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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(1)

2011-03-03 19:35:38 | 日記
 創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
  ――――自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
                                       正義の書
                                創価学会内部改革派憂創同盟残党

はじめに
愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言)

 既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。
 同時放送に出席して、その傲慢さに呆れた人は多数存在するだろう。池田大作こそ獅子身中の虫である。創価学会の信仰を真面目に行っても幸せになれなかったのは池田大作が大悪鬼であったからである。敏感な人は同時放送のその声を聞くだけで池田大作が大悪鬼であることに気付くものである。その声は「傲慢の極み」であり、優しさ、謙虚さなど微塵も感じられない。
 正しい御本尊に祈らなければ幸せにはなれない。正しい宗教団体に属さなければ幸せにはなれない。原田会長が池田大作の死後、英断を振るい再び宗門の一信徒団体に復帰することを期待する。すべて池田大作が悪かったのである。池田大作が我欲のために戸田先生の造られた正しい信徒団体を破壊尽くしてしまったのである。
 正しい御本尊でも正しい信徒団体(講)に属して祈らなければ幸せにはなれない。正しい御本尊でも極悪の宗教団体(創価学会)に属したまま祈ると不幸になる。
http://sky.geocities.jp/mifune008(**これがホームページのアドレスです)
ccc998@infoseek.jp⇦⇦⇦これがメールです。    (平成22年11月1日記す)
純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。自分はそれら純朴な古くからの会員が可哀想でならない。それが私が法華講に入らず、創価学会内部改革派を名乗っている理由の一つである。この純朴な創価学会員の存在を思うと法華講に移りにくい。創価学会を改革してこの純朴な創価学会員を救わなければという思いが強い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。それ以外、創価学会が蘇生する方法はないであろう。創価学会が蘇生すれば純朴すぎて無知故に創価学会から法華講に移ることのできない人々を救うことができる。
 昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切結びつきを持たない。正信会とは対決する(正信会は既にほとんど潰滅している)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
 創価学会は宗門と縒りを戻し、戸田先生時代の創価学会に戻すようにする。正しかった時代の創価学会に戻すのである。つまり創価学会は日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。もう一度書く。創価学会を日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。または創価学会解散を行うべきである。
 池田大作の亡き後、創価学会員が多数、宗門に入る(戻る)ことは難しい。創価学会員は聖教新聞などの偽りの報道しか知らない人が大部分である。そして創価学会に義理人情で縛られてしまっている人が非常に多い。また創価学会の矛盾に気付いていても今までの創価学会の友情と交際が絶たれることを怖れ自分から日蓮正宗法華講に移る(戻る)信仰心の強い人は少ない。日蓮正宗法華講に移る(戻る)と一人っきりになるからである。一人住まいの老人が多い昨今その仕打ちは辛い。また嫌がらせ、迫害もある。
 もはや完全に謗法の魔窟と化してしまった創価学会であるが藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)が創価学会会長になると蘇生するであろう。この他に創価学会員を救う道は無い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。他に可哀想な純朴な創価学会員を救う道はない。

                         (完)


第1章


【研究と報告】
              池田大作の精神病理(第2稿)*

 ――――私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者であるーーーー

                               創価学会内部改革派憂創同盟残党**
【抄録】
 タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国とくに欧米に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、妄想は奇妙で現実離れしている。故に妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、妄想型統合失調症を発症したと考えられる。

【key words】Daisaku-Ikeda, Soka-gakkai, Schizophrenia paranoid type
 
【はじめに】
 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
 統合失調症には妄想型(Paranoid Type)、解体型(Disorganized Type)、緊張型(Catatonic Type)、鑑別不能型(Undifferentiated Type)、残遺型(Residual Type)があるが、妄想型が一番多く、緊張型は以前はよく見られていたが現在では先進諸国ではほとんど見られなくなった。統合失調症は生涯発病率は約0.85%(120人に1人)であり、国、人種による差はほとんど無いとされる。
 池田大作は極軽症・非定型ではあるが妄想型統合失調症である。下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症であることを支持する。
 
