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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(3)

2011-03-03 19:37:37 | 日記

魔性の創価学会(二)
 創価学会は統合失調症の患者を村八分のようにすることが頻繁にある。「相手にするな!創価学会に傷が付く!」と池田大作が厳命している。しかし、宗門は手厚く面倒を見てくれる。どちらが慈悲の団体で、どちらが悪魔の団体かは、すぐに解るであろう。
 副会長も本部職員もその池田大作の厳命に戸惑っていた。
(統合失調症の患者も普通の会員と同じように手厚くもてなす地域も経験してきた。地域差があるようである)
 ある創価学会の統合失調症の患者は創価学会が相手にしてくれないため七十一歳と成ったとき夫婦共々(夫婦共に統合失調症の患者である。旦那が婦人を折伏した)不安を感じ精神病院へ入院してきた。死ぬまで精神病院にいる予定である。会合の連絡はあるが仲間に入れてくれないという。会合の連絡も途切れることが多いという。病院内では聖教新聞の啓蒙を盛んにする、もちろん勤行は欠かさない。統合失調症でない創価学会員の冷たさに涙しながらも創価学会を疑わずに信仰を貫いてきた。病院に聖教新聞を取り、それを他患にも見せる。他患からは極めて非常に慕われている。完全に病棟一慕われている。病院一慕われていると言える。頭の下がる鉄の信仰の創価学会員である。これは近所の創価学会員が時折面倒を見てくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。近所の創価学会員が仲間に入れてくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。二人共に非常に軽症の統合失調症である。同時放送には同時放送の行われる正確な日時が解らず参加していない。もちろん入院してからは座談会には参加していない。聖教新聞の中からのみ創価学会を見ている。
 一般に創価学会の統合失調症の患者さんは非常に熱心な人が非常に多い。これは非常に熱心過ぎたから統合失調症になった故と思われる。また、非常に厳しい環境が信仰熱心にさせているとも言える。

 総本山(大石寺)は私が知っている元議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことで本山に恩を感じ法華講に入った。創価学会を脱会し宗門に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このとき創価学会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のように学会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはや創価学会は完全なカルトである。昭和六十三年頃のことである。(当時は、創価学会と宗門の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていた)
 この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
 すでにこの頃、創価学会は本山から離脱そして独立することを決めていた。早く本山が創価学会を破門するのを待っていた。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
 統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、宗門の人に娘のことを相談した。宗門の人は娘さんが創価学会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それでは大石寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう。」と言ってくれた。議員さんは創価学会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
 それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。池田大作が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
 娘さんは大石寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。


魔性の創価学会(三)
 創価学会にはガンが有意に多い。これは正確に統計を取れば解ることであるが、創価学会は決して行おうとはしない。一般会員でさえ創価学会にはガンが多過ぎることを気付いている。これも「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」。
 池田大作が亡くなると、これらの現象が少なくなってゆくことを期待する。しかし、雪崩れ込んだ無数の悪鬼の浄化には時間が掛かると思われる。
 池田大作が亡くなったら本山に全面的に詫びて本山に戻るようにしないと創価学会は大御本尊様との縁が完全に切れてしまう。創価学会は完全に邪宗化してしまう(すでに完全に邪宗化している??)。
 ガンで苦しんでいる人は早く法華講に入るべきである。創価学会では治らない。何故なら創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。創価学会は完全に日蓮正宗から独立してしまっているからである。法華講(とくに妙観講)にはガン完治の体験談が多数存在する。
 私は中等部の担当をしていたことがあり、創価学会員の大学・高校受験(一般の大学・高校の受験である。創価大学や創価高校ではない)の失敗があまりにも多いことを良く知っている。間違いなく合格すると太鼓判を押されている人も、その受験者が熱心な創価学会員の場合、不合格になってしまうことが頻繁に有った。
 以前は中学生高校生で非常に熱心に信仰する者が多かった。完全に大人顔負けなほど信仰する者が多かった。純粋だからである。疑うことを知らないからである。純粋過ぎるからである。これは現在、顕正会に同じような傾向が見られる。顕正会は高校生が激しく折伏を行っている。
 私も中学高校時代は一日一時間四十分(五千遍)唱題していた。二~三時間唱題していた頃もあった。勤行ももちろん五座三座と行っていた。しかも気合いを入れてしていた。今はその十分の一もできない。あの頃は「広宣流布のために死ぬか?」と言われたら死んでいた。御本尊様を疑ったことは一度もなかった。御本尊様を信じて信じ抜いて厳しい少年時代を生き抜いてきた。御本尊様と一緒に厳しい少年時代を生き抜いてきた。苦しいとき、悔しいとき、御本尊様の前で心ゆくまで唱題して耐えてきた。何故、こんなに苦しいんだろう、苦しむんだろう、と思うことも良くあったが、ひたすら疑わずに信じ抜いていた。幹部は「親の信仰が足りないから子供がこんなに苦しむ」と責めていた。毎晩、声が掠れて出にくくなるまで唱題していた。毎晩、唱題が終わった十二時頃、法悦に浸っていた。
 例えば高校浪人する人の半分は創価学会員であった(当時は高校浪人は特に地方に於いては少なかった)。“魔の働き”と私だけでなく多くの中等部担当者は推測していた。しかし“魔の働き”を言うと信仰しなくなるため中等部担当者の間では禁句になっていた。家の人が退転状態で全く勤行唱題したことがない創価学会員の場合は予想通り合格していた。――――これは昭和六十年頃までのことであり、現在、創価学会員の大学・高校受験がどうであるかは知らない。現在は創価学会の中学生高校生は大幹部の子であっても信仰をほとんど行わないことが多いので、こうした現象は非常に少なくなっていると思われる。しかし信仰を真面目に行っている少年部員・中等部員・高等部員はやはり受験に失敗しているようである。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。熱心に信仰しないと三障四魔は競い起こらないのである。しかし、創価学会員には三障四魔らしきものが余りにも競い起こり過ぎていた。本当に三障四魔に依るものか、池田大作が招き込んだ無数の悪鬼に依るものか、人生を棒に振った創価学会員は多い。これらはやはり池田大作が招き入れた悪鬼の軍団によるものと思われる。

 極めつきの例を紹介する。この人は六浪して創価大学の一期生となった人だが、毎月三人、入信させていた。毎日三時間、題目を上げていた。毎月三人で一年間に三十六人、六年間で二百十六人になる。勉強も毎日三時間題目を上げて一生懸命に勉強していたのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。「この信仰をすると希望する大学に絶対、合格する!」と言って毎月三人入信させ、一緒に勤行唱題に励むのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。今、この人は、何処で、どのようにしているであろう。極めて信心強情であったから、大幹部になっているはずである。それとも池田大作の正体に気付いて退転したかもしれない。創価大学の一期生で六浪して入学してきた人は他にはいなかったと思われる。『創価大学に入るのが自分の使命だったんだ』と言って、その人は勇んで出来たばかりの創価大学に入学した。その人から折伏され入会した人から聞いた話である。その折伏され入会した人は非常に熱心な創価学会員である(しかし、若くして亡くなった)。
 創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。


魔性の創価学会(四)

 0000さん、創価学会員は治りにくいし重症化することを詳しくお教えください。自分も以前から気になっていたことです。
 創価学会員は本当に治りにくいし重症化することを自分も以前から気づいていました。しかし誰に話しても本気にしない、病気は創価学会で治ると言い張られるばかりでした。
突然失礼します。

ベストアンサーに選ばれた回答
jd45678さん
 はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。
医療分野に10年以上携わっておりましたが、確信したのは5年目くらいです。脳卒中や骨折、筋ジストロフィー、多発性の多少状など、癌や風邪であっても重症化したり、普通に症状が緩解するはずが合併症や薬物の副作用などが重なり悪性化、もしくは後遺症が残りやすい状況です。何故、気付いたかと言えば自宅に行けば、同じようなご仏壇やカレンダー、冊子があったのと、会話していると「毎日拝んでたのに・・・」など、親戚に学会の方がいるから何故か雰囲気でも「もしかしたら・・・」と思うとその通りだったりします。昔の仲間は、統合失調症(旧精神分裂病)で苦しんでいます。患者様(脳出血後遺症)では、立つ練習や起きる練習をしていたようですが一向に効果が無く、風邪や目眩でリハビリが進まないようでした。歩ける人(脳梗塞?)でも家族の助けが得られずいつも一人でした。脳の病気で話せない、動くのがやっとの方は民政員の介護者(家族)から虐めを受けていました。知人は、風邪が長引き20kgほど痩せてしまい、会ったときには驚くほどでした(入院時は一時意識レベルが危険になったようです)。また、頸椎の手術が失敗して首から下が動かなくなった方もいます。脳の後遺症がある方の多くは麻痺のレベルが大きいです(体の半身がほぼ完全麻痺など)。上記以外でも家族環境や社会的接触で気に懸かることが多くあります。

(質問した人からのコメント)
自分も医療分野にいますが創価学会員の治りの悪さや重症度の高さに気付いていました。病気だから創価学会に入るのだけでなく、創価学会員だから病気になると思っています。大変なところです。活動家でしたが、そうした現象を見て、今は批判的になっています。法華講に入りたいですけど、家庭上の都合や両親への厭がらせなどを考え、脱会はしないで居ます。



病気を治すためには
 原島嵩氏は重度の不安障害を正信会を辞め法華講に入ることで治している。法華講員に精神障害が起こったという話は未だ聞かない。
 原島嵩氏は目眩・吐き気を伴う重度の不安障害に二年余り、非常に苦しまれた。それは地獄の苦しみであったと書かれている。これほど重度の不安障害は珍しいが、創価学会員にこのような重度の不安障害は頻繁に見られる。創価学会員以外ではこのような重度の不安障害は稀である。創価学会病(または正信会病)とも言えよう。それが法華講に移るとともに自然に治っている。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
 それならば創価学会に極めて多数存在するうつ病性障害などの精神障害で苦しんでいる人は日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。それが病気を治す一番の近道である。
 不安障害の場合、抗不安薬は一時的には奏功するが一時的な効果しか望めない。抗うつ薬が不安障害を寛解させることがあると言われるが、寛解することは稀である。しかも創価学会の間違った信仰で不安障害になったならば抗うつ薬で寛解することはあり得ないと考えて良い。
 とくに精神障害の場合はオカルトでしか説明のできない病気が大部分を占める。病気を治すためには法華講に入ることである。
 しかし、最近、創価学会から脱会しなくとも勧誡式を受けることができることも頻繁にあると知った。それはご住職の考え次第であると書かれてある。家族に内緒に法華講に移っている創価学会員が多数存在する(とくに壮年部)。
 勧誡式を受けて遙拝勤行、遙拝唱題をすると違う。
 創価学会の日寛上人の“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているように何も感じない。それどころか悪いことが起こる。“魔”の御本尊であるからである。“魔”が入っている御本尊だからである。

 病気を治すためには日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。(間違っても正信会の寺院に行ってはいけない。それが正信会の寺院か否かはインターネットで簡単に解る)

『私は「心療内科」ともかかわりました。しかし「心の病気」にはなんの解決にもならなかったのです。それもそのはずで、私の「心の病気」は正法に違背していたために起こっていたものだったことに、あとで気づいたのです。私が平成十一年元旦に日蓮正宗の勧誡を受けるまでの二年余りの年月、私も苦しい思いをしてきましたが、妻をはじめ、家族の苦しみもなまじっかなものではなかったでしょう。
 ところが、平成十一年元旦の勧誡を受け、大御本尊様に合唱礼拝するようになって、あれほど苦しんできた不安神経症、うつ病が、気づいたときには、いつの間にか消え去っているではありませんか。あれほど一日何回も吐いていた吐き気も、跡形もなくなりました。』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)


御書
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作  与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
 涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかとみえはんべり「是一」、又付法蔵の二十五人は仏をのぞ(除)きたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外に仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆえかとみえはんべる、正像猶かくのごとし、(略)
文永八年辛羊(かのとひつじ)十月五日 日蓮花押 大田左衛門尉殿 蘇谷入道殿 金原法橋御房 御返事


佐渡御書 文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
般泥おん経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ或いは形状醜る衣服足らず飲食楚々財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又曰く「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に因る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜る三には衣服不足四には飲食楚々五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり、


兄弟抄 文永十二年四月 五十四歳御作 与池上兄弟 於身延
 今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又曰く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に曰わく「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に曰く「衣服不足にして飲食楚々なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云、
文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、
 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ


兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年十一月  五十四歳御作  於身延
 (略) 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。(略)


「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」


 このように「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない。」という創価学会の教学(教学と言うより信仰観と言うべきだろうか)は間違っている。その逆である。病気になったのは過去世の重罪を打ち出すように熱心に信仰をしたからである。また、“魔”が憤然として競い起こるように熱心に信仰をしたからである。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。もう一度書く。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。
 その病魔と闘う人たちを優しく助けることが大切である。「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない」と考えるのは非常に熱心な創価学会員に多く見られる。
 この信仰を一生懸命にして病気になった人を軽んずる現在の創価学会の傾向性は全く間違っており、却って、そうした人たちを大切にすべきである。
 また、このように御書には現世利益は余り説かれていない。「現世利益」を第一とすることは創価学会の誤り、創価学会の邪義である。「現世利益」を熱心に説いていたのは入信させるための方便であったとも思われるが(そのために日達上人などはこれらを黙認されていた)、全ての創価学会員は本気で「現世利益」を熱心に説いて入信を勧めていた。
 この信仰をすると三障四魔が競い起こることが御書には書かれている。しかし生命は清められる。

 日蓮大聖人も病気に罹られ、四条金吾により薬を処方され服用されている。日蓮大聖人は病を隠されていない。このことからも創価学会の病気をする人は「信心がない」という雰囲気は間違っている。池田大作が造り出した“邪義”である。病気によって信仰に奮い立つ人は多い。
 「生」「老」「病」「死」は世の常である。むしろ病気によって人生経験の深みを増すこともある。病気によって道心(信仰する気力)が起こるのである。
「この病は仏の御はからいか。――――病によって道心は起こり候か」(「妙信尼御前御返事」p90)
 うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。
「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。
 結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。

