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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(7)

2011-03-03 19:54:07 | 日記
第3章「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」
犯罪集団・創価学会
 これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。
(事件が起こった年月が分かっていないものもあるため、順番は正確ではない)

吉展ちゃん事件―――昭和三十八年、東京都世田谷区で建設業を営んでいた000さんの長男・吉展ちゃんが誘拐され、犯人は両親に身代金五十万円を要求した。
 両親が要求通りに五十万円を支払ったにも拘わらず、吉展ちゃんは死体で発見された。犯人の小原保が逮捕され、裁判の結果死刑を宣告され、執行された。
 この小原保は熱心な創価学会員であった。その小原保は吉展ちゃんを誘拐し、殺害して金を手に入れた直後に学会活動で知り合った会員仲間の愛人宅で、奪った金を仏壇に供え、二人して“功徳により大金を手に入れることができたこと”への感謝の唱題を続けていた。
 幼児を誘拐し殺して奪った金を「創価学会の信仰の“功徳”だ」と言っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から創価学会より洗脳されてきた結果と思われる。

サラ金侵入放火事件―――――――財務などの活動費によって生活苦に陥り、サラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家00000は、返済に窮し、借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

大石寺売店主・手形詐欺事件
サラ金苦・友人母子殺害事件

座談会場殺人事件―――――昭和四十二年、愛媛県新居浜市の座談会場で、座談会開催中、青年部員・0000に刺殺されたのは000地区部長。登山していた母親の連絡先を訪ねた際、「後にしてくれ」と言われたことに腹を立て、近隣の学会員経営の食堂から包丁を持ち出し、地区部長を刺殺した。000は十年ほど服役後出所。再び学会活動に従事したが、高知県の選挙の応援の帰途、車ごと谷に転落して死亡した。純粋な信仰をしていた男子部員であった。

千葉判事補・女子高生連れ込み事件―――――創価大学一期生で司法試験に合格、判事補に任官して池田大作の弟子の中で“希望の星”の一人であった千葉判事補は事件関係で知り合った女子高生を自宅に連れ込んでいたことが発覚。千葉判事補は刑事事件にはならなかったものの裁判所を辞職する。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

JRの駅で医師を刺殺した事件ーーー京浜急行青物横丁駅で、岡崎医師が元患者によって射殺されたが、その場で現行犯逮捕された犯人は熱心な学会員家族の一員であった。

連続ガムテープ強姦事件――――昭和五十七年一月まで都内各地で三十二件もの強盗強姦を重ねていた0000は現役・大B長。日頃、会員たちに“人間革命”を説き、池田大作を礼讃する創価学会の幹部が長期にわたり凶悪事件を重ねていたという恐るべき事例である。

川崎・連続放火事件――――昭和五十七年二月から五十八年一月にかけて三十件にもおよぶ連続放火を続けていたのは本部壮年長の息子で青年部の0000。

金の延べ板盗難事件――――昭和五十七年三月、秋田県の同和鉱業から三千万円の金の延べ板を盗みだし古物売買ルートに乗せて売り捌いていた盗難グループは全員、創価学会員。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

お寺侵入殺傷事件―――――昭和五十七年、佐賀における事件である。統合失調症で通院治療を受けていた二十九歳の創価学会青年部員が、包丁を持って佐賀県武雄市の深遠寺に乱入、高木当道住職の妻子やお手伝いさんを次々に刺し、そのお寺の幼い子供(三歳と五歳の少女)を刺殺したほか、手伝いに来ていた二十一歳の女性をも刺殺した。住職は法要のため外出していた。逮捕された青年は昭和五十五年には広島市の寺院に投石を繰り返し、器物破損の容疑で逮捕された前歴を持つ。青年が日蓮正宗の寺ばかりを執拗に敵視するのはそれなりの理由があった。創価学会に入れば、金儲けを始め、病気の治癒など、利益がいっぱいあると聞かされて入信、学会活動にも励んだが逆に金を取られる始末。学会への恨みが嵩じて、授戒を受けた日蓮正宗寺院をも逆恨みするようになったのである。

