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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(7)

2011-03-03 19:54:07 | 日記
第3章「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」
犯罪集団・創価学会
 これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。
(事件が起こった年月が分かっていないものもあるため、順番は正確ではない)

吉展ちゃん事件―――昭和三十八年、東京都世田谷区で建設業を営んでいた000さんの長男・吉展ちゃんが誘拐され、犯人は両親に身代金五十万円を要求した。
 両親が要求通りに五十万円を支払ったにも拘わらず、吉展ちゃんは死体で発見された。犯人の小原保が逮捕され、裁判の結果死刑を宣告され、執行された。
 この小原保は熱心な創価学会員であった。その小原保は吉展ちゃんを誘拐し、殺害して金を手に入れた直後に学会活動で知り合った会員仲間の愛人宅で、奪った金を仏壇に供え、二人して“功徳により大金を手に入れることができたこと”への感謝の唱題を続けていた。
 幼児を誘拐し殺して奪った金を「創価学会の信仰の“功徳”だ」と言っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から創価学会より洗脳されてきた結果と思われる。

サラ金侵入放火事件―――――――財務などの活動費によって生活苦に陥り、サラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家00000は、返済に窮し、借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

大石寺売店主・手形詐欺事件
サラ金苦・友人母子殺害事件

座談会場殺人事件―――――昭和四十二年、愛媛県新居浜市の座談会場で、座談会開催中、青年部員・0000に刺殺されたのは000地区部長。登山していた母親の連絡先を訪ねた際、「後にしてくれ」と言われたことに腹を立て、近隣の学会員経営の食堂から包丁を持ち出し、地区部長を刺殺した。000は十年ほど服役後出所。再び学会活動に従事したが、高知県の選挙の応援の帰途、車ごと谷に転落して死亡した。純粋な信仰をしていた男子部員であった。

千葉判事補・女子高生連れ込み事件―――――創価大学一期生で司法試験に合格、判事補に任官して池田大作の弟子の中で“希望の星”の一人であった千葉判事補は事件関係で知り合った女子高生を自宅に連れ込んでいたことが発覚。千葉判事補は刑事事件にはならなかったものの裁判所を辞職する。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

JRの駅で医師を刺殺した事件ーーー京浜急行青物横丁駅で、岡崎医師が元患者によって射殺されたが、その場で現行犯逮捕された犯人は熱心な学会員家族の一員であった。

連続ガムテープ強姦事件――――昭和五十七年一月まで都内各地で三十二件もの強盗強姦を重ねていた0000は現役・大B長。日頃、会員たちに“人間革命”を説き、池田大作を礼讃する創価学会の幹部が長期にわたり凶悪事件を重ねていたという恐るべき事例である。

川崎・連続放火事件――――昭和五十七年二月から五十八年一月にかけて三十件にもおよぶ連続放火を続けていたのは本部壮年長の息子で青年部の0000。

金の延べ板盗難事件――――昭和五十七年三月、秋田県の同和鉱業から三千万円の金の延べ板を盗みだし古物売買ルートに乗せて売り捌いていた盗難グループは全員、創価学会員。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

お寺侵入殺傷事件―――――昭和五十七年、佐賀における事件である。統合失調症で通院治療を受けていた二十九歳の創価学会青年部員が、包丁を持って佐賀県武雄市の深遠寺に乱入、高木当道住職の妻子やお手伝いさんを次々に刺し、そのお寺の幼い子供(三歳と五歳の少女)を刺殺したほか、手伝いに来ていた二十一歳の女性をも刺殺した。住職は法要のため外出していた。逮捕された青年は昭和五十五年には広島市の寺院に投石を繰り返し、器物破損の容疑で逮捕された前歴を持つ。青年が日蓮正宗の寺ばかりを執拗に敵視するのはそれなりの理由があった。創価学会に入れば、金儲けを始め、病気の治癒など、利益がいっぱいあると聞かされて入信、学会活動にも励んだが逆に金を取られる始末。学会への恨みが嵩じて、授戒を受けた日蓮正宗寺院をも逆恨みするようになったのである。

元警官の学会員による強盗殺人事件―――昭和五十八年、千葉県船橋市の創価学会前原支部総会で、元警官で熱心な創価学会活動家の沢地和夫は「入信にしたおかげで、思わぬ収入を得、借金を返すことができた。大きな功徳を頂いた」と体験発表し、満場の喝采を受けた。沢地は元警視庁警官の身でありながら二人の資産家を殺害、金品を強奪した。沢地は強盗殺人を犯して得た金を功徳と言っていたのである。沢地は活動熱心な創価学会員であった。学会活動で知り合った女性と二人で感謝の題目を上げていた。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。
 沢地和夫は死刑の判決を受け執行された。沢地和夫が刑務所内で書いた本が評判になっている。

山口母子殺人事件――――六ヶ月の子供と二十二歳の主婦を殺害した余りにも有名な事件。犯人は男子部班長。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

カレー毒入り殺人事件――――――犯人・林真澄は熱心な創価学会員。勤行は欠かさず行っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

不倫妻と愛人共謀殺人事件―――――昭和六十三年、千葉県大原町で、不倫妻と愛人が共謀して夫を殺害。灯油をかけて焼いた事件の犯人である不倫妻は学会地区幹部の0000。愛人も学会員。殺された夫は本部長。

北海道原野商法――――――昭和六十四年、不動産バブルの風潮を利用し、北海道の、ほとんど資産価値のない土地を、何も解らない主婦たちなどに売りつけ、いわゆる「原野商法」で詐欺罪に問われ、逮捕された沢井俊光は、熱心な学会員であり、詐欺で得た多額の金を「財務」として創価学会に貢ぎ、池田大作から、サイン入りの著書を贈られた。沢井は、この本を仲間の学会員に自慢して見せびらかしていたという。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

別府寿福寺六億円身代金要求僧侶誘拐事件―――――平成元年十一月七日、大分県別府市・寿福寺住職が創価学会壮年部ブロック長の桝永廣典らによって誘拐され、身代金六億円が創価学会に要求された。現金六億円は直ちに用意されて犯人は逮捕され事なきを得たが、反面、創価学会の金権体質を浮き彫りにした。主犯の桝永は「創価学会なら金がある。身代金を出してくれると思った」と供述した。その背景には創価学会の宗門を敵視する意識があったと思われる。

公明党議員の口利きで生活保護を受けていた学会員の老婆が覚醒剤の密売をしていて逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

札幌市・婦女暴行事件――――――平成五年十月、創価学会男子部三人が起こした事件。三人とも創価学会の“嫌がらせ部隊”隊員。常に卑劣な犯罪行為を行ううちに、犯罪に対する罪悪感が失われたものと思われる。脱会者の家の前で糞をする、脱会者の郵便受けに糞を入れる、脱会者の庭に糞を投げ込む、このような行為を日常的に行ってきた故に人格がすさみ、犯罪に対する罪悪感が欠如してしまったものと思われる。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

特別公務員暴行致傷事件―――――――創価学会の検事である00氏は平成五年十一月、ゼネコン汚職の取り調べの際に二人の参考人に対して暴行を加えた。それは書くのも憚られるほど凄まじいものだった。狂気としか言いようがない。被害者は言う。
「壁に向かって立たされ、後ろから思い切り蹴飛ばされたり、土下座させられ、首筋を散々踏みつけられたりした。その上、往復ビンタで口の中を切り、血が二メートルに亘って飛び散った。その血を拭き取りながら00は『お前はエイズじゃないだろうな』と聞いた」
 同検事は以前にも暴行を繰り返していた。懲戒免職となり、公務員暴行致傷事件で逮捕される。現職検事が懲戒免職になったのは昭和二十七年以来であり、暴行事件で懲戒免職になったのは初めてのことだった。
 00氏は熱心な創価学会員で、司法試験合格後、“池田大作に激励されて試験に合格した”と体験発表している。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

大阪でホームレスの老人を道頓堀川に投げ込み殺害した事件ーーー平成六年、ホームレスの老人が台車の上に寝ていたところ道頓堀川に投げ込まれ水死した事件。犯人は二十四歳、東京駅で三日後に逮捕されたが熱心な創価学会の家で生まれ育っている。熱心な学会員の子は“福子”と呼ばれ仏に祝福されて生まれてきたとされる。この男の場合は名前から見て池田大作が名付け親である可能性が極めて高い。“魔”の御本尊が遠因と思われる。

愛媛県の最高幹部伊予分圏議長0000が松山外港埋め立て工事に伴う補償金のうち百二十万円を詐欺横領して逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

ピアノ教師惨殺事件―――――――平成九年八月一日、浜松市のピアノ講師(女性)が殺害されました。
警察の調べによると、犯人の0000は、その女性講師と以前交際していたのですが、別れ話のもつれから、彼女のマンションに忍び込み、身体を百ヶ所以上もメッタ刺しにして殺した、とのこと。
00は創価学会の男子部で、彼の実家は、近所でも、�熱心な学会家族�として有名な家でした。 

  
平成十年四月、岐阜県職員の0000が同市職員の000さんを殺害。金銭貸し借りのもつれが原因。二人ともに学会員。学会員同士の金銭の貸し借りは厳禁されている。金銭の貸し借りが発覚すると叱責処分、また除名処分もあり得る。しかし、それは守る学会員もいれば守らない学会員もいる。

平成十年十一月、東京都目黒区で夫が包丁により妻を刺し(重体)また妻の母を刺し殺す事件が発生。被害者の妻と母は熱心な学会員。夫の学会への入会を巡る争いが原因。夫に入会をしつこく強要したため、夫が逆上したのであった。

覚醒剤男・四人刺殺事件―――――――創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。

覚醒剤男・ガソリンスタンド立てこもり事件―――――――これも創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。


レッサーパンダ男殺人事件――――――平成十三年、東京都浅草の路上で、短大生、Oさん(十九歳)が何者かに刺殺されるという事件が発生した。犯行時にレッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被っていたことから「レッサーパンダ男」などとマスコミに騒がれた。犯人はホームレスのテントに二ヶ月ばかり同宿していたが、その間、テントで父親と毎日二時間“魔”の御本尊に向かって唱題していた。犯人の父親は一年前に創価学会に入会し、聖教新聞も購読し、真面目に勤行に励んでいた。模範的な創価学会員である。息子も入会手続きは定かでないが、欠かさず勤行唱題に励んでいたという。
 拝んでいた“魔”の御本尊が元凶で、発作的に、レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被って女子短大生を刺殺する行為に走らせたと思われる。

(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p38-45 参照)
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p164-72 参照)
 他にもたくさんたくさんあるが書ききれない。
 これら犯罪を犯した学会員の多くは熱心な会員や幹部達である。
 これらの会員に対し、池田大作は「会合にも出ない。教学も勉強していない」と弁明しているが、その逆である。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。このことを池田大作は認識しているのか疑わしい。“魔”は熱心な信者につけ込むのである。
 もう一度書く。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。

 創価学会では「学会イクオール善・正、社会イクオール悪・邪」との考えを会員に植え付ける。その結果、学会員以外を敵対視するようになり、排他的な選民意識に支えられた学会員が様々な暴力事件や謀略活動を行っている。入信強要殺人事件までも起こしている。創価学会は日本のユダヤ人と言われる。
 上記は池田大作が招き入れた無数の悪鬼が犯罪を唆したためである。
「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。
 また、「反対者を徹底して攻めろ」と暴力脅迫行為を会員に奨励する池田大作の指導がある。
 池田大作の通訳として有名であった某女史がある有名な芸能人と結婚し、麻薬密輸に走ったことは有名であるが、これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。すなわち平常の社会通念が欠如してしまっていた故と思われる。

 創価学会は日蓮正宗関係者や批判者に対し、尾行・見張り・嫌がらせ・怪文書など、あらゆる卑劣な手段を用いて攻撃している。こういうことを行う特殊部隊が青年部に編成されている。そして卑劣な犯罪行為を繰り返すうちに犯罪行為に対する罪悪感が欠落し、平気で犯罪を起こすようになるのである。


 そして創価学会員に起こった有名な悲惨な事件として次のようなものがある。
沼川代議士・家族焼死事件―――――公明党の国会議員であるため東京に単身赴任していた沼川代議士の一家四人が焼死した事件。池田大作が「沼川はもう十五、六年も俺のところに来ないからな。だからそんな目に遭うんだよ」と言ったことは有名。

娘四人焼死事件。

中国青年部長・交通事故死―――――昭和五十九年三月二十二日深夜、鳥取県内で000中国青年部長が運転していた転輪会の学生部員とともに交通事故死した。広島市から鳥取県倉吉市までの往復六百キロ余りの道のりを日帰りで、しかも一人の運転で賄おうとする、無理な強行日程の結果生じた事故だった。この事故は上級の幹部にしか伝達されなかった。末端の会員は全くこのことを知らされなかった。末端の会員が信仰に疑問を抱くからであった。

 文化祭に関連するものとして次のことがある。何故か、最近は文化祭が行われなくなった。

 文化祭六段円塔転落死亡事件―――――――六段円塔を行うと文化祭の責任者は池田大作より誉められ、そして創価学会における地位も向上する。自身の立身出世のために六段円塔を行わせている。犠牲者およびその家族の悲しみはどれほどであったろう。文化祭は文化祭の責任者の創価学会における立身出世に大きく影響する。六段円塔を行うことが責任者の創価学会における立身出世に繋がる。しかし文化祭の責任者は全くお咎めなしである。

 世界平和文化祭練習死亡事故―――――――激しい炎天下の中で練習を強行した故である。熱射病で死亡した。その他に三百人ほどの参加者が同じく熱射病で病院に運ばれた。


 最後に「創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:p46-7」より抜粋しておく。

『ジャーナリスト内藤国夫氏が、雑誌『諸君』昭和五十七年六月号で指摘しているところによると、次のように記載されている。

「例えば、重刑罪対象の千葉刑務所に収容されている、殺人や強盗殺人事件、強姦などの凶悪犯だけでも創価学会員が十人にも上り、それ以下の犯罪者まで含めると、全部で三十五、六人に達する。さながら、創価学会収容所といっていいほど、という情報が寄せられた。具体的な個人名まで記されているが、省略して紹介しよう。
★ ★★殺人・死体遺棄(多摩川バラバラ殺人事件) S(42)大阪出身、元大B長=無期
★ ★★強盗殺人 N(51)福島出身=無期
★ ★★殺人・強盗 H(56)=無期
★ ★★殺人 N(51)新潟出身の元十両=懲役十五年
★ ★★殺人・横領 I(30)銚子出身、漁師=懲役十八年
★ ★★強盗殺人 H(29)栃木県出身=無期
★ ★★強盗殺人 Y(38)江戸川区出身=無期
★ ★★横領・殺人・窃盗 G(21)札幌出身=懲役十二年
★ ★★殺人 M(54)静岡出身=無期」

