池田大作に信仰心は無い
池田大作に信仰心は無いことは本山での勤行のとき池田大作が足を痺れさせ苦しんだ事件から推測されてはいたが、原島嵩氏の造反、および池田大作邸の元家政婦の証言で明らかになったことである。
池田大作邸の元家政婦は池田邸の仏壇が余りにも汚れているため不思議に思っていたが、結局、家政婦として働いている間、一度も、池田邸で勤行する声を聞いたことがなかったという。この家政婦はこのことにより創価学会に疑問を抱き脱会し法華講に入っている。
原島嵩氏も池田大作と一緒に勤行をしたことは大きな会合以外では無かったと証言している。そして「俺の代わりに勤行しておけ!」と何回も言われたそうである。
新婚当初、かね夫人が池田大作に何故、勤行をしないのかと聞いたら「俺は特別だから」と答えたことは有名である。
一度、池田大作が夫人とともに勤行している写真が大白蓮華に大きく載っていた(八年ほど前?)が、その写真をよく見てみよう。池田大作のズボンが限界近く張り切っており完全に正座ができていない。すなわち座りきれてない。勤行を習慣的に行っているとズボンは延びて完全に正座できるようになる(座りきれるようになる)。
例え、急に勤行している場面を写真で撮ることになったとしても、ここは池田大作の自宅である。自宅ならば、皺ができないように、いつも勤行のとき履いているズボンに履き替えるものである。それでないと一度で純毛の高級なズボンは外出用には履けなくなってしまう。池田大作のズボンは全てオーダーメイドの最高級品で一本四十万円もすると言われる。
つまり、池田大作には信仰心はない。池田大作にとって創価学会の名誉会長という職は金儲けと自己満足のための仕事である。それは本山より特別に頂いた御本尊を大きな会合のとき、汚れた手のまま無造作に箱より取り出し、折り曲げたりしながら、そして唾を御本尊に飛ばしながら聴衆に見せびらかしたことでも解る。普通ならおしきみを口にくわえるか、口を固く閉ざして行うものである。あの場面ではおしきみは無かったから、口を固く閉ざして行うべきであった。しかし、御本尊を見せびらかすという行為がおかしい。御本尊は見せびらかすものではない。
政教一致
戸田先生の時代、地方議会と参議院に限定し、政党も造らなかった。当時、創価学会の候補は「無所属」で出馬していた。それは「政党を作り、衆議院に進出することは権力を目指すと言うことだ。創価学会が政治の場に進出したのは、権力を目指すのではなく、あくまで仏法によって政治を浄化することが目的なのだ」という戸田先生の方針だったからであるが、戸田先生の死後、第三代会長に池田が就任した1960年以降は、戸田路線を放棄し、「天下を取る」の野望の下、「王仏冥合」を政教一致による「権力奪取」という意味に拡大解釈し、1964年には公明党を結成し、1968年には衆議院進出と突き進んでいった。
創価学会の会館が選挙の時、選挙運動に利用されていることは良く知られている。選挙のときは創価学会会館での会合時、公明党で出馬している人が来る。また、選挙期間中は創価学会の会合は実質上、選挙運動一色になる。私はそれが厭で、選挙の時の会合には仕事を理由に参加しないことが多かったほどである。選挙の時の創価学会の会合では宗教の話はほとんど無く、選挙活動の様子を一人一人に語らせる。
選挙活動をしていない人は選挙直前の創価学会の特に小さな会合にはとても出られたものではない。
選挙が何故、大事なんだ。公明党は何をしている。ほとんど何もしていないではないか。政治が少し良くなっても宿命で苦しんでいる一人一人は救われない。 宿命で苦しんでいる一人一人を救うためには日蓮大聖人さまの信仰をさせるしかない。折伏しかない。それは御書を読めば解ることではないか。
立候補している議員の人も投票日は創価学会会館の一部屋に集められ朝から夕方の投票締め切りまで唱題を強制的に熱烈に行わさせられる。熱烈に行わないと激しい叱咤が飛ぶ。ある議員はこのことに納得がいかず、創価学会を去り法華講へ家族ごと入った。
公明党が池田大作の私党、すなわち池田党であることは常識化している。公明党の政策は池田大作の思いつきで左右されている。池田大作が死んだとき、公明党は自由になる。しかし池田大作はなかなか死なない。池田大作が死ぬと学会員の選挙への士気は大きく低下し、得票数が大きく減少することは「池田大作のために選挙をしている創価学会員」が非常に多いことから容易に想像できる。同時放送で池田大作は「公明党が第一党になりなさい」などと狂気の言を吐いている。
