魔性の創価学会(二)
創価学会は統合失調症の患者を村八分のようにすることが頻繁にある。「相手にするな!創価学会に傷が付く!」と池田大作が厳命している。しかし、宗門は手厚く面倒を見てくれる。どちらが慈悲の団体で、どちらが悪魔の団体かは、すぐに解るであろう。
副会長も本部職員もその池田大作の厳命に戸惑っていた。
(統合失調症の患者も普通の会員と同じように手厚くもてなす地域も経験してきた。地域差があるようである)
ある創価学会の統合失調症の患者は創価学会が相手にしてくれないため七十一歳と成ったとき夫婦共々(夫婦共に統合失調症の患者である。旦那が婦人を折伏した)不安を感じ精神病院へ入院してきた。死ぬまで精神病院にいる予定である。会合の連絡はあるが仲間に入れてくれないという。会合の連絡も途切れることが多いという。病院内では聖教新聞の啓蒙を盛んにする、もちろん勤行は欠かさない。統合失調症でない創価学会員の冷たさに涙しながらも創価学会を疑わずに信仰を貫いてきた。病院に聖教新聞を取り、それを他患にも見せる。他患からは極めて非常に慕われている。完全に病棟一慕われている。病院一慕われていると言える。頭の下がる鉄の信仰の創価学会員である。これは近所の創価学会員が時折面倒を見てくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。近所の創価学会員が仲間に入れてくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。二人共に非常に軽症の統合失調症である。同時放送には同時放送の行われる正確な日時が解らず参加していない。もちろん入院してからは座談会には参加していない。聖教新聞の中からのみ創価学会を見ている。
一般に創価学会の統合失調症の患者さんは非常に熱心な人が非常に多い。これは非常に熱心過ぎたから統合失調症になった故と思われる。また、非常に厳しい環境が信仰熱心にさせているとも言える。
総本山(大石寺)は私が知っている元議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことで本山に恩を感じ法華講に入った。創価学会を脱会し宗門に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このとき創価学会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のように学会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはや創価学会は完全なカルトである。昭和六十三年頃のことである。(当時は、創価学会と宗門の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていた)
この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
すでにこの頃、創価学会は本山から離脱そして独立することを決めていた。早く本山が創価学会を破門するのを待っていた。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、宗門の人に娘のことを相談した。宗門の人は娘さんが創価学会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それでは大石寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう。」と言ってくれた。議員さんは創価学会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。池田大作が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
娘さんは大石寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。
魔性の創価学会(三)
創価学会にはガンが有意に多い。これは正確に統計を取れば解ることであるが、創価学会は決して行おうとはしない。一般会員でさえ創価学会にはガンが多過ぎることを気付いている。これも「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」。
池田大作が亡くなると、これらの現象が少なくなってゆくことを期待する。しかし、雪崩れ込んだ無数の悪鬼の浄化には時間が掛かると思われる。
池田大作が亡くなったら本山に全面的に詫びて本山に戻るようにしないと創価学会は大御本尊様との縁が完全に切れてしまう。創価学会は完全に邪宗化してしまう(すでに完全に邪宗化している??)。
ガンで苦しんでいる人は早く法華講に入るべきである。創価学会では治らない。何故なら創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。創価学会は完全に日蓮正宗から独立してしまっているからである。法華講(とくに妙観講)にはガン完治の体験談が多数存在する。
