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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(13)

2011-03-03 20:09:27 | 日記



Winter allways turn to spring
 冬は必ず春となる―――自分の最も好きだった御文です。厳しい時代、これを書いた紙を仏壇に置いて祈っていました。しかし、冬は何時まで経っても冬でした。“魔”の御本尊を祈っていたからです。

日記
jan,22,2010
 本日、勧誡式を受けた。昼の1時45分頃に受けた。病院へ仕事に行く途中であった。すると身体がとても軽くなった。一ヶ月ほど前、法華講員の自覚を持って勤行唱題したときのようになった。
 法華講員として命を賭ける。少なくとも、そういう自覚で行かなければならない。00寺である。


 石井一先生、自分は反創価学会のものです。是非、頼みたいことがあります。
 公明党が警察の人事権や予算を牛耳っていることは危険と思います。
 創価学会は池田大作の指示があればテロをも起こします。
 国会議員を半分にすると公明党は潰滅すると言われます。また、池田大作の死後は、創価学会員の選挙への士気が大きく低下し、公明党は潰滅するとも言われます。
 公明党から警察の予算や人事権を剥奪するべきと思います。
 国会議員や東京都議員の数を半分にすると公明党は自然に警察の予算や人事権を剥奪されます。
 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。
 戸別訪問という選挙違反を繰り返す公明党(創価学会)をこのままにするべきではありません。
 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。比例区は廃止することになります。


 ムカデが真夜中、寝ていたとき、手を這っていたのは去年の八月頃になると思う。あの日、自分は気が変わって、仏壇に飾ってある“魔”の御本尊に向かって勤行唱題をした。
 先祖様が警告してくれたのであろうか? “魔”の御本尊に向かっては決して祈ってはいけないと。“魔”の御本尊は悪魔であり極めて危険なものであることを。
 その頃は創価学会を脱会しないと日蓮正宗法華講には入れないと思っていた。特例として脱会しなくとも日蓮正宗法華講に入れることがあることを知らなかった。自分の家では脱会イクオール離婚である。それで諦めの気持ちで“魔”の御本尊に向かって方便品・自我解と五分間の唱題だけだったが勤行唱題をしたのだと思う。
 寝ていて腕を何かが這っていると思い、電気を付けたらムカデが手を這っていた。急いで窓を開け、ムカデを外に落とした。昨日、蝉の抜け殻が罹っていたコンクリートのブロックの穴から、再び家の下に入って来ないかと心配した。ここは以前は森であり、地中には未だ蝉の幼虫も蟻もたくさん居るところだった。築十年の家を買って住み始めて五年が経つが、未だ地中は以前、森であった名残が激しい。ムカデのような怖ろしいものが腕を這うことは生まれて今まで経験したことのないことだった。
 今は日蓮正宗法華講に入講し毎週通っている。 
(第4章 終了)
緊急公示(4)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月7日2010年 日曜 午前4時40分) 
 自分は日蓮正宗を辞め保田妙本寺に行くことにする。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ本物の大御本尊であると思うからだ。
 ネット上での日蓮正宗法華講員との確執も大きいが、それよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ究極の本物の大御本尊であると思うからだ。そのネット上の狂気の日蓮正宗法華講員は池田大作と同じく軽症の統合失調症であると昨夜、眠れず、転々としている時に気付いた。池田大作のような軽症の統合失調症は見逃されている。
 ネットの保田妙本寺のホームページと思われる所より保田妙本寺の五座の御観念文をPDFファイルで入手し印刷して、この4日程はその御観念文を祈っている。
 第三祖日目上人までは同じであるが、第四祖が本寺開山の日郷上人になっている。もちろん、二座も異なる。末法万年救護大本尊になっている。
 今までも遙拝勤行であったが、4日程前から末法万年救護大本尊を思い浮かべて祈っている。末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると違う。勇気が強く湧いてくる。創価学会の遙拝勤行ではほとんど何も感じなかった。日蓮正宗の遙拝勤行では勇気が湧いてきていた。しかし、日蓮正宗の遙拝勤行以上に勇気が湧いてくる。
 当直室のベットの上で方便品自我解、そして二座の長行は日蓮正宗の経本を見て唱えている。御観念文は保田妙本寺の印刷した御観念文である。
 今日も朝の勤行は終了した。病院の当直だから朝早く起こされることが多い。今朝は三時半に起こされた。一時間も眠っていない。しかし、心には保田妙本寺信徒としての自覚がある。負けない。
 自分の住む九州には保田妙本寺系の寺院は確か無いはずだ。千葉県まで行かなければならないようだ。しかし、千葉県まではなかなか行けない。家人にどのような理由を言って良いか考えつかない。また極度の出不精の自分だ。今まで、九州から出たことは数回しかない。
 しかも、10年間に亘るうつ病性障害の頃の習慣が身についてしまっている。家と職場である病院との往復以外はほとんどしない。
 家では寝るかインターネットをするかのどちらかであることがほとんどである。食事はいつも5分ほどで済ませる。病院当直中は2分で済ませている。ほとんど呑み込んでいる。テレビも新聞も全く見ない。第一、アパートにテレビはなかった。新聞も聖教新聞と創価新報と大白蓮華だけであった。創価学会の会合中はいつも居眠りをしていた。福岡の脳外科の救急病院で9年間、働いてきた習慣である。00の00脳神経外科である。9年間、週3、4回の当直を続けてきた。うつ病性障害になり精神科に変わってからも、その習慣は残っている。
 このまま末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行を続けるしかない。死ぬまで遙拝勤行が続くような気がする。幾ら寝ても疲労感が激しく、身体を壊してしまったようだ。これはうつ病性障害とは異なる。癌の可能性は高い。何だか未だ幼い子供に長い長い遺書を書いて死ぬような気もする。現代医学ではこれだけ症状が出て来てからは完全に手遅れである。でも保田妙本寺信徒は負けない。癌にも勝つ。身体を切り刻まれて苦しみ抜いて死ぬよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に身を任そう。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は癌ぐらい治してくれるはずだ。保田妙本寺信徒は負けない。
 
(11月8日2010年 月曜 午前5時50分)
 この(創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告)はここで終わる。自分は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を信仰し始めた。
もう、これに手を入れることはしないだろう。
 これからは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊の信仰に没頭する。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に関する本を書かなければならない。いろいろと資料を読まなければならない。そしてその資料はインターネット上に載っているだけだ。
 鎌倉時代の終わり頃、日郷上人の弟子が日向で布教し100以上の寺を建てたという。日向ならば近い。千葉県も北海道もあまりにも遠い。
 しかし、その100以上の寺は現在は残っているのだろうか? 痕跡しか残されていないようだ。保田妙本寺の信者は日本中に少ない。ネット上に2人、保田妙本寺の信者が居る。ネット上には創価学会と日蓮正宗の信者で溢れかえっている。自分が良く思っていないネット上の日蓮正宗の信者からは罵倒されるであろう。何故、ネット上の日蓮正宗の信者はあのように良くないのだろう。創価学会の成りすまし信者で溢れているのか? 創価学会の陰謀であるのか? 自分が通っていた日蓮正宗のお寺の信者達はみんなとても良い人ばかりだった。
 3日間の当直はあと三時間近くで終わる。3日間での睡眠時間は五時間にも達していないだろう。今日は爆睡する。明日も爆睡する。3歳になろうとする娘と一緒に眠ろう。でもインターネットで保田妙本寺関連の勉強をしなければならないし、資料を印刷するかダウンロードしなければならない。
 遂に真理に到達した。今、目の前は輝いている。希望に溢れている。


終わりに
大同団結
 法華講も顕正会も創価学会も団結して広宣流布目指して邁進することが、日蓮大聖人の御心に叶うものと信じる。以前は大石寺で席を隣にして御書の研鑽や勤行唱題に励んでいた仲ではないか。内輪もめは止めて、みんなで広宣流布を目指さないことには広宣流布を成し遂げることは不可能と思う。何故、内輪もめするのか、悲しい現実である。“魔”に翻弄されている姿としか思えない。
 内輪もめに費やすエネルギーを外へのエネルギーにもってゆけば良いが“魔”に翻弄されているのだろう。
 内輪もめは止めて、法華講も顕正会も創価学会も大同団結して広宣流布目指して邁進することが、日蓮大聖人の御心に叶うものと信じる。しかし“魔”の跳躍のため、それは不可能に近い。

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退会届
(内容証明郵便または配達証明郵便で送る)――この郵便で送らないと『知らない!受け取ってない!』ととぼけられる可能性が大きい。
〒160-8583
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人・創価学会
会長・原田稔 宛
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
•  退会届

• 宗教法人・創価学会
• 原田稔
• 3月6日2010年
• 私こと0000は宗教法人・創価学会を退会します。

• 今後は機関誌の勧誘、支援政党の投票依頼等を目的とした、創価学会・会員の自宅訪問・電話などを、お断りします。

• 地区幹部の方々にも、その旨のご指導をお願い致します。
• また速やかに、名簿からの削除等の処理をお願い致します。

• 所属組織名(壮年部・男子部・婦人部・女子部、等)
• 〒000-0000 00県00市00町0-0 
• 0000  印

(無くしたり、破られたりもありますので、念のためにコピーを数枚は取っておきましょう。
 巻き本尊もあれば一緒に送りましょう)
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【参考文献】
真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001
絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007
池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002
再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005
創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004
創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001
「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001
法廷に立った池田大作――続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001
懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994
懺悔滅罪のために!:原島嵩、山崎正友:慧妙編集室:2007
池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989
私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五十年:矢野絢也:講談社:2009
黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録:矢野絢也:講談社:2009
闇の流れ 矢野絢也メモ:矢野絢也:講談社:2009
池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007
池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009
創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008
天魔の野望 実録「人間革命」:慧妙編集室 まつどつるしま:晩さん社:1997
司法に断罪された創価学会:乙骨正生:かもがわ出版:2009
公明党=創価学会の野望:乙骨正生:かもがわ出版:1999
池田王国の崩壊:永島雪夫:リム出版:1992
人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:高瀬広居:有紀書房刊:1965
創価学会とは何か:山田直樹:新潮社:2004
創価学会:島田裕己:新潮社:2004
池田大作「権力者」の構造: 溝口敦:講談社:2005
イケダ先生の世界:ベンジャミン・フルフォード:宝島社:2006
公明党・創価学会と日本:平野貞夫:講談社:2005
創価学会Xデー:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2008
となりの創価学会:別冊宝島編集部:宝島社:2008
池田大作なき後の創価学会:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2007
お笑い創価学会 信じる者は救われない:佐高信、テリー伊藤:光文社:2002
創価学会解剖:朝日新聞アエラ編集部:朝日新聞社:2000
シンジケートとしての創価学会=公明党:古川利明:第三書館:1999
家庭内宗教戦争:美濃周人:山手書房新社:1992
DSM--TR:精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院:2007
法華経入門:菅野博史(かんのひろし):岩波新書:2001
「法華経」を読む:紀野一義:講談社:1982
信じない人のための「法華経」講座:文藝春秋:2008
パーソナリティー障害:岡田尊司:PHP新書:1998
精神病:笠原嘉:岩波書店:1998
統合失調症の診療学:岡崎裕士:中山書店:2002
気分障害の診療学:神庭重信:中山書店:2002
老年期の幻覚・妄想:松下正明:中山書店:2002
リエゾン精神医学とその治療学:山脇成人:中山書店:2002
精神疾患における認知のメカニズムとその対策:武田雅俊:中山書店:2002
精神科治療の語りと聴取:加藤敏:中山書店:2002
病の自然経過と精神療法:新宮一成:中山書店:2002
          etc.