 中国地方のさる刑務所の教誨師を務めたM氏の話によると、強盗、強姦罪などを犯した重大犯の三十名は学会員であった、という。
 私が創価学会の仕掛けた“恐喝罪”のかどで服役した、初犯者を収容する黒羽刑務所でも、数人に一人の割合で学会員がいた。』

 善良な学会員が多いから信じられないと思われる方が多いと思う。しかし、私は刑務所への面会は頻繁に行ってきた。学会活動の一環として行ってきた。創価学会員にはたしかに犯罪が多い。これは池田大作が招き入れた“魔”の軍団が唆すからであろうと思う。
 あの人がどうして犯罪を、と信じられないことが多かった。現在は“魔”の御本尊に変わっているから生命力はあまり湧かないから当てはまらないと思われるが、以前は日達上人の御本尊であったから生命力が猛然と湧いてきていた。そしてそこに“魔”が付け入り犯罪に突っ走るのである。現在は分からないが以前は「創価学会のためなら広宣流布のためなら犯罪を行っても良い、世法より仏法が上、世法なんて仏法の遙か下、我々には仏法のみあり世法は無い」とする考えが創価学会中に蔓延していた。創価学会員は「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 選挙における甚だしい選挙違反も婦人部には「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 たしかに社会的にどうしようもない人が創価学会に入ったから創価学会には犯罪者それも重大犯が多いと考えることもできる。しかし私が刑務所に見舞ってきた人は部長を嘱望されていた国立大学出身の男子部地区リーダーだった。非常に熱心であるから題目を猛然と唱え、生命力が猛然と湧き、そこに“魔”が付け込み、突発的に犯罪を起こしてしまったと考えられた。
 池田大作が創価学会に招き入れた“魔”の軍団の所為である。創価学会は、激しい折伏に怒り出さなかった人々の集まりであるから、善良な人がとても多い。
 同じ創価学会員の借金の保証人になって夜逃げした人も多い。子供も巻き添えの夜逃げであるから、それは非常に悲しい。創価学会は金銭の貸し借りだけでなく「借金の保証人」になることも厳禁するべきなのである。なぜ、「借金の保証人」も厳禁しないのか、どうしても理解できなかった。
 そして男子部は婦人部とは異なり金銭の貸し借りを平然と行っていた。それも幹部が行っていた。しかも、他の幹部が知るまでなかなか返さない。やはり男性は信仰心が薄いのである。
 創価学会は婦人部で持ってきたし、今も婦人部で持っている。座談会の参加者の八十~百%が婦人部ということからも分かる。座談会には男性は地区部長など幹部しか出席しないのが普通である。地区部長が仕事で参加できないときは参加者全てが婦人部であることは良くある。信仰始めたばかりの男子部員を連れて座談会に参加したとき参加者全て婦人部であり、その男子部員が厭がったことが数回ある。


選挙運動の悲劇
 これもあまりに知らない人が多いので敢えて書いておく。知っている創価学会員は極僅かである。

新宿集団替え玉不在者投票事件―――昭和四十三年七月七日に行われた第八回参議院通常選挙の投票日に「集団替え玉不在者投票事件」という前代未聞の選挙違反事件が創価学会により行われた。その手口は学会幹部の実行部隊が他人の住所に郵送された投票所入場券を郵便受けから盗み出し公明党区会議員が選挙人名簿を閲覧して生年月日を調べ年齢、性別の似通った学会員を替え玉に仕立てて投票させるという組織的な犯行であった。
 しかも当日、本人と鉢合わせすることを避けるため替え玉には不在者投票を行わせた。これは新宿区を中心に数区にまたがり、その数は五千票を超えた。この事件は被害にあった人たちが訴え実行犯が数人逮捕されたことにより明るみに出た。不在者投票申請書の筆跡、指紋という動かぬ証拠があったから逃れられない。
 創価学会は北條浩氏、公明党委員長・竹入義勝氏を中心に操作の拡大と組織上層部への波及を防ぐために都議会議員や首都圏の県会議員、区会議員や市議会議員、学会の弁護師団を総動員し証拠隠滅工作を行った。
「替え玉投票は組織的な行為ではなく末端の暴走による個々の偶発的な犯罪である」として皆が手分けして犯人たちや所属支部の幹部に対し口止めと言い逃れのために造られたストーリーを教え込む作業を行った。しかし作られたストーリーがお粗末であったことと動かぬ証拠が多数あったためすぐにボロが出た。
 そこで竹入義勝氏が警視庁に赴き「親友」と言われた当時の00総監にすべてを打ち明けた上で「二度とこのようなことは起こさないから助けてくれ」と泣きつき、逮捕された数名とその周辺の事件のみが送検された。
 しかし、検察庁に送られた後、担当した検事はすぐに、これが組織的な犯行であることを見抜き、新宿区の全不在者投票の関連資料を取り寄せ、一枚ずつ調べる方針を打ち出した。竹入義勝氏は再び警視総監に泣きつき、お目こぼしを乞うた。警視庁は一度ふたをした事件を蒸し返されると自分たちのメンツに拘わり責任を問われることになるから検察庁の要求を「選挙違反取締本部の解散」を理由に拒否した。
 一方、竹入義勝氏は次席検事に面談し手加減を頼み込んだ。次席検事は警察が動かぬと言う以上、捜査は事実上できないので結局、送検された事案のみを起訴した。裁判に於いても組織的犯行であることを隠し、被告人への情状酌量を得るため巧妙なストーリーを作り弁護し全員に執行猶予判決を得た。
 これは特別に大規模な替え玉投票であり、通常の替え玉投票は全国各地でその後も盛んに行われ続けた。
 しかも、公明党が東京都議会に於いて大きな勢力を握って以来、警察予算と公安委員会人事を握ることになって警察は創価学会・公明党に頭が上がらなくなっていた。
 一方に於いて創価学会は常習的な選挙違反とスキャンダルや不祥事をもみ消さねばならないという事情があり、両者の癒着によって警察予算の充実と公安員会人事が円滑に行われるために、創価学会がらみの事件がもみ消されたり隠蔽されるという癒着関係が成り立ち、公明党が政権与党になった現在は創価学会・公明党の警察に対する支配力は更に強まった。
   (懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p28-31参照)

練馬事件――昭和四十四年七月十三日、東京都都議会選挙投票日の当日、練馬第四投票所に当てられた豊玉第二小学校で事件は発生した。
 午後六時の投票締め切り時刻数分過ぎに男女の二人連れが投票所に来て投票させるよう求めた。選挙管理委員会の立会人は「投票時間を過ぎ投票所は閉鎖され投票箱にはすでに鍵が掛かっているから」と法律を盾にこれを拒否した。二人は一度は立ち去ったがすぐに十数名の仲間とともに押しかけ選管の職員たちと口論になった。公明党代議士伊藤宗佑丸の秘書だと名乗る男らを含む群衆は数十名の規模に増え投票所内に乱入して選管の委員を押し倒し殴る蹴るの暴行を加え全員を土下座させ謝罪を要求した。群衆は言うまでもなく全員が創価学会員であった。主犯は市川雄一であった。
 こうした騒乱状態は午後十時まで続き、この間、群衆は指揮者を中心に気勢を上げたり「お前らはもういいかげん長生きしたのだから、ここらで死んでもいいだろう……」などと脅迫を続けた。警察官も五十人以上現場に駆けつけはしたが(それも署長が現場にいたという)どういうわけか何もせず選管職員の救出すらしなかった。
 警視庁は端緒となった二人(投票要求をした関係上、身元が割れている)だけを調べ、後は捜査を放棄して故意に迷宮入りとした。明らかに事件をもみ消したのである。主犯である市川雄一は数年間、地下に潜ったのち。公明党国会議員として復活した。
 この事件も竹入義勝氏が警視庁首脳に会い頭を下げて頼み込んでもみ消された。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p32-9参照)

(F活動ノイローゼ自殺事件)愛知県豊田市の支部長は、昭和五十八年二月、F取りのノルマ達成と、地域外からの応援部隊の受入れ体制の準備に疲れ切り、灯油を頭からかぶり焼身自殺した。

 選挙のたびに毎回複数の人が交通事故で亡くなったり、身体障害になったり、交通事故で相手を殺したりしていることは聖教新聞および公明新聞では決して報じられない。一般に学会員の運転は荒い。精神疾患を疑わせるほど荒い運転をする創価学会員がよく見られる。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきた。創価学会がバスを借り切って東京まで行ったりしている。
 衆議院選挙、参議院選挙、東京都都議選、この三つは以前より交通事故多発するものとして注意されてきた。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきたとは言え、自家用車で行く学会員は多い。交通事故で相手を殺し裁判沙汰になると相手の創価学会への憎悪の念は凄まじい。これは創価学会専門の弁護士事務所に勤めている弁護士から聞いた話である。

 池田大作は選挙運動が広宣流布を大きく阻害していることを知らないのだろうか? 学会員は選挙運動で疲れ果て、折伏を行う余力が無いようになっている。また、選挙運動さえしていたら折伏はしないでも良いと思ってしまっている学会員が非常に多い。選挙運動は創価学会の活動の一部に過ぎないという認識が一般の会員には欠けている。何故なら、懸命に力果てるまで選挙運動を行わさせられるために会員はそう思ってしまわざるを得ない。また、幹部もそういう指導を行っている。第一、池田大作が同時放送などで選挙至上の考えを会員に徹底させている。

 創価学会は公明党を丸抱えにし、支配していながら“政教分離している”と嘘を平然とつき、そして会員を組織を上げての“戸別訪問”などの“集団選挙違反行為”に駆り立てている。
 わけの分からぬおばさんたちや青年を「広宣流布のためだ!」「一票取るのも一人折伏するのも同じで、功徳がある」と言ってしゃにむにハッパを掛けるから見境のない戸別訪問の“人海戦術”が繰り広げられる。
 選挙になると会員たちは毎朝、早くから会館や拠点に集まり、“お題目”をあげ、歌や勝ち鬨で気勢を上げて戸別訪問に繰り出す。当然、選挙違反として摘発されることになり、選挙のたびに大量の検挙者を出す。
 これら選挙違反で捕まった会員には、以前は「功労賞」が贈られた。もちろん、裁判費用、弁護士費用は一切、創価学会が負担した。
 一般家庭のおばさん達や訳の分からない青年達が大っぴらに戸別訪問をやるものだから、捕まることも多く、そして捕まると“誰から指示された”と簡単に喋るから班とか支部が丸ごと芋づる式に摘発されることも少なくなかった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p15-6 参照)

 昭和四十年の三重県での選挙違反事件では、多数の逮捕者から“芋づる式”に候補者・小平芳平氏(元参議院議員)まで逮捕されかねない状況だった。
 この時は、竹入義勝氏(当時、公明党都議団長)、和泉覚氏(当時、参議院議員、参議院法務委員長)らが、検察や警察に圧力を掛けまくり、何とか候補者への波及は食い止めた。
 その後、公明党が衆議院に進出し、また、東京都議会でキャスティングボードを握ってからは、警察は創価学会の戸別訪問に対する摘発を手控えるようになった。
 よほど目に余るものは摘発するが、それも、組織の上層へ追及の手が伸びると言うことは全くなくなった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p16-7 参照)

 東京都議会選挙だと、東京都内に家や部屋を確保して、そこに拠点を造り、“土産物”を大量に送りつける。各県から組織的に送り込まれた会員は、その拠点に立ち寄り、“土産物”を受け取ってから戸別訪問に歩き、手土産の品を置いてくるのである。
 戸別訪問の罪だけでなく、立派な買収事件であるが、それが県単位に組織的に行われる。創価学会はまさに“選挙違反組織”であり、公明党は、創価学会あげての選挙違反で維持されている、といっても過言ではない。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p21 参照)



創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(6)

2011-03-03 19:41:44 | 日記
 創価学会執行部は「日顕の死」を朝晩熱心に祈るように創価学会員に強制した。これは創価学会執行部から出されたものであるが、池田大作の鶴の一声であったことは確実である。私は創価学会員の仏壇に「日顕の死」と書かれた祈念の紙が置かれていたとき驚いた。その一家はその罰か、現在、不幸に喘いでいる。現在は元々、熱心だった創価学会の家庭は多くが不幸に喘いでいる。熱心でなかった創価学会の家庭は現在、比較的、幸せである。
 また、祖父または祖母が非常に熱心であれば、孫が病気や事故などで非常に苦しむことになることを幾つも経験してきた。ある男子部員が統合失調症に罹患した。始めは罹患した理由が分からなかった。しかし、祖父が草創期からの熱心な創価学会の信者であり、今も一日三時間の唱題を欠かさないという。祖父の罰が孫に現れたのであった。孫が可愛ければ創価学会を辞め法華講に入るべきである。
 現在、日本の創価学会員の間に池田大作の本性に気付いた人は多数存在するため、池田大作の死後、日本の創価学会の分裂は避けられない状況にあるかもしれない。ただ、池田大作の本性に気付いた人たち(ほとんどが壮年部あるいは男子部)は信仰への情熱を急速に失ってしまい、未活動家の状況に陥ってしまう傾向性がある。「スリープ」と呼ばれる人たちである。私もその一人である。婦人部は信仰熱心で池田大作の悪行に盲目であるため、自身(壮年部あるいは男子部)が創価学会を脱会し法華講に入ると家庭崩壊(子供は普通、女性に取られてしまう)が起こってしまうことを怖れるからである。
 池田大作の本性に気付いた人たちの横の連帯は日本に於いてはインターネット上で密かに行われているに過ぎない。それは少数ずつの連帯であり、韓国のような大規模な組織化が全く成されていない。韓国人と異なり日本人の穏やかな国民性故、日本では反池田大作を公然と行うことが許されない状況下にある故、インターネットが韓国の程には国民に浸透していない故、日本人は信仰心が強くない故、などと思われる。国会乱闘も日本は穏やかであるが、韓国の国会乱闘は凄まじい。
 日本に於いては反池田大作を宣言することは池田大作を神様と仰ぐ狂信的な創価学会員よりの激しい批判・攻撃と家庭崩壊を覚悟しなければならない。家庭崩壊は婦人部の批判力の無さ故である。
 ある老人(男性)が言っていた。「池田先生は天才だから何でも解る。池田先生は仏様である」これを聞いたとき、この老人の救いようのなさに唖然とした。この老人は壮年部の間、支部長として活躍してきた。信仰歴は五十年になる。男性でも五十年信仰してきたにも拘わらず、池田大作の間違いを気付かない人は少数ながら存在する。この老人は学会活動に五十年の年月を捧げてきた。学会活動を優先し仕事は勝手に早めに切り上げたりするため、何度も解雇になり、家族は貧乏のどん底で苦しんできた。
 私は師弟不二が無いと激しく批判されてきたし、そのことで激しく罵倒されることは頻繁にあった。「池田大作と呼吸を一緒にせよ」と指導されてきた。私は二十年以上前より池田大作を神様と仰ぐ創価学会員の傾向性を狂気として間違っていると思ってきた。信仰の師匠であり、神格化することは誤りであると考えてきた。池田大作を神様と仰ぐ傾向性は上級の幹部クラスほど強い。また、池田大作を神様と仰いでいないと創価学会に於ける役職が上の方に行かない傾向性が強いし、池田大作を神様と仰ぐ指導が徹底している。また、池田大作を神様と仰いでいないと本部の職員に成ることは不可能である。「池田大作本仏論」が創価学会内で浸透しきっている。


