臭いものには蓋をするのが正しいのか? それとも臭いもの自体が見えないようであれば良いのか。次々と去っていく摩擦の当事者達。攻撃した者は誰だか分からず去らないまま。それが正しいのか? あるべき姿なのか? なぜgooは無視なのか? 利用者が利用者を断罪して良いのか?
----本当に、エロスは去るべきなのか? それは、私のような一利用者に答えの出せるものではありませんが、少なくともgooは許容(?)し、一部利用者は拒絶しました。そして当事者は去ることになりました。私にはどれも納得のいかない結末であると思います。gooは隔離政策をとるならとる、許容するならはっきり許容する、それを行わない(行えない)のは運営体制と技術の未熟な点であると指摘せざるをえません。
gooブログに愛想を尽かす日は意外と近いかもしれません。
追記:
私は先の記事を書いたとき、ある予想をしていました。それは、エロス系の方々が「自分の表現は曲げない」とされ、ここで続けることを選ぶ道です。その予想とは正反対の方向へ事が進んでしまい、複雑な思いですが、これでよかったのでしょうか。私は、断罪したつもりはありません。しかし、当のエロス系の方々から断罪したと判断されるのであれば、それは甘受します。
ブログのコミュニティが成長するにつれて摩擦が起きやすくなっているようですが、私はこれを正常な進化と思っています。自分の意見をはっきり言う、イエスマンにならない、物怖じしないで書き連ねるということができるのも、このブログなら勇気を持ってできる気がします。
もし3年前ならこのブログはえらいことになっていたでしょう。言葉を悪くすれば「楽しんで読んでいたエロ屋を追い出しやがったこのバカチンが」という解釈をされ、蔑まれ、荒らされていたかもしれません。これからえらいことになるのかもしれませんが。
思ったことをはっきり言うことについて、少し考えさせられる事柄でした。しかし、私は今までWEB上でこれほどはっきりと自分の意見を言うことはあまりありませんでした。いとも簡単に喧嘩になりそうだったからです。しかし、色々とブログを見ていて、正反対の意見をトラックバックしているのを目の当たりにして目から鱗が落ちました。トラックバックには、このような利用法があったのか、と。
そしてこのように色々考えることで、日常での思考も鋭くなっていくのが分かります。自分の意見をもった社会人として責任のある生活をする。分かっているけれども周りに流されがちだったり、自分を押し殺したり・・・ そういうことが当たり前になっていた自分を変化させてくれるパワーを秘めていることに気づいたのです。これが、私がブログに初めて触れたときに感じた何かのひとつだったようです。まだまだ、ブログには何かがありそうです。
ここで、問います。私の行動はこれで良かったとあなたは思いますか? 反対意見も聞きたいです。てっきり、反対意見多数になると思っていたもので拍子抜けしているところです。
----本当に、エロスは去るべきなのか? それは、私のような一利用者に答えの出せるものではありませんが、少なくともgooは許容(?)し、一部利用者は拒絶しました。そして当事者は去ることになりました。私にはどれも納得のいかない結末であると思います。gooは隔離政策をとるならとる、許容するならはっきり許容する、それを行わない(行えない)のは運営体制と技術の未熟な点であると指摘せざるをえません。
gooブログに愛想を尽かす日は意外と近いかもしれません。
追記:
私は先の記事を書いたとき、ある予想をしていました。それは、エロス系の方々が「自分の表現は曲げない」とされ、ここで続けることを選ぶ道です。その予想とは正反対の方向へ事が進んでしまい、複雑な思いですが、これでよかったのでしょうか。私は、断罪したつもりはありません。しかし、当のエロス系の方々から断罪したと判断されるのであれば、それは甘受します。
ブログのコミュニティが成長するにつれて摩擦が起きやすくなっているようですが、私はこれを正常な進化と思っています。自分の意見をはっきり言う、イエスマンにならない、物怖じしないで書き連ねるということができるのも、このブログなら勇気を持ってできる気がします。
もし3年前ならこのブログはえらいことになっていたでしょう。言葉を悪くすれば「楽しんで読んでいたエロ屋を追い出しやがったこのバカチンが」という解釈をされ、蔑まれ、荒らされていたかもしれません。これからえらいことになるのかもしれませんが。
思ったことをはっきり言うことについて、少し考えさせられる事柄でした。しかし、私は今までWEB上でこれほどはっきりと自分の意見を言うことはあまりありませんでした。いとも簡単に喧嘩になりそうだったからです。しかし、色々とブログを見ていて、正反対の意見をトラックバックしているのを目の当たりにして目から鱗が落ちました。トラックバックには、このような利用法があったのか、と。
そしてこのように色々考えることで、日常での思考も鋭くなっていくのが分かります。自分の意見をもった社会人として責任のある生活をする。分かっているけれども周りに流されがちだったり、自分を押し殺したり・・・ そういうことが当たり前になっていた自分を変化させてくれるパワーを秘めていることに気づいたのです。これが、私がブログに初めて触れたときに感じた何かのひとつだったようです。まだまだ、ブログには何かがありそうです。
ここで、問います。私の行動はこれで良かったとあなたは思いますか? 反対意見も聞きたいです。てっきり、反対意見多数になると思っていたもので拍子抜けしているところです。
「どの範囲までが未成年者への悪影響なのか」もハネられたので、「未成年者」はダメなんでしょうかねえ・・・いい加減なものです。
Livedoorが軽くなったら行こうかな、と思っています。
ちなみに、Livedoorでアダルトカテゴリの人が記事を書いても、gooのpingはちゃんと受け付けるので面白いです。
甘くして欲しいところがガチガチで、固く締めて欲しいところがゆるゆるです。
やっぱり、えっけんさんと私はエロス系に対して似たような考えを持っていたようですね。なんとなく、そんな気がしていました。そういったことも、blogをやっていて面白いもののひとつですね。
でも追放されていないわけですよ。
なかなかいい加減そうだな、goo BLOG
激安さんは正しい選択だったのかも。
エロblogというものの存在は否定しませんし、ある意味手軽にアクセスアップを狙える手段ではあると思うのですが、goo BLOGのフィルター、何のためにあるの、と激しく問いたい。
前に「goo BLOGを子供に見せられるか」という命題ありましたよね。
gooでは子供にも安心して見せられるキッズgooを用意し、あのNGワードはそんな一面を見せられているのだと思っていました。
それがどうよ、堂々とエロ系がランキング上位に並び、誰でも簡単に見られるところに配置されているってのは、ちょっとgoo BLOGの運営方針に反するんじゃないの?
エロblogを禁止にすることはないと思いますよ。利用者を増やしたいのなら、それは有効な手段だ。
しかし例えばエロ系は独立したランキングシステムにするとか、無条件に「公開されていません」になるとかといった、一定のふるいにかけないと「NGワード」の意味がないんじゃないか、と思うのです。
運営者やそのファンたちに言わせれば、「イヤなら見なければよい」のでしょうし、僕はこの3年くらいのWEB論研究(というほどのものではないが)で、「嫌いなサイトは見ない」というのは一つのネチケである、という結論に行き着いているのですが、アクセスランキング上位にある以上、やっぱりたくさんの人に見られる機会が多いわけで、そういう場合、運営者サイドの「イヤなら見るな」は通用しないと思うのです。
まぁ、サービス提供側が許している以上、運営するのは悪いことだとは思いませんが、goo BLOGの許容と言う態度にはちょいと納得できないものがありました。