てのひらの中の偶然

携帯iphone12、そしてOLYMPUS OM-Dが切り撮った日常の風景

ジュリーが一番

2009-03-16 | 花・ほぼさくら
20年ほど前になるでしょうか、週刊文春で連載されていた伊集院静のエッセーに
「ジュリーが一番」というタイトル回がありました。

内容は、伊集院氏の妹さんにまつわる内容なのですが、その妹さんが沢田研二のファンであったと、
妹さんがどれだけジュリーを好きかということは語らず、氏の沢田研二感に内容は流れます。
文中、「沢田研二という人をほとんで知らない」とあるのですが、
世評には全く感知なく、自分で見聞したことで沢田研二を評していらっしゃる、
それがわたしにはとても好ましいスタンスに感じられ。
伊集院静という「本物」の作家に等身大の沢田研二を評されたのが嬉しくて
当時のわたしはコピーをとっておいたのでしょう。


この後、伊集院氏はジュリーの芸能生活25周年の記念のときにも
素晴らしい詩を書いてくださっていますよね。

ついに現役で還暦を迎えた沢田研二を、伊集院氏は今またどのようにご覧になられるか?
そんなことをうかがってみたい気もします。

(以下、ブルー文字は「ジュリーが一番」からの一部抜粋)


つい最近、沢田研二の中近東での取材の写真を雑誌で見た。
とてもいい顔をしていた。日本人にはいない、リキミのない表情がある人だと思った。
 わたしは沢田研二という人をほとんど知らない。しかし随分前に新幹線の食堂で悶着を
起こした時、この人は本物だなと思った。詳細は知らない。日本のスターはマスコミを
恐れて人に手を出したりしない。それができるのはよほどの事情と、そのスターが個人に
戻った時である。スターが個人を失うことは人としての背骨を失うことである。個人をちゃんと
持たないスターは、それはニセ物のスターだ。
 何年か前に彼が六本木で飲んでいるのを見かけた夜があった。気取ったところがなくて、
自然にしていた。カウンターだったがちゃんと腰を下ろしている飲み方だった。
 このちゃんと座って飲むのが結構難しい。わからなければ一度自分の通うバーへ行って
周りの人を見てみるといい、半分以上は腰が浮いている。とまり木とはいうが、巣に帰る
鳥ではないのだから・・・・。だいいち酒に失礼である。
  
   (中略)

 こんな味のある顔の四十代はなかなか見当たらない。彼は過去に二度も黄金時代を築いた
大スターである。こういうスターは必ず帰って来る。
 それに沢田研二は芸能人野球大会で誰よりも本気で勝ちに行く。ビートたけしもそうだが、
野球を本気でやる男はいい人間に決まっている。





このエッセーは「あの子のカーネーション」というエッセー集に収録されたと思うのですが、
あいにく文庫本も廃刊になっているようです。
古書店、図書館などで見かけたらお手にとってみてください。


あの子のカーネーション (文春文庫)
伊集院 静
文藝春秋

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