反乱の序曲
 前回の参議院統一選挙の前、三重県の学会員が連名で「次の参議院選挙のとき、学会員に選挙活動をすると大きな功徳が有ると言って、学会員を唆すことは行わないでもらいたい」という趣旨の意見書を提出した。このように数人でも良い、反池田派が結束して行動を起こすべきだ。
 大分の乱(別称、九州の乱)は次のようなものであった。大分県に創価学会の巨大な墓園を建設するとき、九州創価学会の長が墓園を造る業者から多額の賄賂を貰っていたということで、その墓園の近くの創価学会員が数名でこのことを東京の創価学会会館に提訴に来たが、創価学会からの除名処分を受けただけで、その九州創価学会の長は何の咎めもなかった、そして大分創価学会には福岡より週末ごとに大幹部が大勢でその地方の創価学会員を説得して回ったが、結局、大分のその地方の創価学会員は多数、創価学会より離反してしまった。その九州創価学会の長を批判したのはその地方の大分創価学会の長であり、その人は非常に人望厚く、多数がその大分創価学会の長に付いて行った。詳しくはインターネットより「大分の乱」もしくは「九州の乱」で検索してみると良い。大分は以前の宗門との戦争(第一次?第二次?)のとき、多数が宗門に付き創価学会より去っていったことで有名である。



「財務」は中世の免罪符
 財務に関する事件として「サラ金侵入放火事件」というものがある。これは財務によって生活苦に陥りサラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家・宮島嘉治は返済に窮し借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。しかし、これは氷山の一角である。

 中等部担当となっていたとき、ある優秀な女子中等部員が高校受験に失敗した。確実と見られていた本命および万一のときのための滑り止めの高校にも落ちた。そして彼女は三流高校に進学し、受験失敗の悔しさの果て、スケバンになった。
 何故、二つの高校とも落ちたのか全く信じられなかった。その理由は後になって判明した。
 その理由は彼女の叔父さんが遺産として手に入れた三千万円をそのまま「財務」に献上したということであった。「財務」が年末、合格確実であった二つの高校の試験が翌年の一月と三月にそれぞれ行われた。彼女が間違いなく合格確実であった二つの高校に落ちたのは、叔父さんが三千万円をそのまま「財務」に献上した呪いであったのだ。それを知ったとき私は創価学会の魔性に呆れ果てたことを憶えている。
 創価学会員が確実視されていた学校に落ちることは第二部の終わりに書いたように非常に多くあった。しかし、現世利益を説く創価学会に於いてはそういう話をすることは禁句になっていた。功徳でもないものを功徳と言って持て囃すのがその頃の創価学会であった(特に婦人部)。現在は創価学会の信仰を熱心にすると高校や大学に合格するなどとは言わなくなっている。また創価学会の信仰を熱心にすると病気が治るとも言わなくなっている。現在は、熱心にすると不幸なことが起こるから不熱心に信仰しようと言う壮年部は多い。今までの三十年、四十年の経験から分析して壮年部はそう言うのである。婦人部はしかし、そういうことは言わない。婦人部は分析力が無い。
 私も毎年百万円の財務を十三年間行ってきた。しかし幸せになるどころか、どんどんと行き詰まりへと追い遣られた。そして三年前に創価学会の矛盾にはっきりと気が付いた。遅かった。人生はやり直しが効かない。

 財務の時期になると夫婦喧嘩が絶えないという創価学会の家庭は多い。すべて信仰熱心な婦人部と創価学会(池田大作)に疑いを持った壮年部、男子部との喧嘩である。離婚も創価学会員の家庭には極めて多い。それは財務の時の夫婦喧嘩によるものと考えられる。私は偽りの財務の功徳体験を代筆させられた経験がある。
 例えば「結婚資金として貯めていた二百五十万円を財務に寄付したら、結婚資金は要らないという非常に良い結婚話が持ち上がり、現在は幸せに暮らしている」という内容を代筆したことがある。実際は結婚は悲惨であり、姑に虐げられた日々を送り、離婚(勝手に家を飛び出した)という内容が真実である。
 そして多額の財務をする人は後に生活保護になる人が極めて多い。貯金を全くしていないからである。生活保護の申請に公明党の市会議員が奔走していた。ある公明党の市会議員は「仕事は生活保護の申請がほとんど。市会議員にはなるものではない」と言っていた。
 
 私は広布基金をするためサラ金から金を借り、それが返済不能となり、一家離散になった一家を知っている。それはもう二十五年も前のことになる。借りたのはその家のお母さんだが、サラ金は毎日のように家にいる義理の娘の所へ電話をしてきていた。義理の娘は「気が狂ってしまいそうです!」と言っていた。その家のお母さんとお父さんはサラ金業者から逃げてある処へ身を隠していた。そして毎日、唱題に明け暮れていると聞いた。
 広布基金をすると功徳があるという話を信じてそこのお母さんはサラ金から多額の金を借りてまで広布基金をしたが、商売は却って傾き、利子も返せなくなった。
 あるとき、そこの息子に偶然出会った。「今、どうしている?」と聞くと「嫁さんとも別れ、子供は嫁さんが引き取り、自分は今独り身だ」と言う。「両親は?」と聞くと「何処に行ったか、自分にも解らない。音信不通になっている」と言う。
 これは二十五年前のことであるから財務は未だ始まっていなかったと思う。財務は池田大作の勲章漁りと比例して始まっている。財務が始まる前の出来事である。以前は財務はなく広布基金であった。
 創価学会には財務の直前に行われる会館での偽りの体験発表に騙され多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多い。

『創価学会員です。また財務の時期がやってきました。財務とは年に一回、創価学会に寄付をすることです。この時期になると夫婦喧嘩が絶えない家庭が多くあります。私の一家もその一つです。
 妻の一族が創価学会の狂信者で妻の一族はこの財務に全財産を投げ出すことも平気でします。それを私の家庭で行おうとしているらしいのです。
 妻に銀行の預金通帳を預けたのがいけませんでした。妻はその預金通帳を返しません。もう離婚しようかと考えますが子供がいます。
 財務の直前には創価学会の会館で偽りの体験談が発表され、女性はそれを信じて全財産どころかサラ金に借金してまで財務をしようとします。女性は欲深いものです。体験談通りに自分もなりたいと思うのです。そして偽りの体験談を本当のことと信じ込む欲深さがあります。
 偽りの体験談とは「財務をたくさんしたら幸せになった、病気が治った、夫が新しい給料のとても良い会社に就職することができた、良い縁談が来て今は幸せに暮らしている」などです。すべて偽りです。でも女性は欲深くそれを信じてしまいます。女性は仏法では「女人成仏し難し」と言われているように欲が深く仏になることができないのです。
 これは一つの大きな社会問題です。どうか国会で取り上げて池田大作の悪を追求していただきたいです。サラ金に追われ一家離散になった家庭も多くあります。サラ金まで手を出さなくとも貯金を全て財務し貧乏のどん底で苦しんでいる家庭は多くあります。
 財務を多くする家庭は子供を大学へ遣ることができません。財務を多くする家庭は子供が合格確実と言われていても中学・高校へ落ちます。財務を多くする家庭はいつも貧しい食事しかできません。財務を多くする家庭はボロで狭い家にしか住めません。財務を多くする家庭は常に喧嘩が絶えません。財務を多くする家庭は不思議にもガンになります。財務を多くする家庭は不思議にも精神的な病(うつ病や統合失調症など)になります。財務を多くする家庭は何故か生活保護になることが多いです。これは一つの大きな社会問題です。
 お願いします。匿名で失礼します。お願いします。』

『私は創価学会員です。今年も強制的に財務(寄付)させられます。昨年も創価学会員のなかから町内で二件夜逃げしました。何とか取材して下さい。これは社会問題です。いろんな悪徳商法がありますが、それ以上です。創価学会の会館に集めて幹部が「私は三桁から四桁(百万から一千万)する。皆さんもできる限り多くして下さい。これは池田会長からの伝言です。私は家を売ってでもしたいんです。」と言います。必ず福運が付くと言いきります。助けて下さい。この時期になると夫婦喧嘩が絶えません。この時期になると顔見知りの幹部が夜遅くまで強要してきます。三桁出しますと言うまで帰りません。三桁出したら子供に服を買ってやるどころか授業料も出せなくなります。私たち創価学会員を助けて下さい。』

 平成元年の財務の直前、京都の学会員から一通の手紙が当時、原島嵩氏が勤めていた継命新聞社に届いた。それをそのまま記す。
『助けてください。私は創価学会の会員です。今年も強制的に寄付させられるのです。今年も学会員の中から町内で二件は夜逃げして何処かへ引っ越してゆきました。何とか取材して助けてください。これは社会問題です。豊田商事とか悪徳商法がありますが、もっともっと酷いやり方です。内容は、たびたび会合に集めて催眠療法でかき立て、幹部は「私は三桁から四桁(百万から一千万)する、皆さんも出来る限り、多くしてください。私は家を売ってでもしたいんです」と言ってかき立てます。いま一銭もなくなっても必ず福運が付くと言い切ります。助けてください。この時期になると夫婦ゲンカが耐えません。寄付金を出さないと、断り切れない顔見知りの幹部が夜遅くまで強要します。「はい、出します」と言うまで帰りません。なんとか創価学会員を助けてください』
 創価学会幼児に至まで広布部員(財務を出す人)にします。まず大口(百万円以上出す人)をどれだけ拡大するか、次に一口(一口は一万円)を二口、三口にする戦い。第三に、新規申込者を徹底して推進します。
 ……そのため一部の会員は、サラ金に手を出して金を捻出します。驚いたことに、東京・大田区の婦人部の活動ノートには、あるサラ金業者からは借りてはいけないとの注意事項まで載っています。ということは、サラ金から借りて財務に応ずることは当たり前になっていルことを示しています。兵庫県尼崎市の民主商工会に置かれた「阪神サラ金被害者の会」の相談コーナーには月に五十件から六十件ものサラ金被害の相談が持ち込まれていますが、なんと、相談者の六割を創価学会員が占めていたとのことです。
 そのため、金策をめぐる犯罪、サラ金による自殺、夜逃げが頻発しています。学会本部では「最近、新聞などで話題になっているサラ金の問題についても、借り易いので利用する人も多いが、家庭の崩壊などの悲劇を招いては、断じてならない」(昭和五十八年六月、本部幹部会、森田一哉理事長談話)などとしていますが、結局は問題が学会上層部に波及しないように、あらかじめ会員へ責任転嫁しているにすぎません。実際には池田のゴリ押しの金集めが幾多の家庭崩壊を招いているのであって、この談話もかえって、いかに多くの会員がサラ金地獄に陥っているかを証明しているようなものです。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p141-3)
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p168-70)

 そして有名なものとして、死期間近な病人から「今、御供養金を出せば病気が治る」と言い、貯金通帳から多額の現金を勝手に引き出した事例が複数、報告されている。

 私が以前居た地区には一人暮らしの老人を折伏のターゲットにしている熱心な男子部員が居た。一人暮らしの老人は寂しい。親しくなり、入会、本尊流布までもってゆく。しかし、年老いているため亡くなることが多かった。そのとき遺族との間でもめ事が起こることが良くあった。その、もめ事の仔細は知らない。ただ、遺族に全く連絡が取れなかったり、連絡が取れても遺族が完全に捨ててしまって来ようとしないケースもあった。そういう場合、葬式をどうするか、献体として大学病院に納めるか、いろいろと問題があった。

 創価学会本部では鉛筆一本でさえ池田大作のものという誓約書を創価学会本部職員全員に書かされている。これは池田大作が誰をも信じることができない病的性格のためである。「誰をも信じることができない」つまり池田大作は妄想性パーソナリティ障害なのである。

 「財務」こそ創価学会のアキレス腱である。しかし現在、創価学会はその極めて豊富な資金源によりマスコミ界などに大きな力を持っている。国会で取り上げて「財務」を中止させることである。このままでは創価学会による日本占領が現実のものとなる。
 「財務」による創価学会員の悲惨な現況は大きな社会問題である。上記のような「財務」の明らさまな強制は決して少ない割合ではない。「財務」直前の創価学会会館での偽りの体験談の発表は日本全国で盛んに行われている。偽りと解らずに多額の「財務」をする創価学会員は多い。そして現世利益を呼び台にする創価学会の理論、創価学会が勝手に造り上げた教義解釈が会員の心に脅迫してくる。人の良い人が多い創価学会員はそして多額の「財務」をする。貯金が無くなるまで。サラ金から金を借りてまで。東京の婦人部に出回っていた指示書には、どのサラ金業者から借りること、および借りてはいけないサラ金業者の名前が書いてある。
 それ故の創価学会員の生活保護の多さであり、日本の福祉を食い物にしていると言っても良い。「財務」により人生を棒に振ってしまった創価学会員は多い。
 これは宗教を利用した詐欺であり、詐欺罪で創価学会を訴追するべきである。「財務」は中世の免罪符である。宗教の仮面を借りた詐欺である。中世の免罪符が現在に復活したものである。現在の免罪符とでも言うべき「財務」を中止させるべきである。
 すべて池田大作の命令、池田大作の野心、池田大作の欲望である。善良な会員から金を巻き上げ、笑っている池田大作の醜い姿が見えてくるようだ。

