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創価学会内部改革派 蘇生の選択 (4)

2011-03-03 15:22:05 | 日記
市川書記長よ、よもや“練馬事件”を忘れはしまい(5)


 市川雄一氏が再浮上したのは、衆議院議員候補として神奈川県二区から立った昭和五十年のことである。その間、市川雄一氏には、忍従と屈辱の日々だった。

「俺は、竹入、矢野に後ろから撃たれた。何も、警察にいち早くぶちまけることはないじゃないか。俺は暴行をしていないんだ。無罪だ。それを、問答無用で犯人扱いされ、穴倉に閉じ込められてしまった……。日頃の恨みをこの際、晴らされたんだ」
 市川雄一氏は、無念そうに私に訴えたことがある。

“今に見ていろ”――市川雄一氏は、目で語っていた。

 だが、私の見る限り、今日の市川氏があるのは、池田大作の“護ってやれ”の一言のお陰であり、竹入氏、そして警視総監氏の事件のもみ消しのお陰であると言わざるを得ない。それがなければ、市川雄一氏は組織人として、また、政党人としての人生は、練馬事件の首謀者である烙印を押され、終わっていたに違いない。

 それにしても、投票所襲撃事件の主犯である市川雄一氏が、連立与党の、政治改革案推進の中心者であるということは、ブラックジョークを通り越して、不気味ですらある。泥棒が警官になり、暴力団が暴力追放運動の音頭をとっているに等しい。

 さらに奇妙なことには、このことについて、市川雄一氏のコメントが一切公にされていない。つまり、大新聞もテレビも、市川雄一氏にこのことを問い糾した者がいないということである。小沢一郎氏だって、鹿島からの五百万円の献金がどうのこうのとしつこく追及されているのに比べてみて、余りにも不自然に思える。

(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p32-9)

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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       学会の“当事者”として対出版、労組、暴力団問題に関与

 これらの事件処理の現場で、創価学会・公明党首脳と一体になって働いた。
 当時、顧問の中では学会員でない弁護士が多かったが、学会首脳は「自分達の気持ちと本音の利害が解り、そのために働く弁護士」「池田先生の弟子である弁護士」として、私を重宝した。既に、本来の弁護士としてのあり方から一線を越えて“当事者”として行動していたようだ。
 その他にも、出版社に対する名誉毀損事件、労働組合や右翼、暴力団等に対する問題等々、事件は次から次へと起こり、その処理に明け暮れた。
 例えば、昭和三十年代末、塚本素山(故人、元塚本総業社長)の仲介で、塚本素山ビルに於いて、藤原行正氏ら学会幹部と広域暴力団幹部との、一種の“手打ち式”が行われたこともあったし、右翼の左郷屋某が「池田大作と差し違える」と言って狙い続けたが、竹入義勝氏が“差し”で説得し、思い止まらせたとか、他にも池田大作の生命を狙う暴力団関係者に塚本素山氏を使って金で話をつけたりとか、生臭い話も結構あった。
 こうした献身的な働きと、そして組織活動(後述)における成果とが、池田大作をして抜擢させる原因となった。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p39-40)

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      学会の常套手段=盗聴・監視・尾行の先がけ“宮本邸盗聴事件”(1)


 言論問題以後、前述したような、内部事務局関係の仕事が増えたが、これはやがて、八尋頼雄弁護士がもっぱら担当してくれるようになり、その分、負担が軽くなった。その分、対外的な活動へとウエイトが移った。特に、情報、謀略といった活動が主な目標となったのである。その第一歩が、共産党議長・宮本邸盗聴事件であった。
 昭和四十四年暮れから五年にかけて、評論家・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』出版をめぐって創価学会が、本人や出版社をはじめ、取次店や書店にまで、これを止めるよう圧力を掛けた事件がきっかけで、創価学会は世論の袋叩きにあい、国会でも追及を受けることになった。田中角栄氏の助け船のおかげで、創価学会は辛うじて危機を脱したが、それでも池田大作は世間に対して全面謝罪し、政教分離等を口にせざるを得なかった。この時、創価学会攻撃の急先鋒だったのが日本共産党であった。創価学会と共産党はまるで天敵同士のようにいがみ合っていた仲だったので、この時は、共産党にいいように攻められてしまった。
 そこで創価学会としては、言論問題の収拾と、今後の安全のために、共産党の出方を知ることが何よりも重要な課題になった。共産党対策のため公明党にも、聖教新聞編集部にも、また、創価学会の組織内にもプロジェクトチームが編成された。それらの各チームが収集した情報が私の元に集められ、そして最高首脳の会議に提出されるようになっていた。
 しかし、成果はなかなか上がらなかった。直接的な情報が乏しいために、靴の上から足の裏を掻くような思いの毎日だった。そんな折、たまたま創価学会学生部演説会の席で渡部一郎代議士(当時)が自民党首脳を小馬鹿にした放言演説をしたのを、潜入していた共産党員が録音してマスコミに暴露したため、自民党や世論が硬化して創価学会が窮地に陥るという事件が起こった。情報収集に関しては、共産党の方が遙かに上だったのだ。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!
 
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      学会の常套手段=盗聴・監視・尾行の先がけ“宮本邸盗聴事件”(2)


それで、“眼には眼を”といった感情と、必要に迫られて、共産党情報収集の一環として、宮本邸電話盗聴が計画され、実行されたのである。

 池田大作の承認のもと、北條浩副会長(当時)の決裁で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして作った裏資金の提供を受け、私が学生部幹部数十名を動員して実行に移したのである。

 私が総指揮を執り、実行責任者は広野照夫氏と竹岡誠治氏だった。二人とも、今は創価学会の幹部である。
 昭和四十五年五月から約三ヶ月に亘って行われたこの作戦では、二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの、発信器の不調によって発覚することとなり、共産党は東京地検に告訴した。

 この刑事告訴は、犯人不明のまま迷宮入りとなり、実を結ばなかったが、しかし、五十五年八月、私の内部告発手記を契機に、共産党は改めて北条氏を相手取り損害賠償請求訴訟を起こし、事件は最高裁まで持ち込まれたが、共産党側の完全勝利に終わり、創価学会は百万円の損害賠償を支払ったのである。

 というわけで、この盗聴作戦自体は、百%成功というわけにはいかなかったのだが、ある程度の成功は収め、そして、何よりも撤退と証拠隠滅が完全だったことが、首脳に高く評価された。

 以後、池田大作によってさらに重用され、このとき以降、盗聴・電話盗聴・監視・尾行は創価学会にとって欠かすことのできない手段となり、妙信講の造反事件等、対応を誤れば大事に至るような事件が起こるたびに、盗聴・尾行・スパイの送り込み等、ありとあらゆることを行ってきたのである。

 こうした活動は次第にエスカレートして、ついには創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査も行い、いざという時に備えるようになった。
もちろん通り一遍の調査ではなく、スキャンダルや人間関係まで詳しく調べ上げているのである。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p40-3)

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お餅姫、命!!

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      嘘だと言うなら国会の証人喚問の場で私と対決せよ(1)


 平成五年十月、この件に関して、証人喚問申請が衆・参両議院で提出された。引き続いて、神崎武法郵政大臣に対し、国会の場で何回となく質問が繰り返された。

 国会で追及を受けた神崎氏は、初めは「小倉にいたから、関与するはずがない」「犯人不明の迷宮入り事件だ」ととぼけていたのだが、しまいには、追い詰められて「昭和四十五年の夏期講習会には参加した。山崎が来ていたら、会っている可能性はある」(挺身委員会における答弁=十月二十七日)とまで、認めるに至っている。

 それでもなお、証人喚問を避ける一方で、場外で、日付がどうとか、人数がどうとか、週刊新潮の記事を元に、揚げ足取りを止めない。あげくの果ては、私について、刑務所帰りが云々とか、法曹出身の大臣らしからぬ差別発言を行っている。

 週刊誌の記事は、編集部のリライトの際の行き違いであり、私の提出した原稿には、そもそも“夏”とだけ書いてあって、日付は書いていなかった。原文は、手元に残っている。

 検事の人数については、今なお現職の人物については、立場をおもんばかって、記載を差し控えただけである。

 そもそも。市川雄一氏も、神崎氏自身も、発覚しなかっただけで、れっきとした犯罪者ではないか。罪に服した人達よりも悪質、と言わなくてはなるまい。

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      嘘だと言うなら国会の証人喚問の場で私と対決せよ(2)


 なお、私の事件については、集団偽証による冤罪を晴らすべく、近く、再審請求の手続をとる準備をしていることを付け加えておく。

 私の言うことが嘘だと言うなら、端的に告訴されたら良い。さもなくば、堂々と、国会での証人喚問を実現し、国民の前で私と対決したら良いのである。
何処がどう違うのか、池田大作も神崎氏も私と堂々対決して決着をつければ、二度とこんな問題に悩まされることはないだろうに。
それもできずに、怪文書や愚にもつかぬ弁明でこそこそと済ませようとするから、疑惑を増すばかりではないか。

 表でしらを切りながら、公明党は「そればかりは絶対やらないでくれ」と連立与党内で頭を下げているという。
だが、連立与党のためにも、テレビ朝日の椿氏同様、さっさと私と池田大作の証人喚問を実現して下さるようお願いしたい。
細川首相には、こんなことはさっさと片付けて、国民のために、山積する重要な政治課題と取り組んでいただきたい。

 一方、自民党に対しても「選挙で全面協力するから、追及を止めてくれ」と裏で泣きついている。

 例によって、新聞・テレビは、こうした動きをまるで報道しない。
重ねて言う。
池田大作も神崎武法氏も、言いたいことがあったら、国会という、国民が見守るリングの上で、正々と対決したら良い。
怪文書や「第三文明」、クチコミでごそごそ“場外反則”めいた手でデマや中傷するなど、卑劣極まりないではないか。
それでも男か!と言いたい。
私は逃げも隠れもしない。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p43-5)

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       “うつ”の病床より起き上がって(1)

              創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上




 1週間近く、寝込んでいた。今日の昼からの当直の勤務には必ず行かなければならなかった。
 
 僕は決意した。
 僕は創価学会のままで死ぬまで生ききろう。
 以前は、創価学会の看板を背負って歩いていた。
 重かった。
 でも、元気だった。
 とてもとても、元気だった。
 僕は創価学会っ子として育ってきた。
 御本尊様と育ってきた。
 厳しい少年時代だった。

 今まで、厳しい状況にありながらも元気一杯の創価学会員をたくさん見てきた。
 社会の底辺にあるにも拘わらず、彼らは元気だった。
 これが創価学会だ!とその度に思った。
 創価学会員は厳しい状況に置かれることが多くあった。
 でも、彼らは負けてはいなかった。
 厳しい状況にあっても彼らは元気だった。

 自分は崩壊し始めている創価学会を立て直すために余命を捧げようと決意した。
 すると“魔”がどんどんと襲ってくるかも知れない。
 やっぱり“魔”は恐い。

 どうしようかと考えたが、今からは再び創価学会に完全復活して創価学会を立て直そう、池田大作によって破壊されかけた創価学会を立て直して行こう、と決意した。
 獅子身中の虫とは池田大作のことであったことを創価学会員に理解させて、創価学会を立て直して行こう、と決意した。


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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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       “うつ”の病床より起き上がって(2)

              創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 もう一度書く。
 獅子身中の虫とは池田大作のことである。
 このことを忘れてはならない。
 そうして創価学会を立て直して行くのだ。
 このままでは創価学会は崩壊して行くことは明らかなことだ。
 
 戸田会長の時代に戻ろう、をスローガンにして行けば良いのだ。
 選挙は捨てよう。
 ここまで大きくなった創価学会だから社会奉仕をどんどんして行こう。
 そうして社会からも認められることだ。
 今までは社会を敵に回すことばかりしてきた創価学会だったけれども、これからは社会を味方に付ける創価学会に変わるのだ。
 そうすれば、広宣流布もどんどん進んで行く。
 
 池田大作が全て悪い。
 それに追従してきた人達は追従せざるを得なかった。
 池田大作に苦言を言うことは許されない状況だった。

 民衆救済への燃えるような情熱の中に日蓮大聖人の魂は存在する。
 民衆救済への情熱がない処には日蓮大聖人の魂は存在しない。
 見延山に日蓮大聖人の魂が存在しないように。
 見延山には大聖人の遺骨もたくさんある。
 大聖人の書かれた御本尊もたくさんある。
 見延山は大聖人が晩年時代を過ごされた処だ。
 しかし、そこは謗法の山と化し、大聖人の魂は住まわれていない。

