戸田先生の十回忌の法要は寺院で行われた。創価学会がもはや池田教と化していたため創価学会では行わず戸田家の判断で日蓮正宗の寺院で行われた。戸田家が法華講であることはよく知られている。また、これは戸田先生が亡くなられたとき、池田大作が戸田先生の見舞金として全国より寄せられた4000万円は渡さずに、二台のトラックで戸田先生の遺品を大量に強奪していったためとも言われる。このとき日本刀も強奪したが、これが戸田先生と池田大作の師弟の絆として記念館に展示してあるのを戸田先生の奥さんが見られて非常に驚かれたという話は有名である。これは池田大作除名の遺言状を探し出すためでもあったのではないかと私は邪推する。
韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。
質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。
三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円~三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。
四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。
五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。
六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。
創価学会内部改革派憂創同盟
かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
正義の書
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。同時放送に出席して、その傲慢な振舞いと言動に呆れた人は多数存在する。池田大作こそ獅子身中の虫である。批判力をあまり持たない婦人部の人たちはほとんど創価学会池田派であるが、壮年部には内部改革派憂創同盟的考えを持った人が多い。しかし、そういう人は創価学会の会合にはほとんど出席することはない。
池田大作の間違いを諭し、原島嵩氏、山崎正友氏などが反逆者のレッテルを貼られ創価学会から去っていった。反池田を唱えない限り、反逆者のレッテルは貼られない。反逆者のレッテルを貼られるのを恐れ、池田派の振りをしている卑怯な者は大勢居る。
「内部改革派憂創同盟の自覚を強く持つ」と様々な苦難から逃れることができる。「改革派の自覚を強く持つ」と悪いことはあまり起こらなくなる。今まで「宿業が出た」「魔だ!」と言っていたことは起こらなくなる。
今までは熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こっていた。『創価学会に属していると不思議なほどの不幸なことが起こる』と法華講に入った人は多数存在するが、法華講に入らずとも創価学会のままで「改革派の自覚を強く持つ」ならば不幸なことは起こらなくなる。今まで多数の人が『この信仰は宿業が出る』と創価学会を辞めていったが、それは宿業と言うよりも大悪鬼・池田大作の存在があったから悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでおり悪いことが起こっていたのである。それを「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。
『こんなに熱心に信仰しているのに何故こんなに不幸なんだろう。熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こる』という人が多かった。それは大悪鬼・池田大作を神仏化しているからである。大悪鬼・池田大作ももう八十歳を越えている。大悪鬼は糖尿病である故、脳梗塞で死ぬ日は近い。
大悪鬼亡き後、池田大作の機嫌伺いをしている側近の最高幹部たちは反旗の烽火を上げる可能性も僅かだが有る。大悪鬼死すまであと数年掛かるだろう。その間は私も含め「改革派の自覚を強く持つ」しか選択の余地の無い人は多く存在すると思う。大悪鬼死すまでは強く胸に「改革派の自覚を強く持つ」っていくべきである。そうしないと悪鬼が我が身に入ってくる恐れがある。
これからはインターネットを通じて「池田大作」の間違いを追求し、創価学会が正しい信仰団体になるように努力するのみである。
(完) (文責・創価学会内部改革派憂創同盟残党)
※注:「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。――これは不可能なようである。法華講に入らないことには悪鬼の攻撃をブロックすることはできないようである。甘い考えであった。前に書いた創価学会内部改革派憂創同盟の人がガンで亡くなったらしいことも創価学会に充満する悪鬼の仕業であったと思われる。それほど創価学会には悪鬼が充満しているのである。
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
池田大作が悪いのである。池田大作が創価学会を歪めてしまった。池田大作が現れなかったら、たくさんの人が塗炭の苦しみに襲われることはなかった、塗炭の苦しみに陥ることはなかった。
我欲に凝り固まった執念の男と言うことができるだろう。池田大作は「天下を取ろう」を口癖にしていた我執の固まりの人間であった。その我執は病的であり、しかし、それが池田大作を創価学会第三代会長にした。池田大作は「天下を取る」執念の男だったのである。
その執念も途中で潰えた。たくさんのたくさんの人々の不幸を犠牲にして。池田大作のために不幸のどん底に落とされた人は数知れない。
破産して一家離散になった人、病気で苦しみ抜くことになった人、事故に遭い人生を棒に振った人、など数知れない。
それらはすべて池田大作が宗門を支配し宗門を傘下に置こうとした醜い我欲の結果である。池田大作が創価学会に導き入れた無数の悪鬼の集団によるものである。
謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。
墓の中で池田大作を呪っている創価学会員は多い。池田大作が連れてきた悪鬼の大集団により人生を狂わされた無数の人たちの怨恨の叫びが響き渡る。日本中にその怨恨の叫びは響き渡っている。創価学会を池田大作を呪う怨恨の叫びで夜の墓は満ちている。
多数の大幹部が癌で早死にした。彼らは死ぬとき何も分からなかった。何故、広布のために懸命に生きてきた私たちが早死にしなければならないのかを。それが池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることを死んでから気づいた。
統合失調症、うつ病性障害となり自殺した創価学会員も多い。彼らも死んでから自分たちの病気が池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることに気づいた。その怨恨の叫びも多い。
商売に失敗して一家離散した家族も多い。呪われたように商売に失敗した彼ら彼女らはその理由が死ぬまで分からなかった。そしてそれが池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた無数の悪鬼に依ることを知って今は池田大作を呪っている。
夜の墓は池田大作を呪う怨恨の声に満ちている。死後、無間地獄が決定した池田大作は現世に於いて謗法の罪はほとんど現れない。だが、池田大作は死後の無間地獄が決定している。池田大作は肥った肉塊を揺らしながら死後、無間地獄の苦しみにのたうち回る。池田大作はそして永遠に無間地獄の苦しみに奇声を発し続ける。その声は永遠に日本中に響き渡るかもしれない。
日本中に池田大作により人生を狂わせられた人たちは余りに多い。本当なら幸せな人生を歩んでいたはずの人も池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼のために人生を狂わせられた。その人たちは余りにも多い。
原田新会長へ
原田新会長、勇気と正義の人になってください。貴方まで池田大作の下部になってはいけない。末端の多数の純粋な学会員のためです。勇気と正義感で池田大作の間違いを末端の純粋な学会員に知らしめるべきです。池田大作の間違いに気付き始めた人は多くなっています。しかし学会執行部が聖教新聞を使って未だに池田大作を讃えている。
反逆者とされるアメリカのウイリアムス理事長・原島嵩氏・竹入義勝氏などは実は正義と勇気の人であることを貴方は知っているはずです。貴方は正義の人になるべきです。
元創価学会教学部長、原島嵩 著「絶望の淵より甦る」(日新報道刊)(1410円+税)を読みました。原田現会長のことが幾つか言及されてあります。
また、元公明党委員長、矢野絢也 著「黒い手帳」(講談社刊)(1710円+税)も読みました。
二つとも非常に興味深く面白く、感動しました。何度も何度も繰り返して読みました。是非、購読して読むべきものと推薦します。
なお、会館職員などは批判に返答できるようにするため、こういう書籍は回し読みをしている。一般会員もそうするべきと思う。
―――しかし、原田新会長も保身を貫くらしい(と言うよりもできない?)。反旗を翻しても潰されるだけである。これでは創価学会の改善はまだ待たなければならない。原田新会長は創価学会が韓国のように分裂してはいけない、という考えの下に、そうされているのだと信じたい。韓国のようにならないために、最高幹部たちは未だ行動を起こさないでいるのだと信じたい。
広宣流布への情熱が法華講にはあまり感じられないというのは間違いで、法華講には広宣流布への情熱を持った人が多数、存在する。それは創価学会以上と言える(創価学会は今は選挙団体である。政治団体ではない。何故なら、創価学会員は政治のことは知らず、ただ選挙運動に走らせられているからである)。創価学会から法華講へ移った人は迫害などを堪え忍びながら信仰を貫いた勇気ある人たちである。真実を見究める目を持った人たちであり賞賛に値する。
獅子身中の虫、それは池田大作である。池田大作が広宣流布を頓挫させた。もし、池田大作が出なかったら広宣流布は成し遂げられた可能性は高い。今から広宣流布をやり直すしかない。池田大作により頓挫させられた広宣流布を新しい正しい創価学会で成し遂げれば良い。悪鬼が逃げ去った後の創価学会ならば弘法は比較的容易くなる。現象として悪いことが余り起こらないようになるからである。今までは、現象として余りにも悪いことが起こり過ぎていた。そのために退転者が極めて多数生じていた。
私は聖教新聞の通信員をしていたことがあるが「ある人の体験談を書こうとすると、良いこと(良い偶然)も起こっているが、悪いこと(悪い偶然)が沢山起こっている」と先輩に相談すると「その良いところだけを繋ぎ合わせて創作したら良いのだ。それが広宣流布のためだ。」と言われ、私はそのように行ってきた。私はかなりの数を書いた。その頃は元気一杯の私であった。怖いものは無かった。池田大作の正体に気付かなかったならば、苦しい日々ではあったが元気一杯だった。しかし、気付いてしまった。怖いもの無しの自分ではもうなくなってしまった。元気一杯のあの頃の自分にはもう戻れないのだろうか? 怖いものが確かに無かった。世のため人のためにと元気一杯だった。ただ、元気に成り過ぎて社会常識を踏み外すことが頻繁にあって苦労した。そして悪いこと(悪い偶然)が起こり過ぎていた。運命も確実に下降線を辿っていた。不幸へ不幸へと進んでいた。
つまり、聖教新聞・大白蓮華などの体験談は半分嘘が多い。本当は少ない。悪いところは書かないである。半分嘘を読んで感動してはいけない。感動するように創作はしてある。
昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。
それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か?
