先日3/30に浅草に行ってみた。
前々から気になっていることがあったので、その確認のつもりだ。
慶長14年(1609年)、当時のフィリピン臨時総督ドンロドリゴが任期を終えメキシコに帰る途中、嵐に遭い房総沖で難破した。
乗員の多くは房総岩和田の村民(漁師とも言われているが、その当時漁師と言う職業が成立していたかどうかには疑問もあると言われる)たちに救助されたが、その船は嵐で破壊されてしまった。しかしながら、当時の大多喜領主本多忠朝の手厚い保護と、徳川政権による帰国援助でドンロドリゴは翌慶長15年、幕府のようした船で無事メキシコに帰還することができた。
その翌年、答礼使としてビスカイノが来日し、徳川家康、秀忠に謁見し、友好と通商、さらに日本の銀山開発を申し入れた。
初め、ビスカイノたちはヨーロッパの大国の使者として歓迎されたが、実はその母国スペインがイギリスとの海戦に敗れて以来、その制海権がイギリスに移っていることがわかってくると、徳川政権の態度は次第に冷たくなっていった。
翌年、帰国のため日本を出港したビスカイノは何の因果かロドリゴ同様に嵐に遭い船が破損し、太平洋横断に耐えられないと判断し日本に戻ってきた。しかしながら徳川政権からロドリゴ遭難の時のような援助を受けることは出来なかった。
困ったビスカイノ一行が頼ったのは、来日直後に親交が始まった伊達政宗であった。当時政宗の仙台藩は慶長三陸地震の打撃から自力復興を目指していたが、海外進出の野望も持っていたので、自分の家臣をスペインに連れていく条件でビスカイノ帰国のために新造船を完成させた。
前述のように当時東北は2011年の東日本大震災に匹敵する慶長三陸地震による被災地であったが、その復興活動と並行して太平洋横断をするためにヨーロッパ式の新造船をたったの45日で作ってしまったとは驚きだ。
当時は戦国時代の末期で戦乱災害からの復興は自力で行うということは常識のようで現在のように他の地域からの援助など望めることではなかった。それでも政宗は自力復興、更には震災前以上の発展をも目指していた。
それではなぜ、その大変な時期に、幕府さえ躊躇したビスカイノの帰国を援助したのか??
そこには政宗の大きな構想があった。それは震災復興策の一つとして、仙台に対外交易のハブポートを作ることだったという説が浮上してきている。仙台を対スペインの貿易港として富を蓄え、震災からの復興、さらにその先の経済発展まで見据えていた、と言ったら大げさだろうか。
従来、政宗の遣欧使節団については、徳川家への謀反を考えていたとかいろいろ言われてきているが、改めて慶長地震の被災に対する政宗の復興対策と絡めて考えれば、今回の大震災の復興のヒントを見出すことができるのではないだろうか。
ところで、ビスカイノが伊達政宗と初めて出会ったのは、神田から上野、浅草あたりのどこかではないかと言われている。ビスカイノは在日キリスト僧侶のソテロが建てた浅草の病院視察へ、政宗は仙台への帰国の途上であったという。政宗は以前からソテロと面識があったようで、ソテロからビスカイノを紹介された。
その時、政宗はビスカイノが所持していた新式の鉄砲に興味を持ち、ビスカイノに実演を依頼した。ビスカイノが鉄砲のを撃つと、そのすさまじい音に政宗の家来が乗った馬が驚き暴れてその家来は落馬したという。(それが支倉常長だったりしたらおもしろいと妄想してしまう。)
前置きが長くなったが、冒頭の気になっていたというのは、ビスカイノと政宗の出会いの場所はさておき、ソテロの浅草病院とはどんなところで場所がどこかということだ。そんなところにカトリックの浅草教会裏に当時のキリシタン受難の碑があるというので出かけてみた。
カトリック浅草教会
浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑
この浅草教会は鳥越神社のそばにあり、浅草の中心からは外れた場所だ。この場所にソテロの建てた病院があったかどうかはわからないが、当時迫害が始まりつつあったキリスト教徒の病院だから、中心よりも外れたこんなところにあったのかなとも思う。ソテロはその後浅草に教会も建てたようだが、詳細はよくはわからなかったので引き続き調査をしたいと思う。
