ヴィンちゃんといっしょに出かけよう

近所に散歩、ローカル線の旅、温泉旅行。出かける時にはサクサクで大人気のヴィンちゃんといっしょ。そんな僕の独り言の記録。

予告

2008-11-30 21:42:55 | 日日平安

最近、ブログもさぼり気味で、やっと、楽しい楽しい大多喜のお城祭りのレポが終わった。さぼり気味だけど、ネタはちょっとたまってきた。

10月 地元、葛飾八幡宮のやわたまつり。


   丸の内でカウパレード見物

11月 京都旅行

 


今日(11・30)   近所で紅葉見物

とりあえず、ここまで頑張ってみるか。
そのうち、年が明けるな。

紅葉と言えば、色づくのが遅い養老渓谷はこれからが見ごろ。
養老渓谷周辺の紅葉とイベント情報は、いすみ鉄道仲間のジャンヌさんの掲示板「れいるぅえい」とブログ「いすみ鉄道ファン」でチェック!!一般人の直レポート満載で、観光協会のHPよりよくわかるかも。

http://tetudoumania.8.bbs.fc2.com/
http://blog.goo.ne.jp/isumitetudo


いすみ鉄道シリーズ エピソード4 その5と6

2008-11-29 00:41:07 | いすみ鉄道

5.行軍

 殿の出撃命令を受け、小学校のグランド出る。先行するブラスバンドが何やら聞き覚えのある曲を演奏していると思ったら、ピンクレディの曲だった。う~ん、武者行列の音楽には合わないなあ。と思っていたら、局長、でなく曲調が変わった。おお、NHKの大河ドラマ新撰組!のテーマだ。主人公は違うが、これは何となく雰囲気が合うな。

行軍中

 大多喜の町を行軍は進む。それにしても、我々下っ端は徒歩での行軍だが、騎馬の殿はうらやましい。くどいようだが、来年こそは私が!という思いを膨らませるのであった。沿道のカメラもほとんどが殿に向けられている。といいながらも、私も旗持ちで殿のすぐ前に配列されていたので、隙を見てはシャッターチャンスをとらえて殿の写真を撮って、楽しんだ。

 行軍は町中を進み、いよいよ大多喜駅前だ。見覚えのあるカメラマンが写真を撮っていたので、手をあげて合図を送った。tass師匠だ。ジャンヌさんもいる。今まで割とリラックスして行軍してきたが、知り合いの顔をみたと途端になぜか緊張してしまった。ありがたいことに私の勇姿(?)を撮っていただけた。いつも美しい写真を楽しませていただいているtass師匠に写真を撮っていただけるとは光栄である。ここで、先ほどの忍者が現れ、家臣と決闘するという小芝居が再び始まった。忍者どもは行軍する私の目の前に割り込んできたので、ことの成行きを最前列で見守ることができた。旗持ちの役得である。見事に忍者は切り伏せられ、軍は再び動き出した。すると、「久我原さん、がんばって。」との掛け声が聞こえる。ジャンヌさんだ。不意打ちとは秘境、いや卑怯なり、私は背筋にタラ~リと冷や汗が流れるのを感じた。地元の人はなぜ駅が頑張るのだろう思ったことだろう。いや、久我原駅もがんばってその姿をとどめてもらいたい。途中、5歳ぐらいの男の子が我々に向かって「エイエイオー。」と掛け声をかけてくれた。これがまた力になった。若!ともに初陣を飾ること楽しみしているぞ!

 軍は進み小学校へと凱旋した。夢の時間の終了である。

凱旋!!

