イランのサッカー情報

魅惑のペルシアンフットボールの世界

弟に捧げるゴール

2004年11月14日 | 選手




木曜日のペルスポリス対エステグラル・アフワズ戦、カゼミアンがゴールした後、ゴールパフォーマンスとしてユニフォームを脱いだ下には、弟のメハディの写真がプリントされているシャツがありました。

メハディは、今年3月の五輪予選韓国戦(イランホーム)直前に事故で亡くなりました。自宅のプールで泳いでいるときに、心臓発作が起きたと当時は報道されました。まだ20歳でした。
事故にあった日、五輪代表キャンプ中の兄、ジャヴァド・カゼミアンに電話をかけ「これから散髪に行ってくるよ」と話したのが最後だったそうです。カゼミアンはすぐにキャンプから外れ、韓国戦も欠場しました。メハディは年齢も近かったので他の五輪代表メンバーとも仲がよく、彼の死は彼らにも大きなショックを与えたそうです。
カゼミアンは次の五輪予選中国戦で復帰しますが、動きも悪く、その後五輪代表に選出されることはありませんでした。

カゼミアンはユースの最優秀選手に選ばれ、前に所属していたサイパでも若いながらもキャプテンを務めることもあり、若手の有望株でした。アジア大会での活躍もあって、2002年12月にUAEのアル・アハリに移籍、アリ・キャリミとコンビを組んでここでも活躍をします。しかし、2003年にイランに戻りペルスポリスに移籍して以来、あまり調子が上がらず、スターティングメンバーからも、そして何度か呼ばれていたA代表からも外されることが多くなっていました。ですが、2004年に入った頃には、五輪予選のマレーシア戦で3アシストを記録するなど、徐々に調子を上げつつありました。その矢先の仲の良かった弟の事故死。ペルスポリスの試合に出られるようになるまでも数ヶ月はかかったようです。

2003-2004シーズン終了後のカップ戦で半年以上ぶりのゴール、そして2004-2005シーズンが開幕し、開幕戦でもゴールをあげ、W杯一次予選対ヨルダン戦に、久々にA代表にも招集が。マハダビキアがアジアカップのレッドカードで出場停止を余儀なくされたので、ポジションが同じの彼にチャンスが来たのです。そのヨルダン戦では、後半のサブでの登場ながらもハシェミアンと素晴らしい連携を見せてダエイの2点目の起点にもなりました。その後怪我でしばらく戦列を離れ、久々の復帰試合だったこのエステグラル・アフワズ戦では1点目をアシストし、2点目を決め、ペルスポリスに2試合ぶりの勝利をもたらしました。

彼は、ゴールをして、ユニフォームを脱いで弟メハディの写真を示したとき、目に涙を浮かべていたそうです。そして観客の中にも、涙していた人が何人もいたそうです。

このゴールで、カゼミアンは本当に弟の死を乗り越えることが出来たのではないでしょうか。彼の今後のさらなる成長に期待したいところです。





んが、あまりにも服を脱いで走り回ったのが悪かったのか、イエローカードを貰ってしまったというオチまでついちゃったのですが。





おそらく「それくらい勘弁してよ!」と抗議していると思われる背番号16のサルマニさん。



★いいニュース!

ナビドキアが、手術後、軽い練習を始めたそうです!!確か怪我したのが今年の5月だから、半年か。年明けにはボーフムでの彼が見られるかも!