創価学会執行部は「日顕の死」を朝晩熱心に祈るように創価学会員に強制した。これは創価学会執行部から出されたものであるが、池田大作の鶴の一声であったことは確実である。私は創価学会員の仏壇に「日顕の死」と書かれた祈念の紙が置かれていたとき驚いた。その一家はその罰か、現在、不幸に喘いでいる。現在は元々、熱心だった創価学会の家庭は多くが不幸に喘いでいる。熱心でなかった創価学会の家庭は現在、比較的、幸せである。
また、祖父または祖母が非常に熱心であれば、孫が病気や事故などで非常に苦しむことになることを幾つも経験してきた。ある男子部員が統合失調症に罹患した。始めは罹患した理由が分からなかった。しかし、祖父が草創期からの熱心な創価学会の信者であり、今も一日三時間の唱題を欠かさないという。祖父の罰が孫に現れたのであった。孫が可愛ければ創価学会を辞め法華講に入るべきである。
現在、日本の創価学会員の間に池田大作の本性に気付いた人は多数存在するため、池田大作の死後、日本の創価学会の分裂は避けられない状況にあるかもしれない。ただ、池田大作の本性に気付いた人たち(ほとんどが壮年部あるいは男子部)は信仰への情熱を急速に失ってしまい、未活動家の状況に陥ってしまう傾向性がある。「スリープ」と呼ばれる人たちである。私もその一人である。婦人部は信仰熱心で池田大作の悪行に盲目であるため、自身(壮年部あるいは男子部)が創価学会を脱会し法華講に入ると家庭崩壊(子供は普通、女性に取られてしまう)が起こってしまうことを怖れるからである。
池田大作の本性に気付いた人たちの横の連帯は日本に於いてはインターネット上で密かに行われているに過ぎない。それは少数ずつの連帯であり、韓国のような大規模な組織化が全く成されていない。韓国人と異なり日本人の穏やかな国民性故、日本では反池田大作を公然と行うことが許されない状況下にある故、インターネットが韓国の程には国民に浸透していない故、日本人は信仰心が強くない故、などと思われる。国会乱闘も日本は穏やかであるが、韓国の国会乱闘は凄まじい。
日本に於いては反池田大作を宣言することは池田大作を神様と仰ぐ狂信的な創価学会員よりの激しい批判・攻撃と家庭崩壊を覚悟しなければならない。家庭崩壊は婦人部の批判力の無さ故である。
ある老人(男性)が言っていた。「池田先生は天才だから何でも解る。池田先生は仏様である」これを聞いたとき、この老人の救いようのなさに唖然とした。この老人は壮年部の間、支部長として活躍してきた。信仰歴は五十年になる。男性でも五十年信仰してきたにも拘わらず、池田大作の間違いを気付かない人は少数ながら存在する。この老人は学会活動に五十年の年月を捧げてきた。学会活動を優先し仕事は勝手に早めに切り上げたりするため、何度も解雇になり、家族は貧乏のどん底で苦しんできた。
私は師弟不二が無いと激しく批判されてきたし、そのことで激しく罵倒されることは頻繁にあった。「池田大作と呼吸を一緒にせよ」と指導されてきた。私は二十年以上前より池田大作を神様と仰ぐ創価学会員の傾向性を狂気として間違っていると思ってきた。信仰の師匠であり、神格化することは誤りであると考えてきた。池田大作を神様と仰ぐ傾向性は上級の幹部クラスほど強い。また、池田大作を神様と仰いでいないと創価学会に於ける役職が上の方に行かない傾向性が強いし、池田大作を神様と仰ぐ指導が徹底している。また、池田大作を神様と仰いでいないと本部の職員に成ることは不可能である。「池田大作本仏論」が創価学会内で浸透しきっている。
反乱の序曲
前回の参議院統一選挙の前、三重県の学会員が連名で「次の参議院選挙のとき、学会員に選挙活動をすると大きな功徳が有ると言って、学会員を唆すことは行わないでもらいたい」という趣旨の意見書を提出した。このように数人でも良い、反池田派が結束して行動を起こすべきだ。
大分の乱(別称、九州の乱)は次のようなものであった。大分県に創価学会の巨大な墓園を建設するとき、九州創価学会の長が墓園を造る業者から多額の賄賂を貰っていたということで、その墓園の近くの創価学会員が数名でこのことを東京の創価学会会館に提訴に来たが、創価学会からの除名処分を受けただけで、その九州創価学会の長は何の咎めもなかった、そして大分創価学会には福岡より週末ごとに大幹部が大勢でその地方の創価学会員を説得して回ったが、結局、大分のその地方の創価学会員は多数、創価学会より離反してしまった。その九州創価学会の長を批判したのはその地方の大分創価学会の長であり、その人は非常に人望厚く、多数がその大分創価学会の長に付いて行った。詳しくはインターネットより「大分の乱」もしくは「九州の乱」で検索してみると良い。大分は以前の宗門との戦争(第一次?第二次?)のとき、多数が宗門に付き創価学会より去っていったことで有名である。
「財務」は中世の免罪符
財務に関する事件として「サラ金侵入放火事件」というものがある。これは財務によって生活苦に陥りサラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家・宮島嘉治は返済に窮し借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。しかし、これは氷山の一角である。
中等部担当となっていたとき、ある優秀な女子中等部員が高校受験に失敗した。確実と見られていた本命および万一のときのための滑り止めの高校にも落ちた。そして彼女は三流高校に進学し、受験失敗の悔しさの果て、スケバンになった。
何故、二つの高校とも落ちたのか全く信じられなかった。その理由は後になって判明した。
その理由は彼女の叔父さんが遺産として手に入れた三千万円をそのまま「財務」に献上したということであった。「財務」が年末、合格確実であった二つの高校の試験が翌年の一月と三月にそれぞれ行われた。彼女が間違いなく合格確実であった二つの高校に落ちたのは、叔父さんが三千万円をそのまま「財務」に献上した呪いであったのだ。それを知ったとき私は創価学会の魔性に呆れ果てたことを憶えている。
創価学会員が確実視されていた学校に落ちることは第二部の終わりに書いたように非常に多くあった。しかし、現世利益を説く創価学会に於いてはそういう話をすることは禁句になっていた。功徳でもないものを功徳と言って持て囃すのがその頃の創価学会であった(特に婦人部)。現在は創価学会の信仰を熱心にすると高校や大学に合格するなどとは言わなくなっている。また創価学会の信仰を熱心にすると病気が治るとも言わなくなっている。現在は、熱心にすると不幸なことが起こるから不熱心に信仰しようと言う壮年部は多い。今までの三十年、四十年の経験から分析して壮年部はそう言うのである。婦人部はしかし、そういうことは言わない。婦人部は分析力が無い。
私も毎年百万円の財務を十三年間行ってきた。しかし幸せになるどころか、どんどんと行き詰まりへと追い遣られた。そして三年前に創価学会の矛盾にはっきりと気が付いた。遅かった。人生はやり直しが効かない。
財務の時期になると夫婦喧嘩が絶えないという創価学会の家庭は多い。すべて信仰熱心な婦人部と創価学会(池田大作)に疑いを持った壮年部、男子部との喧嘩である。離婚も創価学会員の家庭には極めて多い。それは財務の時の夫婦喧嘩によるものと考えられる。私は偽りの財務の功徳体験を代筆させられた経験がある。
例えば「結婚資金として貯めていた二百五十万円を財務に寄付したら、結婚資金は要らないという非常に良い結婚話が持ち上がり、現在は幸せに暮らしている」という内容を代筆したことがある。実際は結婚は悲惨であり、姑に虐げられた日々を送り、離婚(勝手に家を飛び出した)という内容が真実である。
そして多額の財務をする人は後に生活保護になる人が極めて多い。貯金を全くしていないからである。生活保護の申請に公明党の市会議員が奔走していた。ある公明党の市会議員は「仕事は生活保護の申請がほとんど。市会議員にはなるものではない」と言っていた。
私は広布基金をするためサラ金から金を借り、それが返済不能となり、一家離散になった一家を知っている。それはもう二十五年も前のことになる。借りたのはその家のお母さんだが、サラ金は毎日のように家にいる義理の娘の所へ電話をしてきていた。義理の娘は「気が狂ってしまいそうです!」と言っていた。その家のお母さんとお父さんはサラ金業者から逃げてある処へ身を隠していた。そして毎日、唱題に明け暮れていると聞いた。
広布基金をすると功徳があるという話を信じてそこのお母さんはサラ金から多額の金を借りてまで広布基金をしたが、商売は却って傾き、利子も返せなくなった。
あるとき、そこの息子に偶然出会った。「今、どうしている?」と聞くと「嫁さんとも別れ、子供は嫁さんが引き取り、自分は今独り身だ」と言う。「両親は?」と聞くと「何処に行ったか、自分にも解らない。音信不通になっている」と言う。
これは二十五年前のことであるから財務は未だ始まっていなかったと思う。財務は池田大作の勲章漁りと比例して始まっている。財務が始まる前の出来事である。以前は財務はなく広布基金であった。
創価学会には財務の直前に行われる会館での偽りの体験発表に騙され多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多い。
『創価学会員です。また財務の時期がやってきました。財務とは年に一回、創価学会に寄付をすることです。この時期になると夫婦喧嘩が絶えない家庭が多くあります。私の一家もその一つです。
妻の一族が創価学会の狂信者で妻の一族はこの財務に全財産を投げ出すことも平気でします。それを私の家庭で行おうとしているらしいのです。
妻に銀行の預金通帳を預けたのがいけませんでした。妻はその預金通帳を返しません。もう離婚しようかと考えますが子供がいます。
財務の直前には創価学会の会館で偽りの体験談が発表され、女性はそれを信じて全財産どころかサラ金に借金してまで財務をしようとします。女性は欲深いものです。体験談通りに自分もなりたいと思うのです。そして偽りの体験談を本当のことと信じ込む欲深さがあります。
