第2章 大魔王
大魔王:池田大作
池田大作が戸田城聖氏の金融事業に於いて超人的な働きをし、給料が歩合制なため当時の平均給与の百倍近くを得ており、その金で女子部員の肉体を貪り、大幹部を高級料亭でもてなし自分の味方につけたと山崎正友氏(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)は書かれている。
借金の取り立てが暴力団仕込みで非情極まりなかったとも言われているが、お金のある学会員の家を当てるのが神憑り的であったことは複数の証言がある。これは霊能力で間違いないと思われる。それにより戸田城聖氏の事業を倒産直前から奇跡的に復興させ、それらが第三代会長になる大きな布石に繋がったと言われる。
心霊手術を行うことの出来る霊能力者は不幸な人のために自らの命を投げ打って献身的に奉仕しないといけないこと、そのため心霊手術を行うことのできる霊能力を授かった人は極めて厳しい信念を持って生きなければならないこと、霊能力を私利私欲のために使って酒池肉林の生活をすると狂い死にすること、そしてフィリピンやブラジルなどの心霊手術を行う霊能力者は最後は煩悩に負け私利私欲に走ってしまい狂い死にする人がほとんどであると言われる。
これは心霊手術ではないが心霊治療が非常に盛んで現代医学にも組み込まれているイギリスでも同様なことが言われている。イギリスの心霊治療家は報酬を全く取らないことで有名である。
日本では心霊手術ではないが異言を唱えることが出来た、また多数の心霊的著書を書かれた高橋信次は非常に清廉潔白な人格者であったことで間違いないが、最後はエボラ出血熱に極めて似た現代医学的に説明不可能な病態で悲惨な最期を遂げた。非常に清廉潔白な人格者であった高橋信次でさえ悲惨な最期を遂げた。高橋信次は信仰活動に必要なお金は全て自己負担であった。信者からお布施をもらうことは決してなかった。
池田大作は現在(11月6日2010年)5ヶ月間、同時放送に出席していなく安否が気遣われているが、重度の統合失調症様状態に陥り普通の病院では管理不可能で、精神科閉鎖病棟の保護室にいる可能性は高い。霊能力者が私利私欲に走り酒池肉林の生活を行うと、その罪で狂い死にすることは歴史的に証明されているからだ。
伊勢白山道の教祖は「池田大作にはすでに地獄から赤い山車が迎えに来ている」と言われている。
魔性の本尊
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
学会が偽造本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺十六代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という添え書きが入っている。創価学会は、この授与書きを勝手に抹消し、幾つかの字を変造し、破門され御本尊が手に入らなくなった平成五年より多くの会員に配布し始めた。それもカレンダーのような一枚のコピーのようなご本尊であり、制作費は一体百五十円と言われる。
日顕上人の御本尊と学会が造った偽御本尊とが取り替えられ、日顕上人の御本尊は焼却処分となった。その数は夥しい。阪神大震災は地震は起こらないとされていた地方に起こったが、なかでも被害が酷かった地域は創価学会の非常に盛んな地域であった。阪神大震災は日顕上人の御本尊を多数、焼却処分した大罪故とも言われる。大量に焼却処分した翌日に阪神大震災は起こっている。阪神大震災において創価学会員の功徳の体験談は存在しない。
学会製の御本尊には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となる。
御本尊が学会製のものになってから歓喜がほとんど感じられなくなったと思うのは自分だけではないと思う。昔の御本尊には凄い力があった。ところが御本尊が学会製のものになってから力がほとんど感じられない。生きている一瞬一瞬が歓喜となるという歓喜が今はほとんど感じられなくなってしまった。現在も、学会製のものではない昔の御本尊に祈ると凄い歓喜が湧いてくる(自分は実家に行くと日達上人の御本尊がある)。創価学会は再び日蓮正宗の門下になるべきである。もはや創価学会では成仏はできない。「学会製の御本尊に祈ると地獄に堕ちる」。これは日蓮正宗が熱心に主張していることである。
次のような投書を読んだことがある。それを要約すると次のようになる。
『自分の場合は学会製の御本尊に祈り始めた平成五年の頃、金縛りに毎夜のように会っていました。ちょうど学会製の御本尊に交換した夜からです。でも、その頃、純粋だった自分は、ひたすら信じ抜いていました。金縛りは毎夜、一ヶ月ぐらいは続いたでしょう。でも、自分は、疑いませんでした。題目を唱えつつ金縛りに耐えました。金縛りが終わった頃から“うつ病”が始まり十年間苦しみました。その頃は学会のVOICE がありましたから良く投稿していました。また、その頃は、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページが幾つもあって、いろいろとお互いに相談していました。でも、あまりにも創価学会員の“うつ病”が多いのを知られるのを怖れ、VOICEは「やった。できました。」という投稿しか載せなくなりましたし、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページは強制的に閉鎖されてゆきました。』
『私の場合は学会製の御本尊に交換した深夜、ヘビが仏壇の部屋を這い回っていました。怖ろしかった。』
そして学会製の御本尊に祈って病気が治ったということは見聞きしない。学会製の御本尊には、そういう力が存在しないのである。病気が治るどころか、病気が重篤化する。
そして御本尊が“魔”の御本尊に代わってから創価学会に入った人は「歓喜」を経験していない。それ故に勤行唱題を短くしか行わないのであろう。また、以前からの創価学会員も御本尊が“魔”の御本尊に替わってからは勤行唱題を短時間しか行わなくなっている人が大部分である。やはり歓喜がほとんど湧かないようになったことが大きく影響していると思われる。
創価学会に居続けると謗法の罪により地獄に堕ちる。早く宗門(法華講)に入るべきである。宗門と創価学会とどちらが正しいかは常識的に考えれば解ることである。解らないならば創価学会批判の本を幾冊も読むことである。特に原島嵩氏、山崎正友氏、矢野絢也氏の書いたものが良い。
学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。そして悪い現象が起こる。学会製の御本尊に祈っても病気は治らない。却って病気は重篤化する。家庭崩壊が起こらないならば早く法華講へ入るべきである。正信会は代々法主の血脈を否定しているから良くない(創価学会よりかなり良いであろうが)。大聖人以来の血脈を受け継いでいるのは法華講である。故に法華講に入るべきである。幸せになろう、病気を治そう、と思うなら法華講に入るべきである。創価学会はあまりにも汚れきってしまっている。池田大作が亡くなっても独自路線を貫くであろう。宗門との和解は行わないと思われる。完全な謗法団体そして新興宗教そして政治結社である。創価学会は金集め集団、そして選挙団体に変身してしまったのである。
以前は勤行唱題すると悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、次の日には元気一杯に学校へ行っていた。しかし、平成五年、学会製の御本尊に替わってからは、勤行唱題してもそうはならなくなった。喜びが湧かない。どんなに勤行唱題しても焦燥感が消えない。それどころか焦燥感は強くなる。
以前は勤行唱題すると心はゆったりとなっていた。悲しみ苦しみ悔しさを忘れていた。実家に行き、日達上人の御本尊に祈ると以前のように悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、心はゆったりとなり焦燥感は消える。
日達上人の御本尊に祈ると自然と短時間で「南無―――は歓喜の中の大歓喜なり」の御文のようになる。しかし学会製の御本尊にどんなに祈ってもそうはならない。却って、焦燥感に包まれてしまう。
何故なのか? それに気付くまで時間が掛かった。平成五年から創価学会員に配布され始めた学会製の御本尊は“魔”であったのである。インターネットをよく調べてようやく解った。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であったのである。
自分は池田大作の間違いには早く気付いていた。しかし“魔”の御本尊のことに気付くのが遅れた。自分は比較的軽症であったがうつ病性障害で合計五年程(五回再燃した。最初が三年間、五回を合計して五年であり、罹病期間は十年に亘る)苦しんだ。何故、自分がうつ病性障害に罹らなければならなかったのかと考えていた。それは“魔”の御本尊を拝んでいたからであると後になって気付いた。遅かった。
日達上人の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳は無い。まして何よりも「ニセ本尊」を造るほどの謗法団体になった創価学会に所属していては絶対に功徳は無い。却って拝むほどに罪業を積み重ねることになる。
今は東天に向かって遙拝勤行をしている。“魔”の御本尊には決して祈らない。すると奇妙なほど起こっていた悪い偶然は起こらなくなっている。
試しに学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしたら解る。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をするともの凄い歓喜が湧く。しかし学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしても歓喜も何も湧かない。私は行き詰まったとき学会製の御本尊に向かって十四時間唱題をしたが何も湧かなかった。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をすると「怖いものが無くなる」「どうにでもなれという心境になる」「解決策が見つかる」「歓喜が二、三日は続く」が普通であったが、学会製の御本尊に十時間唱題をしても歓喜が湧かない。ただ、焦燥感が湧く。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であるからである。
“魔”の御本尊に変わった現在、創価学会の拡大は不可能となった。創価学会は衰退の道しか残されてはいない。