 私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。五年ほど前のことになる。
「三時間の唱題を“魔”の御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。二人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を三時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。
 翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた。以来、現在までうつ病性障害の再燃はない」


洗脳されきった哀れな会員を救う
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。
 昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。すでにこのとき池田大作は堕落していた。しかし私はそのずっと前から堕落していたと考える(異常なまでの権力欲)。
 池田大作は戦後のどさくさの時は、川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸金の取り立てなどを手伝っていた。(山崎正友:懺悔の告白:日新報道:1994: p105)その経験を見込まれて戸田城聖氏は池田大作を雇ったのである。
 二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に外見上の名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるために戸籍の名前をも変えた。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)。
 何度も何度も役所へ行って執拗に頼み込んだのではないかと筆者は推測する。自己愛性パーソナリティ障害ならそういう恐るべき執念深いことを行う。賄賂を役所の担当員に渡した可能性も考えられる。この頃、池田大作は金融業で大成功し、非常に裕福であった。

 池田大作は異常なほど国会喚問を怖れている。何故、それほど国会喚問を怖れるのか? 理解に苦しむ。
 戸田先生は「国会喚問が来たら喜んで受ける、大聖人の仏法の素晴らしさを世に知らしめるチャンスである」と述べられていた。
池田大作は今まで公明党議員を使って国会喚問を避けさせてきた。公明党議員は国会議事堂の廊下に座り込むこともして池田大作国会喚問を阻止した(このとき青年部も多数、応援に呼ばれ参加した)。まるで暴力団である。
 公明党は池田大作の私党であること、公明党の政策は池田大作の独断で決まることは常識である。公明党が在日外国人の参政権を推し進めようとするのは池田大作の独断であることは有名である。池田大作は在日韓国人の参政権のためにそれを強引に推し進めていると言われる。これは在日韓国人には創価学会員が多いため選挙を有利にするためであると言われているが本当の理由は不明であり、何か裏があると言われている。
 何のための選挙なのか? 単に池田大作の醜い野望ではないか? 選挙が広宣流布を妨げた。政界進出を行わなかったなら、創価学会は現在の二倍以上の規模になっていたと思われる。政界進出が広宣流布を妨げた。
 政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。

 現在、創価学会は選挙と財務しか行っていないといっても過言ではない。折伏にはほとんど力を入れていない。これは平成元年頃からである。
 同時放送での池田大作のあの傲慢不遜な振る舞い、池田大作こそ悪鬼入其身である。同時放送でのあの言動と振る舞いは暴力団を彷彿とさせる。それを気付かない創価学会員がおかしい。あまりにもお人好し過ぎる(自分もそのお人好し過ぎる人間の一人であった)。自分の友達は一発で気付いた。
 そして池田大作が招き入れた悪鬼が純真で真面目な創価学会員の身の上に次々と不幸を起こしている。熱心な創価学会員ほど不幸が起こっている。トップが悪いとそこから悪鬼が流れ込む、という文意の御文がある。池田大作が創価学会員を不幸に陥れてきたし、今も陥れている。もし池田大作が出現しなかったら、創価学会員は不幸にならず幸せになっていたはずだ。 
 創価学会員は一般にどうしようもないほど人が良いことが多い。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっていると思う。その人の良さは他に友達を作りたくないと思うほどである。貧困が存在していた昭和の時代には相互扶助および弱者への哀れみの心が人々に存在していたが、貧困が少なくなった現代では弱者への優しさを失った人々が激増し“いじめ”が社会問題化している。創価学会員の存在は現代に於いては一種の清涼剤のようである。それは元々、人が良かったから激しい折伏にも拘わらず素直に入信した故と思われる。もちろん例外もある。創価学会員にも私利私欲に凝り固まった信仰者とはとても思えない人も多数存在する。それは功徳欲しさ故に入信した欲深い人と思われる。元々、心醜い人は、どんなに勤行唱題、折伏、学会活動などを行っても、あまり変わらない。ただ、外見上、取り繕うことができるようになるだけである。
 しかし、脱会すると今まで非常に親切だった人が、掌を返したように陰湿で冷たくなることをどう説明して良いか、判断に苦しむ。
 人の性格を変えることは極めて困難である。不可能と言っても過言ではない。いや、遺伝生物学上、不可能である。人の性格は遺伝により生まれたときから決まっていると言われる。素直な性格の父親から生まれてきた子供は父親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。同じように素直な性格の母親から生まれてきた子供は母親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。父親、母親の性格を何割かずつ受け継いでいるならばその何割かずつの性格になる。子供は親の鏡ということわざが存在するのはそれ故である。性格は遺伝する。これは一卵性双生児の研究からも明らかになっている。育った環境が全く異なる一卵性双生児も性格は酷似する、育った環境により性格が修飾されることはほとんどない、という研究がある。学会二世三世の性格が一般に素直なこともその遺伝による。
 選挙運動に一生懸命になることも、その素直さ故と、「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しがあるからと推測される。筆者は内向的な性格で友達が少ないこと、内向的な性格、また批判的な性格(へそ曲がりな性格と言うこともできるだろう。その頃、自分自身を「へそ曲がりな性格」と揶揄し幹部の人もそう言っていた。しかし「選挙運動に走り回る同志を批判力の無い人たちと定義することができる」とも思っていた)、それ故に選挙運動はあまり行わなかった。選挙には批判的であった。これは折伏のとき「宗教団体であるものが布教を二の次にし、選挙運動に没頭していることがおかしい。だから私は創価学会には絶対に入らない」「創価学会は政治に介入している。信仰団体とは思えない。信仰を隠れ蓑にした政治団体だろう?」「創価学会は公明党だから入らない」「創価学会は池田大作を総理大臣にする気だろう。だから創価学会には絶対に入らない」などと言われることが極めて多かったからである。公明党を造り選挙運動に没頭することがなかったら創価学会は現在の何倍かの規模になっていたかもしれない。しかし、このことを言っても幹部の人は「池田先生が、池田先生が、」と言って怒り狂うだけであった。
 政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。

「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という言葉にはどうしても納得がゆかなかった。折伏を後回しにして選挙運動に没頭する同志の姿に納得がゆかなかった。宿命に苦しみ抜いている人たちを後回しにして選挙運動に走り回る同志の姿にはどうしても納得がゆかなかった。「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しの内部通達に「功徳欲しさ」に「宿命に苦しみ抜いている人たち」を後回しにして動いているように思えてならなかった。
 その唆しは池田大作およびその取り巻きからきていることは明らかだった。自分はその取り巻きが悪いんだと主張することが良くあった。その頃の自分は取り巻きを悪く言っても池田大作を悪く言うことはできなかった。池田大作を崇拝する一般的な洗脳が自分にはやはりあった。また、幹部の前で池田大作を悪く言うことはタブーであったし、大変な反抗を受けることになっていた。

 一人一人を根底から救うことを大聖人様は示された。政治が少し良くなっても宿業に喘ぐ一人一人は救われない。大聖人様の仏教を信仰しないことには一人一人は根本的には救われない。君主が法華経を用いると民衆にまで法華経が広まる時代であった昔ではない。池田大作が創価学会の歩みを狂わせた。「立正安国論」を池田大作は歪めて利用した。
 創価学会員は人が良過ぎる。それは創価学会の激しい折伏に怒り心頭に達しなかった人たちが多く入会しているからであろう。円座になって取り巻いて創価学会に入ると言うまで帰さないというほどに締め上げても怒り心頭に達しなかった人たちが入会しているからであろう。そしてお人好しは遺伝する。人が良過ぎて池田大作の傲慢さ・魔性・嘘を見抜けないのだ。
 創価学会は今まで間違っていた。あの狂気のような選挙運動、そして広宣流布が未だ成されていないのに正本堂を造ったこと。同時放送で池田大作は『広宣流布は私がした。あなたではない。私が広宣流布をやり遂げた。広宣流布は私がした。』と何回も言い威張っていたが、創価学会の現在の発展は何十万もの名も無き人々の血の滲むような努力の結晶である。そして広宣流布は未だ成し遂げられていないことは明白である。
 もしも公明党を造って政治に介入しなかったら(池田大作の醜い野望)創価学会はいろんな政党から味方に付けようとされ、創価学会は守られていた。

「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
 これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。
 池田大作は功を焦ったのである。もっと創価学会が大きくなってから政界進出すべきだったのである。政界進出とともに会員増加は頭打ちとなった。政界進出とともに創価学会への批判が高まり、選挙運動により会員が疲弊してしまい、会員増加が困難となった。池田大作は功を焦り「天下を取ろう」という野望を自ら砕いてしまった。
 自分は選挙に批判的であった。しかし折伏は誰よりもしていた。選挙に反対の自分に対する狂信的な幹部による叱責・排撃は激しかった。

 民衆救済という崇高な精神を踏みにじり権力へのあくなき執念を燃やすことは大きな誤りです。750年前、日蓮大聖人様は権力を取れと仰せになったでしょうか。国家かんぎょうはされましたが自らはあくまで正法を立て安国を実現するという権力と無縁のところに立たれていたのではないでしょうか。
 池田大作は「自分が広宣流布をした」と同時放送ではいつも言っているが、そこが釈然と来ない。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか? もう一度書く。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか?
 池田大作は自分がやったと同時放送では何回も言って威張っているが、それはおかしい。池田大作は邪魔をしただけである。
 ある霊能者が語るところに依ると、池田大作には霊界から赤い木の乗り物がすでに迎えに来ているそうである(平成22年2月1日)。それは無間地獄への迎えの乗り物であり、赤く見えるのは火が燃えているからだそうだ。その乗り物の中で池田大作は業火に焼かれながら無間地獄へと落ちてゆくと言われる。
 正本堂を造ったのは選挙に於いて「国立戒壇」のことで日本共産党などから責められないようにするため池田大作が考えたカモフラージュであったことは周知の事実である。その頃の創価学会員は貧乏な人が非常に多かった。しかし供養金を出すと功徳があると言われ、生命保険を解約したり、家や土地を売ったりして、正本堂建設のために献金した。献金すると幸せになれる、福運を積むことができる、と貧しい末端の会員に言い、多額の献金が集められた。しかし、創価学会員は幸せにはなっていない。周囲を見渡しても全て不幸になっている。幸せになっているところは一つもない。特に熱心にしていた処は悲惨な境遇に陥っている。
 これからは『日如上人様なら、どう言われるか?』を行動の指針としてゆくべきである。


ジョージ・ウイリアムス理事長
 アメリカのジョージ・ウイリアムス理事長が創価学会を辞め法華講に入ったと聞きました。信じられないことですが、詳しいこと、お教え下さい。命を賭して単身アメリカに広宣流布のために渡られた人です。私はとても尊敬していました。アメリカへと向かう飛行機内で父親が死亡した知らせを聞かれたと「人間革命」には書かれてありました。(現在の「人間革命」には、そのことが省かれてある??)
 ウイリアムス理事長は池田大作の子息をアメリカの大学へ入学させるように命令されたが、アメリカでは池田大作は良く思われてないため(ドイツ、フランス、カナダ、オーストリアなど先進諸国では池田大作は極めて危険なカルトの親分として非常に悪く思われている。ただ貧しい発展途上国がお金欲しさに池田大作に媚びを売るだけである)入学させる大学を見つけることができず(第一庶務との連絡不徹底があったとも言われる)、そのために池田大作から激しく怒られ総括され、池田大作の本性を見、法華講に入ったと聞く。その激しい総括は数年にも及んだという。その数年にも亘る狂気じみた総括のためウイリアムス理事長は心身的にも大変疲弊し尽くしたと言われる。
 アメリカではそのために法華講が大きな勢力を持っている。宗門と創価学会が同勢力を持っていると言われる。アメリカに創価学会の会館は多数あるが、使われずにいるところが多いという。たとえば池田大作はハーバード大学で二回講演した(かなり高額のお金を積んで根回しをして講演を行うことができるようにした)が博士号は貰っていない。アメリカの他の有名大学からも博士号を貰っていない。貧乏な大学からは博士号を貰っている。その講演のとき、池田大作は原稿のみを見て喋っていた。その原稿は池田大作のゴーストライター軍団が造ったものである。だから池田大作は内容も分からずに喋っていたことになる。内容も分からないから前を見る余裕も無かったのである。
 ウイリアムス理事長が日本で「暴露本」を書いたなら、日本の創価学会は大打撃を受けることは明白です。
 たしかに現在、日本の出版界に於いて創価学会の「暴露本」を出版することは非常に厳しくなっています。言論弾圧が行われています。インターネット上での暴露でも構いません。真実を日本の人々に知らせ、末端の創価学会員を不幸から救い出すのです。ウイリアムス理事長が日本で新しい創価学会を造られるなら私は喜んで馳せ参じます。たしかに生命の危険に遭うことになると思います。しかし、一度は広宣流布のために棄てた命ではないですか? たしかに日本の親族および子供達が危険な目に遭うことになるので、私は強く言えません。一考をお願いします。