前回の(第二十一回参議院選挙)のとき公明党は大敗北したが、そのときの聖教新聞では第四代北条会長、第五代秋谷会長を悪し様に批判するとともに、新任の第六代原田会長が「もう一歩深く師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった! 本当に申し訳ない」と自己批判していた。最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と同じように創価学会員に批判されていたのはこのことだったことを後で気付いた。何故、最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と創価学会員に批判されているのか、このことを知るまで解らなかった。
創価学会の人、選挙運動していて「虚しさ」や「こんなことして何になるんだろう」という焦燥感に駆られたりしませんか? 宗教が政治権力を握ると必ず悪行、腐敗は生じることは欧米の歴史を見ると解ることである。魔女裁判が盛んに行われた。残虐の極致とも言える魔女裁判である。世界史を勉強したことのある人なら解ることである。自分も以前は創価学会だったですけど、選挙になると腹立たしさや虚しさに襲れてたまりませんでした。男子部には選挙ごとに胃潰瘍になって入院する地区リーダーもいた。
池田大作の虚構
池田大作の女性関係は凄まじい。このことは悪いデマであると最初は思っていた。しかし、それは真実であることが次第に解ってきた。
例えば、ブラジル創価学会ではシルビア斉藤が責任者であったが、シルビア斉藤の夫人は池田大作との関係を隠すどころか、それを誇らしげに見せたことで有名である。そのためにブラジルでは創価学会から法華講への転向が非常に多く現れた。聖教新聞などではもちろん、1990年頃にシルビア斉藤の夫人が死亡したことを報道しなかった。また、シルビア斉藤の夫人が死亡して数年後、シルビア斉藤はブラジル創価学会の責任者の地位を追放された。これはブラジル創価学会が追放したのか、池田大作が追放したのか、真実は解らない。
全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋(その学会施設の半分以上の費用を掛けている。その施設の掃除は信仰堅い女子部幹部に任せられていたが、あまりの豪華さに疑問を抱き、創価学会より離反していった女子部幹部は多い)が造られており、そこに泊まるときには必ず学会幹部の夫人、または第一庶務の女性を伴い奉仕させていた。学会幹部の夫人ということが納得がいかなかったが、それら夫人は池田大作のお下がりであり、お下がりと結婚すると学会内での昇進は約束されるそうである。二十九歳で亡くなった池田大作の次男も池田大作のお下がりとの結婚を強制され結婚したが、その煩悶の末に胃潰瘍となり「胃穿孔」を起こし死亡したと言われる。
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であるようだ。宗教者としては完全に失格である。これではノーベル平和賞は絶対に貰えない。
昭和四十九年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、三千万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
(「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001)
(法廷に立った池田大作――続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001)
この女性関係は凄まじく、日本全国だけで二十名を軽く超えていたという。一部を書くと、公明党の参議院議員となった二人の女性は池田大作の愛人であった。渡部一郎は自分の女房を愛人にされ、腑の煮えくりかえる思いであったと思われるが、耐えて公明党の参議院議員となることができた。もちろん、夫婦仲は冷え切っていた。
全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和五十二年、民社党の春日一幸氏から竹入義勝氏宛に一通の手紙が届いた。このことを国会に於いて追求するという内容であった。九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。
昭和四十五年の言論出版妨害事件で池田大作は周囲が驚くほど国会喚問に怯えていた。何故それほど怯えるのか周囲も納得がいかなかった。
池田大作は国連から多額の寄付の見返りに「平和賞」を手に入れた。金に目のくらんだ学者や文化人と聖教新聞や「潮」誌上で対談し(新聞などに発表される内容はゴーストライターが作る。池田大作は会って下らぬ雑談をするだけである。これは youtube を見ると解る)あげくの果ては小国の元首や実情を知らない外国の皇室や外務省を引っ張り回して自己宣伝に利用する。
フランスでは政府首脳の家族が関係する財団への寄付などの工作がマスコミに騒がれ、ドイツでは大統領が池田大作と会ったことに対する世論の反発が表面化した。