再び、総本山の一信徒団体として総本山より御本尊を下付されなければ会員に不幸な現象が続いて起こる。再び、総本山の一信徒団体となることである。池田大作は決して再び、総本山の一信徒団体となることは許さないであろう。また、宗門も池田大作が未だ権力を握っている創価学会を一信徒団体として戻すことはしない。早く池田大作が亡くなることである。池田大作が早く亡くなり、側近が英断をふるうことである。
創価学会の仏法違背
創価学会の仏法違背は牧口会長時代から存在した。牧口会長は「私は一宗が滅ぶのを悲しむのではない。日本国が滅びるのを悲しむのだ」と言っていたが、日蓮正宗が滅んだら(日蓮大聖人の仏法が滅んだら)、人類の未来は真っ暗になる。牧口会長の頃から宗門軽視の姿勢が創価学会に有った。そして牧口会長は戦争に反対したから投獄されたのではない。牧口会長は自宗での戦勝祈願を激しく強要されていた。神札を受け取ることを拒否したために投獄されたのである。創価教育学会の戦争賛美は激しかった。
池田大作の時代になると宗門軽視の姿勢はあまりにも激し過ぎ、すでに昭和四十年代中頃から「宗門支配か独立か」の考えが創価学会中枢部にはあった。牧口会長、戸田会長までは創価学会の仏法違背は軽かったが池田大作に於いては余りにも激しく狂気に近い。日達上人は創価学会員の幸せのため池田大作の横暴を寛大に許し続けておられた。
例えば、昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場に於いて池田大作は時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を信徒が大勢いる中で罵声を浴びせた事件には池田大作の救いようのない慢心、増上慢が見られる。ここまで来ると池田大作は大仏敵であり堕地獄間違いなしと思われる。「堕地獄間違いない人には生前には罰の現象が現れない」という仏典の一節がある。この頃からすでに創価学会は大謗法になっていた。
平成二年には宗門蔑恕、宗門からの独立のスピーチを行い始めたが、これは昭和五十年頃からすでに池田大作により計画されていたことである。
また『一人の人間に於ける偉大な人間革命は一国の人間革命を成し遂げ、やがて全世界の人間革命をも可能にする。』という言葉が昭和四十九年頃に作られた映画「人間革命」の主題であった。思い上がり甚だしいが、この「一人」とは池田大作であることは明白であった。このとき池田大作の魔性にはっきりと気付くべきであったと私は反省している。私はその矛盾に気付きながらも必死で疑いを押し殺す純粋過ぎる少年であった。
「日蓮大聖人の仏法でないものが全世界に広がっても広宣流布ではない」と日達上人は言われた。
日達上人の慈悲溢れる寛大な処遇を池田大作は有り難くも思わず、宗門への攻撃を強め続け、遂には自ら破門の道を選択した。池田大作は自らの野望のために創価学会員の幸せを奪った。池田大作は自分がトップになりたかった。しかし宗門がそれを阻んでいた。破門の道は創価学会(池田大作)にとっては宗門の束縛から自由になるための解放の道であった。しかし堕地獄への道でもあった。創価学会員は真面目に信仰を続けた人ほど親族また自身が不幸になっている。創価学会員の生活保護所帯の多さからもそれは言える。もともと貧乏人が多かったから生活保護所帯が異常に多いのではない。中流階級と言えた人たちが不幸にも失墜して多く生活保護所帯になっている。「師が地獄へ堕ちるなら弟子も地獄へ付いてゆくのが師弟の道」という間違った師弟の道を池田大作は説いていた。「師が間違っていれば師を諫めるのが本当の師弟の道」である。これは日達上人が諫めたことである。
現在、創価学会は暴力団以上と世間から非難されている。聖教新聞の読むに耐えない造反者に対する個人攻撃はあまりにも酷く、世界最低の新聞と私は思う。これを友人たちに無理矢理、購入させていた私は今になって非常に反省している。
現在は創価学会で病気を治すことは不可能になっている。それはちょうど平成五年に創価学会が独自の御本尊を配布始めた頃からだ。日蓮正宗には「血脈相譲」という他宗他派には見られない理論がある。血脈が絶った御本尊には仏の力は存在せず、“魔”の力しか存在しない。“魔”の御本尊に病気治癒を祈ると却って病気が酷くなるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈ると悪いことが起きるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈っていれば人生が下降線に陥るのも当然である。
実際、“魔”の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。あまり元気になれない。そのためか最近は勤行唱題を長時間行う学会員は非常に少なくなってきている。以前、日達上人の御本尊に勤行唱題していたときは心も体も軽くなっていた。“魔”の御本尊ではそういうことは起こらない。
“魔”の御本尊に勤行するとリストカットをしてしまう男子部地区部長がいる。不可抗力でリストカットをしてしまうそうである。この男子部地区部長はドクター部の精神科医より勤行厳禁とされている。しかし、信仰熱心であるため、勤行をしてしまうのである。
“魔”の御本尊の半径二メートル以内では「死ね、死ね」という幻聴が聞こえる婦人部がいる。半径二メートル以外では聞こえない。
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
日本には病気などにより一生を台無しにした人たちが無数に居る。池田大作が悪鬼を創価学会に雪崩のように呼び入れたためだ。現在も彼らは病気で苦しんでいる。信仰熱心過ぎる程であった故に病気になってしまった人たちである。池田大作が居なければ、そういう不幸なことは起こらなかったはずだ。
不慮の事故で亡くなった方たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど不慮の事故で亡くなる。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
事業や商売が倒産して苦渋をなめた人たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど事業や商売が倒産する。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
ガンで亡くなった人たちがあまりにも多い。特に熱心な人ほどガンで亡くなる。例えば創価学会で最も弁が立つと言われていた西口副会長は舌ガンで五十一歳にして亡くなった。原田新会長とともに将来を嘱望されていた野崎副会長も若くしてガンで亡くなった。地方の大幹部もガンで亡くなる人が多い。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
何故、最高幹部たちは池田大作に追従する態度を貫くのか? それは生活のためお金のためであるのか? 裏切り者と非難されるのを怖れるためか?
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』の御文を考えるなら正しいことを主張するべきである。学会の最高幹部という地位にしがみつくのが「世渡り、要領」と考えているのか? 正義感は無いのか? スターリンの恐怖政治のようなものが行われているからか? 池田大作の間違いには気付いているはずである。
もし、池田大作亡き後、『池田大作礼賛』が行われるならば創価学会は完全な邪宗から立ち直ることはできない。創価学会員は苦しむことになる。
しかし、『池田大作批判』が公然と聖教新聞上で激しく行われるならば創価学会は蘇生するだろう。そして創価学会員は幸せになれる。
現在、創価学会本部および聖教新聞社は完全に池田大作に押さえられている。しかし創価学会本部および聖教新聞社の社員が団結して立ち上がるならば『池田大作批判』は起こり得る。
側近は池田大作の本性を知っているはずである。それとも末端の会員が不幸になろうと、自分たちさえ安穏で良ければ良いという考えなのか? 創価学会本部および聖教新聞社および地方の本部会館職員および外郭団体の給料は良いのである。中堅企業並みと言って良い。造反者が出るたびに給料は良くなっていった。つまり造反者が出ないように給料を良くしているのである。
創価学会の中枢部は腐敗が甚だしい。金庫事件(ゴミ捨て場に一億七千五百万円という大金の入った金庫が捨てられていた事件。創価学会の金庫番または陰の会長と言われた中西氏が創価学会本部の地下室に保管していたもの)のように創価学会の中枢部は池田大作の姿を日常的に見ている故に、各県の中心者(各県の中心者は大概、しっかりしている。しかし、本部から派遣の大幹部はその限りではない)と異なり堕落甚だしいのである。中西氏は原島嵩氏が池田大作を諫めようとした際、「あれには何を言っても無駄だ」と言ったことで有名である。また、第一次宗門戦争(このとき数万単位の創価学会員が法華講に入った)の際、池田大作に愛想を尽かし、退職届を出したことでも有名である。以来、中西氏は毎日、読書三昧という閑職に追い遣られた。解雇すると内部事情を熟知しているため、内部告発されないように学会内部で飼い殺ししているのである。中西氏は池田大作、北条会長、秋谷会長と同じく戸田門下生である。
秋谷会長が同時放送で池田大作から暴言を浴びせられる光景を幾度となく見てきた。一度は踊ることを強制され、秋谷会長は踊った。すべて全国幹部会の時である。秋谷会長は池田大作より二歳年下であり、戸田門下生である。池田大作の戸田門下生を嫌うことは有名である。現在、創価学会の要職はほとんど池田門下生で占められている。戸田門下生なら池田大作に諌言することができるからである。現在の原田会長は池田門下生になる。諫言する者が居ない現在、池田大作は何を命令するか解らない。純粋で熱血的な青年部はテロも行うだろう。
自分の立身出世のため、あるいは生活のため、創価学会にしがみつき、池田大作に奴隷のように仕えているのが創価学会最高幹部達である。多くは信仰心を失っているのではないかと推測される。それは彼らの年数千万という高給から推測される。
「法華経」は奇跡の教典
古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。
「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦五百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は原始仏教のみを説いたという説が強い。
故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が多い。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。