元警官の学会員による強盗殺人事件―――昭和五十八年、千葉県船橋市の創価学会前原支部総会で、元警官で熱心な創価学会活動家の沢地和夫は「入信にしたおかげで、思わぬ収入を得、借金を返すことができた。大きな功徳を頂いた」と体験発表し、満場の喝采を受けた。沢地は元警視庁警官の身でありながら二人の資産家を殺害、金品を強奪した。沢地は強盗殺人を犯して得た金を功徳と言っていたのである。沢地は活動熱心な創価学会員であった。学会活動で知り合った女性と二人で感謝の題目を上げていた。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。
 沢地和夫は死刑の判決を受け執行された。沢地和夫が刑務所内で書いた本が評判になっている。

山口母子殺人事件――――六ヶ月の子供と二十二歳の主婦を殺害した余りにも有名な事件。犯人は男子部班長。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

カレー毒入り殺人事件――――――犯人・林真澄は熱心な創価学会員。勤行は欠かさず行っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

不倫妻と愛人共謀殺人事件―――――昭和六十三年、千葉県大原町で、不倫妻と愛人が共謀して夫を殺害。灯油をかけて焼いた事件の犯人である不倫妻は学会地区幹部の0000。愛人も学会員。殺された夫は本部長。

北海道原野商法――――――昭和六十四年、不動産バブルの風潮を利用し、北海道の、ほとんど資産価値のない土地を、何も解らない主婦たちなどに売りつけ、いわゆる「原野商法」で詐欺罪に問われ、逮捕された沢井俊光は、熱心な学会員であり、詐欺で得た多額の金を「財務」として創価学会に貢ぎ、池田大作から、サイン入りの著書を贈られた。沢井は、この本を仲間の学会員に自慢して見せびらかしていたという。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

別府寿福寺六億円身代金要求僧侶誘拐事件―――――平成元年十一月七日、大分県別府市・寿福寺住職が創価学会壮年部ブロック長の桝永廣典らによって誘拐され、身代金六億円が創価学会に要求された。現金六億円は直ちに用意されて犯人は逮捕され事なきを得たが、反面、創価学会の金権体質を浮き彫りにした。主犯の桝永は「創価学会なら金がある。身代金を出してくれると思った」と供述した。その背景には創価学会の宗門を敵視する意識があったと思われる。

公明党議員の口利きで生活保護を受けていた学会員の老婆が覚醒剤の密売をしていて逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

札幌市・婦女暴行事件――――――平成五年十月、創価学会男子部三人が起こした事件。三人とも創価学会の“嫌がらせ部隊”隊員。常に卑劣な犯罪行為を行ううちに、犯罪に対する罪悪感が失われたものと思われる。脱会者の家の前で糞をする、脱会者の郵便受けに糞を入れる、脱会者の庭に糞を投げ込む、このような行為を日常的に行ってきた故に人格がすさみ、犯罪に対する罪悪感が欠如してしまったものと思われる。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

特別公務員暴行致傷事件―――――――創価学会の検事である00氏は平成五年十一月、ゼネコン汚職の取り調べの際に二人の参考人に対して暴行を加えた。それは書くのも憚られるほど凄まじいものだった。狂気としか言いようがない。被害者は言う。
「壁に向かって立たされ、後ろから思い切り蹴飛ばされたり、土下座させられ、首筋を散々踏みつけられたりした。その上、往復ビンタで口の中を切り、血が二メートルに亘って飛び散った。その血を拭き取りながら00は『お前はエイズじゃないだろうな』と聞いた」
 同検事は以前にも暴行を繰り返していた。懲戒免職となり、公務員暴行致傷事件で逮捕される。現職検事が懲戒免職になったのは昭和二十七年以来であり、暴行事件で懲戒免職になったのは初めてのことだった。
 00氏は熱心な創価学会員で、司法試験合格後、“池田大作に激励されて試験に合格した”と体験発表している。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