偽りの体験談とは「財務をたくさんしたら幸せになった、病気が治った、夫が新しい給料のとても良い会社に就職することができた、良い縁談が来て今は幸せに暮らしている」などです。すべて偽りです。でも女性は欲深くそれを信じてしまいます。女性は仏法では「女人成仏し難し」と言われているように欲が深く仏になることができないのです。
これは一つの大きな社会問題です。どうか国会で取り上げて池田大作の悪を追求していただきたいです。サラ金に追われ一家離散になった家庭も多くあります。サラ金まで手を出さなくとも貯金を全て財務し貧乏のどん底で苦しんでいる家庭は多くあります。
財務を多くする家庭は子供を大学へ遣ることができません。財務を多くする家庭は子供が合格確実と言われていても中学・高校へ落ちます。財務を多くする家庭はいつも貧しい食事しかできません。財務を多くする家庭はボロで狭い家にしか住めません。財務を多くする家庭は常に喧嘩が絶えません。財務を多くする家庭は不思議にもガンになります。財務を多くする家庭は不思議にも精神的な病(うつ病や統合失調症など)になります。財務を多くする家庭は何故か生活保護になることが多いです。これは一つの大きな社会問題です。
お願いします。匿名で失礼します。お願いします。』
『私は創価学会員です。今年も強制的に財務(寄付)させられます。昨年も創価学会員のなかから町内で二件夜逃げしました。何とか取材して下さい。これは社会問題です。いろんな悪徳商法がありますが、それ以上です。創価学会の会館に集めて幹部が「私は三桁から四桁(百万から一千万)する。皆さんもできる限り多くして下さい。これは池田会長からの伝言です。私は家を売ってでもしたいんです。」と言います。必ず福運が付くと言いきります。助けて下さい。この時期になると夫婦喧嘩が絶えません。この時期になると顔見知りの幹部が夜遅くまで強要してきます。三桁出しますと言うまで帰りません。三桁出したら子供に服を買ってやるどころか授業料も出せなくなります。私たち創価学会員を助けて下さい。』
平成元年の財務の直前、京都の学会員から一通の手紙が当時、原島嵩氏が勤めていた継命新聞社に届いた。それをそのまま記す。
『助けてください。私は創価学会の会員です。今年も強制的に寄付させられるのです。今年も学会員の中から町内で二件は夜逃げして何処かへ引っ越してゆきました。何とか取材して助けてください。これは社会問題です。豊田商事とか悪徳商法がありますが、もっともっと酷いやり方です。内容は、たびたび会合に集めて催眠療法でかき立て、幹部は「私は三桁から四桁(百万から一千万)する、皆さんも出来る限り、多くしてください。私は家を売ってでもしたいんです」と言ってかき立てます。いま一銭もなくなっても必ず福運が付くと言い切ります。助けてください。この時期になると夫婦ゲンカが耐えません。寄付金を出さないと、断り切れない顔見知りの幹部が夜遅くまで強要します。「はい、出します」と言うまで帰りません。なんとか創価学会員を助けてください』
創価学会幼児に至まで広布部員(財務を出す人)にします。まず大口(百万円以上出す人)をどれだけ拡大するか、次に一口(一口は一万円)を二口、三口にする戦い。第三に、新規申込者を徹底して推進します。
……そのため一部の会員は、サラ金に手を出して金を捻出します。驚いたことに、東京・大田区の婦人部の活動ノートには、あるサラ金業者からは借りてはいけないとの注意事項まで載っています。ということは、サラ金から借りて財務に応ずることは当たり前になっていルことを示しています。兵庫県尼崎市の民主商工会に置かれた「阪神サラ金被害者の会」の相談コーナーには月に五十件から六十件ものサラ金被害の相談が持ち込まれていますが、なんと、相談者の六割を創価学会員が占めていたとのことです。
そのため、金策をめぐる犯罪、サラ金による自殺、夜逃げが頻発しています。学会本部では「最近、新聞などで話題になっているサラ金の問題についても、借り易いので利用する人も多いが、家庭の崩壊などの悲劇を招いては、断じてならない」(昭和五十八年六月、本部幹部会、森田一哉理事長談話)などとしていますが、結局は問題が学会上層部に波及しないように、あらかじめ会員へ責任転嫁しているにすぎません。実際には池田のゴリ押しの金集めが幾多の家庭崩壊を招いているのであって、この談話もかえって、いかに多くの会員がサラ金地獄に陥っているかを証明しているようなものです。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p141-3)
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p168-70)
そして有名なものとして、死期間近な病人から「今、御供養金を出せば病気が治る」と言い、貯金通帳から多額の現金を勝手に引き出した事例が複数、報告されている。
私が以前居た地区には一人暮らしの老人を折伏のターゲットにしている熱心な男子部員が居た。一人暮らしの老人は寂しい。親しくなり、入会、本尊流布までもってゆく。しかし、年老いているため亡くなることが多かった。そのとき遺族との間でもめ事が起こることが良くあった。その、もめ事の仔細は知らない。ただ、遺族に全く連絡が取れなかったり、連絡が取れても遺族が完全に捨ててしまって来ようとしないケースもあった。そういう場合、葬式をどうするか、献体として大学病院に納めるか、いろいろと問題があった。
創価学会本部では鉛筆一本でさえ池田大作のものという誓約書を創価学会本部職員全員に書かされている。これは池田大作が誰をも信じることができない病的性格のためである。「誰をも信じることができない」つまり池田大作は妄想性パーソナリティ障害なのである。
「財務」こそ創価学会のアキレス腱である。しかし現在、創価学会はその極めて豊富な資金源によりマスコミ界などに大きな力を持っている。国会で取り上げて「財務」を中止させることである。このままでは創価学会による日本占領が現実のものとなる。
「財務」による創価学会員の悲惨な現況は大きな社会問題である。上記のような「財務」の明らさまな強制は決して少ない割合ではない。「財務」直前の創価学会会館での偽りの体験談の発表は日本全国で盛んに行われている。偽りと解らずに多額の「財務」をする創価学会員は多い。そして現世利益を呼び台にする創価学会の理論、創価学会が勝手に造り上げた教義解釈が会員の心に脅迫してくる。人の良い人が多い創価学会員はそして多額の「財務」をする。貯金が無くなるまで。サラ金から金を借りてまで。東京の婦人部に出回っていた指示書には、どのサラ金業者から借りること、および借りてはいけないサラ金業者の名前が書いてある。
それ故の創価学会員の生活保護の多さであり、日本の福祉を食い物にしていると言っても良い。「財務」により人生を棒に振ってしまった創価学会員は多い。
これは宗教を利用した詐欺であり、詐欺罪で創価学会を訴追するべきである。「財務」は中世の免罪符である。宗教の仮面を借りた詐欺である。中世の免罪符が現在に復活したものである。現在の免罪符とでも言うべき「財務」を中止させるべきである。
すべて池田大作の命令、池田大作の野心、池田大作の欲望である。善良な会員から金を巻き上げ、笑っている池田大作の醜い姿が見えてくるようだ。
ここに「水滸会記録」という創価学会の秘伝書とも言うべきものがある。これは戸田城聖氏の時代に行われた上級幹部に対する特別会合、秘密会合とも言うべき会合の記録である。これは池田大作が奥に秘めていたものであるが、原島嵩氏が造反の時に秘密裏に持ち出したコピーである。
池田大作が誰にも見せようとしなかった秘伝書である。
速記の記録がないため、後に参加者が集まって、記憶を頼りながら記されたものである。それを読むと、池田大作による着色がかなりされてあるそうであるが、創価学会の今日の行動の指針が記されている。一時は出版も考えられたそうであるが(それ故に後になって参加者が集まり記憶を頼りに編纂された)池田大作が学会本部奥に隠し出版はされなかった。
原島嵩氏、山崎正友氏という元中枢の中枢が造反しなかったら、葬り去られていた記録である。
それには次のような記載が見られる。「昔の武器は刀、現在の武器は財力」と。
これ故の「財務」である。創価学会員はそれ故に池田大作からただ利用されているだけなのである。財力で日本を乗っ取る理論的根拠が「水滸会記録」に記されている。
創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。そのことに早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。
創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。
創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。
「昔の武器は刀であったが、現在の武器は金力(財力)である。昔の兵力に相当するものは金力である」
これは戸田城聖氏が語ったこととされるが、実際は池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたものである。本物の「水滸会記録」は消失しているか、何処かの金庫の中に眠っている。原島嵩元教学部長が創価学会本部より持ち出したのは本物の「水滸会記録」のコピーではない。池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたもののコピーである。このことは原島嵩元教学部長自身が書いていることである。
「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。
母子無理心中事件――――横浜市で昭和五十七年に起こった母親が娘を絞殺後、自らも首を吊って死亡した事件は、夫が「広布基金」の重要性を理解しないため「広布基金」ができないことを苦にしての悲劇だった。