「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。
宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。
この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。
しかし、創価学会は間違った。池田大作が権力を握った頃、誤ってしまった。それは昭和三十五年頃になるだろう。そこから悪鬼が創価学会に雪崩れ込み、創価学会員に次々と不幸が襲うようになった。池田大作はもともと大悪鬼であって広宣流布を頓挫させるためにこの世に現れたと推測される。先に書いた「智者の身に…」ではない。第一、池田大作は元暴力団という説もある(少なくとも戦後のどさくさの時、暴力団で高利貸しの手伝いを行っていたということは事実のようである。山崎正友氏が書かれている)。同時放送ではその片鱗が見える。
もし、池田大作が大悪鬼でなければ広宣流布は成し遂げられていた可能性もある。石田次男氏が第三代会長になっていたら良かったのであるが、権力欲の固まりの池田大作が第三代会長になってしまった。そして池田大作が悪鬼を創価学会に大量に雪崩れ込ませ、創価学会員に不幸なことがたくさん起こるようにしてしまった。そして広宣流布は頓挫した。
「権力欲の塊である池田大作の狂気のために創価学会員に不幸が競い起こっているし、広宣流布が頓挫している。また選挙が第一となり、献金が第二となり、折伏が第三となっている」「池田大作は権力欲の塊である。そのために選挙が第一となっている」
「人間革命」では池田大作が広宣流布を一人で推進させたようになっているが、現実では広宣流布は名もない一人一人の庶民の血の滲むような努力の結晶であり、「人間革命」に書かれてあることは池田大作を神格化させるよう嘘に満ちていることは良く言われていることである。
もしも、池田大作の死後、池田大作の神格化が行われたら、池田大作が招き入れた無数の悪鬼は創価学会から去らず、創価学会員に不幸が競い起こり続ける。そして創価学会は弱体化してゆく。
しかし、池田大作の死後、池田大作否定が行われたら、創価学会より悪鬼は逃げ去り、創価学会員は幸せになってゆくであろう。そして広宣流布は再び進展してゆく。
韓国の情勢を見て解るように池田大作否定が行われないならば分裂は必ず起こる。池田大作がおかしいと気付いている創価学会員は多数存在する。しかし、池田大作を神格化している創価学会員も多数存在する。分裂は避けられない、というのが現在の一般的な見解である。池田派、反池田派と分裂し骨肉の争いが起こるということが現在の一般的な見解である。
第一次、第二次宗門戦争のように池田派は創価学会に残り、反池田派は宗門へゆく、という見解が現在の一般的見解である。家庭崩壊を避けるために第一次、第二次宗門戦争のように創価学会に残り、白けながらも慎ましやかに信仰を続ける人たち(とくに壮年部)が多数発生するであろう。心の中に「池田大作への批判」を強く持ちながらも、家庭崩壊を避けるために創価学会に残る壮年が多数発生するであろう。
賢明な婦人は池田大作の欺瞞性に気付くが、その数は少ない。女性は批判精神が弱く盲信から抜け出すことが難しい。しかし宗門に移っている人は信仰強情な人ばかりと言って良く、女性の方が宗門に移るのが多い地区、支部も多い。信仰を適当に行っている人は創価学会に残っている。周囲の反対や抗議に抗してまで宗門に移る情熱が無いからだ。信仰に対する疑問を抱きながらも、そのまま創価家族の中に安穏と住していたいからだ。
例えば「ユダヤ教は母親がユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒と見なされるが、父親のみがユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒とは見なされない」。
「かつてキリスト教徒の女性はキリスト教の男性と結婚することは許されず、異教徒と結婚することしか許されなかった。しかし、この定めによりキリスト教は拡大してゆき全ヨーロッパに弘まった」
しかし現在では創価学会の女性は創価学会の男性と結婚しなければ信仰を続けることが難しいと言われている。信仰熱心な家庭は子女を創価学会員以外の男性と結婚させることはなかなか許さない。もしも創価学会員以外の男性であれば、その男性を創価学会に入会させて結婚するのが常識となっている。
時代の変化により、人々の信仰心が薄くなった故である。昔は人々の信仰心は極めて篤かった。信仰を捨てることを昔の人々はなかなかしなかった。また、キリスト教で火焙りの刑に処されるのは「魔女狩り」で有名なように女性が大部分であった。男性は火焙りの刑を怖れ、キリストの信仰を棄てるのが普通であった。また、キリスト教では神から与えられた命を自ら奪うことは厳禁とされており、火焙りの刑の苦しみから逃れようと男性は舌を噛み切って苦しみから早く逃れようとするが女性は舌を自ら噛み切るという神の教えに叛することを行うことはなかった。
そして不受不施派のことであるが、これは岡山県に存在する。日蓮宗富士派の一系統とされる。日蓮宗は釈迦を本仏とする身延派と日蓮を本仏とする富士派に分けられる。身延派は釈迦を本仏としている故に他教団との折り合いが良かった。しかし日蓮を本仏とする富士派はその厳格で頑なな教義故に(日蓮大聖人の御書を読むとこちらが正しいことが解る。すなわち日蓮大聖人の教えは厳格で頑なである。創価学会の現在の邪宗との馴れ合いは謗法である)余りにも厳格であり度々、迫害を受けてきた。江戸時代の金沢法難、仙台法難などがある。
不受不施派は富士派より遙かに大聖人の教えを頑なに守り、他宗を信ずる人からの布施は受けない、他宗に施しは決して行わない、など徹底していた。大聖人の御書を読むと確かに不受不施派の主張が正しく思われる。日蓮大聖人の手紙などを集積したものである御書を読むと、如何に日蓮大聖人の他宗排除が強かったかが理解される。不受不施派は日蓮大聖人の教えの通りに振る舞う極めて厳格な宗派であった。不受不施派に入いると必ず当時の権力者に日蓮大聖人が「立正安国論」を提出したように諫行書を提出しなければならないようになっていた。諫行書を幕府に提出したならば遠島になるのが当時の習わしであった。八丈島などに遠島になっていた。それ故に、江戸時代では「切支丹と不受不施派には絶対に入るな!」と民間の間で言われていた。しかし、切支丹は死罪の中でももっとも重い火焙りの刑であったが不受不施派は遠島のみであり幕府は不受不施派には脅威は抱いておらず比較的穏健な刑で済んでいた。不受不施派はそれ故に寺を設けることはできず、明治時代になっても現在まで寺はなかった。現在、岡山県にただ一つ寺院がある。
不受不施派は捕らえられても仲間のことを口外しないよう修行中より身をどんなに激しく打たれても耐えられるように鍛練をしていたという。つまり、どのような拷問にも仲間のことを口にしないように耐えられるよう日頃から訓練をしていたという。この清廉潔白さ、頭が下がる。こういう講が現在も有れば、どんなに素晴らしいだろう。
私は隠れて法華講に入るかもしれない。今日にでもお寺に行くかもしれない。「創価学会を正式に脱会しないでも法華講に入れる」と最近、聞いた(しかし「隠れ法華講」として過ごすことになる)。創価学会には選挙のたびに嫌気がさしていた。同時放送はあまりにも馬鹿みたいだ。座談会でも池田大作の捏造された過去の作り話を「大百蓮華」を教本に本当のことのように読んでゆく。
(補記)日蓮大聖人の御書には後世の人が造った偽書が半分近くを占めていることが最近の研究により分かってきた。狂信者が偽書を作成したと推測される。あまりにも激しすぎる他宗批難の書は偽書の可能性が高いようである。
池田大作の悪行
私が男子部の頃、友人を同時放送に連れて行ったとき『あの傲慢な態度は何か? 宗教指導者とはとても思えない。権力欲に燃えた暴君ではないか!』と言われたとき、その頃は純真に信仰していた私は友人のその言葉を悲しく思った。
私も中学生・高校生の頃は池田大作の写真を机の前に置いて勉強していた。青年部の活動が終わった深夜、体を鍛えるために池田大作の名を唱えながら懸命に走っていた。何も知らなかったあの頃は辛く厳しかったけれども充実していた。宿業の嵐は吹き荒れながらも御本尊様の前に座り題目を唱えて耐えてきた。しかし、苦し過ぎた。
今は、あれが宿業であったのか、それとも池田大作が創価学会に招き寄せた悪鬼の仕業であったのか、判然としない。その両方であったと思われる。
男子部の頃、病に倒れ、信仰に疑いの心を抱き、退転し、自殺していった同志が二人いた(二人ともマンションからの飛び降り自殺であった)。あれは池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものであると思う。
借金で一家離散になった家族がいた。あれも池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものと思う。
大悪鬼のご機嫌伺いをしながら側近たちは一日一日を送っている。もはや総理大臣になれないことが解ったこの権力欲の醜い肉塊(大悪鬼)は、今でも公明党を裏から支配している。我々は五十年もの間、選挙の度に家庭や仕事を抛って選挙運動を行わされてきたのはこの権力欲の醜い肉塊(コモドドラゴン)を一国の首相にさせるためだったのだ(山崎正友氏らの内部告発)。
選挙運動には大きな功徳があると同時放送などで言い、功徳の欲しい苦しみ悩んでいる主に婦人部を懸命の選挙運動に走らせた。それは選挙違反を超えるまで選挙運動に駆り立てた。警察は創価学会員の選挙違反は大目に見てきた。公明党との癒着があったからである。しかし布教が進まず、もはや総理大臣になれないと解ったとき池田大作は激怒した。池田大作は自分が総理大臣になったときの閣僚の名簿を造っていたほどである。
池田大作は重い糖尿病を患いながらも側近のお抱えの医師に最高水準の医療を尽くさせ、現在、八十二歳まで生きてきたが、池田大作はもはや明日にも脳梗塞または心筋梗塞で倒れる状態にある。重い糖尿病ながらも一個三万円もする最高級メロンには目がなく、それにかぶり付く姿は権力欲の肉塊コモドドラゴンとも言える。
この権力欲の肉塊、権力欲の大悪鬼、コモドドラゴンが亡くなったときが、創価学会が飛躍するか瓦解するかの岐路となる。そのとき側近たちがどう動くかが人類の幸不幸を握っているといっても過言ではない。側近たちが賢明に動くことを期待するしかない。
それとも我々が外から動くか? 未だ、側近たちは動かないでいる(3月10日2010年)。側近たちには信仰心がないのか? ただ自分たちの今世の幸せ(安穏)のみを願っているのか?