南米ブラジルでは長い間、池田大作は入国を拒まれていたが、麻薬王であったノリエガ将軍の斡旋などで入国できるようになった。しかし、マスコミ始め各方面に大金を配ったことが、ある邦字紙にすっぱ抜かれた。
池田大作は何としてもアメリカ大統領との会談を実現しノーベル賞へのステップにしたいとの考えを持っていたがレーガン、ブッシュ、クリントン各大統領とも池田大作との会談を拒んだ。公明党の黒柳氏がアメリカへ渡り池田大作とレーガン大統領の会談実現の努力をしたが無駄に終わったことは有名である。
他にもある。
フランスでは東京ドームの五倍の広さを持つアルニー城という古城を八十億円で買収した。イギリスではロンドン郊外の古城を十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。これらのことは「宗教団体が何故、そんなことをする? 難民キャンプに寄付するべきではないか!」として欧米で激しく非難されてある。
こうした池田大作の悪名は「ニューズウィ-ク」「インターナシショナル・ヘラルド・トリビューン」紙などで報じられ、その公私両面に渡る非行は海外にも広く知られている。
池田大作がピアノの名手と思っている人は婦人部、女子部には少なくない。これはその頃、出来たばかりの自動演奏を使い、池田大作は指を適当に這わせていただけなのである。
また、池田大作がカメラを目で見ないでプロ並みに撮る、おなかで撮る、ことは有名で池田大作の写真展も開かれていた。これは後で聖教新聞社のプロのカメラマンが池田大作の後ろから撮っていることで判明したことであるが、これもやはり代作であった。
池田大作の名誉教授などの買い漁りは学歴コンプレックスから来ている。学会員から巻き上げた財務を自身のコンプレックスのために惜しげもなく使う。池田大作はコンプレックスの固まりのような人間である。家系も武士由来と嘘を語る。実際は少なくとも五代は続く東京の海苔職人である(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p100-1 参照)。
インターネットでは、小学生の頃、父親から韓国語を教えられており、在日朝鮮人と言われている。
正本堂落成のとき、ローマからカトリックの司祭が来ていたが、ノーベル平和賞を取るためにはローマ法王と友好関係になければいけないということからの演出であった。日蓮正宗は謗法厳戒の宗教である。正本堂落成といえどカトリックの司祭を呼ぶことは許されない。これが後の正本堂解体の一つの要因になったと思われる。
池田大作は海外から名誉学術称号を二十個以上貰っているが、講演したものの称号が与えられなかった大学は、ハーバード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、コロンビア大学、フランス学士院などがある。ハーバード大学では二回も講演を行っているが称号は貰えてない。お金に困っていない大学からは貰えない。
ハーバード大学での講演のビデオがあった。聴取者は居眠りをするものが多く、席もまばらであった。講演の間中、池田大作は原稿とにらめっこし、顔を上げない。自分が書いた原稿でないから読むことさえ困難であったのであろう。内容は理解できないで口を動かしていたはずである。池田大作はずっと原稿とにらめっこをしながら口を動かすが、欠伸をする者、居眠りをする者が多くビデオに映っていた。講演の途中で退場する者も多かった。講演が終わるとほとんど拍手はなく、ほとんどの人は時間を損したという表情で帰って行っていた。
池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。
池田大作は嘘の名人である。これは戦後のどたばたの中で暴力団で借金取り立てを手伝っていたときに身についたものと思われる。戸田先生からの「エレベーター相譲」などその嘘は上げれば限りない。
宮本邸電話盗聴事件
宮本邸電話盗聴は創価学会攻撃の急先鋒である日本共産党対策の一環として行われた。始めは日本共産党本部を盗聴する予定であったが日本共産党の本部は警戒が強く盗聴不可能と判断し、急遽、宮本邸へ変更された。宮本宅は信じられないほど警備が手薄であった。
池田大作の承認のもと、当時ナンバー2であった北條浩副会長の決済で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして造った裏資金(一千万円余り)の提供を受け、山崎正友が学生部幹部数名ほど(中心者は広野照夫と竹岡誠治だった。二人とも現在は創価学会大幹部である。竹岡誠治はNTTドコモ事件をも起こしたことで有名である。竹岡誠治が宮本邸の前の電柱に上り、盗聴器を仕掛け、また新しい盗聴器に交換することも彼が行い、盗聴器を取り外すことも彼が行った。彼はそのため創価学会に於いては非常に重用された)を動員して行った。昭和四十五年五月から約三ヶ月間にわたって行われたこの作戦では二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの第二の盗聴器の不調によって発覚し、共産党は東京地検に告訴した。共産党は公安の仕業と考えていた。山崎正友の内部告発がなかったら事件は迷宮入りしていた。