 ここに「水滸会記録」という創価学会の秘伝書とも言うべきものがある。これは戸田城聖氏の時代に行われた上級幹部に対する特別会合、秘密会合とも言うべき会合の記録である。これは池田大作が奥に秘めていたものであるが、原島嵩氏が造反の時に秘密裏に持ち出したコピーである。
 池田大作が誰にも見せようとしなかった秘伝書である。
 速記の記録がないため、後に参加者が集まって、記憶を頼りながら記されたものである。それを読むと、池田大作による着色がかなりされてあるそうであるが、創価学会の今日の行動の指針が記されている。一時は出版も考えられたそうであるが(それ故に後になって参加者が集まり記憶を頼りに編纂された)池田大作が学会本部奥に隠し出版はされなかった。
 原島嵩氏、山崎正友氏という元中枢の中枢が造反しなかったら、葬り去られていた記録である。
 それには次のような記載が見られる。「昔の武器は刀、現在の武器は財力」と。
 これ故の「財務」である。創価学会員はそれ故に池田大作からただ利用されているだけなのである。財力で日本を乗っ取る理論的根拠が「水滸会記録」に記されている。
 創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。そのことに早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。
 創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。
 創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。
「昔の武器は刀であったが、現在の武器は金力(財力)である。昔の兵力に相当するものは金力である」
 これは戸田城聖氏が語ったこととされるが、実際は池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたものである。本物の「水滸会記録」は消失しているか、何処かの金庫の中に眠っている。原島嵩元教学部長が創価学会本部より持ち出したのは本物の「水滸会記録」のコピーではない。池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたもののコピーである。このことは原島嵩元教学部長自身が書いていることである。


「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
 これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。

母子無理心中事件――――横浜市で昭和五十七年に起こった母親が娘を絞殺後、自らも首を吊って死亡した事件は、夫が「広布基金」の重要性を理解しないため「広布基金」ができないことを苦にしての悲劇だった。

夫放火による母子焼死事件――――――昭和六十四年、茨城県鹿嶋市で夫が自宅に放火。妻子が焼死したが事件の遠因は、有り金すべて「財務」に寄付する妻に抗しきれず、人生に絶望して放火したと供述している。

妻刺傷、焼身無理心中未遂事件――――学会活動にのめり込むだけでなく、貯金をすべて「財務」に差し出す妻に腹を立てた夫が、妻を刺し殺し、自らも焼身自殺を図ろうとしたが、殺しきれず、死にきれなかった。

平成元年五月、千葉県船橋市のの熱心な創価学会員・00綾子さんと長男の00君が同じく創価学会員である夫の000に殺された。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていた。動機は生活苦であった。「財務」ゆえに貯金が全くなかったのである。
 バラバラにした死体が聖教新聞にくるまれてシキミとともに長野県の山中に捨てられていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。なぜ、いたいけな幼児が虐殺されなければならなかったのか。また、なぜ、その母親が無惨にも切り刻まれなければならなかったのか、酷い、胸の痛む事件であった。
 夫人の綾子さんは「財務」になると貯金をすべて「財務」していた。これに夫の000が怒ったのである。毎日、重労働で働いてきた金を「財務」し、一年中、お金が足りないと夫婦喧嘩していた。サラ金から借りることもあった。

恐喝未遂事件――――平成五年十二月九日、静岡県清水署は創価学会副本部長の00000を恐喝未遂で逮捕した。同じ清水市に住む男性の“女性関係”に因縁を付け、現金数十万円を脅し取ろうとしたが00さんが警察に届けたため未遂に終わった。副本部長という役職にふさわしい額の“広布基金”を納める金が欲しかった」ということ。

 そのほかにもたくさんある。
 「財務」による事件として以下のことも知られている。しかし、これもごく一部である。
 昭和五十八年四月二十二日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇七個のうち四個までが鶴丸付きの創価学会員のものであることが報じられている。同様に、同年九月二日号の「アサヒグラフ」の特集「サラ金地獄“蒸発”の現場」写真の大半にも鶴丸付きの経本や仏具が写っている。多くの創価学会員がサラ金苦に陥り「夜逃げ」や「家庭崩壊」を招いているかの証拠になろう。
 000二郎愛知県議・借金夜逃げ事件
 鹿児島県・徳之島ゾーン指導長・サラ金四千万円借金夜逃げ事件
 「旭川一の功徳をもらった」と公言していた支部指導長夫妻・経営苦心中事件
 佐賀市西村市議妻女・借金苦飛び降り事件
 聖教新聞販売主・経営苦自殺事件
 婦人部地区部長・千七百三十万円詐欺・窃盗事件
 壮年部支部長(郵便局長)郵便貯金詐欺事件
 男子部ゾーン長・銀行強盗事件
 その他、書ききれない。これらを池田大作はどう考えているのか知りたい。自分だけ豪奢な生活ができたら良いのか?

山崎正友氏は更に書いている。

   「広布基金」も不動産漁りやノーベル賞工作にばらまかれている

 ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤスが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金を呼びかけたのである。中身は「池田先生の世界広布には金が掛かる。だから金を出せ、というのです。出せ、出せ。三桁、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学会は「広布基金」と称する金集めに必死である。
 創価学会の金集めは、宗教上の布施や供養のレベルをはるかに逸脱している。嘘だらけの功徳話やコントなどで会員を騙し、集団催眠にかけ、煽り、上げ句の果ては脅迫まがいのノルマの強要を行う。“宗教団体”という肩書きがなかったら、豊田商事などと何ら変わるところのない、あくどくあこぎなものである。そうした金集めの陰に、夜逃げや倒産、犯罪行為に走る者など悲惨な道を巡る会員も少なくない。創価学会員の事件の多さは、私共の統計上も裏付けられている。私が二年あまり暮らしたところ(刑務所)にも数人に一人の割合で創価学会員がいた。金集めの号令は、まず池田大作から発せられる。そして、巧妙争いに支配された各地域の責任者の猛烈な煽りが始まる。何しろ、めざましい集金額を達成した幹部には出世と名誉が与えられ、そうでない者には池田大作の叱責と酷い仕打ちが待っているのである。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994、p134-5)


    金を集めないという嘘
 池田大作はつねづね「口巧く、天才でなければならない。口八丁、手八丁でゆけ」と私たちに指導していました。
 この「口八丁」の天才が池田大作です。
 かつて創価学会が急成長を遂げていた頃、他宗の信者を折伏し、入信させるときのうたい文句が「金のかからない宗教」でした。
 たしかに、日蓮正宗の寺院で御授戒を受け御本尊を御下付いただく際に、応分の御供養と数百円の数珠・お経本だけで、そのほかは寺院に賽銭箱がある訳ではなく、学会に寄付や会費を取られるということもありませんでした。
 戸田二代会長はつねづね「宗教で金儲けしようとするインチキ宗教どもを退治しようというのが私の根本精神」と語って、他教団の金権体質を攻撃することを、布教の最大の武器としてきました。
 その方式は池田にも受け継がれ、昭和三十年代はしばしば他宗を次のように批判しました。
「今までの宗教はぜんぶ企業であります。法盗人、法を盗んで、そして信者を奴隷の如く扱い、金儲け専門であります。だから邪宗というのです」(聖教新聞:昭和38年8月17日、北陸総支部幹部会)
「邪宗教はあくまで金儲けのための信心であります。金儲けのための企業が邪宗教であります。それに反して、日蓮正宗の信心は、私どもは誰人からも一銭も貰わず、――中略――人を救っているのが創価学会なのであります」(聖教新聞:昭和36年4月8日)
「邪宗などは、みんな巧いことを言って金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人が救えるならば許せるけれども、ぜんぶ地獄に堕ち、民衆は教祖に騙されて、そして教祖は立派な家ばかり作り、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これは邪宗教の姿です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(聖教新聞:昭和37年6月16日)
 このように「他教団=金権腐敗」、「学会=清廉、無報酬の奉仕」というイメージを繰り返しアピールしてきたのです。そして、
「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはありません」(聖教新聞:昭和37年6月9日、中部本部地区部長会)
と語ってきたのです。
 ところが、いまでは毎年一千数百億円とも二千億円とも言われる財務集めが年中行事化し、自殺者まで出すような始末です。池田はこの一点だけでも、宗教者としての罪、万死に値するものがありましょう。
「一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。
 一、現在もっている預貯金全部出すのは当たり前だ。それにどれほど上乗せするかが信心の戦いだ。
 一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。
 一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ」(故福島源次郎氏『誠諫之書』)
「永久に会員から寄付を取らない」と言っていたことは、今日、その嘘が青天白日の元にさらされています。かつて池田が攻撃した邪宗教の姿が、現在の創価学会そのものです。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p234-7)


     大きな建物を造らないという嘘
 また、池田はかつて「学会は大きな建物は造らない」と言明していました。
「学会は大きな戦艦のような建物は造らないよ。全国の小さな会館が飛行機の役目をするのだ」(「前進」:昭和40年8月)
「この建物は小さいけれども、我々の拠点であります。私どもは喜んで小さな拠点を造っている訳なのです。他の教団などに於いては、すぐに信者から金を搾り取って、虚栄のため、商売のため、宗教企業のために大きな殿堂を造ります。私どもの会館建設に当たっては、会員の皆さんの負担とせず、新聞や雑誌の利潤を少しづつでも蓄積して造っていることを知っていただきたいのでございます。創価学会は形式的な大きな建物を、将来も排除していきます」(聖教新聞:昭和39年9月15日)
「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖が懐に入れて、さも立派そうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部を造って、東京進出のビルを造るとか、そんなことばかりやっている。悪い連中ですよ。
 実際、宗教に無知な人が多いですから、みんなに騙されて、金を取られている。それで教団の勢力を張っている訳です。
 私はこれから本部を造る。それからいろいろと東京や関西にも本部を造って、第一本部、第二本部と造ってきておりますし、これからも準備もしておりますけれども、一切、皆さん方から永久に一銭も取らない、これが私の精神です」(聖教新聞:昭和37年4月16日、埼玉総支部地区部長会)
 こう約束し、会館建設に当たっても永久に寄付集めをしないと繰り返し公言していました。これが大嘘であったことは記すまでもありません。池田自身『週刊朝日』のインタビューに答えて、
「特別財務というのはね、各地の会館や研修道場などの総合整備計画に合わせて、その趣旨を会員にもご理解いただいて拠点をお願いしたものなんです。昭和49年から52年までの4年でーー中略ーー合計六百数十億円になったと思います。――中略――それに特別財務の状況や会館整備の進み具合などは各県ごとにきちんと報告しています」(昭和56年4月10日号)
と述べています。会計報告のくだりはともかく、会館建築を名目として、当時、秘かに六百数十億円もの金を集めていたことを認めているのです。
 昭和50年6月16日、本部中央会議を開いたときにも、
「会館建設のため各地域で特別財務をやっているが、みんなもやった方が良い。自分の功徳になるし、仏法のためにお金を使った方が裕福になる。自分の体験からも言える。心良く御供養するよう指導したことにも功徳がある」(内部文書)などと「供養」の名のもとに金集めを煽っているのだから、あきれた話です。こうした虚言は、こればかりではありません。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p237-9)

   事業に手を出さないという嘘
 かつては、
「班長さん、地区部長さんの中には、ずいぶん利口な幹部もおりまして、学会もこれだけ大きくなったのだから、やれ、ああいうバス会社を造ったら良いではないか。ああいう印刷工場を造ったら良いではないかと、いろいろなことを言ってくる人がいるのです。――中略――そういうように言ってくること自身、その人に信心がないし、学会利用の根性があるのです。我々も普通の人間です。いろいろなことは良く知っております。しかし、そういうことは全部厳禁して、あくまで世界でただ一つ信心根本に純粋のなかの純粋で、一切衆生を幸福にしようというのが、代々の会長の精神ではありませんか。――中略――悪い不純なことに対しては、いっさい戦っていく決心でありますから、一緒に協力してくださいね」(聖教新聞:昭和38年1月27日、関西第二・三本部結成式)
などと庶民の味方を気取り、さも金銭には無縁で、純粋な宗教運動を目指しているかのように装ってきました。
 これも今では信濃町周辺を中心に、全国に書店、レストラン、寿司屋、パーマ屋、葬儀、結婚式場、中華料理、運送、保険、金融、旅行、バス会社、墓苑、建築、電気製品販売、マスメディア等多くの事業を展開しています。そして、お雇い社長連中を集めては「ユダヤ人は金を握っている。実業家になったんだからうんと金持ちになることだ」(昭和47年6月15日、社長会)などと親分よろしくハッパをかけています。
 また大学の建設にも「寄付など一銭も受けませんことをご承知していて下さい」(聖教新聞:昭和41年5月3日、本部総会)と言いながら、創価大学建設に当たっても、影の会長と言われた中西治雄などを使って学会員から約十億の寄付を集めています。
  (池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p239-41)


  墓苑を経営しないという嘘
 さらに墓苑事業についても、
「本当のことをいえば墓地なんか全部、日蓮正宗でやってもらいたいです。しかし日蓮正宗はご存知の通り貧乏です。創価学会を代表して、私は御法主上人猊下に全部御供養申し上げております。創価学会としては、そういう墓地の問題になんか絶対に手をつけません。全てお寺の問題であります。本山のことであり、宗門のことでありますから、その点は、はっきりしていって、全部御供養してございます」(聖教新聞:昭和38年4月2日、高尾墓園完成式)
と、宗門に忠実で、さも純真な信徒ぶってはみましたが、学会は現在八つの巨大墓園を経営し、売上一千数百億円を誇っています。何が「創価学会としては、そういう墓地の経営なんか絶対手をつけません」でしょうか。この事実からも、池田の言葉が虚言であったことが証明されます。
  (池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p241-2)