やっぱり殿はええのう~

6.大多喜駅で

 約6時間の行軍も、終わってみればあっという間の出来事だった。大多喜町より武装解除の命令が下り、我々行軍は平服へと戻っていくのであった。一緒に旗もちをした人に、

「お疲れさま、またお会いできますよう。」

と声をかけ、小学校を後にした。ジャンヌさんに連絡をとり、大多喜駅で待ち合わせることに。残念ながらmokaのメンバーはすでに帰ってしまったと、、、今回のやり残しは、、、またmokaだ。

 駅前でジャンヌさん、tass師匠と出会うことができた。このメンバーが、大多喜にそろうのは3回目だが、それぞれの持ち味で毎度毎度の別行動。でも、これがそれぞれの1日を報告しあって結構楽しい。田舎のじい様も加わり、われら楽しいサポーターズである。

 駅前でわいわいと楽しんでいると、観光本陣に見覚えのある人が、、さっき別れたばかりの旗もちの同志である。聞くところによると、山梨の信玄公24将に参加したことがあり、その時は騎馬武者になったとのこと。今日は徒歩の旗もちだから、さぞもの足りなかったことだろう。なぜか大多喜では再会を多く経験できる不思議な町だと感じた。この戦友は次の大原行きいすみ鉄道で帰って行った。その後、大多喜駅で着流しの風流人に出会った。なんと、殿様を演じた、日光からの参加者だ。平服が着流しとはやはりつわものだ。

「殿お疲れ様です。」

と声をかけると、キョトンとした顔をされた。

「旗もちをやったものです。」

と自己紹介したものの、やはり下っ端は印象にうすいのか、、、

 その後、日も暮れて、ジャンヌさん一行と光アートを楽しんだ後、一行と別れて大原壱岐の列車で帰途に着く。大多喜駅で列車を待っていると、田舎じい様がやってきた。わざわざ私を見送りに来てくれたようだ。ありがたいことだ。よそ者の私をわざわざ見送ってくれるとは。田舎のじい様にもまた、いつか大多喜で再会できるだろうと確信をもった私を乗せた列車は大多喜駅を出発していった。

 帰りの列車は大多喜の高校生がほとんどで、まるでスクールバスに迷い込んだようだ。リラックスした彼らを見ていると、彼らのためにも大切な路線なんだと改めて実感した。出会い、再開、楽しさ、感動の1日が終わろうとしている。

おわり

tass師匠に負けじと光アートを撮ってみたボケボケ


いすみ鉄道シリーズ エピソード4 その3と4

2008-11-20 21:42:05 | いすみ鉄道

3.田舎のじい様との出会い

 おとG師匠は途中の駅で下車し、tass師匠は大多喜で折り返し、大原行きの列車に乗り替えた。さて、ここからはしばらく一人旅、4時までの軍役を終え、うまくいけばジャンヌさんたちに会えるだろう。初めて、大多喜に来た時には、何故?と思ったメキシコ通りを通り、集合場所の海洋センターに到着した。いるいる。すでに自前の鎧武者がいる。緊張と期待に鳥肌が立つ思いである。ところがよく見ると、真田はいるは、伊達はいるはで一体ここはどこだ?との思いもあったが、まあ、おまつりだ。良いではないか。

 受付を済ませ体育館を覗くと、床に衣装が並べられている。奥に立派な兜があるが、あれが本田忠勝の衣装だろうか?のぼりはたを眺めながら感慨にふけっていると、「久我原さんですか?」と声をかけてきた人物がいる。田舎のじい様だ。ジャンヌさんから私が参加をすると聞いていたようで、受付に頼んで待ち構えていたようだ。そのうえ、もう一人若武者を紹介してくれた。ジャンヌの方の弟君である。再び孤独の行列かと思っていたのだが、ここでもお仲間に会うことができた。楽しい一日になりそうだ。

 さて、配役の抽選だ。係りの人が「本田忠勝やりたい人!」という呼びかけに、希望者が行列を作る。田舎のじい様に私も本田忠勝に挑戦したらどうかと言われたが、私は新参者だ。今回は遠慮しよう、雑兵でもかまわない。本田忠勝役が決まり、その他の配役も続々と決まっていく。さあ、楽しみの着付けである。予想したとはいえ、かなり窮屈で、下な話で恐縮だが、トイレはいささか面倒だ。着付けが終わると昼食だ。ちゅっ、昼食ってまだ11時前なのに、、、、戦の行軍は厳しいものである。ちなみに私の役は旗持だ。

 本田忠勝役の方、つまり殿様に拝謁する機会があったので、お話を拝聴すると、日光から参加したという。東照宮のお膝下から遠路はるばるやってきた甲斐があったことだろう。すると、その他の兵の役の人が「御前、失礼します。」と通ろうとすると、「うむ、苦しゅうない。」とのセリフ。すっかりみんな役になりきっている。

