5.行軍
殿の出撃命令を受け、小学校のグランド出る。先行するブラスバンドが何やら聞き覚えのある曲を演奏していると思ったら、ピンクレディの曲だった。う~ん、武者行列の音楽には合わないなあ。と思っていたら、局長、でなく曲調が変わった。おお、NHKの大河ドラマ新撰組!のテーマだ。主人公は違うが、これは何となく雰囲気が合うな。
行軍中
大多喜の町を行軍は進む。それにしても、我々下っ端は徒歩での行軍だが、騎馬の殿はうらやましい。くどいようだが、来年こそは私が!という思いを膨らませるのであった。沿道のカメラもほとんどが殿に向けられている。といいながらも、私も旗持ちで殿のすぐ前に配列されていたので、隙を見てはシャッターチャンスをとらえて殿の写真を撮って、楽しんだ。
行軍は町中を進み、いよいよ大多喜駅前だ。見覚えのあるカメラマンが写真を撮っていたので、手をあげて合図を送った。tass師匠だ。ジャンヌさんもいる。今まで割とリラックスして行軍してきたが、知り合いの顔をみたと途端になぜか緊張してしまった。ありがたいことに私の勇姿(?)を撮っていただけた。いつも美しい写真を楽しませていただいているtass師匠に写真を撮っていただけるとは光栄である。ここで、先ほどの忍者が現れ、家臣と決闘するという小芝居が再び始まった。忍者どもは行軍する私の目の前に割り込んできたので、ことの成行きを最前列で見守ることができた。旗持ちの役得である。見事に忍者は切り伏せられ、軍は再び動き出した。すると、「久我原さん、がんばって。」との掛け声が聞こえる。ジャンヌさんだ。不意打ちとは秘境、いや卑怯なり、私は背筋にタラ~リと冷や汗が流れるのを感じた。地元の人はなぜ駅が頑張るのだろう思ったことだろう。いや、久我原駅もがんばってその姿をとどめてもらいたい。途中、5歳ぐらいの男の子が我々に向かって「エイエイオー。」と掛け声をかけてくれた。これがまた力になった。若!ともに初陣を飾ること楽しみしているぞ!
軍は進み小学校へと凱旋した。夢の時間の終了である。
凱旋!!
やっぱり殿はええのう~
6.大多喜駅で
約6時間の行軍も、終わってみればあっという間の出来事だった。大多喜町より武装解除の命令が下り、我々行軍は平服へと戻っていくのであった。一緒に旗もちをした人に、
「お疲れさま、またお会いできますよう。」
と声をかけ、小学校を後にした。ジャンヌさんに連絡をとり、大多喜駅で待ち合わせることに。残念ながらmokaのメンバーはすでに帰ってしまったと、、、今回のやり残しは、、、またmokaだ。
駅前でジャンヌさん、tass師匠と出会うことができた。このメンバーが、大多喜にそろうのは3回目だが、それぞれの持ち味で毎度毎度の別行動。でも、これがそれぞれの1日を報告しあって結構楽しい。田舎のじい様も加わり、われら楽しいサポーターズである。
駅前でわいわいと楽しんでいると、観光本陣に見覚えのある人が、、さっき別れたばかりの旗もちの同志である。聞くところによると、山梨の信玄公24将に参加したことがあり、その時は騎馬武者になったとのこと。今日は徒歩の旗もちだから、さぞもの足りなかったことだろう。なぜか大多喜では再会を多く経験できる不思議な町だと感じた。この戦友は次の大原行きいすみ鉄道で帰って行った。その後、大多喜駅で着流しの風流人に出会った。なんと、殿様を演じた、日光からの参加者だ。平服が着流しとはやはりつわものだ。
「殿お疲れ様です。」
と声をかけると、キョトンとした顔をされた。
「旗もちをやったものです。」
と自己紹介したものの、やはり下っ端は印象にうすいのか、、、
その後、日も暮れて、ジャンヌさん一行と光アートを楽しんだ後、一行と別れて大原壱岐の列車で帰途に着く。大多喜駅で列車を待っていると、田舎じい様がやってきた。わざわざ私を見送りに来てくれたようだ。ありがたいことだ。よそ者の私をわざわざ見送ってくれるとは。田舎のじい様にもまた、いつか大多喜で再会できるだろうと確信をもった私を乗せた列車は大多喜駅を出発していった。
帰りの列車は大多喜の高校生がほとんどで、まるでスクールバスに迷い込んだようだ。リラックスした彼らを見ていると、彼らのためにも大切な路線なんだと改めて実感した。出会い、再開、楽しさ、感動の1日が終わろうとしている。
おわり
tass師匠に負けじと光アートを撮ってみたボケボケ