盗聴のアジトは学生アパートであった。新しい盗聴器に交換することを行わなかったなら、この電話盗聴は相手に気付かれることなく完全犯罪となっていた。新しい盗聴器の動作不良で相手に気付かれたのである。盗聴器を作成したのは学生部班長で松本篤であった。始めの盗聴器が良好に作動していたにも拘わらず雑音を異常に気にし、盗聴器を交換しないと雑音で気づかれてしまうと考え、新しい盗聴器に交換するというミスを犯す素人の盗聴軍団であった。山崎正友が雑音を異常に気にし、それを広野照夫も異常に気にし始め、盗聴器作りができる松本篤に盗聴器をもうひとつ造らせ、竹岡誠治を再び電柱に上らせて取り替え作業を行うという誤った判断をしてしまった。
この刑事告訴は犯人不明のまま(おそらく公安の仕業と言うことで)迷宮入りとなったが五十五年八月、山崎正友氏の内部告発手記を契機に日本共産党は北條浩氏らを相手取り損害賠償請求を起こし事件は最高裁まで持ち込まれた。結果は、日本共産党側の完全勝利に終わり昭和六十年四月、東京地検裁判所は北條浩の遺族へ百万円の損害賠償、山崎正友、広野照夫、竹岡誠治には各百万円の支払いを命じた。創価学会側の被告は最高裁判所に上告したが途中で上告を取り下げ損害賠償を一方的に支払った。内部告発手記を発表した山崎正友は宮本氏側から損害金の支払いを免除された。
(再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005:p80-95 参照)
以後、創価学会(池田大作)はこの盗聴事件に味を占め、盗聴・電話盗聴・監視・尾行を頻用するようになる。また、スパイの送り込みなどあらゆることを行うようになった。こうした活動は次第にエスカレートし、創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査(スキャンダルや人間関係)を行い、いざというときに備えるようになった。
熱心に信仰すると不幸になる
一家の中でただ一人、信仰を貫いてきた夫人が大型トラックに轢かれて死亡した。非常に熱心であり、折伏弘教もしてきた人である。大型トラックからの轢かれ方は残忍であり、一度轢いた上にもう一度轢いている。内臓や眼球が飛び出し無惨な姿であった。一生懸命、商売(お菓子などの小売業)にも励んできた人であったが、商売も人手に渡し、パートの仕事を見つけて働いていた。しかし、以前の商売での借金がたくさんあり、一家離散寸前であった。御本尊は創価学会の“魔”の御本尊に取り替えていた。池田大作を神様のように慕っていた。選挙運動は選挙違反を遙かに通り過ぎるほど行っていた。学会活動にのめり込み、信仰に反対の夫、子供を顧みないでいた。そのため家庭内喧嘩が絶えなかった。私はそこの息子と友人であった。
ある地方の草創期からの中心的存在者である家庭の子供三人(娘二人、息子一人)が非行化した。家は草創期から座談会の拠点になっていた。娘二人は子供を妊み産む。息子は暴走族として暴れている。
創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いと言われるが、両親は決して子供の教育に怠慢していたわけではなく、学会活動で忙しい中、時間を見つけては子供と接してきた。しかし、非行化してしまった。
これは池田大作が呼び込んだ悪鬼の大集団のためと思われる。
創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いということは、理由の何割かに相当するのみのことと思われる。創価学会の子供は余りにも高い確率で非行化している。それは悪鬼の唆しに依る。
【第1章】で示した「霊の姿が見える小学四年生の少女」症例も一族が熱心な創価学会員である。
偽りだらけの体験談集
これは女子部・婦人部の体験談集に多い。女子部の体験談集には、生まれたときから目が一つだった女性が創価学会の信仰をするようになって目が二つになったという驚異的な体験談があったが、そういうことは起こりえない。
事故で切断した足が創価学会の信仰を始めて切断した足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
生まれたときから両手が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