 三障四魔が吹き荒れるであろう。
 しかし民衆救済への燃えるような情熱を持って打ち破って行くしかない。



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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上
 
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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(1)

         創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 中枢部は堕落しているかも知れませんが、末端は未だに燃えています。
 末端は未だにかがり火のようながらも民衆救済の情熱があります。
 折伏大行進時代のような燃えるような情熱ではなく、かがり火のようですけど未だに燃えています。

 藤原範昭氏が立たないならば僕、三船敏郎が立ちます。
 僕、三船敏郎は“うつ”の病床の中で苦しみながら考えました。
 このまま世の中を真っ暗闇にしてしまってはいけない。
 せめて、この日本だけでも広宣流布しなければいけない。
 いや、世界を広宣流布しなければいけない。
 でも、今のままでは絶対に不可能だ。
 今まで選挙運動に用いてきた力を全て社会奉仕活動にあてる。
 政治には今後一切関わらない。
 すると創価学会票を目当てに自民党か民主党がすり寄ってくるでしょう。
 創価学会は自然とそれら大政党から護られるようになります。
 今までは激しい選挙運動で社会を敵に回してきた。

 中学1年生のとき、中等部総会へ向けての毎日2時間の唱題の中、自分は喉を病み、今も喉が悪く大きな声が出ない状態です。
 自分は大きな総会の司会役になっていました。
 そのため中等部担当の人から毎日2時間の懸命の唱題を指導されたのでした。
 力を込めて祈るんだ、力を込めて一心不乱に祈るんだと指導されました。

 未だ五座三座の勤行が当然だった時代のことです。
 2時間の唱題に五座三座を加えると一日2時間45分になります。
 中学一年でしたから速い読経はしていませんでした。
 毎日夜遅くまでかかって2時間の唱題を終えていました。
 毎日夜遅く、自分は法悦に浸っていました。

 科学技術の発達した今日、御本尊がコピーであっても改竄されても、それで良い時代です。
 日興上人の御自筆の御本尊でも良いでしょう、日蓮大聖人の御自筆の御本尊でも良いでしょう、長い年月のために読み取り困難になった処などはパソコンで加工処理をして綺麗にするべきでしょう、そして創価学会員に配るのです。
 
 日寛上人は富士大石寺の偽りに満ちた教学を集大成させたとの悪口が非常に盛んです。
 日寛上人の御本尊を回収して日蓮大聖人または日興上人御自筆の御本尊に取り替えるべきと思います。



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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(2)

         創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 日寛上人が他の興門派すなわち富士派から非常に悪く言われていたのを知らなかった、あまりにも無知な創価学会首脳部が悪い。
 日寛上人の御本尊を創価学会員の家庭に配ったのだから“うつ病”などが異常多発したのはその為です。
 第一、日蓮正宗の大御本尊は贋作と決定された物です。
 創価学会は早く日蓮正宗への未練を断ち切るべきです。
 日蓮正宗から早く完全に脱皮するべきです。

 日蓮正宗の大御本尊は昔から贋作といわれてきたものです。
 日蓮正宗は大聖人遺文も含めて贋作が非常に多いことで有名です。
 その為、日蓮正宗は昔より日蓮宗興門派から贋作教団と揶揄されてきました。
 保田妙本寺が正統で日蓮正宗は正統ではありません。
 日蓮正宗はほとんど存在意義がない教団です。
 日蓮正宗は偽りの教団であります。
 早く日蓮正宗から脱却するべきです。
 日蓮正宗は問題視する価値もありません。
 
 独立路線は正しいと思います。
 僧侶に信仰心がないならば在家が指導者となるべき時代です。僧侶は読み書きができるが、百姓は読み書きができない日蓮大聖人御在世とは異なります。
 日蓮大聖人御在世当時は僧侶や武士以外は読み書きができなかった時代でした。
 人口の大半を占める百姓は読み書きができない時代でした。
 その時代と今は違う。
 僧侶・神社・仏閣はもはや観光名所に過ぎません。
 観光名所を信仰しても意味はありません。 

 信仰心がない僧侶をたくさん見てきました。
 信徒の方が信仰心が篤い、という状況をたくさん経験してきました。
 信仰心の薄い僧侶が信仰心の篤い信徒の説教することはおかしなことであると、その度に思いました。
 現代は僧侶は不要です。
 学会葬が正しい在り方です。
 生前、良く知っていた地区部長、支部長、本部長が導師となって葬式を行うべきと思います。
 それが真心の葬式になります。
 信仰心の薄い、今まで全然知らない人が来て導師をしてくれても全然嬉しくない。
 儀典部は廃止するべきです。
 今まで何も知らない会館やお寺の人が導師をするよりも、今まで親交のあった信仰篤い人が導師をするのが本当です。
 それが正しい葬式の姿だと思います。
 僧侶と言っても信仰心が無く、それを職業としているだけという僧侶をたくさん見てきました。
 信仰心が本当にある僧侶は一部分に過ぎませんでした。

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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(3)

         創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 現代は僧侶は不要、お寺も不要、過去の物であり観光の物の時代、僧侶もお寺も観光名所に過ぎない時代と言われてきました。
 しかし、専門家は違う、と思うこともあります。
 すなわち、信仰心が弱いと思われる僧侶であっても、やはり僧侶だ、と思われることが時々あります。
 信仰心の薄い僧侶であっても僧侶としての“気”という物を感じることが時々あるのです。

 また、お寺にも代々の魂があるのではないかとも思えます。
 お寺に入るだけで「何なんだ! ここは!」という凄まじい“気”を感じることがあります。

 勤行も題目三唱だけでも良いのです。題目三唱もしなくて良いのです。創価学会の短縮された勤行は正しいのです。

 ただ、御観念文に「池田大作」を入れてはいけない。
 池田大作は戸田先生が造られた広宣流布への軌道を壊した大悪人です。
 自我の欲望のために悪魔に魂を打った堕落してしまった人間です。

 池田大作が現れなかったら広宣流布はすでに達成されていたでしょう。
 少なくとも日本の広宣流布は達成されていたはずです。
 日本国民は救われていたはずです。
 そして世界広布も進んでいたはずです。

 池田大作は元から野望の固まりのような人間でした。
 元から「天下を取ろう」が口癖だった人間です。
 妄想型統合失調症の極軽症である可能性はかなり高いです。

 一人一人の胸の中に仏性があります。
 これはスピリチュアルのシルバーバーチもそう書いてあります。
 スピリチュアルで最も信頼のできるシルバーバーチです。
 しかし、シルバーバーチは力がない。
 日蓮大聖人の信仰は歓喜がある。
 得体の知れない不思議な歓喜があります。
 明日を心配することが無くなります。
 元気になります。
 この歓喜が日蓮宗富士派にはあります。
 それだから生命力が強くて分派も多くしてきたし、広まってきたのです。

 創価学会が大きくなったのも日蓮宗富士派に共通の目から火花が飛び散るような強い歓喜がそうさせたのです。
 悲しみも喜びに変える力があります。
 苦しみも歓喜に変える力があります。
 だから創価学会は大きくなったのです。
 そして池田大作が悪鬼を大量に創価学会に雪崩れ込ませなかったら創価学会員は幸せになり必然と広宣流布は成就されていたのです。

      (完)

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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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     原田会長へ(1月30日2011年)(1)

                創価学会特命捜査官:三船敏郎


 日寛上人の御本尊を日興上人の御本尊と取り替えるべきです。制作方法は今まで通りで良いと思います。
 ただ、日寛上人は贋作である富士大石寺の大御本尊を信望していた人です。しかも贋作教義である石山教学を集大成させた悪人とされています。  ネットでは富士興門派の諸氏からかなり悪く言われている上人です。
「また26代日寛は「立正」の字に三大秘法の意義を説いたが、日寛の三大秘法義は「本門戒壇の板本尊」を最上として尊崇するものであるから、この三大秘法義も邪推の域の戯言でしかない。」などと言われています。
 せめて御本尊だけでもちゃんとした物に取り替えるべきです。それでないと創価学会員が可哀相です。

 それでないと現在のうつ病性障害などの異常多発は止まないでしょう。
 また、日興上人の御本尊になると以前の御本尊のように力のある御本尊になりますから、創価学会員は幸せになっていきます。
 広宣流布すなわち教勢拡大は自然と進んでいきます。
 池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた大悪鬼の集団を駆逐するためにも日興上人の御本尊に変えるべきと思います。

 原田会長など創価学会首脳部が富士大石寺の教学は贋作の教学であることを知らなかったことは意外であります。
 国立大学系の仏教学派では常識になっていたことです。
 創価学会が堀日0上人の下、編集した御書全集の半分以上は贋作であるということです。
 その三分の一ぐらいしか本物の遺文はないと断じて良いでしょう。
 日寛上人の書かれた本は全て価値はありません。
 そういう上人の書かれた御本尊に祈るとうつ病性障害などに非常になりやすいと断じて良いと思います。

 日蓮正宗の大御本尊は後世の贋作であることが現代科学的にも証明されました。
 犀角独歩氏がデジタルアナライザーで証明されました。
 早く、それを出版できるように創価学会で援助するべきです。
 その本が出ると富士大石寺は大きな打撃を受けます。
 犀角独歩氏は大御本尊だけでなく或る御遺文が偽作であることもデジタルアナライザーで証明されています。
 これが本となって出ると富士大石寺の存在は残骸のみになってしまうかも知れません。
 出版できるように創価学会が強く後押しすることです。
 犀角独歩氏は出版の機会を狙っています。
 しかし、出版阻止の圧力も強く、出版できないでいます。
 Xデーは近いのです。早く出版することです。


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(創価学会特命捜査官:三船敏郎、遂に本当の姿を現す)
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     原田会長へ(1月30日2011年)(2)

                創価学会特命捜査官:三船敏郎



 Xデーのときには大量の富士大石寺への移籍者が出るでしょう。
 その前に出版することです。
 緊急に出版することです。
 犀角独歩氏は出版することを心待ちにしています。
 すでに出版への推敲は済ませてあります。

 池田大作批判はネット上ではもの凄く、このままでは創価学会の存続も危うくなります。
 創価学会が潰れないうちに池田大作を切り捨てることです。
 「池田大作は間違っていた」と聖教新聞上などで正式に創価学会としての見解を表明することです。
 そうしないと創価学会まで大きな痛手を受けます。
 これは大袈裟ではありません。
 反池田の感情は一般社会だけでなく、創価学会内にも吹き荒れています。
 最近の聖教新聞は池田ファミリーを讃える記事で溢れています。
 それに対して創価学会内でも、とくに壮年部・男子部内の反池田の感情は一つの嵐を呼ぶ可能性があります。
 すなわち、創価学会の自滅の可能性が高く有るのです。

 池田大作が亡くなると創価学会員の選挙へ取り組む意欲は大きく低下します。
 公明党が大きく数を減らす前に創価学会は政治から手を引き、自民党か民社党に護られるようにすることです。
 そうしないと創価学会は公明党が大きく獲得票を減らし力を喪うと叩かれます。
 創価学会員に大きな痛手が被ります。
 そうなる前に、政治から身を引くべきです。
 それが安全な方法です。
 大政党の庇護の下にいなければ極めて危険です。
 創価学会は今まで公明党で綱渡りをしてきたのです。
 幸運にも堕ちませんでしたが、堕ちていたら創価学会の破滅でした。

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創価学会特命捜査官:三船敏郎

創価学会内部改革派 蘇生の選択 (3)

2011-03-03 15:19:40 | 日記


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創価学会員は財務が何に使われているのか知らない。
創価学会は財務の使い道を詳細に聖教新聞などに載せるべきである。
今は創価学会員には“うつ病”が信じられないほど増えて、生活保護者が激増している。
創価学会は財務の使い道を詳細に聖教新聞などに載せるべきである。
すると狂信者以外は誰も寄付しなくなるだろう。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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北朝鮮と小泉首相の会談を実現させるために創価学会は北朝鮮に五百億円寄付したと言われる。そのため現在も北朝鮮から創価学会に寄付の依頼が絶えないと言われる。
このことを知っている創価学会員は皆無に近い。
このことを詳細に知っている人は、詳細に教えて下さい。宜しくお願いします。できるだけ詳細にお願いします。