夫放火による母子焼死事件――――――昭和六十四年、茨城県鹿嶋市で夫が自宅に放火。妻子が焼死したが事件の遠因は、有り金すべて「財務」に寄付する妻に抗しきれず、人生に絶望して放火したと供述している。
妻刺傷、焼身無理心中未遂事件――――学会活動にのめり込むだけでなく、貯金をすべて「財務」に差し出す妻に腹を立てた夫が、妻を刺し殺し、自らも焼身自殺を図ろうとしたが、殺しきれず、死にきれなかった。
平成元年五月、千葉県船橋市のの熱心な創価学会員・00綾子さんと長男の00君が同じく創価学会員である夫の000に殺された。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていた。動機は生活苦であった。「財務」ゆえに貯金が全くなかったのである。
バラバラにした死体が聖教新聞にくるまれてシキミとともに長野県の山中に捨てられていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。なぜ、いたいけな幼児が虐殺されなければならなかったのか。また、なぜ、その母親が無惨にも切り刻まれなければならなかったのか、酷い、胸の痛む事件であった。
夫人の綾子さんは「財務」になると貯金をすべて「財務」していた。これに夫の000が怒ったのである。毎日、重労働で働いてきた金を「財務」し、一年中、お金が足りないと夫婦喧嘩していた。サラ金から借りることもあった。
恐喝未遂事件――――平成五年十二月九日、静岡県清水署は創価学会副本部長の00000を恐喝未遂で逮捕した。同じ清水市に住む男性の“女性関係”に因縁を付け、現金数十万円を脅し取ろうとしたが00さんが警察に届けたため未遂に終わった。副本部長という役職にふさわしい額の“広布基金”を納める金が欲しかった」ということ。
そのほかにもたくさんある。
「財務」による事件として以下のことも知られている。しかし、これもごく一部である。
昭和五十八年四月二十二日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇七個のうち四個までが鶴丸付きの創価学会員のものであることが報じられている。同様に、同年九月二日号の「アサヒグラフ」の特集「サラ金地獄“蒸発”の現場」写真の大半にも鶴丸付きの経本や仏具が写っている。多くの創価学会員がサラ金苦に陥り「夜逃げ」や「家庭崩壊」を招いているかの証拠になろう。
000二郎愛知県議・借金夜逃げ事件
鹿児島県・徳之島ゾーン指導長・サラ金四千万円借金夜逃げ事件
「旭川一の功徳をもらった」と公言していた支部指導長夫妻・経営苦心中事件
佐賀市西村市議妻女・借金苦飛び降り事件
聖教新聞販売主・経営苦自殺事件
婦人部地区部長・千七百三十万円詐欺・窃盗事件
壮年部支部長(郵便局長)郵便貯金詐欺事件
男子部ゾーン長・銀行強盗事件
その他、書ききれない。これらを池田大作はどう考えているのか知りたい。自分だけ豪奢な生活ができたら良いのか?
山崎正友氏は更に書いている。
「広布基金」も不動産漁りやノーベル賞工作にばらまかれている
ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤスが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金を呼びかけたのである。中身は「池田先生の世界広布には金が掛かる。だから金を出せ、というのです。出せ、出せ。三桁、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学会は「広布基金」と称する金集めに必死である。
創価学会の金集めは、宗教上の布施や供養のレベルをはるかに逸脱している。嘘だらけの功徳話やコントなどで会員を騙し、集団催眠にかけ、煽り、上げ句の果ては脅迫まがいのノルマの強要を行う。“宗教団体”という肩書きがなかったら、豊田商事などと何ら変わるところのない、あくどくあこぎなものである。そうした金集めの陰に、夜逃げや倒産、犯罪行為に走る者など悲惨な道を巡る会員も少なくない。創価学会員の事件の多さは、私共の統計上も裏付けられている。私が二年あまり暮らしたところ(刑務所)にも数人に一人の割合で創価学会員がいた。金集めの号令は、まず池田大作から発せられる。そして、巧妙争いに支配された各地域の責任者の猛烈な煽りが始まる。何しろ、めざましい集金額を達成した幹部には出世と名誉が与えられ、そうでない者には池田大作の叱責と酷い仕打ちが待っているのである。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994、p134-5)
金を集めないという嘘
池田大作はつねづね「口巧く、天才でなければならない。口八丁、手八丁でゆけ」と私たちに指導していました。
この「口八丁」の天才が池田大作です。
かつて創価学会が急成長を遂げていた頃、他宗の信者を折伏し、入信させるときのうたい文句が「金のかからない宗教」でした。
たしかに、日蓮正宗の寺院で御授戒を受け御本尊を御下付いただく際に、応分の御供養と数百円の数珠・お経本だけで、そのほかは寺院に賽銭箱がある訳ではなく、学会に寄付や会費を取られるということもありませんでした。
戸田二代会長はつねづね「宗教で金儲けしようとするインチキ宗教どもを退治しようというのが私の根本精神」と語って、他教団の金権体質を攻撃することを、布教の最大の武器としてきました。
その方式は池田にも受け継がれ、昭和三十年代はしばしば他宗を次のように批判しました。
「今までの宗教はぜんぶ企業であります。法盗人、法を盗んで、そして信者を奴隷の如く扱い、金儲け専門であります。だから邪宗というのです」(聖教新聞:昭和38年8月17日、北陸総支部幹部会)
「邪宗教はあくまで金儲けのための信心であります。金儲けのための企業が邪宗教であります。それに反して、日蓮正宗の信心は、私どもは誰人からも一銭も貰わず、――中略――人を救っているのが創価学会なのであります」(聖教新聞:昭和36年4月8日)
「邪宗などは、みんな巧いことを言って金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人が救えるならば許せるけれども、ぜんぶ地獄に堕ち、民衆は教祖に騙されて、そして教祖は立派な家ばかり作り、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これは邪宗教の姿です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(聖教新聞:昭和37年6月16日)
このように「他教団=金権腐敗」、「学会=清廉、無報酬の奉仕」というイメージを繰り返しアピールしてきたのです。そして、
「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはありません」(聖教新聞:昭和37年6月9日、中部本部地区部長会)
と語ってきたのです。
ところが、いまでは毎年一千数百億円とも二千億円とも言われる財務集めが年中行事化し、自殺者まで出すような始末です。池田はこの一点だけでも、宗教者としての罪、万死に値するものがありましょう。
「一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。
一、現在もっている預貯金全部出すのは当たり前だ。それにどれほど上乗せするかが信心の戦いだ。
一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。
一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ」(故福島源次郎氏『誠諫之書』)
「永久に会員から寄付を取らない」と言っていたことは、今日、その嘘が青天白日の元にさらされています。かつて池田が攻撃した邪宗教の姿が、現在の創価学会そのものです。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p234-7)
大きな建物を造らないという嘘
また、池田はかつて「学会は大きな建物は造らない」と言明していました。
「学会は大きな戦艦のような建物は造らないよ。全国の小さな会館が飛行機の役目をするのだ」(「前進」:昭和40年8月)
「この建物は小さいけれども、我々の拠点であります。私どもは喜んで小さな拠点を造っている訳なのです。他の教団などに於いては、すぐに信者から金を搾り取って、虚栄のため、商売のため、宗教企業のために大きな殿堂を造ります。私どもの会館建設に当たっては、会員の皆さんの負担とせず、新聞や雑誌の利潤を少しづつでも蓄積して造っていることを知っていただきたいのでございます。創価学会は形式的な大きな建物を、将来も排除していきます」(聖教新聞:昭和39年9月15日)
「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖が懐に入れて、さも立派そうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部を造って、東京進出のビルを造るとか、そんなことばかりやっている。悪い連中ですよ。
実際、宗教に無知な人が多いですから、みんなに騙されて、金を取られている。それで教団の勢力を張っている訳です。
私はこれから本部を造る。それからいろいろと東京や関西にも本部を造って、第一本部、第二本部と造ってきておりますし、これからも準備もしておりますけれども、一切、皆さん方から永久に一銭も取らない、これが私の精神です」(聖教新聞:昭和37年4月16日、埼玉総支部地区部長会)
こう約束し、会館建設に当たっても永久に寄付集めをしないと繰り返し公言していました。これが大嘘であったことは記すまでもありません。池田自身『週刊朝日』のインタビューに答えて、