生まれたときから両手足が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
生まれたときから両手の指が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手の指が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
私はこれらの体験談を中学一年のとき読んで大変感動し友人にも読ませ友人も大変感動していたが、大人になって読み返すと、それが嘘であることを見抜いた。
うつ病性障害、パニック障害多発の現在の創価学会
第二部で書いたことの補足になるが現在は創価学会にうつ病性障害が多発している。創価学会に異常に多発しているから社会的にもうつ病性障害が多発していると思われていると言っても過言ではない。ある大学病院の医師は「“うつ病外来”の半分は創価学会で半分はキリスト教」と言う。筆者の友人の精神科医も「パニック障害とともにうつ病性障害があまりにも創価学会員に多過ぎる」と言う。
これは池田大作が創価学会に招き込んだ無数の悪鬼に依るものと思われる。池田大作が亡くなるとともに池田大作批判が十分に行われると、その悪鬼の集団は去ってゆく可能性は高い。しかし、批判が十分に行われないと悪鬼は留まり続けるであろう。このうつ病性障害、パニック障害は熱心な池田教信者に多く、熱心でない池田教信者には少ない。それも日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者に極めて多く、日達上人の御本尊に祈っている人には少ない。
そして 日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者は寛解し難く、十年、二十年と長引くことが多い。私も日寛上人の“魔”の御本尊に熱心に祈っていたが故にうつ病性障害に罹患し、寛解と再燃(再発)を繰り返しながら十年続いたが、“魔”の御本尊ということに気付き、その“魔”の御本尊に向かい題目三唱も勤行唱題も全く行わなくなってから再燃(再発)はない(これは、改革派の自覚を持ったのと時を同じくしている)。日蓮正宗法華講にうつ病性障害など精神障害が発生したことは知らない。
少なくとも創価学会はうつ病性障害など精神障害の発生が異常に多い。誤った宗教団体に属し、誤った信仰をすると精神障害が発生するのであろう。
創価学会は池田大作のために破滅への道を歩んでいる
池田大作が「南無妙法蓮華経」を商標登録出願し特許庁から失笑を買ったことを知る人は少ない。池田大作の信仰心とはその程度なのである。信仰を利用し金儲けをしようという考えで一杯なのである。また、この商標登録出願は宗門を創価学会の支配下の置くための策略でもあった。最近、情報を得たが創価学会(池田大作)は三度目の「南無妙法蓮華経」の商標登録出願をするということである。金の力で動かそうという考えと推測される。
「五十二年路線」では池田大作は日蓮正宗から分離・独立するぞ!という脅しをかけ、池田大作が宗門の頂点に立つという魂胆があった。そのために独自の御本尊、教本までも製造し、全国の学会会館を寺院とし僧侶も任命する体制がほぼ出来上がっていた。日蓮正宗を無視し創価学会の信仰にこそ大功徳があるという増上慢ぶりであった。
池田大作は自分を生き仏とし、創価学会を日蓮正宗の上に置く。池田大作は本気で「現代の生き仏」になれると信じていたのである。これは池田大作の自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性障害であった。
ここで日達上人は遂に堪忍袋の緒を切らし池田大作(創価学会)を日蓮正宗から破門すると決断された。ここに来て池田大作は始めて目が覚め、狼狽し、お詫び登山となった。破門になるのは少し時期が早過ぎた。
かつて、創価学会が日蓮正宗の信徒団体として東京都から宗教法人の認証を受けるために提出した規則の第3条を見ると、
「この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教及び儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立を図り……」
と書いていた。日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかったその創価学会が、結局は池田氏の事実上の個人教と化したのだから、その変転に驚くのは筆者ばかりではあるまい。(山田直樹:創価学会とは何か:新潮社、2004,p176)
こういうのがありました。ということは創価学会は宗教法人の認証を取り消されるべきではないでしょうか?? 宗教法人の認証は東京都の管轄だから創価学会はこのためにも都議選に非常に力を入れるのでしょうか??
