昨日、徒然草を読むグループの方々と
上野の森美術館美術館で開催されている
ゴッホ展を観に行きました。

上野の森美術館の前には、大きな看板がありました。

チケット半券です。
TAさんが前もって購入してくださいました。
ゴッホ展は、以前、横浜美術館でも開催されましたし、
都美術館でも開催されました。
しかし、この度の展示は、今まで見たこともなかった
ゴッホの作品が展示されていて興味深かった。
展覧会場の中は、例によって写真撮影は禁止されていましたので、
購入した葉書をアップします。
ゴッホの絵描きとしての初期の作品は、
ハーグ派に影響された暗い絵でした。

こちらは、1885年4-5月に描かれた《じゃがいもを食べる人々》です。
その他に農夫や洋梨等の静物を暗い色調で描きました。
ゴッホらしくないそれらの絵を、私は初めて観ました。
ゴッホにもこんな絵を描いた時代があったんだ!
ゴッホは、後にパリ行き、印象派の画家たちに出会って
画風を一変させました。
たとえば、これ。

1888年に描かれた《麦畑》です。
明るい色彩で描かれています。
その後、ゴッホはてんかんやを精神を病み、1889年5月からはアルル近郊のサン=レミにある療養所に入所しました。
発作の合間を縫って《糸杉》などの名作を描きました。

そして、最晩年に描いた絵がこちらです。

《薔薇》1890年5月 サンレミの療養所を出る直前に描いた絵だそう。
美しい絵です。この絵を描いた後、1890年7月、ゴッホはピストルによる自殺をしてしまいます。
ゴッホは生前に売れた絵はたった1枚だったそう。
ゴッホを支えた弟のテオも、ゴッホが亡くなった半年後に病死してしまいます。
でも、テオの妻ヨハンナによって、ゴッホの手紙が世に出ました。
それもゴッホの評価を高めた(チケットを取ってくださったTAさんのお話です。)のだそう。

ランチは、展覧会を見る前、11時ちょっと過ぎに、
韻松亭で戴きました。
まだ、混んでいない時間でしたので、
ゆっくり戴くことができました。

花籠御膳です。
いろとりどりの素材が美味しかった。
上野の美術館は、まだまだ魅力的な展示があります。
また、来たいと思いました。
上野の森美術館美術館で開催されている
ゴッホ展を観に行きました。

上野の森美術館の前には、大きな看板がありました。

チケット半券です。
TAさんが前もって購入してくださいました。
ゴッホ展は、以前、横浜美術館でも開催されましたし、
都美術館でも開催されました。
しかし、この度の展示は、今まで見たこともなかった
ゴッホの作品が展示されていて興味深かった。
展覧会場の中は、例によって写真撮影は禁止されていましたので、
購入した葉書をアップします。
ゴッホの絵描きとしての初期の作品は、
ハーグ派に影響された暗い絵でした。

こちらは、1885年4-5月に描かれた《じゃがいもを食べる人々》です。
その他に農夫や洋梨等の静物を暗い色調で描きました。
ゴッホらしくないそれらの絵を、私は初めて観ました。
ゴッホにもこんな絵を描いた時代があったんだ!
ゴッホは、後にパリ行き、印象派の画家たちに出会って
画風を一変させました。
たとえば、これ。

1888年に描かれた《麦畑》です。
明るい色彩で描かれています。
その後、ゴッホはてんかんやを精神を病み、1889年5月からはアルル近郊のサン=レミにある療養所に入所しました。
発作の合間を縫って《糸杉》などの名作を描きました。

そして、最晩年に描いた絵がこちらです。

《薔薇》1890年5月 サンレミの療養所を出る直前に描いた絵だそう。
美しい絵です。この絵を描いた後、1890年7月、ゴッホはピストルによる自殺をしてしまいます。
ゴッホは生前に売れた絵はたった1枚だったそう。
ゴッホを支えた弟のテオも、ゴッホが亡くなった半年後に病死してしまいます。
でも、テオの妻ヨハンナによって、ゴッホの手紙が世に出ました。
それもゴッホの評価を高めた(チケットを取ってくださったTAさんのお話です。)のだそう。





ランチは、展覧会を見る前、11時ちょっと過ぎに、
韻松亭で戴きました。
まだ、混んでいない時間でしたので、
ゆっくり戴くことができました。

花籠御膳です。
いろとりどりの素材が美味しかった。

上野の美術館は、まだまだ魅力的な展示があります。
また、来たいと思いました。