【症例】
 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居氏のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)(山田直樹:創価学会とは何か:新潮社、2004,p165)。

 池田会長はモダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』

 全てが奇妙で現実離れしている。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症である。妄想性障害では決してこのようなことは言わない。妄想性障害の頻度は妄想型統合失調症の10分の1であり、しかも妄想性障害は40代以降に現れることが通常である。妄想性障害は痴呆とともに現れることが多い。
 また、最も側近であった原島嵩氏は更に次のようにも述べたと書かれている。
5)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
6)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
7)『私は太陽の帝王だ』
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p226---5)6)
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p191---7)


 以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして妄想性障害を説明する。
 妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
 妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳以降(成年中期から後期にかけて)に発病する。
 妄想型統合失調症とは異なり、妄想性障害は比較的稀である。
 妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。

 もう一つ、自己愛性パーソナリティ障害との鑑別が必要であろう。自己愛性パーソナリティ障害の統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。すなわち自己愛性パーソナリティ障害の妄想は説得により崩れる脆いものである。自己愛性パーソナリティ障害の患者は「世界は自分を中心に回っている」という妄想を良く抱くが、患者自身、その妄想に疑いを持っている脆いものである。
 宗門支配にしても自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す。自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”と言われていた池田大作はやはり統合失調症しか考えられない。


 池田の方でも、表面ではさも学会員を守るかのようなポーズを取りながら、心では見下しており、外部の人間にはしばしば、学会員は無知で世間知らずであると公言しています。
 例えば昭和51年、創価大学図書館落成の折に開かれた文化祭で、池田は来賓に向かって「こんなものは昨日も埼玉で見て、見飽きました。この連中は歌を歌わせておけばいいんです」と言い、周囲の人を唖然とさせています。
 池田の師弟不二は、あからさまに言えば、かしこまって緊張した幹部を前にして、寝そべって女子部員に胸をさすらせたり、果物をくちゃくちゃ食べながら指導するような振る舞いに端的に表れています。
 あるいは宗門の役僧の前でも同じように、一人だけ寝そべり、それが会議の席上であるにも拘わらず「あんまさん、爪を」といってアンマに爪を切らせたりもしているのです。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:259-60)―――――自己愛性パーソナリティ障害

 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)ーーーーーーー
自己愛性パーソナリティ障害
 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)―――――――
電波妄想である(これは統合失調症に特有なものである)、自己愛性パーソナリティ障害

 海外へ行くときなど、極めて厳重な警備態勢を敷いていることーーーーー妄想性パーソナリティ障害

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築を示唆する。自己愛性パーソナリティ障害

 池田大作は池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは当時は家庭裁判所が認めたときのみである。戸籍の名前を変えることは当時はそれほど困難なものであった。凄まじい執念で変えたものと思われるーーーー自己愛性パーソナリティ障害

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」――――これは池田大作の芝居と元側近は考えたが、自分は大聖人の生まれ変わりであるという誇大妄想である。自己愛性パーソナリティ障害

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めたーーーーこれを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性も高い。自己愛性パーソナリティ障害