公に法華講に移ることは私にとっては不可能である。古くから信仰している実家の両親への嫌がらせがある。00のあの人のように創価学会に残り続けて創価学会を内部から改革してゆくか? しかし創価学会の中枢部は池田大作により腐敗堕落が激し過ぎ、改革不能という意見が多い。新しい創価学会を別に造ればいいんだ。
韓国で進んでいる創価学会反主流派に属したつもりでゆこうか? 「善の連帯」という韓国の創価学会反主流派は正しい。韓国では創価学会主流派と創価学会反主流派が同じ程度の勢力にまでなっていると言われる。このことは支部長(または本部長)以上の幹部しか知らない。しかし最近三年間ほどの情報は全く途絶えている。意図的な何かが働いているとも思える。
海外は創価学会は崩壊近くなっているところが多く、日蓮正宗の方が創価学会よりも信者数では多い。スペインの指導者は公然と池田大作に反旗を翻した。他の国に於いてもその国の創価学会のナンバー一が池田大作に反旗を翻し、創価学会が瓦解したところは多い。ガーナ、台湾などたくさんある。スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。それに反抗し反旗を翻したということである。
昭和四十八年、池田大作は八体の御本尊を業者に依頼して造らせた。その一体は創価学会本部にある。創価学会本部の七階に安置されている。これは「正本堂が御遺命の戒壇であることの証明の御本尊である」と池田大作は言っている。その御本尊が創価学会本部の七階に一体、安置されている。しかしこの一体は日達上人により開眼供養が為された。
七体は総本山に返納された。この本尊模刻事件が第一次宗門戦争の大きな要因になった。そこには池田大作の自分が御本尊を造っても良いとする自己愛性パーソナリティ障害(すなわち自分が日蓮大聖人よりも偉いという自己愛性パーソナリティ障害)が見られる。
御本尊は代々の猊下が丑虎勤行の後に一体一体書写するものである。現在、出回っている“魔”の御本尊のように(創価学会製の日寛上人の御本尊のように)印刷機で造るものではない。印刷機で造られた一体百五十円の御本尊には全く力が無い。それどころか“魔”の力が宿っている。その“魔”の御本尊を拝めば拝むほど不幸になってゆく。
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊を拝む創価学会員はどんどん不幸になってゆくであろう。知らず知らずのうちに不幸の泥沼に陥ってゆくであろう。創価学会員は教学をしなければならない。しかも本当の教学をしなければならない。現在、創価学会員は教学をしなくなっている。選挙運動と友好活動に汲々としている。
教学をすると「本尊模刻」がどれほどの謗法に当たるかが分かるであろう。第一次宗門戦争のとき、宗門に移った人たちは大部分が教学をよく勉強していた。教学を日頃からよく勉強している人たちが宗門に移った。原島嵩氏は「本尊模刻」すなわち本尊偽造の罪は万死に値すると書かれている。また、「本尊模刻」は狂気の沙汰で「頭破作七分」(心破作七分とも言う)の所業と書かれている。
池田大作の宗門支配(または宗門からの独立)の陰謀はあからさまには昭和五十二年元旦から始まった。元旦の挨拶は日蓮正宗攻撃で満ちていた。それまで池田大作の宗門への横暴を寛大に許してきた日達上人への恩を仇で返すものであった。日達上人もここに来て堪忍袋の緒を切らした。
このときは妙信講問題(正本堂を造ったことが謗法に当たるということ)、松本勝彌氏の裁判問題(正本堂基金返還訴訟。正本堂が国立戒壇といわれて基金したが後に正本堂は国立戒壇ではないと創価学会が主張し始めたことにより、創価学会を詐欺として裁判所に基金返還訴訟を起こしていた)が片付いてはいなかった。松本勝彌氏は民音で働いていた。
「池田大作は自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけて平気でいる。その池田大作の欺瞞性をこの裁判を通じて明らかにしてゆきたい。池田大作から騙され続けている三百万の学会員に目覚めてもらいたい。池田大作は信仰心が全く無く、勤行をしていない。池田大作のとって宗教とはビジネスなのである。ただ、自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけている。死後の世界はおそらく信じていないであろう。何故なら仏典に照らして池田大作の無間地獄行きは決定しているからである」
松本勝彌氏は貧しい学会員から搾り取った正本堂建造のための募金返還運動に立ち上がること(造反)を決意した。十数名の仲間と一緒に造反した。松本勝彌氏は千葉県保田町にある大本山妙本寺の日蓮大聖人御真筆御本尊“末法万年救護の大本尊”こそ正しい本尊であり、日蓮大聖人の正流は妙本寺にある、と信じて行動していた。すなわち日蓮大聖人の出世の本懐とされる御本尊は大石寺の大御本尊ではなく“末法万年救護の大本尊”こそ出世の本懐とされる御本尊であると信じて行動していた。
その頃は学会員は経済的に貧しく、地区や支部の民音担当者および無理に買わされた会員たちの経済的労苦は大変であることを池田大作は知らなかったはずがない。池田大作の野望の下に設立されたのが民音である。これは池田大作のノーベル平和賞獲得のためであった。そして松本勝彌氏はありもしない金銭スキャンダルなどをでっち上げられ懲戒免職された。
民音とは非常に奇妙な組織である。昭和四十年頃、私も民音のコンサートに行ったことがある。その頃の私の家は明日にでも夜逃げかという非常に厳しい経済状況であった。それなのに民音の券を脅迫的に買わされ、近くの公会堂に一家全員で見に行ったが、少しも面白くなく馬鹿らしく、帰り際、自分は椅子の間に足を挟まれ、片足が千切れるような苦しみを味わった。救急車は貧乏でお金がないため呼ばれなかった。
その他、いろいろな事件が息を吹き返してくる可能性があった。山崎正友氏は宗門攻撃を中止するように進言した。そしてそれが学会首脳に受け入られ宗門攻撃は一端、中止することとなった。しかし、日達上人の反撃は昭和五十二年七月から始まった。その頃は創価学会が民社党の池田大作豪華私室を国会で取り上げると言っていたため弱り切っていたときでもあった。日達上人の弟子の一人が池田大作の講演の誤りを正面切って指摘したのを始めとして、創価学会の教義逸脱の指摘が大々的に行われ始めていた。
そして昭和五十三年七月、教義逸脱の訂正。九月、業者に依頼して勝手に模刻した(このことからも池田大作には全く信仰心がないことが解る)七体の御本尊の返納(勝手に模刻したのは八体有った。一体は学会本部に常住御本尊として安置されている)。十月のお詫び登山。五十四年四月の池田大作の会長辞任へと進んだ。
しかしここで“魔”の暗躍が始まった。“魔”の正体はある外典に詳しく書かれてある(十八世紀の霊能力者のスウェーデンボルク)。“魔”とは「人間の幸福を激しく憎み、人間の苦しむ様子を喜ぶ、外見は酷く醜い存在である」。
日達上人は昭和五十四年七月二十二日、急死された。日達上人の晩年は創価学会の横暴と戦う日々であった。
個人攻撃について
竹入義勝氏が高価な盆栽などを買い集めていたなどと聖教新聞などには個人攻撃として書かれていたが、竹入義勝氏は議員研修会のときは「朝から夜まで御書講義ばかり」のことはほとんど知られていないようだ。おそらくこのとき衆議院や参議院の議員も含まれていたと思われる。幾部屋にも分かれて放送を聞いていたそうである。何処で行われていたかは知らない。
私の知っている市会議員さんが竹入義勝氏の事件が起こったとき、学会の会合に訪れて語られた。毎回(おそらく日本全国、国会議員も含まれていたと思われる)の公明党議員研修会のとき「朝から夜まで竹入委員長の御書講義ばかり」であったため毎回、閉口していたそうである。政治のことは一切語られなかった。毎回、分厚い御書だけを持参しての公明党研修会だったそうである。「御書が全ての根本である。他(政治の勉強)は枝葉末節のことである」「政治の勉強は自分でしなさい」と徹底していた。幾部屋にも別れてスピーカーより聞いていたそうである。竹入義勝氏は大きな部屋で主に国会議員相手に講義をしていたと思われる。
それ故、「竹入委員長がそのようなことをするとは信じられない」と語っていた。また「私が最も尊敬しているのは昔も今も竹入委員長である」とも語っていた。司会の本部長は慌てふためいていた。
竹入義勝氏は陸軍士官学校卒と嘘の略歴で通っていたが、その略歴は公明党の委員長たる人であるために池田大作が勝手に造った。竹入義勝氏は一族全員、長野県の古くからの日蓮正宗の熱烈な信者であった。
矢野絢也氏は「永田町を語る」ことで一時、テレビ番組のレギュラーになったが、創価学会の圧力(すなわち池田大作の鶴の一声)で降ろされた。
竹入義勝氏たちができなかった創価学会の改革を自分たちができるとは考えられない、という諦観が創価学会中枢部に浸透しているため、側近もなかなか反旗を翻すことができない。それとも池田大作の死を待っているのか?