大阪でホームレスの老人を道頓堀川に投げ込み殺害した事件ーーー平成六年、ホームレスの老人が台車の上に寝ていたところ道頓堀川に投げ込まれ水死した事件。犯人は二十四歳、東京駅で三日後に逮捕されたが熱心な創価学会の家で生まれ育っている。熱心な学会員の子は“福子”と呼ばれ仏に祝福されて生まれてきたとされる。この男の場合は名前から見て池田大作が名付け親である可能性が極めて高い。“魔”の御本尊が遠因と思われる。

愛媛県の最高幹部伊予分圏議長0000が松山外港埋め立て工事に伴う補償金のうち百二十万円を詐欺横領して逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

ピアノ教師惨殺事件―――――――平成九年八月一日、浜松市のピアノ講師(女性)が殺害されました。
警察の調べによると、犯人の0000は、その女性講師と以前交際していたのですが、別れ話のもつれから、彼女のマンションに忍び込み、身体を百ヶ所以上もメッタ刺しにして殺した、とのこと。
00は創価学会の男子部で、彼の実家は、近所でも、�熱心な学会家族�として有名な家でした。 

  
平成十年四月、岐阜県職員の0000が同市職員の000さんを殺害。金銭貸し借りのもつれが原因。二人ともに学会員。学会員同士の金銭の貸し借りは厳禁されている。金銭の貸し借りが発覚すると叱責処分、また除名処分もあり得る。しかし、それは守る学会員もいれば守らない学会員もいる。

平成十年十一月、東京都目黒区で夫が包丁により妻を刺し(重体)また妻の母を刺し殺す事件が発生。被害者の妻と母は熱心な学会員。夫の学会への入会を巡る争いが原因。夫に入会をしつこく強要したため、夫が逆上したのであった。

覚醒剤男・四人刺殺事件―――――――創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。

覚醒剤男・ガソリンスタンド立てこもり事件―――――――これも創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。


レッサーパンダ男殺人事件――――――平成十三年、東京都浅草の路上で、短大生、Oさん(十九歳)が何者かに刺殺されるという事件が発生した。犯行時にレッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被っていたことから「レッサーパンダ男」などとマスコミに騒がれた。犯人はホームレスのテントに二ヶ月ばかり同宿していたが、その間、テントで父親と毎日二時間“魔”の御本尊に向かって唱題していた。犯人の父親は一年前に創価学会に入会し、聖教新聞も購読し、真面目に勤行に励んでいた。模範的な創価学会員である。息子も入会手続きは定かでないが、欠かさず勤行唱題に励んでいたという。
 拝んでいた“魔”の御本尊が元凶で、発作的に、レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被って女子短大生を刺殺する行為に走らせたと思われる。

(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p38-45 参照)
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p164-72 参照)
 他にもたくさんたくさんあるが書ききれない。
 これら犯罪を犯した学会員の多くは熱心な会員や幹部達である。
 これらの会員に対し、池田大作は「会合にも出ない。教学も勉強していない」と弁明しているが、その逆である。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。このことを池田大作は認識しているのか疑わしい。“魔”は熱心な信者につけ込むのである。
 もう一度書く。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。

 創価学会では「学会イクオール善・正、社会イクオール悪・邪」との考えを会員に植え付ける。その結果、学会員以外を敵対視するようになり、排他的な選民意識に支えられた学会員が様々な暴力事件や謀略活動を行っている。入信強要殺人事件までも起こしている。創価学会は日本のユダヤ人と言われる。
 上記は池田大作が招き入れた無数の悪鬼が犯罪を唆したためである。
「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。
 また、「反対者を徹底して攻めろ」と暴力脅迫行為を会員に奨励する池田大作の指導がある。
 池田大作の通訳として有名であった某女史がある有名な芸能人と結婚し、麻薬密輸に走ったことは有名であるが、これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。すなわち平常の社会通念が欠如してしまっていた故と思われる。