 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。
「弟子分帳」なるものも、この一つです。みずから仏であるとの我執、我見が、その根底にあるのです。
 さらに「弟子分帳」の証書を手渡すに当たって「私が、赤く“背きおわんぬ”(そむいてしまった)と一度、朱線を入れてそう書けば、もうその人間は生々世々地獄なのである。もう二度と人間に生まれてこない、ということだ」という趣旨の話を何回かしていました。
 私は当時、厳粛な面持ちで効いていましたが、今となって、池田の謗法の根の深さに身震いがします。仏でなければ、このようなことは言えません。いや、末法の御本仏日蓮大聖人は「無間地獄の道をふさぎぬ(ふさいだ)」と仰せられ、全衆生の救済を説かれたのです。また「我れを損ずる国主を最初に導かん」とも仰せられています。大聖人を迫害した指導者(国主)を真っ先に正法に導くのだ、との大慈悲に立脚されていたのです。
 その昔、インドに於いても、釈尊は「入滅にあたっての最大の嘆きは阿闍世王のことだ」といわれています。たとえば、父母の愛はすべての子供に平等であっても、特に、重病の子には最大の慈悲を注がれるように、釈尊は阿闍世王(父を殺し、釈尊に敵対した)のことがいちばん可愛いといわれるのです。
 ところが池田は「いいか!私の言うことを聞け!聞かないと地獄に堕ちるよ!」と口癖のようにいうのです。創価学会の信仰は、池田に従順であるか、それとも池田に背いているか、両極で判断されるのです。それにしても「私が一度朱線を入れて書けば、もう二度と人間に生まれてこない」などというのは、宗教が精神の世界であり、とくに、三世の生命を信ずる私たちにとっては、世間の脅迫以上の厳しい言葉です。もはや脅迫罪などというものではありません。成仏を志す私たちには、それは死刑の宣告以上の鋭さを持っています。死刑は今生だけのことですが、永遠に人間として生まれてこられないというのは、それ以上の厳しい宣告だからです。
「罰論を説くに当たっても、教えるという態度でなくてはならぬのに『私の言うことを聞かなくては罰が当たる』等と、さも自分が仏になったようなーー醜い至りである。罰のよって来たるところ、貧しき我らの境遇を諄々と説き、尊極無上の御本尊を賛嘆し、救われるるはこれだけであるということを説くべきである」(『折伏の心がけ』昭和28年3月30日)
 池田大作は「私の言うことを聞かないと地獄に堕ちる」と言い、戸田会長は「『私の言うことを聞かないと罰が当たる』等と、さも自分が仏になったようなーー醜い至りである」と戒告されています。
 これでは全く逆です。池田には、自分の恩師の言葉が耳に入らないのでしょうか。私には、池田の姿が醜く映じてなりません。
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p228-31)
――――――誇大妄想である。自己愛性パーソナリティ障害


 池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった――――誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 結婚後、かね婦人が池田大作が勤行唱題しないことに対し質問したら「俺は特別だから」と答えたーーーー誇大妄想
 また、既にこの頃から池田大作には信仰心が無く、学会活動を次期会長になるためのビジネス(仕事)と考えていたと思われる。「天下を取る」を口癖に池田大作は学会活動に走り続けた。彼の学会活動は「天下を取る」という燃えたぎるような誇大妄想のためであったーーーーー誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)
――――被害妄想と日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p81)―――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、妄想性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害

異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p261-2)――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害

私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p264-6 )――――自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー自己愛性パーソナリティ障害

池田大作の目から睨まれると誰でも怯えてしまうことーーーーー妄想型統合失調症者に特有の目である

ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー自己愛性パーソナリティ障害

海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー自己愛性パーソナリティ障害

日達上人御在世の時、日大講堂で行われた創価学会の総会において日達上人がお話をされたそうですが、その内容について池田氏が猊下に対して
「今日の猊下の話は、あれは何ですか?」
と言ったそうです。そこで日達上人と日顕上人が怪訝な顔をされていると池田氏は続いて
「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないですか!図にのぼっているんじないですか!?」
と言ったそうです。(日顕上人「文藝春秋」掲載の手記「創価学会会員に告ぐ」より)――――自己愛性パーソナリティ障害 

 竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に幹部よりそのことを知らされたーーーー自分が貰えない勲一等を受けたことを嫉み(妄想性パーソナリティ障害)自分の自尊心が貶された(自己愛性パーソナリティ障害)創価学会員は公明党国会議員を代表として受勲を拒むように内部指導されている。それまでも何人かの元・公明党国会議員が受勲を辞退している。これは池田大作が貰えないからである。