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    多額の財務をすると不幸になる

 今年も二千五百億円の金が貧しい創価学会員から搾り取られてゆく。何に使われるのか皆目見当のつかない会員にとってこれは詐欺に等しい。
 海外のお城(池田家の別荘)の維持費などに使われることを知っている学会員は極めて少ない。みんな会館などの維持費などに使われていると思っているのであろう。
 無知の悲しみである。
 生活をぎりぎりに切り詰めて財務している会員は多い。生活保護の人達も生活をぎりぎりに切り詰めて財務している。余りにも可哀相だ。
 自分の知っている整形外科の医院は毎年一千万円財務してきたが、三年前に破産した。医師である父親は遠くに働きに行き、離婚して嫁さんと子供は実家に帰っている。一家離散している。
 また、自分の知っている夫婦は毎年、預金をすべて財務してきたが、現在二人ともガンで死の床にある。幼い子供がどうなるのか心配である。
 自分が中等部を担当していたとき、叔父さんが遺産として入った三千万円をそのまま創価学会に寄付したところ、その年行われた高校受験で必ず合格するはずの二つの高校に二つとも落ち、結局、三流高校に行き、スケバンになったことがある。金をもらえば誰とでも寝る。現在も苦しんでいる。
 すなわち、多額の財務をすると不幸になるのである。
 これらの悲劇は池田大作および側近幹部は知っているはずである。しかし、彼らは自分たちが優雅な生活を送れれば良いのである。彼らにはもう信仰心はないのである。地獄に堕ちるとは全然思っていない。

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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「財務」に強制はないと主張する意見が多いが、それは学会活動の非活発な地区の話であろう。自分は毎年百万円の財務を行ってきたが、初めこそ自分の意志で百万円財務してきたのであるが、ある地区に引っ越したところ、男子部のある幹部から、あからさまに「百万円は財務しろよ!」と脅迫まがいに言われてきた。「車なんか買うな! 車は動けば良いんだ!」との指導をそのままに実践してきた。そして百万円の財務を十三年間続けてきたのである(自分は比較的高額所得者なのである)。
 運命は確実に下降線を描いていた。もう下降できないというところで、創価学会(池田大作)の矛盾に気付いた。遅かった。もう少し早く気付いていたらと悔やまれてならない。十年間、“うつ病”に苦しんだ果てのことであった。間違った結婚もしてしまった。
 自分はその頃、財務は会館の維持などに大部分が使われていると思っていた。池田大作の海外のお城の購入やノーベル賞取りなどに使われているとは全く知らなかった。
 金返せ!!

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創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

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フランスに百億円で購入した古城の年間の維持費は五億円を遙かに超えるという。何のための古城購入だったのか? 池田家の別荘とは言え、ここにも学会員のなけなしの財務が使われてゆく。
フランスの創価学会が使っていると弁明しているが、普通の鉄筋コンクリートの会館を建てたら三億円で十分に建てられた。維持費も少なかったはずだ。
全くの無駄遣いとしか思えない。
財務を返還せよ!
財務は池田大作の遊興費に使われているのではないか?
池田大作の別荘は日本には少なくとも5つはある。維持費だけでも莫大である。
ロシア、イギリス、アメリカなどにも古城などの超豪華なものが有るという。維持費だけでも莫大である。
池田大作の遊興費、池田大作のノーベル平和賞取りのために我々は財務しているのではない!
財務を返還せよ!

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   “国立戒壇”をめぐって対外的、対内的に紛糾


 言論問題の際、創価学会の主張する“国立戒壇建立”は憲法違反ではないかとの批判が他党から為されたが、池田大作はこれに対し「現在建設中の正本堂が日蓮聖人御遺名の戒壇であり、これは民衆立である。国立戒壇は必要ない」との回答を、東京都を通じて文部省、国会へ提出した。

 日蓮正宗では、明治以後“国立戒壇を富士山麓に建立する”ということが伝承となっていたから、これを巡って日蓮正宗僧侶や他の法華講から異論が出た。中でも“妙信講”という講が強硬に「国立戒壇論の撤回は教義に違背する」と主張し、日蓮正宗と創価学会に食い下がった。

 昭和四十七年の正本堂落慶を目前にする頃、この“国立戒壇”論を巡る論争は白熱し、宗団暴力事件に発展し掛かった。日蓮正宗としては、創価学会の要請と旧来の法華講や僧侶の勢力との板挟みになり、対応に窮して右往左往した。

 このときは同年八月、秋谷栄之助氏(現会長)、原島嵩氏、そして私の三人が、妙信講首脳と対決討論し、何とか激突を回避した。しかし、その後、問題がぶり返し、妙信講による創価学会本部襲撃事件、そして幾つかの訴訟事件へと展開したが、昭和五十二年四月、裁判所に於ける和解で紛争は一応の収拾を見た。

 この言論問題時に於ける“国立戒壇論”引っ込め作業、及び妙信講問題の処理は、私が司令官となって処理に当たった。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p81-2)

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     日達上人の反論と宗門――学会の対立激化(1)


 こうした事件の流れの中で、日蓮正宗側は次第に創価学会の言いなりになることを拒否するようになり、池田大作はイライラを募らせた。昭和四十七年十一月、池田大作は正本堂内で大勢の会員のいる前で、法主の日達上人を面罵した。また、翌年一月二日、大石寺対面所での法主招待の会食の席において、池田大作は、やはり幹部の居並ぶ前で、日達上人をなじった。

 事の次第は、池田大作が「最近、大石寺の僧侶の素行が悪い。警察や検察庁でも話題になるくらいだ。厳重に注意して欲しい」と発言し、日達上人が気色ばんで反論し掛かったところ、池田が「そんな言い方はないでしょう猊下。そんなこと言われるなら、こちらにも考えがありますよ」と恫喝した。そして、会食に同席していた静岡地方検察庁検事・会田宣明氏を指名して立たせ「私の言ったことに間違いないだろう」と念を押し、相槌を打たせた。

 その時は日達上人が黙ったが、やがて説法や講演の席で創価学会批判を始め、日蓮正宗と創価学会の間はにわかに険悪になった。
 その間の事情を「蓮華」(昭和四十九年八月)は次のように書いている。

「『おととしの秋ぐらいから、去年を通じ今年の春にかけて、学会の宗門に対する態度と申しますか、色々僧侶に対して批判的であり、また教義上においても我々から見て逸脱していることが多々あるように思われます。それは世間の友好のため、広宣流布のためという目標に依ってそうしていると聞きますけれども、そのままにして置いたんではそれは大問題になりはしないか。終いに於いて取り返しのつかない事になりはしないかという憂慮の為に』

『富士宮のーーこれは信者ではないけれどもーーある有名な人は、大石寺は前々から言う通りに、軒(庇)を貸して母屋を取られるような事があるならば、大石寺の恥だけではない、富士宮の恥だと放言していたという事です。私はそれを聞いて、非常に残念であると同時に、まだまだ我々は僧侶としての考えが甘いのではないかと思いました。どうか皆さん、自主的に日蓮正宗の僧侶は例え飯が食べられなくても、大聖人は必ず袈裟の功徳がある、その功徳(は)甚大である、という事を出家功徳抄に出しておられるでしょう』

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     日達上人の反論と宗門――学会の対立激化(2)


 ひさしを貸して母屋を取られるーー創価学会の宗門乗っ取りの野望を、こう表現され『日蓮正宗の僧侶は例え飯が食べられなくとも』とまで仰せられた日達上人のご覚悟は、よくよくのことであった。それほどに、創価学会の路線は、土足で宗門を踏みにじるような専横ぶりであったのであり、宗門と創価学会の亀裂は、修復困難なまでに深まっていた」

 その頃、妙信講問題、正本堂の事務処理などで日蓮正宗との接点にあり、学会首脳と日達上人の信頼が厚かった私に対し池田大作は、関係修復工作を命じた。

 昭和四十九年四月、北條浩氏と二人で日達上人に面談に行ったところ、けんもほろろにあしらわれてしまった。

「学会は好き勝手にやれば良い。宗門は関係ない」
「謗法者をいくら増やしたって、当宗には何の関係もない」
「いくら折伏といったって、間違った教えを広めては何にもならない」
「池田さんを仏さんにしてやれば良いじゃないか」

 腹を立て、顔を真っ赤にした北條浩氏は、学会本部に帰り着くなり、後に有名となった“北条報告書”を書いた。
「本山の件
 九日の本山お目通りの際、猊下の話は大変ひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほど酷いものでした。……広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました」

「先生(註=池田氏)が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりに酷いので、かえすがえすも残念です。……学会が生き抜いてゆく為には、相手に信心がないなら、うまく使ってゆくか、徹底的に戦って、学会の旗を守って死んでゆくか、いずれにせよ、先生の最大のご苦心に触れる思いで決意を固めました。……学会が犠牲になるような戦いは絶対してはならないと思いました。……」
 一方、日達上人の方でも学会に対して宣戦布告した。

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     日達上人の反論と宗門――学会の対立激化(3)


「先月の中頃でしたか。私は北条副会長並びに山崎弁護士が来られましたときに私は申し上げました。そのとき国際センターを造ると、日蓮正宗国際センターを造るに当たって、創価学会と日蓮正宗との真ん中に、もう一つ上に日蓮正宗国際センターというものを造るという趣旨で来られました。私ははっきり断りました。

 日蓮正宗は日蓮正宗としての一つの宗教法人である。大聖人様の遺名に依って広宣流布を全うしなければならない只一つの宗旨である。それを、その上に一つ、日蓮正宗国際センターというものが出来るとなれば、正宗としてはその上に一つ、また被宗教法人ができる(ことになる)。我々は被宗教法人の下についていくんだから意味が無くなってしまう。

日蓮正宗としての意味が、又御戒壇の大御本尊をお守りしていると云うのも、今度は出来なくなってしまう。その上の宗教法人に於いてどうとかこうとか言われたらばこっちもその下につくんだから何ともする事が出来なくなる。その意味からはっきり断りました。どこまでも日蓮正宗はたとえ小さくても宜しいから、大聖人の教義を守っていきます。

又今皆様方のお陰で大きく成って居るけれども、(たとえ)もっともっと小さくなっても、どなたか又大きく手伝いをしてくれる人が(いつか)有るかも知れない。だから私はどこまでも大聖人の仏法を守ると云って、はっきり日蓮正宗の上につく日蓮正宗国際センターというものを、私は否定と云いますか、お断りしたわけでございます。

 それから端を発して、その後、最近の一年か二年かに亘る所の学会のいろいろな教義の違い、謗法のあり方という事も申し上げました。で、ついにその為に二人は帰って行きました。」

 その後、池田大作と三人で話し合ったが、池田も事態の深刻化に改めて対応に苦慮した。首脳達と宗門問題について会議を開くに当たって、資料作りを指示され、私と八尋頼雄氏の連名で作ったのが、やはり後に問題となった“山崎・八尋報告書”であった。

 その中で、日蓮正宗を「創価学会の外郭の一つ」と定義して完全に支配下に取り込むか、さもなくば折を見て手を切るか、と二つの道を提案した。池田の意によるものであった。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p82-7)

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        逆恨みした池田は経済封鎖に出た


 この時は結局、私が一対一で日達上人と直談判した上で、妙信講問題その他で親しく往来していた阿部総監代行(現法主上人)のとりなしにより、池田大作が頭を下げて何とか手切れはくい止められた。

 だが、創価学会側は、この時の日蓮正宗側の対応を深く恨んだ。池田大作は、とりわけ根に持った。そして“山崎・八尋報告書”に基づいて、日蓮正宗制圧へと着々と手を打っていった。

 池田大作の反撃は、昭和五十二年一月から始まった。元旦の挨拶を日蓮正宗攻撃で始めた後、日達上人の直弟子で、学会批判の言動のあった僧侶を選んで、青年部による集団つるし上げを行った。同時に、宗務院に対して「どう責任を取るのだ」と詰め寄った。全組織に命令をして「寺院に参詣するな。御供養するな。近づくな」と、経済封鎖を行った。