最後に、一番大事なこと
 創価学会の改革は不可能に近い。現実問題として不可能である。日蓮正宗法華講に入ることです。
 創価学会の改革は夢物語に近い。現実問題として不可能である。日蓮正宗法華講に入ることです。
 以前、選挙の度に「謗法選挙」と言うビラを配っていた創価学会内部改革派憂創同盟の人が癌で亡くなられたことは、創価学会の謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊に祈っていたからであろう。どんなに創価学会内部改革派憂創同盟という気概を強く持っていても、謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊に祈ると悪いことが起こる。これは筆者も経験している。
 日達上人の御本尊であっても謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊は日蓮正宗の住職から“お清め”を受けないと悪鬼が去らない。悪鬼の住む御本尊にどんなに創価学会内部改革派憂創同盟という強い気概で祈っても悪いことが起こる。“魔”の御本尊と異なり、日達上人の御本尊に祈ると強い歓喜が湧くが、“お清め”を受けない限り、悪鬼が住んでいる。このことは十分注意しなければならない。もちろん、平成五年から配られた日寛上人の御本尊は“魔”の御本尊であり論外である。
 また、本人も勧誡式という御授戒のようなものを受けないといけない。強く謗法化してしまった創価学会の垢を払うためである。
 創価学会に残っていては不幸になります。日蓮正宗法華講に入ることです。
 重ねて書く。創価学会に残っていては不幸になります。日蓮正宗法華講に入ることです。

【あとがき】
 これは出版することにする。広宣流布のためだ。何処かの出版社の方、宜しくお願いします。適当に編集・推敲してください。もう一度書きます。適当に編集・推敲してください。
 書いた時期が様々であるため重複しているところが多いことお許しください。3年ほど前に書いたものも多く混じっております。2009年頃に書かれたものが多い。
 なお、これはあくまで匿名で出版することにします。自分が書いたものとは分からないようにするようにします。その点、宜しくお願いします。匿名出版です。印税などは要りません。勝手に推敲、訂正などお願いします。
 匿名は創価学会内部改革派憂創同盟残党とします。
 なお、自分にはお金がありません(熱心な創価学会員である女房にお金を握られています)。自費出版も無料でないと無理です。
 正義感のある出版社の方、無料で出版を宜しくお願いします。たくさんの苦しむ無知な創価学会員を救うためです。
 この本は出版されなければならない。何故なら、池田大作の悪を知らしめるためだ。池田大作の悪を知らない素朴な創価学会員が余りにも多過ぎる。そのためだ。池田大作の悪を知らしめさないとあまりにも素朴過ぎる無数の創価学会員が可哀相である。純朴過ぎる創価学会員を幸せの道へと導くためだ。
                                       (3月6日2010年記す)

 池田の最大の失敗は宗門と手を切ったことである。しかし、たしかに学術上、間違いなく富士大石寺の大御本尊は第9世日有上人の時代に造られた偽造本尊である。それなのに、あれだけ力があった。本物の保田妙本寺の末法万年救護の大本尊はもっと力がある。
 創価学会が保田妙本寺を新しく本山とするならば創価学会員は幸せになり、広宣流布も達成されると信じる。(1月3日2011年 午前6時48分) 


最後の緊急公示:創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺を離山す
【創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺より離山する事を宣言する】
『創価学会内部改革派憂創同盟残党は、親・創価学会として再出発することを宣言する。しかし、反池田派は固持する』
  (1月21日2011年   午後2時15分)     保田妙本寺より離山する。

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 僕は創価学会員として育ってきました。また、妻の一族は狂信的な創価学会一族です。創価学会を脱会することが許されないのです。幼い子供が2人います。

 保田妙本寺は信徒が神社の氏子となっている、近所の他宗のおばちゃんたちが庭の掃除をしているなど謗法が存在することが判明した。よって、謗法の山と化した保田妙本寺を創価学会内部改革派憂創同盟残党は一人離山する。
 保田妙本寺の昔からの信徒には広宣流布の情熱が感じられない。広宣流布の情熱が無いならば、そこは謗法の山である。
 それに保田妙本寺の信仰を行うと自分はうつ病性障害が再燃するのです。ここ2ヶ月ほど、うつ病性障害の再燃に苦しみました。創価学会内部改革派だ、と思うと僕のうつ病性障害は軽くなるのです。
 贋作の大御本尊を擁する日蓮正宗には歓喜が存在した。その歓喜は広布に駆ける一人一人の胸中に仏性として湧き上がってくるものです。日蓮大聖人は民衆救済を叫ばれました。創価学会にも日蓮正宗にも末端には民衆救済の情熱があります。カルト指定されているほどの民衆救済の情熱があります。しかし、保田妙本寺には極一部にしか民衆救済の情熱を見い出せなかったのです。
 そして保田妙本寺は悪霊の館と自分は断言します。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は江戸時代に質に出され流れ、そして多数の末法万年救護の大本尊のコピーが江戸中に出回ったことは有名なことです。もはや日蓮大聖人の生命は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊には存在しないと自分は断言します。
 もう一度書きます。
 保田妙本寺は悪霊の館と自分は断言します。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は江戸時代に質に出され流れ、そして多数の末法万年救護の大本尊のコピーが江戸中に出回ったことは有名なことです。もはや日蓮大聖人の生命は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊には存在しないと自分は断言します。
 自分には学会っ子としての血が流れているのです。厳しい少年時代を御本尊様と一緒に生きてきました。辛く苦しい少年時代でしたが、御本尊様とともに育ってきたから負けませんでした。泣きながら帰っても御本尊様の前で一生懸命、題目を唱え、次の日には元気一杯に学校に行っていました。

(笑ってください。裏切り者の背中を。僕は権力に負けたのです。)

 創価学会に反池田派だけど付いていこうと決心したのです。日蓮正宗は大御本尊を始め贋作教団とされていますから付いていきません。反日蓮正宗の立場を取らせて貰います。
 今も僕が創価学会員として戦っていると思っている宿命(統合失調症)に苦しみながらも戦っている昔の同志の年賀状に涙したのです。返事は未だ書いていません。
 宿命に苦しむ同志を裏切ることは自分にはできないのです。

 そして大聖人の生命は創価学会の中に、創価学会内部改革派憂創同盟の中にあると自分は断言します。新しく生まれ変わる民衆救済の情熱の燃える創価学会の中に大聖人の生命は住まわれると断言します。しかし、創価学会が現在と同じように民衆救済の情熱が希薄であれば、自分は一人で創価学会内部改革派憂創同盟として信仰を続けるか、隠れ日蓮正宗になると思う。

(完、本当に完)(2月12日2011年)


(目次)
創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
はじめに 愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言) 
第1章 魔性の創価学会
池田大作の精神病理
魔性の創価学会(一)
魔性の創価学会(二)
魔性の創価学会(三)
魔性の創価学会(四)
病気を治すためには
御書
洗脳されきった哀れな会員を救う
ジョージ・ウイリアムス理事長
質問
創価学会内部改革派憂創同盟
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
原田新会長へ
最高幹部の結束した造反を期待する
第2章 大魔王
大魔王:池田大作
魔性の本尊
創価学会の仏法違背
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
法華経は奇跡の教典
池田大作の悪行
個人攻撃について
反乱の序曲
「財務」は中世の免罪符
「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
金を集めないという嘘
墓苑を経営しないという嘘
政界の浄化が目的という嘘
第3章 創価学会と池田大作のためなら何をしても良い
犯罪集団・創価学会
選挙運動の悲劇
池田大作に信仰心はない
政教一致
池田大作の虚構
宮本邸電話盗聴事件
熱心に信仰すると不幸になる
偽りだらけの体験談集
うつ病性障害、パニック障害多発の現在の創価学会
創価学会は池田大作のために破滅への道を歩んでいる
池田大作と文鮮明
創価学会の未来
“魔”池田大作の出現
創価学会の宗門支配計画
あまりに知らない人が多すぎるので書く
“魔”の党、公明党によって骨抜きにされた自民党
脱会
青年部による日本武力制圧の危険性
無数の悪鬼の集団
論文集
第4章 隠れ法華講への道
隠れ法華講への道
日如上人様
藤原範昭氏へ「戸田時代に帰れ!」
紳士革命
次期会長について
法華講
手紙1
手紙2
手紙3
手紙4
その他
御書の一節:英語版
日記
緊急公示(4)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
終わりに
大同団結
退会届
【参考文献】
最後に、一番大事なこと
【あとがき】
最後の緊急公示:創価学会内部改革派憂創同盟残党、保田妙本寺を離山す

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 これは幻の書である。
 ここに書かれていることは夢幻である。
 これは一つの文学作品である。宮殿革命は不可能である。
 重ねて書く。これは一つの文学作品である。宮殿革命など考えては居ない。
 もう一度、重ねて書く。これは一つの文学作品である。
 この本は夢幻のように消えてゆく。
 ただ、インターネット上に夢幻のように置いておく。

 人生とは仏法上の厳しい因果律に則ったものなのでしょうか。それとも夢幻なのでしょうか。私には分かりません。
 私は隠れ法華講として大人しく生きてゆこうと思います。安穏とした生活を私は望んでいるのです。卑怯かもしれません。しかし  私は安穏とした生活を望んでいるのです。
                          作者:夢幻(ゆめまぼろし)




 隠れ法華講員として生きていると元気になる。生きている一瞬一瞬が歓喜となる。しかし、自分は安穏な生活をも望んでいるのです。迷い煩悶しているのです。
 日如上人様、自分は法華講に入りたいですが家庭的に入ることが出来ません。妻の一族が狂信的な創価学会員です。妻の両親は昭和30年からの創価学会員で支部長を長年やってました(早く死ね!)。妻を改心させるために全力を注がねばなりません。でも容易いことではないと思います。
 可愛い幼い子供とこのまま暮らしたい。その一心です。また、その子供を自分の親が溺愛しています。親孝行をしなければなりません。
 そこに立ちはだかっているのが家庭内宗教問題です。これはあまりにも大きな大きな問題として立ちはだかっています。どうしたら良いか、全く苦しんでいます。
 妻はあまり熱心ではありません。しかし創価高校卒です。友達は創価学会員しかいません。周囲の創価学会員の刷り込みが最近は激しいです。妻も他の3人の兄弟のように狂信的な創価学会員になる可能性は大きいです。

 隠れるんだ。隠れるんだ。隠れ法華講員として過ごすんだ。隠れ法華講員として過ごすんだ。


                     完


• 煩悶しています。
o  このホームページはあなたが造ったことにしてくれないでしょうか? パスワードも教えます。というよりコピーして新しいところに造ってください。
•  自分の極めて危険な状態を案じてください。
  そして僕は隠れ法華講員として慎ましやかに生きてゆく…しかし、法華講員として戦うべきだ。
•  創価学会にも情があることを期待しています。
o  自分がこのホームページの作者であることが知れると拙いのです。家庭が崩壊します。(これは大袈裟でした)
•  その心配で一度はこのホームページを削除しました。
  このホームページの作者が自分であることが知れると自分は破滅です。(破滅は大袈裟でした)
  しかし今までこのホームページが問題にならなかったのは不思議だ。ヤフーの知恵袋で盛んに宣伝しているのですけど。
  自分は幻のように消えます。
  自分は幻となります。
  それともこのホームページを幻のようにインターネット上に残しておくか?
  これからは手を付けずに。
  自分は煩悶しています。
  信仰弱い自分なのです。
  何も手に着きません。心配ばかりで。
  再び、このホームページは消そうかと考えています。
  このホームページが価値があるか?という考えがあるのです。広宣流布のために。
  しかし正義感がそうはさせないのです。
  まだ幼い可愛い二人の子供がいます。その子供を自分の親が溺愛しています。離婚することが許されないのです。
  
ccc998@infoseek.jp



http://sky.geocities.jp/mifune008/

 民衆救済の大情熱の中に日蓮大聖人の生命があるのであって後は些事と思います。
 御本尊が偽物か本物かは些事と思います。
 民衆救済への大情熱がなければ本物の御本尊に祈っても無駄なことと思います。
 御本尊は必要ないのではないかとさえ思うこの頃です。
 民衆救済への大情熱の中に日蓮大聖人の魂は住まわれるのであって、勤行唱題も不必要ではないかとさえ思うこの頃です。
 勤行唱題しても民衆救済への大情熱がなければ同じ、と思います。
 すなわち、自分は勤行唱題不必要論です。民衆救済の大情熱が全てと思います。
 民衆救済の大情熱が全てと思います。
           
 池田大作はメダル漁りなど人間としての道を外れていました。
 正しい人としての道を歩むこと、正しく生きること、すなわち、苦しむ人を助け、人間皆が平等であること、助け合って生きることが大切であること、人間として正しく生きることは簡単なことではない、しかし皆で励まし合って人間として正しく生きること、みんなが人間として正しく生きるようになったとき、このとき広宣流布が達成されたときです。我が宗、我が宗、と争うことは人の道を外れています。釈迦が説いたのはそんなことではありません。人々みんなが平等で助けあって生きてゆくことです。争ってはいけません。
 日蓮大聖人は民衆救済のために一人立たれました。民衆救済が全てです。みんなが心に民衆救済を心掛けることが広宣流布です。
 一人一人が苦しんでいる人を助けてゆくことを心掛けることです。それが広宣流布です。
 選挙運動は廃止です。折伏も廃止です。創価学会員はただ困っている人のために生きるように心掛けることです。そのとき広宣流布が達成されます。争いは全て廃止です。スポーツの世界に於ける争いは仕方のないことと思われますが、その他に於いては争いは廃止です。
 争いが廃止されて、皆が皆のために生きるようになることです。それが広宣流布であり、日蓮大聖人の御心に適うことです。
 日蓮大聖人は苦しむ民衆を救うために一生を捧げられました。苦しむ民衆がいなくなるように努力することです。それが広宣流布です。
 福祉社会の実現と戦争のない世界を造るべきです。それが広宣流布です。
 勤行唱題も御本尊も必要ありません。大事なのは一人一人の心の中の仏性を顕現してゆくことです。
 人としての道を正しく生きてゆくことです。それが広宣流布です。

 一人一人が人間としての道を正しく生きてゆくことはそんなに簡単なことではないと思います。
 しかし、一人一人が人間としての道を正しく生きてゆくように懸命の努力をすることです。
 勤行唱題ではありません。御本尊ではありません。民衆救済の大情熱が全てと思います。
 民衆救済の大情熱が全てと思います。

 (完、本当に本当に、完)(February 20,2011)
 悟ったのではない。日蓮宗のあの歓喜には至れない。創価学会員の苦しみも喜びに変える、悲しみも喜びに変える、あの歓喜には至れないだろう。あの不思議な歓喜はやはり創価学会の中にしかないような気がする。
 あの元気になる不思議な宗教は創価学会の中で信仰していくより他にないだろう。道徳では無理だ。創価学会に帰るしかないような気がする。
(Feb 21,2011)