前置きが長い割には本題が尻切れトンボになってしまった、、、、
見あげれば、入道雲と青い空。待望の猛暑の季節がやってきた。
暑い、暑いと喜んでいるの私だけ。ハ行の妻は、
「暑い、どこかに避難したい。」
と救難信号を発信している。
「じゃあ、千葉のパルコに行ってみるか?」
と誘いをかけると怪訝な顔。
「なんで、あんたがパルコなの?」
と言いたげな表情である。
以前、いすみ鉄道応援団のジャンヌ隊長からパルコで千葉戦国祭りというものが開催されるので興味があれば行ってみたらどうかとのお誘いを受けた。ちょっと、楽しみにしていたが、休日の予定がよくわからなかったのでどうしようかと思っていたが、この日はちょうど用事がなかったのでハ行の妻と行ってみることにした。この日を選んだ決断は正しかったことが、のちに判明することになった。
総武線に乗って、千葉駅に着き、何気に外房線のホームを見ると、何と噂の湘南色の113系電車が停車しているではないか!!これは付いている。この日、この時間に千葉駅に到着したのは幸運である。早速ヴィンセントと記念撮影。この電車は茂原行きだ。大多喜に行くときはいつも横須賀色の車両だが、いつかこの湘南色に乗って行ってみたい。、、、しかし、この日の目的は千葉戦国祭りだ。その気持ちは抑えて、千葉パルコへと向かうことにした。
遅い昼食をとった後、千葉戦国祭りの会場にたどり着くと、ある程度予想はしていたものの、ジャンヌ隊長に遭遇することができた。思えば、ジャンヌ隊長とお会いするのは久しぶりだ。それだけでも、この日を選んでよかったと思ったが、なんと戦国武将イラストの名手、鍋之介殿にもお会いすることができた。この日、この時間を選んだのは幸運だった。
鍋之介殿のイラストや戦国グッズを楽しんでいると、スタッフの方から
「甲冑着てみないか?」
とのお誘いを受けた。手作りの模擬甲冑だが、この兜は本多忠勝公ではないか!!当然、着ます。
2度、大多喜のお城まつりに参加したが、2回とも旗持ち(足軽)だったことを告げると、
「わざわざ、大多喜まで来なくても、、、」
と言われたが、殿様になるまでに参加するつもりである。
同行のハ行の妻にもお誘いがあったが、ハ行の妻は辞退した。
すると、ジャンヌ隊長から
「それなら、私が着る。」
と申し出があった。こちらは去年ブームになった直江景勝だ。
スタッフの方が、兜に愛の字をつけながら、
「奥さんじゃないのに悪いねえ。」
とハ行に妻に言うと
「どうぞ、どうぞ。」
とハ行の妻の反応である。
ジャンヌ隊長の着付けも終わり、せっかくなので2人で記念撮影をした。
その後、手作り甲冑を見物していると、ミニチュアを発見。これはヴィンちゃんにちょうどいいと、ヴィンちゃんにも着せてみた。
このところ、仕事でへろへろになっていたが、この日は楽しい休日となった。
ジャンヌ隊長、鍋之介殿、大多喜のスタッフの方々、ありがとうございました。
今年のお城まつりのときもよろしくお願いします。
、、、、って彼がこのブログを呼んでいるかどうかは不明。
やっと、やわたまつりの最終回。ちょっとぐちっぽい感想だけど気に障ったらごめんね。
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さて、一応無事に終わった、やわたまつり。今回は自治会として準備段階から参加しての感想。会議、報告の準備委員会になぜあんなに時間がかかるのか、と少し飽きてしまった。私は担ぎ手なので、神輿出して担げばいいのよ。ポスターのデザインとか、子供神輿の順番がおかしいとかはあんまり関係無い。お土産の準備とか、子供神輿のくみ上げの手伝いは喜んでさせていただくが、長いお話はご遠慮したかった。いやいや、そういう準備があってこそまつりは楽しく、安全なものとなるのだ。