  政界の浄化が目的という嘘
 池田の虚言はこうした金銭面だけでなく、政治面にも露呈しています。
「わが創価学会は、他宗派の如く、企業でもなく、ただ、勢力の拡大を目的とするものでもない。また、決して政権を考えているものではない」(大白蓮華:昭和36年6月)
 かつて、このように公言した池田が、突然、前言を翻し、
「公明党政治連盟をば、皆さんの賛成があるならば、王仏冥合の達成のために、また時代の要求、民衆の要望に応えて、政党にするも良し、衆議院に出すも良し、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定いたします」(昭和39年5月3日、本部総会)
といって、衆院進出を図ったのは有名な話です。
 池田は公明党結成時に、
「政界を浄化するのが役割の公明党に、将来、もしも万一、派閥が生じたり、汚職議員がでたりすれば、直ちに党を解散させる。国民の皆様にそうお誓い申し上げます」
「公明党は反自民・反権力・反大資本・自民党連合はあり得ず」
などと大見得を切り、政界浄化と革新のポーズを装いましたが、その後の公明党はどうだったでしょうか。汚職議員は続出し、右往左往の路線変更、結局、今では自民党と組み、創価学会が政権を陰で動かす現状ではないでしょうか。いまの公明党は、その結党当時の精神に照らし、もはや解党すべきであると思います。
 今日まで取ってきた公明党の右往左往の路線変更は、ほとんど池田の党私物化に起因するのであり、とくに池田大作の国会喚問が公明党変節のキーワードです。言論問題、民社党「質問趣意書」、糾す会国会請願、大橋問題など、国会喚問が話題に上るたびに公明党は振り回され続け、なりふり構わず池田を守るため犠牲を払ってきたのです。
 先の衆議院総選挙で、公明党は四十二議席から三十一議席に激減しました。これは自民党との選挙協力が巧く行かなかったことにも原因がありますが、何よりも創価学会=公明党の力が弱まったことに由来しています。そうは言っても油断は禁物です。自民党も勢力を激減し、ますます公明党の助けを得なければ成らなくなっているからです。それにしても、自民党が大幅に勢力を減退させたのは、公明党と組んだからであり、公明党の助けを借りれば借りるほど、ますますその傾向は顕著になっていくでしょう。いまの公明党は、国民の大多数から信用できない政党とされているからです。
 それにしても、池田の虚言癖の症例は枚挙にいとまがありません。政教分離にしても、
「創価学会と公明党は同体異名の団体であります。永久に創価学会と公明党は一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」(昭和40年7月、青年部最高幹部会)
「創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくという原則を、更に貫いていきたいのであります。――中略――学会員個人個人の政党の支持は従来通り自由であります。――中略――政党支持に就いては会員の自由意志に全く干渉するものではない」(昭和45年5月3日、本部総会)
「竹入に今まで以上に王仏冥合政教一致で行け、と言おうか」(昭和45年5月5日、「社長会記録」)
「政教一致――大きなお世話。不仲説――誰が言ったか。親として自分の手製の党、心配するのは当たり前」(昭和50年7月8日、婦人部長研修会)
「政教一致は間違いです」(朝日新聞:昭和60年19月30日夕刊)などと、時と相手によって言うことがコロコロ変わるのが分かります。いま、学会員の中で、政党支持の自由があると思っている人は一人もいないでしょう。まったく池田は、数限りない虚言を持って、学会員を騙し、世間を騙し続けてきたのです。その挙げ句「ともかく私は、会員を政争の道具にしてはならない、と思っている」(読売新聞:昭和50年7月3日)などと述べていますが、いったい誰が公明党を作り、会員の政党支持を束縛し、組織票を状況次第で右へ左へ売りつけているのでしょうか。池田が政治的野心を捨てない限り、会員は政争の道具と成らざるを得ません。
 池田の得意技は、煽てたり、餌をちらつかせるラブコール戦法にあります。これには、政治家、財界人、文化人、マスコミ等が、ほとんど手もなくやられてきました。宮本顕治氏もその一人です。池田は、大森実氏との対談で、
「十数年前から『この人(宮本氏)は屈指の指導者になるな』と思っておりました。――中略――現在の指導者で右に出るものはないでしょう」「私は一貫して共産党の言うことを理解しておりました……未来に於いて協調すべきだし、それしかないのです」(週刊現代:昭和48年4月12日)
と述べて、宮本氏をおだて、これによって創共協定が結ばれたと言われています。昭和45年、創価学会は組織ぐるみで宮本宅の電話を盗聴し、その一方で友好的に接近し一杯くわしたのです。
 また池田は、昭和45年の言論妨害事件直後、当時の西村栄一民社党委員長に財界有力者を通じて「公明党を丸ごと受け取ってくれ」と心にもないことを働きかけました。
 昭和56年にも同じような手を使っています。北条前会長の通夜の晩、池田にこっそり会った民社党の佐々木良作元委員長は「『佐々木先生には今後、特別いろいろお世話にならんと思います。政権も担当して貰わなきゃ成らん筋になります』とささやかれた。『どきっ』とする話しぶりだった」(朝日新聞:昭和63年10月「一日生涯」)と証言しています。
 社会党の江田三郎氏はもっと悲劇でした。池田は、矢野らによって提唱された革新再編成の旗印のもと「公明党の看板はなくなってもいい」(昭和51年5月17日)と、公明党を解党して社公民新党を結成すると空手形をちらつかせ、江田氏を迎える構想で乗せたのです。その上で、翌年三月、党内から批判を浴びていた江田氏に離党を迫るとともに、マスコミにリークして、離党せざるを得ない状況にしたと言われます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p242-7)

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(第2章終了)

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(5)

2011-03-03 19:40:13 | 日記
 第2章 大魔王
大魔王:池田大作
 池田大作が戸田城聖氏の金融事業に於いて超人的な働きをし、給料が歩合制なため当時の平均給与の百倍近くを得ており、その金で女子部員の肉体を貪り、大幹部を高級料亭でもてなし自分の味方につけたと山崎正友氏(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)は書かれている。 
 借金の取り立てが暴力団仕込みで非情極まりなかったとも言われているが、お金のある学会員の家を当てるのが神憑り的であったことは複数の証言がある。これは霊能力で間違いないと思われる。それにより戸田城聖氏の事業を倒産直前から奇跡的に復興させ、それらが第三代会長になる大きな布石に繋がったと言われる。
 心霊手術を行うことの出来る霊能力者は不幸な人のために自らの命を投げ打って献身的に奉仕しないといけないこと、そのため心霊手術を行うことのできる霊能力を授かった人は極めて厳しい信念を持って生きなければならないこと、霊能力を私利私欲のために使って酒池肉林の生活をすると狂い死にすること、そしてフィリピンやブラジルなどの心霊手術を行う霊能力者は最後は煩悩に負け私利私欲に走ってしまい狂い死にする人がほとんどであると言われる。
 これは心霊手術ではないが心霊治療が非常に盛んで現代医学にも組み込まれているイギリスでも同様なことが言われている。イギリスの心霊治療家は報酬を全く取らないことで有名である。
 日本では心霊手術ではないが異言を唱えることが出来た、また多数の心霊的著書を書かれた高橋信次は非常に清廉潔白な人格者であったことで間違いないが、最後はエボラ出血熱に極めて似た現代医学的に説明不可能な病態で悲惨な最期を遂げた。非常に清廉潔白な人格者であった高橋信次でさえ悲惨な最期を遂げた。高橋信次は信仰活動に必要なお金は全て自己負担であった。信者からお布施をもらうことは決してなかった。
 池田大作は現在(11月6日2010年)5ヶ月間、同時放送に出席していなく安否が気遣われているが、重度の統合失調症様状態に陥り普通の病院では管理不可能で、精神科閉鎖病棟の保護室にいる可能性は高い。霊能力者が私利私欲に走り酒池肉林の生活を行うと、その罪で狂い死にすることは歴史的に証明されているからだ。
 伊勢白山道の教祖は「池田大作にはすでに地獄から赤い山車が迎えに来ている」と言われている。
 

魔性の本尊
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
 学会が偽造本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺十六代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という添え書きが入っている。創価学会は、この授与書きを勝手に抹消し、幾つかの字を変造し、破門され御本尊が手に入らなくなった平成五年より多くの会員に配布し始めた。それもカレンダーのような一枚のコピーのようなご本尊であり、制作費は一体百五十円と言われる。
 日顕上人の御本尊と学会が造った偽御本尊とが取り替えられ、日顕上人の御本尊は焼却処分となった。その数は夥しい。阪神大震災は地震は起こらないとされていた地方に起こったが、なかでも被害が酷かった地域は創価学会の非常に盛んな地域であった。阪神大震災は日顕上人の御本尊を多数、焼却処分した大罪故とも言われる。大量に焼却処分した翌日に阪神大震災は起こっている。阪神大震災において創価学会員の功徳の体験談は存在しない。
 学会製の御本尊には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となる。
 御本尊が学会製のものになってから歓喜がほとんど感じられなくなったと思うのは自分だけではないと思う。昔の御本尊には凄い力があった。ところが御本尊が学会製のものになってから力がほとんど感じられない。生きている一瞬一瞬が歓喜となるという歓喜が今はほとんど感じられなくなってしまった。現在も、学会製のものではない昔の御本尊に祈ると凄い歓喜が湧いてくる(自分は実家に行くと日達上人の御本尊がある)。創価学会は再び日蓮正宗の門下になるべきである。もはや創価学会では成仏はできない。「学会製の御本尊に祈ると地獄に堕ちる」。これは日蓮正宗が熱心に主張していることである。
 次のような投書を読んだことがある。それを要約すると次のようになる。
『自分の場合は学会製の御本尊に祈り始めた平成五年の頃、金縛りに毎夜のように会っていました。ちょうど学会製の御本尊に交換した夜からです。でも、その頃、純粋だった自分は、ひたすら信じ抜いていました。金縛りは毎夜、一ヶ月ぐらいは続いたでしょう。でも、自分は、疑いませんでした。題目を唱えつつ金縛りに耐えました。金縛りが終わった頃から“うつ病”が始まり十年間苦しみました。その頃は学会のVOICE がありましたから良く投稿していました。また、その頃は、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページが幾つもあって、いろいろとお互いに相談していました。でも、あまりにも創価学会員の“うつ病”が多いのを知られるのを怖れ、VOICEは「やった。できました。」という投稿しか載せなくなりましたし、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページは強制的に閉鎖されてゆきました。』
『私の場合は学会製の御本尊に交換した深夜、ヘビが仏壇の部屋を這い回っていました。怖ろしかった。』
 そして学会製の御本尊に祈って病気が治ったということは見聞きしない。学会製の御本尊には、そういう力が存在しないのである。病気が治るどころか、病気が重篤化する。
 そして御本尊が“魔”の御本尊に代わってから創価学会に入った人は「歓喜」を経験していない。それ故に勤行唱題を短くしか行わないのであろう。また、以前からの創価学会員も御本尊が“魔”の御本尊に替わってからは勤行唱題を短時間しか行わなくなっている人が大部分である。やはり歓喜がほとんど湧かないようになったことが大きく影響していると思われる。
 創価学会に居続けると謗法の罪により地獄に堕ちる。早く宗門(法華講)に入るべきである。宗門と創価学会とどちらが正しいかは常識的に考えれば解ることである。解らないならば創価学会批判の本を幾冊も読むことである。特に原島嵩氏、山崎正友氏、矢野絢也氏の書いたものが良い。
 学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。そして悪い現象が起こる。学会製の御本尊に祈っても病気は治らない。却って病気は重篤化する。家庭崩壊が起こらないならば早く法華講へ入るべきである。正信会は代々法主の血脈を否定しているから良くない(創価学会よりかなり良いであろうが)。大聖人以来の血脈を受け継いでいるのは法華講である。故に法華講に入るべきである。幸せになろう、病気を治そう、と思うなら法華講に入るべきである。創価学会はあまりにも汚れきってしまっている。池田大作が亡くなっても独自路線を貫くであろう。宗門との和解は行わないと思われる。完全な謗法団体そして新興宗教そして政治結社である。創価学会は金集め集団、そして選挙団体に変身してしまったのである。

 以前は勤行唱題すると悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、次の日には元気一杯に学校へ行っていた。しかし、平成五年、学会製の御本尊に替わってからは、勤行唱題してもそうはならなくなった。喜びが湧かない。どんなに勤行唱題しても焦燥感が消えない。それどころか焦燥感は強くなる。
 以前は勤行唱題すると心はゆったりとなっていた。悲しみ苦しみ悔しさを忘れていた。実家に行き、日達上人の御本尊に祈ると以前のように悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、心はゆったりとなり焦燥感は消える。
 日達上人の御本尊に祈ると自然と短時間で「南無―――は歓喜の中の大歓喜なり」の御文のようになる。しかし学会製の御本尊にどんなに祈ってもそうはならない。却って、焦燥感に包まれてしまう。
 何故なのか? それに気付くまで時間が掛かった。平成五年から創価学会員に配布され始めた学会製の御本尊は“魔”であったのである。インターネットをよく調べてようやく解った。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であったのである。
 自分は池田大作の間違いには早く気付いていた。しかし“魔”の御本尊のことに気付くのが遅れた。自分は比較的軽症であったがうつ病性障害で合計五年程(五回再燃した。最初が三年間、五回を合計して五年であり、罹病期間は十年に亘る)苦しんだ。何故、自分がうつ病性障害に罹らなければならなかったのかと考えていた。それは“魔”の御本尊を拝んでいたからであると後になって気付いた。遅かった。
 日達上人の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳は無い。まして何よりも「ニセ本尊」を造るほどの謗法団体になった創価学会に所属していては絶対に功徳は無い。却って拝むほどに罪業を積み重ねることになる。
 今は東天に向かって遙拝勤行をしている。“魔”の御本尊には決して祈らない。すると奇妙なほど起こっていた悪い偶然は起こらなくなっている。
 試しに学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしたら解る。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をするともの凄い歓喜が湧く。しかし学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしても歓喜も何も湧かない。私は行き詰まったとき学会製の御本尊に向かって十四時間唱題をしたが何も湧かなかった。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をすると「怖いものが無くなる」「どうにでもなれという心境になる」「解決策が見つかる」「歓喜が二、三日は続く」が普通であったが、学会製の御本尊に十時間唱題をしても歓喜が湧かない。ただ、焦燥感が湧く。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であるからである。
 “魔”の御本尊に変わった現在、創価学会の拡大は不可能となった。創価学会は衰退の道しか残されてはいない。
 再び、総本山の一信徒団体として総本山より御本尊を下付されなければ会員に不幸な現象が続いて起こる。再び、総本山の一信徒団体となることである。池田大作は決して再び、総本山の一信徒団体となることは許さないであろう。また、宗門も池田大作が未だ権力を握っている創価学会を一信徒団体として戻すことはしない。早く池田大作が亡くなることである。池田大作が早く亡くなり、側近が英断をふるうことである。
 