 創価学会は日蓮正宗関係者や批判者に対し、尾行・見張り・嫌がらせ・怪文書など、あらゆる卑劣な手段を用いて攻撃している。こういうことを行う特殊部隊が青年部に編成されている。そして卑劣な犯罪行為を繰り返すうちに犯罪行為に対する罪悪感が欠落し、平気で犯罪を起こすようになるのである。


 そして創価学会員に起こった有名な悲惨な事件として次のようなものがある。
沼川代議士・家族焼死事件―――――公明党の国会議員であるため東京に単身赴任していた沼川代議士の一家四人が焼死した事件。池田大作が「沼川はもう十五、六年も俺のところに来ないからな。だからそんな目に遭うんだよ」と言ったことは有名。

娘四人焼死事件。

中国青年部長・交通事故死―――――昭和五十九年三月二十二日深夜、鳥取県内で000中国青年部長が運転していた転輪会の学生部員とともに交通事故死した。広島市から鳥取県倉吉市までの往復六百キロ余りの道のりを日帰りで、しかも一人の運転で賄おうとする、無理な強行日程の結果生じた事故だった。この事故は上級の幹部にしか伝達されなかった。末端の会員は全くこのことを知らされなかった。末端の会員が信仰に疑問を抱くからであった。

 文化祭に関連するものとして次のことがある。何故か、最近は文化祭が行われなくなった。

 文化祭六段円塔転落死亡事件―――――――六段円塔を行うと文化祭の責任者は池田大作より誉められ、そして創価学会における地位も向上する。自身の立身出世のために六段円塔を行わせている。犠牲者およびその家族の悲しみはどれほどであったろう。文化祭は文化祭の責任者の創価学会における立身出世に大きく影響する。六段円塔を行うことが責任者の創価学会における立身出世に繋がる。しかし文化祭の責任者は全くお咎めなしである。

 世界平和文化祭練習死亡事故―――――――激しい炎天下の中で練習を強行した故である。熱射病で死亡した。その他に三百人ほどの参加者が同じく熱射病で病院に運ばれた。


 最後に「創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:p46-7」より抜粋しておく。

『ジャーナリスト内藤国夫氏が、雑誌『諸君』昭和五十七年六月号で指摘しているところによると、次のように記載されている。

「例えば、重刑罪対象の千葉刑務所に収容されている、殺人や強盗殺人事件、強姦などの凶悪犯だけでも創価学会員が十人にも上り、それ以下の犯罪者まで含めると、全部で三十五、六人に達する。さながら、創価学会収容所といっていいほど、という情報が寄せられた。具体的な個人名まで記されているが、省略して紹介しよう。
★ ★★殺人・死体遺棄(多摩川バラバラ殺人事件) S(42)大阪出身、元大B長=無期
★ ★★強盗殺人 N(51)福島出身=無期
★ ★★殺人・強盗 H(56)=無期
★ ★★殺人 N(51)新潟出身の元十両=懲役十五年
★ ★★殺人・横領 I(30)銚子出身、漁師=懲役十八年
★ ★★強盗殺人 H(29)栃木県出身=無期
★ ★★強盗殺人 Y(38)江戸川区出身=無期
★ ★★横領・殺人・窃盗 G(21)札幌出身=懲役十二年
★ ★★殺人 M(54)静岡出身=無期」

 中国地方のさる刑務所の教誨師を務めたM氏の話によると、強盗、強姦罪などを犯した重大犯の三十名は学会員であった、という。
 私が創価学会の仕掛けた“恐喝罪”のかどで服役した、初犯者を収容する黒羽刑務所でも、数人に一人の割合で学会員がいた。』

