市川房枝記念会の未来を語る会

婦選会館利用者、維持員、女性展望購読者、ボランティア、講師、職員、女性運動家、女性ユニオン組合員で語ろう未来を!

道しるべ

2006-12-30 | Weblog

 山登りをする人なら、山道でガスがかかってきたときに標識を見失うと、恐い思いをするのをご存知かと思います。でも、慌てずに霧が晴れるのを待てば、どちらに進むべきか自然に見えてくるのが常です。

 『野中の一本杉』(市川房枝著)は道しるべの一つであり、中でも「婦選魂」は、この数年来、何度も読んだ小文です。2006年の最後の日に、もう一度読んでみることにします。

「困難とたたかって荊棘の道を拓くのが、私達の仕事で、事大主義者や所謂名流婦人や大衆は、その拓かれた道を進んでくる。種を撒き肥料を培うのが私達の仕事で、収穫はあとから来たものがする。骨を折って、金を出して、それで悪口をいわれ、いい所は皆人にさらわれる。考えれば誠に損な役廻りではある。自分個人の算盤をはじいたのでは出来る事ではない。何が私達同志をして敢えてこの困難な運動に参加せしめているのか。それは、つまり自分さえよければいいという個人主義をすてて、同性の苦しみを我が苦しみとしているからである。女性として我苦しみを、全女性の苦しみとしているからである。個人主義をすてて大衆の利副を念とする。そこに社会運動の真精神がある。そしる者はそしれ。この婦選魂がある限り、私達の運動は継続されて行くであろう」(1934年『婦選』1月号)

市川房枝さんは、当時、どんな状況下でこの一文を書いたのだろうかと思うのです。

 朝日新聞12月27日の声欄に、剣持政幸さんの投書「今こそ必要な婦選会館の魂」が掲載されました。これを読んで、先の「婦選魂」を思い出した次第です。剣持さんは、ちょうど私が就職して直ぐの頃の「新有権者と若者のつどい」で、はじめてお会いしたと記憶しています。

 毎年、日本婦人有権者同盟とともに企画・開催したこのつどいは、セレモニー化した行政主催の成人式と一線を画して、選挙権を得た新有権者と若者達とともに、政治について語り合おうという催しでした。私は自分の種々の仕事の中で、最も重要な仕事の一つと考え力を入れてきたのですが、2002年をもって記念会は同盟との共催を中止してしまいました。その理由は今なお納得がいかないのですが・・・。それでも韓国からビョン・ヨンジュさん(映画監督)を招いたときは、会場は満員で、いろいろな方が集まってくださいました。力を入れてきた仕事を奪われた気持ちは少しも癒えていないのですが、政治に関心のある若い世代の人々とつながることが、大変楽しかったし、意味がある仕事でした。

 本当に、剣持さんや10代~20代の参加者が、ほんの一晩のつどいであっても、そこで一言でも言葉を交わし、18歳選挙権や子供の人権問題といった政治と触れ合うことで、その種がすこしずつ長年をかけて芽を出してくることがあるのです。

 2005年の春に、部屋の片付けをしていたら、本棚からぽろりと大学時代に教わった江口先生の小冊子が落ちてきました。それは、昭和57年10月1日発行の『書斎の窓』NO.318でした。開いてみると、江口朴郎先生と金原左門氏の対談「昭和史を語る」が掲載されており、かつて読んだとみられる赤線がありました。

「むしろ歴史というものは、歴史をみる主体と言いますか、人民でも個人でもいいんだけれども、客観的に正しいか正しくないかじゃなくて、自分は何をしようと思っているのかというそういう主体的な姿勢がなければ始まらないというような、そういう観点が自覚されて来るんだと思いますね」「何が正しいかということを、自分の外に原則や権威を設定して、そこから判断するような考え方、それに対する反省と言いますかね、そういうものだと私は考えるンですがね。・・・極端にいえば、個人が一貫してかかなければならないというそういう姿勢だと思いますよ・・・歴史というのは開き直らなくてはならないと、そういう精神だと思います」

「民主主義というのは一つの到達点ではなくて、常に厳しい対立の場が民主主義であるということを、しかしともかく現実が何となく保たれている妥協の場であることを・・・」

当時は、よかれ悪しかれなどと、ぶつぶつ言いつづける江口先生のことばを、何を言っているんだろうと、2年ぐらい訳わかんない状態で聞いていたのが、最近になって、えーもしかしたら、と思い当たること、思い出すことが多くなっているのです。本当に、25年位かかってやっと少し理解できたということでしょうか。

わずか1回の講義やつどいへの参加であっても、その人の人生を変えることは十分ありうるのです。剣持さんをはじめ、たくさんの人たちが婦選会館から育っていったに違いありません。それは、自分がこの社会の中で、何を考え何をなすべきかをもとめて会館に人々がつどい、講師と受講生、あるいは受講生間の交流の中から答えを見つけていったからに他ならないのです。

コンパネで閉ざされた婦選会館は無残です。来年こそは婦選魂で婦選会館を復活させましょう。今こそ、道しるべが必要なのです。

くみあいニュースWEB担当

 

 


週刊朝日12月22日号

2006-12-15 | Weblog

 週刊朝日12月22日号の136頁に「故・市川房枝氏は何を思う・・・・記念会で女性職員解雇紛争」の記事が出ました。12月5日に裁判傍聴に来られた記者の方から連絡があり、取材を受けたものです。

 私事ですが、幼少の頃、いや中学生位まで、近くの本屋さんが我が家に定期的に届けてくださっていた本の中に、週刊朝日がありました。我が家では相当長いこと読んでいたと思います。で、今回驚いたのは、発売日の朝からコンビニやキヨスクに並んでいて、新聞広告と電車のつり広告にも一斉に出たことです。それで、連絡が取れなくなっていた元職員から女性ユニオンへ連絡があり、久しぶりにうれしい声を聞くことができました。