「忘恩の徒は竹入義勝氏ではない。忘恩の徒は、貴方、池田大作だ。貴方は今までたくさんの創価学会員のために現在まで極めて優雅な生活を送ることができた。それは一国の王よりも優雅な生活だった。たくさんの創価学会員はあなたのために塗炭の苦しみを忍び耐えてきた。池田大作は金正日に酷似している」
大魔王:池田大作
池田大作が戸田城聖氏の金融事業に於いて超人的な働きをし、給料が歩合制なため当時の平均給与の百倍近くを得ており、その金で女子部員の肉体を貪り、大幹部を高級料亭でもてなし自分の味方につけたと山崎正友氏(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)は書かれている。
借金の取り立てが暴力団仕込みで非情極まりなかったとも言われているが、お金のある学会員の家を当てるのが神憑り的であったことは複数の証言がある。これは霊能力で間違いないと思われる。それにより戸田城聖氏の事業を倒産直前から奇跡的に復興させ、それらが第三代会長になる大きな布石に繋がったと言われる。
心霊手術を行うことの出来る霊能力者は不幸な人のために自らの命を投げ打って献身的に奉仕しないといけないこと、そのため心霊手術を行うことのできる霊能力を授かった人は極めて厳しい信念を持って生きなければならないこと、霊能力を私利私欲のために使って酒池肉林の生活をすると狂い死にすること、そしてフィリピンやブラジルなどの心霊手術を行う霊能力者は最後は煩悩に負け私利私欲に走ってしまい狂い死にする人がほとんどであると言われる。
これは心霊手術ではないが心霊治療が非常に盛んで現代医学にも組み込まれているイギリスでも同様なことが言われている。イギリスの心霊治療家は報酬を全く取らないことで有名である。
日本では心霊手術ではないが異言を唱えることが出来た、また多数の心霊的著書を書かれた高橋信次は非常に清廉潔白な人格者であったことで間違いないが、最後はエボラ出血熱に極めて似た現代医学的に説明不可能な病態で悲惨な最期を遂げた。非常に清廉潔白な人格者であった高橋信次でさえ悲惨な最期を遂げた。高橋信次は信仰活動に必要なお金は全て自己負担であった。信者からお布施をもらうことは決してなかった。
池田大作は現在(11月6日2010年)5ヶ月間、同時放送に出席していなく安否が気遣われているが、重度の統合失調症様状態に陥り普通の病院では管理不可能で、精神科閉鎖病棟の保護室にいる可能性は高い。霊能力者が私利私欲に走り酒池肉林の生活を行うと、その罪で狂い死にすることは歴史的に証明されているからだ。
伊勢白山道の教祖は「池田大作にはすでに地獄から赤い山車が迎えに来ている」と言われている。
魔性の本尊
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
学会が偽造本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺十六代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という添え書きが入っている。創価学会は、この授与書きを勝手に抹消し、幾つかの字を変造し、破門され御本尊が手に入らなくなった平成五年より多くの会員に配布し始めた。それもカレンダーのような一枚のコピーのようなご本尊であり、制作費は一体百五十円と言われる。
日顕上人の御本尊と学会が造った偽御本尊とが取り替えられ、日顕上人の御本尊は焼却処分となった。その数は夥しい。阪神大震災は地震は起こらないとされていた地方に起こったが、なかでも被害が酷かった地域は創価学会の非常に盛んな地域であった。阪神大震災は日顕上人の御本尊を多数、焼却処分した大罪故とも言われる。大量に焼却処分した翌日に阪神大震災は起こっている。阪神大震災において創価学会員の功徳の体験談は存在しない。
学会製の御本尊には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となる。
御本尊が学会製のものになってから歓喜がほとんど感じられなくなったと思うのは自分だけではないと思う。昔の御本尊には凄い力があった。ところが御本尊が学会製のものになってから力がほとんど感じられない。生きている一瞬一瞬が歓喜となるという歓喜が今はほとんど感じられなくなってしまった。現在も、学会製のものではない昔の御本尊に祈ると凄い歓喜が湧いてくる(自分は実家に行くと日達上人の御本尊がある)。創価学会は再び日蓮正宗の門下になるべきである。もはや創価学会では成仏はできない。「学会製の御本尊に祈ると地獄に堕ちる」。これは日蓮正宗が熱心に主張していることである。
次のような投書を読んだことがある。それを要約すると次のようになる。
『自分の場合は学会製の御本尊に祈り始めた平成五年の頃、金縛りに毎夜のように会っていました。ちょうど学会製の御本尊に交換した夜からです。でも、その頃、純粋だった自分は、ひたすら信じ抜いていました。金縛りは毎夜、一ヶ月ぐらいは続いたでしょう。でも、自分は、疑いませんでした。題目を唱えつつ金縛りに耐えました。金縛りが終わった頃から“うつ病”が始まり十年間苦しみました。その頃は学会のVOICE がありましたから良く投稿していました。また、その頃は、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページが幾つもあって、いろいろとお互いに相談していました。でも、あまりにも創価学会員の“うつ病”が多いのを知られるのを怖れ、VOICEは「やった。できました。」という投稿しか載せなくなりましたし、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページは強制的に閉鎖されてゆきました。』
『私の場合は学会製の御本尊に交換した深夜、ヘビが仏壇の部屋を這い回っていました。怖ろしかった。』
そして学会製の御本尊に祈って病気が治ったということは見聞きしない。学会製の御本尊には、そういう力が存在しないのである。病気が治るどころか、病気が重篤化する。
そして御本尊が“魔”の御本尊に代わってから創価学会に入った人は「歓喜」を経験していない。それ故に勤行唱題を短くしか行わないのであろう。また、以前からの創価学会員も御本尊が“魔”の御本尊に替わってからは勤行唱題を短時間しか行わなくなっている人が大部分である。やはり歓喜がほとんど湧かないようになったことが大きく影響していると思われる。
創価学会に居続けると謗法の罪により地獄に堕ちる。早く宗門(法華講)に入るべきである。宗門と創価学会とどちらが正しいかは常識的に考えれば解ることである。解らないならば創価学会批判の本を幾冊も読むことである。特に原島嵩氏、山崎正友氏、矢野絢也氏の書いたものが良い。
学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。そして悪い現象が起こる。学会製の御本尊に祈っても病気は治らない。却って病気は重篤化する。家庭崩壊が起こらないならば早く法華講へ入るべきである。正信会は代々法主の血脈を否定しているから良くない(創価学会よりかなり良いであろうが)。大聖人以来の血脈を受け継いでいるのは法華講である。故に法華講に入るべきである。幸せになろう、病気を治そう、と思うなら法華講に入るべきである。創価学会はあまりにも汚れきってしまっている。池田大作が亡くなっても独自路線を貫くであろう。宗門との和解は行わないと思われる。完全な謗法団体そして新興宗教そして政治結社である。創価学会は金集め集団、そして選挙団体に変身してしまったのである。
以前は勤行唱題すると悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、次の日には元気一杯に学校へ行っていた。しかし、平成五年、学会製の御本尊に替わってからは、勤行唱題してもそうはならなくなった。喜びが湧かない。どんなに勤行唱題しても焦燥感が消えない。それどころか焦燥感は強くなる。
以前は勤行唱題すると心はゆったりとなっていた。悲しみ苦しみ悔しさを忘れていた。実家に行き、日達上人の御本尊に祈ると以前のように悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、心はゆったりとなり焦燥感は消える。
日達上人の御本尊に祈ると自然と短時間で「南無―――は歓喜の中の大歓喜なり」の御文のようになる。しかし学会製の御本尊にどんなに祈ってもそうはならない。却って、焦燥感に包まれてしまう。
何故なのか? それに気付くまで時間が掛かった。平成五年から創価学会員に配布され始めた学会製の御本尊は“魔”であったのである。インターネットをよく調べてようやく解った。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であったのである。
自分は池田大作の間違いには早く気付いていた。しかし“魔”の御本尊のことに気付くのが遅れた。自分は比較的軽症であったがうつ病性障害で合計五年程(五回再燃した。最初が三年間、五回を合計して五年であり、罹病期間は十年に亘る)苦しんだ。何故、自分がうつ病性障害に罹らなければならなかったのかと考えていた。それは“魔”の御本尊を拝んでいたからであると後になって気付いた。遅かった。
日達上人の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳は無い。まして何よりも「ニセ本尊」を造るほどの謗法団体になった創価学会に所属していては絶対に功徳は無い。却って拝むほどに罪業を積み重ねることになる。
今は東天に向かって遙拝勤行をしている。“魔”の御本尊には決して祈らない。すると奇妙なほど起こっていた悪い偶然は起こらなくなっている。
試しに学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしたら解る。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をするともの凄い歓喜が湧く。しかし学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしても歓喜も何も湧かない。私は行き詰まったとき学会製の御本尊に向かって十四時間唱題をしたが何も湧かなかった。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をすると「怖いものが無くなる」「どうにでもなれという心境になる」「解決策が見つかる」「歓喜が二、三日は続く」が普通であったが、学会製の御本尊に十時間唱題をしても歓喜が湧かない。ただ、焦燥感が湧く。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であるからである。
