相棒たち

smash・桜子・ポロ・カフェラテ・knee・「あゆ」は天寿を全うし、独りになった相棒「カプチーノ」。

轍(わだち)・・・昔こんな「詩」があった:その111

2021年01月05日 | 詩・唄・歌・曲
♪ 怖いものなしで生きて来たと思ってた弟が
♪ 酒に酔った勢いで告白した事が有る
♪ 実は子供の頃の事 同じ町内に住んでいた
♪ ヨシムラって奴が かなり怖かったと言う事を

♪ ヨシムラは確か僕より二つほど年上で
♪ 駄菓子屋の大人しい息子で 決していじめっ子ではなく
♪ 僕はふとむしろ逆に 弟が彼に怪我をさせた騒ぎと
♪ ひたすら謝るお袋の背中を想い出していた

♪ 懐かしきかな少年時代の 脇役たち
♪ 懐かしきかなワンパク時代の仇役たちよ

♪ お袋はまだ若く 声も大きく手も早く
♪ 叩かれて泣きべそをかいていた弟も
♪ みんな無邪気だった あの頃

♪ 実はそのあと故郷へ帰る仕事があったので
♪ 本当に久しぶりにあの街を訪ねてみた
♪ 学校沿いの細い道は更に狭くなってそこにあり
♪ ヨシムラの駄菓子屋も相変わらずそこにあった

♪ 何気なく電話をするふりで中を覗いたら
♪ すっかりおっさんになったヨシムラがそこに坐っていたが
♪ タバコをひとつ買ったら無愛想に釣りをくれた
♪ ヨシムラ少年は 僕を覚えていなかった

♪ 懐かしきかな少年時代のときめきよ
♪ 懐かしきかなワンパク時代のきらめきたちよ

♪ 原っぱも土管もいじめっ子も今はなく
♪ 想い出だけが少しも年をとらずに
♪ 袋小路に うずくまっていた

詩・曲・唄:さだまさし「ヨシムラ」

YuoTubeへのリンク
https://www.youtube.com/watch?v=ppbBlME1060


この詩は、小中学校時代を過ごした、横浜の長屋を想い出させる。
中3の秋以降の出来事は日記にも記録されている。

久保町の町内には子供会も有って、同級生が6人も居た。
ヨシムラって奴は居なかったが、長屋の両隣が、小川と相原。
田村んちは、お婆さんが駄菓子屋、父親は工場を経営してた。
高校を卒業した春、頼まれて2週間ほどアルバイトをした。
何を造ってたか忘れたが、機械実習の経験を買われて旋盤加工もやった。
神奈川工業高校に合格していなければ、ここで働いていたかも知れない。

カメラに興味があった訳ではないので、日本光学への就職など100%なかっただろう。
さすれば、妻と巡り合う事もなく、全く違う人生を生きた事になる。
タイムスリップして、その違う人生をシミュレーションしてみたい。

駄菓子屋ではおでんやもんじゃもやっていた。
もんじゃは具など無く、粉にソースで味を付けただけのモノだったが、5円のご馳走だった。
子供会の会長宅の広場の前が井上、その通り沿いを国道の方へ行く途中に設楽。
岡本んちはよく覚えていない。
小川んちは兄弟が多くて、一番上の兄貴はちょっと怖い風体だった。

長屋周辺は平屋が多く、少年探偵団ごっこでは屋根伝いに走り廻った。
子供会の会長宅の広場は、キャッチボールも出来る程の広さがあったようだ。
広場で、みんながグローブを持っている写真が有ったのでたぶんそうだろう。
バットを振り回す野球は、保土ヶ谷駅近くの杉山神社で、三角ベースボールをやった。
子供会のチームメンバーが揃った写真が有ったが、試合の記憶がない。

野球は親父も好きだった。
いつ頃だったか時期は忘れたが、覚えている出来事がある。
神社の広場から下に落ちたボールを私が拾いに行って、2階の屋根ほど上のグランドに
投げ返した時、ボールを追った親父が木に衝突して鼻を折った。
親父は、この事に付いて一言も私に文句は言わなかった。

長屋が在った久保町・・・行ってみたい処のひとつだ。
これはタイムスリップしなくても、その気になれば出来る。




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