最高幹部の結束した造反を期待する
現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書いただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
創価学会は広宣流布が成し遂げられていないにも拘わらず、正本堂(国立戒壇もどき)を造った。これは日蓮大聖人の御遺訓に背くものであった。選挙には「国立戒壇」は非常に邪魔であった。「国立戒壇」を日本共産党が強く突いていた。それを逃れるための苦肉の策であった。「顕正会」(元・妙信講)の主張は正しかった。宗門もその当時は創価学会の強い主張に従わざるを得ない状況であったと思われる。宗門もその当時、判断を誤ったと言えるであろう。
池田大作は純真な会員を懸命な選挙運動に走らせた。同時放送では「公明党が第一党に成りなさい」と狂気の言動を発していた。選挙運動に大きな功徳があると最高幹部たちに言わせていた。そして女子部・婦人部はそれを鵜呑みにしている。男子部・壮年部は批判力があるから鵜呑みにすることは少ない。
池田大作が亡くなった暁には「池田大作批判」で聖教新聞が埋まることは難しいが、最高幹部が結束して行動を起こすなら創価学会が正しい創価学会に生まれ変わると思う。しかし、最高幹部が結束して行動を起こす可能性は極めて低い。池田大作は子供に跡を継がせるためイエスマン以外は排除してきている。批判的な幹部は排除してきている。
やがて、正しい創価学会となり、会員が幸せになれる創価学会ができることを願う。その日が一日も早く来ることを強く願う。
(第1章終了)
韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。
質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。
三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円~三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。
四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。
五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。
六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。
創価学会内部改革派憂創同盟
かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
正義の書
既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。同時放送に出席して、その傲慢な振舞いと言動に呆れた人は多数存在する。池田大作こそ獅子身中の虫である。批判力をあまり持たない婦人部の人たちはほとんど創価学会池田派であるが、壮年部には内部改革派憂創同盟的考えを持った人が多い。しかし、そういう人は創価学会の会合にはほとんど出席することはない。
池田大作の間違いを諭し、原島嵩氏、山崎正友氏などが反逆者のレッテルを貼られ創価学会から去っていった。反池田を唱えない限り、反逆者のレッテルは貼られない。反逆者のレッテルを貼られるのを恐れ、池田派の振りをしている卑怯な者は大勢居る。
「内部改革派憂創同盟の自覚を強く持つ」と様々な苦難から逃れることができる。「改革派の自覚を強く持つ」と悪いことはあまり起こらなくなる。今まで「宿業が出た」「魔だ!」と言っていたことは起こらなくなる。
今までは熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こっていた。『創価学会に属していると不思議なほどの不幸なことが起こる』と法華講に入った人は多数存在するが、法華講に入らずとも創価学会のままで「改革派の自覚を強く持つ」ならば不幸なことは起こらなくなる。今まで多数の人が『この信仰は宿業が出る』と創価学会を辞めていったが、それは宿業と言うよりも大悪鬼・池田大作の存在があったから悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでおり悪いことが起こっていたのである。それを「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。
『こんなに熱心に信仰しているのに何故こんなに不幸なんだろう。熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こる』という人が多かった。それは大悪鬼・池田大作を神仏化しているからである。大悪鬼・池田大作ももう八十歳を越えている。大悪鬼は糖尿病である故、脳梗塞で死ぬ日は近い。