それと一番重要な事だが、、、、 地元の担ぎ手が少なすぎる。同好会の半纏だらけである。どこの神輿かわからない。おまけにガードを組んで他をはじく最低の同好会もあった。準備委員会では同好会のおかげで神輿が出せるような言い方だが、それでいいの?と思わざるを得ない。やわたまつりが同好会のおかげでスタートしたと言う事もあるだろう。確かに同好会の力がなければ神社の大神輿を出す事はできないと思うし、ほとんどは善意のある同好会で協力的だという事もわかる。
でも、そろそろ同好会依存を脱却する時期なのではとも思った。新参者の私が言うのも僭越だと思うが、、、まあ、これは独り言だ。 私自身、浅草で同好会に入っていて、各地のまつりに参加させてもらっているが、基本我々はお手伝い。主役はあくまでも地元の方々。前棒は町会半纏、同好会は後ろと言うのが基本だと思う。もちろん地元の人から「思い切って担いで下さい」というお声がかかれば、遠慮はせずそれなりに担がせていただくが、地元の人をはじいてまでと言う事はありえない。
まあ、やわたは担げる地元民が少ないからしょうがないのだろうけど、同好会の方々は少々地元民をなめているのでは?地元の半纏でなければ担げないというまつりに発展してもらいたいと言うのが、数少ない担ぎ手の八幡ッ子としての感想だ。というか、わがままかな?
年が明けて、今年はブログをがんばるぞと思いつつ、もう2月も終わりだ。それでも、まだ八幡まつりのつづき、、、
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やわたまつり その4
毎度、やわたまつりで会う白半纏を着た先輩に出会った。
「あれ、今回は白じゃないの?自治会の半纏なんだ。いいねえ~。」
と声をかけてきたので、
「次回は、一緒に自治会半纏着ましょうよ。どうですか?」
と誘ってみた。次回以降の半纏の数も担ぎ手の人数も、増やしていきたいので、勧誘、勧誘。
さて、北の町を巡航し、神社の西側に出たところで午前中は終了。ここでお昼休みとなった。今回のおまつりは以前に問題があった様で、完全禁酒の御触れが出ていたが、なぜかお昼のお弁当には1人1本の発泡酒がついていた。??禁酒令を布きながら、主催者側で酒を出す?いいのかな?と思いつつ、頂けるものはありがたく頂戴した。
いよいよ駅前に突入!!
子供みこしも合流だ!!
午後は本八幡駅の北口ロータリーに突撃!タクシーを含めて車輛はシャットアウトされ、駅前はお祭り広場状態。ここから、子供神輿も合流だ。やはり、なれているせいか、北の子供たちは元気が良い。ここが、この日一番のメーンギャラリーだな。 駅前を抜け、一番街で休憩をし、いよいよ次はわが町南八幡三丁目だ。
駅前はお祭り広場!!
町の半纏での本社渡御!待ちに待った瞬間である。さすがに地元は顔見知りが多く、
「かっこいいねえ。」
と声をかけてもらう。君たち、指加えて見て無いで三年後はいっしょに担ごうぜ、と言いたかった。
さて、我が地元の休憩所に神輿が下りたところで実行委員長よりしょうもないご注意が。
「このやわたまつりは禁酒です。お酒を飲んだ方は担げません。ソフトドリンクのペットボトル等にお酒を入れている方がいらっしゃるようですが、、、、、、」
中高生じゃあるまいし、と思ったが、やっぱりお弁当の発泡酒1本が呼び水になっているのは間違いない。 神輿が出発するとき、地元代表として自治会長が挨拶したが、緊張していたせいか、まちがえて笑ってごまかしていた。この後は、駅の南の広場を通り、行徳街道、千葉街道に渋滞を引き起こして神輿は葛飾八幡宮へと向かっていく。 、、道中、色々ありましたが、夕方、葛飾八幡宮に宮入へ。
最後に我が三兄弟が長男、次男、三男の順番にとんぼに貼りついて、その後ろに義弟(妻の実弟)がくらいつき、きれいに南八幡の四バカ兄弟がそろったのを発見した母が興奮して、「カメラ、カメラ。」と叫んでいる。M氏に撮ってもらったが、ご覧の通りぶれぶれでどれが誰だかわからない。でも、逆にライブな感じで、私としては結構気に入っている。
次回がやわたまつりの最終回・・・
さあ、張り切って宮入だ~
見よ、4バカ兄弟のライブ映像!!