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(12)

2011-03-03 20:06:38 | 日記

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(11)

2011-03-03 20:04:26 | 日記


日如上人様
 辛いとき、「日如上人様」と心の中で唱えます。電話の受話器を取るときも「日如上人様」と心の中で唱えてから受話器を取ります。自分には生きてゆくことは、そんなに易しいことではありません。
 しかし、世の中にはもっと苦しんでいる人たちが居る。甘えてはならない。広宣流布のため身命を捨てて戦うべきです。でも、今の自分には若かった頃のような覇気があまりありません。全く落ち着いた自分になっています。創価学会の頃が余りにも落ち着かない自分であったと思います。
 今週の仕事の帰りにも寺院へ寄ろうとも思いますが、またいつものように寄らずにそのまま家へ帰るような気がします。インターネットで活動すべきだという考えがあります。広宣流布への活動をインターネットで活発に行うべきだという考えがあります。
 創価学会員は余りにも病気が多いです。熱心に信仰を行っていた故に罹った病気だと思われるものばかりです。適当に信仰している人は病気になって苦しむことは少ないように思います。
 女房が創価学会員で女房の一族が熱烈な創価学会員です。正式に創価学会を脱会することはできません。脱会イクオール離婚に近いです。可愛い幼い子供がいます。その孫を自分の親がものすごく可愛いがっています。隠れ法華講の道を獲るしかありません。
 池田創価学会は池田大作の死とともに大きく変動すると期待しています。しかし、現在の執行部の体制のままでは創価学会が本山に詫びを入れて本山に戻る可能性は極めて低いと思います。
 大きな世論を興さなければいけないと思います。そのためには国会議員に働きかけて国会で創価学会追求をしてもらうしかないと思います。創価学会はマスコミをその豊富な金力でかなり牛耳っています。創価学会を批判できるマスコミはごく僅かです。
 創価学会の宮殿革命は不可能な気がします。現在の平和な日本では宮殿革命を行おうという覇気を持った人間は少ないです。藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担いで宮殿革命を考えていましたし、今もその考えは捨ててはいません。しかし、かなり難しいです。玉砕覚悟で臨まなければなりません。幼い子供がいます。年老いた両親がいます。自分は死ねません。
 しかし、その宮殿革命こそが創価学会を改革できる、創価学会を正常化できる、唯一の道と思います。苦しんでいる多数の創価学会員を救うことのできる唯一の道と信じます。ほとんどの創価学会員は余りにも人が良く、池田大作の悪さを知りません。聖教新聞に書かれてあることを鵜呑みにしています。これら朴訥な創価学会員を救うには大きな改革が必要です。しかし現在の執行部のままでは大きな改革を行うことはしないと思われます。
 国会議員はなかなか動きません。創価学会を攻撃する覇気のある国会議員は現在は少なくなっています。保身に汲々とした国会議員ばかりです。
 しかし、現実に目を向けると、そこには暗い絶望の道が見えているだけです。“魔”の力は余りに強く、どうすることもできないようです。
 創価学会員は池田大作の悪行をほとんど知りません。理解のある創価学会員は一部です。


藤原範昭氏へ「戸田時代に帰れ!」
 自分は二十年ほど前、00の活動家に勧められて藤原範昭氏と電話で話をしたことがあります。しかし、優柔不断な自分は創価学会内部改革派憂創同盟に入ることはなく創価学会に大人しく留まっていました。しかし、00歳となった今、創価学会を改革しなければならないという決意が強くなっています。今では家の日寛上人の御本尊は“魔”の御本尊として全く祈っていません。自分は藤原範昭氏より0年年下になります。
 現在はヤフーの知恵袋で創価学会内部改革派憂創同盟として戦っています。「創価学会内部改革派憂創同盟」のホームページも造ってあります。 池田大作によって滅茶苦茶にされた創価学会を戸田先生の時代の創価学会に戻すのです。素晴らしかった創価学会に戻すのです。「戸田時代に帰れ!」です。
 池田大作は近いうちに死ぬことは確実ですが、創価学会の内部改革は非常に困難と思えます。宮殿革命を起こさないことには創価学会の内部改革は不可能と思います。しかし宮殿革命は難しすぎます。成功する可能性はありません。
 秋谷元会長たちが反乱を起こす可能性は低いと思います。このまま濁りきった創価学会のままで推移する可能性が非常に高いと思います。
 創価学会には純朴な人があまりにも多く、真実を知らないまま(池田大作の真実を知らないまま)、創価学会について行っている人たちが非常に多過ぎます。自分の両親もそうです。法華講に入りたくても周囲の創価学会員への義理人情で法華講に入れない人が非常に多いです。
 自分も法華講に入りたいですが00の一族が狂信的な池田教信者であるため入れません。離婚となり、子供を持って行かれます。結婚が失敗でした。
 今の腐りきった創価学会ではたくさんの人が不幸になります。創価学会を改革しようとの決意は強くなっています。しかし、現在の生活を捨ててまで創価学会の改革に走る決意はありません。また、その確信もありません。この手紙は出せません。池田大作はイエスマン以外は排除してきたため改革は奇跡が起こらない限り不可能です。どうすることもできません。―――――しかし、次第に、やる気が湧いてきました。革命です。無血革命です。宮殿革命です。
 
【宮殿革命、成功への知恵と人員を募集する。メールでお願いします。(多くの創価学会員を救うための革命です。非暴力主義でいきます)】
1)宮殿革命への仲間を募る、集める。 
2)法華講の力を借りる(屈強な男性を30名ほど借りる)。 
3)本部職員も聖教新聞社職員も藤原範昭氏が会長ということになると大人しく従うと思われる。池田近衛隊も大人しく従う可能性は高い。原田会長の部屋の椅子に藤原範昭氏を代わりに座らせる。そして日常業務はそのまま続けさせる。会長室にあがってくる書類への処理はそのまま続けさせる。 
4)宮殿革命を起こす時期は創価学会が弱体化したとき、すなわち池田大作の死後になる。また、公明党が完全に野党に落ちたときである。――――しかし、池田大作の死を待つ必要はない。池田大作はすでに死んだも同然である。


紳士革命
 藤原範昭氏と原田会長が面会する。
 平和理に会長交代が話し合われる。そして原田会長は会長を退く。
 宗門の一信徒団体に復帰する。もしくは創価学会を解散する。
 一信徒団体への復帰か法華講に属するかは猊下上人の判断に委ねる。

――原田会長も池田大作についての反感が強いことを数日前、知った(2010年1月2日)。それならば、これがもっとも現実的な方法と思われる。しかし、池田大作の死後でないと実行不可能であろう。池田大作の死は近い。
 紳士革命こそ現実的である。紳士革命の成功を祈る。――
 

次期会長について
 戸田先生が残した最大の汚点と言える「みんなで話し合って決めること」は正しい選出方法ではなかった。その方法は会長への野心・野望を持つ“魔王”を選ぶことに繋がった。戸田先生がそういうことを仰らなかったならば創価学会員はこんなに苦しむことはなかった。戸田先生は池田大作の魔性を見抜いていなかったのか? それとも戸田先生には遺言状があり、しかしそれを池田大作が誰にも解らないように奪ったのか?(それには池田大作を創価学会より除名することが書かれていた?) 池田大作が“魔”の軍団を創価学会に大量に招き呼んでたくさんの(何十万何百万人の)創価学会員が塗炭の苦しみに喘いだ。また、そうでなかったら、既に広宣流布は達成されていたであろう。
 私たち創価学会内部改革派憂創同盟は藤原範昭氏を会長に推薦する。藤原範昭氏は本山に詫びを入れ、創価学会は本山と和解し、創価学会は再び日蓮正宗の信徒団体となる。正しい御本尊を持ち、創価学会員は幸せになれる。
 財務も一人五万円までとする。会館および関連企業(聖教新聞、日本図書など)の職員は募集を中止し、 会館および関連企業の職員を減らすように努める。希望退職を募る。池田大作の道楽(ノーベル平和賞を狙ったもの)で造られた民音など即時中止すべきものは即時中止する。儀典部は即時解散とする。職を失った者で希望者は他の外郭団体に転職させる。
 全国各地に建てた墓地は宗門に全て寄贈する。
 海外での余計な購入物(城など。これらは池田大作の海外別荘として購入された)は売りに出す。池田大作の別荘である霧島研修道場なども全て売りに出す。
 池田大作の専用施設と別荘は数えるのが困難なほどあり、都心の一等地に建築費約五億円をかけて造られた和風総ヒノキ造り、庭園付きの邸宅である学会本部横の白雲寮などがある。池田大作が東京にいるときは大抵、この白雲寮にいる。自宅へは年に数回しか帰らないと言われる。なお、専用施設とは別荘と言い換えても良い。創価大学近くの加住研修所は三十四億円をかけてある専用施設である。熱海研修所に至っては数万坪もある別荘である。創価大学、創価学園にも豪華過ぎる専用施設が多数ある。1989年には伊豆の温泉地にも約一万坪の池田専用別荘が建てられた。池田大作の別荘および専用施設だけでも何百億、多く見積もると一千億円になるであろう。例えば、フランスでは東京ドームの五倍の広さを誇るアルニー城という古城を買収している。これがフランスでの創価学会カルト批判に大きな影響を及ぼした。また、イギリス・ロンドン郊外の古城を約十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。これらは全て不要のものであるため売却する。
 政治からは一切撤退する。(政治に進出するとそこから腐敗が起こる。これはどうしようもないことだ)
 池田大作批判は徹底的に行い、戸田城聖全集の再版を行う。池田大作が書いたとされる書籍は全てがゴーストライターに依るものであるため実際に書いた著者の名で出版する。
 会員が幸せになれる創価学会が出来上がる。ほとんど中止していた折伏弘教を再開する。


法華講
法華講で幸せになれるでしょうか? 創価学会のとき、とんでもない目を受けたので、...
7777777さん
法華講で幸せになれるでしょうか? 創価学会のとき、とんでもない目を受けたので、心配です。
法華講で幸せになれるか、お尋ねしたい。

http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会内部改革派憂創同盟
補足
これは切実な問題なんです。休みの日はこのことを考えて夕方まで布団の中で煩悶しています。法華講で幸せになれるか? 今の自分には極めて切実な問題です。


888888888さん
あなたの求めている幸せとはなんでしょうかね?
幸せになるかならないかはあなたが求める幸せが正しい幸せであるかないかによるでしょう。
あなたが正しい御本尊様を求めて、御指南の通りの信心をするならば、幸せになれると断言致します。
しかしあなたが違う目先の利益や現象のうわべの幸せを求めているならば、法華講に入講してもなかなか幸せにはならないとも言えます。脱会しても現実にいるのですが、こんなはずではなかった、あげくは学会も法華講も両方ダメでしたと言う人がね。こういう人達は日蓮正宗の正しい信心を我見で捉え、相変わらず学会の間違った考えのまま信心をやっています。
信じる心が間違っているのですから、一向に良くなって行きません。ですからあなたが求めている幸せが間違っていれば良くはなりません。要は真の幸せは大御本尊様と唯授一人血脈相承を離れて有り得ないのですから、どこまでも正しい御本尊を求め、御指南の通りの信心を求める姿勢が無いと、何時まで経っても迷い続けるでしょう。
あなたは学会の間違いを十分に理解されているのですから、布団にくるまって考えても解るものでもありません。次は行動です。まずは脱会をしてお寺で勧誡式を受けてから、御住職様の御指導のもと真の幸せとは何なのか考えることが大切です。勇気を持って日蓮正宗寺院を尋ねられることを願います。


fs2784さん
少なくとも「とんでもない目を受ける」ことはありません。切実であればあるほど、説明は短くて良さそうです。「絶対に幸せになります」




rtf3070さん
私の祖父母はもともと日蓮正宗の檀徒(法華講)であり、父母は創価学会員でした。私も生まれてまもなく創価学会に入信させられましたが、毎月の御講にはずっと日蓮正宗のお寺に参詣していましたので、創価学会が宗門批判を聖教新聞で始めるようになった時、聖教新聞の記事がすぐに嘘や捏造であることが分かっていました。日蓮正宗の僧侶は聖教新聞に載っているような方ではありませんし、私の知っている御住職は本当に少慾知足の方たちばかりでしたし、六壺で修行しているお書家さん方も中学に通いながら、寒さ厳しい冬でも足袋も履かずに一生懸命修行されておられます。私はその中の一人に寒いのに足袋は無いのですかと聞きました、その方はご供養で頂いたので本当に寒い時以外は履きませんと言っておられました。当然本山大石寺内の塔中内外も本当に綺麗で心が洗われ清浄になります。ただ、創価学会がいまだ所有権を持つ売店は放置され荒れていますが、これは創価学会の嫌がらせであります。折伏も創価学会のように口巧く誘って、大人数で取り囲み喚き散らしながら無理やり入信させるようなことは一切しません。入信するしないは、その方の心が一番大切であり、その信無くしてはありえませんので無理やり勧誘することは一切ありません。逆に入信すると言っても誰でも入信できるものでもありません。本当のことをそのまま説くことが、他宗を批判していて、自分の宗だけ正しいというのはおかしいという方がおられますが、宗教で「私の宗教も良いけど、あなたの宗教も最高だね」などと言うのははたして宗教と呼べるのでしょうか。日蓮正宗の信仰は三世に渡る価値観を持っているので、現世御利益や賽銭神社的な棚ボタ宗教ではありません。信仰をしていくと自然に自分自身の心が磨かれていく様子が、自分から見ても、他人から見ても共に分かっていきます。幸せになるということについては人それぞれの価値観がありますが、心がやすまる、安穏な人生になる、この信仰をやっていて良かったと思えることに出会える、のは確かです。一度お近くの日蓮正宗寺院に足を運び、納得できる様に御住職から話を聞いてみてから、ご自分で納得出来るようでしたら法華講に入講されるようにお勧め致します。


000000さん
貴方が幸せを感じる定義で違うと思います。
学会では幹部が我見で指導をし、人の良い人は言いなりになって行動し利用されます。法華講は各末寺ごとに御住職が御法主上人猊下の御指南を仰いて御指導しますので幹部が我見で指導をする事はありません。ですから講中の在り様は末寺ごとに違います、ただ正しい法を実践するのですから
それなりの魔も出ますし宿業転換も結果としておのずと出てきます。学会と違い行体行儀を重んじますから学会からの癖(振る舞い)を注意される事は多いかも知れません。六根清浄を目指して一日も早く日蓮正宗に帰依なさる事を心からお祈り致します。

(補足)を読まさせていただきました。法華講に入講し御法主上人猊下の御指南のまま実践すれば少なくとも物事に悩む事は無くなります!!!