 池田大作は、暴力と経済封鎖で日蓮正宗を追いつめ、日達上人を退座に追い込むつもりだった。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p87)

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     正常化を願い頭を下げられた日達上人


 同年二月、私は日達上人から「内々で話したいことがあるから、(東京都)文京区西片町にある管長宅(大石寺出張所)へおこし願えないか」との招待を受けた。

 困ったことになったと思いつつ、人目を忍んで訪問したところ、日達上人は自らスキヤキ鍋でもてなして下さりながら「御承知の通りの事態で、困惑している。貴方の御尽力でせっかく元に戻ったと思ったのに、今の池田は、気が狂ったとしか思えない。誰か、池田を諫める人はいないですか」と切り出された。

「今回、“俺のやりたいようにやらせろ。失敗したら、また後を頼む”とクギをさされています。私も、見ている他ありません」と答えると、「笹川さんとか田中さんとか、誰か力のある人に頼んで、たしなめて貰うわけにはいかないだろうか」と重ねて尋ねられた。
「そういう人に言われても、従うような池田大作ではないし、そういうことの言える立場の人はいません」と言うと「やはり、そうですかねえ」と、ため息をついて、黙り込まれた。

 しばらく、黙々と二人でスキヤキを食べていたが、やがて日達上人は「自分としては、私情を殺して広宣流布のためと思い、先師方の後を継いで創価学会を立てて来たが、こうなっては、腹を決めるしかないな。私も歳だが、このままでは、霊山へ行って歴代の御先師方に会わせる顔がない。根性のある僧侶と、根性のある信者を頼りに、ひとつ戦うしかありませんな」と述べられ、私に「山崎さん、どうか、力を貸して下さい」と頭を下げられた。

 正直言って、重荷であり、困惑した。既に何とか後腐れのないよう、創価学会から抜けようと思って動き始めている最中である。これ以上、かかわりを持ちたくない。まして、池田大作を向こうに回して、余り勝ち目のない戦をするなんて、思ってみても恐ろしかった。しかし、目の前に、私を信頼してここまで打ち明けた老齢の御法主上人の姿がある。

 このとき、計算や打算、戦術や戦略といった考えを抜きにした気持ちが自分の中で動いた。

「当面のつるし上げは止めさせるよう、何らかの手を打ちます。しかし、長い目で見たとき、宗門と学会の間には、このままでは相容れないものがあることはもう御承知のことと思います。そのことを踏まえて、御判断されるべきでしょう。ただ、宗門は、あくまで法門と信仰のあり方の原点に立って、大義名分の上で行動されるべきです」
 日達上人は、何度もうなずかれた。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p88-9)

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     攻撃中止を進言、受け入れられる


 翌日、学会本部で北條浩氏に会った私は、単刀直入に「一切の仕事から手を引かせてくれ」と申し入れた。

 何事かと驚く北条氏に「今のような宗門攻撃を続けていたら、宗門側も耐え切れなくなって、なりふりかまわず反撃します。両者手切れになったら、妙信講問題も、松本勝彌氏の裁判問題も、総崩れになりますし、その他、諸々の事件も息を吹き返して収拾がつかなくなる。これ以上、自信がないから、やめさせて下さい」と告げた。

 どうしたら良いのか、と尋ねる北条氏に、これ以上、宗門側を追い詰めるのは得策ではないから、恩を売る形で攻撃を止めるように進言した。

「妙信講問題も、もうすぐ片がつくことだし、それからまた始めても良いではないですか」

 北条氏は納得し、池田大作らを説得した。私の強い進言ということで、首脳も同意した。秋谷栄之助氏だけが「もう少しで日達上人をやめさせられたのに」と未練げに言ったが、状況判断の誤りも甚だしいと腹の中で笑った。僧侶を甘く見てはいけない。明治生まれの人間の性根を見くびったらひどい目に会うぞ……と、自分にも言い聞かせた。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p89-90)

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     日達上人の反撃開始、池田のお詫び登山・会長辞任


 日達上人の反撃は、昭和五十二年七月、創価学会が民社党の攻撃で弱り切っているところを見透かしたように開始された。弟子の一人が池田大作の講演の誤りを正面切って指摘したのを皮切りに、創価学会の法義違背の指摘が大々的に行われ始めた。

「山崎さん、見てくれましたか。いよいよ始まりましたから、よろしく」

 日達上人がはずんだ声で電話を掛けて来た。

 腹背に敵を受けた形の創価学会は、ジリジリと後退した。

 池田大作は困ってくると私を使って解決しようとするが、ただ、私を利用して相手を騙そうとするだけだから、そんなことに黙って利用されるつもりはなかった。また、日達上人もそうした池田のやり口や下心を見抜いてしまっているから「今度はどんな話をもって来たのですか、山崎さん」と、ニヤニヤしながら聴かれる始末だった。

「一遍に追いつめると血迷って何をしでかすか解らんから、一歩一歩、段階を追って、押したり引いたりしながらやろう」
 日達上人は、自信を持って池田大作の料理に掛かった。

 そうした中で、昭和五十三年七月、教義上の諸問題についての訂正、九月、勝手に模刻した本尊の返納、十月のお詫び登山と事態は進み、五十四年四月には、池田大作の会長辞任へと発展したのであった。

 日達上人にしてみれば、一番手強い私を味方に付けたのだから、学会の対応は鏡に写すように解るし、相手の戦力は低下していると、楽に戦いを進められたに違いない。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p90-1)

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     金貸し業の習性が人間不信の性格に

 金貸し業の経験はさらに、池田大作に金の集め方、使い方と、物品に対する鑑識眼を教えた。
創価学会に於いては、職員一人一人の給与や住居から、細かい記念品に至まで、池田大作は念入りにチェックする。
財務の集まり具合を地域ごとにチェックし、良いところの幹部は優遇し、悪いところの幹部はいびり抜く。
信じられない向きもあろうが、池田大作は“金”と“人事”だけは、絶対に人任せにしないのだ。幹部も職員も、池田大作のめがねにかなわなければ昇給も昇進も覚束ないことを、骨の髄まで身にしみて知らされる。それが、池田大作の支配の手段なのだ。

 貴金属や美術・骨董品にも格別の関心を示す。
外部からの贈り物や貢ぎ物の刀剣や美術品を首脳の前に並べて「今回、塚本素山(塚本創業元社長、学会顧問。故人)のもって来たこの刀は意外と安物だ。ケチったな。以後、あまり儲けさせるのはよそう」などと言う。
 だが、池田大作の鑑識眼は小金貸しの域を出ないことは、自ら選り集めた富士美術館の自慢のコレクションの実に七割以上がニセモノだった、というデータを見れば明らかである。
成り上がり者には手の届かぬのが、美術品の世界である。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p108-9)

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     無能でえげつないくせに綺麗事で取り繕い文化人を気取る(1)

 池田大作は、こうした、実にえげつない手段と能力、作法でのし上がって来たにもかかわらず、これを極力隠し、文学者、芸術家、文化人を気取り、演出の限りを尽くす。

 昭和四十年、池田大作は富士短期大学に入学し、二年間在学したことになっている。だが、受講もせず、卒業試験も受けず、卒業論文を提出するだけで卒業の資格を与えられた。こんなことを許した大学側もいい加減なものだが、金の力でこんなインチキをして“短大卒”の経歴を買った池田大作もペテン師と言われても仕方あるまい。そして、その卒業論文も、池田大作が自分で書いたものではなく、すべて、桐村泰次氏(東大卒。原島嵩氏とともに池田大作のゴーストライターを務める。副会長)が代作したものである。太作が大作になり、大作が代作で大学卒の資格を取るなんて、これまた下手な洒落のような話である。

 池田大作は、『小説人間革命』を始め、おびただしい著作をこなし、また、数々の講演を行ってきた。全部、代作だが、彼はそれを、あくまで自分が自ら書いたように見せるため、原稿用紙に書き、そのコピーを幹部に配った。

 だが、『小説人間革命』は、篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務、外郭会社・東西哲学書院社長。同社は、東京・信濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ)の完全代筆であり、その他の著作、講演も、すべて“特別書籍”と呼ばれるゴーストライター群の代作である。

 特別書籍は、原島嵩氏をキャップに、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(前出)、野崎勲(京大卒、同)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成され、文字通り「池田大作著作工房」であった。その後、原島嵩氏は造反したし、人の出入りはあったが、代作師団は今も健在である。(続く)

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     無能でえげつないくせに綺麗事で取り繕い文化人を気取る(2)

“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライターの手に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。

 こんな池田大作の虚像作りに協力している学者や文化人の意地汚さは、もって知るべしであろう。

 池田大作は、写真機を持ち歩き、手当たり次第シャッターを切る。そして“池田大作撮影による写真展”なるものを各地で開いてきた。

 だが、池田が写真機を振り回すとき、側に聖教新聞のプロのカメラマンが必ずついていて、写真を撮りまくる。その写真が“池田大作の写真”として公表されるのである。写真も代作である。

 かつて、池田大作の写真がもてはやされ始めた頃、私は「先生はどこで、あの素晴らしい写真や美術の感覚を身につけられたのですか。子供の頃から、絵がお上手だったのですか」と尋ねた。
少し機嫌の悪かった池田大作は、ジロリと睨んで「小学校の時、タンク(戦車)の絵を描いたら、女の先生が『池田君、タワシの絵なんか描いてどうするの』と言った。それ以来、絵は描かぬことに決めた」と吐き捨てるように言ってから「歯の浮くようなお世辞は、君には似合わんよ」と言った。

 この時だけは、池田大作を少し好きになったものだ。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p109-12)

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    すべては異常なコンプレックスの裏返し

 池田大作の振る舞いはコンプレックスの裏返しである。
子供の頃の貧乏が金への執着となり、上流への憧れが、インテリタイプの女性への手当たり次第のお手つき行為となった。
下積みの経験が支配欲と化し首脳や幹部に対し事ある毎に忠誠を誓わせ、誓約書を書かせる行為へと走らせる。
食事の際、食べかけのメロンや料理を幹部に下げ渡してジッと様子を見る。
有難くいただけば良いが、私のようにそのまま次へソッと回そうとする奴は、目ざとく見つけて牽制の言葉を掛ける。

 実在する自分とその経歴が余りにも醜く、凄まじいからこそ、ことさらに美しく飾り立てようとする。腐っていく死体に香を焚き、化粧するのと同じである。

 当たり前の応対に対しても“馬鹿にされた”とひがむ。

 異常なコンプレックスの持ち主が、ゴマスリ集団に取り囲まれ歯止めのない自己肥大を続けていくと、池田大作のような人格ができ上がる。そして、そのエゲツない指針を金科玉条として実行する組織が、全体として、卑劣に、なりふり構わぬ自己中心に陥っていくのは、当然の成り行きといえよう。

 こうした組織の中で耐えられなくなった人間性の持ち主が、やがて一人、また一人と造反していく。そうした人達に対して池田大作は、恐れと憎しみを込めて「裏切り者!」「恩知らず!」と罵る。“弟子分帳”に記した名前に線を引きながら“地獄に堕ちろ”と呪詛する。そして、自ら無間地獄に落ちて行くのである。

(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p112-3)

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創価学会内部改革派 蘇生の選択 (2)

2011-03-03 15:17:24 | 日記
昭和55年から平成2年までは宗門との間は蜜月期間でありましたが、この間に富士大石寺および日蓮正宗のお寺にお墓を造った創価学会員はたくさん(何万人)居ます。



近いうちに宗門から離れて独立することは学会の首脳部は知っていたことです。首脳部だけでなく、副会長クラスはみんな知っていたのではとも思われます。支部長クラスでさえ、分かっていた人はかなり多かったのではないかと思います。

その蜜月期間である平成1年頃に自分は頻繁にお寺へ行っていたのですが、学生部の上級幹部から「お寺には行くな!」と言われました。

既にその頃(平成1年)には宗門からの離脱は創価学会の決定事項であり、上級幹部は知っていたようです。

考えるに昭和60年頃にもお寺を敵対視する傾向がありました。

つまり、この間に富士大石寺や日蓮正宗のお寺にお墓を造った創価学会員はどうなるのでしょうか??

つまり、騙されたと言うことでしょうか??