創価学会の仏法違背
 創価学会の仏法違背は牧口会長時代から存在した。牧口会長は「私は一宗が滅ぶのを悲しむのではない。日本国が滅びるのを悲しむのだ」と言っていたが、日蓮正宗が滅んだら(日蓮大聖人の仏法が滅んだら)、人類の未来は真っ暗になる。牧口会長の頃から宗門軽視の姿勢が創価学会に有った。そして牧口会長は戦争に反対したから投獄されたのではない。牧口会長は自宗での戦勝祈願を激しく強要されていた。神札を受け取ることを拒否したために投獄されたのである。創価教育学会の戦争賛美は激しかった。
 池田大作の時代になると宗門軽視の姿勢はあまりにも激し過ぎ、すでに昭和四十年代中頃から「宗門支配か独立か」の考えが創価学会中枢部にはあった。牧口会長、戸田会長までは創価学会の仏法違背は軽かったが池田大作に於いては余りにも激しく狂気に近い。日達上人は創価学会員の幸せのため池田大作の横暴を寛大に許し続けておられた。
 例えば、昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場に於いて池田大作は時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を信徒が大勢いる中で罵声を浴びせた事件には池田大作の救いようのない慢心、増上慢が見られる。ここまで来ると池田大作は大仏敵であり堕地獄間違いなしと思われる。「堕地獄間違いない人には生前には罰の現象が現れない」という仏典の一節がある。この頃からすでに創価学会は大謗法になっていた。
 平成二年には宗門蔑恕、宗門からの独立のスピーチを行い始めたが、これは昭和五十年頃からすでに池田大作により計画されていたことである。
 また『一人の人間に於ける偉大な人間革命は一国の人間革命を成し遂げ、やがて全世界の人間革命をも可能にする。』という言葉が昭和四十九年頃に作られた映画「人間革命」の主題であった。思い上がり甚だしいが、この「一人」とは池田大作であることは明白であった。このとき池田大作の魔性にはっきりと気付くべきであったと私は反省している。私はその矛盾に気付きながらも必死で疑いを押し殺す純粋過ぎる少年であった。
「日蓮大聖人の仏法でないものが全世界に広がっても広宣流布ではない」と日達上人は言われた。
 日達上人の慈悲溢れる寛大な処遇を池田大作は有り難くも思わず、宗門への攻撃を強め続け、遂には自ら破門の道を選択した。池田大作は自らの野望のために創価学会員の幸せを奪った。池田大作は自分がトップになりたかった。しかし宗門がそれを阻んでいた。破門の道は創価学会(池田大作)にとっては宗門の束縛から自由になるための解放の道であった。しかし堕地獄への道でもあった。創価学会員は真面目に信仰を続けた人ほど親族また自身が不幸になっている。創価学会員の生活保護所帯の多さからもそれは言える。もともと貧乏人が多かったから生活保護所帯が異常に多いのではない。中流階級と言えた人たちが不幸にも失墜して多く生活保護所帯になっている。「師が地獄へ堕ちるなら弟子も地獄へ付いてゆくのが師弟の道」という間違った師弟の道を池田大作は説いていた。「師が間違っていれば師を諫めるのが本当の師弟の道」である。これは日達上人が諫めたことである。
 現在、創価学会は暴力団以上と世間から非難されている。聖教新聞の読むに耐えない造反者に対する個人攻撃はあまりにも酷く、世界最低の新聞と私は思う。これを友人たちに無理矢理、購入させていた私は今になって非常に反省している。
 現在は創価学会で病気を治すことは不可能になっている。それはちょうど平成五年に創価学会が独自の御本尊を配布始めた頃からだ。日蓮正宗には「血脈相譲」という他宗他派には見られない理論がある。血脈が絶った御本尊には仏の力は存在せず、“魔”の力しか存在しない。“魔”の御本尊に病気治癒を祈ると却って病気が酷くなるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈ると悪いことが起きるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈っていれば人生が下降線に陥るのも当然である。
 実際、“魔”の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。あまり元気になれない。そのためか最近は勤行唱題を長時間行う学会員は非常に少なくなってきている。以前、日達上人の御本尊に勤行唱題していたときは心も体も軽くなっていた。“魔”の御本尊ではそういうことは起こらない。
 “魔”の御本尊に勤行するとリストカットをしてしまう男子部地区部長がいる。不可抗力でリストカットをしてしまうそうである。この男子部地区部長はドクター部の精神科医より勤行厳禁とされている。しかし、信仰熱心であるため、勤行をしてしまうのである。
 “魔”の御本尊の半径二メートル以内では「死ね、死ね」という幻聴が聞こえる婦人部がいる。半径二メートル以外では聞こえない。

『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
 日本には病気などにより一生を台無しにした人たちが無数に居る。池田大作が悪鬼を創価学会に雪崩のように呼び入れたためだ。現在も彼らは病気で苦しんでいる。信仰熱心過ぎる程であった故に病気になってしまった人たちである。池田大作が居なければ、そういう不幸なことは起こらなかったはずだ。
 不慮の事故で亡くなった方たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど不慮の事故で亡くなる。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 事業や商売が倒産して苦渋をなめた人たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど事業や商売が倒産する。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 ガンで亡くなった人たちがあまりにも多い。特に熱心な人ほどガンで亡くなる。例えば創価学会で最も弁が立つと言われていた西口副会長は舌ガンで五十一歳にして亡くなった。原田新会長とともに将来を嘱望されていた野崎副会長も若くしてガンで亡くなった。地方の大幹部もガンで亡くなる人が多い。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 何故、最高幹部たちは池田大作に追従する態度を貫くのか? それは生活のためお金のためであるのか? 裏切り者と非難されるのを怖れるためか?
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』の御文を考えるなら正しいことを主張するべきである。学会の最高幹部という地位にしがみつくのが「世渡り、要領」と考えているのか? 正義感は無いのか? スターリンの恐怖政治のようなものが行われているからか? 池田大作の間違いには気付いているはずである。
 もし、池田大作亡き後、『池田大作礼賛』が行われるならば創価学会は完全な邪宗から立ち直ることはできない。創価学会員は苦しむことになる。
 しかし、『池田大作批判』が公然と聖教新聞上で激しく行われるならば創価学会は蘇生するだろう。そして創価学会員は幸せになれる。
 現在、創価学会本部および聖教新聞社は完全に池田大作に押さえられている。しかし創価学会本部および聖教新聞社の社員が団結して立ち上がるならば『池田大作批判』は起こり得る。
 側近は池田大作の本性を知っているはずである。それとも末端の会員が不幸になろうと、自分たちさえ安穏で良ければ良いという考えなのか? 創価学会本部および聖教新聞社および地方の本部会館職員および外郭団体の給料は良いのである。中堅企業並みと言って良い。造反者が出るたびに給料は良くなっていった。つまり造反者が出ないように給料を良くしているのである。
 創価学会の中枢部は腐敗が甚だしい。金庫事件(ゴミ捨て場に一億七千五百万円という大金の入った金庫が捨てられていた事件。創価学会の金庫番または陰の会長と言われた中西氏が創価学会本部の地下室に保管していたもの)のように創価学会の中枢部は池田大作の姿を日常的に見ている故に、各県の中心者(各県の中心者は大概、しっかりしている。しかし、本部から派遣の大幹部はその限りではない)と異なり堕落甚だしいのである。中西氏は原島嵩氏が池田大作を諫めようとした際、「あれには何を言っても無駄だ」と言ったことで有名である。また、第一次宗門戦争(このとき数万単位の創価学会員が法華講に入った)の際、池田大作に愛想を尽かし、退職届を出したことでも有名である。以来、中西氏は毎日、読書三昧という閑職に追い遣られた。解雇すると内部事情を熟知しているため、内部告発されないように学会内部で飼い殺ししているのである。中西氏は池田大作、北条会長、秋谷会長と同じく戸田門下生である。
 秋谷会長が同時放送で池田大作から暴言を浴びせられる光景を幾度となく見てきた。一度は踊ることを強制され、秋谷会長は踊った。すべて全国幹部会の時である。秋谷会長は池田大作より二歳年下であり、戸田門下生である。池田大作の戸田門下生を嫌うことは有名である。現在、創価学会の要職はほとんど池田門下生で占められている。戸田門下生なら池田大作に諌言することができるからである。現在の原田会長は池田門下生になる。諫言する者が居ない現在、池田大作は何を命令するか解らない。純粋で熱血的な青年部はテロも行うだろう。
 自分の立身出世のため、あるいは生活のため、創価学会にしがみつき、池田大作に奴隷のように仕えているのが創価学会最高幹部達である。多くは信仰心を失っているのではないかと推測される。それは彼らの年数千万という高給から推測される。


「法華経」は奇跡の教典  
 古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。
「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦五百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は原始仏教のみを説いたという説が強い。
 故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が多い。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。
「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。
 宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。
 この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。


 しかし、創価学会は間違った。池田大作が権力を握った頃、誤ってしまった。それは昭和三十五年頃になるだろう。そこから悪鬼が創価学会に雪崩れ込み、創価学会員に次々と不幸が襲うようになった。池田大作はもともと大悪鬼であって広宣流布を頓挫させるためにこの世に現れたと推測される。先に書いた「智者の身に…」ではない。第一、池田大作は元暴力団という説もある(少なくとも戦後のどさくさの時、暴力団で高利貸しの手伝いを行っていたということは事実のようである。山崎正友氏が書かれている)。同時放送ではその片鱗が見える。
 もし、池田大作が大悪鬼でなければ広宣流布は成し遂げられていた可能性もある。石田次男氏が第三代会長になっていたら良かったのであるが、権力欲の固まりの池田大作が第三代会長になってしまった。そして池田大作が悪鬼を創価学会に大量に雪崩れ込ませ、創価学会員に不幸なことがたくさん起こるようにしてしまった。そして広宣流布は頓挫した。
「権力欲の塊である池田大作の狂気のために創価学会員に不幸が競い起こっているし、広宣流布が頓挫している。また選挙が第一となり、献金が第二となり、折伏が第三となっている」「池田大作は権力欲の塊である。そのために選挙が第一となっている」  
「人間革命」では池田大作が広宣流布を一人で推進させたようになっているが、現実では広宣流布は名もない一人一人の庶民の血の滲むような努力の結晶であり、「人間革命」に書かれてあることは池田大作を神格化させるよう嘘に満ちていることは良く言われていることである。
 もしも、池田大作の死後、池田大作の神格化が行われたら、池田大作が招き入れた無数の悪鬼は創価学会から去らず、創価学会員に不幸が競い起こり続ける。そして創価学会は弱体化してゆく。
 しかし、池田大作の死後、池田大作否定が行われたら、創価学会より悪鬼は逃げ去り、創価学会員は幸せになってゆくであろう。そして広宣流布は再び進展してゆく。
 韓国の情勢を見て解るように池田大作否定が行われないならば分裂は必ず起こる。池田大作がおかしいと気付いている創価学会員は多数存在する。しかし、池田大作を神格化している創価学会員も多数存在する。分裂は避けられない、というのが現在の一般的な見解である。池田派、反池田派と分裂し骨肉の争いが起こるということが現在の一般的な見解である。
 第一次、第二次宗門戦争のように池田派は創価学会に残り、反池田派は宗門へゆく、という見解が現在の一般的見解である。家庭崩壊を避けるために第一次、第二次宗門戦争のように創価学会に残り、白けながらも慎ましやかに信仰を続ける人たち(とくに壮年部)が多数発生するであろう。心の中に「池田大作への批判」を強く持ちながらも、家庭崩壊を避けるために創価学会に残る壮年が多数発生するであろう。
 賢明な婦人は池田大作の欺瞞性に気付くが、その数は少ない。女性は批判精神が弱く盲信から抜け出すことが難しい。しかし宗門に移っている人は信仰強情な人ばかりと言って良く、女性の方が宗門に移るのが多い地区、支部も多い。信仰を適当に行っている人は創価学会に残っている。周囲の反対や抗議に抗してまで宗門に移る情熱が無いからだ。信仰に対する疑問を抱きながらも、そのまま創価家族の中に安穏と住していたいからだ。
 例えば「ユダヤ教は母親がユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒と見なされるが、父親のみがユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒とは見なされない」。
「かつてキリスト教徒の女性はキリスト教の男性と結婚することは許されず、異教徒と結婚することしか許されなかった。しかし、この定めによりキリスト教は拡大してゆき全ヨーロッパに弘まった」
 しかし現在では創価学会の女性は創価学会の男性と結婚しなければ信仰を続けることが難しいと言われている。信仰熱心な家庭は子女を創価学会員以外の男性と結婚させることはなかなか許さない。もしも創価学会員以外の男性であれば、その男性を創価学会に入会させて結婚するのが常識となっている。
 時代の変化により、人々の信仰心が薄くなった故である。昔は人々の信仰心は極めて篤かった。信仰を捨てることを昔の人々はなかなかしなかった。また、キリスト教で火焙りの刑に処されるのは「魔女狩り」で有名なように女性が大部分であった。男性は火焙りの刑を怖れ、キリストの信仰を棄てるのが普通であった。また、キリスト教では神から与えられた命を自ら奪うことは厳禁とされており、火焙りの刑の苦しみから逃れようと男性は舌を噛み切って苦しみから早く逃れようとするが女性は舌を自ら噛み切るという神の教えに叛することを行うことはなかった。

