憲法教育のテコ入れのときの学年、後半もかなりまわった頃でしょうか
クラスで、担任の先生が
「このなかで 将来 政治家になりたい者は手を挙げて」
もちろん挙げない私。
クラスをながめると視界には数人を超える男子児童が挙手。
へぇー、いるんだ だけで、顔も名前も覚えていません
というくらい、特別目立つタイプでもない
全員をチェックしていた先生「⋯ わかった」
‥やや目を見開き 口は固く結んで それ以上何もおっしゃらず
それから何日もたっていなかったとき、
異変が…。
それまで先生が一生懸命教えたことを台無しにする発言が、
その挙手していた児童のあたりから・・・。
先生は泣きたいくらいな声で怒り、その何人かの児童を少しの間 立たせました。
すると翌日になるまでにか 私に報復災難が・・・
その後も5年くらいにわたりその小学校で幅をきかせ、優れた教育者や校長を、勝手な噂ばらまくなどして一掃(追放)していった 極悪犯側からのさしむけとしか思えない圧力つよい女(協力者の女2人付き)が、急に教壇のあたりで私一人を唐突に叱り付け、水を増し増しにされたバケツを持たされ、廊下に30分近くさらし者で立たされたんです。(戦後のこの世代でそんな長時間の苦痛を伴う体罰を受けた人は他にあまりいないんじゃないかな)
おそらく、本来は国からの補佐の立場の人からなり替わったような人とみられ、後続の末の妹の学年の頃には、担任の先生の立場にもおさまっていたのではないかというのが推測です。
こういった出来事をもって、現在も起こっていることの本質の一端がうかがえるのでは と、書いてみました。
各種 改ざんが起こるために、文字onlyでは伝えることができずに
伝承預かりには つぶされんばかりの 苦労があったなかの一件であり、
なかなか、良質な政治家が いろんな意味で 生き残りづらいことも示しているかと思います。
さて、公平性には 悪影響の勘案が、切っても切り離せないことになります。
日本 独自 の定義の 障がい者は、
起こりが、極悪犯から仕向けられた戦争 の 負傷兵 であり、
本人の由来にはない つまり悪影響によるハンディキャップを有します。
この各々、千差万別のハンディキャップを認め、補佐することで
基本的人権の維持をはかる ;
悪影響とわかるのは、やはり戦後を区切りとして
悪影響の 実態を把握したからで、
私も 幾分は分かるようになったと思いますが、
いちおう数年前には まだ、特別に判断力のある方々は存在していました。
しかし、おそらく優れた判断者の数が減ってきていることでしょう。
いっぽうで、悪影響を消化できないような方々の人数は増えるいっぽうと推測されますが、やはり、当人には責任のない社会的弱者に相当するか という基準で考えられるのではないでしょうか。
ただし、判定内容と結果は、物においては改ざんで変わりうることから、認定を受ける側等が じっさいの判断基準を正しく理解し続けれない場合は、往々にしてあるそうです。