“魔”の御本尊に変わった現在、創価学会の拡大は不可能となった。創価学会は衰退の道しか残されてはいない。
再び、総本山の一信徒団体として総本山より御本尊を下付されなければ会員に不幸な現象が続いて起こる。再び、総本山の一信徒団体となることである。池田大作は決して再び、総本山の一信徒団体となることは許さないであろう。また、宗門も池田大作が未だ権力を握っている創価学会を一信徒団体として戻すことはしない。早く池田大作が亡くなることである。池田大作が早く亡くなり、側近が英断をふるうことである。
創価学会の仏法違背
創価学会の仏法違背は牧口会長時代から存在した。牧口会長は「私は一宗が滅ぶのを悲しむのではない。日本国が滅びるのを悲しむのだ」と言っていたが、日蓮正宗が滅んだら(日蓮大聖人の仏法が滅んだら)、人類の未来は真っ暗になる。牧口会長の頃から宗門軽視の姿勢が創価学会に有った。そして牧口会長は戦争に反対したから投獄されたのではない。牧口会長は自宗での戦勝祈願を激しく強要されていた。神札を受け取ることを拒否したために投獄されたのである。創価教育学会の戦争賛美は激しかった。
池田大作の時代になると宗門軽視の姿勢はあまりにも激し過ぎ、すでに昭和四十年代中頃から「宗門支配か独立か」の考えが創価学会中枢部にはあった。牧口会長、戸田会長までは創価学会の仏法違背は軽かったが池田大作に於いては余りにも激しく狂気に近い。日達上人は創価学会員の幸せのため池田大作の横暴を寛大に許し続けておられた。
例えば、昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場に於いて池田大作は時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を信徒が大勢いる中で罵声を浴びせた事件には池田大作の救いようのない慢心、増上慢が見られる。ここまで来ると池田大作は大仏敵であり堕地獄間違いなしと思われる。「堕地獄間違いない人には生前には罰の現象が現れない」という仏典の一節がある。この頃からすでに創価学会は大謗法になっていた。
平成二年には宗門蔑恕、宗門からの独立のスピーチを行い始めたが、これは昭和五十年頃からすでに池田大作により計画されていたことである。
また『一人の人間に於ける偉大な人間革命は一国の人間革命を成し遂げ、やがて全世界の人間革命をも可能にする。』という言葉が昭和四十九年頃に作られた映画「人間革命」の主題であった。思い上がり甚だしいが、この「一人」とは池田大作であることは明白であった。このとき池田大作の魔性にはっきりと気付くべきであったと私は反省している。私はその矛盾に気付きながらも必死で疑いを押し殺す純粋過ぎる少年であった。
「日蓮大聖人の仏法でないものが全世界に広がっても広宣流布ではない」と日達上人は言われた。
日達上人の慈悲溢れる寛大な処遇を池田大作は有り難くも思わず、宗門への攻撃を強め続け、遂には自ら破門の道を選択した。池田大作は自らの野望のために創価学会員の幸せを奪った。池田大作は自分がトップになりたかった。しかし宗門がそれを阻んでいた。破門の道は創価学会(池田大作)にとっては宗門の束縛から自由になるための解放の道であった。しかし堕地獄への道でもあった。創価学会員は真面目に信仰を続けた人ほど親族また自身が不幸になっている。創価学会員の生活保護所帯の多さからもそれは言える。もともと貧乏人が多かったから生活保護所帯が異常に多いのではない。中流階級と言えた人たちが不幸にも失墜して多く生活保護所帯になっている。「師が地獄へ堕ちるなら弟子も地獄へ付いてゆくのが師弟の道」という間違った師弟の道を池田大作は説いていた。「師が間違っていれば師を諫めるのが本当の師弟の道」である。これは日達上人が諫めたことである。
現在、創価学会は暴力団以上と世間から非難されている。聖教新聞の読むに耐えない造反者に対する個人攻撃はあまりにも酷く、世界最低の新聞と私は思う。これを友人たちに無理矢理、購入させていた私は今になって非常に反省している。
現在は創価学会で病気を治すことは不可能になっている。それはちょうど平成五年に創価学会が独自の御本尊を配布始めた頃からだ。日蓮正宗には「血脈相譲」という他宗他派には見られない理論がある。血脈が絶った御本尊には仏の力は存在せず、“魔”の力しか存在しない。“魔”の御本尊に病気治癒を祈ると却って病気が酷くなるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈ると悪いことが起きるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈っていれば人生が下降線に陥るのも当然である。
実際、“魔”の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。あまり元気になれない。そのためか最近は勤行唱題を長時間行う学会員は非常に少なくなってきている。以前、日達上人の御本尊に勤行唱題していたときは心も体も軽くなっていた。“魔”の御本尊ではそういうことは起こらない。
“魔”の御本尊に勤行するとリストカットをしてしまう男子部地区部長がいる。不可抗力でリストカットをしてしまうそうである。この男子部地区部長はドクター部の精神科医より勤行厳禁とされている。しかし、信仰熱心であるため、勤行をしてしまうのである。
“魔”の御本尊の半径二メートル以内では「死ね、死ね」という幻聴が聞こえる婦人部がいる。半径二メートル以外では聞こえない。
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
日本には病気などにより一生を台無しにした人たちが無数に居る。池田大作が悪鬼を創価学会に雪崩のように呼び入れたためだ。現在も彼らは病気で苦しんでいる。信仰熱心過ぎる程であった故に病気になってしまった人たちである。池田大作が居なければ、そういう不幸なことは起こらなかったはずだ。
不慮の事故で亡くなった方たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど不慮の事故で亡くなる。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
事業や商売が倒産して苦渋をなめた人たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど事業や商売が倒産する。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
ガンで亡くなった人たちがあまりにも多い。特に熱心な人ほどガンで亡くなる。例えば創価学会で最も弁が立つと言われていた西口副会長は舌ガンで五十一歳にして亡くなった。原田新会長とともに将来を嘱望されていた野崎副会長も若くしてガンで亡くなった。地方の大幹部もガンで亡くなる人が多い。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
何故、最高幹部たちは池田大作に追従する態度を貫くのか? それは生活のためお金のためであるのか? 裏切り者と非難されるのを怖れるためか?
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』の御文を考えるなら正しいことを主張するべきである。学会の最高幹部という地位にしがみつくのが「世渡り、要領」と考えているのか? 正義感は無いのか? スターリンの恐怖政治のようなものが行われているからか? 池田大作の間違いには気付いているはずである。
もし、池田大作亡き後、『池田大作礼賛』が行われるならば創価学会は完全な邪宗から立ち直ることはできない。創価学会員は苦しむことになる。
しかし、『池田大作批判』が公然と聖教新聞上で激しく行われるならば創価学会は蘇生するだろう。そして創価学会員は幸せになれる。
現在、創価学会本部および聖教新聞社は完全に池田大作に押さえられている。しかし創価学会本部および聖教新聞社の社員が団結して立ち上がるならば『池田大作批判』は起こり得る。
側近は池田大作の本性を知っているはずである。それとも末端の会員が不幸になろうと、自分たちさえ安穏で良ければ良いという考えなのか? 創価学会本部および聖教新聞社および地方の本部会館職員および外郭団体の給料は良いのである。中堅企業並みと言って良い。造反者が出るたびに給料は良くなっていった。つまり造反者が出ないように給料を良くしているのである。
創価学会の中枢部は腐敗が甚だしい。金庫事件(ゴミ捨て場に一億七千五百万円という大金の入った金庫が捨てられていた事件。創価学会の金庫番または陰の会長と言われた中西氏が創価学会本部の地下室に保管していたもの)のように創価学会の中枢部は池田大作の姿を日常的に見ている故に、各県の中心者(各県の中心者は大概、しっかりしている。しかし、本部から派遣の大幹部はその限りではない)と異なり堕落甚だしいのである。中西氏は原島嵩氏が池田大作を諫めようとした際、「あれには何を言っても無駄だ」と言ったことで有名である。また、第一次宗門戦争(このとき数万単位の創価学会員が法華講に入った)の際、池田大作に愛想を尽かし、退職届を出したことでも有名である。以来、中西氏は毎日、読書三昧という閑職に追い遣られた。解雇すると内部事情を熟知しているため、内部告発されないように学会内部で飼い殺ししているのである。中西氏は池田大作、北条会長、秋谷会長と同じく戸田門下生である。
秋谷会長が同時放送で池田大作から暴言を浴びせられる光景を幾度となく見てきた。一度は踊ることを強制され、秋谷会長は踊った。すべて全国幹部会の時である。秋谷会長は池田大作より二歳年下であり、戸田門下生である。池田大作の戸田門下生を嫌うことは有名である。現在、創価学会の要職はほとんど池田門下生で占められている。戸田門下生なら池田大作に諌言することができるからである。現在の原田会長は池田門下生になる。諫言する者が居ない現在、池田大作は何を命令するか解らない。純粋で熱血的な青年部はテロも行うだろう。
自分の立身出世のため、あるいは生活のため、創価学会にしがみつき、池田大作に奴隷のように仕えているのが創価学会最高幹部達である。多くは信仰心を失っているのではないかと推測される。それは彼らの年数千万という高給から推測される。
「法華経」は奇跡の教典
古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。
「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦五百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は原始仏教のみを説いたという説が強い。
