ヴィンちゃんといっしょに出かけよう

近所に散歩、ローカル線の旅、温泉旅行。出かける時にはサクサクで大人気のヴィンちゃんといっしょ。そんな僕の独り言の記録。

コルトン文化祭

2013-04-27 22:23:47 | 音楽の話

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地元の友達とバンドをやっている。大学時代マンドリンクラブでコントラバスを弾いていたが、実はジャズをやりたかった。ある日父が、

「自治会でバンドをやっている人がいるから遊びに行ってみたらどうだ。」

と言ってきた。父の知り合いでバンドなら、懐メロかベンチャーズとかビートルズかなと思ったが、ジャズバンドでしかもベースがいないと言うことだった。

なに?ジャズバンドでベースがいない?それはゆゆしき事態だ。私はジャズバンドの経験はないがなんとかせねばと思い、電話をしたら明日練習があるから来てみないかとのことだった。で、練習に行ってみた。やはり大学時代のクラブの仲間で結成したとのことだった。で、練習が終わると父の友人のバンマスが

「明日、本番だけど、時間ある?」

と言ってきた。、、、いや、、時間はあるが、ジャズなんかやりたかったけどバンドで練習したのはこの日が初めて、、しかもドミソドミソ、ドレミファソラシドしかやっていない。

「それでいいよ。」

と言うことで、電話した2日後には本番のステージに立っていたという、今考えると恐ろしい時代になってしまった。もう20年前の話だが、このバンドはメンバーの転勤、高齢化が進み、いつの間にか自然消滅してしまったが、近所なので、バンマスとの交流は続き、音楽友達アマチュアなセッション活動を続けている。単独ライブは荷が重いが、イベントやセッションで遊ばせてもらっている。

で、おととし(2011年)に地元のショッピングセンター「コルトンプラザ」で「コルトン文化祭」というイベントがあったので、出演した。去年も出演した。で、今年も出演することになった。本日はその宣伝である。

毎度のことながら、やっと本題にたどり着いた。

過去の演奏がYOUTUBEにアップされているので、参考までに。

http://www.youtube.com/watch?v=0IFM_DFA0xk

http://www.youtube.com/watch?v=mazG0J__Ixo

これを見て、奇特にも興味がわいた方は、買い物のついでに見に来ていただけると幸甚である。

あと、地元の自治会の写真クラブも出品しているので、こちらもついでに見ていただけると、さらなる幸せを感じる次第である。

南八幡三丁目写真クラブ 島村楽器店前にて展示

CUATRO GATOS +2   5月5日午後3時半ごろ  コルトンプラザスペイン階段前ステージ


けいおん!

2013-04-25 23:12:50 | 感想文

 

昨年、近江地方に旅行に行った。目的は、私は近江の城めぐり、妻は十一面観音めぐりだ。
私の城めぐりについてはいまさら言うまでもないが、妻は白洲正子のファンでその著作から十一面観音に興味を持ったという。
意外であった。
私の目的である城めぐりは、彦根城、安土城、八幡山城、観音寺城、長浜城、ついでに京都の二条城と100名城に数えられる4城を含めて4日間で6城を攻めることができたのは私としては大きな成果であった。
(ただし、安土城は時間の都合上で本丸を攻め落とすことは出来なかった。)
妻も目当てであったお二人の観音様に拝謁することができ、実り大きい旅であった。
しかし旅日記が本稿の目的ではない。
 
レンタカーでの行程の最後にどこへ行こうかということになり、地元ゆかりの建築家ボーリーズの設計で豊郷町立豊郷小学校旧校舎というのが人気らしいというので行ってみた。
閉館時間が過ぎていたので、建物内は見学できなかったが一見、まあよくある近代歴史的建造物というやつで、素晴らしいものではあるとは思うが、正直言ってびっくりするほどのものでもない。
 
 
で、なぜ人気かというと、どうやら学園ものアニメのモデルになっているらしい。そのアニメとは、女子高生にひそかなバンドブームを起こした「けいおん!」である。で、ここからが本題。、、、、、、、、、、、、、、、、相変わらず、枕が長い、というか、無駄話が多い、というか、、、
 