私は中等部の担当をしていたことがあり、創価学会員の大学・高校受験(一般の大学・高校の受験である。創価大学や創価高校ではない)の失敗があまりにも多いことを良く知っている。間違いなく合格すると太鼓判を押されている人も、その受験者が熱心な創価学会員の場合、不合格になってしまうことが頻繁に有った。
以前は中学生高校生で非常に熱心に信仰する者が多かった。完全に大人顔負けなほど信仰する者が多かった。純粋だからである。疑うことを知らないからである。純粋過ぎるからである。これは現在、顕正会に同じような傾向が見られる。顕正会は高校生が激しく折伏を行っている。
私も中学高校時代は一日一時間四十分(五千遍)唱題していた。二~三時間唱題していた頃もあった。勤行ももちろん五座三座と行っていた。しかも気合いを入れてしていた。今はその十分の一もできない。あの頃は「広宣流布のために死ぬか?」と言われたら死んでいた。御本尊様を疑ったことは一度もなかった。御本尊様を信じて信じ抜いて厳しい少年時代を生き抜いてきた。御本尊様と一緒に厳しい少年時代を生き抜いてきた。苦しいとき、悔しいとき、御本尊様の前で心ゆくまで唱題して耐えてきた。何故、こんなに苦しいんだろう、苦しむんだろう、と思うことも良くあったが、ひたすら疑わずに信じ抜いていた。幹部は「親の信仰が足りないから子供がこんなに苦しむ」と責めていた。毎晩、声が掠れて出にくくなるまで唱題していた。毎晩、唱題が終わった十二時頃、法悦に浸っていた。
例えば高校浪人する人の半分は創価学会員であった(当時は高校浪人は特に地方に於いては少なかった)。“魔の働き”と私だけでなく多くの中等部担当者は推測していた。しかし“魔の働き”を言うと信仰しなくなるため中等部担当者の間では禁句になっていた。家の人が退転状態で全く勤行唱題したことがない創価学会員の場合は予想通り合格していた。――――これは昭和六十年頃までのことであり、現在、創価学会員の大学・高校受験がどうであるかは知らない。現在は創価学会の中学生高校生は大幹部の子であっても信仰をほとんど行わないことが多いので、こうした現象は非常に少なくなっていると思われる。しかし信仰を真面目に行っている少年部員・中等部員・高等部員はやはり受験に失敗しているようである。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。熱心に信仰しないと三障四魔は競い起こらないのである。しかし、創価学会員には三障四魔らしきものが余りにも競い起こり過ぎていた。本当に三障四魔に依るものか、池田大作が招き込んだ無数の悪鬼に依るものか、人生を棒に振った創価学会員は多い。これらはやはり池田大作が招き入れた悪鬼の軍団によるものと思われる。
極めつきの例を紹介する。この人は六浪して創価大学の一期生となった人だが、毎月三人、入信させていた。毎日三時間、題目を上げていた。毎月三人で一年間に三十六人、六年間で二百十六人になる。勉強も毎日三時間題目を上げて一生懸命に勉強していたのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。「この信仰をすると希望する大学に絶対、合格する!」と言って毎月三人入信させ、一緒に勤行唱題に励むのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。今、この人は、何処で、どのようにしているであろう。極めて信心強情であったから、大幹部になっているはずである。それとも池田大作の正体に気付いて退転したかもしれない。創価大学の一期生で六浪して入学してきた人は他にはいなかったと思われる。『創価大学に入るのが自分の使命だったんだ』と言って、その人は勇んで出来たばかりの創価大学に入学した。その人から折伏され入会した人から聞いた話である。その折伏され入会した人は非常に熱心な創価学会員である(しかし、若くして亡くなった)。
創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。
魔性の創価学会(四)
0000さん、創価学会員は治りにくいし重症化することを詳しくお教えください。自分も以前から気になっていたことです。
創価学会員は本当に治りにくいし重症化することを自分も以前から気づいていました。しかし誰に話しても本気にしない、病気は創価学会で治ると言い張られるばかりでした。 突然失礼します。
ベストアンサーに選ばれた回答
jd45678さん
はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。 医療分野に10年以上携わっておりましたが、確信したのは5年目くらいです。脳卒中や骨折、筋ジストロフィー、多発性の多少状など、癌や風邪であっても重症化したり、普通に症状が緩解するはずが合併症や薬物の副作用などが重なり悪性化、もしくは後遺症が残りやすい状況です。何故、気付いたかと言えば自宅に行けば、同じようなご仏壇やカレンダー、冊子があったのと、会話していると「毎日拝んでたのに・・・」など、親戚に学会の方がいるから何故か雰囲気でも「もしかしたら・・・」と思うとその通りだったりします。昔の仲間は、統合失調症(旧精神分裂病)で苦しんでいます。患者様(脳出血後遺症)では、立つ練習や起きる練習をしていたようですが一向に効果が無く、風邪や目眩でリハビリが進まないようでした。歩ける人(脳梗塞?)でも家族の助けが得られずいつも一人でした。脳の病気で話せない、動くのがやっとの方は民政員の介護者(家族)から虐めを受けていました。知人は、風邪が長引き20kgほど痩せてしまい、会ったときには驚くほどでした(入院時は一時意識レベルが危険になったようです)。また、頸椎の手術が失敗して首から下が動かなくなった方もいます。脳の後遺症がある方の多くは麻痺のレベルが大きいです(体の半身がほぼ完全麻痺など)。上記以外でも家族環境や社会的接触で気に懸かることが多くあります。