故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が多い。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。
「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。
宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。
この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。
しかし、創価学会は間違った。池田大作が権力を握った頃、誤ってしまった。それは昭和三十五年頃になるだろう。そこから悪鬼が創価学会に雪崩れ込み、創価学会員に次々と不幸が襲うようになった。池田大作はもともと大悪鬼であって広宣流布を頓挫させるためにこの世に現れたと推測される。先に書いた「智者の身に…」ではない。第一、池田大作は元暴力団という説もある(少なくとも戦後のどさくさの時、暴力団で高利貸しの手伝いを行っていたということは事実のようである。山崎正友氏が書かれている)。同時放送ではその片鱗が見える。
もし、池田大作が大悪鬼でなければ広宣流布は成し遂げられていた可能性もある。石田次男氏が第三代会長になっていたら良かったのであるが、権力欲の固まりの池田大作が第三代会長になってしまった。そして池田大作が悪鬼を創価学会に大量に雪崩れ込ませ、創価学会員に不幸なことがたくさん起こるようにしてしまった。そして広宣流布は頓挫した。
「権力欲の塊である池田大作の狂気のために創価学会員に不幸が競い起こっているし、広宣流布が頓挫している。また選挙が第一となり、献金が第二となり、折伏が第三となっている」「池田大作は権力欲の塊である。そのために選挙が第一となっている」
「人間革命」では池田大作が広宣流布を一人で推進させたようになっているが、現実では広宣流布は名もない一人一人の庶民の血の滲むような努力の結晶であり、「人間革命」に書かれてあることは池田大作を神格化させるよう嘘に満ちていることは良く言われていることである。
もしも、池田大作の死後、池田大作の神格化が行われたら、池田大作が招き入れた無数の悪鬼は創価学会から去らず、創価学会員に不幸が競い起こり続ける。そして創価学会は弱体化してゆく。
しかし、池田大作の死後、池田大作否定が行われたら、創価学会より悪鬼は逃げ去り、創価学会員は幸せになってゆくであろう。そして広宣流布は再び進展してゆく。
韓国の情勢を見て解るように池田大作否定が行われないならば分裂は必ず起こる。池田大作がおかしいと気付いている創価学会員は多数存在する。しかし、池田大作を神格化している創価学会員も多数存在する。分裂は避けられない、というのが現在の一般的な見解である。池田派、反池田派と分裂し骨肉の争いが起こるということが現在の一般的な見解である。
第一次、第二次宗門戦争のように池田派は創価学会に残り、反池田派は宗門へゆく、という見解が現在の一般的見解である。家庭崩壊を避けるために第一次、第二次宗門戦争のように創価学会に残り、白けながらも慎ましやかに信仰を続ける人たち(とくに壮年部)が多数発生するであろう。心の中に「池田大作への批判」を強く持ちながらも、家庭崩壊を避けるために創価学会に残る壮年が多数発生するであろう。
賢明な婦人は池田大作の欺瞞性に気付くが、その数は少ない。女性は批判精神が弱く盲信から抜け出すことが難しい。しかし宗門に移っている人は信仰強情な人ばかりと言って良く、女性の方が宗門に移るのが多い地区、支部も多い。信仰を適当に行っている人は創価学会に残っている。周囲の反対や抗議に抗してまで宗門に移る情熱が無いからだ。信仰に対する疑問を抱きながらも、そのまま創価家族の中に安穏と住していたいからだ。
例えば「ユダヤ教は母親がユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒と見なされるが、父親のみがユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒とは見なされない」。
「かつてキリスト教徒の女性はキリスト教の男性と結婚することは許されず、異教徒と結婚することしか許されなかった。しかし、この定めによりキリスト教は拡大してゆき全ヨーロッパに弘まった」
しかし現在では創価学会の女性は創価学会の男性と結婚しなければ信仰を続けることが難しいと言われている。信仰熱心な家庭は子女を創価学会員以外の男性と結婚させることはなかなか許さない。もしも創価学会員以外の男性であれば、その男性を創価学会に入会させて結婚するのが常識となっている。
時代の変化により、人々の信仰心が薄くなった故である。昔は人々の信仰心は極めて篤かった。信仰を捨てることを昔の人々はなかなかしなかった。また、キリスト教で火焙りの刑に処されるのは「魔女狩り」で有名なように女性が大部分であった。男性は火焙りの刑を怖れ、キリストの信仰を棄てるのが普通であった。また、キリスト教では神から与えられた命を自ら奪うことは厳禁とされており、火焙りの刑の苦しみから逃れようと男性は舌を噛み切って苦しみから早く逃れようとするが女性は舌を自ら噛み切るという神の教えに叛することを行うことはなかった。
そして不受不施派のことであるが、これは岡山県に存在する。日蓮宗富士派の一系統とされる。日蓮宗は釈迦を本仏とする身延派と日蓮を本仏とする富士派に分けられる。身延派は釈迦を本仏としている故に他教団との折り合いが良かった。しかし日蓮を本仏とする富士派はその厳格で頑なな教義故に(日蓮大聖人の御書を読むとこちらが正しいことが解る。すなわち日蓮大聖人の教えは厳格で頑なである。創価学会の現在の邪宗との馴れ合いは謗法である)余りにも厳格であり度々、迫害を受けてきた。江戸時代の金沢法難、仙台法難などがある。
不受不施派は富士派より遙かに大聖人の教えを頑なに守り、他宗を信ずる人からの布施は受けない、他宗に施しは決して行わない、など徹底していた。大聖人の御書を読むと確かに不受不施派の主張が正しく思われる。日蓮大聖人の手紙などを集積したものである御書を読むと、如何に日蓮大聖人の他宗排除が強かったかが理解される。不受不施派は日蓮大聖人の教えの通りに振る舞う極めて厳格な宗派であった。不受不施派に入いると必ず当時の権力者に日蓮大聖人が「立正安国論」を提出したように諫行書を提出しなければならないようになっていた。諫行書を幕府に提出したならば遠島になるのが当時の習わしであった。八丈島などに遠島になっていた。それ故に、江戸時代では「切支丹と不受不施派には絶対に入るな!」と民間の間で言われていた。しかし、切支丹は死罪の中でももっとも重い火焙りの刑であったが不受不施派は遠島のみであり幕府は不受不施派には脅威は抱いておらず比較的穏健な刑で済んでいた。不受不施派はそれ故に寺を設けることはできず、明治時代になっても現在まで寺はなかった。現在、岡山県にただ一つ寺院がある。
不受不施派は捕らえられても仲間のことを口外しないよう修行中より身をどんなに激しく打たれても耐えられるように鍛練をしていたという。つまり、どのような拷問にも仲間のことを口にしないように耐えられるよう日頃から訓練をしていたという。この清廉潔白さ、頭が下がる。こういう講が現在も有れば、どんなに素晴らしいだろう。
私は隠れて法華講に入るかもしれない。今日にでもお寺に行くかもしれない。「創価学会を正式に脱会しないでも法華講に入れる」と最近、聞いた(しかし「隠れ法華講」として過ごすことになる)。創価学会には選挙のたびに嫌気がさしていた。同時放送はあまりにも馬鹿みたいだ。座談会でも池田大作の捏造された過去の作り話を「大百蓮華」を教本に本当のことのように読んでゆく。
(補記)日蓮大聖人の御書には後世の人が造った偽書が半分近くを占めていることが最近の研究により分かってきた。狂信者が偽書を作成したと推測される。あまりにも激しすぎる他宗批難の書は偽書の可能性が高いようである。
池田大作の悪行
私が男子部の頃、友人を同時放送に連れて行ったとき『あの傲慢な態度は何か? 宗教指導者とはとても思えない。権力欲に燃えた暴君ではないか!』と言われたとき、その頃は純真に信仰していた私は友人のその言葉を悲しく思った。
私も中学生・高校生の頃は池田大作の写真を机の前に置いて勉強していた。青年部の活動が終わった深夜、体を鍛えるために池田大作の名を唱えながら懸命に走っていた。何も知らなかったあの頃は辛く厳しかったけれども充実していた。宿業の嵐は吹き荒れながらも御本尊様の前に座り題目を唱えて耐えてきた。しかし、苦し過ぎた。
今は、あれが宿業であったのか、それとも池田大作が創価学会に招き寄せた悪鬼の仕業であったのか、判然としない。その両方であったと思われる。
男子部の頃、病に倒れ、信仰に疑いの心を抱き、退転し、自殺していった同志が二人いた(二人ともマンションからの飛び降り自殺であった)。あれは池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものであると思う。
借金で一家離散になった家族がいた。あれも池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものと思う。
大悪鬼のご機嫌伺いをしながら側近たちは一日一日を送っている。もはや総理大臣になれないことが解ったこの権力欲の醜い肉塊(大悪鬼)は、今でも公明党を裏から支配している。我々は五十年もの間、選挙の度に家庭や仕事を抛って選挙運動を行わされてきたのはこの権力欲の醜い肉塊(コモドドラゴン)を一国の首相にさせるためだったのだ(山崎正友氏らの内部告発)。
選挙運動には大きな功徳があると同時放送などで言い、功徳の欲しい苦しみ悩んでいる主に婦人部を懸命の選挙運動に走らせた。それは選挙違反を超えるまで選挙運動に駆り立てた。警察は創価学会員の選挙違反は大目に見てきた。公明党との癒着があったからである。しかし布教が進まず、もはや総理大臣になれないと解ったとき池田大作は激怒した。池田大作は自分が総理大臣になったときの閣僚の名簿を造っていたほどである。
池田大作は重い糖尿病を患いながらも側近のお抱えの医師に最高水準の医療を尽くさせ、現在、八十二歳まで生きてきたが、池田大作はもはや明日にも脳梗塞または心筋梗塞で倒れる状態にある。重い糖尿病ながらも一個三万円もする最高級メロンには目がなく、それにかぶり付く姿は権力欲の肉塊コモドドラゴンとも言える。
この権力欲の肉塊、権力欲の大悪鬼、コモドドラゴンが亡くなったときが、創価学会が飛躍するか瓦解するかの岐路となる。そのとき側近たちがどう動くかが人類の幸不幸を握っているといっても過言ではない。側近たちが賢明に動くことを期待するしかない。
それとも我々が外から動くか? 未だ、側近たちは動かないでいる(3月10日2010年)。側近たちには信仰心がないのか? ただ自分たちの今世の幸せ(安穏)のみを願っているのか?