 同じく竹入義勝氏、矢野絢也氏、「暴露本」を出版するべきです。たしかに強い言論弾圧が行われていますが、末端の創価学会員に真実を知らせることが末端の創価学会員を救うことに繋がります。一考をお願いします。山崎正友氏、原島嵩氏、もう一度、「暴露本」を出版するべきです。たしかに出版することは現在は極めて困難になっています。命賭け、また家族、親類にも迫害が起こることになりますが、一考をお願いしたい。
 創価学会はトップが間違ったから悪鬼が雪崩れ込み会員に不幸なことが競い起こった。トップが間違っているから不幸なことが競い起こる。
「その宗教団体のトップが間違っていたら其処から悪鬼が雪崩れ込む」という趣旨の御書の一節(あるいは他典)があるということですが、何処かお教え下さい。私は「日如上人様ならどう言われるか?」を現在、判断の基準にしています。(創価学会内部改革派憂創同盟より)
 時代がどちらが正しいかを証明するだろう。創価学会に悪いこと不幸なことが起こるのは創価学会のトップが間違っているからである。悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでいるからである。創価学会の正常化(清浄化)を行うのが創価学会内部改革派憂創同盟である。広宣流布への情熱をそのままに創価学会を良くしてゆけば会員は幸せになれる。200万人もの創価学会員のためです。
 創価学会は実質上200万人であるが、信仰する気を喪失し退転状態またアンチ創価学会の状態にある人たちを含めると四百万人になる。実質上200万人のうち、批判力を持たない狂信的な創価学会員の割合は8%と推定される。
 創価学会は850万所帯などとでたらめを言っているが、筆者は19歳の頃、そのでたらめに非常に悩んだ記憶がある。他の邪宗(新興宗教)も同じように所帯数をでたらめに多く言っている。「他の邪宗と同じではないか」と19歳の頃、激しく悩んだ。キリスト教は所帯数を水増しして言っていない。
 池田大作は大悪鬼である。広宣流布を妨げる大悪鬼である。何故、この大悪鬼が出現したのか? 御書には書かれている。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――しかし、これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。戸田会長は死の前に池田大作除名を言っていると私は信じる。しかし、それは池田大作そして池田大作に追従する人たちに握り潰されたのだと思う。または他に何かがあったのか? 池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。
 池田大作が石田次男氏を抜いて第三代会長に成れたことに何かの秘密があると思われる。石田次男氏が第三代会長になっていたら創価学会員は不幸になることはなく幸せになっていた。現在、熱心だった創価学会員はほとんどが不幸に喘いでいる。また創価学会はもっと発展していたであろう。池田大作が第三代会長になったことに全ての不幸は始まっている。
 そして広布の歴史の歪曲が「人間革命」など多数の出版物などで行われている。広布は名もない庶民が血みどろになって行ってきたことであって、池田大作が行ったのではない。池田大作は第一庶務の女性などを連れて研修道場の一角の超豪華な部屋(池田大作専用室)で楽しんでいただけである。このことを側近(最高幹部)は知っているはずである。また、そこを掃除していた女子部の幹部は疑いを抱き多数退転した。
 大悪鬼である池田大作は現在、世俗の名聞名利を追い求める爬虫類(コモドドラゴン)と化している。また、選挙を至上として広宣流布をないがしろにしている。創価学会は今、宗教団体ではなく、むしろ政治結社になっている。
 また、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を蔑如している(しかし、これを知らない創価学会員は極めて多い)。
 これでは創価学会員が不幸になるのは当然である。大悪鬼を師そして生き仏として崇めると不幸になるのは当然である。
 創価学会員はどうしようもないほど人の良いが多い。創価学会員以外とは友達で居たくないほどだ。友達はほとんどが創価学会員だった。創価学会員以外は信じることができなかった。創価学会員以外は疑ってしまっていた。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっている。
 人の心は声に現れる、顔に現れる。同時放送で見抜かなければならない。

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(2)

2011-03-03 19:36:22 | 日記

「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「創価学会に傷が付く!」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」と二十年以上前ある大きな会合で池田大作が偉そうに言い放っている。
 これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われ創価学会に入会しようとしていた。
 同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。聖教新聞では、すべて削除されていた。私は創価班の仕事をしながら聞いていた。
 その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。池田大作もそれらが「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
 それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観によるものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差――壮年部本部長の主観――がかなりあるようである。
 同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人も池田大作が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
 あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
 昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。祈祷性精神障害である。それを創価学会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。滅茶苦茶である。創価学会は狂っている。元凶は池田大作である。彼が狂っている。
(今、自分は怒りに震えながら書いている! 精神疾患の苦しさ悲しさを創価学会は全く解っていない! いや、池田大作は全く解っていない! 池田大作が元凶である!)
 統合失調症およびその他の精神疾患の患者は創価学会に於いて邪魔でしかないのである。「創価学会に傷が付く」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」とその放送で狂った池田大作が偉そうな調子で言い放っている。
 私が学生部のときも学生部の拠点(古い木造の大きな家)にときどき統合失調症と思われる人が玄関を徘徊していることが多くあった。彼ら彼女ら統合失調症の患者は寂しいから来ていたのだと思う。昔ここは学生部の拠点になる前、辺りの学会の拠点であった。
 そしてこの拠点での会合に良く参加していたのであろう。健康だった頃の懐かしい場所なのだろう。また学生部の題目の声に誘われるようにして来ていたのであろう。抗精神病薬を服用したぼんやりとした意識の中、過去への郷愁に駆られて来ていたのであろう。
 学会はこういう人々に対して一般に冷たいことが多くある。信仰がなっていないから病気になったと定義されているからである。ある年配の幹部がその人に対して言った。「00さん、あなたが来るところではない。ここは学生部の拠点だ。あなたが来るところではない。出て行け!」その年配の幹部は厳しいことで有名であった。「00さん」と言うことは知っている人であったのであろう。しかし野良犬に対するようにそのようなことを言うことには納得がいかなかった。しかし私はその頃、未だ学生部であった。文句を言うことはできなかった。
 後で解ったが「00さん」は昔、この一帯の責任者的存在であったそうだ。しかしある時、突然、発病して、このようになったということだ。この一帯の草創の大功労者(この一帯の初代の男子部部隊長であった。発病は昭和三十七年頃であり、池田大作の時代だった)ということである。
 もう一人、良く来ていた人はこの県の初代の女子部部隊長であった。この人もある日、突然、発病して、このようになったということである(この人も昭和三十七年頃の発病であり、池田大作の時代だった)。
 また、これも後で聞いたことであるが、池田大作が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会?)で言い放ったそうである。ある優しい副会長が悲しそうに言っていた。この池田大作の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。

 精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。創価学会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これは創価学会の邪義である。邪義であることは御書を読めば解る。日蓮正宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
 創価学会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。池田大作の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意な創価学会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも石川伸一という偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在では余程、僻地でない限り、ほとんど無い。いや僻地でも救急医療が発達しており現在ではほとんど無い。


 三十歳の女性であり会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。治す方法は簡単で勤行唱題を中止したら寛解する。しかし私はその頃は熱烈な創価学会の信者であった。私は紹介者の入会させるまでの労苦を思うと勤行唱題を中止することを提言することができなかった。
 そのため抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなる。抗精神病薬を必要とするようになる。学会製の“魔”の御本尊を拝んでいた。今も抗精神病薬を服用しながら学会製の“魔”の御本尊を拝んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
 どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
 性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。


 一族全員、熱烈な創価学会員。小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
 小学四年生の少女である。あまりにも可哀想であった。その怒りがこのレポートを書かせていると言っても過言ではない。ここの両親は熱烈な創価学会員であり、池田大作の悪行のことは全く知らない。恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。どうにかやってこの両親にも池田大作の悪行を知らしめて娘さんを救ってやりたい。ただ、この一心でこのレポートを書いている。あまりにも可哀相であった。


 三十七歳、女性。ずっと以前、東京に池田大作に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京に池田大作に会いに行ったのかもしれない。詳細は不明。ただ、二十歳の頃だったという。
 病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったらしい。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
 池田大作は一人の女性を統合失調症にしたのである。


 社会人になって職場の上司から折伏され創価学会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。
 三年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬をしたと言う。そのことに強く罪悪感を覚えている。暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して二十年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「聖教新聞は要らない、池田先生の講演集が欲しい」と言う。題目も一日何時間も上げることが多い。


 男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症した。精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。入院して三十年以上が経過している。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい。」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われているのである。隔離室に入っていることが多いため勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は三十五年に及ぶ。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。器質性精神障害を考えられるも頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 このように精神病院には御本尊を所持しているが精神状態が悪く、御寿司を安置できない患者が多く、勤行唱題は全く行うことが不可能という患者が多い。現在は精神薬理学が急速に進歩してきた。以前のような鉄格子をしている精神病院は見られない。しかし、それでも創価学会の患者の場合はコントロール困難なことが多い。創価学会の統合失調症の患者は別枠で考えなければならないことが多い。


 男性。幼い頃から統合失調症と診断されていた。幼い頃から創価学会の熱烈な信者。小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一生懸命に創価学会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたという。
 ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変で宗門との第二次戦争の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。学会員からは「池田先生に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃から池田大作一筋であった。


 男性。大学卒業の二十二歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症六年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
 親族に精神疾患の家族歴はない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
 母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非学会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信な学会員。祖父の罪業が孫に降りかかってきたものと思われた。


 女性。三十歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員で創価学会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
 勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親は創価学会幹部と激しい諍いを起こし、創価学会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、法華講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家には創価学会の仏壇と御本尊がある状況だった。それには妹が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
 妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊は創価学会が勝手に造った“魔”の御本尊に替わっていた。
 平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。


 男性。十八歳発症の社会不安障害(対人恐怖症)。高校三年の終わり頃、大学入試二次試験の直前、受験の時に御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する予定の都会の学生部より受験の時に泊まる処を世話するという電話が来る。(今は知らないが、その頃は受験の時、御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する会場の近くの学生部が、学生部の拠点などに泊まらせることが多かった。)
 それまでは一家の中でただ一人、勤行唱題を熱心に行っていたが、両親が退転状態に近く創価学会とは接触をあまり持たなかった。その電話を受けるとともに社会不安障害が始まった、と言う。社会不安障害とは、対人緊張が激しく社会生活が損なわれる精神疾患である。
 そのため現役時、試験時、強く緊張し、合格確実と言われていた帝国大学受験に失敗する。一浪後、ランクを大きく落とし、地方の大学へ進む。大学入学後も強い対人緊張に悩まされ、留年を繰り返した。
 現在、罹患歴三十年になる。未だに強い対人緊張に苦しんでいる。


 これらはもちろん極く一部である。創価学会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろん創価学会では秘密にされていることである。一般の創価学会員は知らない。
 現在、東京に在る創価学会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部の創価学会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと思われる。
 ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないのが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医は創価学会員に多発している精神障害は創価学会の信仰に由来することに気付いている故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない(うつ病性障害では“治癒”という言葉は用いない。怪我などと異なり、再発するからである)。

 これら創価学会員に精神障害が非常に多発している現象は創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(1)

2011-03-03 19:35:38 | 日記
 創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
  ――――自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
                                       正義の書
                                創価学会内部改革派憂創同盟残党

はじめに
愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言)

 既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。
 同時放送に出席して、その傲慢さに呆れた人は多数存在するだろう。池田大作こそ獅子身中の虫である。創価学会の信仰を真面目に行っても幸せになれなかったのは池田大作が大悪鬼であったからである。敏感な人は同時放送のその声を聞くだけで池田大作が大悪鬼であることに気付くものである。その声は「傲慢の極み」であり、優しさ、謙虚さなど微塵も感じられない。
 正しい御本尊に祈らなければ幸せにはなれない。正しい宗教団体に属さなければ幸せにはなれない。原田会長が池田大作の死後、英断を振るい再び宗門の一信徒団体に復帰することを期待する。すべて池田大作が悪かったのである。池田大作が我欲のために戸田先生の造られた正しい信徒団体を破壊尽くしてしまったのである。
 正しい御本尊でも正しい信徒団体(講)に属して祈らなければ幸せにはなれない。正しい御本尊でも極悪の宗教団体(創価学会)に属したまま祈ると不幸になる。
http://sky.geocities.jp/mifune008(**これがホームページのアドレスです)
ccc998@infoseek.jp⇦⇦⇦これがメールです。    (平成22年11月1日記す)
純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。自分はそれら純朴な古くからの会員が可哀想でならない。それが私が法華講に入らず、創価学会内部改革派を名乗っている理由の一つである。この純朴な創価学会員の存在を思うと法華講に移りにくい。創価学会を改革してこの純朴な創価学会員を救わなければという思いが強い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。それ以外、創価学会が蘇生する方法はないであろう。創価学会が蘇生すれば純朴すぎて無知故に創価学会から法華講に移ることのできない人々を救うことができる。
 昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切結びつきを持たない。正信会とは対決する(正信会は既にほとんど潰滅している)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
 創価学会は宗門と縒りを戻し、戸田先生時代の創価学会に戻すようにする。正しかった時代の創価学会に戻すのである。つまり創価学会は日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。もう一度書く。創価学会を日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。または創価学会解散を行うべきである。
 池田大作の亡き後、創価学会員が多数、宗門に入る(戻る)ことは難しい。創価学会員は聖教新聞などの偽りの報道しか知らない人が大部分である。そして創価学会に義理人情で縛られてしまっている人が非常に多い。また創価学会の矛盾に気付いていても今までの創価学会の友情と交際が絶たれることを怖れ自分から日蓮正宗法華講に移る(戻る)信仰心の強い人は少ない。日蓮正宗法華講に移る(戻る)と一人っきりになるからである。一人住まいの老人が多い昨今その仕打ちは辛い。また嫌がらせ、迫害もある。
 もはや完全に謗法の魔窟と化してしまった創価学会であるが藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)が創価学会会長になると蘇生するであろう。この他に創価学会員を救う道は無い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。他に可哀想な純朴な創価学会員を救う道はない。

                         (完)


第1章


【研究と報告】
              池田大作の精神病理(第2稿)*

 ――――私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者であるーーーー

                               創価学会内部改革派憂創同盟残党**
【抄録】
 タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国とくに欧米に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、妄想は奇妙で現実離れしている。故に妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、妄想型統合失調症を発症したと考えられる。

【key words】Daisaku-Ikeda, Soka-gakkai, Schizophrenia paranoid type
 
【はじめに】
 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
 統合失調症には妄想型(Paranoid Type)、解体型(Disorganized Type)、緊張型(Catatonic Type)、鑑別不能型(Undifferentiated Type)、残遺型(Residual Type)があるが、妄想型が一番多く、緊張型は以前はよく見られていたが現在では先進諸国ではほとんど見られなくなった。統合失調症は生涯発病率は約0.85%(120人に1人)であり、国、人種による差はほとんど無いとされる。
 池田大作は極軽症・非定型ではあるが妄想型統合失調症である。下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症であることを支持する。
 
【症例】
 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居氏のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)(山田直樹:創価学会とは何か:新潮社、2004,p165)。