 宗門乗っ取りは絶対不可能であったのに宗門乗っ取りを謀ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の最重症であっても、そのような無謀なことをする前に現実を認識し目が覚めるものであるーーーー妄想型統合失調症の誇大妄想、自己愛性パーソナリティ障害

 この2、3年海外旅行を行なう場合、かね子夫人同伴で出かけていくのも、池田は時々異常な発作を起こし、側近同行の者にあたりちらす。夫人の同伴は、そういう池田の発作を鎮めるためだ、と言われるーーーー妄想型統合失調症の興奮

 同時放送には自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想に満ちた統合失調症者の姿を晒しているが、そのスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーーキンマンコはその一つである(しかし、幻聴であった可能性も高い)

 意欲減退、社会的無気力はなかったようだーーーー創価学会の信仰を行っている統合失調症者には意欲減退、社会的無気力が出ないという特色がある。75歳の創価学会の統合失調症者で恋愛妄想があり、意欲減退、社会的無気力などの人格の崩れは全くないが退院要求の非常に強い男性患者を知っている。退院してその女性と結婚すると主張している。
 しかし、池田大作は既に26歳頃には信仰を退転していたという意見が多い。池田大作は極軽症であった故に意欲減退、社会的無気力など陰性症状が出なかったと思われる。また、最近の統合失調症では陰性症状が出ないことも多い。統合失調症の変遷とも言えよう。うつ病性障害も変遷しているように精神疾患はすべて昔と変遷してきている。

 創価学会員は妄想型統合失調症者を神様のように崇めてきた、崇めていることになる。また、これが創価学会員の精神障害の異常多発を招いた、招いていると言っても過言ではないと思われる。