 ところで、記事の中に、やや補足説明が必要な所があります。「激務のため昼休みも満足にとれず」のところは、98年に組合結成し団体交渉をおこなってとれるようになり、「長時間労働」の部分は、週休2日の実施と支払われなかった残業代が支払われるようになって改善されたということです。意見陳述にあるとおり、98年2月以前は、昼休み1時間の確保ができなかったばかりか、有給休暇の取得が困難で、残業代の支払いがなかったのです。

 市川房枝さんが健在ならばどうお考えでしょうかと、多くの方々が自問しながら今回の事件を見つめているはずです。この記事の最後に、「市川さんが健在だったら、街頭に飛び出して、解雇撤回の演説をしているのではないだろうか」とあり、市川房枝さんは働く者の生活や権利を奪う立場にはなかったであろうと、記者がしっかりと押さえていることに希望を持ちました。

 私の家族や知人も皆、週刊朝日を買いに走ったようで、説明が省けてよかったです。この問題に関心を持つ目が増えてくれば、記念会はこれ以上の乱暴なことはできないのではないかと思います。

 今日、教育基本法が強行採決されましたが、午前中に参議院会館で国際婦人年連絡会のセミナーがあるというので、ビラ配りに行きました。すると、多くの人がビラを受け取ってくださって、中には週刊朝日を持っている人までいました。

 ビラを配っていると、婦人年の方が、「記念会の労使問題には関与しないことが決まったからね」と言っていました。「関与しない」ことの意味はどういうことしょう。労働部会という部会があって、いろいろと国に申し入れをされていましたが、こういうひどい解雇が足元の記念会で起こったことについて、知らぬ振りというのはいかがなものでしょうか。徹底追求してもおかしくない話です。 

くみあいニュースWEB担当

 

 

 

 

 


傍聴ありがとうございました!(裁判第1回報告)

2006-12-06 | Weblog

   昨日、午後4時から東京地裁710号法廷で第1回公判がありました(裁判官は土田昭彦氏)。30名近くの方が応援に来てくださいました。本当にお忙しい中、傍聴ありがとうございます。とてもうれしく心強かったです。

 記念会側は、常務理事、評議員のHさんのほかに、記念会がこの3月から経営顧問として委託している、丸紅人事部出身の経営コンサルタントT氏のお姿がありました。

  午後4時からはじまった私たちの裁判は、はじめにO弁護士から陳述を行い、その後、原告M、原告Oがそれぞれ、意見陳述を行いました。

   市川房枝記念会くみあいニュース・最新情報に意見陳述1・2を全文掲載!!

          http://www.mndds.com/fusen/

  Mさんは記念会の会計担当者でしたが、仕事と生活の手段を一挙に断たれた打撃と不安、疑問と不信感がつのり悪夢のような日々を送ったこと、退職勧奨から解雇まで、わずか1ヶ月で残務整理も仕事の引継ぎなども全く出来なかったこと、記念会は退職期限の日を一日たりとも延ばさず、有給休暇を消化する猶予も与えられなかったこと、そして、常務理事は「退職金は今なら払える」と、今すぐに応じなければ払えないかもしれないことを匂わせながら退職を迫ったこと、今でも税金の納入や給料計算などの日は、会計の仕事のことが脳裏に浮かぶことなどを訴えました。

  私は、12年間、政治教育部担当職員として仕事をしてきたこと、しかし、就職した当時、労働条件がひどく、同僚の中に健康に支障をきたす者があったので、常勤職員4人で女性ユニオン東京に入り、団体交渉を通して労働条件の改善を求めたこと。2003年に、記念会は組合の賃金要求に対し、回答も団体交渉も行わず、従来の定期昇給2%を一方的に破棄し、はじめて職員間に差をつける昇給を行ったこと。東京都労働委員会で不当労働行為として命令が出て、中労委では「賃金等の労働条件を変更するときは、組合と誠実に協議する」という和解が成立しているにもかかわらず、今回再び、組合と一切の協議を行わず、事業の縮小と退職勧奨を突然発表し、退職勧奨に応じなかった私たちを1ヶ月後に解雇したこと。突然の会館閉鎖と事業中止は、会館利用者や講座生、維持員、女性展望購読者の信頼を踏みにじったこと、そして、「婦選会館」を創設者の遺志のとおり、「女性の政治教育を行う場所」として次世代に継承していくことが責務ではないかなどと訴えました。

  こうして、無事に第1回公判を終えたあと、控え室で弁護士の先生方から解説を受け、傍聴にきてくださった方々からご意見を伺いました。「弁護士さんのお話と、原告の意見陳述を聞いて、大変よく状況がわかりました」「本当に感動しました。女性たちの励ましになると思います。次回も傍聴します」「記念会の政治教室で、民主主義とは、情報の公開・共有と意志決定過程への参加であると認識していましたが、今回のことで、いずれも否定されたように感じます」・・・。

 皆様からのあたたかい眼差しやお言葉は心に染み込んでいきました。澄み切った冬の青空のように、晴れ晴れとした気持ちで裁判をスタートさせることができましたことを感謝しています。これからも、よろしくお願い申し上げます。

   次回の公判は、 1月29日(月)午後1時15分  東京地裁 710号法廷

 


明日は裁判の第1回公判です!

2006-12-04 | Weblog

いよいよ、明日、裁判の第1回公判になります。お忙しいことと存じますが、ぜひ、傍聴に来てください。

       12月5日(火)午後4時 東京地裁 710号法廷

       ☆ 原告2名の意見陳述を行います。