公に法華講に移ることは私にとっては不可能である。古くから信仰している実家の両親への嫌がらせがある。00のあの人のように創価学会に残り続けて創価学会を内部から改革してゆくか? しかし創価学会の中枢部は池田大作により腐敗堕落が激し過ぎ、改革不能という意見が多い。新しい創価学会を別に造ればいいんだ。
韓国で進んでいる創価学会反主流派に属したつもりでゆこうか? 「善の連帯」という韓国の創価学会反主流派は正しい。韓国では創価学会主流派と創価学会反主流派が同じ程度の勢力にまでなっていると言われる。このことは支部長(または本部長)以上の幹部しか知らない。しかし最近三年間ほどの情報は全く途絶えている。意図的な何かが働いているとも思える。
海外は創価学会は崩壊近くなっているところが多く、日蓮正宗の方が創価学会よりも信者数では多い。スペインの指導者は公然と池田大作に反旗を翻した。他の国に於いてもその国の創価学会のナンバー一が池田大作に反旗を翻し、創価学会が瓦解したところは多い。ガーナ、台湾などたくさんある。スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。それに反抗し反旗を翻したということである。
昭和四十八年、池田大作は八体の御本尊を業者に依頼して造らせた。その一体は創価学会本部にある。創価学会本部の七階に安置されている。これは「正本堂が御遺命の戒壇であることの証明の御本尊である」と池田大作は言っている。その御本尊が創価学会本部の七階に一体、安置されている。しかしこの一体は日達上人により開眼供養が為された。
七体は総本山に返納された。この本尊模刻事件が第一次宗門戦争の大きな要因になった。そこには池田大作の自分が御本尊を造っても良いとする自己愛性パーソナリティ障害(すなわち自分が日蓮大聖人よりも偉いという自己愛性パーソナリティ障害)が見られる。
御本尊は代々の猊下が丑虎勤行の後に一体一体書写するものである。現在、出回っている“魔”の御本尊のように(創価学会製の日寛上人の御本尊のように)印刷機で造るものではない。印刷機で造られた一体百五十円の御本尊には全く力が無い。それどころか“魔”の力が宿っている。その“魔”の御本尊を拝めば拝むほど不幸になってゆく。
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊を拝む創価学会員はどんどん不幸になってゆくであろう。知らず知らずのうちに不幸の泥沼に陥ってゆくであろう。創価学会員は教学をしなければならない。しかも本当の教学をしなければならない。現在、創価学会員は教学をしなくなっている。選挙運動と友好活動に汲々としている。
教学をすると「本尊模刻」がどれほどの謗法に当たるかが分かるであろう。第一次宗門戦争のとき、宗門に移った人たちは大部分が教学をよく勉強していた。教学を日頃からよく勉強している人たちが宗門に移った。原島嵩氏は「本尊模刻」すなわち本尊偽造の罪は万死に値すると書かれている。また、「本尊模刻」は狂気の沙汰で「頭破作七分」(心破作七分とも言う)の所業と書かれている。
池田大作の宗門支配(または宗門からの独立)の陰謀はあからさまには昭和五十二年元旦から始まった。元旦の挨拶は日蓮正宗攻撃で満ちていた。それまで池田大作の宗門への横暴を寛大に許してきた日達上人への恩を仇で返すものであった。日達上人もここに来て堪忍袋の緒を切らした。
このときは妙信講問題(正本堂を造ったことが謗法に当たるということ)、松本勝彌氏の裁判問題(正本堂基金返還訴訟。正本堂が国立戒壇といわれて基金したが後に正本堂は国立戒壇ではないと創価学会が主張し始めたことにより、創価学会を詐欺として裁判所に基金返還訴訟を起こしていた)が片付いてはいなかった。松本勝彌氏は民音で働いていた。
「池田大作は自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけて平気でいる。その池田大作の欺瞞性をこの裁判を通じて明らかにしてゆきたい。池田大作から騙され続けている三百万の学会員に目覚めてもらいたい。池田大作は信仰心が全く無く、勤行をしていない。池田大作のとって宗教とはビジネスなのである。ただ、自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけている。死後の世界はおそらく信じていないであろう。何故なら仏典に照らして池田大作の無間地獄行きは決定しているからである」
松本勝彌氏は貧しい学会員から搾り取った正本堂建造のための募金返還運動に立ち上がること(造反)を決意した。十数名の仲間と一緒に造反した。松本勝彌氏は千葉県保田町にある大本山妙本寺の日蓮大聖人御真筆御本尊“末法万年救護の大本尊”こそ正しい本尊であり、日蓮大聖人の正流は妙本寺にある、と信じて行動していた。すなわち日蓮大聖人の出世の本懐とされる御本尊は大石寺の大御本尊ではなく“末法万年救護の大本尊”こそ出世の本懐とされる御本尊であると信じて行動していた。
その頃は学会員は経済的に貧しく、地区や支部の民音担当者および無理に買わされた会員たちの経済的労苦は大変であることを池田大作は知らなかったはずがない。池田大作の野望の下に設立されたのが民音である。これは池田大作のノーベル平和賞獲得のためであった。そして松本勝彌氏はありもしない金銭スキャンダルなどをでっち上げられ懲戒免職された。
民音とは非常に奇妙な組織である。昭和四十年頃、私も民音のコンサートに行ったことがある。その頃の私の家は明日にでも夜逃げかという非常に厳しい経済状況であった。それなのに民音の券を脅迫的に買わされ、近くの公会堂に一家全員で見に行ったが、少しも面白くなく馬鹿らしく、帰り際、自分は椅子の間に足を挟まれ、片足が千切れるような苦しみを味わった。救急車は貧乏でお金がないため呼ばれなかった。
その他、いろいろな事件が息を吹き返してくる可能性があった。山崎正友氏は宗門攻撃を中止するように進言した。そしてそれが学会首脳に受け入られ宗門攻撃は一端、中止することとなった。しかし、日達上人の反撃は昭和五十二年七月から始まった。その頃は創価学会が民社党の池田大作豪華私室を国会で取り上げると言っていたため弱り切っていたときでもあった。日達上人の弟子の一人が池田大作の講演の誤りを正面切って指摘したのを始めとして、創価学会の教義逸脱の指摘が大々的に行われ始めていた。
そして昭和五十三年七月、教義逸脱の訂正。九月、業者に依頼して勝手に模刻した(このことからも池田大作には全く信仰心がないことが解る)七体の御本尊の返納(勝手に模刻したのは八体有った。一体は学会本部に常住御本尊として安置されている)。十月のお詫び登山。五十四年四月の池田大作の会長辞任へと進んだ。
しかしここで“魔”の暗躍が始まった。“魔”の正体はある外典に詳しく書かれてある(十八世紀の霊能力者のスウェーデンボルク)。“魔”とは「人間の幸福を激しく憎み、人間の苦しむ様子を喜ぶ、外見は酷く醜い存在である」。
日達上人は昭和五十四年七月二十二日、急死された。日達上人の晩年は創価学会の横暴と戦う日々であった。
個人攻撃について
竹入義勝氏が高価な盆栽などを買い集めていたなどと聖教新聞などには個人攻撃として書かれていたが、竹入義勝氏は議員研修会のときは「朝から夜まで御書講義ばかり」のことはほとんど知られていないようだ。おそらくこのとき衆議院や参議院の議員も含まれていたと思われる。幾部屋にも分かれて放送を聞いていたそうである。何処で行われていたかは知らない。
私の知っている市会議員さんが竹入義勝氏の事件が起こったとき、学会の会合に訪れて語られた。毎回(おそらく日本全国、国会議員も含まれていたと思われる)の公明党議員研修会のとき「朝から夜まで竹入委員長の御書講義ばかり」であったため毎回、閉口していたそうである。政治のことは一切語られなかった。毎回、分厚い御書だけを持参しての公明党研修会だったそうである。「御書が全ての根本である。他(政治の勉強)は枝葉末節のことである」「政治の勉強は自分でしなさい」と徹底していた。幾部屋にも別れてスピーカーより聞いていたそうである。竹入義勝氏は大きな部屋で主に国会議員相手に講義をしていたと思われる。
それ故、「竹入委員長がそのようなことをするとは信じられない」と語っていた。また「私が最も尊敬しているのは昔も今も竹入委員長である」とも語っていた。司会の本部長は慌てふためいていた。
竹入義勝氏は陸軍士官学校卒と嘘の略歴で通っていたが、その略歴は公明党の委員長たる人であるために池田大作が勝手に造った。竹入義勝氏は一族全員、長野県の古くからの日蓮正宗の熱烈な信者であった。
矢野絢也氏は「永田町を語る」ことで一時、テレビ番組のレギュラーになったが、創価学会の圧力(すなわち池田大作の鶴の一声)で降ろされた。
竹入義勝氏たちができなかった創価学会の改革を自分たちができるとは考えられない、という諦観が創価学会中枢部に浸透しているため、側近もなかなか反旗を翻すことができない。それとも池田大作の死を待っているのか?
「忘恩の徒は竹入義勝氏ではない。忘恩の徒は、貴方、池田大作だ。貴方は今までたくさんの創価学会員のために現在まで極めて優雅な生活を送ることができた。それは一国の王よりも優雅な生活だった。たくさんの創価学会員はあなたのために塗炭の苦しみを忍び耐えてきた。池田大作は金正日に酷似している」