【考察】
 池田大作は周囲から神様のように煽てられてきた。煽てられることにより彼はますます自分を神様のように思ってしまった。そして日蓮大聖人よりも偉大だ、という妄想が形成されていった。彼はただ霊的能力(直感力、金のある家を当てる能力)が優れているだけだった。
 このように新興宗教の教祖は信者より神様と讃えられるためにますます自己愛性パーソナリティ障害が重症化する。そしてまた統合失調症の誇大妄想も重症化してゆく。
 パーソナリティ障害における妄想が統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。
 訂正可能な「限局的な軽度の妄想」に留まっているならばパーソナリティ障害となるが、「高度に体系化された訂正不能な妄想」が見られるなら妄想性障害や極軽症の統合失調症(妄想型統合失調症)となる。
 妄想性障害は40歳以上の高齢者に見られるのが一般であるが、発症は20代前半と考えられること、その病気の起こる頻度より極軽症の妄想型統合失調症として良い。妄想性障害は頻度が低いが妄想型統合失調症は頻度が高い。その頻度の差は10倍になる。
 私見ではあるが、潜在的に存在している統合失調症の患者は多い。奇人変人扱いされながらも彼らは病院から抗精神病薬をもらうことなく生きている。彼らは妄想と現実の両方で生きている。結婚もし、家庭も築いていることが多い。現実社会を生きてゆく上で最も問題となるのは性格の素直さ、優しさである。
 彼らは精神科を受診している場合、反社会性パーソナリティ障害、統合失調症型パーソナリティ障害、または統合失調症質パーソナリティ障害と誤診されていることが多い。彼らは少量の抗精神病薬すなわちハロペリドール2mg/day (またはブロムペリドール 4mg/day)を投与すると借りてきた猫のように大人しく従順になる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。これは妄想型統合失調症の極軽症として良いし、自己愛性パーソナリティ障害の極重症としても良い。
 各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびヒットラーたちは自己愛性パーソナリティ障害の極重症または潜在性統合失調症と推定される。
 この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
 池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その誇大妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気の執念で懸命に走らせた。大阪での参議院選挙、炭労問題などに自分は他の人間とは異なり偉大な存在であるという誇大妄想による狂気の執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である(自己愛性パーソナリティ障害)。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。これを「大学ノート事件」という
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館、2004、p19)これは妄想性パーソナリティ障害も考えられるが、統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートとも思われる。
 会長になってからは日本征服の野望(誇大妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
 そして国会喚問の危機に立たされた時、子供のように恐れ戦き、軽井沢の別荘に閉じ籠もったりしたこと、このとき熱があると側近に何度も強調したこと。また、これ以外にも国会喚問の危機に立たされたが、池田大作は国会議員のみでなく創価学会の青年部を使って国会議事堂内に座り込みをさせ、国会喚問を阻止させた。これらは統合失調症の被害妄想、または妄想性パーソナリティ障害と思われる。
 原島嵩氏は「池田大作は人を信じることができない。猜疑心のかたまりである」と書いている。これは妄想性パーソナリティ障害である。妄想性パーソナリティ障害は自己愛性パーソナリティ障害と非常に高い確率で合併する。 
 日本共産党との十年協定は池田大作の独断とされる。妄想性パーソナリティ障害の人は交渉や政治的駆け引きに長けていることが多い。
 折伏による日本制覇が不可能と解ると、総体革命という社会の重要ポストを創価学会員で占めて日本を制覇するという妄想に変わった。数少ない創価学会員で社会の重要ポストを占めることは不可能であるし、例え社会の重要ポストの多くを占めても日本制覇は不可能であり妄想の産物に過ぎない。これは現実認識能力が欠けていることを示唆する(自己愛性パーソナリティ障害)。
 また、1990年代に自民党独裁政権が崩壊し、連立政権で大臣のポストを幾つも取った時、子供のように喜んだことは、これも現実認識能力が欠けていることを示唆する。
 統合失調症の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想のため、宗門支配を企んだ。しかし失敗し、破門になった。宗門支配は池田大作の野望または狂気と言われている。宗門支配は不可能であることは分かりきったことであるのに行った。これも誇大妄想による現実認識能力の欠如を示す(自己愛性パーソナリティ障害)。
 自分が大聖人よりも偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。これは新興宗教の教祖には共通のことである。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)のためと考えられる。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)と猜疑心(妄想性パーソナリティ障害)から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた。しかし池田大作は自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想(自己愛性パーソナリティ障害)からそのような行為を行ったのである)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、統合失調症が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
 潜在性統合失調症はイランなどの指導者にも存在しているらしい。潜在性統合失調症者に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症者同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。筆者には、その指導者たちのテレビで見る顔が妄想を心の中に大きく湛えているように見える。
 潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。これは妄想型統合失調症の極軽症ではなく妄想型統合失調症と別のタイプの統合失調症と考えて良いかも知れない。見逃されている潜在性統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにほとんど認識されていない。
 池田大作、文鮮明、金日成、この3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。この3人は諸外国より勲章、メダルを買い漁った。3人の顔、体型はよく似ている。これは偶然性の一致と言われる。この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は考える。彼らには共通して過活動性が見られる。
 国家指導者および宗教指導者に見逃されている潜在性統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。