(質問した人からのコメント)
自分も医療分野にいますが創価学会員の治りの悪さや重症度の高さに気付いていました。病気だから創価学会に入るのだけでなく、創価学会員だから病気になると思っています。大変なところです。活動家でしたが、そうした現象を見て、今は批判的になっています。法華講に入りたいですけど、家庭上の都合や両親への厭がらせなどを考え、脱会はしないで居ます。
病気を治すためには
原島嵩氏は重度の不安障害を正信会を辞め法華講に入ることで治している。法華講員に精神障害が起こったという話は未だ聞かない。
原島嵩氏は目眩・吐き気を伴う重度の不安障害に二年余り、非常に苦しまれた。それは地獄の苦しみであったと書かれている。これほど重度の不安障害は珍しいが、創価学会員にこのような重度の不安障害は頻繁に見られる。創価学会員以外ではこのような重度の不安障害は稀である。創価学会病(または正信会病)とも言えよう。それが法華講に移るとともに自然に治っている。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
それならば創価学会に極めて多数存在するうつ病性障害などの精神障害で苦しんでいる人は日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。それが病気を治す一番の近道である。
不安障害の場合、抗不安薬は一時的には奏功するが一時的な効果しか望めない。抗うつ薬が不安障害を寛解させることがあると言われるが、寛解することは稀である。しかも創価学会の間違った信仰で不安障害になったならば抗うつ薬で寛解することはあり得ないと考えて良い。
とくに精神障害の場合はオカルトでしか説明のできない病気が大部分を占める。病気を治すためには法華講に入ることである。
しかし、最近、創価学会から脱会しなくとも勧誡式を受けることができることも頻繁にあると知った。それはご住職の考え次第であると書かれてある。家族に内緒に法華講に移っている創価学会員が多数存在する(とくに壮年部)。
勧誡式を受けて遙拝勤行、遙拝唱題をすると違う。
創価学会の日寛上人の“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているように何も感じない。それどころか悪いことが起こる。“魔”の御本尊であるからである。“魔”が入っている御本尊だからである。
病気を治すためには日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。(間違っても正信会の寺院に行ってはいけない。それが正信会の寺院か否かはインターネットで簡単に解る)
『私は「心療内科」ともかかわりました。しかし「心の病気」にはなんの解決にもならなかったのです。それもそのはずで、私の「心の病気」は正法に違背していたために起こっていたものだったことに、あとで気づいたのです。私が平成十一年元旦に日蓮正宗の勧誡を受けるまでの二年余りの年月、私も苦しい思いをしてきましたが、妻をはじめ、家族の苦しみもなまじっかなものではなかったでしょう。
ところが、平成十一年元旦の勧誡を受け、大御本尊様に合唱礼拝するようになって、あれほど苦しんできた不安神経症、うつ病が、気づいたときには、いつの間にか消え去っているではありませんか。あれほど一日何回も吐いていた吐き気も、跡形もなくなりました。』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
御書
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作 与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかとみえはんべり「是一」、又付法蔵の二十五人は仏をのぞ(除)きたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外に仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆえかとみえはんべる、正像猶かくのごとし、(略)
文永八年辛羊(かのとひつじ)十月五日 日蓮花押 大田左衛門尉殿 蘇谷入道殿 金原法橋御房 御返事
佐渡御書 文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
般泥おん経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ或いは形状醜る衣服足らず飲食楚々財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又曰く「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に因る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜る三には衣服不足四には飲食楚々五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり、