 そして不受不施派のことであるが、これは岡山県に存在する。日蓮宗富士派の一系統とされる。日蓮宗は釈迦を本仏とする身延派と日蓮を本仏とする富士派に分けられる。身延派は釈迦を本仏としている故に他教団との折り合いが良かった。しかし日蓮を本仏とする富士派はその厳格で頑なな教義故に(日蓮大聖人の御書を読むとこちらが正しいことが解る。すなわち日蓮大聖人の教えは厳格で頑なである。創価学会の現在の邪宗との馴れ合いは謗法である)余りにも厳格であり度々、迫害を受けてきた。江戸時代の金沢法難、仙台法難などがある。
 不受不施派は富士派より遙かに大聖人の教えを頑なに守り、他宗を信ずる人からの布施は受けない、他宗に施しは決して行わない、など徹底していた。大聖人の御書を読むと確かに不受不施派の主張が正しく思われる。日蓮大聖人の手紙などを集積したものである御書を読むと、如何に日蓮大聖人の他宗排除が強かったかが理解される。不受不施派は日蓮大聖人の教えの通りに振る舞う極めて厳格な宗派であった。不受不施派に入いると必ず当時の権力者に日蓮大聖人が「立正安国論」を提出したように諫行書を提出しなければならないようになっていた。諫行書を幕府に提出したならば遠島になるのが当時の習わしであった。八丈島などに遠島になっていた。それ故に、江戸時代では「切支丹と不受不施派には絶対に入るな!」と民間の間で言われていた。しかし、切支丹は死罪の中でももっとも重い火焙りの刑であったが不受不施派は遠島のみであり幕府は不受不施派には脅威は抱いておらず比較的穏健な刑で済んでいた。不受不施派はそれ故に寺を設けることはできず、明治時代になっても現在まで寺はなかった。現在、岡山県にただ一つ寺院がある。
 不受不施派は捕らえられても仲間のことを口外しないよう修行中より身をどんなに激しく打たれても耐えられるように鍛練をしていたという。つまり、どのような拷問にも仲間のことを口にしないように耐えられるよう日頃から訓練をしていたという。この清廉潔白さ、頭が下がる。こういう講が現在も有れば、どんなに素晴らしいだろう。
 私は隠れて法華講に入るかもしれない。今日にでもお寺に行くかもしれない。「創価学会を正式に脱会しないでも法華講に入れる」と最近、聞いた(しかし「隠れ法華講」として過ごすことになる)。創価学会には選挙のたびに嫌気がさしていた。同時放送はあまりにも馬鹿みたいだ。座談会でも池田大作の捏造された過去の作り話を「大百蓮華」を教本に本当のことのように読んでゆく。

(補記)日蓮大聖人の御書には後世の人が造った偽書が半分近くを占めていることが最近の研究により分かってきた。狂信者が偽書を作成したと推測される。あまりにも激しすぎる他宗批難の書は偽書の可能性が高いようである。


池田大作の悪行
 私が男子部の頃、友人を同時放送に連れて行ったとき『あの傲慢な態度は何か? 宗教指導者とはとても思えない。権力欲に燃えた暴君ではないか!』と言われたとき、その頃は純真に信仰していた私は友人のその言葉を悲しく思った。
 私も中学生・高校生の頃は池田大作の写真を机の前に置いて勉強していた。青年部の活動が終わった深夜、体を鍛えるために池田大作の名を唱えながら懸命に走っていた。何も知らなかったあの頃は辛く厳しかったけれども充実していた。宿業の嵐は吹き荒れながらも御本尊様の前に座り題目を唱えて耐えてきた。しかし、苦し過ぎた。
 今は、あれが宿業であったのか、それとも池田大作が創価学会に招き寄せた悪鬼の仕業であったのか、判然としない。その両方であったと思われる。
 男子部の頃、病に倒れ、信仰に疑いの心を抱き、退転し、自殺していった同志が二人いた(二人ともマンションからの飛び降り自殺であった)。あれは池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものであると思う。
 借金で一家離散になった家族がいた。あれも池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものと思う。
 大悪鬼のご機嫌伺いをしながら側近たちは一日一日を送っている。もはや総理大臣になれないことが解ったこの権力欲の醜い肉塊(大悪鬼)は、今でも公明党を裏から支配している。我々は五十年もの間、選挙の度に家庭や仕事を抛って選挙運動を行わされてきたのはこの権力欲の醜い肉塊(コモドドラゴン)を一国の首相にさせるためだったのだ(山崎正友氏らの内部告発)。
 選挙運動には大きな功徳があると同時放送などで言い、功徳の欲しい苦しみ悩んでいる主に婦人部を懸命の選挙運動に走らせた。それは選挙違反を超えるまで選挙運動に駆り立てた。警察は創価学会員の選挙違反は大目に見てきた。公明党との癒着があったからである。しかし布教が進まず、もはや総理大臣になれないと解ったとき池田大作は激怒した。池田大作は自分が総理大臣になったときの閣僚の名簿を造っていたほどである。
 池田大作は重い糖尿病を患いながらも側近のお抱えの医師に最高水準の医療を尽くさせ、現在、八十二歳まで生きてきたが、池田大作はもはや明日にも脳梗塞または心筋梗塞で倒れる状態にある。重い糖尿病ながらも一個三万円もする最高級メロンには目がなく、それにかぶり付く姿は権力欲の肉塊コモドドラゴンとも言える。
 この権力欲の肉塊、権力欲の大悪鬼、コモドドラゴンが亡くなったときが、創価学会が飛躍するか瓦解するかの岐路となる。そのとき側近たちがどう動くかが人類の幸不幸を握っているといっても過言ではない。側近たちが賢明に動くことを期待するしかない。
 それとも我々が外から動くか? 未だ、側近たちは動かないでいる(3月10日2010年)。側近たちには信仰心がないのか? ただ自分たちの今世の幸せ(安穏)のみを願っているのか? 
 公に法華講に移ることは私にとっては不可能である。古くから信仰している実家の両親への嫌がらせがある。00のあの人のように創価学会に残り続けて創価学会を内部から改革してゆくか? しかし創価学会の中枢部は池田大作により腐敗堕落が激し過ぎ、改革不能という意見が多い。新しい創価学会を別に造ればいいんだ。
 韓国で進んでいる創価学会反主流派に属したつもりでゆこうか? 「善の連帯」という韓国の創価学会反主流派は正しい。韓国では創価学会主流派と創価学会反主流派が同じ程度の勢力にまでなっていると言われる。このことは支部長(または本部長)以上の幹部しか知らない。しかし最近三年間ほどの情報は全く途絶えている。意図的な何かが働いているとも思える。
 海外は創価学会は崩壊近くなっているところが多く、日蓮正宗の方が創価学会よりも信者数では多い。スペインの指導者は公然と池田大作に反旗を翻した。他の国に於いてもその国の創価学会のナンバー一が池田大作に反旗を翻し、創価学会が瓦解したところは多い。ガーナ、台湾などたくさんある。スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。それに反抗し反旗を翻したということである。


 昭和四十八年、池田大作は八体の御本尊を業者に依頼して造らせた。その一体は創価学会本部にある。創価学会本部の七階に安置されている。これは「正本堂が御遺命の戒壇であることの証明の御本尊である」と池田大作は言っている。その御本尊が創価学会本部の七階に一体、安置されている。しかしこの一体は日達上人により開眼供養が為された。
 七体は総本山に返納された。この本尊模刻事件が第一次宗門戦争の大きな要因になった。そこには池田大作の自分が御本尊を造っても良いとする自己愛性パーソナリティ障害(すなわち自分が日蓮大聖人よりも偉いという自己愛性パーソナリティ障害)が見られる。
 御本尊は代々の猊下が丑虎勤行の後に一体一体書写するものである。現在、出回っている“魔”の御本尊のように(創価学会製の日寛上人の御本尊のように)印刷機で造るものではない。印刷機で造られた一体百五十円の御本尊には全く力が無い。それどころか“魔”の力が宿っている。その“魔”の御本尊を拝めば拝むほど不幸になってゆく。
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊を拝む創価学会員はどんどん不幸になってゆくであろう。知らず知らずのうちに不幸の泥沼に陥ってゆくであろう。創価学会員は教学をしなければならない。しかも本当の教学をしなければならない。現在、創価学会員は教学をしなくなっている。選挙運動と友好活動に汲々としている。
 教学をすると「本尊模刻」がどれほどの謗法に当たるかが分かるであろう。第一次宗門戦争のとき、宗門に移った人たちは大部分が教学をよく勉強していた。教学を日頃からよく勉強している人たちが宗門に移った。原島嵩氏は「本尊模刻」すなわち本尊偽造の罪は万死に値すると書かれている。また、「本尊模刻」は狂気の沙汰で「頭破作七分」(心破作七分とも言う)の所業と書かれている。

 池田大作の宗門支配(または宗門からの独立)の陰謀はあからさまには昭和五十二年元旦から始まった。元旦の挨拶は日蓮正宗攻撃で満ちていた。それまで池田大作の宗門への横暴を寛大に許してきた日達上人への恩を仇で返すものであった。日達上人もここに来て堪忍袋の緒を切らした。
 このときは妙信講問題(正本堂を造ったことが謗法に当たるということ)、松本勝彌氏の裁判問題(正本堂基金返還訴訟。正本堂が国立戒壇といわれて基金したが後に正本堂は国立戒壇ではないと創価学会が主張し始めたことにより、創価学会を詐欺として裁判所に基金返還訴訟を起こしていた)が片付いてはいなかった。松本勝彌氏は民音で働いていた。
「池田大作は自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけて平気でいる。その池田大作の欺瞞性をこの裁判を通じて明らかにしてゆきたい。池田大作から騙され続けている三百万の学会員に目覚めてもらいたい。池田大作は信仰心が全く無く、勤行をしていない。池田大作のとって宗教とはビジネスなのである。ただ、自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけている。死後の世界はおそらく信じていないであろう。何故なら仏典に照らして池田大作の無間地獄行きは決定しているからである」
 松本勝彌氏は貧しい学会員から搾り取った正本堂建造のための募金返還運動に立ち上がること(造反)を決意した。十数名の仲間と一緒に造反した。松本勝彌氏は千葉県保田町にある大本山妙本寺の日蓮大聖人御真筆御本尊“末法万年救護の大本尊”こそ正しい本尊であり、日蓮大聖人の正流は妙本寺にある、と信じて行動していた。すなわち日蓮大聖人の出世の本懐とされる御本尊は大石寺の大御本尊ではなく“末法万年救護の大本尊”こそ出世の本懐とされる御本尊であると信じて行動していた。
その頃は学会員は経済的に貧しく、地区や支部の民音担当者および無理に買わされた会員たちの経済的労苦は大変であることを池田大作は知らなかったはずがない。池田大作の野望の下に設立されたのが民音である。これは池田大作のノーベル平和賞獲得のためであった。そして松本勝彌氏はありもしない金銭スキャンダルなどをでっち上げられ懲戒免職された。
 民音とは非常に奇妙な組織である。昭和四十年頃、私も民音のコンサートに行ったことがある。その頃の私の家は明日にでも夜逃げかという非常に厳しい経済状況であった。それなのに民音の券を脅迫的に買わされ、近くの公会堂に一家全員で見に行ったが、少しも面白くなく馬鹿らしく、帰り際、自分は椅子の間に足を挟まれ、片足が千切れるような苦しみを味わった。救急車は貧乏でお金がないため呼ばれなかった。
 その他、いろいろな事件が息を吹き返してくる可能性があった。山崎正友氏は宗門攻撃を中止するように進言した。そしてそれが学会首脳に受け入られ宗門攻撃は一端、中止することとなった。しかし、日達上人の反撃は昭和五十二年七月から始まった。その頃は創価学会が民社党の池田大作豪華私室を国会で取り上げると言っていたため弱り切っていたときでもあった。日達上人の弟子の一人が池田大作の講演の誤りを正面切って指摘したのを始めとして、創価学会の教義逸脱の指摘が大々的に行われ始めていた。
 そして昭和五十三年七月、教義逸脱の訂正。九月、業者に依頼して勝手に模刻した(このことからも池田大作には全く信仰心がないことが解る)七体の御本尊の返納(勝手に模刻したのは八体有った。一体は学会本部に常住御本尊として安置されている)。十月のお詫び登山。五十四年四月の池田大作の会長辞任へと進んだ。
 しかしここで“魔”の暗躍が始まった。“魔”の正体はある外典に詳しく書かれてある(十八世紀の霊能力者のスウェーデンボルク)。“魔”とは「人間の幸福を激しく憎み、人間の苦しむ様子を喜ぶ、外見は酷く醜い存在である」。
 日達上人は昭和五十四年七月二十二日、急死された。日達上人の晩年は創価学会の横暴と戦う日々であった。

 
個人攻撃について
 竹入義勝氏が高価な盆栽などを買い集めていたなどと聖教新聞などには個人攻撃として書かれていたが、竹入義勝氏は議員研修会のときは「朝から夜まで御書講義ばかり」のことはほとんど知られていないようだ。おそらくこのとき衆議院や参議院の議員も含まれていたと思われる。幾部屋にも分かれて放送を聞いていたそうである。何処で行われていたかは知らない。
 私の知っている市会議員さんが竹入義勝氏の事件が起こったとき、学会の会合に訪れて語られた。毎回(おそらく日本全国、国会議員も含まれていたと思われる)の公明党議員研修会のとき「朝から夜まで竹入委員長の御書講義ばかり」であったため毎回、閉口していたそうである。政治のことは一切語られなかった。毎回、分厚い御書だけを持参しての公明党研修会だったそうである。「御書が全ての根本である。他(政治の勉強)は枝葉末節のことである」「政治の勉強は自分でしなさい」と徹底していた。幾部屋にも別れてスピーカーより聞いていたそうである。竹入義勝氏は大きな部屋で主に国会議員相手に講義をしていたと思われる。
 それ故、「竹入委員長がそのようなことをするとは信じられない」と語っていた。また「私が最も尊敬しているのは昔も今も竹入委員長である」とも語っていた。司会の本部長は慌てふためいていた。
 竹入義勝氏は陸軍士官学校卒と嘘の略歴で通っていたが、その略歴は公明党の委員長たる人であるために池田大作が勝手に造った。竹入義勝氏は一族全員、長野県の古くからの日蓮正宗の熱烈な信者であった。
 矢野絢也氏は「永田町を語る」ことで一時、テレビ番組のレギュラーになったが、創価学会の圧力(すなわち池田大作の鶴の一声)で降ろされた。
 竹入義勝氏たちができなかった創価学会の改革を自分たちができるとは考えられない、という諦観が創価学会中枢部に浸透しているため、側近もなかなか反旗を翻すことができない。それとも池田大作の死を待っているのか?