【終わりに】
 現代では、誇大妄想を主とする統合失調症者が新興宗教の教祖の多くを占める。池田大作もこの例に漏れず、精神科受診はなかったのかもしれない。しかし、池田大作の側近には精神科医もいる。その精神科医が抗精神病薬を服用させている可能性は高い。
 池田大作は金貸し業を始めてから金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。このような人並み外れた霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。
 一般的に考えると池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(重症)と妄想性パーソナリティ障害(中等度)の合併と診断するのが妥当であろう。しかし、この霊的能力が引っかかり、筆者は極軽症の妄想型統合失調症に診断名を変えた。
 池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。しかし、これは取り立てが異常に酷かったためという意見もある。実際、池田大作の借金を返すことが出来ない人達への仕打ちは極めて異常であったという多数の証言がある。
 池田大作の借金取り立ては凄まじく、情け容赦もなかったと言われる。借金返せない人の家や土地を取り上げ、金目のものは何でも持って行ったという。家を取り上げられた人は住む所もなく放浪の旅に出た。大蔵商事の鬼の池田と恐れられていたと言われる。そのため大蔵商事は極めて危険な貸し金融と恐れられていた。病気で寝ている老人の布団を剥いで持って行ったという逸話も伝わる。
 破綻し懸かっていた戸田城聖氏の事業は蘇生した。戸田城聖氏はこれ以来、池田大作に頭が上がらないようになったとも言われるが真偽の程は定かでない。また、これが池田大作が第3代会長になる大きな要因に成ったとも言われる。
 鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。

【後書き】
 私見ではあるが、放置されている極軽症の妄想型統合失調症の患者は多い。とくに暴力団員に多く、次に競馬、競輪、競艇などの賭け事を行う場に多い。また、奇人・変人と思われている人達にも多く存在すると思われる。彼らは少量の抗精神病薬すなわちハロペリドール2mg/day を投与すると借りてきた猫のように大人しくなる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラーたちは潜在性統合失調症と思われる。

【潜在性統合失調症】(筆者の私見)
 発症年齢は一般の統合失調症と同じ。確固とした妄想が主症状。幻聴は一般にない。確固とした妄想に従って行動する。病前の性格は真面目な人は普通の人と同じように働くことができるが、病前の性格が不真面目な人は仕事に支障を来すことが多い。人格の崩れが年齢を重ねるに従い少しずつながら現れてくる。
 これは分裂病質人格障害や分裂病型人格障害とは異なる新しい概念である。すなわち極軽症の妄想型統合失調症のことである。
 現代は統合失調症の軽症化が叫ばれているが、それにより生まれた疾病概念と定義する。

【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002
5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003
7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994
8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004
9)DSM--TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007


*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda
**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)
Toshiro MIFUNE:000 psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .


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 日如上人様

 自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移ったばかりのものです。是非、申し上げたいことがあります。
 池田大作が亡くなった今、創価学会を元のように日蓮正宗の一宗徒団体として戻してくれませんでしょうか?
 池田大作は病気だったのです。精神が病んでいました。自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害に罹患していました。これは一般に人格障害とも言われているものです。この病気はクスリも何もほとんど効きません。成り上がりの独裁者に多発する病気として有名です。外国にも数例、同じような症例が存在します。
 或る小国の成り上がりの独裁者は国の至る所に自らの銅像を建て、テレビの放送でも自らを賛美する放送を流しています。この国は天然ガスが豊富に産生され、国が非常に豊かで平和であり、この独裁者への反抗はないようです。
 異常な権力欲が池田大作を第三代会長に成らせ、巨大過ぎる権力を持ったことが彼をますます傲慢にさせました。そして宗門を支配下に置こうとまで考え至ったのです。
 しかし、池田大作はパーソナリティ障害を越え、自分が本当に日蓮大聖人以上の存在だと思っている妄想性障害または軽度の妄想型統合失調症なのかもしれません。新興宗教の教祖にはよく見られることです。
 その池田大作には創価学会員が一番苦しまされたと言って良いでしょう。池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会員に次々と不幸な現象を起こしました。

 今、末端の創価学会員は不幸に喘いでいます。偽物の御本尊を拝んでいることと池田大作が創価学会に招き入れた悪鬼の大集団のためです。創価学会員全員が法華講に移ったら良いのですけど、それは不可能と思います。
 不幸に喘ぐ末端の創価学会員は100万人に達すると思われます。どうか、彼ら彼女らを見捨てないでください。悪かったのは池田大作一人です。創価学会員は騙されていたのです。
 悪いのはすべて池田大作です。創価学会員は被害者です。
 池田大作亡くなった今、創価学会を破門から解いてもらいたいです。創価学会員は被害者であり、何も悪くありません。
 池田大作は精神異常者でした。これは今後の池田大作の精神病理学的研究より明らかになることでしょう。創価学会員は精神異常者から騙され続けてきたのです。
 創価学会員は非常なお人好しの集まりです。非常なお人好しだから池田大作に騙され続けていたのです。

