「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「創価学会に傷が付く!」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」と二十年以上前ある大きな会合で池田大作が偉そうに言い放っている。
これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われ創価学会に入会しようとしていた。
同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。聖教新聞では、すべて削除されていた。私は創価班の仕事をしながら聞いていた。
その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。池田大作もそれらが「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観によるものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差――壮年部本部長の主観――がかなりあるようである。
同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人も池田大作が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。祈祷性精神障害である。それを創価学会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。滅茶苦茶である。創価学会は狂っている。元凶は池田大作である。彼が狂っている。
(今、自分は怒りに震えながら書いている! 精神疾患の苦しさ悲しさを創価学会は全く解っていない! いや、池田大作は全く解っていない! 池田大作が元凶である!)
統合失調症およびその他の精神疾患の患者は創価学会に於いて邪魔でしかないのである。「創価学会に傷が付く」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」とその放送で狂った池田大作が偉そうな調子で言い放っている。
私が学生部のときも学生部の拠点(古い木造の大きな家)にときどき統合失調症と思われる人が玄関を徘徊していることが多くあった。彼ら彼女ら統合失調症の患者は寂しいから来ていたのだと思う。昔ここは学生部の拠点になる前、辺りの学会の拠点であった。
そしてこの拠点での会合に良く参加していたのであろう。健康だった頃の懐かしい場所なのだろう。また学生部の題目の声に誘われるようにして来ていたのであろう。抗精神病薬を服用したぼんやりとした意識の中、過去への郷愁に駆られて来ていたのであろう。
学会はこういう人々に対して一般に冷たいことが多くある。信仰がなっていないから病気になったと定義されているからである。ある年配の幹部がその人に対して言った。「00さん、あなたが来るところではない。ここは学生部の拠点だ。あなたが来るところではない。出て行け!」その年配の幹部は厳しいことで有名であった。「00さん」と言うことは知っている人であったのであろう。しかし野良犬に対するようにそのようなことを言うことには納得がいかなかった。しかし私はその頃、未だ学生部であった。文句を言うことはできなかった。
後で解ったが「00さん」は昔、この一帯の責任者的存在であったそうだ。しかしある時、突然、発病して、このようになったということだ。この一帯の草創の大功労者(この一帯の初代の男子部部隊長であった。発病は昭和三十七年頃であり、池田大作の時代だった)ということである。
もう一人、良く来ていた人はこの県の初代の女子部部隊長であった。この人もある日、突然、発病して、このようになったということである(この人も昭和三十七年頃の発病であり、池田大作の時代だった)。
また、これも後で聞いたことであるが、池田大作が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会?)で言い放ったそうである。ある優しい副会長が悲しそうに言っていた。この池田大作の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。
精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。創価学会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これは創価学会の邪義である。邪義であることは御書を読めば解る。日蓮正宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
創価学会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。池田大作の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意な創価学会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも石川伸一という偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在では余程、僻地でない限り、ほとんど無い。いや僻地でも救急医療が発達しており現在ではほとんど無い。
三十歳の女性であり会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。治す方法は簡単で勤行唱題を中止したら寛解する。しかし私はその頃は熱烈な創価学会の信者であった。私は紹介者の入会させるまでの労苦を思うと勤行唱題を中止することを提言することができなかった。
そのため抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなる。抗精神病薬を必要とするようになる。学会製の“魔”の御本尊を拝んでいた。今も抗精神病薬を服用しながら学会製の“魔”の御本尊を拝んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。
一族全員、熱烈な創価学会員。小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
小学四年生の少女である。あまりにも可哀想であった。その怒りがこのレポートを書かせていると言っても過言ではない。ここの両親は熱烈な創価学会員であり、池田大作の悪行のことは全く知らない。恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。どうにかやってこの両親にも池田大作の悪行を知らしめて娘さんを救ってやりたい。ただ、この一心でこのレポートを書いている。あまりにも可哀相であった。
三十七歳、女性。ずっと以前、東京に池田大作に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京に池田大作に会いに行ったのかもしれない。詳細は不明。ただ、二十歳の頃だったという。
病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったらしい。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
池田大作は一人の女性を統合失調症にしたのである。
社会人になって職場の上司から折伏され創価学会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。
三年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬をしたと言う。そのことに強く罪悪感を覚えている。暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して二十年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「聖教新聞は要らない、池田先生の講演集が欲しい」と言う。題目も一日何時間も上げることが多い。
男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症した。精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。入院して三十年以上が経過している。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい。」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われているのである。隔離室に入っていることが多いため勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は三十五年に及ぶ。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。器質性精神障害を考えられるも頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
このように精神病院には御本尊を所持しているが精神状態が悪く、御寿司を安置できない患者が多く、勤行唱題は全く行うことが不可能という患者が多い。現在は精神薬理学が急速に進歩してきた。以前のような鉄格子をしている精神病院は見られない。しかし、それでも創価学会の患者の場合はコントロール困難なことが多い。創価学会の統合失調症の患者は別枠で考えなければならないことが多い。
男性。幼い頃から統合失調症と診断されていた。幼い頃から創価学会の熱烈な信者。小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一生懸命に創価学会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたという。
ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変で宗門との第二次戦争の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。学会員からは「池田先生に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃から池田大作一筋であった。
男性。大学卒業の二十二歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症六年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
親族に精神疾患の家族歴はない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非学会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信な学会員。祖父の罪業が孫に降りかかってきたものと思われた。
女性。三十歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員で創価学会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親は創価学会幹部と激しい諍いを起こし、創価学会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、法華講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家には創価学会の仏壇と御本尊がある状況だった。それには妹が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊は創価学会が勝手に造った“魔”の御本尊に替わっていた。
平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。
男性。十八歳発症の社会不安障害(対人恐怖症)。高校三年の終わり頃、大学入試二次試験の直前、受験の時に御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する予定の都会の学生部より受験の時に泊まる処を世話するという電話が来る。(今は知らないが、その頃は受験の時、御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する会場の近くの学生部が、学生部の拠点などに泊まらせることが多かった。)
それまでは一家の中でただ一人、勤行唱題を熱心に行っていたが、両親が退転状態に近く創価学会とは接触をあまり持たなかった。その電話を受けるとともに社会不安障害が始まった、と言う。社会不安障害とは、対人緊張が激しく社会生活が損なわれる精神疾患である。
そのため現役時、試験時、強く緊張し、合格確実と言われていた帝国大学受験に失敗する。一浪後、ランクを大きく落とし、地方の大学へ進む。大学入学後も強い対人緊張に悩まされ、留年を繰り返した。
現在、罹患歴三十年になる。未だに強い対人緊張に苦しんでいる。
これらはもちろん極く一部である。創価学会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろん創価学会では秘密にされていることである。一般の創価学会員は知らない。
現在、東京に在る創価学会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部の創価学会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと思われる。
ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないのが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医は創価学会員に多発している精神障害は創価学会の信仰に由来することに気付いている故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない(うつ病性障害では“治癒”という言葉は用いない。怪我などと異なり、再発するからである)。
これら創価学会員に精神障害が非常に多発している現象は創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。