兄弟抄 文永十二年四月 五十四歳御作 与池上兄弟 於身延
今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又曰く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に曰わく「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に曰く「衣服不足にして飲食楚々なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云、
文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、
各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ
兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年十一月 五十四歳御作 於身延
(略) 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。(略)
「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」
このように「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない。」という創価学会の教学(教学と言うより信仰観と言うべきだろうか)は間違っている。その逆である。病気になったのは過去世の重罪を打ち出すように熱心に信仰をしたからである。また、“魔”が憤然として競い起こるように熱心に信仰をしたからである。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。もう一度書く。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。
その病魔と闘う人たちを優しく助けることが大切である。「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない」と考えるのは非常に熱心な創価学会員に多く見られる。
この信仰を一生懸命にして病気になった人を軽んずる現在の創価学会の傾向性は全く間違っており、却って、そうした人たちを大切にすべきである。
また、このように御書には現世利益は余り説かれていない。「現世利益」を第一とすることは創価学会の誤り、創価学会の邪義である。「現世利益」を熱心に説いていたのは入信させるための方便であったとも思われるが(そのために日達上人などはこれらを黙認されていた)、全ての創価学会員は本気で「現世利益」を熱心に説いて入信を勧めていた。
この信仰をすると三障四魔が競い起こることが御書には書かれている。しかし生命は清められる。
日蓮大聖人も病気に罹られ、四条金吾により薬を処方され服用されている。日蓮大聖人は病を隠されていない。このことからも創価学会の病気をする人は「信心がない」という雰囲気は間違っている。池田大作が造り出した“邪義”である。病気によって信仰に奮い立つ人は多い。
「生」「老」「病」「死」は世の常である。むしろ病気によって人生経験の深みを増すこともある。病気によって道心(信仰する気力)が起こるのである。
「この病は仏の御はからいか。――――病によって道心は起こり候か」(「妙信尼御前御返事」p90)
うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。
「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。
結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。
私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。五年ほど前のことになる。
「三時間の唱題を“魔”の御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。二人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を三時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。
翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた。以来、現在までうつ病性障害の再燃はない」
洗脳されきった哀れな会員を救う
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。
昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。すでにこのとき池田大作は堕落していた。しかし私はそのずっと前から堕落していたと考える(異常なまでの権力欲)。