「忘恩の徒は竹入義勝氏ではない。忘恩の徒は、貴方、池田大作だ。貴方は今までたくさんの創価学会員のために現在まで極めて優雅な生活を送ることができた。それは一国の王よりも優雅な生活だった。たくさんの創価学会員はあなたのために塗炭の苦しみを忍び耐えてきた。池田大作は金正日に酷似している」

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(4)

2011-03-03 19:39:13 | 日記
 戸田先生の十回忌の法要は寺院で行われた。創価学会がもはや池田教と化していたため創価学会では行わず戸田家の判断で日蓮正宗の寺院で行われた。戸田家が法華講であることはよく知られている。また、これは戸田先生が亡くなられたとき、池田大作が戸田先生の見舞金として全国より寄せられた4000万円は渡さずに、二台のトラックで戸田先生の遺品を大量に強奪していったためとも言われる。このとき日本刀も強奪したが、これが戸田先生と池田大作の師弟の絆として記念館に展示してあるのを戸田先生の奥さんが見られて非常に驚かれたという話は有名である。これは池田大作除名の遺言状を探し出すためでもあったのではないかと私は邪推する。
 韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
 アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
 それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
 日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
 素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
 創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。


質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
   創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
    
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。

三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円~三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。

四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。

五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。

六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。


創価学会内部改革派憂創同盟
 かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
 主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
 創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
 十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
 この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
 また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
 創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
 現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。

 牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
 創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
 戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
 戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
 新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。


創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)  
  
       正義の書 
            
 既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。同時放送に出席して、その傲慢な振舞いと言動に呆れた人は多数存在する。池田大作こそ獅子身中の虫である。批判力をあまり持たない婦人部の人たちはほとんど創価学会池田派であるが、壮年部には内部改革派憂創同盟的考えを持った人が多い。しかし、そういう人は創価学会の会合にはほとんど出席することはない。
 池田大作の間違いを諭し、原島嵩氏、山崎正友氏などが反逆者のレッテルを貼られ創価学会から去っていった。反池田を唱えない限り、反逆者のレッテルは貼られない。反逆者のレッテルを貼られるのを恐れ、池田派の振りをしている卑怯な者は大勢居る。
「内部改革派憂創同盟の自覚を強く持つ」と様々な苦難から逃れることができる。「改革派の自覚を強く持つ」と悪いことはあまり起こらなくなる。今まで「宿業が出た」「魔だ!」と言っていたことは起こらなくなる。
 今までは熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こっていた。『創価学会に属していると不思議なほどの不幸なことが起こる』と法華講に入った人は多数存在するが、法華講に入らずとも創価学会のままで「改革派の自覚を強く持つ」ならば不幸なことは起こらなくなる。今まで多数の人が『この信仰は宿業が出る』と創価学会を辞めていったが、それは宿業と言うよりも大悪鬼・池田大作の存在があったから悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでおり悪いことが起こっていたのである。それを「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。
『こんなに熱心に信仰しているのに何故こんなに不幸なんだろう。熱心に信仰すればするほど不幸なことが起こる』という人が多かった。それは大悪鬼・池田大作を神仏化しているからである。大悪鬼・池田大作ももう八十歳を越えている。大悪鬼は糖尿病である故、脳梗塞で死ぬ日は近い。
 大悪鬼亡き後、池田大作の機嫌伺いをしている側近の最高幹部たちは反旗の烽火を上げる可能性も僅かだが有る。大悪鬼死すまであと数年掛かるだろう。その間は私も含め「改革派の自覚を強く持つ」しか選択の余地の無い人は多く存在すると思う。大悪鬼死すまでは強く胸に「改革派の自覚を強く持つ」っていくべきである。そうしないと悪鬼が我が身に入ってくる恐れがある。
 これからはインターネットを通じて「池田大作」の間違いを追求し、創価学会が正しい信仰団体になるように努力するのみである。
    (完) (文責・創価学会内部改革派憂創同盟残党)

※注:「改革派の自覚を強く持つ」ことでブロックするのである。――これは不可能なようである。法華講に入らないことには悪鬼の攻撃をブロックすることはできないようである。甘い考えであった。前に書いた創価学会内部改革派憂創同盟の人がガンで亡くなったらしいことも創価学会に充満する悪鬼の仕業であったと思われる。それほど創価学会には悪鬼が充満しているのである。


創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
 池田大作が悪いのである。池田大作が創価学会を歪めてしまった。池田大作が現れなかったら、たくさんの人が塗炭の苦しみに襲われることはなかった、塗炭の苦しみに陥ることはなかった。
 我欲に凝り固まった執念の男と言うことができるだろう。池田大作は「天下を取ろう」を口癖にしていた我執の固まりの人間であった。その我執は病的であり、しかし、それが池田大作を創価学会第三代会長にした。池田大作は「天下を取る」執念の男だったのである。
 その執念も途中で潰えた。たくさんのたくさんの人々の不幸を犠牲にして。池田大作のために不幸のどん底に落とされた人は数知れない。
 破産して一家離散になった人、病気で苦しみ抜くことになった人、事故に遭い人生を棒に振った人、など数知れない。
 それらはすべて池田大作が宗門を支配し宗門を傘下に置こうとした醜い我欲の結果である。池田大作が創価学会に導き入れた無数の悪鬼の集団によるものである。
 謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。
 墓の中で池田大作を呪っている創価学会員は多い。池田大作が連れてきた悪鬼の大集団により人生を狂わされた無数の人たちの怨恨の叫びが響き渡る。日本中にその怨恨の叫びは響き渡っている。創価学会を池田大作を呪う怨恨の叫びで夜の墓は満ちている。
 多数の大幹部が癌で早死にした。彼らは死ぬとき何も分からなかった。何故、広布のために懸命に生きてきた私たちが早死にしなければならないのかを。それが池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることを死んでから気づいた。
 統合失調症、うつ病性障害となり自殺した創価学会員も多い。彼らも死んでから自分たちの病気が池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼に寄ることに気づいた。その怨恨の叫びも多い。
 商売に失敗して一家離散した家族も多い。呪われたように商売に失敗した彼ら彼女らはその理由が死ぬまで分からなかった。そしてそれが池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた無数の悪鬼に依ることを知って今は池田大作を呪っている。
 夜の墓は池田大作を呪う怨恨の声に満ちている。死後、無間地獄が決定した池田大作は現世に於いて謗法の罪はほとんど現れない。だが、池田大作は死後の無間地獄が決定している。池田大作は肥った肉塊を揺らしながら死後、無間地獄の苦しみにのたうち回る。池田大作はそして永遠に無間地獄の苦しみに奇声を発し続ける。その声は永遠に日本中に響き渡るかもしれない。
 日本中に池田大作により人生を狂わせられた人たちは余りに多い。本当なら幸せな人生を歩んでいたはずの人も池田大作が創価学会に呼び込んだ無数の悪鬼のために人生を狂わせられた。その人たちは余りにも多い。


原田新会長へ
 原田新会長、勇気と正義の人になってください。貴方まで池田大作の下部になってはいけない。末端の多数の純粋な学会員のためです。勇気と正義感で池田大作の間違いを末端の純粋な学会員に知らしめるべきです。池田大作の間違いに気付き始めた人は多くなっています。しかし学会執行部が聖教新聞を使って未だに池田大作を讃えている。
 反逆者とされるアメリカのウイリアムス理事長・原島嵩氏・竹入義勝氏などは実は正義と勇気の人であることを貴方は知っているはずです。貴方は正義の人になるべきです。
 元創価学会教学部長、原島嵩 著「絶望の淵より甦る」(日新報道刊)(1410円+税)を読みました。原田現会長のことが幾つか言及されてあります。
 また、元公明党委員長、矢野絢也 著「黒い手帳」(講談社刊)(1710円+税)も読みました。
 二つとも非常に興味深く面白く、感動しました。何度も何度も繰り返して読みました。是非、購読して読むべきものと推薦します。
 なお、会館職員などは批判に返答できるようにするため、こういう書籍は回し読みをしている。一般会員もそうするべきと思う。
 ―――しかし、原田新会長も保身を貫くらしい(と言うよりもできない?)。反旗を翻しても潰されるだけである。これでは創価学会の改善はまだ待たなければならない。原田新会長は創価学会が韓国のように分裂してはいけない、という考えの下に、そうされているのだと信じたい。韓国のようにならないために、最高幹部たちは未だ行動を起こさないでいるのだと信じたい。
 広宣流布への情熱が法華講にはあまり感じられないというのは間違いで、法華講には広宣流布への情熱を持った人が多数、存在する。それは創価学会以上と言える(創価学会は今は選挙団体である。政治団体ではない。何故なら、創価学会員は政治のことは知らず、ただ選挙運動に走らせられているからである)。創価学会から法華講へ移った人は迫害などを堪え忍びながら信仰を貫いた勇気ある人たちである。真実を見究める目を持った人たちであり賞賛に値する。
 獅子身中の虫、それは池田大作である。池田大作が広宣流布を頓挫させた。もし、池田大作が出なかったら広宣流布は成し遂げられた可能性は高い。今から広宣流布をやり直すしかない。池田大作により頓挫させられた広宣流布を新しい正しい創価学会で成し遂げれば良い。悪鬼が逃げ去った後の創価学会ならば弘法は比較的容易くなる。現象として悪いことが余り起こらないようになるからである。今までは、現象として余りにも悪いことが起こり過ぎていた。そのために退転者が極めて多数生じていた。
 私は聖教新聞の通信員をしていたことがあるが「ある人の体験談を書こうとすると、良いこと(良い偶然)も起こっているが、悪いこと(悪い偶然)が沢山起こっている」と先輩に相談すると「その良いところだけを繋ぎ合わせて創作したら良いのだ。それが広宣流布のためだ。」と言われ、私はそのように行ってきた。私はかなりの数を書いた。その頃は元気一杯の私であった。怖いものは無かった。池田大作の正体に気付かなかったならば、苦しい日々ではあったが元気一杯だった。しかし、気付いてしまった。怖いもの無しの自分ではもうなくなってしまった。元気一杯のあの頃の自分にはもう戻れないのだろうか? 怖いものが確かに無かった。世のため人のためにと元気一杯だった。ただ、元気に成り過ぎて社会常識を踏み外すことが頻繁にあって苦労した。そして悪いこと(悪い偶然)が起こり過ぎていた。運命も確実に下降線を辿っていた。不幸へ不幸へと進んでいた。
 つまり、聖教新聞・大白蓮華などの体験談は半分嘘が多い。本当は少ない。悪いところは書かないである。半分嘘を読んで感動してはいけない。感動するように創作はしてある。
 昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。
 それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か? 

最高幹部の結束した造反を期待する
 現代の御書と言われる小説『人間革命』は池田大作を神格化させるための嘘の塊である。しかしこのことを知らない創価学会員は極めて多い。学会への批判書、批判記事を読むな、と徹底した指導が行われている。学会への批判書、批判記事は“魔”の書とされている。
 小説『人間革命』は、若い頃、小説家志望だった篠原善太郎氏が書いていた。篠原善太郎氏は東大卒であり創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p110)
 すでに死亡している故、小説『人間革命』は現在、書かれていないはずである。教学上の難しいところは原島嵩氏が書いていたという。「大百蓮華」に乗っていた池田大作の万年筆や原稿用紙の写真は池田大作の指図で「大百蓮華」の編集者が創作しただけである。また原稿用紙数枚だけ池田大作夫人がゴーストライターの原稿をそのままに書いただけである。学会本部勤務の人で長年勤務の人はほとんど全員ゴーストライターのことを知っていた。
 池田大作が書いたとされる書物や講演内容は全て原島嵩氏などゴーストライターが書いている。ゴーストライター専用の部屋が会長室の上に有り、常時五人ほどが執筆活動に専念していた。池田大作は勤行唱題もほとんどしていなかった。側近に「俺の代わりに勤行唱題しておけ!」と言って自分は将棋や卓球などをしていた。今は原島嵩氏が抜け、ゴーストライターの顔ぶれは変わっている。最近、新・人間革命の連載が再開したと聞くが誰が書いているのであろう。以前は、篠原善太郎氏であった。文体が篠原善太郎氏に似ていなければならないため、新・人間革命のゴーストライター選択にはかなり困難があったと思われる。
 三十五年ほど前(昭和四十八年前後)は「池田大作は一日二、三時間しか寝ないで寸間も惜しんで広宣流布のために戦っている」と日本国中に内部通達されていた。その話を信じて自身も睡眠時間を限界まで削っていた男子部の人がいた。私も中学二年の頃、睡眠時間を一日五時間に切り詰めて一年間を過ごした。しかし、その内部通達は全くの嘘であった。池田大作は昔も今も一日十時間は寝ていると言われる。創価学会本部への出勤はいつも12時頃ということである。
 そして最近、すでに少なくとも十年以上も前から、とくに月刊誌「大百蓮華」に於いて、あからさまに池田大作を神格化する動きがある。それらは嘘と本当を入れ混ぜた話で埋まっている。「大百蓮華」は座談会でよく使用されるものである。純真な会員はこれで教化されてゆく。
 創価学会は広宣流布が成し遂げられていないにも拘わらず、正本堂(国立戒壇もどき)を造った。これは日蓮大聖人の御遺訓に背くものであった。選挙には「国立戒壇」は非常に邪魔であった。「国立戒壇」を日本共産党が強く突いていた。それを逃れるための苦肉の策であった。「顕正会」(元・妙信講)の主張は正しかった。宗門もその当時は創価学会の強い主張に従わざるを得ない状況であったと思われる。宗門もその当時、判断を誤ったと言えるであろう。
 池田大作は純真な会員を懸命な選挙運動に走らせた。同時放送では「公明党が第一党に成りなさい」と狂気の言動を発していた。選挙運動に大きな功徳があると最高幹部たちに言わせていた。そして女子部・婦人部はそれを鵜呑みにしている。男子部・壮年部は批判力があるから鵜呑みにすることは少ない。
 池田大作が亡くなった暁には「池田大作批判」で聖教新聞が埋まることは難しいが、最高幹部が結束して行動を起こすなら創価学会が正しい創価学会に生まれ変わると思う。しかし、最高幹部が結束して行動を起こす可能性は極めて低い。池田大作は子供に跡を継がせるためイエスマン以外は排除してきている。批判的な幹部は排除してきている。
 やがて、正しい創価学会となり、会員が幸せになれる創価学会ができることを願う。その日が一日も早く来ることを強く願う。
(第1章終了)