不思議活性

セルフまたは心・魂について



 前回、セルフへの気づきは、信仰心に繋がっているのではと 書きました。検索してみると、信仰とは、神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。 経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。と、ありました。
 振り返って、私自身の信仰についてですが、若き日のとある新興宗教との出会いが大きな契機でしたが、その後どうなったかというと、私は特定の宗教と離れ、自分自身の心のなかの神様を信仰するようになったといえばいえるでしょうか。家の神棚には、天照皇大神宮と氏神様等のお札が祭られています。それらは、今は亡き両親が礼拝していたので、自分もいつしか継いでいました。不思議なもので、自分が通った幼稚園はキリスト教系でしたので、新約聖書がいまでも本棚の片隅にあります。また、家の宗派は曹洞宗で、先祖の供養や法事等は菩提寺にお願いしています。
 へんといえばへんかも知れませんが、日本人って、初詣にどこかの神社にいったかとおもうと、結婚式は教会でやり、葬式は仏教でなんてのが普通に行われているように思うのです。一つの宗教を信仰している人には、考えられないことかもしれませんね。

 私は信仰とは心の問題で、自分自身の心が信じられればいいのだと思います。そして、その心は脳にあるのではなく、魂の世界であり、個人の魂もしくは霊的実体は永遠だということです。少し分かりづらいですが、亡き母が毎朝、神棚に向かって拝んでいる姿をみて何かを感じた私。妹が自分より先に逝ってしまったことに涙がとまらなかったこと。何か大切なものが破壊されたようで胸が張り裂けそうになったこと。それが心なんだと思います。
 
 人間、誰もが善と悪の心をもっていると言います。でも、自らの存在を成り立たせている自己の内奥にある魂・良心に目覚める時、何気ない日常が輝いて見えるのでしょう・・・・。goo blog に出会い半年です。様々な人のブログ
を通して生きているっていいなと思います。ブログ一つ一つにそれぞれの今が映し出されています。自分もささやかですが、こうして更新できることがうれしいです・・・・。

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