創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(10)

2011-03-03 20:01:47 | 日記
 ルノワール絵画事件は池田大作がノーベル平和賞を取るための資金集めのために行われたものと言われています(十五億円が消えました)。警察との癒着のため、うやむやになっていますが国会で取り上げたら良いと思われます。

 いろいろ言われている創価学会員の住民票移動のことですが、それは主に女子部が行っています。女子部なら子供も夫もおらず身軽だからです(結婚すると婦人部となります)。しかし、それを突き止めるのは非常に難しいと思われます。昭和四十年代、五十年代には盛んに行われていました。
 男子部はそういうことはしようとしない。そんなことして何になる、と思うものが圧倒的に多い。男子部はクーデターのような激しいことを考える。女子部はクーデターのようなことは考えず、住民票移動などを考える。
「※※青年部とは男子部と女子部を併せたもの。男子部は未婚・既婚を問わず、年齢が四十歳程まで(以前は三十七、八歳で壮年部移行であったが最近は四十歳頃までに伸びてきている。これは男子部の活動家が非常に減少してきているからである。昔は会館の警備をする牙城会、会館で会合が行われるときに車の誘導をする創価班は厳しい面接試験に通ったものが成っていた。しかし現在は牙城会、創価班になるものが居なく、希望者は誰でも成れる。牙城会、創価班になるように男子部では勧誘が行われている。昔は成りたくても牙城会、創価班には成れなかった。そして現在は牙城会は午後九時までの勤務になっている。以前は翌朝までであったが、現在は午後九時から警備会社が行う。徹夜して会館の警備を行う熱心な男子部が居なくなったのである)。女子部は年齢にあまり関係なく未婚者を言う。女子部は結婚すると婦人部と成る。未婚者で婦人部も存在する(これは年齢的なことからである)」

 創価学会は総体革命(言うなれば日本の革命のことです)の一環として弁護士、検察官などを多数輩出させています。弁護士の数は日本に五百名を超えています。池田大作が狙う総体革命のためです。池田大作にハイルヒットラーの弁護士が全国に五百名居るとは困ります。日蓮正宗が訴訟を起こそうとも反対的に五百名が全国規模で訴訟を起こされたら参ってしまうため、日蓮正宗は訴訟を起こすことのできない状況にあります。また、訴訟を起こす経済的余裕が日蓮正宗にはありません。創価学会の日本占領計画は進んでいるのです。一人の独裁者に日本は占領されてしまう可能性があるのです。その独裁者は八十二歳を迎えても未だ死にません。

 創価学会青年部は「日顕の死」の十時間唱題会(一日に十時間です)を開いていました。そのなかで“うつ病”を発症するのは多かったです。

 宜しくお願いします。
 自分はホームページを造っています。
http://sky.geocities.jp/mifune008/

「創価学会内部改革派憂創同盟」で検索した方が無難かも知れません。
 日本共産党さんしか頼りにできるのは居ないのです。民主党はやる気がないようです。


【余記】
 池田大作は、金集めのため、連日、松島家に出入りした。家族同然の付き合いだった。
 この間に、松島道子(渡部道子)との関係ができたようである。池田大作が松島家の三畳間で裸身を道子氏にタオルでふかせていたのを会員の小沢よねさんに目撃されたのも、こうした付き合いの最中の出来事であった。文字どおり、色と金の二筋道である。
 池田大作の資金集めに協力した縁で本人や家族が後に創価学会幹部に取り立てられた一家は、他にもたくさんある。中には、その事業に失敗して資産を失い、池田大作の口ききで私が負債処理に当たる、といった気の毒な人もいたが……。
 金集めもさることながら、取り立てもなかなかのものだったらしい。それこそ、“寝ているフトンをはぐ”ということもあったといわれている。
 彼が金貸業でどれほど才覚を発揮したかということは、二十代の若さで通常の給与の百倍近い所得を得て、札ビラを切っていたことからもわかる。
 彼は、その金で、女子部員をモノにし、そして、幹部達を従えて秘かに次期会長の座を狙うようになった。
 しかしながら、池田大作は後になって、自分にバラ色の人生を与えてくれた金貸業の仕事を人に知られるのを極端に嫌い、隠そうとした。彼は、自分の金貸業手代の頃の話を一度だけ、私にしてくれたことがある。
 昭和四十九年十月頃、大石寺対山荘で「今日は飲もう」と珍しく酒を何杯か飲んだ後、水割りを半分ほど飲んだ。池田大作が杯に口をつけたのを、私は三回くらいしか見ていない。(注:これは池田大作が酒を飲めば統合失調症であることが露見するから、人前で酒は飲まないようにしていたのではないかと筆者は邪推する)
 その後の雑談の中で、「戸田先生の唯一の失敗は、私に、金貸しのような、汚い仕事をやらせたことだ。俺なら、後継者の人生経歴を、そんなことで傷つけたりしない」と言った。
 ちなみに、戸田は、石田次男氏(石田幸四郎公明党委員長実兄。戸田の後継者と目されていたが、池田大作に冷遇され、死去)には一切そうしたことにタッチさせなかった。戸田は、失敗を犯したのではなくて、池田大作を創価学会の後継者と考えていなかったから金貸業に突っ込んだと見るべきであろう。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p107-8 参照)

 事業が破綻していたとき、池田大作は朝、戸田先生より様々な学問の講義を受けていたことになっているが、これは極めて疑わしいことである。これは後に創作された「若き日の日記」および「人間革命」に載っているが、池田大作が戸田先生より様々な学問の講義を受けていたと言っているだけであって、戸田先生も誰も証人はいない。「若き日の日記」および「人間革命」は戸田先生の死後、十年ほどして書かれたものであり、創作の可能性は極めて高い。事業に失敗し再建へのどさくさの中、そういう時間を取ることは不可能であろう。


無数の悪鬼の集団
 創価学会員は人が良い。これは普通の人なら頭に来るような折伏を受けて「素直に入信した人の集まり」であるからと推測する。また、非常に人が良くないと創価学会の信仰を続けることはとても不可能である。すなわち、人が良くない人はふるいに掛けられるように創価学会から去っていったと推測される。
 また、心理学的にも人の良さは遺伝するとされる。親が人が良ければ子供も人が良いのが一般である。「勤行唱題をすると心がスッキリする」とは法華講の人も創価学会の人も以前は共通して言っていた。しかし現在、創価学会はそうは言わない。創価学会のかなりの家庭で御本尊が創価学会製の“魔”の御本尊に換えられたからであろう。
 創価学会員も法華講員も顕正会員も元気である。日蓮宗一般に元気になるようである。見延派も日蓮正宗ほどではないが元気になると言うことである。ところが同じ南無妙法蓮華経と唱える新興仏教(立正校正会や000)は元気にならないらしい。日蓮宗でないと元気になれないようである。
 特に臨床心理学において創価学会員の精神疾患の難治性は知れ渡っている。普通なら軽くなるはず、良くなるはずの病態がなかなか良くならない。これは池田大作が招き入れた無数の悪鬼の集団によるものと思われる。他に説明の方法がない。
 創価学会員は難治性である故にある臨床心理療法所では患者の75%が創価学会員である。創価学会員でない人は治ってゆくが創価学会員はなかなか治らない。それ故に患者に占める創価学会員の割合が75%という高い数字になっている。こういう臨床心理療法所が日本中に多数存在する。「精神疾患は一度罹患すると一生」とも言われるように難治である。精神薬理学の進歩は遅々としたものである。第一、精神疾患が何なのか解らないのが精神医学の現状である。創価学会に入っているときに精神疾患に罹患し、途中で創価学会を辞めた人も治らずに苦しみ続けている。
 池田大作の死とともに激しい池田大作批判が起こらないことには、それら無数の悪鬼は現また元創価学会員から去ってゆかないであろう。創価学会員は苦しみ続けることになる。それともそれら精神疾患に苦しんでいる人が「池田大作を強く激しく否定すること」なのか? 法華講に移ることか? しかし狂信的な創価学会員は法華講には移らない。何か画期的な方法が発見されない限り救われない。
「池田大作を強く激しく否定すること」ではなかろうか?


論文集
         戸田先生の遺言
                                     創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 戸田先生は偉大な指導者であったことに異論を言う者は少ない。創価学会の人でなくても、二代目の戸田会長は素晴らしい人物であった、と言う人は極めて多い。では何故、戸田先生は池田大作を除名にせず、重用していたのか? これが謎である。
 戸田先生は池田大作の魔性を見抜いており、戸田先生は、遺言状に池田大作除名を書いた。しかし戸田先生の家に御遺品を取りにトラック二台で行ったとき遺言状も奪ってきた、と推論することもできる。戸田先生が池田大作の魔性を見抜けなかったはずがない。

【考察】
 戸田先生は突然死されたのではない。アルコール中毒による腎障害と糖尿病で亡くなられたのである。遺言状を書く時間は十分にあった。しかし、アルコール中毒のために判断能力が低下していた可能性も考えられる。
 また、戸田先生は神様ではない。池田大作の魔性を見抜けなかったとしても不思議はない。
 戸田先生は性格が非常に豪放磊落であった。見抜いていたとしてもそれを寛大に許していたという可能性も高い。
 また、事業が倒産の危機の時、池田大作が暴力団で身につけた動物的なカンでお金を集め、高利貸し業で戸田先生の事業の危機を救ったということがなければ、戸田先生は早く池田大作を放出していただろう。池田大作を重用すると言うことはなかったであろう。
 戸田先生が亡くなられる前、「次の会長は誰にするんですか?」との問いに「それは、お前たちが決めるんだ」と言われた(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道、2002)が、戸田先生は池田大作が選ばれることは想定外だったのではないのか? 戸田先生はみんなが石田次男氏を次期会長にすると甘く考えていたのではないのか? 戸田先生は神様ではない。性格が非常に豪放磊落であった。そのように甘く考えていた可能性は高い。
 戸田先生が亡くなって直ぐに池田大作がこういう行動に出たのは、池田大作は妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)であったため、戸田先生を疑ったためと考えられる。池田大作は若い頃から非常に疑い深い性格だったことは藤原行正氏の本(池田大作の素顔:講談社)にも書かれてある。
 その疑い深い性格が彼を成功へと導いたのである。戸田先生の遺書が有ったのか無かったのかは今になっては解らない。遺言が有って、それを池田大作が捻り潰した可能性は充分に高い。

 池田大作は戸田先生の家に着くと、玄関の鍵を開けに来た家人に挨拶をすることもなく誰よりも早く戸田先生の家に入った。目ざとく戸田先生の遺書を仏壇の前に発見すると、それを内ポケットに入れた。誰も見ていなかった。
 やがてトラックで来た仲間が入ってきた。戸田先生の遺品を学会本部へ持ってゆくことに参加したのは未だ若い男子部の四人だった。池田大作は「これを持ってゆけ。これは要らない。これを持ってゆけ」と指示をすることが主だった。
 その日、家に帰り、戸田先生の遺書を開いた。やはり池田大作除名が書かれてあった。遺書の内容は池田大作除名が全てと言っても良かった。非常に短い遺書であった。
 池田大作には危険を感じ取る動物的なカンがあり、そのカンで今まで何度となく危険を救われてきた。
「これで第三代会長は俺のものだ、これで第三代会長は俺のものだ」と池田大作は微笑んだ。

                 (未完)



        池田大作の生涯
                    創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 私は以前、池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた、と書いた。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)―――これが該当する可能性は無い。
 池田大作は単なる俗物であり、創価学会に入り戸田城聖氏のもとへ就職したことが偶然の幸いとなり、劣等感に根ざした極めて強い権力志向が、お人好しの極めて多かった創価学会に於いてライバルを蹴落とし、創価学会の会長となり、栄華を極めた、と考えるのが適切な説と思う。
 池田大作の人生を幼少時より書いてゆく。