池田大作は戦後のどさくさの時は、川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸金の取り立てなどを手伝っていた。(山崎正友:懺悔の告白:日新報道:1994: p105)その経験を見込まれて戸田城聖氏は池田大作を雇ったのである。
二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に外見上の名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるために戸籍の名前をも変えた。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)。
何度も何度も役所へ行って執拗に頼み込んだのではないかと筆者は推測する。自己愛性パーソナリティ障害ならそういう恐るべき執念深いことを行う。賄賂を役所の担当員に渡した可能性も考えられる。この頃、池田大作は金融業で大成功し、非常に裕福であった。
池田大作は異常なほど国会喚問を怖れている。何故、それほど国会喚問を怖れるのか? 理解に苦しむ。
戸田先生は「国会喚問が来たら喜んで受ける、大聖人の仏法の素晴らしさを世に知らしめるチャンスである」と述べられていた。
池田大作は今まで公明党議員を使って国会喚問を避けさせてきた。公明党議員は国会議事堂の廊下に座り込むこともして池田大作国会喚問を阻止した(このとき青年部も多数、応援に呼ばれ参加した)。まるで暴力団である。
公明党は池田大作の私党であること、公明党の政策は池田大作の独断で決まることは常識である。公明党が在日外国人の参政権を推し進めようとするのは池田大作の独断であることは有名である。池田大作は在日韓国人の参政権のためにそれを強引に推し進めていると言われる。これは在日韓国人には創価学会員が多いため選挙を有利にするためであると言われているが本当の理由は不明であり、何か裏があると言われている。
何のための選挙なのか? 単に池田大作の醜い野望ではないか? 選挙が広宣流布を妨げた。政界進出を行わなかったなら、創価学会は現在の二倍以上の規模になっていたと思われる。政界進出が広宣流布を妨げた。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
現在、創価学会は選挙と財務しか行っていないといっても過言ではない。折伏にはほとんど力を入れていない。これは平成元年頃からである。
同時放送での池田大作のあの傲慢不遜な振る舞い、池田大作こそ悪鬼入其身である。同時放送でのあの言動と振る舞いは暴力団を彷彿とさせる。それを気付かない創価学会員がおかしい。あまりにもお人好し過ぎる(自分もそのお人好し過ぎる人間の一人であった)。自分の友達は一発で気付いた。
そして池田大作が招き入れた悪鬼が純真で真面目な創価学会員の身の上に次々と不幸を起こしている。熱心な創価学会員ほど不幸が起こっている。トップが悪いとそこから悪鬼が流れ込む、という文意の御文がある。池田大作が創価学会員を不幸に陥れてきたし、今も陥れている。もし池田大作が出現しなかったら、創価学会員は不幸にならず幸せになっていたはずだ。
創価学会員は一般にどうしようもないほど人が良いことが多い。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっていると思う。その人の良さは他に友達を作りたくないと思うほどである。貧困が存在していた昭和の時代には相互扶助および弱者への哀れみの心が人々に存在していたが、貧困が少なくなった現代では弱者への優しさを失った人々が激増し“いじめ”が社会問題化している。創価学会員の存在は現代に於いては一種の清涼剤のようである。それは元々、人が良かったから激しい折伏にも拘わらず素直に入信した故と思われる。もちろん例外もある。創価学会員にも私利私欲に凝り固まった信仰者とはとても思えない人も多数存在する。それは功徳欲しさ故に入信した欲深い人と思われる。元々、心醜い人は、どんなに勤行唱題、折伏、学会活動などを行っても、あまり変わらない。ただ、外見上、取り繕うことができるようになるだけである。
しかし、脱会すると今まで非常に親切だった人が、掌を返したように陰湿で冷たくなることをどう説明して良いか、判断に苦しむ。
人の性格を変えることは極めて困難である。不可能と言っても過言ではない。いや、遺伝生物学上、不可能である。人の性格は遺伝により生まれたときから決まっていると言われる。素直な性格の父親から生まれてきた子供は父親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。同じように素直な性格の母親から生まれてきた子供は母親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。父親、母親の性格を何割かずつ受け継いでいるならばその何割かずつの性格になる。子供は親の鏡ということわざが存在するのはそれ故である。性格は遺伝する。これは一卵性双生児の研究からも明らかになっている。育った環境が全く異なる一卵性双生児も性格は酷似する、育った環境により性格が修飾されることはほとんどない、という研究がある。学会二世三世の性格が一般に素直なこともその遺伝による。