大悪鬼亡き後、池田大作の機嫌伺いをしている側近の最高幹部たちは反旗の烽火を上げる可能性も僅かだが有る。大悪鬼死すまであと数年掛かるだろう。その間は私も含め「改革派の自覚を強く持つ」しか選択の余地の無い人は多く存在すると思う。大悪鬼死すまでは強く胸に「改革派の自覚を強く持つ」っていくべきである。そうしないと悪鬼が我が身に入ってくる恐れがある。
これからはインターネットを通じて「池田大作」の間違いを追求し、創価学会が正しい信仰団体になるように努力するのみである。
(完) (文責・創価学会内部改革派憂創同盟残党)
※注:「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。――これは不可能なようである。法華講に入らないことには悪鬼の攻撃をブロックすることはできないようである。甘い考えであった。前に書いた創価学会内部改革派憂創同盟の人がガンで亡くなったらしいことも創価学会に充満する悪鬼の仕業であったと思われる。それほど創価学会には悪鬼が充満しているのである。
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
池田大作が悪いのである。池田大作が創価学会を歪めてしまった。池田大作が現れなかったら、たくさんの人が塗炭の苦しみに襲われることはなかった、塗炭の苦しみに陥ることはなかった。
我欲に凝り固まった執念の男と言うことができるだろう。池田大作は「天下を取ろう」を口癖にしていた我執の固まりの人間であった。その我執は病的であり、しかし、それが池田大作を創価学会第三代会長にした。池田大作は「天下を取る」執念の男だったのである。
その執念も途中で潰えた。たくさんのたくさんの人々の不幸を犠牲にして。池田大作のために不幸のどん底に落とされた人は数知れない。
破産して一家離散になった人、病気で苦しみ抜くことになった人、事故に遭い人生を棒に振った人、など数知れない。
それらはすべて池田大作が宗門を支配し宗門を傘下に置こうとした醜い我欲の結果である。池田大作が創価学会に導き入れた無数の悪鬼の集団によるものである。
謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。
墓の中で池田大作を呪っている創価学会員は多い。池田大作が連れてきた悪鬼の大集団により人生を狂わされた無数の人たちの怨恨の叫びが響き渡る。日本中にその怨恨の叫びは響き渡っている。創価学会を池田大作を呪う怨恨の叫びで夜の墓は満ちている。
多数の大幹部が癌で早死にした。彼らは死ぬとき何も分からなかった。何故、広布のために懸命に生きてきた私たちが早死にしなければならないのかを。それが池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることを死んでから気づいた。
統合失調症、うつ病性障害となり自殺した創価学会員も多い。彼らも死んでから自分たちの病気が池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることに気づいた。その怨恨の叫びも多い。
商売に失敗して一家離散した家族も多い。呪われたように商売に失敗した彼ら彼女らはその理由が死ぬまで分からなかった。そしてそれが池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた無数の悪鬼に依ることを知って今は池田大作を呪っている。
夜の墓は池田大作を呪う怨恨の声に満ちている。死後、無間地獄が決定した池田大作は現世に於いて謗法の罪はほとんど現れない。だが、池田大作は死後の無間地獄が決定している。池田大作は肥った肉塊を揺らしながら死後、無間地獄の苦しみにのたうち回る。池田大作はそして永遠に無間地獄の苦しみに奇声を発し続ける。その声は永遠に日本中に響き渡るかもしれない。
日本中に池田大作により人生を狂わせられた人たちは余りに多い。本当なら幸せな人生を歩んでいたはずの人も池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼のために人生を狂わせられた。その人たちは余りにも多い。
原田新会長へ
原田新会長、勇気と正義の人になってください。貴方まで池田大作の下部になってはいけない。末端の多数の純粋な学会員のためです。勇気と正義感で池田大作の間違いを末端の純粋な学会員に知らしめるべきです。池田大作の間違いに気付き始めた人は多くなっています。しかし学会執行部が聖教新聞を使って未だに池田大作を讃えている。
反逆者とされるアメリカのウイリアムス理事長・原島嵩氏・竹入義勝氏などは実は正義と勇気の人であることを貴方は知っているはずです。貴方は正義の人になるべきです。
元創価学会教学部長、原島嵩 著「絶望の淵より甦る」(日新報道刊)(1410円+税)を読みました。原田現会長のことが幾つか言及されてあります。