祭りの後のしずけさや~
あけましておめでとうございます。
今年も独り言は続く予定です。今年の一回めはまだ、去年10月の話です。
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やわたまつり、当日。
いよいよ、待ちに待った神社みこしの渡御である。例年、一人さびしく白半纏だったが、今年は自治会で参加しているので、助っ人含めて8人がわが自治会半纏での参加。しかも御霊入れから参加である。
さあ、宮だしから張り切って担ぐぞ!と思っていたが、今回は自治会で参加しているので高張り提灯をもつ仕事がある。一応、私は今回は引率者のようなものなので、宮出しの楽しみはほかのメンバーに譲ってまずはお仕事だ。
葛飾八幡宮より宮出し
私は提灯持ち、、みんな楽しいそうだなあ~
今回、初参加のM氏とS氏。二人とも今回が初神輿だが、このM氏がものすごいはりきりよう。道中、M氏はみこしに入りっぱなしで、探し出すのに困難を極めた。一方S氏は、、楽しそうに神輿のまわりをうろちょろ。
「楽しんでますか?」
と聞くと、
「楽しんでます」
と。
「担がないの?」
と聞くと、
「気後れしちゃって、、、」
と。まあ、楽しみ方は人それぞれ。
神社を出発し、神輿が国道に出ると、国道は朝から大渋滞。今日ばかりは車も神輿と人に道を譲る。これも楽しみの一つだ。午前中はこの国道から北側の旧市街地を巡航する。古い町並みを神輿を中心に人の洪水が流れていくようだ。
この日は大通りでも神輿が占拠!
祭りの雰囲気を盛り上げる葛西囃子保存会
住宅街を洪水のように流れる神輿と担ぎ手
つづく、、、
今回のやわたまつり、自治会として参加することに、大人神輿も楽しみだが、自治会の子供みこしも大人神輿について渡御することになり、こちらも楽しみだ。祭りの前日に北の町会の子供みこしとともに、神社でくみ上げをすることになった。
去年と今年の自治会まつり(模擬店中心の縁日のようなもの)のときに、子供みこしを展示し、その時にくみ上げををしているので、その時の経験者に手伝ってもらった。我ら経験者だから大乗とくみ上げをしたものの、北の町会の人から見ると、やはり組み方が甘いのか、手直しが入ってしまった。
子供みこしのくみ上げをする自治会の同志
北の町会の先輩の指導のもとに、子供みこしも無事に組みあがり、午後から御魂入れだ。自治会の子供みこしはこのときはじめての御魂入れ。はじめて神様をお迎えすることになり、感無量だ。自治会の会長から
「御魂入れには自治会の半纏着てね。(会長は女性)」
と言われたので、私はTシャツに半纏をひっかけて参加したが、初参加のM氏は完全武装、ダボシャツに股引を着こみ、臨戦体制での参加だ。翌日の彼の活躍が楽しみである。御魂入れも無事終わり、いよいよ明日の本番が楽しみだ。
御魂入れに参列する各町会のおえら方。
わが町の神輿も初めての御魂入れ
運営本部の前に飾られた各町会の子供みこし
予告をしながら、いっこうにすすまない私のブログだが、今日から10月5日に開催された「やわたまつり」についてさくっと行ってみよう。
やわたまつりは千葉県の葛飾八幡宮で長い間途絶えていた神社の大神輿渡御を平成元年に復活させ、その後3年に一度開催されている。復活当初は神社の祭礼ではなく、商店街を中心とした地域のイベント的色彩が濃かったようだ。それが、今では氏子青年会を中心とした神社の祭礼となっている。