登城する軍勢

早くもお疲れ気味

 

4.いざ、登城、そして出陣

 

 配役も決まり、着付けも終了。弁当を食べ終えて、いよいよ登城の時間だ。隊列を組んで大多喜城へと向かう。私は旗持ちで、渡された旗は大きいが意外に軽い。後ろの鉄砲隊の鉄砲の方が重くて大変そうだ。で、この鉄砲隊には気になる2人が、、、なぜか背の高い黒人の兵士と白人の兵士が。白人兵は申し訳ないが、いま一つ似合っていないものの、黒人兵は意外と似合っている。織田信長が黒人を隊列に加えたという史実があるので、私の眼には割と自然に感じられた。

 隊列を組んで出発し、大多喜城へ向かう坂道はすでにギャラリーがカメラを向け、待ち構えている。本当に出陣に送り出してもらっているようで、気分は高まる一方だ。しかし鎧を着けての坂道はちとつらい、前を行く兵士の背中にはすでに疲れが見えている。まだまだ、今日は長いぞ。

 天守閣に到着すると、ここで記念撮影だ。天守閣前の階段に並ぶと旗やら、槍やら、鉄砲やらで、どこそこの誰の顔が隠れた、あそこにスペースが空いているで、なかなか構図が決まらない。「どうせ、顔なんかわからないから早く撮っちまえ。」との不平が飛び出したが、なんとか撮影終了。ここで、休憩となり、観光客は殿様に群がり一緒に写真を撮っているが、われわれその他の兵隊にはお声はかからない。殿様は人気があってえ~のう。

 休憩も終わり、戦奉行の掛け声でいざ出陣。

「皆のもの出陣じゃ。我につづけ、えいえいおお。」

と、出陣の掛け声をかけるが、この戦奉行、まだ若武者で恥ずかしいのか声がちいさく、「げんきねえぞお。」とやじられていたが、ちとかわいそうだった。ここから、殿様は騎馬となるが、やっぱり殿はええのう、という思いがわきあがり、来年は殿に挑戦するかと、下剋上をねらう旗持ちであった。

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 城をくだり、城下の小学校に到着。ここで、なぜかメキシコ大使があいさつ。私はなぜかは知っているが、多くの観光客はなぜ、大多喜にメキシコ大使が?と思うだろう。メキシコと大多喜には深いつながりがある。399年前にメキシコの使節団が房総沖で遭難した時、御宿の漁民に助けられ、大多喜で歓待を受けたという歴史がある。このときのことをメキシコ人は今でも感謝し、その後399年にわたる日本とメキシコの友好関係のきっかけになった出来事だとのことだ。399?そう、来年は日墨友好400周年であり、お城祭りもさらに盛大に行われるという。私の血はますます沸騰するばかりである。ちなみに、私は歴史物好きだが、さらにはラテン好きでもある。私の好きなものが合体し、頭から煙が出そうな思いがした。忍者が忠勝公の出陣を阻止しようとする小芝居が入り、いよいよ殿の掛け声で出陣だ。殿はさすがに、日光から参じたつわもので堂々とした出撃命令を下された。大勢の観衆に拍手で送られ、端役ではあるが、実に気分の良いものだ。

 

殿!!

 


いすみ鉄道シリーズ エピソード4 その2

2008-11-17 20:46:55 | いすみ鉄道

2.大原での出会い

 朝の10時集合ということで、時刻表を調べたら、おなじみの小湊鉄道経由では自宅最寄り駅を654分に出発しなければならない。当日のハードスケジュールを考えると早起きはちとつらい。今回は奮発して船橋駅752分発の特急新宿わかしお号を利用することにした。奮発するといっても、小湊鉄道経由との差額はたったの350円。これで、30分ほど寝坊ができれば安いものだ。しかも、この新宿わかしお潮号、旧型の国鉄色の車両で、にわか鉄道ファンである私も少しうれしかった。何系とかってのはよく知らんが、その辺の解説はtass師匠にお任せしたい。千葉駅での面倒な乗り換えもなく、快適な列車の旅で854分に大原駅に到着した。

 ここで乗り換えるいすみ鉄道の列車の出発は858分で、乗り換え時間は4分しかないが、とりあえず白井ヴィンセントと黄色いレールバスの写真を撮り、車両に乗り込んだ。すると、私の座ったシートの正面になにやら見たことのある笑顔が私を見つめている。なんと、tass師匠だった。で、なにげに白井ヴィンセントをいじくっていると隣に座っているカメラマンが話しかけてきた。

「久我原さんですか?