また、元公明党委員長、矢野絢也 著「黒い手帳」(講談社刊)(1710円+税)も読みました。
二つとも非常に興味深く面白く、感動しました。何度も何度も繰り返して読みました。是非、購読して読むべきものと推薦します。
なお、会館職員などは批判に返答できるようにするため、こういう書籍は回し読みをしている。一般会員もそうするべきと思う。
―――しかし、原田新会長も保身を貫くらしい(と言うよりもできない?)。反旗を翻しても潰されるだけである。これでは創価学会の改善はまだ待たなければならない。原田新会長は創価学会が韓国のように分裂してはいけない、という考えの下に、そうされているのだと信じたい。韓国のようにならないために、最高幹部たちは未だ行動を起こさないでいるのだと信じたい。
広宣流布への情熱が法華講にはあまり感じられないというのは間違いで、法華講には広宣流布への情熱を持った人が多数、存在する。それは創価学会以上と言える(創価学会は今は選挙団体である。政治団体ではない。何故なら、創価学会員は政治のことは知らず、ただ選挙運動に走らせられているからである)。創価学会から法華講へ移った人は迫害などを堪え忍びながら信仰を貫いた勇気ある人たちである。真実を見究める目を持った人たちであり賞賛に値する。
獅子身中の虫、それは池田大作である。池田大作が広宣流布を頓挫させた。もし、池田大作が出なかったら広宣流布は成し遂げられた可能性は高い。今から広宣流布をやり直すしかない。池田大作により頓挫させられた広宣流布を新しい正しい創価学会で成し遂げれば良い。悪鬼が逃げ去った後の創価学会ならば弘法は比較的容易くなる。現象として悪いことが余り起こらないようになるからである。今までは、現象として余りにも悪いことが起こり過ぎていた。そのために退転者が極めて多数生じていた。
私は聖教新聞の通信員をしていたことがあるが「ある人の体験談を書こうとすると、良いこと(良い偶然)も起こっているが、悪いこと(悪い偶然)が沢山起こっている」と先輩に相談すると「その良いところだけを繋ぎ合わせて創作したら良いのだ。それが広宣流布のためだ。」と言われ、私はそのように行ってきた。私はかなりの数を書いた。その頃は元気一杯の私であった。怖いものは無かった。池田大作の正体に気付かなかったならば、苦しい日々ではあったが元気一杯だった。しかし、気付いてしまった。怖いもの無しの自分ではもうなくなってしまった。元気一杯のあの頃の自分にはもう戻れないのだろうか? 怖いものが確かに無かった。世のため人のためにと元気一杯だった。ただ、元気に成り過ぎて社会常識を踏み外すことが頻繁にあって苦労した。そして悪いこと(悪い偶然)が起こり過ぎていた。運命も確実に下降線を辿っていた。不幸へ不幸へと進んでいた。
つまり、聖教新聞・大白蓮華などの体験談は半分嘘が多い。本当は少ない。悪いところは書かないである。半分嘘を読んで感動してはいけない。感動するように創作はしてある。
昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。
それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か?
最高幹部の結束した造反を期待する
現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書いただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
創価学会は広宣流布が成し遂げられていないにも拘わらず、正本堂(国立戒壇もどき)を造った。これは日蓮大聖人の御遺訓に背くものであった。選挙には「国立戒壇」は非常に邪魔であった。「国立戒壇」を日本共産党が強く突いていた。それを逃れるための苦肉の策であった。「顕正会」(元・妙信講)の主張は正しかった。宗門もその当時は創価学会の強い主張に従わざるを得ない状況であったと思われる。宗門もその当時、判断を誤ったと言えるであろう。
池田大作は純真な会員を懸命な選挙運動に走らせた。同時放送では「公明党が第一党に成りなさい」と狂気の言動を発していた。選挙運動に大きな功徳があると最高幹部たちに言わせていた。そして女子部・婦人部はそれを鵜呑みにしている。男子部・壮年部は批判力があるから鵜呑みにすることは少ない。
池田大作が亡くなった暁には「池田大作批判」で聖教新聞が埋まることは難しいが、最高幹部が結束して行動を起こすなら創価学会が正しい創価学会に生まれ変わると思う。しかし、最高幹部が結束して行動を起こす可能性は極めて低い。池田大作は子供に跡を継がせるためイエスマン以外は排除してきている。批判的な幹部は排除してきている。
やがて、正しい創価学会となり、会員が幸せになれる創価学会ができることを願う。その日が一日も早く来ることを強く願う。
(第1章終了)