 善良な学会員が多いから信じられないと思われる方が多いと思う。しかし、私は刑務所への面会は頻繁に行ってきた。学会活動の一環として行ってきた。創価学会員にはたしかに犯罪が多い。これは池田大作が招き入れた“魔”の軍団が唆すからであろうと思う。
 あの人がどうして犯罪を、と信じられないことが多かった。現在は“魔”の御本尊に変わっているから生命力はあまり湧かないから当てはまらないと思われるが、以前は日達上人の御本尊であったから生命力が猛然と湧いてきていた。そしてそこに“魔”が付け入り犯罪に突っ走るのである。現在は分からないが以前は「創価学会のためなら広宣流布のためなら犯罪を行っても良い、世法より仏法が上、世法なんて仏法の遙か下、我々には仏法のみあり世法は無い」とする考えが創価学会中に蔓延していた。創価学会員は「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 選挙における甚だしい選挙違反も婦人部には「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 たしかに社会的にどうしようもない人が創価学会に入ったから創価学会には犯罪者それも重大犯が多いと考えることもできる。しかし私が刑務所に見舞ってきた人は部長を嘱望されていた国立大学出身の男子部地区リーダーだった。非常に熱心であるから題目を猛然と唱え、生命力が猛然と湧き、そこに“魔”が付け込み、突発的に犯罪を起こしてしまったと考えられた。
 池田大作が創価学会に招き入れた“魔”の軍団の所為である。創価学会は、激しい折伏に怒り出さなかった人々の集まりであるから、善良な人がとても多い。
 同じ創価学会員の借金の保証人になって夜逃げした人も多い。子供も巻き添えの夜逃げであるから、それは非常に悲しい。創価学会は金銭の貸し借りだけでなく「借金の保証人」になることも厳禁するべきなのである。なぜ、「借金の保証人」も厳禁しないのか、どうしても理解できなかった。
 そして男子部は婦人部とは異なり金銭の貸し借りを平然と行っていた。それも幹部が行っていた。しかも、他の幹部が知るまでなかなか返さない。やはり男性は信仰心が薄いのである。
 創価学会は婦人部で持ってきたし、今も婦人部で持っている。座談会の参加者の八十~百%が婦人部ということからも分かる。座談会には男性は地区部長など幹部しか出席しないのが普通である。地区部長が仕事で参加できないときは参加者全てが婦人部であることは良くある。信仰始めたばかりの男子部員を連れて座談会に参加したとき参加者全て婦人部であり、その男子部員が厭がったことが数回ある。