自分の知人は富士大石寺にお墓を造ったにも拘わらず、創価学会のお墓を90万円出して購入し、御墓参りにも行けずに、宗門に変わりたいが、創価学会の虐めというか暴虐が恐くて替われないと嘆いています。

その購入した創価学会のお墓はこの前、見に行ったら、野良犬がたくさん居て、荒れ果てていて、とてもこんな処には埋葬できないと嘆いていました。創価学会のお墓は野良犬の糞だらけだったと言っていました。それも高速道路で10時間のお墓です。ほとんど、どこのお墓も空だったと嘆いていました。誰もこんな処には埋葬しないだろう、騙された、と言っていました。
池田大作が亡くなった後の創価学会の様子を見て、宗門に替わるか替わらないかを決めると言っています。
こういう人は全国に何万人といるはずです。

また、自分の知っている日蓮正宗のお寺の住職は御墓参りに来た人を狙って折伏し、月3世帯以上の折伏をずっと続けています。すなわち、創価学会から日蓮正宗への移転者を月3世帯以上は続けています。

納得のいく説明をお願いします。


http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会内部改革派憂創同盟
戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ


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日蓮正宗の欺瞞体質を創価大学創設時に創価学会の首脳部は知ったということですが、原島嵩氏、山崎正友氏、福島源次郎氏、矢野絢也氏などすべて創価学会を辞めた後、富士大石寺に行っています。
誰一人、保田妙本寺へは行っていません。



すなわち、大御本尊が後世の贋作であることなどは関係ないと言うことでしょうか??

文証、理証より、現証ということでしょうか?

納得のいく説明をお願いします。


http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会内部改革派憂創同盟
戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ

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創価学会首脳部の余りもの高額な所得を知って、自分は始めは「財務するんだろう」と部員さん及び自分自身を納得させていましたが、財務するとしたら税金のことを考えるとあまりにも無駄です。



つまり、高額な報酬により、造反を起こさないようにしておくためのものであるとしか考えられません。

納得のいく説明をお願いします。

そして、池田大作の国内の豪華な別荘、海外の超豪華な別荘(これは欧米で激しく非難されていることであるが)、個人資産が2兆円を超えること、これらをどう弁明されますか??


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創価学会内部改革派憂創同盟
戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ

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       “うつ”の病床より起き上がって(1)

              創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上




 1週間近く、寝込んでいた。今日の昼からの当直の勤務には必ず行かなければならなかった。
 
 僕は決意した。
 僕は創価学会のままで死ぬまで生ききろう。
 以前は、創価学会の看板を背負って歩いていた。
 重かった。
 でも、元気だった。
 とてもとても、元気だった。
 僕は創価学会っ子として育ってきた。
 御本尊様と育ってきた。
 厳しい少年時代だった。

 今まで、厳しい状況にありながらも元気一杯の創価学会員をたくさん見てきた。
 社会の底辺にあるにも拘わらず、彼らは元気だった。
 これが創価学会だ!とその度に思った。
 創価学会員は厳しい状況に置かれることが多くあった。
 でも、彼らは負けてはいなかった。
 厳しい状況にあっても彼らは元気だった。

 自分は崩壊し始めている創価学会を立て直すために余命を捧げようと決意した。
 すると“魔”がどんどんと襲ってくるかも知れない。
 やっぱり“魔”は恐い。

 どうしようかと考えたが、今からは再び創価学会に完全復活して創価学会を立て直そう、池田大作によって破壊されかけた創価学会を立て直して行こう、と決意した。
 獅子身中の虫とは池田大作のことであったことを創価学会員に理解させて、創価学会を立て直して行こう、と決意した。


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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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       “うつ”の病床より起き上がって(2)

              創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 もう一度書く。
 獅子身中の虫とは池田大作のことである。
 このことを忘れてはならない。
 そうして創価学会を立て直して行くのだ。
 このままでは創価学会は崩壊して行くことは明らかなことだ。
 
 戸田会長の時代に戻ろう、をスローガンにして行けば良いのだ。
 選挙は捨てよう。
 ここまで大きくなった創価学会だから社会奉仕をどんどんして行こう。
 そうして社会からも認められることだ。
 今までは社会を敵に回すことばかりしてきた創価学会だったけれども、これからは社会を味方に付ける創価学会に変わるのだ。
 そうすれば、広宣流布もどんどん進んで行く。
 
 池田大作が全て悪い。
 それに追従してきた人達は追従せざるを得なかった。
 池田大作に苦言を言うことは許されない状況だった。

 民衆救済への燃えるような情熱の中に日蓮大聖人の魂は存在する。
 民衆救済への情熱がない処には日蓮大聖人の魂は存在しない。
 見延山に日蓮大聖人の魂が存在しないように。
 見延山には大聖人の遺骨もたくさんある。
 大聖人の書かれた御本尊もたくさんある。
 見延山は大聖人が晩年時代を過ごされた処だ。
 しかし、そこは謗法の山と化し、大聖人の魂は住まわれていない。

 三障四魔が吹き荒れるであろう。
 しかし民衆救済への燃えるような情熱を持って打ち破って行くしかない。



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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上
 
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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(1)

         創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 中枢部は堕落しているかも知れませんが、末端は未だに燃えています。
 末端は未だにかがり火のようながらも民衆救済の情熱があります。
 折伏大行進時代のような燃えるような情熱ではなく、かがり火のようですけど未だに燃えています。

 藤原範昭氏が立たないならば僕、三船敏郎が立ちます。
 僕、三船敏郎は“うつ”の病床の中で苦しみながら考えました。
 このまま世の中を真っ暗闇にしてしまってはいけない。
 せめて、この日本だけでも広宣流布しなければいけない。
 いや、世界を広宣流布しなければいけない。
 でも、今のままでは絶対に不可能だ。
 今まで選挙運動に用いてきた力を全て社会奉仕活動にあてる。
 政治には今後一切関わらない。
 すると創価学会票を目当てに自民党か民主党がすり寄ってくるでしょう。
 創価学会は自然とそれら大政党から護られるようになります。
 今までは激しい選挙運動で社会を敵に回してきた。

 中学1年生のとき、中等部総会へ向けての毎日2時間の唱題の中、自分は喉を病み、今も喉が悪く大きな声が出ない状態です。
 自分は大きな総会の司会役になっていました。
 そのため中等部担当の人から毎日2時間の懸命の唱題を指導されたのでした。
 力を込めて祈るんだ、力を込めて一心不乱に祈るんだと指導されました。

 未だ五座三座の勤行が当然だった時代のことです。
 2時間の唱題に五座三座を加えると一日2時間45分になります。
 中学一年でしたから速い読経はしていませんでした。
 毎日夜遅くまでかかって2時間の唱題を終えていました。
 毎日夜遅く、自分は法悦に浸っていました。

 科学技術の発達した今日、御本尊がコピーであっても改竄されても、それで良い時代です。
 日興上人の御自筆の御本尊でも良いでしょう、日蓮大聖人の御自筆の御本尊でも良いでしょう、長い年月のために読み取り困難になった処などはパソコンで加工処理をして綺麗にするべきでしょう、そして創価学会員に配るのです。
 
 日寛上人は富士大石寺の偽りに満ちた教学を集大成させたとの悪口が非常に盛んです。
 日寛上人の御本尊を回収して日蓮大聖人または日興上人御自筆の御本尊に取り替えるべきと思います。



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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(2)

         創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上



 日寛上人が他の興門派すなわち富士派から非常に悪く言われていたのを知らなかった、あまりにも無知な創価学会首脳部が悪い。
 日寛上人の御本尊を創価学会員の家庭に配ったのだから“うつ病”などが異常多発したのはその為です。
 第一、日蓮正宗の大御本尊は贋作と決定された物です。
 創価学会は早く日蓮正宗への未練を断ち切るべきです。
 日蓮正宗から早く完全に脱皮するべきです。

 日蓮正宗の大御本尊は昔から贋作といわれてきたものです。
 日蓮正宗は大聖人遺文も含めて贋作が非常に多いことで有名です。
 その為、日蓮正宗は昔より日蓮宗興門派から贋作教団と揶揄されてきました。
 保田妙本寺が正統で日蓮正宗は正統ではありません。
 日蓮正宗はほとんど存在意義がない教団です。
 日蓮正宗は偽りの教団であります。
 早く日蓮正宗から脱却するべきです。
 日蓮正宗は問題視する価値もありません。
 
 独立路線は正しいと思います。
 僧侶に信仰心がないならば在家が指導者となるべき時代です。僧侶は読み書きができるが、百姓は読み書きができない日蓮大聖人御在世とは異なります。
 日蓮大聖人御在世当時は僧侶や武士以外は読み書きができなかった時代でした。
 人口の大半を占める百姓は読み書きができない時代でした。
 その時代と今は違う。
 僧侶・神社・仏閣はもはや観光名所に過ぎません。
 観光名所を信仰しても意味はありません。 

 信仰心がない僧侶をたくさん見てきました。
 信徒の方が信仰心が篤い、という状況をたくさん経験してきました。
 信仰心の薄い僧侶が信仰心の篤い信徒の説教することはおかしなことであると、その度に思いました。
 現代は僧侶は不要です。
 学会葬が正しい在り方です。
 生前、良く知っていた地区部長、支部長、本部長が導師となって葬式を行うべきと思います。
 それが真心の葬式になります。
 信仰心の薄い、今まで全然知らない人が来て導師をしてくれても全然嬉しくない。
 儀典部は廃止するべきです。
 今まで何も知らない会館やお寺の人が導師をするよりも、今まで親交のあった信仰篤い人が導師をするのが本当です。
 それが正しい葬式の姿だと思います。
 僧侶と言っても信仰心が無く、それを職業としているだけという僧侶をたくさん見てきました。
 信仰心が本当にある僧侶は一部分に過ぎませんでした。

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  藤原範昭氏へ  革命のときは来ました(3)

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 現代は僧侶は不要、お寺も不要、過去の物であり観光の物の時代、僧侶もお寺も観光名所に過ぎない時代と言われてきました。
 しかし、専門家は違う、と思うこともあります。
 すなわち、信仰心が弱いと思われる僧侶であっても、やはり僧侶だ、と思われることが時々あります。
 信仰心の薄い僧侶であっても僧侶としての“気”という物を感じることが時々あるのです。

 また、お寺にも代々の魂があるのではないかとも思えます。
 お寺に入るだけで「何なんだ! ここは!」という凄まじい“気”を感じることがあります。

 勤行も題目三唱だけでも良いのです。題目三唱もしなくて良いのです。創価学会の短縮された勤行は正しいのです。

 ただ、御観念文に「池田大作」を入れてはいけない。
 池田大作は戸田先生が造られた広宣流布への軌道を壊した大悪人です。
 自我の欲望のために悪魔に魂を打った堕落してしまった人間です。

 池田大作が現れなかったら広宣流布はすでに達成されていたでしょう。
 少なくとも日本の広宣流布は達成されていたはずです。
 日本国民は救われていたはずです。
 そして世界広布も進んでいたはずです。

 池田大作は元から野望の固まりのような人間でした。
 元から「天下を取ろう」が口癖だった人間です。
 妄想型統合失調症の極軽症である可能性はかなり高いです。

 一人一人の胸の中に仏性があります。
 これはスピリチュアルのシルバーバーチもそう書いてあります。
 スピリチュアルで最も信頼のできるシルバーバーチです。
 しかし、シルバーバーチは力がない。
 日蓮大聖人の信仰は歓喜がある。
 得体の知れない不思議な歓喜があります。
 明日を心配することが無くなります。
 元気になります。
 この歓喜が日蓮宗富士派にはあります。
 それだから生命力が強くて分派も多くしてきたし、広まってきたのです。

 創価学会が大きくなったのも日蓮宗富士派に共通の目から火花が飛び散るような強い歓喜がそうさせたのです。
 悲しみも喜びに変える力があります。
 苦しみも歓喜に変える力があります。
 だから創価学会は大きくなったのです。
 そして池田大作が悪鬼を大量に創価学会に雪崩れ込ませなかったら創価学会員は幸せになり必然と広宣流布は成就されていたのです。

      (完)

