2010年12月、いすみ鉄道にキハ58がやってきた。その一般のお披露目イベントに行った時、あこがれの鉄道写真家中井精也先生にお会いした。
「カメラと旅する鉄道風景見ました。」
と言うと、
「ありがとうございます。明日は他の番組ですけど秩父鉄道に行きます。」
とお答えいただいた。
「ち、秩父鉄道ですか。いいな。」と私。
「うらやましいでしょう。」と中井先生はあの人懐っこい笑顔でちょっと自慢げ。
それ以来、都心に一番近いSLがキャッチフレーズの秩父鉄道に一度は乗ってみたいと思っていた。
大多喜つながりのtass師匠のおかげですっかり(なんちゃって)鉄ちゃんになってしまったが、一方(やはりなんちゃって)城マニアでもある。城と言っても一般人(と言ったら失礼だが、)は姫路城や松本城の様な天守閣が堂々とした城を思い浮かべるが、城郭ウォッチャーの余湖先生によれば山の中にひっそりと廃城になってしまった城の縄張りにこそ魅力があると言う。私はこの余湖先生の説に共鳴した。共振したと言ってもよいと思う。
歴史上のドラマに出てくる有名な城、例えば安土城、観音寺城、一乗谷城、小谷城、八王子城などは一部に石垣や土塁しか残っていない。つまり、ドラマがある城はそこに戦があり、落城し基礎部分を除いては跡かたもなくなってしまっていることが多い。というと、「小田原城や大坂城、今旬の会津城だって落城したのに天守閣が残っているじゃないか。」と言われそうだが、あれは後世再建したもの。アメリカ軍の空襲によって破壊されて忠実に再現された名古屋城や岡山城は良いとしても、実在したかどうかも分からないのにいい加減な天守閣を作ってしまうのはいかがなものか。あの大坂城でさえ、豊臣時代と徳川時代の天守閣をミックスしたもので、あのような天守閣があったと言う史実は無いらしい。なんちゃって天守閣である。ついでに言えば大阪城と言うのも正しくない。大坂城と言うべきである。(というと大阪市民から総スカンをくらいそうだが、今の天守閣を作った大阪市民の方の熱意には敬意を払う。実際に大坂城を訪れた時はすごいもんだなあと思った。)要は天守閣がなくても往時の縄張り、つまり土塁、石垣、空掘りなど大きく見れば城下町にその形跡を思わせる地形が残っていることを確認して、「ここを誰ぞが攻めて、城方はここまで突出したんだな。」と妄想するのが醍醐味である。
秩父鉄道と言うタイトルなのに、全く関係のない城の話となってしまったが、秩父鉄道の沿線の寄居に鉢形城という城があった。歴史に詳しい人でないとピンと来ないかもしれないが、この城は小田原の北条氏の枝城で豊臣秀吉の北条攻めの時に前田利家、本多忠勝等に囲まれて落城している。秀吉の小田原攻めは単に小田原を攻めただけでなく、関東全域の小田原勢を攻めた戦であった。最近映画で有名になった「のぼうの城」の忍城も小田原攻めの一環で石田三成の水攻めの話で話題になっている。
その鉢形城は比較的整備されていて遺構が見学しやすいとのこと。そんなわけで、大好きな鉄道のSL見物と大好きな城見物を兼ねて秩父鉄道の寄居を目指すことになった。tass師匠、中井先生、余湖先生に感謝である。
と言うことで、前置きが長くなったので、本編は次回、、、
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