべ)気味悪いです。
現地ガイドさんが呼ばれて後部座席の人と話をしています。

    中腰になっているのがガイドさん

なかなか話が終わりそうにありません。怖いのでバスの中からコッソリと様子をみるのみです。
よくみると大きな銃を携帯しています。我々に対する暗黙の警告でしょうか?

   
そのうちに、先ほどの救急車が戻ってきました。女医さんが乗り込んで何かしています。
きっと、治療に必要な何かを取りに帰っていたものと思われます。
その救急車も去ってしまいましたが、仲間の救急車に動きはありません。

私はややお節介焼なので現地ガイドさんに事情をききましたが、彼は、警察に何があったのか等
いろいろ質問されそれだけでパニックなのに、更にパニックになるようなことはしないでくれと
完全拒否です。
(一段落したところで、簡潔な経過説明をすることは、現地ガイドの仕事と私は考えますが、
ただ現地ガイドのパニックも理解できないではありません。彼はソ連時代を経験した
年代のように見受けました。このガイドさんとはまる5日間のお付き合い。)
添乗員さんも当然わかりません。

更に別の制服の警察官らしき人も来ました。国家警察じゃないかと言う人もいましたが、
わかりません。が、それに類する機関の可能性はあります。外国人絡みですから。
(警察というより軍関係の制服のようでした。)
その警察官の姿もどこかに消えました。
警察の調べが済むまで終わらないらしいと理解し始めました(理由はわかりませんが)。

何の動きもありませんでしたが、例の制服の若い人が戻ってきました。書類を持ってきたようです。
現地ガイドさんがサインしているのが見えました。私の推測ですが、
ガイドから聞き取ったものを供述書に書面化してきたようです。ピラ一枚でした。
さらに添乗員に別の紙に何かを書かせ、その下に現地ガイドが何かを書いていたようでした。
これは多分、連絡先か名前か何かを添乗員が日本語で書き、現地ガイドがそれを
ロシア語に翻訳しサインしたものと推測した。
これで終了か?

警察車両の後部座席にいたお偉いさんが突然出てきて、救急車に近づき中を覗き込み、また車に戻りました。
一瞬のことでした。警察車両も救急車もその後すぐ立ち去りましたので、
お偉いさんが一切を確認したという儀式のようなものと理解しました。

それにしてもこのお偉いさん、お腹周りは2メールはありそうなほどの巨体でした。
服装もとても警察関係者とはみえませんでした。
(どちらかというとヤクザかという感じ)

こういうことがあって4時間30分かかりました。

事件性のないものにここまでする必要があるか(こういうことは国情によって異なる)は別にして
要するに、すべての捜査というか事情聴取を現地で済ませたということのようである。
関係者を警察に呼ぶ代わりに、警察官が行き来して書類を作る、そして聴取をする間、病人の手当は
これまた治療担当者が行き来して当たったということのようである。
(これは一連の様子を観察して弁護士である私が推測したものです。)

警察や治安活動のようなことについては外国人にはなかなか理解しがたいことですが、
ロシアというやや秘密?のベールで包まれた国で
実際の警察活動を眼前で観察する機会を持てたことは貴重な経験です。


ロシア旅行で救急車プラス警察出動(その1)シルバーは健康管理が第一

2015年09月21日 | 日記

シルバー(高齢者)になると、一番の関心事は健康に関することである。
最近のシルバーは元気なので、海外旅行をする人も多い。
今回のロシア旅行は14名だったが、全員シルバーである。
しかし、みんな元気でかつ好奇心旺盛のように見えた。

何度も海外旅行をしているが、救急車出動は初めての経験である。
4日目(実質3日目)にある女性の参加者の具合が悪くなった。
移動日(サンクトペテルブルクからペトロザヴォーツクへ)のことで、しかも
異変が起こったのはトイレ休憩中のことだったので、他の参加者がすぐに気づいた
ようである。不幸中の幸いである。
この日は私も後部の席だったので、トイレを終え、乗車したところで、
最後部席でほかの人に助けられ横になりつつある人がいるのに気づき、近寄って
「どこがおかしいのか」聞くと、なんとか「胸が・・」とだけ答えた。
殆どすぐに救急車がきましたが、そのときは動くことも出来なかったようで、
担架で救急車に運んでいました。
みると、その時には、早くも、手も顔もどす黒く、むくんでいました。

   救急車です。

ツアーからは脱落しましたが、手当が早かったからでしょうか、我々の帰国日には
間に合いませんでしたが、帰国日はもう決まっているとのことでしたので、
大事には至らなかったものと思われます。

大変お元気で、美術等に殊の外関心がおありだったようで、エルミタージュ美術館や
エカテリーナ宮殿、夏の宮殿の庭園等を張り切って鑑賞するご様子が印象的でしたので
正直驚きました。
それだけに、元気なようでも健康には一層気を付ける必要があることを改めて思い知った
次第である。

・・・・・・・・・・・・・

(写真の説明)

救急車が2台みえますが、彼女は前向きの方に乗っています。
横向きの救急車は補助のために来たものです。
また警察の自動車も来ました。
その事情等については、続編で。