「特別財務というのはね、各地の会館や研修道場などの総合整備計画に合わせて、その趣旨を会員にもご理解いただいて拠点をお願いしたものなんです。昭和49年から52年までの4年でーー中略ーー合計六百数十億円になったと思います。――中略――それに特別財務の状況や会館整備の進み具合などは各県ごとにきちんと報告しています」(昭和56年4月10日号)
と述べています。会計報告のくだりはともかく、会館建築を名目として、当時、秘かに六百数十億円もの金を集めていたことを認めているのです。
昭和50年6月16日、本部中央会議を開いたときにも、
「会館建設のため各地域で特別財務をやっているが、みんなもやった方が良い。自分の功徳になるし、仏法のためにお金を使った方が裕福になる。自分の体験からも言える。心良く御供養するよう指導したことにも功徳がある」(内部文書)などと「供養」の名のもとに金集めを煽っているのだから、あきれた話です。こうした虚言は、こればかりではありません。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p237-9)
事業に手を出さないという嘘
かつては、
「班長さん、地区部長さんの中には、ずいぶん利口な幹部もおりまして、学会もこれだけ大きくなったのだから、やれ、ああいうバス会社を造ったら良いではないか。ああいう印刷工場を造ったら良いではないかと、いろいろなことを言ってくる人がいるのです。――中略――そういうように言ってくること自身、その人に信心がないし、学会利用の根性があるのです。我々も普通の人間です。いろいろなことは良く知っております。しかし、そういうことは全部厳禁して、あくまで世界でただ一つ信心根本に純粋のなかの純粋で、一切衆生を幸福にしようというのが、代々の会長の精神ではありませんか。――中略――悪い不純なことに対しては、いっさい戦っていく決心でありますから、一緒に協力してくださいね」(聖教新聞:昭和38年1月27日、関西第二・三本部結成式)
などと庶民の味方を気取り、さも金銭には無縁で、純粋な宗教運動を目指しているかのように装ってきました。
これも今では信濃町周辺を中心に、全国に書店、レストラン、寿司屋、パーマ屋、葬儀、結婚式場、中華料理、運送、保険、金融、旅行、バス会社、墓苑、建築、電気製品販売、マスメディア等多くの事業を展開しています。そして、お雇い社長連中を集めては「ユダヤ人は金を握っている。実業家になったんだからうんと金持ちになることだ」(昭和47年6月15日、社長会)などと親分よろしくハッパをかけています。
また大学の建設にも「寄付など一銭も受けませんことをご承知していて下さい」(聖教新聞:昭和41年5月3日、本部総会)と言いながら、創価大学建設に当たっても、影の会長と言われた中西治雄などを使って学会員から約十億の寄付を集めています。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p239-41)
墓苑を経営しないという嘘
さらに墓苑事業についても、
「本当のことをいえば墓地なんか全部、日蓮正宗でやってもらいたいです。しかし日蓮正宗はご存知の通り貧乏です。創価学会を代表して、私は御法主上人猊下に全部御供養申し上げております。創価学会としては、そういう墓地の問題になんか絶対に手をつけません。全てお寺の問題であります。本山のことであり、宗門のことでありますから、その点は、はっきりしていって、全部御供養してございます」(聖教新聞:昭和38年4月2日、高尾墓園完成式)
と、宗門に忠実で、さも純真な信徒ぶってはみましたが、学会は現在八つの巨大墓園を経営し、売上一千数百億円を誇っています。何が「創価学会としては、そういう墓地の経営なんか絶対手をつけません」でしょうか。この事実からも、池田の言葉が虚言であったことが証明されます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p241-2)
政界の浄化が目的という嘘
池田の虚言はこうした金銭面だけでなく、政治面にも露呈しています。
「わが創価学会は、他宗派の如く、企業でもなく、ただ、勢力の拡大を目的とするものでもない。また、決して政権を考えているものではない」(大白蓮華:昭和36年6月)
かつて、このように公言した池田が、突然、前言を翻し、
「公明党政治連盟をば、皆さんの賛成があるならば、王仏冥合の達成のために、また時代の要求、民衆の要望に応えて、政党にするも良し、衆議院に出すも良し、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定いたします」(昭和39年5月3日、本部総会)
といって、衆院進出を図ったのは有名な話です。
池田は公明党結成時に、
「政界を浄化するのが役割の公明党に、将来、もしも万一、派閥が生じたり、汚職議員がでたりすれば、直ちに党を解散させる。国民の皆様にそうお誓い申し上げます」
「公明党は反自民・反権力・反大資本・自民党連合はあり得ず」
などと大見得を切り、政界浄化と革新のポーズを装いましたが、その後の公明党はどうだったでしょうか。汚職議員は続出し、右往左往の路線変更、結局、今では自民党と組み、創価学会が政権を陰で動かす現状ではないでしょうか。いまの公明党は、その結党当時の精神に照らし、もはや解党すべきであると思います。
今日まで取ってきた公明党の右往左往の路線変更は、ほとんど池田の党私物化に起因するのであり、とくに池田大作の国会喚問が公明党変節のキーワードです。言論問題、民社党「質問趣意書」、糾す会国会請願、大橋問題など、国会喚問が話題に上るたびに公明党は振り回され続け、なりふり構わず池田を守るため犠牲を払ってきたのです。
先の衆議院総選挙で、公明党は四十二議席から三十一議席に激減しました。これは自民党との選挙協力が巧く行かなかったことにも原因がありますが、何よりも創価学会=公明党の力が弱まったことに由来しています。そうは言っても油断は禁物です。自民党も勢力を激減し、ますます公明党の助けを得なければ成らなくなっているからです。それにしても、自民党が大幅に勢力を減退させたのは、公明党と組んだからであり、公明党の助けを借りれば借りるほど、ますますその傾向は顕著になっていくでしょう。いまの公明党は、国民の大多数から信用できない政党とされているからです。
それにしても、池田の虚言癖の症例は枚挙にいとまがありません。政教分離にしても、
「創価学会と公明党は同体異名の団体であります。永久に創価学会と公明党は一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」(昭和40年7月、青年部最高幹部会)
「創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくという原則を、更に貫いていきたいのであります。――中略――学会員個人個人の政党の支持は従来通り自由であります。――中略――政党支持に就いては会員の自由意志に全く干渉するものではない」(昭和45年5月3日、本部総会)
「竹入に今まで以上に王仏冥合政教一致で行け、と言おうか」(昭和45年5月5日、「社長会記録」)
「政教一致――大きなお世話。不仲説――誰が言ったか。親として自分の手製の党、心配するのは当たり前」(昭和50年7月8日、婦人部長研修会)
「政教一致は間違いです」(朝日新聞:昭和60年19月30日夕刊)などと、時と相手によって言うことがコロコロ変わるのが分かります。いま、学会員の中で、政党支持の自由があると思っている人は一人もいないでしょう。まったく池田は、数限りない虚言を持って、学会員を騙し、世間を騙し続けてきたのです。その挙げ句「ともかく私は、会員を政争の道具にしてはならない、と思っている」(読売新聞:昭和50年7月3日)などと述べていますが、いったい誰が公明党を作り、会員の政党支持を束縛し、組織票を状況次第で右へ左へ売りつけているのでしょうか。池田が政治的野心を捨てない限り、会員は政争の道具と成らざるを得ません。
池田の得意技は、煽てたり、餌をちらつかせるラブコール戦法にあります。これには、政治家、財界人、文化人、マスコミ等が、ほとんど手もなくやられてきました。宮本顕治氏もその一人です。池田は、大森実氏との対談で、
「十数年前から『この人(宮本氏)は屈指の指導者になるな』と思っておりました。――中略――現在の指導者で右に出るものはないでしょう」「私は一貫して共産党の言うことを理解しておりました……未来に於いて協調すべきだし、それしかないのです」(週刊現代:昭和48年4月12日)
と述べて、宮本氏をおだて、これによって創共協定が結ばれたと言われています。昭和45年、創価学会は組織ぐるみで宮本宅の電話を盗聴し、その一方で友好的に接近し一杯くわしたのです。
また池田は、昭和45年の言論妨害事件直後、当時の西村栄一民社党委員長に財界有力者を通じて「公明党を丸ごと受け取ってくれ」と心にもないことを働きかけました。
昭和56年にも同じような手を使っています。北条前会長の通夜の晩、池田にこっそり会った民社党の佐々木良作元委員長は「『佐々木先生には今後、特別いろいろお世話にならんと思います。政権も担当して貰わなきゃ成らん筋になります』とささやかれた。『どきっ』とする話しぶりだった」(朝日新聞:昭和63年10月「一日生涯」)と証言しています。
社会党の江田三郎氏はもっと悲劇でした。池田は、矢野らによって提唱された革新再編成の旗印のもと「公明党の看板はなくなってもいい」(昭和51年5月17日)と、公明党を解党して社公民新党を結成すると空手形をちらつかせ、江田氏を迎える構想で乗せたのです。その上で、翌年三月、党内から批判を浴びていた江田氏に離党を迫るとともに、マスコミにリークして、離党せざるを得ない状況にしたと言われます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p242-7)