選挙運動に一生懸命になることも、その素直さ故と、「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しがあるからと推測される。筆者は内向的な性格で友達が少ないこと、内向的な性格、また批判的な性格(へそ曲がりな性格と言うこともできるだろう。その頃、自分自身を「へそ曲がりな性格」と揶揄し幹部の人もそう言っていた。しかし「選挙運動に走り回る同志を批判力の無い人たちと定義することができる」とも思っていた)、それ故に選挙運動はあまり行わなかった。選挙には批判的であった。これは折伏のとき「宗教団体であるものが布教を二の次にし、選挙運動に没頭していることがおかしい。だから私は創価学会には絶対に入らない」「創価学会は政治に介入している。信仰団体とは思えない。信仰を隠れ蓑にした政治団体だろう?」「創価学会は公明党だから入らない」「創価学会は池田大作を総理大臣にする気だろう。だから創価学会には絶対に入らない」などと言われることが極めて多かったからである。公明党を造り選挙運動に没頭することがなかったら創価学会は現在の何倍かの規模になっていたかもしれない。しかし、このことを言っても幹部の人は「池田先生が、池田先生が、」と言って怒り狂うだけであった。
政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。
「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という言葉にはどうしても納得がゆかなかった。折伏を後回しにして選挙運動に没頭する同志の姿に納得がゆかなかった。宿命に苦しみ抜いている人たちを後回しにして選挙運動に走り回る同志の姿にはどうしても納得がゆかなかった。「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しの内部通達に「功徳欲しさ」に「宿命に苦しみ抜いている人たち」を後回しにして動いているように思えてならなかった。
その唆しは池田大作およびその取り巻きからきていることは明らかだった。自分はその取り巻きが悪いんだと主張することが良くあった。その頃の自分は取り巻きを悪く言っても池田大作を悪く言うことはできなかった。池田大作を崇拝する一般的な洗脳が自分にはやはりあった。また、幹部の前で池田大作を悪く言うことはタブーであったし、大変な反抗を受けることになっていた。
一人一人を根底から救うことを大聖人様は示された。政治が少し良くなっても宿業に喘ぐ一人一人は救われない。大聖人様の仏教を信仰しないことには一人一人は根本的には救われない。君主が法華経を用いると民衆にまで法華経が広まる時代であった昔ではない。池田大作が創価学会の歩みを狂わせた。「立正安国論」を池田大作は歪めて利用した。
創価学会員は人が良過ぎる。それは創価学会の激しい折伏に怒り心頭に達しなかった人たちが多く入会しているからであろう。円座になって取り巻いて創価学会に入ると言うまで帰さないというほどに締め上げても怒り心頭に達しなかった人たちが入会しているからであろう。そしてお人好しは遺伝する。人が良過ぎて池田大作の傲慢さ・魔性・嘘を見抜けないのだ。
創価学会は今まで間違っていた。あの狂気のような選挙運動、そして広宣流布が未だ成されていないのに正本堂を造ったこと。同時放送で池田大作は『広宣流布は私がした。あなたではない。私が広宣流布をやり遂げた。広宣流布は私がした。』と何回も言い威張っていたが、創価学会の現在の発展は何十万もの名も無き人々の血の滲むような努力の結晶である。そして広宣流布は未だ成し遂げられていないことは明白である。
もしも公明党を造って政治に介入しなかったら(池田大作の醜い野望)創価学会はいろんな政党から味方に付けようとされ、創価学会は守られていた。
「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。
池田大作は功を焦ったのである。もっと創価学会が大きくなってから政界進出すべきだったのである。政界進出とともに会員増加は頭打ちとなった。政界進出とともに創価学会への批判が高まり、選挙運動により会員が疲弊してしまい、会員増加が困難となった。池田大作は功を焦り「天下を取ろう」という野望を自ら砕いてしまった。
自分は選挙に批判的であった。しかし折伏は誰よりもしていた。選挙に反対の自分に対する狂信的な幹部による叱責・排撃は激しかった。
民衆救済という崇高な精神を踏みにじり権力へのあくなき執念を燃やすことは大きな誤りです。750年前、日蓮大聖人様は権力を取れと仰せになったでしょうか。国家かんぎょうはされましたが自らはあくまで正法を立て安国を実現するという権力と無縁のところに立たれていたのではないでしょうか。
池田大作は「自分が広宣流布をした」と同時放送ではいつも言っているが、そこが釈然と来ない。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか? もう一度書く。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか?
