相棒たち

smash・桜子・ポロ・カフェラテ・knee・「あゆ」は天寿を全うし、独りになった相棒「カプチーノ」。

轍(わだち)・・・昔こんな「詩」があった:その76

2020年11月28日 | 詩・唄・歌・曲
♪ 我は湖の子 放浪の 旅にしあれば しみじみと
♪ 昇るさ霧や さざなみの 滋賀の都よ いざさらば

♪ 松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は
♪ 赤い椿の 森蔭に はかない恋に 泣くとかや

♪ 波のまにまに 漂えば 赤い泊火 懐しみ
♪ 行方定めぬ 浪枕 今日は今津か 長浜か

♪ 瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島
♪ 仏のみ手に 抱かれて 眠れ乙女子 安らけく

♪ 矢の根は深く 埋もれて 夏草しげき 堀のあと
♪ 古城にひとり 佇めば 比良も伊吹も 夢のごと

♪ 西国十番 長命寺 汚れの現世 遠く去りて
♪ 黄金の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心

詩:小口太郎、原曲:吉田千秋、唄:加藤登紀子

YuoTubeへのリンク
https://www.youtube.com/watch?v=tPxP9W2M2eY

6番までの歌唱
https://www.youtube.com/watch?v=8fCJRjOiSlY


1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校のクルー仲間が合唱したのが初。
「琵琶湖周航の歌」は平成29年(2017)に100周年を迎えたそうです。

※ 誕生秘話:滋賀県高島市のサイトより抜粋

当時2年生(19)だった小口が『今日ボートを漕ぎながらこんな詩を作った』と、
琵琶湖周航2日目の今津の宿でクルー仲間に披露すると、彼らは
学生の間で流行っていた「ひつじぐさ」の曲に合せて歌った。
それが誕生の瞬間である。

月日まで特定できるのは当時のクルー仲間が「今津の宿で歌った」と証言している事と、
小口が今津から京都の学友に出した、現存する葉書の消印から。
詞は翌年夏までに補完され6番まで完成した。

三高(現京都大学)同窓会が寮歌として歌い継いだ。
ボニージャックス・ペギー葉山・フランク永井など、多くの歌手がレコード化したが、
1971年(昭和46年)加藤登紀子が唄って一躍知名度が上がった。
原曲:ひつじぐさの作曲は、後に吉田千秋だと判明。

未来永劫、歌い継がれる詩だろう。



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