 池田会長はモダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』

 全てが奇妙で現実離れしている。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症である。妄想性障害では決してこのようなことは言わない。妄想性障害の頻度は妄想型統合失調症の10分の1であり、しかも妄想性障害は40代以降に現れることが通常である。妄想性障害は痴呆とともに現れることが多い。
 また、最も側近であった原島嵩氏は更に次のようにも述べたと書かれている。
5)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
6)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
7)『私は太陽の帝王だ』
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p226---5)6)
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p191---7)


 以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして妄想性障害を説明する。
 妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
 妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳以降(成年中期から後期にかけて)に発病する。
 妄想型統合失調症とは異なり、妄想性障害は比較的稀である。
 妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。

 もう一つ、自己愛性パーソナリティ障害との鑑別が必要であろう。自己愛性パーソナリティ障害の統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。すなわち自己愛性パーソナリティ障害の妄想は説得により崩れる脆いものである。自己愛性パーソナリティ障害の患者は「世界は自分を中心に回っている」という妄想を良く抱くが、患者自身、その妄想に疑いを持っている脆いものである。
 宗門支配にしても自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す。自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”と言われていた池田大作はやはり統合失調症しか考えられない。


 池田の方でも、表面ではさも学会員を守るかのようなポーズを取りながら、心では見下しており、外部の人間にはしばしば、学会員は無知で世間知らずであると公言しています。
 例えば昭和51年、創価大学図書館落成の折に開かれた文化祭で、池田は来賓に向かって「こんなものは昨日も埼玉で見て、見飽きました。この連中は歌を歌わせておけばいいんです」と言い、周囲の人を唖然とさせています。
 池田の師弟不二は、あからさまに言えば、かしこまって緊張した幹部を前にして、寝そべって女子部員に胸をさすらせたり、果物をくちゃくちゃ食べながら指導するような振る舞いに端的に表れています。
 あるいは宗門の役僧の前でも同じように、一人だけ寝そべり、それが会議の席上であるにも拘わらず「あんまさん、爪を」といってアンマに爪を切らせたりもしているのです。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:259-60)―――――自己愛性パーソナリティ障害

 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)ーーーーーーー
自己愛性パーソナリティ障害
 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)―――――――
電波妄想である(これは統合失調症に特有なものである)、自己愛性パーソナリティ障害

 海外へ行くときなど、極めて厳重な警備態勢を敷いていることーーーーー妄想性パーソナリティ障害

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築を示唆する。自己愛性パーソナリティ障害

 池田大作は池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは当時は家庭裁判所が認めたときのみである。戸籍の名前を変えることは当時はそれほど困難なものであった。凄まじい執念で変えたものと思われるーーーー自己愛性パーソナリティ障害

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」――――これは池田大作の芝居と元側近は考えたが、自分は大聖人の生まれ変わりであるという誇大妄想である。自己愛性パーソナリティ障害

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めたーーーーこれを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性も高い。自己愛性パーソナリティ障害


 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。
「弟子分帳」なるものも、この一つです。みずから仏であるとの我執、我見が、その根底にあるのです。
 さらに「弟子分帳」の証書を手渡すに当たって「私が、赤く“背きおわんぬ”(そむいてしまった)と一度、朱線を入れてそう書けば、もうその人間は生々世々地獄なのである。もう二度と人間に生まれてこない、ということだ」という趣旨の話を何回かしていました。
 私は当時、厳粛な面持ちで効いていましたが、今となって、池田の謗法の根の深さに身震いがします。仏でなければ、このようなことは言えません。いや、末法の御本仏日蓮大聖人は「無間地獄の道をふさぎぬ(ふさいだ)」と仰せられ、全衆生の救済を説かれたのです。また「我れを損ずる国主を最初に導かん」とも仰せられています。大聖人を迫害した指導者(国主)を真っ先に正法に導くのだ、との大慈悲に立脚されていたのです。
 その昔、インドに於いても、釈尊は「入滅にあたっての最大の嘆きは阿闍世王のことだ」といわれています。たとえば、父母の愛はすべての子供に平等であっても、特に、重病の子には最大の慈悲を注がれるように、釈尊は阿闍世王(父を殺し、釈尊に敵対した)のことがいちばん可愛いといわれるのです。
 ところが池田は「いいか!私の言うことを聞け!聞かないと地獄に堕ちるよ!」と口癖のようにいうのです。創価学会の信仰は、池田に従順であるか、それとも池田に背いているか、両極で判断されるのです。それにしても「私が一度朱線を入れて書けば、もう二度と人間に生まれてこない」などというのは、宗教が精神の世界であり、とくに、三世の生命を信ずる私たちにとっては、世間の脅迫以上の厳しい言葉です。もはや脅迫罪などというものではありません。成仏を志す私たちには、それは死刑の宣告以上の鋭さを持っています。死刑は今生だけのことですが、永遠に人間として生まれてこられないというのは、それ以上の厳しい宣告だからです。
「罰論を説くに当たっても、教えるという態度でなくてはならぬのに『私の言うことを聞かなくては罰が当たる』等と、さも自分が仏になったようなーー醜い至りである。罰のよって来たるところ、貧しき我らの境遇を諄々と説き、尊極無上の御本尊を賛嘆し、救われるるはこれだけであるということを説くべきである」(『折伏の心がけ』昭和28年3月30日)
 池田大作は「私の言うことを聞かないと地獄に堕ちる」と言い、戸田会長は「『私の言うことを聞かないと罰が当たる』等と、さも自分が仏になったようなーー醜い至りである」と戒告されています。
 これでは全く逆です。池田には、自分の恩師の言葉が耳に入らないのでしょうか。私には、池田の姿が醜く映じてなりません。
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p228-31)
――――――誇大妄想である。自己愛性パーソナリティ障害


 池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった――――誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 結婚後、かね婦人が池田大作が勤行唱題しないことに対し質問したら「俺は特別だから」と答えたーーーー誇大妄想
 また、既にこの頃から池田大作には信仰心が無く、学会活動を次期会長になるためのビジネス(仕事)と考えていたと思われる。「天下を取る」を口癖に池田大作は学会活動に走り続けた。彼の学会活動は「天下を取る」という燃えたぎるような誇大妄想のためであったーーーーー誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)
――――被害妄想と日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p81)―――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、妄想性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害

異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p261-2)――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害

私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p264-6 )――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー自己愛性パーソナリティ障害

池田大作の目から睨まれると誰でも怯えてしまうことーーーーー妄想型統合失調症者に特有の目である

ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー自己愛性パーソナリティ障害

海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

日達上人御在世の時、日大講堂で行われた創価学会の総会において日達上人がお話をされたそうですが、その内容について池田氏が猊下に対して
「今日の猊下の話は、あれは何ですか?」
と言ったそうです。そこで日達上人と日顕上人が怪訝な顔をされていると池田氏は続いて
「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないですか!図にのぼっているんじないですか!?」
と言ったそうです。(日顕上人「文藝春秋」掲載の手記「創価学会会員に告ぐ」より)――――自己愛性パーソナリティ障害 

 竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に幹部よりそのことを知らされたーーーー自分が貰えない勲一等を受けたことを嫉み(妄想性パーソナリティ障害)自分の自尊心が貶された(自己愛性パーソナリティ障害)創価学会員は公明党国会議員を代表として受勲を拒むように内部指導されている。それまでも何人かの元・公明党国会議員が受勲を辞退している。これは池田大作が貰えないからである。

 宗門乗っ取りは絶対不可能であったのに宗門乗っ取りを謀ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の最重症であっても、そのような無謀なことをする前に現実を認識し目が覚めるものであるーーーー妄想型統合失調症の誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 この2、3年海外旅行を行なう場合、かね子夫人同伴で出かけていくのも、池田は時々異常な発作を起こし、側近同行の者にあたりちらす。夫人の同伴は、そういう池田の発作を鎮めるためだ、と言われるーーーー妄想型統合失調症の興奮

 同時放送には自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想に満ちた統合失調症者の姿を晒しているが、そのスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーーキンマンコはその一つである(しかし、幻聴であった可能性も高い)

 意欲減退、社会的無気力はなかったようだーーーー創価学会の信仰を行っている統合失調症者には意欲減退、社会的無気力が出ないという特色がある。75歳の創価学会の統合失調症者で恋愛妄想があり、意欲減退、社会的無気力などの人格の崩れは全くないが退院要求の非常に強い男性患者を知っている。退院してその女性と結婚すると主張している。
 しかし、池田大作は既に26歳頃には信仰を退転していたという意見が多い。池田大作は極軽症であった故に意欲減退、社会的無気力など陰性症状が出なかったと思われる。また、最近の統合失調症では陰性症状が出ないことも多い。統合失調症の変遷とも言えよう。うつ病性障害も変遷しているように精神疾患はすべて昔と変遷してきている。

 創価学会員は妄想型統合失調症者を神様のように崇めてきた、崇めていることになる。また、これが創価学会員の精神障害の異常多発を招いた、招いていると言っても過言ではないと思われる。

【考察】
 池田大作は周囲から神様のように煽てられてきた。煽てられることにより彼はますます自分を神様のように思ってしまった。そして日蓮大聖人よりも偉大だ、という妄想が形成されていった。彼はただ霊的能力(直感力、金のある家を当てる能力)が優れているだけだった。
 このように新興宗教の教祖は信者より神様と讃えられるためにますます自己愛性パーソナリティ障害が重症化する。そしてまた統合失調症の誇大妄想も重症化してゆく。
 パーソナリティ障害における妄想が統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。
 訂正可能な「限局的な軽度の妄想」に留まっているならばパーソナリティ障害となるが、「高度に体系化された訂正不能な妄想」が見られるなら妄想性障害や極軽症の統合失調症(妄想型統合失調症)となる。
 妄想性障害は40歳以上の高齢者に見られるのが一般であるが、発症は20代前半と考えられること、その病気の起こる頻度より極軽症の妄想型統合失調症として良い。妄想性障害は頻度が低いが妄想型統合失調症は頻度が高い。その頻度の差は10倍になる。
 私見ではあるが、潜在的に存在している統合失調症の患者は多い。奇人変人扱いされながらも彼らは病院から抗精神病薬をもらうことなく生きている。彼らは妄想と現実の両方で生きている。結婚もし、家庭も築いていることが多い。現実社会を生きてゆく上で最も問題となるのは性格の素直さ、優しさである。
 彼らは精神科を受診している場合、反社会性パーソナリティ障害、統合失調症型パーソナリティ障害、または統合失調症質パーソナリティ障害と誤診されていることが多い。彼らは少量の抗精神病薬すなわちハロペリドール2mg/day (またはブロムペリドール 4mg/day)を投与すると借りてきた猫のように大人しく従順になる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。これは妄想型統合失調症の極軽症として良いし、自己愛性パーソナリティ障害の極重症としても良い。
 各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびヒットラーたちは自己愛性パーソナリティ障害の極重症または潜在性統合失調症と推定される。
 この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
 池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その誇大妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気の執念で懸命に走らせた。大阪での参議院選挙、炭労問題などに自分は他の人間とは異なり偉大な存在であるという誇大妄想による狂気の執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である(自己愛性パーソナリティ障害)。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。これを「大学ノート事件」という
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館、2004、p19)これは妄想性パーソナリティ障害も考えられるが、統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートとも思われる。
 会長になってからは日本征服の野望(誇大妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
 そして国会喚問の危機に立たされた時、子供のように恐れ戦き、軽井沢の別荘に閉じ籠もったりしたこと、このとき熱があると側近に何度も強調したこと。また、これ以外にも国会喚問の危機に立たされたが、池田大作は国会議員のみでなく創価学会の青年部を使って国会議事堂内に座り込みをさせ、国会喚問を阻止させた。これらは統合失調症の被害妄想、または妄想性パーソナリティ障害と思われる。
 原島嵩氏は「池田大作は人を信じることができない。猜疑心のかたまりである」と書いている。これは妄想性パーソナリティ障害である。妄想性パーソナリティ障害は自己愛性パーソナリティ障害と非常に高い確率で合併する。 
 日本共産党との十年協定は池田大作の独断とされる。妄想性パーソナリティ障害の人は交渉や政治的駆け引きに長けていることが多い。
 折伏による日本制覇が不可能と解ると、総体革命という社会の重要ポストを創価学会員で占めて日本を制覇するという妄想に変わった。数少ない創価学会員で社会の重要ポストを占めることは不可能であるし、例え社会の重要ポストの多くを占めても日本制覇は不可能であり妄想の産物に過ぎない。これは現実認識能力が欠けていることを示唆する(自己愛性パーソナリティ障害)。
 また、1990年代に自民党独裁政権が崩壊し、連立政権で大臣のポストを幾つも取った時、子供のように喜んだことは、これも現実認識能力が欠けていることを示唆する。
 統合失調症の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想のため、宗門支配を企んだ。しかし失敗し、破門になった。宗門支配は池田大作の野望または狂気と言われている。宗門支配は不可能であることは分かりきったことであるのに行った。これも誇大妄想による現実認識能力の欠如を示す(自己愛性パーソナリティ障害)。
 自分が大聖人よりも偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。これは新興宗教の教祖には共通のことである。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)のためと考えられる。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)と猜疑心(妄想性パーソナリティ障害)から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた。しかし池田大作は自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)からそのような行為を行ったのである)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、統合失調症が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
 潜在性統合失調症はイランなどの指導者にも存在しているらしい。潜在性統合失調症者に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症者同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。筆者には、その指導者たちのテレビで見る顔が妄想を心の中に大きく湛えているように見える。
 潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。これは妄想型統合失調症の極軽症ではなく妄想型統合失調症と別のタイプの統合失調症と考えて良いかも知れない。見逃されている潜在性統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにほとんど認識されていない。
 池田大作、文鮮明、金日成、この3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。この3人は諸外国より勲章、メダルを買い漁った。3人の顔、体型はよく似ている。これは偶然性の一致と言われる。この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は考える。彼らには共通して過活動性が見られる。
 国家指導者および宗教指導者に見逃されている潜在性統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。

