「これも、なくなるだろう」
特別に見れるようにしておいたと、案内されたときのことを
また思い出したのです。
会社の東西の営業部つながりで、京都の祇園祭の宵山に誘ってくれたのです。
これもどうやら ‥だったわけですね。
みんな私以外はグルなのか?????
このときは私以外には男性一人と美人女性二人。
え? 登場する人はみんな美人でモテるってことは、私が日本一ブスでモテないんだろうなって?そういう基準じゃないはずですよ。
当時、祇園祭は、家族が別に行ってたけど、人、人、人
と、お馬さんのお尻しか間近に見なかった ってくらい混んでたらしい。
宵山は 見れる山や鉾はやや限られましたが、発車準備整ったところをけっこうしっかり堪能。
それに、代々伝わるお宝を各お家で その時だけ展示していて、見応えがあるんだとか。
なるほど そうでした。少なくともその当時は。
特別にのときは、見学者としては我々4人だけが、あるお家の中ほどに通されました。
今、書いていて気付いたんだけど、
高松塚古墳の女人群像の壁画のときは、小6の児童が間隔をうしろ1人分の視野ずつ空けて10~12人が並んだ(女人の身長は子供の倍近くあったかな)のに対し、この宵山のときは大人が4人間隔を空けると、いずれも目にするものの大きさに一致するくらいにおさまることになっていたわけだった・・・。
それは、精密に作られた絨毯でした。
見るからに超高級、貴重なものだとわかる
「これは、国の威信をかけて作られる費用と過程を要するもの」
という説明だけで、「何が描かれているかよく見といて」と言われたきり。
細かすぎて覚えようがなかったけれど、見ればすぐに違和感を覚える。
私もほかの人も無言。何を思ったかは聞いていないけど、どうも私と違って、見て終わりにしている様子から、私ほどには特別に感じなかったのかも。
皆、そういえば私の学年に近いとはいえ、若かったっけ?
描かれていたものは、あきらかに キリスト教。
その時期というのは、キリスト教が禁止されていたような‥
だから 後に 隠れキリシタンがあったり、踏み絵があったり、島原の乱があったりと
凄惨な目にあわれていたと習っている
・・ということは、
「キリスト教を 禁止したのは国(おかみ)では なかったんだ!」
この、ごく当たり前の感想が、なぜか 口にするまでに至りませんでした。
というより、絶句してしまったようなところも。
思えば、国の管理する出島(これも見学したときはまだ扇形でとても広くすっきりした町並み)のある長崎では国が中心になって堂々と教会まで建てられていたわけで。
実は、この前振りのような経験も。
たしか奈良の元興寺(がんこうじ)。
正座でとんでもない足痺れを起こした印象も強いけど、余計なことはおいといて、
拝観したのは歴史のとんでもなく古い、大きな曼荼羅(まんだら)。
曼荼羅というのは仏教を民衆に説くために 絵図で示したもの。
たしか、お釈迦様や昇天に関するものではなかったかと。
それにしても、小学校くらいでは正座なんてなんともなかったのに、高校くらいから妙に弱くて 痛いのに感覚が無いようなで立てない歩けないのを何ともないかのような顔 どうもそこまでになったのは何人もいるなか私だけらしい
あ、それは どうでもいいんだった。
宵山で 見た、キリスト教を説いている 絨毯 というのは、千年以上 もたせることもできるし、他の展示物の絨毯と比べても、格式があって細かく色彩も豊富。
国の威信をかけるほどに手掛けられたくらい、国はキリスト教を重宝していたと、
一発でわかる
しかし、いったん、キリスト教を禁止したのが 為政者だと思い込んで 学習していた私には、なかなか「え、そうだったんですか」とは、なれずにいたわけですね。
そして、はっきり「 そういうことか(権力者を名乗って散々悪さしていた存在があったからか)」と明確に理解、定着するまでに、それから年数にして30年かかりました。
現在も 盛んに 人間が悪い にもっていこうとする理不尽な強調が何でも勢い増すばかり、あとを絶たない
・・それらって、ぜんぶあちらさんの やってた事だったんでしょうがっ !
何にせよ・・・思いやられますね😂
そういえば台湾で 教会体験させてもらったときも、大きな絵で語られていました。
思えば昔は、識字率なんてしれていたわけだから、
文字より、絵こそは民衆の学習教材。
さて、京都 宵山をあとにして、充実した気分で大人4人 歩いていると、
目の前は、塔をシルエットにした夕日、
感動した一行は
「すごいじゃない! まるでCM!」「ほんとほんと!」
内心、それ、逆では? と思ったのは私だけだったかも。。。