選挙運動の悲劇
 これもあまりに知らない人が多いので敢えて書いておく。知っている創価学会員は極僅かである。

新宿集団替え玉不在者投票事件―――昭和四十三年七月七日に行われた第八回参議院通常選挙の投票日に「集団替え玉不在者投票事件」という前代未聞の選挙違反事件が創価学会により行われた。その手口は学会幹部の実行部隊が他人の住所に郵送された投票所入場券を郵便受けから盗み出し公明党区会議員が選挙人名簿を閲覧して生年月日を調べ年齢、性別の似通った学会員を替え玉に仕立てて投票させるという組織的な犯行であった。
 しかも当日、本人と鉢合わせすることを避けるため替え玉には不在者投票を行わせた。これは新宿区を中心に数区にまたがり、その数は五千票を超えた。この事件は被害にあった人たちが訴え実行犯が数人逮捕されたことにより明るみに出た。不在者投票申請書の筆跡、指紋という動かぬ証拠があったから逃れられない。
 創価学会は北條浩氏、公明党委員長・竹入義勝氏を中心に操作の拡大と組織上層部への波及を防ぐために都議会議員や首都圏の県会議員、区会議員や市議会議員、学会の弁護師団を総動員し証拠隠滅工作を行った。
「替え玉投票は組織的な行為ではなく末端の暴走による個々の偶発的な犯罪である」として皆が手分けして犯人たちや所属支部の幹部に対し口止めと言い逃れのために造られたストーリーを教え込む作業を行った。しかし作られたストーリーがお粗末であったことと動かぬ証拠が多数あったためすぐにボロが出た。
 そこで竹入義勝氏が警視庁に赴き「親友」と言われた当時の00総監にすべてを打ち明けた上で「二度とこのようなことは起こさないから助けてくれ」と泣きつき、逮捕された数名とその周辺の事件のみが送検された。
 しかし、検察庁に送られた後、担当した検事はすぐに、これが組織的な犯行であることを見抜き、新宿区の全不在者投票の関連資料を取り寄せ、一枚ずつ調べる方針を打ち出した。竹入義勝氏は再び警視総監に泣きつき、お目こぼしを乞うた。警視庁は一度ふたをした事件を蒸し返されると自分たちのメンツに拘わり責任を問われることになるから検察庁の要求を「選挙違反取締本部の解散」を理由に拒否した。
 一方、竹入義勝氏は次席検事に面談し手加減を頼み込んだ。次席検事は警察が動かぬと言う以上、捜査は事実上できないので結局、送検された事案のみを起訴した。裁判に於いても組織的犯行であることを隠し、被告人への情状酌量を得るため巧妙なストーリーを作り弁護し全員に執行猶予判決を得た。
 これは特別に大規模な替え玉投票であり、通常の替え玉投票は全国各地でその後も盛んに行われ続けた。
 しかも、公明党が東京都議会に於いて大きな勢力を握って以来、警察予算と公安委員会人事を握ることになって警察は創価学会・公明党に頭が上がらなくなっていた。
 一方に於いて創価学会は常習的な選挙違反とスキャンダルや不祥事をもみ消さねばならないという事情があり、両者の癒着によって警察予算の充実と公安員会人事が円滑に行われるために、創価学会がらみの事件がもみ消されたり隠蔽されるという癒着関係が成り立ち、公明党が政権与党になった現在は創価学会・公明党の警察に対する支配力は更に強まった。
   (懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p28-31参照)

練馬事件――昭和四十四年七月十三日、東京都都議会選挙投票日の当日、練馬第四投票所に当てられた豊玉第二小学校で事件は発生した。
 午後六時の投票締め切り時刻数分過ぎに男女の二人連れが投票所に来て投票させるよう求めた。選挙管理委員会の立会人は「投票時間を過ぎ投票所は閉鎖され投票箱にはすでに鍵が掛かっているから」と法律を盾にこれを拒否した。二人は一度は立ち去ったがすぐに十数名の仲間とともに押しかけ選管の職員たちと口論になった。公明党代議士伊藤宗佑丸の秘書だと名乗る男らを含む群衆は数十名の規模に増え投票所内に乱入して選管の委員を押し倒し殴る蹴るの暴行を加え全員を土下座させ謝罪を要求した。群衆は言うまでもなく全員が創価学会員であった。主犯は市川雄一であった。
 こうした騒乱状態は午後十時まで続き、この間、群衆は指揮者を中心に気勢を上げたり「お前らはもういいかげん長生きしたのだから、ここらで死んでもいいだろう……」などと脅迫を続けた。警察官も五十人以上現場に駆けつけはしたが(それも署長が現場にいたという)どういうわけか何もせず選管職員の救出すらしなかった。
 警視庁は端緒となった二人(投票要求をした関係上、身元が割れている)だけを調べ、後は捜査を放棄して故意に迷宮入りとした。明らかに事件をもみ消したのである。主犯である市川雄一は数年間、地下に潜ったのち。公明党国会議員として復活した。
 この事件も竹入義勝氏が警視庁首脳に会い頭を下げて頼み込んでもみ消された。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p32-9参照)

(F活動ノイローゼ自殺事件)愛知県豊田市の支部長は、昭和五十八年二月、F取りのノルマ達成と、地域外からの応援部隊の受入れ体制の準備に疲れ切り、灯油を頭からかぶり焼身自殺した。