【終わりに】
 現代では、誇大妄想を主とする統合失調症者が新興宗教の教祖の多くを占める。池田大作もこの例に漏れず、精神科受診はなかったのかもしれない。しかし、池田大作の側近には精神科医もいる。その精神科医が抗精神病薬を服用させている可能性は高い。
 池田大作は金貸し業を始めてから金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。このような人並み外れた霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。
 一般的に考えると池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(重症)と妄想性パーソナリティ障害(中等度)の合併と診断するのが妥当であろう。しかし、この霊的能力が引っかかり、筆者は極軽症の妄想型統合失調症に診断名を変えた。
 池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。しかし、これは取り立てが異常に酷かったためという意見もある。実際、池田大作の借金を返すことが出来ない人達への仕打ちは極めて異常であったという多数の証言がある。
 池田大作の借金取り立ては凄まじく、情け容赦もなかったと言われる。借金返せない人の家や土地を取り上げ、金目のものは何でも持って行ったという。家を取り上げられた人は住む所もなく放浪の旅に出た。大蔵商事の鬼の池田と恐れられていたと言われる。そのため大蔵商事は極めて危険な貸し金融と恐れられていた。病気で寝ている老人の布団を剥いで持って行ったという逸話も伝わる。
 破綻し懸かっていた戸田城聖氏の事業は蘇生した。戸田城聖氏はこれ以来、池田大作に頭が上がらないようになったとも言われるが真偽の程は定かでない。また、これが池田大作が第3代会長になる大きな要因に成ったとも言われる。
 鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。

【後書き】
 私見ではあるが、放置されている極軽症の妄想型統合失調症の患者は多い。とくに暴力団員に多く、次に競馬、競輪、競艇などの賭け事を行う場に多い。また、奇人・変人と思われている人達にも多く存在すると思われる。彼らは少量の抗精神病薬すなわちハロペリドール2mg/day を投与すると借りてきた猫のように大人しくなる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラーたちは潜在性統合失調症と思われる。

【潜在性統合失調症】(筆者の私見)
 発症年齢は一般の統合失調症と同じ。確固とした妄想が主症状。幻聴は一般にない。確固とした妄想に従って行動する。病前の性格は真面目な人は普通の人と同じように働くことができるが、病前の性格が不真面目な人は仕事に支障を来すことが多い。人格の崩れが年齢を重ねるに従い少しずつながら現れてくる。
 これは分裂病質人格障害や分裂病型人格障害とは異なる新しい概念である。すなわち極軽症の妄想型統合失調症のことである。
 現代は統合失調症の軽症化が叫ばれているが、それにより生まれた疾病概念と定義する。

【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002
5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003
7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994
8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004
9)DSM--TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007


*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda
**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)
Toshiro MIFUNE:000 psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .


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 日如上人様

 自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移ったばかりのものです。是非、申し上げたいことがあります。
 池田大作が亡くなった今、創価学会を元のように日蓮正宗の一宗徒団体として戻してくれませんでしょうか?
 池田大作は病気だったのです。精神が病んでいました。自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害に罹患していました。これは一般に人格障害とも言われているものです。この病気はクスリも何もほとんど効きません。成り上がりの独裁者に多発する病気として有名です。外国にも数例、同じような症例が存在します。
 或る小国の成り上がりの独裁者は国の至る所に自らの銅像を建て、テレビの放送でも自らを賛美する放送を流しています。この国は天然ガスが豊富に産生され、国が非常に豊かで平和であり、この独裁者への反抗はないようです。
 異常な権力欲が池田大作を第三代会長に成らせ、巨大過ぎる権力を持ったことが彼をますます傲慢にさせました。そして宗門を支配下に置こうとまで考え至ったのです。
 しかし、池田大作はパーソナリティ障害を越え、自分が本当に日蓮大聖人以上の存在だと思っている妄想性障害または軽度の妄想型統合失調症なのかもしれません。新興宗教の教祖にはよく見られることです。
 その池田大作には創価学会員が一番苦しまされたと言って良いでしょう。池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会員に次々と不幸な現象を起こしました。

 今、末端の創価学会員は不幸に喘いでいます。偽物の御本尊を拝んでいることと池田大作が創価学会に招き入れた悪鬼の大集団のためです。創価学会員全員が法華講に移ったら良いのですけど、それは不可能と思います。
 不幸に喘ぐ末端の創価学会員は100万人に達すると思われます。どうか、彼ら彼女らを見捨てないでください。悪かったのは池田大作一人です。創価学会員は騙されていたのです。
 悪いのはすべて池田大作です。創価学会員は被害者です。
 池田大作亡くなった今、創価学会を破門から解いてもらいたいです。創価学会員は被害者であり、何も悪くありません。
 池田大作は精神異常者でした。これは今後の池田大作の精神病理学的研究より明らかになることでしょう。創価学会員は精神異常者から騙され続けてきたのです。
 創価学会員は非常なお人好しの集まりです。非常なお人好しだから池田大作に騙され続けていたのです。

 寛大なご処置をお願いします。
                              創価学会内部改革派憂創同盟残党




魔性の創価学会(一)
 一度、精神障害に罹った人は、ただでさえ治り難いのが精神障害である。これが創価学会に極めて多発している。これは四十年以上前から創価学会の上級幹部の間では良く知られていた。また折伏闘争華やかなりし頃には「急性精神病状態(acute psychotic state)」(以前は心因反応、急性分裂症様状態と呼ぶこともあった。現在では急性統合失調症様状態と呼ぶこともできるだろう)での精神病院入院が極めて多発しており精神科の医師の間で創価学会の「急性精神病状態」の患者の非常な多さは有名だった。
 これは昭和四十九年頃発売の精神医学専門雑誌に詳しい論文が出ている。それは私の机の上に置いてあった。おそらく先輩が私を創価学会から辞めさせようとして私の机の上に置いたのだと思う。私はその雑誌から読んだ。その精神医学専門雑誌が何という雑誌であったか、また正確な発売された年が記憶にない(昭和四十五年から五十二年にかけてのものだったと思う)。「創価学会」「精神疾患」という二つのキーワードで医学文献のデータベースを検索すると出てくる可能性がある。この二つのキーワードで検索すると私が読んだもの以外の論文も出てくると思われる。しかしデータベース化されていない可能性は高く医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すのが一番と思われる。
 医学専門雑誌の会員になるとインターネットで検索可能かもしれない。「精神医学」という精神医学専門雑誌であった気がする。しかしデータベース化されていない可能性は高い。医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すしかない可能性が高い。昭和五十五年以降は創価学会の言論弾圧により創価学会を題材とするような論文は決して掲載されなくなった。
「急性」(二週間から三ヶ月の入院)で治まった者は幸せで「慢性」となり(これを統合失調症と呼ぶ)精神病院に長期入院または入院と通院の繰り返しとなった創価学会員は多い。しかし大部分は一時的なエピソードで終わり極一部が慢性化したのみのようである。
 創価学会員の「急性精神病状態」の特徴として必ず躁的であることが上げられる。しかし現在、勤行唱題が以前のように熱烈に、そして長時間は行われなくなったためと思われるが「急性精神病状態」はほとんど見掛けなくなっている。代わりに現在(少なくとも二十五年程前から)は、うつ病性障害が非常に多発するようになった。しかし今でも創価学会員に統合失調症の発生は有意に多い。一般の三倍として良い。
 これらの精神障害に苦しんでいる創価学会員の数は極めて多く、それは全て池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。その大集団が池田大作の死とともに創価学会から立ち去れば良い。また最高幹部たちが池田大作の死とともに団結して立ち上がり池田大作批判を充分に行わないことには、それら悪鬼の大集団は創価学会から立ち去らないと思われる。
 我が県の県青年部長も「パニック障害(うつ病性障害も併発していたと思われる)」で倒れた。未だに(三十年)自宅療養のままである。我が県で最も熱心に真面目に活動していた青年部長であった。自らに妥協せず限界まで戦っていた青年部長であった。県展も真夏の炎天下に二人で運んだ。尊敬すべき人であった(県が現在のように幾つにも分かれてなく一つの県は一つの県の時代であった)。

 以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏して回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、創価学会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。創価学会は池田大作の時代になり見延派と同じになったのだ。
「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。
 たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。
 そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に書かれてある。
 創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。
 そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況である。自分が創価学会のときは異常な多発で半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。


創価学会内部改革派 蘇生の選択 (24)

2011-03-03 15:55:38 | 日記
   創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
(覚え書き)(no.3)
                            創価学会内部改革派憂創同盟残党




 保田妙本寺の皆さん、あけましておめでとうございます。
 自分は九州で一人、隠れ保田妙本寺信徒として信仰している者です。観念文は保田妙本寺のをインターネットより入手して使っています。以前、保田妙本寺の信徒さんを怒らせるようなことを書きましたが、それは日蓮大聖人や保田妙本寺御僧侶は分かられると思われる激情からのことです。
 保田妙本寺の信徒に民衆救済、広宣流布の情熱が感じられないことからの激しい怒りでありました。苦しんでいる民衆はたくさん居ます。安穏と信仰したいという人達への激しい怒りからのものです。弁明も謝りも致しません。苦しんでいる民衆のことを考えるともっともっと怒りの言葉を書きたいくらいです。
 保田妙本寺が創価学会の本山になれば広宣流布は達成されます。苦しんでいる民衆は救われます。それを理解して下さい。
 創価学会員は偽本尊に祈っているのです。余りにも憐れです。うつ病性障害などの精神障害、原因不明の難病、不慮の事故などで苦しんでいる創価学会員がもの凄くたくさん居ます。彼らを救ってやって下さい。創価学会員は喧しいですが我慢されて仲間に入れさせてやって下さい。
 52年路線のことを心配しておられた保田妙本寺信徒の方もおられましたが、あれは0000だから行ったことです。他の側近は皆、常識溢れた方ばかりです。でも、0000の野望を止められなかったのです。
 52年路線の再来はあり得ません。0000のような狂人は今後、現れることはあり得ないと確信します。0000はいわゆるシーザーであったのです。自分を中心に世界が回らないと満足しない狂人・シーザーであったのです。シーザーであるから誰も止められなかったのです。
 原田会長は迷っておられるようです。たくさんの創価学会員に起こり続ける不幸をどうにか止めたいと思っておられますが、方法が分からない、どうして良いか分からないでおられるようです。
 また、未だに0000が生きていること、原田会長独断ではできないこと、などに悩んでおられるようです。
 どうか、偽御本尊しか持たない可哀相な創価学会員を保田妙本寺に入れさせてやって下さい。

       by 九州の三船敏郎

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      原田会長へ

 原田会長、また、保田妙本寺を創価学会の本山とするよう戦う創価学会内部改革派憂創同盟残党その名は三船敏郎であります。
 早く、創価学会製の御本尊、すなわち日寛上人の御本尊(“魔”の御本尊)を回収し、保田妙本寺より正しい御本尊を戴くべきです。        
 創価学会製の御本尊に祈ると、うつ病性障害などの精神障害が非常な高率で起こる、しかも治らない、ことはご存知のはずと思います。創価学会の本部に毎週、精神科医が来て診察や治療をしていることは、もう世間一般の常識になっていることもご存知と思います。
 創価学会員に発生したうつ病性障害などの精神障害は治らないことで有名です。普通のうつ病性障害なら3ヶ月ほどで治るのが普通です。しかも病院に行かず、放って置いても治るのがうつ病性障害です。
 創価学会製の御本尊には悪鬼が棲み着いています。このことは原田会長もご存知のことと推察します。その悪鬼が池田大作の死とともに創価学会製の御本尊から離れて行けば良いですが、これは楽観しすぎの予想です。池田大作が死んでも創価学会製の御本尊には悪鬼が住み続けると思います。
 創価学会員のうつ病性障害など精神障害に罹患する確率は驚くべき高い値を示します。原田会長はご存知のはずと推察します。
 このままでは創価学会は衰退続け、無くなってしまうかも知れません。それほど創価学会員のうつ病性障害などの精神障害に罹患する確率は驚くほど高いのです。
 早急に創価学会製の御本尊すなわち“魔”の御本尊は回収されるべきです。うつ病性障害になり生活保護になる創価学会員が異常に多いことは社会の常識になっています。知らないのは素朴な純朴な創価学会員だけです。
 創価学会員のうつ病性障害には特徴があります。統合失調症との鑑別が極めて難しいことです。
 被害妄想に怯えるうつ病性障害の患者は極めて少ないのですが、創価学会員のうつ病性障害の患者は被害妄想に怯えていることが極めて多いです。実際、うつ病性障害の創価学会員に統合失調症に用いる抗精神病薬を与えると良く効きます。ドラマチックなほど良く効きます。
 事態は深刻です。創価学会員のうつ病性障害はなかなか治りませんし、再燃(再発)を繰り返します。うつ病性障害が治ったという話をときどき聞きますが、それは不安障害を間違ってうつ病性障害と診断した時のことです。創価学会員の不安障害は一般に比べ非常に重篤なのが特徴です。
 そしてうつ病性障害で入院する人は稀ですが、その稀な人達のほとんどが創価学会員です。彼ら彼女らは何時まで経っても治りません。抗精神病薬すなわち統合失調症に用いる薬を服用させないと軽症化しません。
 マスコミからスクープされる前に、創価学会製の御本尊つまり“魔”の御本尊を早く回収しないと、創価学会に入ってくる人がほとんど皆無になります。
 マスコミからスクープされると創価学会は崩れ落ちるかも知れません。創価学会製の御本尊すなわち“魔”の御本尊は一日も早く回収するべきです。創価学会製の御本尊にはどんなに気合いを入れて祈っても歓喜は湧きません。その代わり、日達上人の御本尊に祈るともの凄く歓喜が湧きます。日寛上人の書かれた六寛抄は日蓮正宗以外の富士派からは全く歯牙にもかけられていないようです。内容がデタラメに満ちているからです。富士大石寺の大御本尊は日有上人の時代に作られたものと文献的に言われています。犀角独歩氏がデジタルアナライザーで富士大石寺の大御本尊が後世の贋作であることを最近、証明されました。
 創価学会は早く日寛上人を捨てなければなりません。日蓮大聖人の正流は保田妙本寺であり、富士大石寺は贋作の教団と言われています。富士大石寺が正統と思っているのは年老いた創価学会員だけです。
 富士大石寺への登山の経験のない男子部・女子部は既に富士大石寺の大御本尊は後世の贋作と主張しています。そうやって脱講運動を展開しています。ただ、未だに犀角独歩氏のデジタルアナライザーでの研究が本になってないため、知っている人が少ないです。早く創価学会から犀角独歩氏のデジタルアナライザーでの分析結果を詳しく聖教新聞などに掲載するべきです。
 保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行をすると歓喜が凄いです。勤行して3分間の題目だけで怖いもの無しになります。自分は現在、保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行を行っていますが、勤行と3分間の題目だけで元気一杯になり怖いものがなくなります。
 保田妙本寺こそが正統なのです。原田会長も保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行すると解ります。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ大御本尊であると正本堂御供養金返還運動に立った民音の松本氏は先見の目を持っていたと感心しています。
 保田妙本寺が創価学会の本山となってくれるかが問題です。
 創価学会製の御本尊つまり“魔”の御本尊の半径2メートル以内では「死ね、死ね」という言葉が聞こえてくる婦人部がいます。半径2メートル以上では何も聞こえないそうです。
 また、東京の創価学会専用の精神科クリニックには、“魔”の御本尊に勤行唱題するとリストカットをしてしまう男子部員が通院しています。“魔”の御本尊への勤行唱題を厳禁にしていますが、熱心なあまり勤行唱題をしてしまうそうです。
 また、“魔”の御本尊に勤行唱題すると一発でうつ病性障害が再燃してしまう女子部員(婦人部員??)がいます。この人も熱心なあまり、創価学会員の精神科医より“魔”の御本尊に向かっての勤行唱題を厳禁にされているにも拘わらず“魔”の御本尊に向かって勤行唱題してしまうそうです。この女子部員は青春時代をほとんど、うつ病性障害で送り、婚期も逃してしまいました。
                (完)