【幼少時代】
 池田大作は零細な海苔製造業者のである池田子之吉(ねのきち)、妻一(イチ)の五男として昭和三年一月二日、東京都荏原(えばら)郡入新井町大字不入斗(いりやまず、現・品川区)に生まれた。男女併せて十人の兄弟がいた。
 昭和六十年前後の状況を山崎正友氏が(懺悔の告発:日新報道:1994)に書かれている。
 長男 喜一   ビルマにて戦死
 長女 とよ子  国立第一病院看護婦
 次男 増雄   大衆食堂経営、家を継ぐ
 三男 小宮開造 阿部商会(外車ディ-ラー)役員、死亡
 四男 清信   三洋工業、学会幹部
 五男 大作   本人
 六男 栄一   トビ職
 七男 隆一   東和工業
 八男 正利
 次女 いね子  東芝社員の妻

 これを見ると、明らかに学会員であるのは一つ上の兄のみである。
 山崎正友氏が池田大作の家系を調べたところに依ると、数代先まで東京湾でノリ採集や漁師をしていた、という。
 インターネットでは池田大作が在日朝鮮人という論が強い。しかし、山崎正友氏は在日朝鮮人ということは全く言及されていない。
 しかし、小学生時代に病床の父から韓国語を教わっており韓国語が堪能であるとインターネットでは言われている。
 池田大作の少年時代は、同級生や教師などの証言に依れば、貧しい、女好きの、子だくさんの海苔屋の五男で、特徴もなく、一生懸命勉強しても中位の成績の、目立たない少年だった。
 後年、創価学会の会長になったと聞いて、誰もが驚いたという。
 二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は潜在性統合失調症であるため、その誇大妄想と被害妄想により凄まじい執念で戸籍の名前をも変えた。池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる故、その有り余るお金で買収したとも考えられる。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている。
 
【青年期】
 池田太作は戦後の混乱期、定職にも就かずブラブラしていたが川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸し金の取り立てなどを手伝っていたらしい(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p105 )。
 この頃、学校時代の友人であるMという女性に誘われて座談会に参加し、御本尊を渡される。このとき「人間革命」に書いてある戸田城聖氏との劇的な出会いはない。戸田城聖氏との劇的な出会いに詩を詠んだということはない。それは「人間革命」の本当の作者である篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。小説家志望だった。学会総務。外郭会社・東西哲学書院社長。同社は信濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つだった。既に亡くなっている。竹入義勝氏とともに長野県の日蓮正宗法華講の古くからの剛信な一族出身。)が池田大作より命令され創作したものである。
 次のように書かれている。
「学校時代の友人に誘われて創価学会本部へ行きました。その友達は哲学のいい話があるから来ないか、と誘ったのです。その友達は哲学のいい話があるから来ないか、と誘ったのです。私は友人と二人で行ったのですが三、四十人もいたでしょうか。五時間ぐらいそこで締め上げられたのです。
 南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で敗れて信仰しなければならないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p71-2)
「それから御本尊をお下げするという話で、私は三十分ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやりに私に押しつけました。
 家に持ち帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴り、私の上でゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『新心理学講座』第四巻)
「それでおがむとこうなんだから信仰は大事だなあと思ったのです。それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される、その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました」(小口偉一編『新心理学講座』第四巻)
「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。……折伏されたのは前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二解の八畳と六畳の二間でした。……そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義をきいたんです。私はそこで教学部長(小平芳平のこと)から折伏されたんですよ」(S32・10・18付聖教)
 以来、肺病を患っていた池田太作は肺病を治すためもあり、熱心に信仰を始めた。勤行唱題の声が喧しいと大家さんから注意されるほどであった。
 池田太作はそして幾つかの事業を行っていた戸田城聖氏の処へ就職の面接に行く。戸田城聖氏は金を貯めている学会員から借り入れて手形割引などで他の学会員に高利で貸す金融業「大蔵商事」も営んでいた。戸田城聖氏は池田太作の借金取り立ての経験に目を付け採用する。
 この金融業で池田太作は経験と才能を発揮する。金を貯め込んでいる学会員の家を当てるのが非常に巧かった。戸田城聖氏の傾きかけていた事業を再起させたのは池田太作の金融業での経験と才能だった。取り立ても厳しく、病気で寝ている老人の布団を剥いで持って帰ることもあったという逸話もある。
 大蔵商事で池田太作は営業部長として辣腕を振るい、池田太作の給料はそのため当時の平均給料の百倍近くであった(ここの給料は歩合制であった)。この金で池田太作は女子部員をものにし、また、幹部達に金を振る舞い、次期会長を狙うべく人脈作りを行ったらしい。(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)
「人間革命」の「この冬もオーバーコートなしで過ごさねばならない」ということは嘘である。
 この金融業の時代に池田太作は毎日のように金集めのため松島勇氏の家に出入りする。松島勇氏は埼玉県大宮市の国鉄機関車区に勤めており池田太作の依頼に基づいて仲間の国鉄職員から貸し金を集め、池田太作のドル箱であった。そのため池田太作は毎日のように松島家に出入りした。家族同然の付き合いだったと言われる。「月刊ペン事件」で有名な、松島家の三畳間で裸身を松島道子にタオルで拭かせていたのを学会員の小沢よねさんに目撃されたのはこの頃のことである。
 松島道子は後に参議院議員になった。夫となった松島一郎は衆議院議員になった。松島道子と池田太作との関係は二人(松島一郎と松島道子)の結婚後も続き、そのためその夫婦の間は冷え切っていた。松島一郎は妻の不倫に気付いていながらも黙認を仕方なくされ、その黙認したことにより衆議院議員に池田大作より推薦されることができた。
 松島道子の姉が池田大作批判の急先鋒である藤原行成氏の妻である。池田大作は松島道子の姉にも手を出そうとした。しかし手を出すことができず、池田大作は松島道子の姉(藤原行成氏の妻)を虐め続けることになる。松島道子の姉(藤原行成氏の妻)を虐めることに実の妹である松島道子が手助けをしていた。
 松島家以外にも戸田城聖氏の金融業の資金集めに協力した故に後に創価学会幹部に取り立てられた一家は他にもたくさんあり、そのなかには、その事業に失敗して資産を失い、池田大作の口ききで山崎正友氏が負債処理に当たった処もあったという。
 池田大作がこの戸田城聖氏の元で行っていた金融業は現代のサラ金と同じものであった。「人間革命」にはそのことが解らないように脚色されてある。
 池田大作は昭和四十九年、大石寺大山荘に於いて山崎正友氏と酒を飲んでの雑談の時、「戸田先生の唯一の失敗は私に金貸しのような汚い仕事をやらせたことだ。俺なら後継者の人生経歴をそんなことで傷つけたりしない」と言った。戸田城聖氏は池田大作を創価学会の後継者とは考えていなかったから金貸し業に突っ込んだと山崎正友氏は書かれている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p107-8)
 また、池田大作は「資金繰りが苦しく、金策にも四苦八苦している時、戸田先生と二人で皇居前広場を通りかかった。私がヤケクソ気味に『こんな男にだあれがしたあ』(当時流行していた歌謡曲“星の流れに”の替え歌)と歌ったら、横から戸田先生が『俺だよ』とニコリともせず言った」と思い出話を語ったと山崎正友氏は書かれている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p108)
 この大蔵商事は学会首脳が働いていたが、昭和三十五年の池田大作の会長就任とともに学会首脳は退き、以降は戸田城聖氏の妾であった森重紀美子とその甥らが経営したが、脱税摘発や貸金こげつきで事実上、倒産する。その後、大同商事と社名を変え、昭和四十七年頃から中西治雄氏が関わり、創価学会の建物の火災保険、学会員や学会本部関係の物品販売、大石寺土産物取扱い、学会員相手の高利貸し、などを行う。
 昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している(すでにこのとき池田大作は堕落していた)。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。この大阪事件の判決は昭和三十七年であった。

【会長就任後】
 池田大作は特別書籍と呼ばれるゴーストライター軍団を会長室の上の階に設置し、自らの著作および講演原稿を作らせるようになった。責任者は原島嵩氏で、その下に、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(東大卒、副会長)、野崎勲(京大卒、副会長)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成されていた。このゴーストライター軍団は原島嵩氏が抜けたりメンバーこそ多少替わったものの現在(平成二十二年)も健在である。
“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライター軍団に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。
 昭和四十九年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、二千万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
 渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
 この女性関係は凄まじく、日本全国だけで二十名を超えていたという。一部を書くと、公明党の衆議院議員となった二人の女性は池田大作の愛人であった。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和五十二年、民社党の春日一幸氏から竹入委員長宛に一通の手紙が届いた。このことを国会に於いて追求するという内容であった。九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。

                 (未完)


【研究と報告】
       大阪池田小事件と宅間守と創価学会* 
                                     創価学会内部改革派憂創同盟残党**

【key words】Ikeda elementary school, Spree killer, Psychopathie,  Mamoru takuma,  Soka-gakkai

【はじめに】
 大阪池田小事件(2001年6月8日)
 この事件もスプリー殺人の典型的事例とされている。出刃包丁を持った男1名(宅間守・当時37歳)が、2時限目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室などにおいて、児童8人を刺殺し、児童や教員10数人を傷害した。2003年8月28日に大阪地裁は死刑を言い渡した。死刑確定から1年未満の2004年9月14日、執行された。(犯罪学雑誌:第74巻、第6号:2008)

【生活歴】
 宅間守は刑務所入所と精神病院措置入院を繰り返していた。精神病院には中学生時代から強姦事件を繰り返し起こしたため、通院薬物療法及び精神療法を受けていた。そして父親と極めて不仲であった。両親は熱心な創価学会員であった。
 高校を中退した後、いつもの激しい暴力を伴った強姦事件を起こす。この強姦事件では被害者に告訴される。宅間守は精神病院を受診し、統合失調症の診断を受け、閉鎖病棟に入院させられ、いつ退院できるか分からない状況に陥った。抗精神病薬の投与量は大量であった。
 統合失調症ではない普通の人間ならば少量の抗精神病薬の投与によっても激しい倦怠感のため、長時間、横になってしまうものである。抗精神病薬はベンゾジアゼピン系抗不安薬と異なり耐性は付きにくい。いつまでも抗精神病薬の副作用に苦しむはずである。
 ところが統合失調症の患者は普通の人間が服用すると半日は仕事できないような激しい倦怠感に襲われるにも拘わらず、ほとんど平気である。それどころか幻聴や妄想が無くなり、却って明るく元気となる。ここで統合失調症との確定診断がつくものである。これは脳内ドーパミン系などの過活動が正常化されるためと説明されている。
 宅間守は抗精神病薬の副作用にあまり苦しまなかったことを考えると統合失調症であったことの証明になる。少なくとも脳内ドーパミン系などの過活動がそのときには存在したことの証明になる。
 この入院中、宅間守は五階屋上から飛び降り自殺を図る。しかし奇跡的に下顎骨骨折と上顎骨骨折のみであった。
 池田小事件の検察官は、この入院中のエピソードを強姦罪による逮捕・有罪判決を逃れるために精神病者を装ったもの、すなわち詐病で、飛び降りも自殺目的ではなく、病院からの脱走目的としている。しかし、当時のカルテにも、その後の診断書にも宅間守の病名が一貫して統合失調症と記載されていること、実際に強力な抗精神病薬が投与されていたこと、精神科医を騙して統合失調症の診断名を得ることは不可能であることを考えると、詐病ではない。実際に、少なくとも当時、統合失調症の症状を呈していたことは確実である。
 そして宅間守は先の激しい暴力を伴った強姦により3年間、奈良少年刑務所に服役している。初犯で、初めての服役であるにも拘わらず、仮釈放の恩恵も受けず満期出所であったことは、入所中の行状がよほど芳しくなかったか、言葉の上だけでも改悛の情を示さなかったことを意味すると思われる。また、この服役期間中に宅間守は両親に金銭的な要求をし、父親によって勘当された。
 宅間守は1999年に小学校教諭4人にお茶に精神安定剤を混入させた事件で措置入院になっていた。このときは統合失調症に罹患していて心神耗弱状態とされたため、不起訴処分になっている。
 そしてこの措置入院は39日とあまりにも短く終わっている。精神病院といえども、あまりに凶暴な性格の宅間守を入院させておくことが困難であったのであろう。退院時の診断名は統合失調症ではなく妄想性人格障害と変わっていた。また、この39日間の入院中に兄が自殺していた。享年42歳であった。
 退院より半年後、精神障害者保健福祉手帳の交付を申請し二級の手帳を取得している。
 宅間守は性格が極めて粗暴であり、職場でもトラブルを頻繁に起こし、転職を繰り返していた。離婚も3回し、4回目の妻も宅間の暴力と金をせびる習癖に耐えかねて5ヶ月後には離婚した。すなわち宅間守は離婚を4回したことになる。
 1999年の措置入院の後、宅間守は精神病院への任意入院(自ら望んでの入院)を三回繰り返していた。そして四回目の任意入院を予約している間に、池田小事件を起こした。
 池田小事件の起こった2001年には、司法書士の学校に通ったり、訴訟を起こしたり、精神科医の偽の名刺を作ってお見合いパーティーなどでナンパを繰り返したり、数週間家に引き籠もって飲まず食わずの生活を送り、何回か精神科病院に短期間入院したり、ソーシャルワーカーにSOSの電話をしたり、その間に数回の自殺未遂を繰り返したりしていた。このように軽躁状態と鬱状態の両面が現れていた。
 宅間守は統合失調症、妄想性人格障害、反社会性人格障害、境界性人格障害などの合併であると考えられる。精神鑑定に於いて一つの病名を示すようになっていることは精神医学を知らない裁判官の無知である。精神疾患は合併することが多いものである。宅間守はその他に気分障害(双極性障害)、不安障害、向精神薬依存症も合併していたと考えられる。