池田大作は自分がやったと同時放送では何回も言って威張っているが、それはおかしい。池田大作は邪魔をしただけである。
ある霊能者が語るところに依ると、池田大作には霊界から赤い木の乗り物がすでに迎えに来ているそうである(平成22年2月1日)。それは無間地獄への迎えの乗り物であり、赤く見えるのは火が燃えているからだそうだ。その乗り物の中で池田大作は業火に焼かれながら無間地獄へと落ちてゆくと言われる。
正本堂を造ったのは選挙に於いて「国立戒壇」のことで日本共産党などから責められないようにするため池田大作が考えたカモフラージュであったことは周知の事実である。その頃の創価学会員は貧乏な人が非常に多かった。しかし供養金を出すと功徳があると言われ、生命保険を解約したり、家や土地を売ったりして、正本堂建設のために献金した。献金すると幸せになれる、福運を積むことができる、と貧しい末端の会員に言い、多額の献金が集められた。しかし、創価学会員は幸せにはなっていない。周囲を見渡しても全て不幸になっている。幸せになっているところは一つもない。特に熱心にしていた処は悲惨な境遇に陥っている。
これからは『日如上人様なら、どう言われるか?』を行動の指針としてゆくべきである。
ジョージ・ウイリアムス理事長
アメリカのジョージ・ウイリアムス理事長が創価学会を辞め法華講に入ったと聞きました。信じられないことですが、詳しいこと、お教え下さい。命を賭して単身アメリカに広宣流布のために渡られた人です。私はとても尊敬していました。アメリカへと向かう飛行機内で父親が死亡した知らせを聞かれたと「人間革命」には書かれてありました。(現在の「人間革命」には、そのことが省かれてある??)
ウイリアムス理事長は池田大作の子息をアメリカの大学へ入学させるように命令されたが、アメリカでは池田大作は良く思われてないため(ドイツ、フランス、カナダ、オーストリアなど先進諸国では池田大作は極めて危険なカルトの親分として非常に悪く思われている。ただ貧しい発展途上国がお金欲しさに池田大作に媚びを売るだけである)入学させる大学を見つけることができず(第一庶務との連絡不徹底があったとも言われる)、そのために池田大作から激しく怒られ総括され、池田大作の本性を見、法華講に入ったと聞く。その激しい総括は数年にも及んだという。その数年にも亘る狂気じみた総括のためウイリアムス理事長は心身的にも大変疲弊し尽くしたと言われる。
アメリカではそのために法華講が大きな勢力を持っている。宗門と創価学会が同勢力を持っていると言われる。アメリカに創価学会の会館は多数あるが、使われずにいるところが多いという。たとえば池田大作はハーバード大学で二回講演した(かなり高額のお金を積んで根回しをして講演を行うことができるようにした)が博士号は貰っていない。アメリカの他の有名大学からも博士号を貰っていない。貧乏な大学からは博士号を貰っている。その講演のとき、池田大作は原稿のみを見て喋っていた。その原稿は池田大作のゴーストライター軍団が造ったものである。だから池田大作は内容も分からずに喋っていたことになる。内容も分からないから前を見る余裕も無かったのである。
ウイリアムス理事長が日本で「暴露本」を書いたなら、日本の創価学会は大打撃を受けることは明白です。
たしかに現在、日本の出版界に於いて創価学会の「暴露本」を出版することは非常に厳しくなっています。言論弾圧が行われています。インターネット上での暴露でも構いません。真実を日本の人々に知らせ、末端の創価学会員を不幸から救い出すのです。ウイリアムス理事長が日本で新しい創価学会を造られるなら私は喜んで馳せ参じます。たしかに生命の危険に遭うことになると思います。しかし、一度は広宣流布のために棄てた命ではないですか? たしかに日本の親族および子供達が危険な目に遭うことになるので、私は強く言えません。一考をお願いします。
同じく竹入義勝氏、矢野絢也氏、「暴露本」を出版するべきです。たしかに強い言論弾圧が行われていますが、末端の創価学会員に真実を知らせることが末端の創価学会員を救うことに繋がります。一考をお願いします。山崎正友氏、原島嵩氏、もう一度、「暴露本」を出版するべきです。たしかに出版することは現在は極めて困難になっています。命賭け、また家族、親類にも迫害が起こることになりますが、一考をお願いしたい。