しかし、池田大作の宗門からの独立路線は進み、平成三年の破門へと進む。このとき大量の脱会者(日蓮正宗法華講への移転者。約三万人と言われる)が出た。このときより創価学会は一つの新興宗教としての道を歩み始める。この破門は創価学会がわざと仕掛けたものであった。自分が頂点に立ちたいという池田大作の野望(自己愛性パーソナリティ障害)故であった。
この後、池田大作は創価学会より宗門に移った会員を引き戻す強引で激しい運動を展開した。それは会員の家庭破壊は構わないという非情さであった。筆者もその脱講運動(日蓮正宗法華講より創価学会に引き戻す運動)で離婚に至った例を幾例も経験した。
独立路線として全国の墓園造りは有名である。これは創価学会の信者として繋ぎ止めておくための策略でもあった。墓園を造った後、宗門に贈呈するということは始めより欺瞞に過ぎなかった(墓園を作ることを決定した頃、すでに創価学会は宗門から独立することを決定していた)。この墓園造りで創価学会は多額の収入を得た。土地代も含めて十五万円掛からない墓を百万円近くで販売した。福岡の国会議員(大橋氏)が何の縁故もない北海道の墓を買わされたことを暴露した話は有名である。多くの場合に於いて墓は墓の購入者の住むところより非常に離れており、そんな遠くまで墓参りには行かないと思われる。
高速道路で十時間は普通。筆者の家も妻が強引に高速道路で八時間の処の墓を九十五万円で買った。誰も入らないと思われる。これは詐欺罪になると思われる。
この墓園は財務で集めたお金で造った。つまり、創価学会は二重に儲けたことになる。純粋な創価学会員は二重に搾り取られたことになる。池田大作はお墓は多数持っていた方が良いと同時放送で言い放っている! お墓は多数持っていたらお墓参りが大変になることを池田大作は考えないのだろうか? 池田大作の父親の墓は謗法の他宗の墓であることは有名である。
創価学会の墓を買おうとする婦人部と、創価学会の墓は必要ないという壮年部の喧嘩は非常に多く、その仲裁には非常に苦労した。百万円近くの墓を購入することは普通のサラリーマンの家庭では非常に困難である。それを婦人部は夫に無断で購入している家庭が多い。勝手に生命保険を解約したりして購入している。しかし、サラ金まで至った例は知らない。
このことによる離婚騒動は数多くあった。創価学会より法華講に最近移った人は皆、百万近く出して購入した墓を転売できないかと考えている。大謗法の墓には絶対に入らない。それより先祖代々の墓に入った方がずっと良い。
筆者の家も現在このことで非常にもめている。妻の実家は別に遠方の墓を購入している。高速道路でもとても行けない遠いところである。飛行機でなければ行けない遠いところである。
会館まで電話して問い合わせたところ、購入したものは払い戻しできないと断られた。しかし、多数の人達が立ち上がれば、購入した墓の払い戻しも可能になると思われる。
親兄妹、先祖代々の墓に入りたいのが普通の信条である。縁もゆかりもない墓へ入ることは通常、考えられないことです。
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00県00市
創価学会文化会館殿
私の家は00県に創価学会の墓を購入しましたが、それは妻が勝手に購入したものであり、その墓に入ることは決してありませんので、早急に払い戻すことをお願いします。
騙して取った金を返せ!