【創価学会との関係】
 雑誌に載っていた宅間守の部屋の中央に御厨子が置かれており扉が開いていて中の御本尊が写真に写っていた。この御本尊は日顕上人の御本尊であり、当時は創価学会が宗門より破門され、創価学会独自の御本尊を配布され初めて数年が経っており、創価学会は日顕上人の御本尊の回収と創価学会独自の御本尊の配布をほぼ終了していた。
 日顕上人の御本尊が宅間守の部屋の中央にある御厨子に懸かっていることより山崎正友氏は法華講員または妙観講員であることを疑い本山に問い合わせた。しかし(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:第三書館:2001:p39)において「本山の名簿に宅間守の名は載っていなかった」と書かれている。山崎正友氏は日達上人と非常に親しく、本山(宗門)に非常に近い存在であり、法華講総講頭(法華講で最も高い位)にまでなった人物である。本山に宅間守が法華講員または妙観講員かどうかを非常に詳しく調べさせたと推測される。本山は宅間守のことについて間違いの無いように綿密に調べたことは確実である。
 宅間守のような極めて粗暴な性格の者には創価学会員であっても「決して近づくな!創価学会員と見なすな!創価学会に大変な迷惑がかかる!実質上、創価学会員ではないと見なせ!」と内部伝達され、放置されるものである(誰見境なく折伏することが昔は多かったため、こういう学会員は多いのである)。御本尊が日顕上人のものであったことは放置されていたからである。
 御厨子が開かれていたままだったということは、宅間が勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥り、御厨子を閉める余裕無く、車に乗り大阪池田小へ向かったと推定される。普通、勤行唱題が終わると御厨子は閉めるものである。(筆者注:一般の人は御厨子は普通は閉めておくものという認識がないため、宅間守が勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったという意見は未だ全く見られない。数多い宅間守についての論文に於いて、このことに言及しているものはない)
 御本尊は日顕上人のものであったが、創価学会は破門されてから数年経過していた。両親は熱心な創価学会員である。そのため宅間守は勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったものと推測される。
 死刑の判決を受けたとき「池田先生、バンザーイ!」と叫んだことは有名である。宅間守は生活の苦しさと遣り場のない苦しさから創価学会の信仰を熱心に行っていたと思われる。それは部屋の中央に御厨子が扉を開けて置かれていたことからも推察される。
 ただ、性格の余りもの凶暴さと強姦などの犯罪を繰り返し刑務所と精神病院措置入院を繰り返していることから、創価学会員は創価学会の幹部より創価学会に迷惑をかける要注意人物として接触を禁止されていたと推定される。
 宅間はインターネットにて創価学会を誹謗中傷していたということであるが、妄想性人格障害と診断されていることからも創価学会員から接触を拒否されていることを強く恨みに持ち、または統合失調症の被害妄想のために、また熱心な創価学会員である父親への憎しみのため、インターネットにて創価学会を誹謗していたと思われる。

【おわりに】
 宅間は小学生の時に大阪教育大付属池田中学への進学を望んだが母親がお金を出してくれないため断念した。
「家庭が安定し、恵まれ、勉強できた人間でも、アホで大怪我して展望のない腐り切った自分のようなおっさんに、たかだか5~6秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さを分からせてやりたかった。いくら勉強ができようが、いつ死ぬかわからんのが人生。世の中、勉強だけじゃちゃうぞ、と一撃を与えたかった」「そこらの子を殺すより、裕福で頭のええ、将来有望な人間を殺す方が自己満足がある」と宅間は公判で述べている。

【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)岡田尊司:人格障害の時代:平凡社新書:2004
4)岡田尊司:パーソナリティー障害がわかる本:株式会社法研:2008
5)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2002
7)福島章:犯罪精神医学入門:中公新書:2005
8) 福島章:精神鑑定 脳から心を読む:講談社:2006
9) 岩波明:精神障害者をどう裁くか:光文社新書:2009
10)中谷陽二:精神鑑定の事件史:中公新書:1997
11) 伊東高麗夫:病跡学とオカルト:勁草書房:1980
12) 中安信夫:初期分裂病/補稿:星和書店:1996
13) E.クレッチュマー:天才の心理学:岩波書店:1981
14) DSM-�-TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007

*An incident Ikeda elementary school, Mamoru takuma, and Soka-gakkai
**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)
Toshiro MIFUNE:000  psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .
Ccc998@infoseek.jp

 (第3章終了)

第4章 隠れ法華講への道
隠れ法華講への道
 お寺には週一回行くのみである。家には創価学会の“魔”の御本尊のため家では遙拝勤行しかできない。勤行唱題も家人に隠れてであるから時間が限られている。
 その代わり、創価学会内部改革派憂創同盟の活動を盛んに行おうと思っている。創価学会内部改革派憂創同盟の活動が成功すると大部分の創価学会員を宗門に帰すことができる。そして大部分の創価学会員を幸せにすることができる。
 生命力がない。元気がない。しかし“魔”の御本尊に祈っても生命力や元気は暗示的にしか強くはならないで居た。実家の日達上人の御本尊に祈りたい。実家の日達上人の御本尊に勤行唱題すると目は輝き、元気一杯になる。
 この前、実家の仏間に飾っていた池田大作の写真入り額縁を取り払った。この前、悪いことは起こらなかった。額縁を取り払ったのが奏功したのだろう。それまでは実家で日達上人の御本尊に勤行唱題すると何故か不思議と悪いことが続けて起こった。
 近年、創価学会員が勤行唱題をあまり行わなくなったのは御本尊が“魔”の御本尊に変わったため、勤行唱題しても生命の歓喜を覚えなくなったためと思われる。そのために勤行は朝夕一座ずつと創価学会は変わった。以前は朝五座、夕三座だった。しかも二座の長行はそれだけでも10分は掛かり大変だった。“魔”の御本尊でなかったから勤行唱題中の生命の歓喜は強く、自然と勤行唱題を長くしていた。今は勤行唱題しても余り生命の歓喜を覚えなくなったため、みんな勤行唱題を長時間は行わなくなったのだ。

「直結信仰」が悪いことを原島嵩氏は(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007、p170)にて書かれている。
『第二祖日興上人は「佐渡国法華講衆」へのお手紙のなかで「誰々が日蓮聖人の直の弟子であるという輩がいるが、これは無間地獄におちる大謗法です」(趣旨)とご教示されており。「直結信仰」を厳しく否定されておられるのです。』
『さらに創価学会は日蓮正宗の血脈を否定している、これも大謗法です。』
 現在の創価学会は日蓮大聖人直結信仰である。そして日蓮正宗の代々の血脈を否定している。代々の血脈否定とは御法主上人否定のことである。これは御本尊否定にも繋がる。
 そして原島嵩氏は法華講員となっている現在、毎日が楽しく法悦に包まれていることを著書「絶望の淵から蘇る」に書かれている。現在、創価学会には法悦(生きている一瞬一瞬が歓喜となる)が無くなりかけている。日達上人様の御本尊に勤行唱題すると法悦に包まれるが、平成五年から配布された創価学会製造の“魔”の御本尊に祈っても法悦は感じられない。創価学会員が勤行唱題を長時間は行おうとはしなくなった一つの大きな原因がこれであると確信する。そして創価学会製造の“魔”の御本尊に祈ると驚くような悪い偶然が起こる。その悪い偶然の起こる確率は非常に低いが起こってしまう。それが立て続けに起こってしまう。これではとても創価学会の信仰を続けることはできない。筆者は職場を解雇になる寸前に気付いた。
 今、自分は落ち着いている。創価学会員である間は(今も正式には脱会していなく、隠れ法華講員である。妻の一族が狂信的な創価学会のため退会届は出すことができない)常にソワソワしていた。落ち着くように言われても落ち着けない。そのため精神科の薬を常用していたほどだ。今は全く服用なしで落ち着くことができている。創価学会病であったわけである。
 創価学会病は多い。精神科外来に来る患者さんの多くが創価学会員である。隠していても自分のように慣れたら分かるものである。自分は幼い頃から創価学会の信仰をしてきた。たくさんの創価学会員と接してきた。そのため患者さんの言動、表情、そして雰囲気とカンなどから解るのである。
 また、反創価学会になるまでは気合いを入れるため三色旗のボールペンを常に胸のポケットに刺していた。患者さんから「先生は創価学会ですか?」と言われることが多かった。

 創価学会は中枢部があまりに穢れすぎていた。末端は純粋だった。一部だけが穢れていた。中枢部は思い上がり甚だしい(増上慢)池田大作によって穢れ果てされていた。創価学会の穢れは、池田大作一人によってもたらされた。池田大作が創価学会の全てを支配し破壊した。純粋な信徒団体だった創価学会を穢れきった信徒団体にした。そして創価学会自ら独立の道を選択し、宗門より独立していった。それは全てを支配するという池田大作の野望だった。
 戸田会長は「創価学会が御宗門にたてつくようになれば、すぐに解散させてください」と時の御法主上人に常々申されていた。
 また「広宣流布の暁には創価学会を解散させて、ぜんぶ法華講につける」と遺言されていた。

 一般の創価学会員は池田大作の悪行をほとんど知らない。全く知らないと言っても過言ではない。聖教新聞は池田大作を神のように誉め称える記事で満ちている。それは月刊誌「大百蓮華」も同じである。週刊誌「創価新報」は宗門を中傷する汚い偽りの記事で溢れている。そういうもののみ創価学会員は読んでいるのである。
 池田大作は自分を神のように讃える幹部のみを優遇してきたし、批判的な幹部は遠去けられてきた。創価学会は池田王国なのである。創価学会本部は池田大作を神様のように崇めていないと居着かれない魔窟なのである。

 池田大作(創価学会)を信じるものは低脳か余程のお人好しとしか思われない。同時放送での態度、言動を見れば池田大作のあまりもの傲慢さに呆れ返るのが普通である。それに気付かないのは低脳か余程のお人好しになる。
 池田大作の目が成り上がりの独裁者の目をしていることを気付かなければならない。独裁者は常に反逆に怯えている。竹入義勝氏への狂気の机でんでん叩きを繰り返した45分間のスピーチもそれに由来している。

 創価学会員は一般に非常に人が良い。創価学会員以外は(日蓮正宗信徒以外は)信じることができないほどである。友達になりたいと思わないほどである。付き合いたいと思わないからである。それほど人が良いから激しい折伏にも怒らずに素直に入信したのであろうし(その人でなくその人の親のことが多い。今は二世三世が多い。人の良さは遺伝する。)信仰を続けているのである。一部の創価学会員が欲深くて良くない。その人たちが創価学会の評判を下げていると言っても過言でないかもしれない。そして池田大作が一番、創価学会の評判を下げている。
 池田大作が亡くなると創価学会の評判は良くなってゆくであろう。しかし自分は創価学会が大きく方向転換をしない限り(信徒団体として宗門に戻らない限り)創価学会を辞め、法華講に入る予定である。(注:書いている時期が様々であるため、こうなってしまうことをお詫びしたい)

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(9)

2011-03-03 20:00:03 | 日記

池田大作に信仰心は無い
 池田大作に信仰心は無いことは本山での勤行のとき池田大作が足を痺れさせ苦しんだ事件から推測されてはいたが、原島嵩氏の造反、および池田大作邸の元家政婦の証言で明らかになったことである。
 池田大作邸の元家政婦は池田邸の仏壇が余りにも汚れているため不思議に思っていたが、結局、家政婦として働いている間、一度も、池田邸で勤行する声を聞いたことがなかったという。この家政婦はこのことにより創価学会に疑問を抱き脱会し法華講に入っている。
 原島嵩氏も池田大作と一緒に勤行をしたことは大きな会合以外では無かったと証言している。そして「俺の代わりに勤行しておけ!」と何回も言われたそうである。
 新婚当初、かね夫人が池田大作に何故、勤行をしないのかと聞いたら「俺は特別だから」と答えたことは有名である。
 一度、池田大作が夫人とともに勤行している写真が大白蓮華に大きく載っていた(八年ほど前?)が、その写真をよく見てみよう。池田大作のズボンが限界近く張り切っており完全に正座ができていない。すなわち座りきれてない。勤行を習慣的に行っているとズボンは延びて完全に正座できるようになる(座りきれるようになる)。
 例え、急に勤行している場面を写真で撮ることになったとしても、ここは池田大作の自宅である。自宅ならば、皺ができないように、いつも勤行のとき履いているズボンに履き替えるものである。それでないと一度で純毛の高級なズボンは外出用には履けなくなってしまう。池田大作のズボンは全てオーダーメイドの最高級品で一本四十万円もすると言われる。
 つまり、池田大作には信仰心はない。池田大作にとって創価学会の名誉会長という職は金儲けと自己満足のための仕事である。それは本山より特別に頂いた御本尊を大きな会合のとき、汚れた手のまま無造作に箱より取り出し、折り曲げたりしながら、そして唾を御本尊に飛ばしながら聴衆に見せびらかしたことでも解る。普通ならおしきみを口にくわえるか、口を固く閉ざして行うものである。あの場面ではおしきみは無かったから、口を固く閉ざして行うべきであった。しかし、御本尊を見せびらかすという行為がおかしい。御本尊は見せびらかすものではない。