http://sky.geocities.jp/mifune008/
ccc998@infoseek.jp
(第2章終了)
また、祖父または祖母が非常に熱心であれば、孫が病気や事故などで非常に苦しむことになることを幾つも経験してきた。ある男子部員が統合失調症に罹患した。始めは罹患した理由が分からなかった。しかし、祖父が草創期からの熱心な創価学会の信者であり、今も一日三時間の唱題を欠かさないという。祖父の罰が孫に現れたのであった。孫が可愛ければ創価学会を辞め法華講に入るべきである。
現在、日本の創価学会員の間に池田大作の本性に気付いた人は多数存在するため、池田大作の死後、日本の創価学会の分裂は避けられない状況にあるかもしれない。ただ、池田大作の本性に気付いた人たち(ほとんどが壮年部あるいは男子部)は信仰への情熱を急速に失ってしまい、未活動家の状況に陥ってしまう傾向性がある。「スリープ」と呼ばれる人たちである。私もその一人である。婦人部は信仰熱心で池田大作の悪行に盲目であるため、自身(壮年部あるいは男子部)が創価学会を脱会し法華講に入ると家庭崩壊(子供は普通、女性に取られてしまう)が起こってしまうことを怖れるからである。
池田大作の本性に気付いた人たちの横の連帯は日本に於いてはインターネット上で密かに行われているに過ぎない。それは少数ずつの連帯であり、韓国のような大規模な組織化が全く成されていない。韓国人と異なり日本人の穏やかな国民性故、日本では反池田大作を公然と行うことが許されない状況下にある故、インターネットが韓国の程には国民に浸透していない故、日本人は信仰心が強くない故、などと思われる。国会乱闘も日本は穏やかであるが、韓国の国会乱闘は凄まじい。
日本に於いては反池田大作を宣言することは池田大作を神様と仰ぐ狂信的な創価学会員よりの激しい批判・攻撃と家庭崩壊を覚悟しなければならない。家庭崩壊は婦人部の批判力の無さ故である。
ある老人(男性)が言っていた。「池田先生は天才だから何でも解る。池田先生は仏様である」これを聞いたとき、この老人の救いようのなさに唖然とした。この老人は壮年部の間、支部長として活躍してきた。信仰歴は五十年になる。男性でも五十年信仰してきたにも拘わらず、池田大作の間違いを気付かない人は少数ながら存在する。この老人は学会活動に五十年の年月を捧げてきた。学会活動を優先し仕事は勝手に早めに切り上げたりするため、何度も解雇になり、家族は貧乏のどん底で苦しんできた。
私は師弟不二が無いと激しく批判されてきたし、そのことで激しく罵倒されることは頻繁にあった。「池田大作と呼吸を一緒にせよ」と指導されてきた。私は二十年以上前より池田大作を神様と仰ぐ創価学会員の傾向性を狂気として間違っていると思ってきた。信仰の師匠であり、神格化することは誤りであると考えてきた。池田大作を神様と仰ぐ傾向性は上級の幹部クラスほど強い。また、池田大作を神様と仰いでいないと創価学会に於ける役職が上の方に行かない傾向性が強いし、池田大作を神様と仰ぐ指導が徹底している。また、池田大作を神様と仰いでいないと本部の職員に成ることは不可能である。「池田大作本仏論」が創価学会内で浸透しきっている。
反乱の序曲
前回の参議院統一選挙の前、三重県の学会員が連名で「次の参議院選挙のとき、学会員に選挙活動をすると大きな功徳が有ると言って、学会員を唆すことは行わないでもらいたい」という趣旨の意見書を提出した。このように数人でも良い、反池田派が結束して行動を起こすべきだ。
大分の乱(別称、九州の乱)は次のようなものであった。大分県に創価学会の巨大な墓園を建設するとき、九州創価学会の長が墓園を造る業者から多額の賄賂を貰っていたということで、その墓園の近くの創価学会員が数名でこのことを東京の創価学会会館に提訴に来たが、創価学会からの除名処分を受けただけで、その九州創価学会の長は何の咎めもなかった、そして大分創価学会には福岡より週末ごとに大幹部が大勢でその地方の創価学会員を説得して回ったが、結局、大分のその地方の創価学会員は多数、創価学会より離反してしまった。その九州創価学会の長を批判したのはその地方の大分創価学会の長であり、その人は非常に人望厚く、多数がその大分創価学会の長に付いて行った。詳しくはインターネットより「大分の乱」もしくは「九州の乱」で検索してみると良い。大分は以前の宗門との戦争(第一次?第二次?)のとき、多数が宗門に付き創価学会より去っていったことで有名である。
「財務」は中世の免罪符
財務に関する事件として「サラ金侵入放火事件」というものがある。これは財務によって生活苦に陥りサラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家・宮島嘉治は返済に窮し借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。しかし、これは氷山の一角である。
中等部担当となっていたとき、ある優秀な女子中等部員が高校受験に失敗した。確実と見られていた本命および万一のときのための滑り止めの高校にも落ちた。そして彼女は三流高校に進学し、受験失敗の悔しさの果て、スケバンになった。
何故、二つの高校とも落ちたのか全く信じられなかった。その理由は後になって判明した。
その理由は彼女の叔父さんが遺産として手に入れた三千万円をそのまま「財務」に献上したということであった。「財務」が年末、合格確実であった二つの高校の試験が翌年の一月と三月にそれぞれ行われた。彼女が間違いなく合格確実であった二つの高校に落ちたのは、叔父さんが三千万円をそのまま「財務」に献上した呪いであったのだ。それを知ったとき私は創価学会の魔性に呆れ果てたことを憶えている。
創価学会員が確実視されていた学校に落ちることは第二部の終わりに書いたように非常に多くあった。しかし、現世利益を説く創価学会に於いてはそういう話をすることは禁句になっていた。功徳でもないものを功徳と言って持て囃すのがその頃の創価学会であった(特に婦人部)。現在は創価学会の信仰を熱心にすると高校や大学に合格するなどとは言わなくなっている。また創価学会の信仰を熱心にすると病気が治るとも言わなくなっている。現在は、熱心にすると不幸なことが起こるから不熱心に信仰しようと言う壮年部は多い。今までの三十年、四十年の経験から分析して壮年部はそう言うのである。婦人部はしかし、そういうことは言わない。婦人部は分析力が無い。
私も毎年百万円の財務を十三年間行ってきた。しかし幸せになるどころか、どんどんと行き詰まりへと追い遣られた。そして三年前に創価学会の矛盾にはっきりと気が付いた。遅かった。人生はやり直しが効かない。
財務の時期になると夫婦喧嘩が絶えないという創価学会の家庭は多い。すべて信仰熱心な婦人部と創価学会(池田大作)に疑いを持った壮年部、男子部との喧嘩である。離婚も創価学会員の家庭には極めて多い。それは財務の時の夫婦喧嘩によるものと考えられる。私は偽りの財務の功徳体験を代筆させられた経験がある。
例えば「結婚資金として貯めていた二百五十万円を財務に寄付したら、結婚資金は要らないという非常に良い結婚話が持ち上がり、現在は幸せに暮らしている」という内容を代筆したことがある。実際は結婚は悲惨であり、姑に虐げられた日々を送り、離婚(勝手に家を飛び出した)という内容が真実である。
そして多額の財務をする人は後に生活保護になる人が極めて多い。貯金を全くしていないからである。生活保護の申請に公明党の市会議員が奔走していた。ある公明党の市会議員は「仕事は生活保護の申請がほとんど。市会議員にはなるものではない」と言っていた。
私は広布基金をするためサラ金から金を借り、それが返済不能となり、一家離散になった一家を知っている。それはもう二十五年も前のことになる。借りたのはその家のお母さんだが、サラ金は毎日のように家にいる義理の娘の所へ電話をしてきていた。義理の娘は「気が狂ってしまいそうです!」と言っていた。その家のお母さんとお父さんはサラ金業者から逃げてある処へ身を隠していた。そして毎日、唱題に明け暮れていると聞いた。
広布基金をすると功徳があるという話を信じてそこのお母さんはサラ金から多額の金を借りてまで広布基金をしたが、商売は却って傾き、利子も返せなくなった。
あるとき、そこの息子に偶然出会った。「今、どうしている?」と聞くと「嫁さんとも別れ、子供は嫁さんが引き取り、自分は今独り身だ」と言う。「両親は?」と聞くと「何処に行ったか、自分にも解らない。音信不通になっている」と言う。
これは二十五年前のことであるから財務は未だ始まっていなかったと思う。財務は池田大作の勲章漁りと比例して始まっている。財務が始まる前の出来事である。以前は財務はなく広布基金であった。
創価学会には財務の直前に行われる会館での偽りの体験発表に騙され多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多い。
『創価学会員です。また財務の時期がやってきました。財務とは年に一回、創価学会に寄付をすることです。この時期になると夫婦喧嘩が絶えない家庭が多くあります。私の一家もその一つです。
妻の一族が創価学会の狂信者で妻の一族はこの財務に全財産を投げ出すことも平気でします。それを私の家庭で行おうとしているらしいのです。
妻に銀行の預金通帳を預けたのがいけませんでした。妻はその預金通帳を返しません。もう離婚しようかと考えますが子供がいます。
財務の直前には創価学会の会館で偽りの体験談が発表され、女性はそれを信じて全財産どころかサラ金に借金してまで財務をしようとします。女性は欲深いものです。体験談通りに自分もなりたいと思うのです。そして偽りの体験談を本当のことと信じ込む欲深さがあります。
偽りの体験談とは「財務をたくさんしたら幸せになった、病気が治った、夫が新しい給料のとても良い会社に就職することができた、良い縁談が来て今は幸せに暮らしている」などです。すべて偽りです。でも女性は欲深くそれを信じてしまいます。女性は仏法では「女人成仏し難し」と言われているように欲が深く仏になることができないのです。