 
ある日、レンタルビデオ屋で「けいおん!」が目についた。ああ、あのボーリーズの小学校がモデルになっているアニメだなと思って通り過ぎた。巻数はかなりあったような気がする。ざっと15-20巻はあったと思う。
 
別の日にまたレンタルビデオ屋に行った。その時は目的の映画があったのだが、残念ながら貸出し中だった。そしてまた「けいおん!」が目に付いた。今度は手に取ってみた。
1巻の収録エピソード数は30分ものが2話で、再生時間は48分ほど。どうやら、部員が全員卒業して廃部寸前の軽音部に音楽未経験者の平沢唯他4人の1年生が入部し、軽音部を続けるというよくある青春サクセスコメディだ。スイングガールズ、スクールオブロック、フラガールなんかと類似の分野だと思う。
 
おっさんにはちと恥ずかしかったが、面白そうなので、試しに2巻借りてみた。
で、意外に面白かったので、続けて借りてしまった。
 
まあ、女子高生があまり練習はしないで部室でお菓子を食べてまったりしていることが多いのは少々だるいが、ところどころマニアックなシーンがちょっとロック世代のおじさんにはしみるところがある。
 
例えば、
音楽素人のギター担当唯がドラムスの律に
「好きなギタリストは?」
と聞かれて、
「ジ、、」
というと、
「ジミヘン、ジェフ・ベック、それともジミーページ?」
「ギタリストってジで始まる人が多いねえ、、」
と畳み込まれる。これを見ている若い子らの何パーセントがここで笑えるかと思ってしまう。
 
学生時代のバンド経験を隠している先生がギターを渡さられるといきなり弾きまくり、
「サンバーストでマホガニーのレスポール、ハンバッキンの音がたまらない。」
と満足げにする。若い子らの理解度はさらに下がるな。
 
さらに1年後、唯たちが2年生になるとギター経験者である新入生のが入部し唯と一緒に練習をすることになる。
後輩ながら経験者の梓が唯のギターに、アドバスをする。
「カッティングとチョーキングをするといいですよ。」
「カッティング?チョーキング?それなあに?」
梓はそんな基本テクニックも知らないのかとあきれるが、実は唯は名前は知らないがそのテクニックを習得していることに少々、驚く。
 
梓が今はやりのクリップ型チュナーを使っていると、唯がそれは何だと尋ねる。
梓はチューナーの説明をして、今までどうやってチューニングをしていたのかと、聞くと
「なんとなく。」
と答えて、チューニングをしてしまう。梓は絶対音感かとおどろく。
音楽初心者でのんびりものの唯だが、ギターは好きで実は相当のポテンシャルを持っているようだ。
一見ダメそうで、やる時はやるっていうキャラは結構はまる。
時代劇でいえば忠臣蔵の大石内蔵助、たそがれ清兵衛等、、、
 
バンドの練習をバリバリやりたい梓は、それほどうまくもないのに練習をせずだらだらと遊んでいる先輩にいらだつが、なぜか4人そろって演奏すると魅力があることに気付く。
 
こんなバンドがいたような~~
 
こりゃROLLING STONESじゃねえか?
世界的なバンドなので、練習をしないことはないだろうが、決してうまいバンドでは無いような気がする。
SHINING ALIGHTというSTONESのライブ映画の中でロンウッドとどっちがギターがうまいかを聞かれたキースリチャーズが
「はんっ!二人ともへたくそだ。でも二人そろえば最強だ。」
と言っていた。短いがSTONESの特徴をよく表しているセリフだ。
 
ミックも歌は下手だけど、STONESの演奏はものすごいパワーを持っている。
結成50年、一度も解散せずにメンバーもほとんど変わらず最前線でライブを続けてきた奇跡のバンドだ。
けいおん!のまったりバンドとSTONESを比べては(どちらの)ファンからも怒られそうだが、梓が「うまくないのに4人演奏が良いのはなんでだろう。」と言うセリフに、私の頭にはキースの言葉がよみがえってしまったので仕方がない。
 