政教一致
 戸田先生の時代、地方議会と参議院に限定し、政党も造らなかった。当時、創価学会の候補は「無所属」で出馬していた。それは「政党を作り、衆議院に進出することは権力を目指すと言うことだ。創価学会が政治の場に進出したのは、権力を目指すのではなく、あくまで仏法によって政治を浄化することが目的なのだ」という戸田先生の方針だったからであるが、戸田先生の死後、第三代会長に池田が就任した1960年以降は、戸田路線を放棄し、「天下を取る」の野望の下、「王仏冥合」を政教一致による「権力奪取」という意味に拡大解釈し、1964年には公明党を結成し、1968年には衆議院進出と突き進んでいった。 
 創価学会の会館が選挙の時、選挙運動に利用されていることは良く知られている。選挙のときは創価学会会館での会合時、公明党で出馬している人が来る。また、選挙期間中は創価学会の会合は実質上、選挙運動一色になる。私はそれが厭で、選挙の時の会合には仕事を理由に参加しないことが多かったほどである。選挙の時の創価学会の会合では宗教の話はほとんど無く、選挙活動の様子を一人一人に語らせる。
 選挙活動をしていない人は選挙直前の創価学会の特に小さな会合にはとても出られたものではない。
 選挙が何故、大事なんだ。公明党は何をしている。ほとんど何もしていないではないか。政治が少し良くなっても宿命で苦しんでいる一人一人は救われない。 宿命で苦しんでいる一人一人を救うためには日蓮大聖人さまの信仰をさせるしかない。折伏しかない。それは御書を読めば解ることではないか。
 立候補している議員の人も投票日は創価学会会館の一部屋に集められ朝から夕方の投票締め切りまで唱題を強制的に熱烈に行わさせられる。熱烈に行わないと激しい叱咤が飛ぶ。ある議員はこのことに納得がいかず、創価学会を去り法華講へ家族ごと入った。
 公明党が池田大作の私党、すなわち池田党であることは常識化している。公明党の政策は池田大作の思いつきで左右されている。池田大作が死んだとき、公明党は自由になる。しかし池田大作はなかなか死なない。池田大作が死ぬと学会員の選挙への士気は大きく低下し、得票数が大きく減少することは「池田大作のために選挙をしている創価学会員」が非常に多いことから容易に想像できる。同時放送で池田大作は「公明党が第一党になりなさい」などと狂気の言を吐いている。
 前回の(第二十一回参議院選挙)のとき公明党は大敗北したが、そのときの聖教新聞では第四代北条会長、第五代秋谷会長を悪し様に批判するとともに、新任の第六代原田会長が「もう一歩深く師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった! 本当に申し訳ない」と自己批判していた。最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と同じように創価学会員に批判されていたのはこのことだったことを後で気付いた。何故、最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と創価学会員に批判されているのか、このことを知るまで解らなかった。

 創価学会の人、選挙運動していて「虚しさ」や「こんなことして何になるんだろう」という焦燥感に駆られたりしませんか? 宗教が政治権力を握ると必ず悪行、腐敗は生じることは欧米の歴史を見ると解ることである。魔女裁判が盛んに行われた。残虐の極致とも言える魔女裁判である。世界史を勉強したことのある人なら解ることである。自分も以前は創価学会だったですけど、選挙になると腹立たしさや虚しさに襲れてたまりませんでした。男子部には選挙ごとに胃潰瘍になって入院する地区リーダーもいた。


池田大作の虚構
 池田大作の女性関係は凄まじい。このことは悪いデマであると最初は思っていた。しかし、それは真実であることが次第に解ってきた。
 例えば、ブラジル創価学会ではシルビア斉藤が責任者であったが、シルビア斉藤の夫人は池田大作との関係を隠すどころか、それを誇らしげに見せたことで有名である。そのためにブラジルでは創価学会から法華講への転向が非常に多く現れた。聖教新聞などではもちろん、1990年頃にシルビア斉藤の夫人が死亡したことを報道しなかった。また、シルビア斉藤の夫人が死亡して数年後、シルビア斉藤はブラジル創価学会の責任者の地位を追放された。これはブラジル創価学会が追放したのか、池田大作が追放したのか、真実は解らない。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋(その学会施設の半分以上の費用を掛けている。その施設の掃除は信仰堅い女子部幹部に任せられていたが、あまりの豪華さに疑問を抱き、創価学会より離反していった女子部幹部は多い)が造られており、そこに泊まるときには必ず学会幹部の夫人、または第一庶務の女性を伴い奉仕させていた。学会幹部の夫人ということが納得がいかなかったが、それら夫人は池田大作のお下がりであり、お下がりと結婚すると学会内での昇進は約束されるそうである。二十九歳で亡くなった池田大作の次男も池田大作のお下がりとの結婚を強制され結婚したが、その煩悶の末に胃潰瘍となり「胃穿孔」を起こし死亡したと言われる。
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であるようだ。宗教者としては完全に失格である。これではノーベル平和賞は絶対に貰えない。
 昭和四十九年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、三千万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
 渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
(「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001)
(法廷に立った池田大作――続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001)
 この女性関係は凄まじく、日本全国だけで二十名を軽く超えていたという。一部を書くと、公明党の参議院議員となった二人の女性は池田大作の愛人であった。渡部一郎は自分の女房を愛人にされ、腑の煮えくりかえる思いであったと思われるが、耐えて公明党の参議院議員となることができた。もちろん、夫婦仲は冷え切っていた。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和五十二年、民社党の春日一幸氏から竹入義勝氏宛に一通の手紙が届いた。このことを国会に於いて追求するという内容であった。九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。

 昭和四十五年の言論出版妨害事件で池田大作は周囲が驚くほど国会喚問に怯えていた。何故それほど怯えるのか周囲も納得がいかなかった。
 池田大作は国連から多額の寄付の見返りに「平和賞」を手に入れた。金に目のくらんだ学者や文化人と聖教新聞や「潮」誌上で対談し(新聞などに発表される内容はゴーストライターが作る。池田大作は会って下らぬ雑談をするだけである。これは youtube を見ると解る)あげくの果ては小国の元首や実情を知らない外国の皇室や外務省を引っ張り回して自己宣伝に利用する。
 フランスでは政府首脳の家族が関係する財団への寄付などの工作がマスコミに騒がれ、ドイツでは大統領が池田大作と会ったことに対する世論の反発が表面化した。
 南米ブラジルでは長い間、池田大作は入国を拒まれていたが、麻薬王であったノリエガ将軍の斡旋などで入国できるようになった。しかし、マスコミ始め各方面に大金を配ったことが、ある邦字紙にすっぱ抜かれた。
 池田大作は何としてもアメリカ大統領との会談を実現しノーベル賞へのステップにしたいとの考えを持っていたがレーガン、ブッシュ、クリントン各大統領とも池田大作との会談を拒んだ。公明党の黒柳氏がアメリカへ渡り池田大作とレーガン大統領の会談実現の努力をしたが無駄に終わったことは有名である。
 他にもある。
 フランスでは東京ドームの五倍の広さを持つアルニー城という古城を八十億円で買収した。イギリスではロンドン郊外の古城を十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。これらのことは「宗教団体が何故、そんなことをする? 難民キャンプに寄付するべきではないか!」として欧米で激しく非難されてある。
 こうした池田大作の悪名は「ニューズウィ-ク」「インターナシショナル・ヘラルド・トリビューン」紙などで報じられ、その公私両面に渡る非行は海外にも広く知られている。
 池田大作がピアノの名手と思っている人は婦人部、女子部には少なくない。これはその頃、出来たばかりの自動演奏を使い、池田大作は指を適当に這わせていただけなのである。
 また、池田大作がカメラを目で見ないでプロ並みに撮る、おなかで撮る、ことは有名で池田大作の写真展も開かれていた。これは後で聖教新聞社のプロのカメラマンが池田大作の後ろから撮っていることで判明したことであるが、これもやはり代作であった。
 池田大作の名誉教授などの買い漁りは学歴コンプレックスから来ている。学会員から巻き上げた財務を自身のコンプレックスのために惜しげもなく使う。池田大作はコンプレックスの固まりのような人間である。家系も武士由来と嘘を語る。実際は少なくとも五代は続く東京の海苔職人である(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p100-1 参照)。
 インターネットでは、小学生の頃、父親から韓国語を教えられており、在日朝鮮人と言われている。
 正本堂落成のとき、ローマからカトリックの司祭が来ていたが、ノーベル平和賞を取るためにはローマ法王と友好関係になければいけないということからの演出であった。日蓮正宗は謗法厳戒の宗教である。正本堂落成といえどカトリックの司祭を呼ぶことは許されない。これが後の正本堂解体の一つの要因になったと思われる。
 池田大作は海外から名誉学術称号を二十個以上貰っているが、講演したものの称号が与えられなかった大学は、ハーバード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、コロンビア大学、フランス学士院などがある。ハーバード大学では二回も講演を行っているが称号は貰えてない。お金に困っていない大学からは貰えない。
 ハーバード大学での講演のビデオがあった。聴取者は居眠りをするものが多く、席もまばらであった。講演の間中、池田大作は原稿とにらめっこし、顔を上げない。自分が書いた原稿でないから読むことさえ困難であったのであろう。内容は理解できないで口を動かしていたはずである。池田大作はずっと原稿とにらめっこをしながら口を動かすが、欠伸をする者、居眠りをする者が多くビデオに映っていた。講演の途中で退場する者も多かった。講演が終わるとほとんど拍手はなく、ほとんどの人は時間を損したという表情で帰って行っていた。
 池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
 スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。
 池田大作は嘘の名人である。これは戦後のどたばたの中で暴力団で借金取り立てを手伝っていたときに身についたものと思われる。戸田先生からの「エレベーター相譲」などその嘘は上げれば限りない。
 

宮本邸電話盗聴事件
 宮本邸電話盗聴は創価学会攻撃の急先鋒である日本共産党対策の一環として行われた。始めは日本共産党本部を盗聴する予定であったが日本共産党の本部は警戒が強く盗聴不可能と判断し、急遽、宮本邸へ変更された。宮本宅は信じられないほど警備が手薄であった。
 池田大作の承認のもと、当時ナンバー2であった北條浩副会長の決済で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして造った裏資金(一千万円余り)の提供を受け、山崎正友が学生部幹部数名ほど(中心者は広野照夫と竹岡誠治だった。二人とも現在は創価学会大幹部である。竹岡誠治はNTTドコモ事件をも起こしたことで有名である。竹岡誠治が宮本邸の前の電柱に上り、盗聴器を仕掛け、また新しい盗聴器に交換することも彼が行い、盗聴器を取り外すことも彼が行った。彼はそのため創価学会に於いては非常に重用された)を動員して行った。昭和四十五年五月から約三ヶ月間にわたって行われたこの作戦では二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの第二の盗聴器の不調によって発覚し、共産党は東京地検に告訴した。共産党は公安の仕業と考えていた。山崎正友の内部告発がなかったら事件は迷宮入りしていた。
 盗聴のアジトは学生アパートであった。新しい盗聴器に交換することを行わなかったなら、この電話盗聴は相手に気付かれることなく完全犯罪となっていた。新しい盗聴器の動作不良で相手に気付かれたのである。盗聴器を作成したのは学生部班長で松本篤であった。始めの盗聴器が良好に作動していたにも拘わらず雑音を異常に気にし、盗聴器を交換しないと雑音で気づかれてしまうと考え、新しい盗聴器に交換するというミスを犯す素人の盗聴軍団であった。山崎正友が雑音を異常に気にし、それを広野照夫も異常に気にし始め、盗聴器作りができる松本篤に盗聴器をもうひとつ造らせ、竹岡誠治を再び電柱に上らせて取り替え作業を行うという誤った判断をしてしまった。
 この刑事告訴は犯人不明のまま(おそらく公安の仕業と言うことで)迷宮入りとなったが五十五年八月、山崎正友氏の内部告発手記を契機に日本共産党は北條浩氏らを相手取り損害賠償請求を起こし事件は最高裁まで持ち込まれた。結果は、日本共産党側の完全勝利に終わり昭和六十年四月、東京地検裁判所は北條浩の遺族へ百万円の損害賠償、山崎正友、広野照夫、竹岡誠治には各百万円の支払いを命じた。創価学会側の被告は最高裁判所に上告したが途中で上告を取り下げ損害賠償を一方的に支払った。内部告発手記を発表した山崎正友は宮本氏側から損害金の支払いを免除された。
(再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005:p80-95 参照)

 以後、創価学会(池田大作)はこの盗聴事件に味を占め、盗聴・電話盗聴・監視・尾行を頻用するようになる。また、スパイの送り込みなどあらゆることを行うようになった。こうした活動は次第にエスカレートし、創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査(スキャンダルや人間関係)を行い、いざというときに備えるようになった。