これは一つの大きな社会問題です。どうか国会で取り上げて池田大作の悪を追求していただきたいです。サラ金に追われ一家離散になった家庭も多くあります。サラ金まで手を出さなくとも貯金を全て財務し貧乏のどん底で苦しんでいる家庭は多くあります。
財務を多くする家庭は子供を大学へ遣ることができません。財務を多くする家庭は子供が合格確実と言われていても中学・高校へ落ちます。財務を多くする家庭はいつも貧しい食事しかできません。財務を多くする家庭はボロで狭い家にしか住めません。財務を多くする家庭は常に喧嘩が絶えません。財務を多くする家庭は不思議にもガンになります。財務を多くする家庭は不思議にも精神的な病(うつ病や統合失調症など)になります。財務を多くする家庭は何故か生活保護になることが多いです。これは一つの大きな社会問題です。
お願いします。匿名で失礼します。お願いします。』
『私は創価学会員です。今年も強制的に財務(寄付)させられます。昨年も創価学会員のなかから町内で二件夜逃げしました。何とか取材して下さい。これは社会問題です。いろんな悪徳商法がありますが、それ以上です。創価学会の会館に集めて幹部が「私は三桁から四桁(百万から一千万)する。皆さんもできる限り多くして下さい。これは池田会長からの伝言です。私は家を売ってでもしたいんです。」と言います。必ず福運が付くと言いきります。助けて下さい。この時期になると夫婦喧嘩が絶えません。この時期になると顔見知りの幹部が夜遅くまで強要してきます。三桁出しますと言うまで帰りません。三桁出したら子供に服を買ってやるどころか授業料も出せなくなります。私たち創価学会員を助けて下さい。』
平成元年の財務の直前、京都の学会員から一通の手紙が当時、原島嵩氏が勤めていた継命新聞社に届いた。それをそのまま記す。
『助けてください。私は創価学会の会員です。今年も強制的に寄付させられるのです。今年も学会員の中から町内で二件は夜逃げして何処かへ引っ越してゆきました。何とか取材して助けてください。これは社会問題です。豊田商事とか悪徳商法がありますが、もっともっと酷いやり方です。内容は、たびたび会合に集めて催眠療法でかき立て、幹部は「私は三桁から四桁(百万から一千万)する、皆さんも出来る限り、多くしてください。私は家を売ってでもしたいんです」と言ってかき立てます。いま一銭もなくなっても必ず福運が付くと言い切ります。助けてください。この時期になると夫婦ゲンカが耐えません。寄付金を出さないと、断り切れない顔見知りの幹部が夜遅くまで強要します。「はい、出します」と言うまで帰りません。なんとか創価学会員を助けてください』
創価学会幼児に至まで広布部員(財務を出す人)にします。まず大口(百万円以上出す人)をどれだけ拡大するか、次に一口(一口は一万円)を二口、三口にする戦い。第三に、新規申込者を徹底して推進します。
……そのため一部の会員は、サラ金に手を出して金を捻出します。驚いたことに、東京・大田区の婦人部の活動ノートには、あるサラ金業者からは借りてはいけないとの注意事項まで載っています。ということは、サラ金から借りて財務に応ずることは当たり前になっていルことを示しています。兵庫県尼崎市の民主商工会に置かれた「阪神サラ金被害者の会」の相談コーナーには月に五十件から六十件ものサラ金被害の相談が持ち込まれていますが、なんと、相談者の六割を創価学会員が占めていたとのことです。
そのため、金策をめぐる犯罪、サラ金による自殺、夜逃げが頻発しています。学会本部では「最近、新聞などで話題になっているサラ金の問題についても、借り易いので利用する人も多いが、家庭の崩壊などの悲劇を招いては、断じてならない」(昭和五十八年六月、本部幹部会、森田一哉理事長談話)などとしていますが、結局は問題が学会上層部に波及しないように、あらかじめ会員へ責任転嫁しているにすぎません。実際には池田のゴリ押しの金集めが幾多の家庭崩壊を招いているのであって、この談話もかえって、いかに多くの会員がサラ金地獄に陥っているかを証明しているようなものです。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p141-3)
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p168-70)
そして有名なものとして、死期間近な病人から「今、御供養金を出せば病気が治る」と言い、貯金通帳から多額の現金を勝手に引き出した事例が複数、報告されている。
私が以前居た地区には一人暮らしの老人を折伏のターゲットにしている熱心な男子部員が居た。一人暮らしの老人は寂しい。親しくなり、入会、本尊流布までもってゆく。しかし、年老いているため亡くなることが多かった。そのとき遺族との間でもめ事が起こることが良くあった。その、もめ事の仔細は知らない。ただ、遺族に全く連絡が取れなかったり、連絡が取れても遺族が完全に捨ててしまって来ようとしないケースもあった。そういう場合、葬式をどうするか、献体として大学病院に納めるか、いろいろと問題があった。
創価学会本部では鉛筆一本でさえ池田大作のものという誓約書を創価学会本部職員全員に書かされている。これは池田大作が誰をも信じることができない病的性格のためである。「誰をも信じることができない」つまり池田大作は妄想性パーソナリティ障害なのである。
「財務」こそ創価学会のアキレス腱である。しかし現在、創価学会はその極めて豊富な資金源によりマスコミ界などに大きな力を持っている。国会で取り上げて「財務」を中止させることである。このままでは創価学会による日本占領が現実のものとなる。
「財務」による創価学会員の悲惨な現況は大きな社会問題である。上記のような「財務」の明らさまな強制は決して少ない割合ではない。「財務」直前の創価学会会館での偽りの体験談の発表は日本全国で盛んに行われている。偽りと解らずに多額の「財務」をする創価学会員は多い。そして現世利益を呼び台にする創価学会の理論、創価学会が勝手に造り上げた教義解釈が会員の心に脅迫してくる。人の良い人が多い創価学会員はそして多額の「財務」をする。貯金が無くなるまで。サラ金から金を借りてまで。東京の婦人部に出回っていた指示書には、どのサラ金業者から借りること、および借りてはいけないサラ金業者の名前が書いてある。
それ故の創価学会員の生活保護の多さであり、日本の福祉を食い物にしていると言っても良い。「財務」により人生を棒に振ってしまった創価学会員は多い。
これは宗教を利用した詐欺であり、詐欺罪で創価学会を訴追するべきである。「財務」は中世の免罪符である。宗教の仮面を借りた詐欺である。中世の免罪符が現在に復活したものである。現在の免罪符とでも言うべき「財務」を中止させるべきである。
すべて池田大作の命令、池田大作の野心、池田大作の欲望である。善良な会員から金を巻き上げ、笑っている池田大作の醜い姿が見えてくるようだ。
ここに「水滸会記録」という創価学会の秘伝書とも言うべきものがある。これは戸田城聖氏の時代に行われた上級幹部に対する特別会合、秘密会合とも言うべき会合の記録である。これは池田大作が奥に秘めていたものであるが、原島嵩氏が造反の時に秘密裏に持ち出したコピーである。
池田大作が誰にも見せようとしなかった秘伝書である。
速記の記録がないため、後に参加者が集まって、記憶を頼りながら記されたものである。それを読むと、池田大作による着色がかなりされてあるそうであるが、創価学会の今日の行動の指針が記されている。一時は出版も考えられたそうであるが(それ故に後になって参加者が集まり記憶を頼りに編纂された)池田大作が学会本部奥に隠し出版はされなかった。
原島嵩氏、山崎正友氏という元中枢の中枢が造反しなかったら、葬り去られていた記録である。
それには次のような記載が見られる。「昔の武器は刀、現在の武器は財力」と。
これ故の「財務」である。創価学会員はそれ故に池田大作からただ利用されているだけなのである。財力で日本を乗っ取る理論的根拠が「水滸会記録」に記されている。
創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。そのことに早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。
創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。
創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。
「昔の武器は刀であったが、現在の武器は金力(財力)である。昔の兵力に相当するものは金力である」
これは戸田城聖氏が語ったこととされるが、実際は池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたものである。本物の「水滸会記録」は消失しているか、何処かの金庫の中に眠っている。原島嵩元教学部長が創価学会本部より持ち出したのは本物の「水滸会記録」のコピーではない。池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたもののコピーである。このことは原島嵩元教学部長自身が書いていることである。
「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。
母子無理心中事件――――横浜市で昭和五十七年に起こった母親が娘を絞殺後、自らも首を吊って死亡した事件は、夫が「広布基金」の重要性を理解しないため「広布基金」ができないことを苦にしての悲劇だった。
夫放火による母子焼死事件――――――昭和六十四年、茨城県鹿嶋市で夫が自宅に放火。妻子が焼死したが事件の遠因は、有り金すべて「財務」に寄付する妻に抗しきれず、人生に絶望して放火したと供述している。