創価学会はトップが間違ったから悪鬼が雪崩れ込み会員に不幸なことが競い起こった。トップが間違っているから不幸なことが競い起こる。
「その宗教団体のトップが間違っていたら其処から悪鬼が雪崩れ込む」という趣旨の御書の一節(あるいは他典)があるということですが、何処かお教え下さい。私は「日如上人様ならどう言われるか?」を現在、判断の基準にしています。(創価学会内部改革派憂創同盟より)
時代がどちらが正しいかを証明するだろう。創価学会に悪いこと不幸なことが起こるのは創価学会のトップが間違っているからである。悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでいるからである。創価学会の正常化(清浄化)を行うのが創価学会内部改革派憂創同盟である。広宣流布への情熱をそのままに創価学会を良くしてゆけば会員は幸せになれる。200万人もの創価学会員のためです。
創価学会は実質上200万人であるが、信仰する気を喪失し退転状態またアンチ創価学会の状態にある人たちを含めると四百万人になる。実質上200万人のうち、批判力を持たない狂信的な創価学会員の割合は8%と推定される。
創価学会は850万所帯などとでたらめを言っているが、筆者は19歳の頃、そのでたらめに非常に悩んだ記憶がある。他の邪宗(新興宗教)も同じように所帯数をでたらめに多く言っている。「他の邪宗と同じではないか」と19歳の頃、激しく悩んだ。キリスト教は所帯数を水増しして言っていない。
池田大作は大悪鬼である。広宣流布を妨げる大悪鬼である。何故、この大悪鬼が出現したのか? 御書には書かれている。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――しかし、これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。戸田会長は死の前に池田大作除名を言っていると私は信じる。しかし、それは池田大作そして池田大作に追従する人たちに握り潰されたのだと思う。または他に何かがあったのか? 池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。
池田大作が石田次男氏を抜いて第三代会長に成れたことに何かの秘密があると思われる。石田次男氏が第三代会長になっていたら創価学会員は不幸になることはなく幸せになっていた。現在、熱心だった創価学会員はほとんどが不幸に喘いでいる。また創価学会はもっと発展していたであろう。池田大作が第三代会長になったことに全ての不幸は始まっている。
そして広布の歴史の歪曲が「人間革命」など多数の出版物などで行われている。広布は名もない庶民が血みどろになって行ってきたことであって、池田大作が行ったのではない。池田大作は第一庶務の女性などを連れて研修道場の一角の超豪華な部屋(池田大作専用室)で楽しんでいただけである。このことを側近(最高幹部)は知っているはずである。また、そこを掃除していた女子部の幹部は疑いを抱き多数退転した。
大悪鬼である池田大作は現在、世俗の名聞名利を追い求める爬虫類(コモドドラゴン)と化している。また、選挙を至上として広宣流布をないがしろにしている。創価学会は今、宗教団体ではなく、むしろ政治結社になっている。
また、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を蔑如している(しかし、これを知らない創価学会員は極めて多い)。
これでは創価学会員が不幸になるのは当然である。大悪鬼を師そして生き仏として崇めると不幸になるのは当然である。
創価学会員はどうしようもないほど人の良いが多い。創価学会員以外とは友達で居たくないほどだ。友達はほとんどが創価学会員だった。創価学会員以外は信じることができなかった。創価学会員以外は疑ってしまっていた。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっている。
人の心は声に現れる、顔に現れる。同時放送で見抜かなければならない。