熱心に信仰すると不幸になる
 一家の中でただ一人、信仰を貫いてきた夫人が大型トラックに轢かれて死亡した。非常に熱心であり、折伏弘教もしてきた人である。大型トラックからの轢かれ方は残忍であり、一度轢いた上にもう一度轢いている。内臓や眼球が飛び出し無惨な姿であった。一生懸命、商売(お菓子などの小売業)にも励んできた人であったが、商売も人手に渡し、パートの仕事を見つけて働いていた。しかし、以前の商売での借金がたくさんあり、一家離散寸前であった。御本尊は創価学会の“魔”の御本尊に取り替えていた。池田大作を神様のように慕っていた。選挙運動は選挙違反を遙かに通り過ぎるほど行っていた。学会活動にのめり込み、信仰に反対の夫、子供を顧みないでいた。そのため家庭内喧嘩が絶えなかった。私はそこの息子と友人であった。

 ある地方の草創期からの中心的存在者である家庭の子供三人(娘二人、息子一人)が非行化した。家は草創期から座談会の拠点になっていた。娘二人は子供を妊み産む。息子は暴走族として暴れている。
 創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いと言われるが、両親は決して子供の教育に怠慢していたわけではなく、学会活動で忙しい中、時間を見つけては子供と接してきた。しかし、非行化してしまった。
 これは池田大作が呼び込んだ悪鬼の大集団のためと思われる。
 創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いということは、理由の何割かに相当するのみのことと思われる。創価学会の子供は余りにも高い確率で非行化している。それは悪鬼の唆しに依る。

 【第1章】で示した「霊の姿が見える小学四年生の少女」症例も一族が熱心な創価学会員である。


偽りだらけの体験談集
 これは女子部・婦人部の体験談集に多い。女子部の体験談集には、生まれたときから目が一つだった女性が創価学会の信仰をするようになって目が二つになったという驚異的な体験談があったが、そういうことは起こりえない。
 事故で切断した足が創価学会の信仰を始めて切断した足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手足が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手の指が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手の指が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 私はこれらの体験談を中学一年のとき読んで大変感動し友人にも読ませ友人も大変感動していたが、大人になって読み返すと、それが嘘であることを見抜いた。


うつ病性障害、パニック障害多発の現在の創価学会
 第二部で書いたことの補足になるが現在は創価学会にうつ病性障害が多発している。創価学会に異常に多発しているから社会的にもうつ病性障害が多発していると思われていると言っても過言ではない。ある大学病院の医師は「“うつ病外来”の半分は創価学会で半分はキリスト教」と言う。筆者の友人の精神科医も「パニック障害とともにうつ病性障害があまりにも創価学会員に多過ぎる」と言う。
 これは池田大作が創価学会に招き込んだ無数の悪鬼に依るものと思われる。池田大作が亡くなるとともに池田大作批判が十分に行われると、その悪鬼の集団は去ってゆく可能性は高い。しかし、批判が十分に行われないと悪鬼は留まり続けるであろう。このうつ病性障害、パニック障害は熱心な池田教信者に多く、熱心でない池田教信者には少ない。それも日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者に極めて多く、日達上人の御本尊に祈っている人には少ない。
 そして 日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者は寛解し難く、十年、二十年と長引くことが多い。私も日寛上人の“魔”の御本尊に熱心に祈っていたが故にうつ病性障害に罹患し、寛解と再燃(再発)を繰り返しながら十年続いたが、“魔”の御本尊ということに気付き、その“魔”の御本尊に向かい題目三唱も勤行唱題も全く行わなくなってから再燃(再発)はない(これは、改革派の自覚を持ったのと時を同じくしている)。日蓮正宗法華講にうつ病性障害など精神障害が発生したことは知らない。
 少なくとも創価学会はうつ病性障害など精神障害の発生が異常に多い。誤った宗教団体に属し、誤った信仰をすると精神障害が発生するのであろう。


創価学会は池田大作のために破滅への道を歩んでいる
 池田大作が「南無妙法蓮華経」を商標登録出願し特許庁から失笑を買ったことを知る人は少ない。池田大作の信仰心とはその程度なのである。信仰を利用し金儲けをしようという考えで一杯なのである。また、この商標登録出願は宗門を創価学会の支配下の置くための策略でもあった。最近、情報を得たが創価学会(池田大作)は三度目の「南無妙法蓮華経」の商標登録出願をするということである。金の力で動かそうという考えと推測される。
 「五十二年路線」では池田大作は日蓮正宗から分離・独立するぞ!という脅しをかけ、池田大作が宗門の頂点に立つという魂胆があった。そのために独自の御本尊、教本までも製造し、全国の学会会館を寺院とし僧侶も任命する体制がほぼ出来上がっていた。日蓮正宗を無視し創価学会の信仰にこそ大功徳があるという増上慢ぶりであった。
 池田大作は自分を生き仏とし、創価学会を日蓮正宗の上に置く。池田大作は本気で「現代の生き仏」になれると信じていたのである。これは池田大作の自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性障害であった。
 ここで日達上人は遂に堪忍袋の緒を切らし池田大作(創価学会)を日蓮正宗から破門すると決断された。ここに来て池田大作は始めて目が覚め、狼狽し、お詫び登山となった。破門になるのは少し時期が早過ぎた。

 かつて、創価学会が日蓮正宗の信徒団体として東京都から宗教法人の認証を受けるために提出した規則の第3条を見ると、
「この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教及び儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立を図り……」
 と書いていた。日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかったその創価学会が、結局は池田氏の事実上の個人教と化したのだから、その変転に驚くのは筆者ばかりではあるまい。(山田直樹:創価学会とは何か:新潮社、2004,p176)
 こういうのがありました。ということは創価学会は宗教法人の認証を取り消されるべきではないでしょうか?? 宗教法人の認証は東京都の管轄だから創価学会はこのためにも都議選に非常に力を入れるのでしょうか??

 しかし、池田大作の宗門からの独立路線は進み、平成三年の破門へと進む。このとき大量の脱会者(日蓮正宗法華講への移転者。約三万人と言われる)が出た。このときより創価学会は一つの新興宗教としての道を歩み始める。この破門は創価学会がわざと仕掛けたものであった。自分が頂点に立ちたいという池田大作の野望(自己愛性パーソナリティ障害)故であった。
 この後、池田大作は創価学会より宗門に移った会員を引き戻す強引で激しい運動を展開した。それは会員の家庭破壊は構わないという非情さであった。筆者もその脱講運動(日蓮正宗法華講より創価学会に引き戻す運動)で離婚に至った例を幾例も経験した。

 独立路線として全国の墓園造りは有名である。これは創価学会の信者として繋ぎ止めておくための策略でもあった。墓園を造った後、宗門に贈呈するということは始めより欺瞞に過ぎなかった(墓園を作ることを決定した頃、すでに創価学会は宗門から独立することを決定していた)。この墓園造りで創価学会は多額の収入を得た。土地代も含めて十五万円掛からない墓を百万円近くで販売した。福岡の国会議員(大橋氏)が何の縁故もない北海道の墓を買わされたことを暴露した話は有名である。多くの場合に於いて墓は墓の購入者の住むところより非常に離れており、そんな遠くまで墓参りには行かないと思われる。
 高速道路で十時間は普通。筆者の家も妻が強引に高速道路で八時間の処の墓を九十五万円で買った。誰も入らないと思われる。これは詐欺罪になると思われる。
 この墓園は財務で集めたお金で造った。つまり、創価学会は二重に儲けたことになる。純粋な創価学会員は二重に搾り取られたことになる。池田大作はお墓は多数持っていた方が良いと同時放送で言い放っている! お墓は多数持っていたらお墓参りが大変になることを池田大作は考えないのだろうか? 池田大作の父親の墓は謗法の他宗の墓であることは有名である。
 創価学会の墓を買おうとする婦人部と、創価学会の墓は必要ないという壮年部の喧嘩は非常に多く、その仲裁には非常に苦労した。百万円近くの墓を購入することは普通のサラリーマンの家庭では非常に困難である。それを婦人部は夫に無断で購入している家庭が多い。勝手に生命保険を解約したりして購入している。しかし、サラ金まで至った例は知らない。
 このことによる離婚騒動は数多くあった。創価学会より法華講に最近移った人は皆、百万近く出して購入した墓を転売できないかと考えている。大謗法の墓には絶対に入らない。それより先祖代々の墓に入った方がずっと良い。
 筆者の家も現在このことで非常にもめている。妻の実家は別に遠方の墓を購入している。高速道路でもとても行けない遠いところである。飛行機でなければ行けない遠いところである。
 会館まで電話して問い合わせたところ、購入したものは払い戻しできないと断られた。しかし、多数の人達が立ち上がれば、購入した墓の払い戻しも可能になると思われる。

 親兄妹、先祖代々の墓に入りたいのが普通の信条である。縁もゆかりもない墓へ入ることは通常、考えられないことです。

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00県00市
創価学会文化会館殿

 私の家は00県に創価学会の墓を購入しましたが、それは妻が勝手に購入したものであり、その墓に入ることは決してありませんので、早急に払い戻すことをお願いします。
 騙して取った金を返せ!
 返さなかったら自分と同じ考えの人が数人います。
 また、インターネットで募集するとたくさんの人が集まると思われます。訴訟を起こします。

 これは必ず週刊誌が飛びついてきます。訴訟が起こる前に払い戻すことが賢明と思われます。
 返事は必ずしろ。複数の週刊誌および国会議員にメールを出す準備は既に整っています。数人の同士で結束しています。
 電話では喧嘩になるのでメールを希望する。


00県00市00町  三船敏郎
       tel 0000-000-9999
       メール:ccc998@infoseek.jp


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池田大作と文鮮明
 ここで池田大作と統一協会の文鮮明との類似点をあげる。
 二人とも諸外国より名誉博士号、名誉市民賞などの勲部漁りが激しい。現在は、文鮮明の方が数が多い。その権勢欲・名誉欲の凄まじさは酷似している。
 しかし、仏法では「名聞名利」を強く戒められている。第九世日有上人の「化儀抄」には、
「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽きたる所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云々」
とある。「法盗人」とまでも厳しく言われている。池田大作の場合も勲部の数を誇り世界各国から名誉称号を数多くもらっていることを自慢の種にしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的には卑しいことであり、仏法とは全く無関係である。しかも、そうした称号を得るために会員から収奪した金を利用していることは「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものである。
 池田大作の支配欲の凄まじさも上げなければならない。池田大作は学会員を奴隷のように扱っている。池田大作は「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田大作のために死ねるという人間だけを重んじてきた。
 創価学会のみに留まらなかった。日蓮正宗までも支配下に収めようとした。それは正本堂以後顕わになり、日達上人を悩ませることとなった。
 さらに日本国家支配を長年目指していた。若い頃からの「天下を取ろう」が口癖であり、創価学会の「総体革命」もその路線そのものである。
 さらに、池田大作は慢心の固まりである。「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする。」「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ三十年前の「人間革命」など書けるわけがない(「人間革命」は故・篠原善太郎氏の代作。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。もう一度書く。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。)」「中曽根康弘はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネヂィ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーにも言っておいた。」このような池田大作の発言を受けて「聖教新聞」では「世界の偉人」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタインなどの人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全て備えた「偉人」として奉っている。
 池田大作も文鮮明も人を信じることができない性格である。誰をも信じることができない故に 池田大作も文鮮明も「自分のために死ねる人間」を周囲に集める。
 ともに成り上がりの独裁者である。ともに諸外国からカルト指定されている。ともに自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)に罹患している。どちらも妄想性パーソナリティ障害を超え妄想性障害、妄想型統合失調症(軽症)の可能性も高い。
 
(相違点)
 文鮮明は二十代に統一協会の思想的礎と成った極めて独創的な著作を書いている。しかし池田大作は何も書いていない。ゴーストライター軍団に多量の書物を書かせてきたのみである。
 文鮮明は傑物であったが、池田大作は俗物であった。池田大作はどうしようもないお人好しの集まった創価学会のなかで一つの狐であった。肥った狐であった。
 文鮮明はその超能力による合同結婚で有名である。若い男女を並べ、あなたはこの人と、あなたはこの人と結婚せよ、と告げてゆく。これが本当に霊的能力によるものか、単に霊的能力の真似をしているのかは解らないが、おそらく後者であろう。何故ならば日本人はその指名に全員が従うが、韓国人は半分が拒否をする。拒否をするということは運命的なカップルではないということであろう。
 池田大作にはこのような能力はない。
 文鮮明は現在の北朝鮮に当たるところから普通の人ならば死んでしまう拷問を受け、凍り付く戸外に放り出された。しかし、極めて頑丈な文鮮明は死なずに生き延びた。そして共産主義に対する激しい憎悪が文鮮明の心に根付いた。これが後に勝共連合を造ってゆく。
 池田大作は昭和三十二年、選挙違反で警察に捕まったが全てを白状し釈放された。拷問は受けなかった。

【余記】
 人間革命は東大卒の小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものである。池田大作はゴーストライター軍団を持っており、池田大作が書いたものは一冊もない(詩集が一冊あるという意見もある)。聖教新聞の寸鉄を少し書いていただけである。講演原稿も全てゴーストライター軍団によるもので、池田大作は内容も解っていなかったと思われる。池田大作は文学こそ多少嗜んでいたが(%E