返さなかったら自分と同じ考えの人が数人います。
また、インターネットで募集するとたくさんの人が集まると思われます。訴訟を起こします。
これは必ず週刊誌が飛びついてきます。訴訟が起こる前に払い戻すことが賢明と思われます。
返事は必ずしろ。複数の週刊誌および国会議員にメールを出す準備は既に整っています。数人の同士で結束しています。
電話では喧嘩になるのでメールを希望する。
00県00市00町 三船敏郎
tel 0000-000-9999
メール:ccc998@infoseek.jp
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池田大作と文鮮明
ここで池田大作と統一協会の文鮮明との類似点をあげる。
二人とも諸外国より名誉博士号、名誉市民賞などの勲部漁りが激しい。現在は、文鮮明の方が数が多い。その権勢欲・名誉欲の凄まじさは酷似している。
しかし、仏法では「名聞名利」を強く戒められている。第九世日有上人の「化儀抄」には、
「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽きたる所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云々」
とある。「法盗人」とまでも厳しく言われている。池田大作の場合も勲部の数を誇り世界各国から名誉称号を数多くもらっていることを自慢の種にしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的には卑しいことであり、仏法とは全く無関係である。しかも、そうした称号を得るために会員から収奪した金を利用していることは「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものである。
池田大作の支配欲の凄まじさも上げなければならない。池田大作は学会員を奴隷のように扱っている。池田大作は「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田大作のために死ねるという人間だけを重んじてきた。
創価学会のみに留まらなかった。日蓮正宗までも支配下に収めようとした。それは正本堂以後顕わになり、日達上人を悩ませることとなった。
さらに日本国家支配を長年目指していた。若い頃からの「天下を取ろう」が口癖であり、創価学会の「総体革命」もその路線そのものである。
さらに、池田大作は慢心の固まりである。「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする。」「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ三十年前の「人間革命」など書けるわけがない(「人間革命」は故・篠原善太郎氏の代作。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。もう一度書く。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。)」「中曽根康弘はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネヂィ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーにも言っておいた。」このような池田大作の発言を受けて「聖教新聞」では「世界の偉人」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタインなどの人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全て備えた「偉人」として奉っている。
池田大作も文鮮明も人を信じることができない性格である。誰をも信じることができない故に 池田大作も文鮮明も「自分のために死ねる人間」を周囲に集める。
ともに成り上がりの独裁者である。ともに諸外国からカルト指定されている。ともに自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)に罹患している。どちらも妄想性パーソナリティ障害を超え妄想性障害、妄想型統合失調症(軽症)の可能性も高い。
(相違点)
文鮮明は二十代に統一協会の思想的礎と成った極めて独創的な著作を書いている。しかし池田大作は何も書いていない。ゴーストライター軍団に多量の書物を書かせてきたのみである。
文鮮明は傑物であったが、池田大作は俗物であった。池田大作はどうしようもないお人好しの集まった創価学会のなかで一つの狐であった。肥った狐であった。
文鮮明はその超能力による合同結婚で有名である。若い男女を並べ、あなたはこの人と、あなたはこの人と結婚せよ、と告げてゆく。これが本当に霊的能力によるものか、単に霊的能力の真似をしているのかは解らないが、おそらく後者であろう。何故ならば日本人はその指名に全員が従うが、韓国人は半分が拒否をする。拒否をするということは運命的なカップルではないということであろう。
池田大作にはこのような能力はない。
文鮮明は現在の北朝鮮に当たるところから普通の人ならば死んでしまう拷問を受け、凍り付く戸外に放り出された。しかし、極めて頑丈な文鮮明は死なずに生き延びた。そして共産主義に対する激しい憎悪が文鮮明の心に根付いた。これが後に勝共連合を造ってゆく。
池田大作は昭和三十二年、選挙違反で警察に捕まったが全てを白状し釈放された。拷問は受けなかった。
【余記】
人間革命は東大卒の小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものである。池田大作はゴーストライター軍団を持っており、池田大作が書いたものは一冊もない(詩集が一冊あるという意見もある)。聖教新聞の寸鉄を少し書いていただけである。講演原稿も全てゴーストライター軍団によるもので、池田大作は内容も解っていなかったと思われる。池田大作は文学こそ多少嗜んでいたが(%E
だったらうらやましいな~
40万の間違えじゃね~か