というわけで、
賛否両論はあるようで、パッケージは少女漫画っぽくて、内容もまったりしているが、バンド経験のあればおじさんでも軽い気持ちで楽しめると思った。

カトリック浅草教会

2013-04-16 23:16:35 | 日日平安

先日3/30に浅草に行ってみた。

前々から気になっていることがあったので、その確認のつもりだ。

慶長14年(1609年)、当時のフィリピン臨時総督ドンロドリゴが任期を終えメキシコに帰る途中、嵐に遭い房総沖で難破した。

乗員の多くは房総岩和田の村民(漁師とも言われているが、その当時漁師と言う職業が成立していたかどうかには疑問もあると言われる)たちに救助されたが、その船は嵐で破壊されてしまった。しかしながら、当時の大多喜領主本多忠朝の手厚い保護と、徳川政権による帰国援助でドンロドリゴは翌慶長15年、幕府のようした船で無事メキシコに帰還することができた。

その翌年、答礼使としてビスカイノが来日し、徳川家康、秀忠に謁見し、友好と通商、さらに日本の銀山開発を申し入れた。

初め、ビスカイノたちはヨーロッパの大国の使者として歓迎されたが、実はその母国スペインがイギリスとの海戦に敗れて以来、その制海権がイギリスに移っていることがわかってくると、徳川政権の態度は次第に冷たくなっていった。

翌年、帰国のため日本を出港したビスカイノは何の因果かロドリゴ同様に嵐に遭い船が破損し、太平洋横断に耐えられないと判断し日本に戻ってきた。しかしながら徳川政権からロドリゴ遭難の時のような援助を受けることは出来なかった。

困ったビスカイノ一行が頼ったのは、来日直後に親交が始まった伊達政宗であった。当時政宗の仙台藩は慶長三陸地震の打撃から自力復興を目指していたが、海外進出の野望も持っていたので、自分の家臣をスペインに連れていく条件でビスカイノ帰国のために新造船を完成させた。

前述のように当時東北は2011年の東日本大震災に匹敵する慶長三陸地震による被災地であったが、その復興活動と並行して太平洋横断をするためにヨーロッパ式の新造船をたったの45日で作ってしまったとは驚きだ。

当時は戦国時代の末期で戦乱災害からの復興は自力で行うということは常識のようで現在のように他の地域からの援助など望めることではなかった。それでも政宗は自力復興、更には震災前以上の発展をも目指していた。

それではなぜ、その大変な時期に、幕府さえ躊躇したビスカイノの帰国を援助したのか??

そこには政宗の大きな構想があった。それは震災復興策の一つとして、仙台に対外交易のハブポートを作ることだったという説が浮上してきている。仙台を対スペインの貿易港として富を蓄え、震災からの復興、さらにその先の経済発展まで見据えていた、と言ったら大げさだろうか。

従来、政宗の遣欧使節団については、徳川家への謀反を考えていたとかいろいろ言われてきているが、改めて慶長地震の被災に対する政宗の復興対策と絡めて考えれば、今回の大震災の復興のヒントを見出すことができるのではないだろうか。

ところで、ビスカイノが伊達政宗と初めて出会ったのは、神田から上野、浅草あたりのどこかではないかと言われている。ビスカイノは在日キリスト僧侶のソテロが建てた浅草の病院視察へ、政宗は仙台への帰国の途上であったという。政宗は以前からソテロと面識があったようで、ソテロからビスカイノを紹介された。

その時、政宗はビスカイノが所持していた新式の鉄砲に興味を持ち、ビスカイノに実演を依頼した。ビスカイノが鉄砲のを撃つと、そのすさまじい音に政宗の家来が乗った馬が驚き暴れてその家来は落馬したという。(それが支倉常長だったりしたらおもしろいと妄想してしまう。)

前置きが長くなったが、冒頭の気になっていたというのは、ビスカイノと政宗の出会いの場所はさておき、ソテロの浅草病院とはどんなところで場所がどこかということだ。そんなところにカトリックの浅草教会裏に当時のキリシタン受難の碑があるというので出かけてみた。

 

カトリック浅草教会

浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑

この浅草教会は鳥越神社のそばにあり、浅草の中心からは外れた場所だ。この場所にソテロの建てた病院があったかどうかはわからないが、当時迫害が始まりつつあったキリスト教徒の病院だから、中心よりも外れたこんなところにあったのかなとも思う。ソテロはその後浅草に教会も建てたようだが、詳細はよくはわからなかったので引き続き調査をしたいと思う。

前置きが長い割には本題が尻切れトンボになってしまった、、、、