 選挙のたびに毎回複数の人が交通事故で亡くなったり、身体障害になったり、交通事故で相手を殺したりしていることは聖教新聞および公明新聞では決して報じられない。一般に学会員の運転は荒い。精神疾患を疑わせるほど荒い運転をする創価学会員がよく見られる。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきた。創価学会がバスを借り切って東京まで行ったりしている。
 衆議院選挙、参議院選挙、東京都都議選、この三つは以前より交通事故多発するものとして注意されてきた。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきたとは言え、自家用車で行く学会員は多い。交通事故で相手を殺し裁判沙汰になると相手の創価学会への憎悪の念は凄まじい。これは創価学会専門の弁護士事務所に勤めている弁護士から聞いた話である。

 池田大作は選挙運動が広宣流布を大きく阻害していることを知らないのだろうか? 学会員は選挙運動で疲れ果て、折伏を行う余力が無いようになっている。また、選挙運動さえしていたら折伏はしないでも良いと思ってしまっている学会員が非常に多い。選挙運動は創価学会の活動の一部に過ぎないという認識が一般の会員には欠けている。何故なら、懸命に力果てるまで選挙運動を行わさせられるために会員はそう思ってしまわざるを得ない。また、幹部もそういう指導を行っている。第一、池田大作が同時放送などで選挙至上の考えを会員に徹底させている。

 創価学会は公明党を丸抱えにし、支配していながら“政教分離している”と嘘を平然とつき、そして会員を組織を上げての“戸別訪問”などの“集団選挙違反行為”に駆り立てている。
 わけの分からぬおばさんたちや青年を「広宣流布のためだ!」「一票取るのも一人折伏するのも同じで、功徳がある」と言ってしゃにむにハッパを掛けるから見境のない戸別訪問の“人海戦術”が繰り広げられる。
 選挙になると会員たちは毎朝、早くから会館や拠点に集まり、“お題目”をあげ、歌や勝ち鬨で気勢を上げて戸別訪問に繰り出す。当然、選挙違反として摘発されることになり、選挙のたびに大量の検挙者を出す。
 これら選挙違反で捕まった会員には、以前は「功労賞」が贈られた。もちろん、裁判費用、弁護士費用は一切、創価学会が負担した。
 一般家庭のおばさん達や訳の分からない青年達が大っぴらに戸別訪問をやるものだから、捕まることも多く、そして捕まると“誰から指示された”と簡単に喋るから班とか支部が丸ごと芋づる式に摘発されることも少なくなかった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p15-6 参照)

 昭和四十年の三重県での選挙違反事件では、多数の逮捕者から“芋づる式”に候補者・小平芳平氏(元参議院議員)まで逮捕されかねない状況だった。
 この時は、竹入義勝氏(当時、公明党都議団長)、和泉覚氏(当時、参議院議員、参議院法務委員長)らが、検察や警察に圧力を掛けまくり、何とか候補者への波及は食い止めた。
 その後、公明党が衆議院に進出し、また、東京都議会でキャスティングボードを握ってからは、警察は創価学会の戸別訪問に対する摘発を手控えるようになった。
 よほど目に余るものは摘発するが、それも、組織の上層へ追及の手が伸びると言うことは全くなくなった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p16-7 参照)

 東京都議会選挙だと、東京都内に家や部屋を確保して、そこに拠点を造り、“土産物”を大量に送りつける。各県から組織的に送り込まれた会員は、その拠点に立ち寄り、“土産物”を受け取ってから戸別訪問に歩き、手土産の品を置いてくるのである。
 戸別訪問の罪だけでなく、立派な買収事件であるが、それが県単位に組織的に行われる。創価学会はまさに“選挙違反組織”であり、公明党は、創価学会あげての選挙違反で維持されている、といっても過言ではない。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p21 参照)