(補記)
 富士大石寺の大御本尊が後世の贋作であることが現代科学的にも立証されました。ということは日寛上人の御本尊も同類となります。
 すなわち日寛上人の御本尊も後世の贋作ということになります。日寛上人の御本尊を拝んでうつ病性障害などの精神障害が異常多発、および事故が異常多発するのは後世の贋作を拝んでいるからです。
 日寛上人が間違った宗派の流れの一人です。日寛上人は他の日蓮宗富士派からはかなり悪くいわれています。後世の贋作の日蓮大聖人御遺文を金科玉条のごとく扱われていた間違った上人と言われています。六寛抄は出鱈目であると現代の研究者からは言われています。
 早く保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を本当の御本尊としないことには、創価学会員は不幸な人ばかりになります。
 保田妙本寺を早く本山にしないことには創価学会は衰退して行くばかりです。既にかなり創価学会は衰退しています。一部の狂信的な信者だけが、信仰している団体に既になりかけています。
 保田妙本寺には広宣流布への情熱を持った信者がほとんど居ないと先代の日櫻上人猊下が嘆かれていたそうです。確かにインターネットでも広宣流布の情熱を全く持たない、自分だけ満足すれば良いという信者が、私の投稿した文書を一生懸命になって違反通告して消そうとしていたということです。創価学会から保田妙本寺に移った人にはそういうことはないと思われますが、自分だけ良ければ良いという子供のような嘆かわしい信者が居ることは悲しいことです。
 創価学会が保田妙本寺を本山とすると、そういう嘆かわしい信者は淘汰されて行くことは確実なことです。
 保田妙本寺の末法万年救護の大本尊には凄い力があります。創価学会員はかつての信仰への情熱を取り戻し、広宣流布が進んで行くことは確実です。今のままの却って悪いことが起こる日寛上人の御本尊には自分は怖くて祈ることができません。
         (完)

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      rsdさんへ___生命は永遠なり___
                         by ドクター三船


 あけましておめでとうございます。
 しかし、健康状態が優れないとのことで案じております。しかし、生命は永遠であります。rsdさんは今度は何処にお生まれになるのでしょうか? チベット仏教では死亡した時、ご馳走を炊き、酒を振る舞い、親類縁者で大賑わいになって死者を送ると聞きます。涙は禁物で、笑顔で死者を送ると聞きます。それが正しい葬式であると僕も思います。
 生命は永遠であります。死ぬ時、安易な延命策をとる日本の医学は間違っています。アドレナリンを静脈注入し心拍数を170/分まで上げて延命を図るという脳外科に以前は居ました。集中管理室は人工呼吸器で延命された患者で溢れていました。これは間違っていると思っていました。しかし、家族はそういう延命を希望するのです。仕方なく自分も延命策を施さねばなりませんでした。
 このことは1日も経たずに消去された自分のこの前の質問に詳しく書いてありますので、それを以下にコピーしようと思います。
 ところが、見つからなかったので、それは後で、コピーして送ります。
 ベットの脇に1メートルから2メートルの大きな紙に「延命策不要」と大きく書いて貼っておくと良いです。
 でも、家族に、rsdさんが、「延命策不要」との意志を伝えて、急遽入院の時、婦長及び担当の医師に「延命策不要」であることを明瞭に伝えるように言っておくことです。緊急のことが多いですから文書に書いて置くことです。それを手渡せば良いです。その文書は1つでなくコピーして2、3枚、持っていた方が良いです。印鑑とサインがある方が良いです。サインだけでも構いません。字は汚くて大丈夫です。判読さえできれば大丈夫です。
 子供が医者の場合は、延命策は不要との合意を前もって院長と交わすことが多いですが、一般の医学に通じていない家族の場合は不要な延命策を要求することが多いです。医療訴訟では延命策を怠ると罰せられることになっていますから、仕方なく延命策を施すのが一般です。
 既に死亡している患者に心臓マッサージを施さねば見ている家族が医療訴訟に訴えたら負けます。90歳の老人が既に心臓停止を起こして生き返るはずがありません。しかし、日本の裁判官は医学に無知です。日本の一般市民も医学に無知です。そして「死んだら全てが終わり」と考えています。「死の尊厳」ーーーこの意識が日本人には現在、欠如しています。
 死ぬ時は担当医不在のことが多いですから文書に明瞭に書いて置くことが必要です。「生命は永遠なり  延命策は不要」と大きく書いた紙をベットの脇の壁に貼っておくと良いです。その大きな紙に印鑑をたくさん押しておくとより効果的です。仏教学者と言うことも婦長などに伝えておくべきです。
 日本にも欧米と同じように「尊厳死の会」がありますが、たしか1年に1万2千円取ります。そのためか、入会者が少なくほとんど機能していないようです。
 小児や若者ならば延命策を施さなければならないでしょうが、老人に延命策を施すことが理解できません。しかし、日本の医療は老人にも延命策を施します。「安らかに死出の旅路に送る」という精神が欠如しています。
「私は仏教学者である。生命は永遠である。延命策は不要。」これだけで良いと思います。
 安易な延命策への批判が日本では起こらないことは不思議なことであります。宗教心の欠如が安易な延命策を蔓延らせることに繋がっているようです。死んだら全てが終わり、という考えが宗教心のない日本では蔓延っているからであると思われます。
 植物人間状態で病院で延命されている老人が多いです。人工呼吸器に繋がれ、脳細胞は梗塞や出血ですでに死に絶えていながら、延命されている人達が大きな病院では多く存在します。これは間違っています。
 自分は医者の初めの7年間を脳外科で過ごしました。ところがうつ病性障害に罹患し、体力の必要な脳外科では不可能となり精神科に移りました。これはここだけの話ですが、精神科は楽な所でうつ病性障害でも充分やっていける所です。うつ病性障害であることが、病める患者の心が読めて却って良いです。
 担当医そして婦長不在の時、延命策不要であることを知らずに、当直の医者や看護士が必死で延命策を施します。そのためにも文書で婦長や担当医に延命策が不要であることを伝えておくだけでは不足です。そのため、ベットの脇に大きな紙で「延命策は不要  私は仏教学者」というのを貼っておくことが大切です。
 心臓マッサージとはここだけの話ですけど、肋骨を何本もボキボキ折りながらする事が多いです。力の強い男性が心臓マッサージしたら肋骨は必ずと言って良いほどボリボリ折れます。一押しで5本ぐらい折れることも良くあります。これはここだけの話ですが、僕が心臓マッサージすると肋骨は粉々にしてしまうのが常でした。
 停止しかけている心臓を再び鼓動させるためにアドレナリンを静脈より注入することが日本の医学会の常識です。これはここだけの話ですが、それにより患者は死に際の苦しみを長く長く味わうことになります。そして患者の家族が見ている時は心臓にアドレナリンを5アンプルも長い注射針で注入するように本には書かれています。僕も脳外科にいる時は長い注射針で心臓へのアドレナリンの5アンプルの注入を多くしてきましたが、生き返った人は一人もいません。生き返ることはあり得ないことが分かっていても日本の医療界ではそういう延命策を行わなければならないのです。第一、80歳、90歳の人は生き返りません。
 精神科では家族は見ていないことが普通です。これはここだけの話ですが、それで延命策は行わないことが普通です。しかし、看護士が汗水垂らして心臓マッサージをし続けることが意外と多くあります。生き返った人はいません。90歳の人が生き返るわけがありません。死体を焼却した時、肋骨が粉々になっているのを家族が気付いたらどうしようと心配になります。
 脳外科では家族が傍で見ているので延命策を行わなければ医療訴訟に持って行かれたら負けますので、大変でした。心臓マッサージを長く長く続けなければなりませんでした。精神科はその点、楽です。精神科では家族が死体を引き取りに来ないことが多くあります。電話してもとぼけたりして全く相手にしてくれません。
           (完)


 石井一先生、自分は反創価学会のものです。是非、頼みたいことがあります。
 公明党が警察の人事権や予算を牛耳っていることは危険と思います。
 創価学会は池田大作の指示があればテロをも起こします。
 国会議員を半分にすると公明党は潰滅すると言われます。また、池田大作の死後は、創価学会員の選挙への士気が大きく低下し、公明党は潰滅するとも言われます。
 公明党から警察の予算や人事権を剥奪するべきと思います。
 国会議員や東京都議員の数を半分にすると公明党は自然に警察の予算や人事権を剥奪されます。
 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。
 戸別訪問という選挙違反を繰り返す公明党(創価学会)をこのままにするべきではありません。
 http://sky.geocities.jp/mifune008/

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   池田大作・創価学会の真実:原島嵩(1)


 昭和五十五年二月二十六日、六時間にわたり、一対一で、池田大作の信仰上の問題、社会上の問題、そうしたことについて追及しまして、その時は、「よくわかったよ。オレとおまえの仲ではないか」あるいは「みんな、私の一言に右へ倣えであった」と、反省らしき言葉があったので、ひとたびは喜んで帰りました。
 しかし、その翌日から創価学会の本部職員に対して、「道で会っても取り合うな」「原島とは絶交せよ」という司令が出されまして、私は、聖教新聞社にも行けず、新宿文化会館という所の一室に監視状態の中で、仕事をせざるをえなくなったわけです。  
 …………
 …………
 …………
 疎開で宇都宮に移った時に、そこで大空襲に遭いました。
 私と母と妹は逃げ遅れ、防空壕にも行けず、近くの掘っ立て小屋の中に入りました。
 そこで母は、「さあ、最後の勤行をしよう。日蓮大聖人の元に行くのだ」と言っておりました。
 勤行は三時間ぐらい続けたでしょう。私達の入った小屋は奇跡的に助かったのです。
 父は、学校の先生でしたので、学童疎開で秋田の方に行っておりました。
 ここで私が、なぜこんなことを申し上げるのかというと、創価学会も、もとをただせば日蓮正宗の信徒団体であり、信仰が純粋な時もあった、ということであります。
 しかしながら、創価学会が何故、変質してしまったのか、このことを私は、皆様方に深く訴えたいのです。
 昭和三十二年の大阪補欠選挙で、池田大作は選挙違反で逮捕されました。  その時、池田大作は、権力の恐ろしさを、肌身をもって知ったのです。そして、逆に権力を取らなければやられる、と思い込んだのでした。
 それからというもの、まず創価学会内の権力を手中にし、さらに社会的な権力を手中にしていく、という行動に出たのです。

 昭和四十年七月、池田大作は、ある著名な評論家のインタビューに次のように答えています。

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」
「私は現代の救世主である」
「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」
「世界の盟主である」
「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」
「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
「今、私には天下を取ることが見え始めた」
「私は太陽の帝王だ」

(注:高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)


 何故、彼がこれほど狂ったのかーー。
 一つは昭和三十九年に公明党が発足し、昭和四十年には三百五十五億円の御供養金が集まり、金と権力の二つを手中に収めた池田大作が、己れを、やがて日本国を乗っ取ろうとの野望に掻き立たせたのであります。
 私は、昭和三十九年、聖教新聞社に入社しました。そして昭和四十年には、特別書籍の局長という地位に昇りました。
 特別書籍というのはどういうものかというと、池田大作の出版物、講演、それから外部への寄稿、それらの八十%以上は、特別書籍という部門で作成したのです。
 残り二十%は、篠原善太郎さんという東大出身の小説家志望だった人が、小説『人間革命』をはじめとして、外部への寄稿、あるいは詩を作るなどしておりました。
 私達は『御義口伝講義』上下、『立正安国論講義』、あるいは『科学と宗教』、『政治と宗教』、そういった書物を手がけてまいりました。
 皆さんは驚かれるかもしれませんが、池田大作が書いた物というのは、ほんのわずかしかありません。ほとんど代作、代わりに作った物であります。
 その特別書籍の局長に任ぜられ、私はせっせと、池田大作の書物等を作成することに専念してまいりました。  
 そのために、どれほど自分自身が池田大作の本仏化に手を貸したことか、それを今思うと、恐ろしいと思わざるをえません。
 池田大作という人物はどういう人物か。  
 それは、自分が信ずるものは自分しかない、あとは誰も信じられないという、自分自身の絶対の過信者であります。
 そして、何よりも小心者であります。
 私は、長い間、池田大作の側近としておりましたので、彼の性分はよく知っております。
 とことん、対立者を追いつめ、時には「自殺に追い込め」などという言葉を吐くほどの人物であります。
 こういう人間の抜扈(ばっこ)を許しているならば、それは日本国民自体の大きな損失となるでありましょう。
これを断じて、私達の手で防がなくてはなりません。
 私は池田大作と将棋を差したことが何回もあります。
攻められると、飛車が取られようが、角が取られようが、金が取られようが、銀が取られようが、王様だけがひたすら逃げていくという、王様が裸になって逃げていくという、まさに、そういう性格の持ち主でありました。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p145-6)