妻刺傷、焼身無理心中未遂事件――――学会活動にのめり込むだけでなく、貯金をすべて「財務」に差し出す妻に腹を立てた夫が、妻を刺し殺し、自らも焼身自殺を図ろうとしたが、殺しきれず、死にきれなかった。
平成元年五月、千葉県船橋市のの熱心な創価学会員・00綾子さんと長男の00君が同じく創価学会員である夫の000に殺された。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていた。動機は生活苦であった。「財務」ゆえに貯金が全くなかったのである。
バラバラにした死体が聖教新聞にくるまれてシキミとともに長野県の山中に捨てられていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。なぜ、いたいけな幼児が虐殺されなければならなかったのか。また、なぜ、その母親が無惨にも切り刻まれなければならなかったのか、酷い、胸の痛む事件であった。
夫人の綾子さんは「財務」になると貯金をすべて「財務」していた。これに夫の000が怒ったのである。毎日、重労働で働いてきた金を「財務」し、一年中、お金が足りないと夫婦喧嘩していた。サラ金から借りることもあった。
恐喝未遂事件――――平成五年十二月九日、静岡県清水署は創価学会副本部長の00000を恐喝未遂で逮捕した。同じ清水市に住む男性の“女性関係”に因縁を付け、現金数十万円を脅し取ろうとしたが00さんが警察に届けたため未遂に終わった。副本部長という役職にふさわしい額の“広布基金”を納める金が欲しかった」ということ。
そのほかにもたくさんある。
「財務」による事件として以下のことも知られている。しかし、これもごく一部である。
昭和五十八年四月二十二日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇七個のうち四個までが鶴丸付きの創価学会員のものであることが報じられている。同様に、同年九月二日号の「アサヒグラフ」の特集「サラ金地獄“蒸発”の現場」写真の大半にも鶴丸付きの経本や仏具が写っている。多くの創価学会員がサラ金苦に陥り「夜逃げ」や「家庭崩壊」を招いているかの証拠になろう。
000二郎愛知県議・借金夜逃げ事件
鹿児島県・徳之島ゾーン指導長・サラ金四千万円借金夜逃げ事件
「旭川一の功徳をもらった」と公言していた支部指導長夫妻・経営苦心中事件
佐賀市西村市議妻女・借金苦飛び降り事件
聖教新聞販売主・経営苦自殺事件
婦人部地区部長・千七百三十万円詐欺・窃盗事件
壮年部支部長(郵便局長)郵便貯金詐欺事件
男子部ゾーン長・銀行強盗事件
その他、書ききれない。これらを池田大作はどう考えているのか知りたい。自分だけ豪奢な生活ができたら良いのか?
山崎正友氏は更に書いている。
「広布基金」も不動産漁りやノーベル賞工作にばらまかれている
ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤスが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金を呼びかけたのである。中身は「池田先生の世界広布には金が掛かる。だから金を出せ、というのです。出せ、出せ。三桁、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学会は「広布基金」と称する金集めに必死である。
創価学会の金集めは、宗教上の布施や供養のレベルをはるかに逸脱している。嘘だらけの功徳話やコントなどで会員を騙し、集団催眠にかけ、煽り、上げ句の果ては脅迫まがいのノルマの強要を行う。“宗教団体”という肩書きがなかったら、豊田商事などと何ら変わるところのない、あくどくあこぎなものである。そうした金集めの陰に、夜逃げや倒産、犯罪行為に走る者など悲惨な道を巡る会員も少なくない。創価学会員の事件の多さは、私共の統計上も裏付けられている。私が二年あまり暮らしたところ(刑務所)にも数人に一人の割合で創価学会員がいた。金集めの号令は、まず池田大作から発せられる。そして、巧妙争いに支配された各地域の責任者の猛烈な煽りが始まる。何しろ、めざましい集金額を達成した幹部には出世と名誉が与えられ、そうでない者には池田大作の叱責と酷い仕打ちが待っているのである。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994、p134-5)
金を集めないという嘘
池田大作はつねづね「口巧く、天才でなければならない。口八丁、手八丁でゆけ」と私たちに指導していました。
この「口八丁」の天才が池田大作です。
かつて創価学会が急成長を遂げていた頃、他宗の信者を折伏し、入信させるときのうたい文句が「金のかからない宗教」でした。
たしかに、日蓮正宗の寺院で御授戒を受け御本尊を御下付いただく際に、応分の御供養と数百円の数珠・お経本だけで、そのほかは寺院に賽銭箱がある訳ではなく、学会に寄付や会費を取られるということもありませんでした。
戸田二代会長はつねづね「宗教で金儲けしようとするインチキ宗教どもを退治しようというのが私の根本精神」と語って、他教団の金権体質を攻撃することを、布教の最大の武器としてきました。
その方式は池田にも受け継がれ、昭和三十年代はしばしば他宗を次のように批判しました。
「今までの宗教はぜんぶ企業であります。法盗人、法を盗んで、そして信者を奴隷の如く扱い、金儲け専門であります。だから邪宗というのです」(聖教新聞:昭和38年8月17日、北陸総支部幹部会)
「邪宗教はあくまで金儲けのための信心であります。金儲けのための企業が邪宗教であります。それに反して、日蓮正宗の信心は、私どもは誰人からも一銭も貰わず、――中略――人を救っているのが創価学会なのであります」(聖教新聞:昭和36年4月8日)
「邪宗などは、みんな巧いことを言って金を巻き上げて、教祖のために、それから教団の勢力のために、それも、本当に人が救えるならば許せるけれども、ぜんぶ地獄に堕ち、民衆は教祖に騙されて、そして教祖は立派な家ばかり作り、民衆は最後には乞食みたいになってしまう。これは邪宗教の姿です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(聖教新聞:昭和37年6月16日)
このように「他教団=金権腐敗」、「学会=清廉、無報酬の奉仕」というイメージを繰り返しアピールしてきたのです。そして、
「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。――中略――創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはありません」(聖教新聞:昭和37年6月9日、中部本部地区部長会)
と語ってきたのです。
ところが、いまでは毎年一千数百億円とも二千億円とも言われる財務集めが年中行事化し、自殺者まで出すような始末です。池田はこの一点だけでも、宗教者としての罪、万死に値するものがありましょう。
「一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。
一、現在もっている預貯金全部出すのは当たり前だ。それにどれほど上乗せするかが信心の戦いだ。
一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。
一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ」(故福島源次郎氏『誠諫之書』)
「永久に会員から寄付を取らない」と言っていたことは、今日、その嘘が青天白日の元にさらされています。かつて池田が攻撃した邪宗教の姿が、現在の創価学会そのものです。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p234-7)
大きな建物を造らないという嘘
また、池田はかつて「学会は大きな建物は造らない」と言明していました。
「学会は大きな戦艦のような建物は造らないよ。全国の小さな会館が飛行機の役目をするのだ」(「前進」:昭和40年8月)
「この建物は小さいけれども、我々の拠点であります。私どもは喜んで小さな拠点を造っている訳なのです。他の教団などに於いては、すぐに信者から金を搾り取って、虚栄のため、商売のため、宗教企業のために大きな殿堂を造ります。私どもの会館建設に当たっては、会員の皆さんの負担とせず、新聞や雑誌の利潤を少しづつでも蓄積して造っていることを知っていただきたいのでございます。創価学会は形式的な大きな建物を、将来も排除していきます」(聖教新聞:昭和39年9月15日)
「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖が懐に入れて、さも立派そうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部を造って、東京進出のビルを造るとか、そんなことばかりやっている。悪い連中ですよ。
実際、宗教に無知な人が多いですから、みんなに騙されて、金を取られている。それで教団の勢力を張っている訳です。
私はこれから本部を造る。それからいろいろと東京や関西にも本部を造って、第一本部、第二本部と造ってきておりますし、これからも準備もしておりますけれども、一切、皆さん方から永久に一銭も取らない、これが私の精神です」(聖教新聞:昭和37年4月16日、埼玉総支部地区部長会)
こう約束し、会館建設に当たっても永久に寄付集めをしないと繰り返し公言していました。これが大嘘であったことは記すまでもありません。池田自身『週刊朝日』のインタビューに答えて、
「特別財務というのはね、各地の会館や研修道場などの総合整備計画に合わせて、その趣旨を会員にもご理解いただいて拠点をお願いしたものなんです。昭和49年から52年までの4年でーー中略ーー合計六百数十億円になったと思います。――中略――それに特別財務の状況や会館整備の進み具合などは各県ごとにきちんと報告しています」(昭和56年4月10日号)