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 池田大作が権力の魅惑に囚われてしまって広宣流布と民衆救済を見失ってしまっただけです。池田大作が間違ってしまって創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって広宣流布が頓挫したのです。
 創価学会を立て直せば良いのです。創価学会は権力志向を捨てなければなりません。政治は戸田先生の仰られていた通り参議院に限定するべきです。総体革命は捨てなければなりません。戸田先生の純粋だった創価学会に戻すべきです。戸田先生の講演集を御書のようにして行けば良いと思います。公明党、民音、博文堂など存在価値が全く理解できない余計な物は解散するべきです。それらの存在意義は無いと思います。しかし、宗門にも腐敗は存在すると思います。
 創価学会は独立して世界広布に向かっていっても良いと思います。しかし、このことは世界広布を考えると確かに一考しなければいけないと思います。難しい問題です。ただ、池田大作はたしかに完全に間違っていたと思います。


今の創価学会には選挙と財務だけで広宣流布、民衆救済の情熱が薄れています。創価学会は折伏をしなくなっています。これは改めるべきことです。
 





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平成4年、最高幹部の納税額(所得ではありません)が以下のようになっていました。

名 誉・池田 8,715万円
会 長・秋谷 1,842万円
副会長・八尋 1,761万円
理事長・森田 1,387万円
副会長・上田 1,301万円
副会長・青木 1,024万円

秋谷さんの月収が460万円、副会長(2、300人いましたか)が200~400万円。
池田さんには専用施設が全国にもあり、箱根には温泉もあったんではなかったですか。海外に行くときには、お抱えの料理人に、専用の椅子まで持ち込もうとして顰蹙を買ったときもあったといいます。ゴルフだ、家族での温泉旅行より、ずっと金満じゃないですか。別段、会員は、騙され搾取されて気の毒だとは思いますが、こんなトップに傅いておいて、他宗の坊さん批判もないものだということです。


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 池田大作の精神病理(1)_______________



 池田大作は妄想型統合失調症(軽症)に罹患していたと考えられる。

 以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして誇大型妄想性障害を説明する。
 妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
 妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳頃に発病する。
 妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。

 下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症(軽症)であることを支持する。


 池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった――――統合失調症者特有の妄想である

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。――――統合失調症者の特有の被害妄想と自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想のためである(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)


『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。―――――これを「大学ノート事件」という
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』――――統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートで間違いない。(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)


 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。―――――これは自分が日蓮大聖人よりも偉いという妄想のためで間違いないと思われる。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)


 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。これは(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)に書かれてある。
「池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
『私は現代の救世主である』
『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
『世界の盟主である』
『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
『今、私には天下を取ることが見え始めた』
『私は太陽の帝王だ』」


 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」―――――――これは池田大作の芝居と元学会幹部は考えたが、統合失調症に特有の妄想である。


 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めた―――――――これを側近は芝居と見ているが、本当の幻聴であった可能性は極めて高い。

 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました―――――――これは演出ではなく池田大作は本当にそう信じていたものと思われる。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p208)

大蔵商事で金を集める時、金のある家を特定することが極めて上手であったことーーーーーこれは統合失調症に特有の霊感であろう

ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー人格崩壊である

子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー人格崩壊である

ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー人格崩壊である

海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー人格崩壊である

全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー人格崩壊である


 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築が出来上がっていることを示唆する


 日蓮大聖人の信仰は「気宇壮大」になる傾向がある。これは日蓮大聖人の信仰を行った者にしか解らないかもしれない。創価学会の折伏大行進の時、精神病院に緊急入院する患者は非常に多かったが、彼ら彼女らは全て気宇壮大(軽い躁状態とも言えよう)になっていた。気宇壮大になるという特殊性を考慮しなければならない。
 気宇壮大になると、万能感、自分は選ばれた人間だ、という思いに満ち溢れる。このために精神障害と診断された創価学会員は多かった。しかし、最近は勤行唱題が熱烈には行われなくなった故か、万能感などに満ち、精神障害と診断される創価学会員は非常に少なくなった。
 上記の高居広居氏のインタビューへの答えは自然な妄想よりも不自然な妄想と捉えられるものがあり、すでに昭和40年には池田大作は妄想型統合失調症(軽症)に進んでいたと考えるのが妥当である。自然な妄想であれば誇大型妄想性障害である。ここは意見の分かれる所と思われる。筆者は不自然な妄想と捉える。
 池田大作の妄想型統合失調症(軽症)は創価学会の信仰故に誘発されたものと思われる。
 自分が大聖人よりも偉いという妄想が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という妄想と滅裂思考のためと考えられる。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという妄想と滅裂思考から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、妄想型統合失調症(軽症)が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
 妄想型統合失調症(軽症)の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想にしがみつき、宗門支配を企んだが失敗し、破門になった。
 池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気のように懸命に走らせた。大阪事件、炭労問題、などに狂気のような執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である。
 会長になってからは日本征服の野望(妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
 同時放送には人格崩壊した末期の統合失調症者の姿を晒しているが、その支離滅裂なスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーー“キンマンコ“はその一つである
 創価学会員は妄想型統合失調症(軽症)を神様のように崇めてきたことになる。

【終わりに】
 統合失調症を疑われながらも無治療のまま放って置かれている患者は多い。軽症であるためである。変人扱いされながらも彼らは元気に生きている。彼らには妄想構築がすでに出来上がっており、半分以上は妄想の中で、半分以下は現実社会の中で生きている。80%は妄想の中で20%は現実の中で生きていると言って良い。それでも会社員・公務員として充分にやってゆける。結婚もし、家庭も築いている。現実社会を生きてゆく上で問題となるのは性格の優しさ、素直さである。
 妄想性障害も疑われたが、妄想性障害とは老年者・中年者に多く、若い人には少ない(少なくとも筆者は若い妄想性障害の患者の経験がない)。妄想性障害の患者が「私は宇宙と語る」「私は太陽の皇帝だ」「自分は大聖人よりも偉い」という現実離れしたことを言うことは考えがたい。残るは統合失調症のみである。また、頻度から言っても圧倒的に統合失調症が多い。創価学会員の統合失調症発症の割合は一般の4倍というのが妥当と思う。創価学会員はうつ病性障害もパニック障害も多いが、統合失調症も多い。
 宗門制覇にしても妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直すであろう。妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”といわれていた池田大作はやはり鉄のような妄想が構築された統合失調症しか考えられない。筆者は自己愛性パーソナリティ障害の患者を診察したことが一度ある。彼は現実を見直す余裕を持っていた。診察するのは圧倒的に統合失調症の患者である。頻度的にも統合失調症が考えられる。
 大幹部の悪口を長々と書き綴った「大学ノート事件」にしても構築された妄想の中で書かれたと考えられる。統合失調症の患者は大学ノートのようなものに被害妄想の対象と成った人の悪口を綿々と書き綴るものである。そのノート1冊で診断がつくと言っても過言ではない。
 池田大作はおそらく全く診察も受けていないのではなかろうか。勲章・メダル獲得に執念を燃やす金日成・文鮮明・ドクター中松らは統合失調症で間違いないと思われる。現代の新興宗教の教祖はほとんどが統合失調症である。鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。


      (以上、推敲なしで脱稿する)

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http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

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 池田大作が三宅女史に宛てたラブレターが(池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009:p262)掲載されてある。

「体で見たことをゆう。                    爾の願いを高めよ。
 体で見たことを書く。                    爾の願いを潔めよ。 
 体で見たことを行う。                    爾の願いを深めよ。
 目で見て見えるか?                     爾の願いを広めよ。
 耳で聞いて聞こえるか?                   私欲を離れた願いならば
 体で読んだものが本当だ。                  死ぬまで願いつずけよ。
 体で祈ったものは実現する。                 諦めるから叶わぬ。
 体で語ることは誰にも見える。                応答を信ぜよ。  
 体で悟った真理だけが我がものである。            正しき願いは実現する。」

 私は精神科医として統合失調症者のノートや手紙を頻繁に読むが、まさしくこれは統合失調症者のノートや手紙と一緒である。
 すでに池田大作はこの頃、統合失調症の初期段階にあったと言える。
 統合失調症者のノートや手紙は何を言っているのか分からない。そして支離滅裂であることが多い。 
 統合失調症者のノートや手紙は意味が錯乱し、混乱している(ここまで本気)。
 これはクソ君がお萩姫に宛てたラブレターと似ている(これは冗談)。

 三宅女史は言う。「私はね、なんていうのかな、池田のことは、少しも好きだの、この人がいいとかという恋愛感情が全然なかったのです。」

 三宅女史は更に言う。
「詩をみた時は、どこかの文章を引っ張ってきたのかな~、てな感じ。
普通だったら、男性から手紙を貰ったらときめくじゃない。
ちょうど歳は二十一? 
彼は何歳? 
あ、歳忘れた。
なにしろ、あの人が夜学に行っていて、私は大学(早稲田大学)行ってる頃ですから。
いろんな交際範囲もあるわけですよ、わたしにも。
あの人だけじゃないわけ。
彼はもう夢中になってね。それで私のところに来て、「写真なんとか一枚欲しい」といったから、「私の写真あんまりないけど」といってね、まあちょっとした写真あったから、あげたら大事に大事に定期の中に入れて持ち歩いていたという話があったんですけど、私さ、悪いんだけど、全然好きでもなんでもなかったんですよ。
食用カエルの大きく成ったようで気持ち悪かった。」

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http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

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 池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説(1)_________________
 
 筆者は以前から、統合失調症であっても極少量の抗精神病薬の服用で十分である統合失調症の存在に気付いていた。このときの抗精神病薬の服用量はハロペリドールにして一日1,5mg であった。軽い幻聴のみであったから病院に来ないで済ます患者は多いと考えられる。池田大作はこれの妄想型に相当すると考える。これを統合失調症(軽症)と名付けることにする。

 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房)。

 以下に、参考のため、妄想性障害を説明する。(今まで筆者は池田大作は妄想性障害で止まっていると考えてきた)
 妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
 妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。
 妄想性障害は妄想性パーソナリティ障害と連携を持ち、妄想性パーソナリティ障害から妄想性障害へと移行することが多い。しかし、妄想性障害には抗精神病薬の投与は必要なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。

 上記の高居広居氏のインタビューへの答えは自然な妄想よりも不自然な妄想と捉えられるものが多く、すでに昭和40年には池田大作は妄想型統合失調症(軽症)に進んでいたと考えるのが妥当である。
 妄想型統合失調症(軽症)は、変人・困った人と思われるだけで、無治療のまま人生を全うすることも可能である。しかし、高頻度に老人性精神障害を起こす。(続く)

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http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

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 池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説(2)_________________


 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に言って喋り始めた。これを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性も高い。

 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p208)

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)

『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。(続く)

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http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

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 池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説(3)_________________



 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)

 日蓮大聖人の信仰は「気宇壮大」になる傾向がある。これは日蓮大聖人の信仰を行った者にしか解らないかもしれない。創価学会の折伏大行進の時、精神病院に緊急入院する患者は非常に多かったが、彼ら彼女らは全て気宇壮大(軽い躁状態とも言えよう)になっていた。気宇壮大になるという特殊性を考慮しなければならない。
 気宇壮大になると、万能感、自分は選ばれた人間だ、という思いに満ち溢れる。このために精神障害と診断された創価学会員は多かった。しかし、最近は勤行唱題が熱烈には行われなくなった故か、万能感などに満ち、精神障害と診断される創価学会員は非常に少なくなった。
 池田大作の妄想型統合失調症(軽症)は創価学会の信仰故に誘発されたものと思われる。

 彼には学歴のない劣等感、本を書けない劣等感が常につきまとっていた。その劣等感が彼をいじけさせ、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる(また、これはやはり妄想に基づいた人格破綻を彷彿とさせる)。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それは妄想型統合失調症(軽症)を示唆するものである。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、それらは人格破綻を示し、彼が妄想型統合失調症であることを示唆する(しかし、これは人格破綻ではなく傲慢と片付けることも可能である。側近は傲慢と考えていた)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、妄想・人格破綻が見逃されていた特異な症例と思われる。

 創価学会員は妄想型統合失調症(軽症)を神様のように崇めてきたことになる。

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        池田大作の精神病理


「あらゆる星が北極星を中心として動いているように、世界は私を中心として動いている。私は秩序そのものであり、法律そのものである」
                       ―――――シェークスピア 「ジュリアス・シーザー」よりーーー