 そして、陰湿であります。
 ある時、私が、〝人民寺院〟の件を話して、
「恐ろしいことだ。宗教を間違うと、とんでもないことになる」
と、池田大作に話をしましたら、
「何を言うか。創価学会だって同じだ。私が一言『死ね』と言ったら、何万人も死ぬ人間がいるだろうな」
などと、ものすごい形相で語る人物でした。  
 体験の中で、いろいろな嫌がらせ、それこそ大惨事になりかねない暴行・放火等の事件が語られましたが、こうした指令の大もとは、池田大作から出ているのです。
 昨年の十月七日の第三十八回本部幹部会の席上、池田大作は、徹底した対立者攻撃を展開するように、学会員を煽っています。
 いったい、戦闘・攻撃・追撃することが仏法であり、人の道である、などと説く人が、どこにあるでしょうか。
 仏法というものは、慈悲の精神であり、また、社会的にも、そうであるからこそ、宗教団体として認められているのです。
 しかしながら、「徹底的に相手をやっつけろ」「完膚なきまでにやっつけろ」というようなことが、正しき人の道である、などということが、許されるでしょうか。
 仏法の上からも、人間の道としても、許されることではありません。
 信平信子さんのレイプ事件のことは本当だったろうと思います。(注:最高裁では否定されたが、裁判というものは決して正義が勝つのではない。極論すると、口が巧妙な方が勝つのである、弁護士の力量に依るのである。)
 私は、昭和四十五年、言論出版問題の時に、上田雅一氏、後の副会長ですが、私と一緒の仕事をしていた関係から、池田大作の女性関係について、縷々悩みを聞かされました。
 そのやり方はじつに巧妙であり、人にわからないように、密室で、その行為は行なわれていたのでありました。
 池田大作の専用施設には全て風呂が付いているのは、何よりも、これを雄弁に物語っているのではないでしょうか。
 私は驚いたのですが、男性の秘書に対しても、自分が風呂に入る時には、パンツを脱がせたり履かせたりする、それも秘書の役目であり、池田大作は突っ立っているだけでありました。
 そのようなことは、女性秘書の場合も同じであったと思われます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p146)


 第一庶務という、創価学会には本部職員の部署がありますが、男性秘書、女性秘書、併せて約二十人ぐらいが、常に池田大作の世話をしておりました。
 いろいろなことを言われていますけれども、池田大作の女性関係は事実であり、私はそれを証明するために、月刊ペン裁判に出廷いたしました。
 しかしその時に、やはり、学会は母に対して、猛烈に圧力をかけてまいりました。裁判長宛てに、「私の息子の嵩は、生まれつきウソツキであり」といったような文面で文章を書くように、命じられたりしました。
 そのような迫害があったのですが、私は証言台に立ちました。
その時の、私に対する悪口讒謗(ざんぼう)のかぎりも、まことに筆舌に尽くせぬものがありました。
池田大作が、昭和五十四年四月に、会長を辞任し、日蓮正宗の法華講総講頭も辞任しましたが、
それを利用して、今度は、自分が「名誉会長」という一段上の立場に立ったように学会員に印象づけ、
さらに、北条さんを中心とする新執行部に対して、「規則・会則」というのがその頃でき上がりましたが、
「そんなものは手段である。私自身が創価学会の魂である。私を永遠の師と定める誓書を出しなさい。私を怒らせたら怖いぞ」などと突き上げたのです。
 『永遠の師』というのは、日蓮正宗にあっては、日蓮大聖人お一人であります。それを、全副会長の署名入りで提出させ、池田大作の了解を求めさせた、ということがありました。その時に私は、まことに恐ろしい人物だと思いました。
 人に対する信頼というものがなく、猜疑心ばかり旺盛で、ただ、必死に権力を求めようとする、
飽くなき権力・金力の亡者である、池田大作の素顔を、私はその時も、間近に見てしまったのです。
 池田大作も、悪いですが、側近も悪いのです。
いつも「先生、先生」といって、持ち上げていなければ生きられない組織であるからこそでありますが、しかしながらそれに甘んじている、池田大作の側近達も悪いのです。
 両方の欲と欲がお互いに引っ張り合って、あの醜悪な、巨大な、モンスターのような団体を築いてしまったのです。
 その点、私も、深く反省しております。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p146-7)

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 一般には知られていないが、公明党議員は資金集めのためのパーティひとつやるにも池田の顔色をうかがわねばならない。
公明党の「党首」池田大作の発想からすると、公明党の都議、国会議員といえども自分の一兵卒に過ぎない。
その一兵卒が自分の許可も得ずに都内の一流ホテルで派手なパーティをやるなどというのはあってはならない背信行為と移る。
しかも、公明党の場合は国会議員なら千人から二千人程度、都議クラスなら二、三百人の規模が一つの不文律とされているのである。
 今回の私のように五千人を集めた派手なパーティは前代未聞であり、池田の神経をわざと逆なでするやり方だった。
しかも私の手元からほかの議員連中へ資金が渡るのも池田は気に入らないだろう。
 私のパーティ当日、池田と秋谷は中国訪問の旅行中だった。
 ところが私のパーティにまぎれ込んでいたゴマスリ幹部が「一大事です!」とばかりに国際電話で現地の池田へご注進に及び、怒り心頭の池田はその旅先で秋谷に土下座を命じたのである。
「藤原にあんなパーティを開かせやがって! おまえの監督不行届だ。ここで土下座して私に謝罪しろ」
 異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。
 さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
 が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
 池田の命令に従ったのである。
 それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。
 腸閉塞で緊急入院した。
 手術のあと転地療養へ出かける秋谷に池田は学会の会長専用車の使用さえ禁じた。
 おそらく秋谷の胸中には無念さが渦巻いていたことだろう。
(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989:p261-2)

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 そのあと、下へ降りてから上田雅一現副会長が私に『おい、見たか、見たか』と非常に興奮して言うのです。
 私は『いったい、なんのこと?』と聞くと、『赤い紅が付いていたろう。あれは口紅なんだ』といいました。
 それで私も『あれは確かに血ではない紅だ』と思いました。
 私は当時結婚していましたが、そういうことにはうぶで、フェラチオも知りませんでした。
 上田さんは、不良出身で、『あれはフェラチオだ。前からあんなふうなことをやっているんだ』といい、私が『まさか』というと、『いや本当なんだ』といって、十数名の女性の名前をあげました。
 そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。
 本当の第一庶務とは池田大作と肉体関係のある人たち。
 いわゆる第一庶務は関係のない人たちで特別施設などへ池田が行く場合、本当の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということを言いました。
 第三に、池田大作はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないと言っているが、本当は地方の各地にそれぞれの女性がいる。
 第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして(心理的に)乗り越えさせるのだ、
 と、以上のことを上田は話しました」
(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989:p132-3 )

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 五十四、五年頃だから、まだ城久君は二十代半ばだったろう。池田は私たち幹部に向かって次男への「世襲」を匂わせ始めていたのである。

「城久を衆議院へ出して公明党委員長にしたい。どうだ、みんな応援するか」

 それがやがて「城久は学会の後継者だ」という形で風向きが変わり、池田は次男への政権委譲に着々と手を打った。
まず創価大学、創価学園出身者から息子と同世代の優秀な人材を選び「二十七人会」を結成。
この集団は学会内部で「ご学友グループ」の異名で呼ばれ、城久君本人も次期後継者の意欲を強めていた矢先であった。

 創価学会は「世襲」を禁じた宗教団体である。
ところが、池田は用意周到な根回しによって、創価学会は池田家のものであり、池田城久はその池田家の二代目、将来の会長だという既定路線を作り上げ、学会内で暗黙の了解事項となっていたのである。

 要するに息子への「会長世襲」は、池田が長年に亘って画策してきた学会私物化の総仕上げであった。
学会内に池田崇拝の空気を行き渡らせ、創価学園、創価大学という私兵養成学校で池田家の親衛隊を育て、その現体制の延長線上に城久崇拝をおく。
これが密かな池田大作の野心であった。
城久君の死という不測の事態が起きなければ、池田の目論見は十中八九実現しただろう。
……
……
 池田の息子が死んで助かった、やっと気が楽になった。
これまでずっと我慢してきたけど本当に辛かった。

お前の子供が死んだのは信心を怠けた証拠だと顔を見る度に池田から説教されたり、皮肉られたり、怒られたりした。
それが息子の死で嫌味を言われなくなったというのである。

私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。

(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989:p264-6 )

『私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。』
もう一度書く。
『私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。』
ーーーーこれを許して良いものでしょうか?     

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フランスでは東京ドームの五倍の広さを持つアルニー城という古城を八十億円で買収した。
イギリスではロンドン郊外の古城を十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。
これらのことは「宗教団体が何故、そんなことをする? 難民キャンプに寄付するべきではないか!」として欧米で激しく非難されてある。
 こうした池田大作の悪名は「ニューズウィ-ク」「インターナシショナル・ヘラルド・トリビューン」紙などで報じられ、その公私両面に渡る非行は海外にも広く知られている。

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 高速道路で十時間の墓園

この墓園造りで創価学会は多額の収入を得た。土地代も含めて十五万円掛からない墓を百万円近くで販売した。福岡の国会議員(大橋氏)が何の縁故もない北海道の墓を買わされたことを暴露した話は有名である。多くの場合に於いて墓は墓の購入者の住むところより非常に離れており、そんな遠くまで墓参りには行かないと思われる。
 高速道路で十時間は普通。筆者の家も妻が強引に高速道路で八時間の処の墓を九十五万円で買った。誰も入らないと思われる。これは詐欺罪になると思われる。
 この墓園は財務で集めたお金で造った。つまり、創価学会は二重に儲けたことになる。純粋な創価学会員は二重に搾り取られたことになる。池田大作はお墓は多数持っていた方が良いと同時放送で言い放っている! お墓は多数持っていたらお墓参りが大変になることを池田大作は考えないのだろうか? 池田大作の父親の墓は謗法の他宗の墓であることは有名である。
 創価学会の墓を買おうとする婦人部と、創価学会の墓は必要ないという壮年部の喧嘩は非常に多く、その仲裁には非常に苦労した。百万円近くの墓を購入することは普通のサラリーマンの家庭では非常に困難である。それを婦人部は夫に無断で購入している家庭が多い。勝手に生命保険を解約したりして購入している。しかし、サラ金まで至った例は知らない。
 このことによる離婚騒動は数多くあった。創価学会より法華講に最近移った人は皆、百万近く出して購入した墓を転売できないかと考えている。大謗法の墓には絶対に入らない。それより先祖代々の墓に入った方がずっと良い。
 筆者の家も現在このことで非常にもめている。妻の実家は別に遠方の墓を購入している。高速道路でもとても行けない遠いところである。飛行機でなければ行けない遠いところである。
 会館まで電話して問い合わせたところ、購入したものは払い戻しできないと断られた。しかし、多数の人達が立ち上がれば、購入した墓の払い戻しも可能になると思われる。

 親兄妹、先祖代々の墓に入りたいのが普通の信条である。縁もゆかりもない墓へ入ることは通常、考えられないことです。

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00県00市
創価学会文化会館殿

 私の家は00県に創価学会の墓を購入しましたが、それは妻が勝手に購入したものであり、その墓に入ることは決してありませんので、早急に払い戻すことをお願いします。
 騙して取った金を返せ!
 返さなかったら自分と同じ考えの人が数人います。
 また、インターネットで募集するとたくさんの人が集まると思われます。訴訟を起こします。

 これは必ず週刊誌が飛びついてきます。訴訟が起こる前に払い戻すことが賢明と思われます。
 返事は必ずしろ。複数の週刊誌および国会議員にメールを出す準備は既に整っています。数人の同士で結束しています。
 電話では喧嘩になるのでメールを希望する。


00県00市00町  00000
       0000-000-9999
       メール:yyyyyy@kkkkkk.co.jp


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 そして創価学会員に起こった有名な悲惨な事件として次のようなものがある。
沼川代議士・家族焼死事件―――――公明党の国会議員であるため東京に単身赴任していた沼川代議士の一家四人が焼死した事件。池田大作が「沼川はもう十五、六年も俺のところに来ないからな。だからそんな目に遭うんだよ」と言ったことは有名。

娘四人焼死事件。

中国青年部長・交通事故死―――――昭和五十九年三月二十二日深夜、鳥取県内で000中国青年部長が運転していた転輪会の学生部員とともに交通事故死した。広島市から鳥取県倉吉市までの往復六百キロ余りの道のりを日帰りで、しかも一人の運転で賄おうとする、無理な強行日程の結果生じた事故だった。この事故は上級の幹部にしか伝達されなかった。末端の会員は全くこのことを知らされなかった。末端の会員が信仰に疑問を抱くからであった。

 文化祭に関連するものとして次のことがある。何故か、最近は文化祭が行われなくなった。

 文化祭六段円塔転落死亡事件―――――――六段円塔を行うと文化祭の責任者は池田大作より誉められ、そして創価学会における地位も向上する。自身の立身出世のために六段円塔を行わせている。犠牲者およびその家族の悲しみはどれほどであったろう。文化祭は文化祭の責任者の創価学会における立身出世に大きく影響する。六段円塔を行うことが責任者の創価学会における立身出世に繋がる。しかし文化祭の責任者は全くお咎めなしである。

 世界平和文化祭練習死亡事故―――――――激しい炎天下の中で練習を強行した故である。熱射病で死亡した。その他に三百人ほどの参加者が同じく熱射病で病院に運ばれた。

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(23)

2011-03-03 15:54:45 | 日記

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆15
フランス下院、創価学会に警告

 昭和六十年にフランスの下院は創価学会に対して次のような警告を発しました。



「今日、私はフランスであなた方の組織の金銭に関する『いかがわしい』関係について、あなたに注意を喚起します。三つの点を取り上げましょう。
会員に金を払わせるための圧力
集めた資金の管理を要求する会員に対する暴力
日蓮正宗欧州協会とフランス日蓮正宗の会計上の混同」
 フランス下院は創価学会を「エセ仏教」「セクト」と断定し、同国に於ける金集めに手厳しい批判を加え、池田に書簡を送り、議会で取り上げたのです。学会は「日本の恥」以外の何ものでもありません。

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http://sky.geocities.jp/mifune0008/
保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆14

池田大作は特別書籍と呼ばれるゴーストライター軍団を会長室の上の階に設置し、自らの著作および講演原稿を作らせるようになった。



責任者は原島嵩氏で、その下に、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(東大卒、副会長)、野崎勲(京大卒、副会長)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成されていた。このゴーストライター軍団は原島嵩氏が抜けたりメンバーこそ多少替わったものの現在(平成22年)も健在である。

“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライター軍団に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。だからあんなに肥るのである。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!
 