と述べています。会計報告のくだりはともかく、会館建築を名目として、当時、秘かに六百数十億円もの金を集めていたことを認めているのです。
昭和50年6月16日、本部中央会議を開いたときにも、
「会館建設のため各地域で特別財務をやっているが、みんなもやった方が良い。自分の功徳になるし、仏法のためにお金を使った方が裕福になる。自分の体験からも言える。心良く御供養するよう指導したことにも功徳がある」(内部文書)などと「供養」の名のもとに金集めを煽っているのだから、あきれた話です。こうした虚言は、こればかりではありません。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p237-9)
事業に手を出さないという嘘
かつては、
「班長さん、地区部長さんの中には、ずいぶん利口な幹部もおりまして、学会もこれだけ大きくなったのだから、やれ、ああいうバス会社を造ったら良いではないか。ああいう印刷工場を造ったら良いではないかと、いろいろなことを言ってくる人がいるのです。――中略――そういうように言ってくること自身、その人に信心がないし、学会利用の根性があるのです。我々も普通の人間です。いろいろなことは良く知っております。しかし、そういうことは全部厳禁して、あくまで世界でただ一つ信心根本に純粋のなかの純粋で、一切衆生を幸福にしようというのが、代々の会長の精神ではありませんか。――中略――悪い不純なことに対しては、いっさい戦っていく決心でありますから、一緒に協力してくださいね」(聖教新聞:昭和38年1月27日、関西第二・三本部結成式)
などと庶民の味方を気取り、さも金銭には無縁で、純粋な宗教運動を目指しているかのように装ってきました。
これも今では信濃町周辺を中心に、全国に書店、レストラン、寿司屋、パーマ屋、葬儀、結婚式場、中華料理、運送、保険、金融、旅行、バス会社、墓苑、建築、電気製品販売、マスメディア等多くの事業を展開しています。そして、お雇い社長連中を集めては「ユダヤ人は金を握っている。実業家になったんだからうんと金持ちになることだ」(昭和47年6月15日、社長会)などと親分よろしくハッパをかけています。
また大学の建設にも「寄付など一銭も受けませんことをご承知していて下さい」(聖教新聞:昭和41年5月3日、本部総会)と言いながら、創価大学建設に当たっても、影の会長と言われた中西治雄などを使って学会員から約十億の寄付を集めています。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p239-41)
墓苑を経営しないという嘘
さらに墓苑事業についても、
「本当のことをいえば墓地なんか全部、日蓮正宗でやってもらいたいです。しかし日蓮正宗はご存知の通り貧乏です。創価学会を代表して、私は御法主上人猊下に全部御供養申し上げております。創価学会としては、そういう墓地の問題になんか絶対に手をつけません。全てお寺の問題であります。本山のことであり、宗門のことでありますから、その点は、はっきりしていって、全部御供養してございます」(聖教新聞:昭和38年4月2日、高尾墓園完成式)
と、宗門に忠実で、さも純真な信徒ぶってはみましたが、学会は現在八つの巨大墓園を経営し、売上一千数百億円を誇っています。何が「創価学会としては、そういう墓地の経営なんか絶対手をつけません」でしょうか。この事実からも、池田の言葉が虚言であったことが証明されます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p241-2)
政界の浄化が目的という嘘
池田の虚言はこうした金銭面だけでなく、政治面にも露呈しています。
「わが創価学会は、他宗派の如く、企業でもなく、ただ、勢力の拡大を目的とするものでもない。また、決して政権を考えているものではない」(大白蓮華:昭和36年6月)
かつて、このように公言した池田が、突然、前言を翻し、
「公明党政治連盟をば、皆さんの賛成があるならば、王仏冥合の達成のために、また時代の要求、民衆の要望に応えて、政党にするも良し、衆議院に出すも良し、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。(大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定いたします」(昭和39年5月3日、本部総会)
といって、衆院進出を図ったのは有名な話です。
池田は公明党結成時に、
「政界を浄化するのが役割の公明党に、将来、もしも万一、派閥が生じたり、汚職議員がでたりすれば、直ちに党を解散させる。国民の皆様にそうお誓い申し上げます」
「公明党は反自民・反権力・反大資本・自民党連合はあり得ず」
などと大見得を切り、政界浄化と革新のポーズを装いましたが、その後の公明党はどうだったでしょうか。汚職議員は続出し、右往左往の路線変更、結局、今では自民党と組み、創価学会が政権を陰で動かす現状ではないでしょうか。いまの公明党は、その結党当時の精神に照らし、もはや解党すべきであると思います。
今日まで取ってきた公明党の右往左往の路線変更は、ほとんど池田の党私物化に起因するのであり、とくに池田大作の国会喚問が公明党変節のキーワードです。言論問題、民社党「質問趣意書」、糾す会国会請願、大橋問題など、国会喚問が話題に上るたびに公明党は振り回され続け、なりふり構わず池田を守るため犠牲を払ってきたのです。
先の衆議院総選挙で、公明党は四十二議席から三十一議席に激減しました。これは自民党との選挙協力が巧く行かなかったことにも原因がありますが、何よりも創価学会=公明党の力が弱まったことに由来しています。そうは言っても油断は禁物です。自民党も勢力を激減し、ますます公明党の助けを得なければ成らなくなっているからです。それにしても、自民党が大幅に勢力を減退させたのは、公明党と組んだからであり、公明党の助けを借りれば借りるほど、ますますその傾向は顕著になっていくでしょう。いまの公明党は、国民の大多数から信用できない政党とされているからです。
それにしても、池田の虚言癖の症例は枚挙にいとまがありません。政教分離にしても、
「創価学会と公明党は同体異名の団体であります。永久に創価学会と公明党は一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」(昭和40年7月、青年部最高幹部会)
「創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度の上で、明確に分離していくという原則を、更に貫いていきたいのであります。――中略――学会員個人個人の政党の支持は従来通り自由であります。――中略――政党支持に就いては会員の自由意志に全く干渉するものではない」(昭和45年5月3日、本部総会)
「竹入に今まで以上に王仏冥合政教一致で行け、と言おうか」(昭和45年5月5日、「社長会記録」)
「政教一致――大きなお世話。不仲説――誰が言ったか。親として自分の手製の党、心配するのは当たり前」(昭和50年7月8日、婦人部長研修会)
「政教一致は間違いです」(朝日新聞:昭和60年19月30日夕刊)などと、時と相手によって言うことがコロコロ変わるのが分かります。いま、学会員の中で、政党支持の自由があると思っている人は一人もいないでしょう。まったく池田は、数限りない虚言を持って、学会員を騙し、世間を騙し続けてきたのです。その挙げ句「ともかく私は、会員を政争の道具にしてはならない、と思っている」(読売新聞:昭和50年7月3日)などと述べていますが、いったい誰が公明党を作り、会員の政党支持を束縛し、組織票を状況次第で右へ左へ売りつけているのでしょうか。池田が政治的野心を捨てない限り、会員は政争の道具と成らざるを得ません。
池田の得意技は、煽てたり、餌をちらつかせるラブコール戦法にあります。これには、政治家、財界人、文化人、マスコミ等が、ほとんど手もなくやられてきました。宮本顕治氏もその一人です。池田は、大森実氏との対談で、
「十数年前から『この人(宮本氏)は屈指の指導者になるな』と思っておりました。――中略――現在の指導者で右に出るものはないでしょう」「私は一貫して共産党の言うことを理解しておりました……未来に於いて協調すべきだし、それしかないのです」(週刊現代:昭和48年4月12日)
と述べて、宮本氏をおだて、これによって創共協定が結ばれたと言われています。昭和45年、創価学会は組織ぐるみで宮本宅の電話を盗聴し、その一方で友好的に接近し一杯くわしたのです。
また池田は、昭和45年の言論妨害事件直後、当時の西村栄一民社党委員長に財界有力者を通じて「公明党を丸ごと受け取ってくれ」と心にもないことを働きかけました。
昭和56年にも同じような手を使っています。北条前会長の通夜の晩、池田にこっそり会った民社党の佐々木良作元委員長は「『佐々木先生には今後、特別いろいろお世話にならんと思います。政権も担当して貰わなきゃ成らん筋になります』とささやかれた。『どきっ』とする話しぶりだった」(朝日新聞:昭和63年10月「一日生涯」)と証言しています。
社会党の江田三郎氏はもっと悲劇でした。池田は、矢野らによって提唱された革新再編成の旗印のもと「公明党の看板はなくなってもいい」(昭和51年5月17日)と、公明党を解党して社公民新党を結成すると空手形をちらつかせ、江田氏を迎える構想で乗せたのです。その上で、翌年三月、党内から批判を浴びていた江田氏に離党を迫るとともに、マスコミにリークして、離党せざるを得ない状況にしたと言われます。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p242-7)
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(第2章終了)