「は、、はい、そうですけど。」

 いすみ鉄道沿線に友人が増えたといっても、私はシャイな人間である。このオジサンは一体だれだろう?と思っていると。

「おとG。」

 お~、私のヴィンセント人形がテレビ神奈川の看板番組sakusakuのパクリと知ってか、知らずか、新しいジャンルだと言ってくださった、おとG師匠である。

「私のつまらない写真を見ていただいてありがとうございます。」

と言うと、

「そうだね、人形がいなければね。」

と、返された。私も真実だと思うし、それが狙いだ。つまらない写真もヴィンちゃんが楽しそうな物に変えてくれると。

 先入観で恐縮だが、師匠たちも列車に乗ることがあるんだなと変なこと考えていると、tass師匠いわく、まず列車に乗ってロケハンするそうである。列車に乗り、良い場所を発見し、そこで写真を撮るそうだ。また、ひとつ教えを受けた。ありがたいことである。

 

船橋から乗ったレトロな特急

 

いすみ鉄道の中には

応援バンドmokaのポスターが!!

 

 


いすみ鉄道シリーズ エピソード4 その1

2008-11-13 21:44:33 | いすみ鉄道

最近、ブログもさぼり気味。いい加減アップしないと抹消されてしまうかな?と思いつつ、今日からいすみ鉄道シリーズ最終話をアップしよう。9月27日開催された大多喜城まつり参加のレポである。

 

大多喜城まつり

1.今年最後のお楽しみ

 平成2038日、思いつきで久我原駅に降り立ち、それをジャンヌさんに目撃されたのをきっかけに、その後半年間、実に大勢のいすみ鉄道、大多喜町にかかわる人々に大変なお世話になり、楽しい時間を過ごさせていただいた。ジャンヌさんをはじめ、写真の師匠tassさん、役場のアキオさん、音楽で楽しませてくれたmokaの皆さん、久我原の竹山のご主人、中野屋のオカミ、一緒にホタルを楽しんだわかこさんとハイジさん、そして大多喜町のみなさん、いすみ鉄道の社員の方々。出会うことができて、本当に良かった。今年は私の46年の人生の中で特筆すべき1年になりそうだ。久我原下車の一人旅、レンゲ祭、ホタルウォッチング、中野屋でバーベキューと楽しんできたが、私がもっとも楽しみにしていたのがこれだ。大多喜城まつりでの出陣である。私は鉄道ファンというよりは、歴史物、時代物ファンとして大多喜に興味を持った。実は昨年の11月にも妻と2人、車で大多喜城を訪れ、その時お城まつりで武者行列がある事を知ったが、その時は「どうせ、地元の人しか参加できないだろう。」と思っていた。しかし、前述のとおり、いすみ鉄道と大多喜にかかわる人々にお世話になっているうちに、よそ者でも参加できることを知り、興奮した。当然エントリーしたものの、武者行列の参加許可がなかなか届かなかったので、やきもきしたが、やっと待望の案内が届いた。が、スケジュールを見て驚いた。

 まあ、23時間行列をして解散かな、時間があれば当日行われるmokaの駅前ライブにサムライの恰好で行ってやろうと思っていたが、朝10時に集合し、解散は4時。途中、昼食、待機時間はあるが、6時間の拘束である。最初は気おくれしたが、こんなに長い時間憧れの侍になれると思うとだんだん楽しくなってきた。ちなみに当日ハ行の妻は、さすがに私の趣味にはついていけないと、自分の趣味であるフラメンコを楽しむとのこと。

 

しばらく、つづく、、、