 
 宗門からの破門は、すべて池田大作の醜い野望から来た。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)または妄想性障害(Delusional disorder、別名:パラノイア)に罹患しており、自分がトップにならないと気が済まなかった。それ故に自分が宗門よりも上に立つために「日蓮正宗国際センター」を作ることを日達上人に進言した。「日蓮正宗国際センター」のトップはもちろん池田大作であった。それを日達上人が認めることは考えられない。しかし、池田大作は自分が世界で一番偉い者であるという妄想のため、それを恥ずかしげもなく、進言したのである。
 そして平成の宗門からの独立は池田大作がトップになるための策謀であった。池田大作には信仰心が全くなく、宗門と手を切って自分がトップになりたかったのである。それを黙認した(黙認せざるを得なかった)創価学会中枢部幹部達も罪は大きい。

 以下は昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」
「私は現代の救世主である」
「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」
「世界の盟主である」
「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」
「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
「今、私には天下を取ることが見え始めた」
「私は太陽の帝王だ」

(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方 有紀書房:1965)

 すなわち、池田大作は精神病院閉鎖病棟に入るべき人間だったのであるが、巨大な宗教団体のトップであったため、その狂気を見逃されてきたのである。
原島嵩氏はこれを池田大作の“思い上がり”としているが、これは“狂気”である。

 池田大作は戸田門下生を排除してゆき、周囲を池田門下生のみとした。それ故に、池田大作を諫めることのでき得る人間は周囲にいなかった。

 池田大作のために罪のない我々、末端の創価学会員まで不幸にさせられてはたまらない。池田大作の死後、創価学会員の宗門への復帰をお許し願いたい。

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池田大作と文鮮明

 創価学会の池田大作、統一協会の文鮮明、そして他の教団のトップにも似たものがいる。彼ら、一代で成り上がったものは、共通して勲章、名誉称号を買い漁る。池田大作と文鮮明はその数を競い合っている。ともに二百個を越えている。すべて金で買った勲章、名誉称号である。

 彼らに共通していることは、貧しい少年時代である。そして学歴もない。たくさんの信者に窮乏生活を強い、お金を巻き上げる。そして限りなく貪欲である。たくさんの信者の苦しみ悲しみを何とも思わない。その貪欲さは本当の偉人であるマハトマ・ガンジー、キング牧師などにはなかった。

 勲章、名誉称号を金で買い漁ることは、自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)または妄想性障害(Delusional disorder、別名:パラノイア)によく見られるものである。自分を神に例え、信者から金を巻き上げ続ける。自己愛性パーソナリティ障害はほぼ大部分、妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)を伴う。妄想性パーソナリティ障害は自分の部下を信じない。それ故に部下の忠実さを図るために自分の食べ残したものをお下げして食べさせる。食べない者には反逆者の烙印を押す。
 また、妄想性パーソナリティ障害は頻繁に妄想性障害へと発展する。

 池田大作、文鮮明はすなわち精神病者なのである。しかし、彼らにその病識はない。彼らは贅沢の限りを尽くした毎日を送り続けている。彼らに罪悪感は微塵もない。彼らは選ばれた崇高な人間と自分自身を考えている。そして信者達を金を貢ぐ奴隷のように思っている。

 以下は昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。

「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」
「私は現代の救世主である」
「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」
「世界の盟主である」
「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」
「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
「今、私には天下を取ることが見え始めた」
「私は太陽の帝王だ」

(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方有紀書房:1965)

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創価学会内部改革派 蘇生の選択 (1)

2011-03-03 15:13:47 | 日記
     創価学会内部改革派 蘇生の選択 no.1
                                        創価学会改革派雄志                                  





 創価学会内部改革派憂創同盟は解散せざるを得ない。新しく創価学会改革派と呼ぶことにする。Xデーは近く、創価学会には大きな改革が必要になる。衰退か発展かの岐路に立っているのが現在の創価学会である。
 衰退論が多く、創価学会が発展すると読む評論家は皆無である。今のままでの創価学会では衰退するしか方法はないであろう。逆に、発展するためには大きな改革が必要となろう。創価学会の分裂をも辞さない強い大きな改革しか創価学会がこれから発展するためには残されていない。

 創価学会は以前の燃えるような力は今はない。折伏大行進のときの燃えるような情熱は今の創価学会にはない。今の創価学会は池田大作の権力奪取の野望のために選挙と財務のみに力を入れるようになっている。折伏をしない団体に変質してしまっている。
 宗門に次々に移転する者が続出してきている。未だ池田大作は存命だが、脳梗塞により車椅子生活になっている。池田大作が同時放送のような会合に出席しなくなってから半年を超える。脳梗塞により話すことも困難になっているものと推察する。

 もはや池田大作は死んだも同じであるが、誰一人、改革ののろしを上げる者はいない。信仰心のある者は既に日蓮正宗法華講に移ってしまっているのである。

 信仰心のある者は20年前、言論問題の起こるまでは非常に多かった。創価学会員の信仰心が醒めていったのは、熱心な創価学会員の多くが日蓮正宗法華講に移ってしまったためと、選挙至上主義となり折伏を行わなくなったことが大きく影響しているように思えてならない。そして聖教新聞の連日に亘る池田大作礼賛に特に壮年部・男子部に信仰に対して嫌気が差してしまった会員が続出してしまっているからである。

 また、インターネットの普及が創価学会員の信仰心を弱めた大きな一因でもある。インターネットにより創価学会批判サイトを読み、創価学会の信仰への信仰心をなくしてしまったものが続出したからでもある。
 また、御本尊が日寛上人の御本尊に換えられたことにより、勤行唱題しても歓喜が湧かなくなり信仰心が減弱していった者が極めて多数存在する。


(feb 25,2011)

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(feb 25,2011)
 創価学会改革派は創価学会より池田大作の悪を取り除くことを目的としています。
 トップが悪ければ、そこから悪鬼がその団体に雪崩れ込んでくると言う御文があります(しかし、何処にあるのか、外典にあるのではと思われます。少なくとも日蓮大聖人御書全集には無いようです。あれば教えて下さい)。
 増上慢の固まりの池田大作により悪鬼が創価学会に大量に雪崩れ込みました。そして創価学会員に不幸が次々に起こるようになりました。
 戸田先生の時代に言われていた「この信仰で病気を治す」は池田大作の時代になってから次第次第に不可能になってきました。
 創価学会の信仰を熱心にすればするほど不幸になるようになってきました。
 その一つがうつ病性障害などの精神障害の異常多発が創価学会員に起こることです。
 うつ病性障害などの精神障害の多発は副会長クラスには少なくとも昭和50年の頃から言われてきたことです。
 それが増えたのが日寛上人の御本尊に変えてからですが、時期が一致したに過ぎないかも知れません。
 それは、ただ、インターネットの普及によって、うつ病性障害などの精神障害の異常多発が一般会員にも認識され始めたに過ぎないと思われます。
 創価学会は昭和50年の頃から既にうつ病性障害などの精神障害の異常多発が起こっていました。平成になってからではありません。
 文献的には昭和50年頃の「精神医学」という精神医学専門雑誌に論文が載っており、それを自分は読みました。
 しかし、昭和50年以降は、創価学会のマスコミ支配というか、創価学会を悪く扱う論文は決して掲載されなくなりました。
 東京では国立図書館へ行けば読むことができると思います。
 地方では医学部の図書館へ行ってもなかなか昔の精神医学専門雑誌は置いていません。
 大学病院の図書館に行かなければ置いていないと思います。
 自分が見てきた限り、少なくとも日蓮正宗法華講にはうつ病性障害など精神障害の異常多発はありませんでした。
 しかし、保田妙本寺の信仰を始めて5日目に自分のうつ病性障害は4年半ぶりに再燃しました。そのため自分は保田妙本寺を否定しています。日蓮正宗法華講の時および創価学会内部改革派のときが自分は一番調子が良かった。4年半前に創価学会内部改革派と名乗り始めるとともに10年来のうつ病性障害は劇的に寛解していました。
 江戸時代に質に出され質流れしたときに保田妙本寺の末法万年救護の大本尊から日蓮大聖人の生命は去られたのだと思うようになりました。
 その悪鬼を追い出すためには池田大作の否定、池田大作の悪を一般の創価学会員に知らしめることと思います。それを秋谷会長が中心になって行ってくれることを期待しています。聖教新聞に池田大作の間違いを1面から書き連ねることです。そうしないことには創価学会は衰亡していくより他に道はありません。
 創価学会が人類を救う団体となるためには池田大作を完全否定することです。そうすると創価学会は蘇生するでしょう。
 そしてもう一つ、御本尊の問題がありますが、現状のままで良いのかも知れません。
 しかし、日蓮正宗法華講の御本尊には目が醒めるほどの力があります。実家の日達上人の御本尊には目が醒めるほどの力があります。
 御本尊をこのまま日寛上人の御本尊にしていて良いかどうかは、非常に議論するべきことと思います。

 自分も小学3年の頃から勤行唱題しています。自分の場合は自分から勤行唱題するようになりました。家は貧乏のどん底でありましたが、退転状態に近かったのです。
 厳しい少年時代を実家の日達上人の御本尊様と生き抜いてきた思い出があります。
 日蓮正宗には日蓮大聖人の命が流れていると考えるより他に方法はないと思います。
 教義などは後世の作り物としても、日蓮正宗には日蓮大聖人の命が存在していると思います。
 日蓮正宗には池田大作のような大悪党は存在しません。池田大作は重症の人格障害患者です。軽症の妄想型統合失調症なのかも知れません。  
 最近、池田大作には脳腫瘍が発見されたと週刊誌に書かれてありましたが良性の脳腫瘍であり、池田大作は器質性の精神疾患であった可能性が高いです。その脳腫瘍は池田大作が若い頃から存在していたものと思われます。10代の頃から存在していた可能性は高いと思います。頭部MRIの精神医学への導入により非定型精神病の患者には高頻度に見つかるものであることが分かってきました。

 教義なんて信者を煙に巻くための道具に過ぎません。教義とは信徒を隷属させるための道具に過ぎません。教義は捨てても良いのです。教義は時代とともに変遷してゆくべきものと思います。
 創価学会は池田大作の死とともに大変革が始まらなければなりません。池田大作によってねじ曲げられた創価学会を正しい信仰団体に蘇生させてゆくことです。
 民衆救済という日蓮大聖人の御精神を受け継いで、苦悩する人々を本当に救ってゆける信仰団体に蘇生させるべきです。
 日蓮大聖人の御精神は民衆救済の大情熱が全てと思います。民衆救済の大情熱のなかに日蓮大聖人の魂は住まわれると確信します。

      (完)
(feb 25,2011)
http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会内部改革派
戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ

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 創価学会は日蓮正宗、保田妙本寺などとは組まず、独一の路線を取るべきと思います
                                by 三船敏郎

 この前まで、保田妙本寺と組むことを盛んに推奨してきましたが、保田妙本寺は悪霊の館と自分は判断しました。あそこには日蓮大聖人の御精神は住まわれていません。
 創価学会は世界宗教として発展するためには独一路線を貫くべきと思います。
 日蓮大聖人の御精神は民衆救済の大情熱の中に自然に住まわれると確信するからです。
                 
 池田大作が生きている間は創価学会の中には悪鬼が充満していました。そして学会員に不幸なことが起こりすぎていました。その宗教団体のトップが悪鬼のような人間であると、その宗教団体に悪鬼が雪崩れ込むことは文献を示されなくても分かることです。

 宗教というものは理論では説明不可能と思います。人智を超越した所に宗教があるのです。人間に宗教を理論で分からせることは不可能です。どんなに優れた人間にも宗教を理論で分からせることは不可能です。以前、宗教問答が行われていましたが、あれは全く無駄なものでありました。人智を越えた所にある宗教を人間の問答で勝ち負けを判定することは不可能であり、無駄なことです。

 日蓮大聖人は不幸に沈む民衆を救うために一人立たれました。苦難の人生がそれから始まりました。しかし日蓮大聖人は不幸に沈む民衆を救うために一歩も退くことなく戦い抜かれました。不幸な人を救うという慈悲の中に日蓮大聖人の御精神があると思います。