 寛大なご処置をお願いします。
                              創価学会内部改革派憂創同盟残党




魔性の創価学会(一)
 一度、精神障害に罹った人は、ただでさえ治り難いのが精神障害である。これが創価学会に極めて多発している。これは四十年以上前から創価学会の上級幹部の間では良く知られていた。また折伏闘争華やかなりし頃には「急性精神病状態(acute psychotic state)」(以前は心因反応、急性分裂症様状態と呼ぶこともあった。現在では急性統合失調症様状態と呼ぶこともできるだろう)での精神病院入院が極めて多発しており精神科の医師の間で創価学会の「急性精神病状態」の患者の非常な多さは有名だった。
 これは昭和四十九年頃発売の精神医学専門雑誌に詳しい論文が出ている。それは私の机の上に置いてあった。おそらく先輩が私を創価学会から辞めさせようとして私の机の上に置いたのだと思う。私はその雑誌から読んだ。その精神医学専門雑誌が何という雑誌であったか、また正確な発売された年が記憶にない(昭和四十五年から五十二年にかけてのものだったと思う)。「創価学会」「精神疾患」という二つのキーワードで医学文献のデータベースを検索すると出てくる可能性がある。この二つのキーワードで検索すると私が読んだもの以外の論文も出てくると思われる。しかしデータベース化されていない可能性は高く医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すのが一番と思われる。
 医学専門雑誌の会員になるとインターネットで検索可能かもしれない。「精神医学」という精神医学専門雑誌であった気がする。しかしデータベース化されていない可能性は高い。医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すしかない可能性が高い。昭和五十五年以降は創価学会の言論弾圧により創価学会を題材とするような論文は決して掲載されなくなった。
「急性」(二週間から三ヶ月の入院)で治まった者は幸せで「慢性」となり(これを統合失調症と呼ぶ)精神病院に長期入院または入院と通院の繰り返しとなった創価学会員は多い。しかし大部分は一時的なエピソードで終わり極一部が慢性化したのみのようである。
 創価学会員の「急性精神病状態」の特徴として必ず躁的であることが上げられる。しかし現在、勤行唱題が以前のように熱烈に、そして長時間は行われなくなったためと思われるが「急性精神病状態」はほとんど見掛けなくなっている。代わりに現在(少なくとも二十五年程前から)は、うつ病性障害が非常に多発するようになった。しかし今でも創価学会員に統合失調症の発生は有意に多い。一般の三倍として良い。
 これらの精神障害に苦しんでいる創価学会員の数は極めて多く、それは全て池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。その大集団が池田大作の死とともに創価学会から立ち去れば良い。また最高幹部たちが池田大作の死とともに団結して立ち上がり池田大作批判を充分に行わないことには、それら悪鬼の大集団は創価学会から立ち去らないと思われる。
 我が県の県青年部長も「パニック障害(うつ病性障害も併発していたと思われる)」で倒れた。未だに(三十年)自宅療養のままである。我が県で最も熱心に真面目に活動していた青年部長であった。自らに妥協せず限界まで戦っていた青年部長であった。県展も真夏の炎天下に二人で運んだ。尊敬すべき人であった(県が現在のように幾つにも分かれてなく一つの県は一つの県の時代であった)。

 以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏して回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、創価学会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。創価学会は池田大作の時代になり見延派と同じになったのだ。
「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。
 たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。
 そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に書かれてある。
 創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。
 そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況である。自分が創価学会のときは異常な多発で半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。