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆13

池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。
つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。



どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。
つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆12

 池田大作は会長就任(昭和三十五年)後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。



山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だかあの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p80)

 ――――上記より創価学会は昭和三十五年には謗法団体になっていたのである。

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池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
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お餅姫、命!!

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆11
 昭和五十八年四月二十二日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する、都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇七個のうち四個までが、



鶴丸付きの学会員のものであることが報じられている。
 同様に、同年九月二日号の「アサヒグラフ」の特集「サラ金地獄“蒸発”の現場」写真の大半にも鶴丸つき経本や仏具が写っている。
 いかに多くの学会員がサラ金苦に陥り、「夜逃げ」や「家庭崩壊」を招いているかを示す一つの証拠であろう。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994、p163)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 創価学会はフランスなどで百億円ほどの城を購入したりするから欧米で「カルト」と叩かれるのである。宗教団体が何故、こういう贅沢品を購入するのか欧米のマスコミから攻撃された。宗教団体ならば持っている財産は、貧者などに施すべきという考えが欧米では支配的である。命を捧げて難民キャンプなどに奉仕するのが宗教団体と欧米では考えられている。

 ところが、創価学会は何のために使うのか分からない贅沢な城などを高価に購入して反発を買っている。これは日本のマスコミは創価学会に支配されているため報道されないため、日本の創価学会員は知らない。

 それらの城は、池田家の財産(別荘)とするために購入されたと番組では放送されている。創価学会(池田大作)を批判する番組が欧米では放送されているのである。

 欧米では日本以上に創価学会(池田大作)は批判されているのである。日本人はそれを知らない。
 創価学会員がサラ金から借りてまで財務したお金はそういうことに使われているのである。サラ金から借りてまでする地区もあるが、サラ金から借りてまではしない地区もある。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002)(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)
 すべて池田大作一人が悪いのである。副会長たちは批判できないのである。池田家の財産は世界中に散らばり、数兆円とも言われている。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!
  
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆10

原島:山崎さんの事情とは何だったのですか。
山崎:じつは、昭和五十一年秋、「東洋物産」の不始末に対処するよう命じられたことから、翌五十二年四月より、そのためシーホ-スという会社を使って、冷凍食品販売の

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運営を引き継いで面倒見る羽目になったのですが、それが、聞くと見るとでは大違いで、とんでもない赤字垂れ流し状態の会社の運営を背負わされたのです。
 昭和五十二年秋と五十三年秋、責任者の北条氏に、これ以上持ちこたえられないから、整理したいと申し入れたのですが、手がけてきたことが重荷になり、苦しんでいる私の足元を見られ、
「今のような、学会が宗門と民社党に前後から攻撃され、いつマスコミが騒ぐか分からない状況下で、東洋物産がらみの思い切った始末はできない。まず、宗門問題を収めることに協力してくれ。そうしたら、必ずシーホースを整理する」
と命じられて、シーホース整理を盾に、否応なく宗門問題に向かわされたのです。
原島:シーホースというのは、山崎さんが恐喝を働いたという、三億円の授受の舞台になった会社ですね。
 私にも、未だに分からないところがあります。そう思っている人も少なくないと思います。
…………
山崎:ここでは、北条氏から、「宗門問題が解決したら」と、私に、猊下への取り次ぎを引き受けさせる条件として使われた、ということだけを述べるに止めます。
原島:シーホースの原因となった「東洋物産」は、大蔵商事と並んで戸田城聖氏が経営していた会社で、池田大作は大蔵商事の営業部長、北条氏が、東洋物産の社長でした。
 大蔵商事は、学会員から月三分の高利で金を集め、これを月五分以上で貸し付けて運営していた会社で、東洋物産は、大蔵商事で担保に取り、流れた品物を学会員に売りさばく会社でした。そのうち、電化製品から鍋釜まで、何でも学会員に売りつける会社になり、昔の学会首脳は、この会社で食べさせてもらっていた人が多いのです。
 当時、池田大作が「東洋物産」の件で嫌みったらしく北条氏を責めていましたよ。
…………
原島:その北条氏が、昭和五十二年に池田大作が熱海で山崎さんを総括したあと、山崎さんのことを「あんな奴は使うだけ使ってポイだ」などと口走っていたのですから、創価学会は異常なところでしたね。

(懺悔滅罪のために!:原島嵩、山崎正友:慧妙編集室:2007、p148-149)

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http://sky.geocities.jp/mifune0008/
保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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 複数の副会長が池田独裁を訴えたものが本になっています。(池田王国の崩壊:永島雪夫:リム出版:1992)新品では無いでしょう。古本でしかないと思います。
 この複数の副会長は捕まったのかな? 解らずじまいになったのかな? その頃、既に内部事情を横流しするかなり上層部の人と思われる創価学会本部勤務の人が後を絶たなかった。
 今から十八年前出版ですので、原島嵩氏と山崎正友氏の造反の後になります。
 必読の書と思います。

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http://sky.geocities.jp/mifune0008/
保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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――――「水滸会記録」を国会で追及し、創価学会会長または池田大作の国会喚問を行うのです。創価学会男子部は池田大作の命令があれば平気でクーデターを起こします。池田大作を止めること(諫めること)のできる人物は現在の創価学会には存在しません。完全に池田大作の言いなりが公明党と創価学会です。創価学会男子部は池田大作の狂信者が多い。男性および青年は純情で熱情家である。本気でクーデターの危険性を考慮するべきと思われます。

 日本共産党さん、国会で「水滸会記録」を追求してみてください。クーデターの危険性は高いのです。狂信的な信者である危険因子は一般的な布教では広宣流布が不可能なことを悟り武力により広宣流布を行うことを考えています。彼ら一部の狂信者(青年部および壮年部)はインターネットで連絡を取り合っている可能性が考えられます。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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池田大作の月刊ペン事件は本当のことです。池田大作は日本中に20名あまりの愛人を持っていました(オットセイ池田とも言われていました)。



そのため各研修道場などに池田大作の超豪華な私室を造らせていたのです。その20人あまりは正式な愛人ではなく、副会長の嫁さんだったりしています。結婚したあとも、池田大作とその愛人の関係は続くのです。夫は黙認を強いられます。池田大作のお気に入りの女性と無理矢理に結婚させられた気の毒な夫はトントン拍子で副会長まで出世してゆきます。

例えば渡部道子は月刊ペン事件で有名な人物ですが、渡部道子と無理矢理に結婚させられた渡部一郎は国会議員になりました。おまけに渡部道子も国会議員になりました。この夫婦関係は池田大作のため完全に冷え切っていました。

 もう一人、池田大作の愛人が国会議員になりました。つまり池田大作は2人の愛人を国会議員にしたのです。これは国民を愚弄していることであり、許されることではありません。――――これらは国会で取り上げるべきことと思います。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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 そのあと、下へ降りてから上田雅一現副会長が私に『おい、見たか、見たか』と非常に興奮して言うのです。私は『いったい、なんのこと?』と聞くと、『赤い紅が付いていたろう。あれは口紅なんだ』といいました。

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それで私も『あれは確かに血ではない紅だ』と思いました。私は当時結婚していましたが、そういうことにはうぶで、フェラチオも知りませんでした。上田さんは、不良出身で、『あれはフェラチオだ。前からあんなふうなことをやっているんだ』といい、私が『まさか』というと、『いや本当なんだ』といって、十数名の女性の名前をあげました。

 そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。本当の第一庶務とは池田大作と肉体関係のある人たち。いわゆる第一庶務は関係のない人たちで特別施設などへ池田が行く場合、本当の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということを言いました。
第三に、池田大作はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないと言っているが、本当は地方の各地にそれぞれの女性がいる。
第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして(心理的に)乗り越えさせるのだ、と、以上のことを上田は話しました」

(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989、p132)

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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池田大作は特別書籍と呼ばれるゴーストライター軍団を会長室の上の階に設置し、自らの著作および講演原稿を作らせるようになった。

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責任者は原島嵩氏で、その下に、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(東大卒、副会長)、野崎勲(京大卒、副会長)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成されていた。このゴーストライター軍団は原島嵩氏が抜けたりメンバーこそ多少替わったものの現在(平成22年)も健在である。

“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライター軍団に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。

 昭和49年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、3000万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。

――――――――これらをどう思いますか?

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
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自分が創価学会の謗法を知り、家の“魔”の御本尊に祈らなくなって変わったことは「今まで起こっていた余りにも悪過ぎる偶然が起こらなくなったこと」です。



 一回、気が変わって“魔”の御本尊に祈ったときがありました。
するとその夜、ムカデが腕を這っていたのです。
びっくりして窓を開け、外に捨てて刺されませんでしたが、こんな経験はもちろん初めてでした。
“魔”の御本尊に祈った罰と思い、それ以来、怖ろしくて“魔”の御本尊には祈っていません。

 実家のことですけど、実家は日達上人の御本尊様ですけど、何故か実家で勤行唱題すると歓喜は大いに湧くのですが悪いことが同時に起こっていました。
しかし、ある日、仏壇の部屋に飾っていた「池田大作の額縁」を取り除いてからは悪いことが起こらなくなりました。
「池田大作の額縁」が元凶だったのです。

 創価学会の矛盾、池田大作の悪行には早くから気付いていましたが、“魔”の御本尊のことにはインターネットを詳しく読むまで気付いていませんでした。

 実家の日達上人の御本尊様に勤行唱題するともの凄く歓喜が湧くのに家の新しい日寛上人の御本尊に祈っても歓喜が湧かないことを不思議に思っていた頃でした。
そしてこのことを幹部に相談していました。
幹部の答えは適当でした。
狂信者の答えに過ぎませんでした。

 池田大作の悪行を知らない創価学会員は非常に多い。
インターネットをしている創価学会員にも池田大作の悪行を認識している人はごく僅かです。
洗脳の強さ、理解力の無さなどが原因していると思います。

 どうしようもないお人好しが創価学会を支えているのだと思います。
普通では創価学会の矛盾に気付くはずです。
選挙、選挙ばかりです。
そして池田大作を神様にしています。
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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自分が日蓮大聖人の再誕あるいはそれ以上の存在であると誇示する池田大作__________



 池田大作のおごりは日に日に高まるばかりでした。
口を開けば日達上人の悪口ばかりでした。

「日蓮正宗の血脈は創価学会に移った」などと日蓮正宗の血脈否定の発言もあり、「創価の血脈」なる新語も生まれました。
自分が日蓮大聖人の再誕あるいはそれ以上の存在であると誇示することさえありました。

「池田本仏」の思想は池田大作の言葉にも表れ、側近幹部はあげて「池田礼賛」に余念がない風潮、雰囲気は、当時の趨勢となっていたのです。
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p51)

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
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池田センセーをはじめ、家族が勤行を行っている気配が感じられなかった____________



 先日、脱会した、同じく池田家の家政婦をしていたAさんの話ですが、時たま、池田家の掃除を行い、めったに入れない部屋に入り、作業を行いました。
その際に、非常にびっくりしてしまった場面がありました。

 当時は、Aさんは池田センセーのことを無条件で尊敬し、渇仰していたのですから、信仰面に関しては完璧に朝夕の勤行を始め、池田家のご本尊のまわりは荘厳されていると思い込んで、仏間の掃除を始めたのです。

 本来、家庭にあるご本尊のお給仕はその一家の中心者が真心から御本尊様をお守りして仏壇の埃を払い「おしきみ」「蝋燭」「線香」を整えて勤行を行うことが正しい信徒の姿なのです。

 Aさんがびっくりした場面とは、明らかに池田センセーをはじめ、家族が勤行を行っている気配が感じられなかったことと、仏壇の中が埃にまみれていたことで、大変なショックを受けたというのです。
(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007:p184 )

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
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驕りの極み、池田の大名生活(会員の悲惨な苦悩をよそに)____



 こうした会員の悲惨な苦悩をよそに、池田大作の大名生活はひときわ豪華さを増している。
 全国の約700カ所の会館・研修道場には、いずれも池田専用施設がある。

 例えば本部横の白雲寮(第二別館)。
約二十年前、都心の一等地に建設費約5億円をかけて造られた和風総ヒノキ造り、庭園つきの邸宅。
池田が東京にいるときは、たいていここにいる。
渋谷研修所も豪勢だ。
また、創価大学近くの加住研修所はやはり十数年前、三、四億をかけた専用施設。
熱海研修所に至っては、数万坪もある池田の別荘である。

東北墓園、鎌倉、渋谷区等々の会館一覧にも載っていない秘密の池田専用施設はまだ他にたくさんある。
さらに、池田が役員にもなってない「学校法人創価大学」や「学校法人創価学園」内にも専用施設がある。
そのうえ、1989年、伊豆の温泉地にも、約一万坪の池田専用別荘が建てられた。

 フランスでは、東京ドームの五倍の広さを誇るアルニー城という古城を買収した。
また、イギリス・ロンドン郊外の古城を600万ポンド(約18億円)で「実質的な池田の海外別荘」とした。

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保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡そして滅亡する
同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい
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    (創価学会内部改革派 蘇生の選択 no.2)終了