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 原島嵩氏は池田大作の本性として14項目に分類し分析している。
1)コンプレックスの固まりです。
2)「嘘つき」の天才です。
3)無反省体質です。
4)権勢欲、名誉欲の権化です。
5)支配欲の固まりです。
6)慢心の固まりです。
7)「人を信ずることができない」性格です。
8)「被害者意識」が強い性格です。
9)批判拒否体質です。
10)「ナルシスト」です。
11)「人心操作術に長けています」。
12)「教学力」が全くありません。
13)「色欲」の凄まじさです。
14)「金銭欲」「物欲」の執念です。

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       正本堂の怪

 正本堂は当時、超一流の建築家として名を馳せていた日達上人の甥が設計施工したと聞く。戸田先生の甥だったかも知れない。大金で買収したと思われる。
 正本堂は東海大地震が来ると倒壊するように軟弱に造られていた。そして大御本尊前の池田大作の半裸体のレリーフも池田大作の命令で設計施工した者が故意に造ったものと思われる。
 少なくとも昭和45年頃にはすでに池田大作は宗門からの独立を考えていた。新しい本山をアメリカの創価大学近郊に造る計画を練っていたと言われる。いや、池田大作は昭和35年の会長就任当時から宗門からの独立を考えていたとしか考えられない。それは以下の記載から推定される。

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)

 正本堂は日本共産党から「国立戒壇」のことを追及されないように造ったとされていたが、それは一つの小さな理由と思われる。本当の理由は宗門からの独立を狙っていたからであると思われる。
 東海大地震が近いうちに来ることことは現在よりも当時の方が喧しく言われていた。
 これは日達上人殺人計画という単純なものだったかも知れない。しかし、よく考えると、創価学会が宗門より独立するための策略であった可能性が強く考えられる。
 池田大作は昭和52年から宗門を支配下に置くという計画を実行に移したが、宗門が創価学会の支配下になることを承諾するとは考えていなかったはずである。昭和54年のお詫び登山もポーズであり、会長辞任もポーズであった。池田大作は宗門絶滅を狙っていたのである。
 宗門絶滅のための正本堂建立であった。しかし計画は実行に移されなかった。あまりに無謀すぎることを周囲よりたしなめられたのである。

 池田大作はとにかく自分がトップに立たなければ気が済まなかった。それは彼の極重症の自己愛性パーソナリティ障害から来るものであった。自分がトップに立つためには宗門が邪魔であった。
 正本堂にはピラミッドのように抜け道が幾つも造られていたことは解体されたときに判明したことである。何故の幾つもの抜け道であるのか全く不明であった。それは大御本尊を盗み出すためのものであったと思われる。今でこそ、大御本尊は後世の贋作と強く言われているが、当時、創価学会首脳は大御本尊が後世の贋作とはほとんど認知していなかった。それは造反者がほとんど全て富士大石寺に行ったことからも分かる。
 大御本尊は盗み出し、誰が盗み出したか分からないように創価学会会館の地下倉庫深くに隠される予定だった。大御本尊のない富士大石寺は魅力が激減する。そして宗門と手を切る。大御本尊のない富士大石寺にはほとんどの創価学会員は見向きもしないであろうと計算していた。
 しかし、川辺メモ流出などにより、大御本尊が後世の贋作であるとの意見が強くなるにつれ、創価学会首脳は盗み出す必要もないと考え、平成2年の末から宗門からの独立をするための宗門批判を行い始めたのである。
 「創価新報」(平成6年1月1日付)で創価学会は川辺メモについて暴露したのであるが、その書かれたのは昭和54年であり、少なくとも平成元年には河辺メモを入手していたものと思われる。ただ、そのメモの信憑性を疑っており、公表を控えていたと思われる。


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 勲章漁りをして喜ぶ池田大作は悪鬼入其身そのものであり、苦しむ民衆を救うことは眼中にないのです。
 昭和40年の頃は、このまま弘教が進むと自分が日本の国主になれるという考えで一杯だったでしょう。池田大作が全国に強引に弘教を推し進めたのも自分の野望を遂げるためのものでした。民衆救済の念は全く無かったと言って良いと思われます。 

 獣――――そう言って良い池田大作です。金正日などと全く変わりません。金正日などとともに死後は地獄へ堕ちるべき人間です。それを見抜けない情けない創価学会員が可哀相でならない。

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 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居氏のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)(山田直樹:創価学会とは何か:新潮社、2004,p165)。

 池田会長はモダンな本部応接室のアームチェアーにアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』


ーーーこれより池田大作は重症の自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)または妄想性障害、妄想型統合失調症(極軽症)と考えられます。

これは創価学会は、池田大作に精神科受診を勧めることのできない状況にあったからと思われる。宗教団体のトップにあったため見過ごされてきた特異な症例と思われる。

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http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会特命捜査官:三船敏郎
創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上
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普通の人は同時放送を見ると池田大作の余りもの傲慢さに呆れ返るものだが、創価学会員は気付かない。創価学会員はそういう文化遺産的お人好しの集まりであるとしか思えない。自分もその一人であった。

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http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会特命捜査官:三船敏郎
創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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   00副会長へ(1)____


 僕は創価学会に復活しようと思います。しかし、気になるのはやはり御本尊問題です。これは自分だけの問題ではなく、全創価学会員にとっての問題だと思います。

日達上人の御本尊



に祈るのと日寛上人の御本尊に祈るのではやはり異なります。歓喜があまり湧きません。
 以前は、創価学会によってたくさんの社会の底辺に蠢く人達が希望と勇気をもって日々を過ごしているのを見てきました。でも今は、熱心にやればうつ病性障害に成るのをたくさん見てきています。
 池田大作が死ねば創価学会に入り込んできた悪鬼の集団も去ってゆくか? そんなに簡単には去ってゆかないような気もします。

 自分が創価学会の復活するのはちょうど池田大作が亡くなる頃になると思います。早く死ね。創価学会全員の幸せのために早く死ね、と思っています。戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ。戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ。

 創価学会に復活することはうつ病性障害の苦しさの中で考え出したもののようでもありますが、やはり以前、社会の底辺にありながら元気一杯に生きていた創価学会の人達のことを思い出したからでした。本当にあの人たちは元気一杯だった。苦しい状況にも負けず元気一杯でした。

 自分も創価学会を熱心にしていた頃は元気一杯ではなかったろうか? でも、池田大作が居たからあの人たちにも不幸なことが起こっていた。僕にも不幸が起こっていました。

 4年前、00さんは自分が「池田大作はおかしい。自分はとても他の人のように信じることができない。池田大作はサタンです」と言いに行っても、僕を叱ることもなく「創価学会改革派としてやってゆくんだ。一人きりの信仰になるかも知れないが、そこでこの信仰を続けてゆくんだ。この信仰を辞めてはいけない」と言ってくださいました。そしてヤフーの知恵袋に入ること、そこで池田大作批判を激しくするように言って下さいました。とにかく、この信仰を貫いてゆくことと言って下さいました。
 ヤフーの知恵袋から世論を動かすように言って下さいました。ホームページを造るようにも言って下さいました。
 一人きりの信仰は厳しかったです。僕は法華講にも行きましたし、保田妙本寺にも行きました。しかし、そこには大聖人の命すなわち民衆救済の燃えるような情熱はなかったように思いました。民衆救済の情熱が少ないように感じました。不幸のどん底の人を折伏しなければいけない、と思いました。(続く)

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創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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   00副会長へ(2)____



 しかし、創価学会も近年、急激に民衆救済の情熱が少なくなってきています。今では法華講の方が民衆救済の精神があるでしょう。今の法華講は折伏に燃えています。しかし、法華講にあるのは民衆救済ではなくて数を増やそうという意識が強く働いているような気もしました。

 池田大作が死ねば現在スリープ状態にある人も創価学会の信仰を再開すると思います。みんな、池田大作の傲慢さに呆れ果てて信仰を中止した人達です。また、池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた悪鬼の集団の活動も鈍ると思います。ほとんど崩壊しかけている壮年部は復活するでしょうし、男子部も今より盛んになると思います。

 しかし、重くのしかかっているのは御本尊問題です。今の日寛上人の御本尊で良いのか自分は非常に疑問です。インターネットに載っている他の御本尊を印刷して祈ろうかとも考えているほどです。実家の日達上人の御本尊に祈るともの凄く歓喜が湧きますが、今の日寛上人の御本尊では歓喜があまり湧きません。勤行したという満足感しか得られません。それだから創価学会員はみんな勤行唱題をあまりしなくなったのだと思います。

 本気でインターネットに載っている他の御本尊を印刷して祈ろうかと考えています。駄目でしょうか? その意見を聞きたくて手紙を書いています。インターネット上には凄いと思う御本尊がときどきあります。またはオークシオンにも出ているようなので、そこから手に入れようかな、とも思っています。駄目でしょうか?



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http://sky.geocities.jp/mifune008/
創価学会内部改革派憂創同盟の宇宙戦艦三船マン参上

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      創価学会の情報操作を考える_______
                            by 三船敏郎




 創価学会はすでにかなり以前からインターネット上にも造反者(反逆者)の人格を攻撃するサイトを作っていた。また、本になっているものもある。その道のプロを高額な金で雇い、書かせている。一番激しいのは山崎正友氏に対するもので、彼はサイコパスとされてしまっている。これこそ妄想型統合失調症者の書いた本としても良いのであるが、今、自分の手元には(サイコパスの犯罪 元弁護士 山崎正友の心の闇  中田光彦著:潮出版:2002)がある。

 ここまでも山崎正友氏を悪人に仕立て上げて書かれた巧妙な書である。こういうものがインターネット上に散乱しているのだから、創価学会員でなくとも山崎正友氏がもの凄い悪人であったと思わざるを得ないであろう。山崎正友氏は創価学会にとっては最も存在して欲しくない存在であった。
 山崎正友氏は創価学会の影の帝王として創価学会の様々な問題処理を長年手がけてきた弁護士である。創価学会の裏の裏まで知り尽くしている弁護士である。原島嵩氏以上に存在して欲しくない存在であった。
 暗殺できない故に、社会的に抹殺するより他に方法はなかった。シーホースを任せたのは北条副会長の極めて巧みな考えであった。潰れることが分かっている会社を引き受けたのは山崎正友氏のミスである。このことでは北条副会長が山崎正友氏に勝ったと言って良い。

 竹入義勝氏、矢野絢也氏も人格攻撃を受けているらしい。創価学会の行うことは実に汚い。池田大作が死ねば創価学会はこのどうしようもない悪の組織からかなり改善されると思われる。末端は非常に綺麗な創価学会は中央の中央は非常に汚れ果てている。末端の清廉さからはとても想像が付かないほどである。

 筆者は、この創価学会の情報操作に純真に信仰していた頃は完全に騙されていた。末端がこれほど綺麗であるから、中央の中央がそれほど穢れているとは予想もできない。あまりに穢いので書きたくないので、ここで止める。池田大作が亡くなった後、創価学会が浄化されてゆくのを期待する。

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戸田先生の時代の創価学会に戻すんだ

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狂顎教授、あなたなら分かると思い書きます。__________

自分は貴方は創価学会に見切りをつけ辞めたものと思っていました。貴方なら分かるでしょう。創価学会が池田大作崇拝になり邪宗化している事実を。



教授なら分かるはずです。創価学会がおかしくなっていることを。気付いていないなら貴方は教授という名を名乗る資格はありません。

もし分からないとしたら狂顎教授はパーと言うことになります。しかし、狂顎教授ほどの知性を持った人が分からないはずはない。貴方は何かを狙っているのですね。

創価学会は今、岐路に立っています。崩壊か蘇生かです。

これを憂えている壮年部・男子部のスリープ状態にある人は10万人を超えるでしょう。

創価学会が蘇生したら10万人を超えるスリープ状態にある壮年部・男子部の人は創価学会に復活するでしょう。

このことは貴方も知っているはずです。知らなかったら貴方は教授という名を名乗る資格はありません。

池田大作の欺瞞に気付いているはずです。気付いていないなら貴方は教授という名を名乗る資格はありません。


返事をお待ちします。

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創価高校から東大理(東大医学部)に現役で入った人は現在まで一人しかいない。このひとは池田大作の本性を見抜き、日蓮正宗に転向した。日蓮正宗の機関誌に寄稿文を書かれていた。
あの人は今、どこでどうしているか知っている人は教えて下さい。

このように洞察力を持っている人は創価学会、池田大作の間違いに気付くものです。

洞察力は男性に強く、女性には弱い。

退転してゆく人は洞察力を持った人達なのです。

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