市川市の中心地の八幡地区だが、駅をはさんで北と南ではだいぶ様子が違う。北は神社を中心としたふるい街で住んでいる人も代々続いて住んでいるようだが、南は新興地。50年ほど前からそれまで一面の田んぼだった土地の開発が始まり、新しい住民が移ってきたようだ。私が子供のころは家の周りは沼と空き地が多く、ザリガニやカエルを捕まえたり、時にはシラサギが飛んでくるようなのどかな風景であった。現在の大規模なアパート(いわゆるマンション)が林立する街からちょっと想像ができない。沼や空き地ばかりではない。火葬場やと殺場まであったとは今の住民には想像を絶するであろう。
なんとなく祭りには関係の無い話のようにも思えるが、私が言いたいのは八幡と南八幡ではそういう事情から住民の質というか、種類がまったく違うのである。(と思えた。)失礼な言い方かもしれないが、北は古い町で南は新しい町。言いかえれば北は伝統がある町、南は新参者の町。なぜそう思ったかというと、南に比べて北の人たちは祭りの運営に非常に熱心だったから。自分が祭り好きだからうらやましいと思っただけかもしれないが、、
今回初めて自治会として八幡祭りに参加することになったが、神輿を担いだ事がある人も少なく、どうしたら良いかわからない状態。で、私に会合に出るように指令が下った。そんなわけで神社に新しくできた氏子会館での実行委員会の会合に出席した。私は人見知りの小心者なので、おそるおそる会合に加わると意外に大歓迎をされた。おまけに、南の町では絶滅危惧種に近い神輿好きだからなのか、何人かの人が私の名前を知っていた。驚いたが、なんと私の自治会の元会長が実行委員長で私のことを神輿好きと吹聴していたらしい。ありがたいと思ったが、困ったのは、私は自治会の代表のつもりで参加したのだが、実行委員会では私も実行委員になる事を前提に話が進んでいるような感じがしたところ。私の指名は一人でも多くの南の住民に神輿を担ぐ楽しさを味わってもらう事である。
つづく
黄色い列車「いすみ鉄道」を応援する私は黄色いサッカーチームも応援している。小湊鉄道が走る市原市と千葉市をホームタウンにしているジェフ千葉だ。
いすみ鉄道も崖っぷちだが、こちらのチームもがけっぷち。
本日最終戦で負ければ球団史上初の降格の危機に瀕していたが、FC東京相手に逆転勝利、残留を争っていたヴェルディと磐田が負け、最終戦までもつれ込んだがジェフの残留が決定!!
今シーズン前半は全く勝つことができずに屈辱の最下位が続いたが、途中監督が代わって快進撃。最下位を脱出はしたものの、シーズンを通して常に降格の2文字におびえていた。
しかしながら、チームの不調にもかかわらず、フクアリは常に満員状態。苦しくてもサポーターが応援し続けた。もちろん私も。。
なにか似てるな?
千葉、黄色いチーム、小湊鉄道が走る市原がホームタウン、不調でもファンがサポート、監督交代で快進撃、崖っぷちから最後に逆転残留!!
置き換えると、
千葉、黄色い列車、小湊鉄道と接続、廃線の危機にもファンがサポート、社長交代で快進撃、崖っぷちから最後に逆転存続!!
今日のジェフ残留はい鉄存続を暗示する快挙だと鳥肌が立った。
い鉄サポーターズの皆さん、来年はついででいいので黄色いサッカーチームも応援してください!!
ジェフサポーターズの皆さん、フクアリに来たら、少し(大幅に)足を延ばしていすみ鉄道に遊びに来てください!!
最近、ブログもさぼり気味で、やっと、楽しい楽しい大多喜のお城祭りのレポが終わった。さぼり気味だけど、ネタはちょっとたまってきた。
10月 地元、葛飾八幡宮のやわたまつり。
丸の内でカウパレード見物
11月 京都旅行
今日(11・30) 近所で紅葉見物
とりあえず、ここまで頑張ってみるか。
そのうち、年が明けるな。
紅葉と言えば、色づくのが遅い養老渓谷はこれからが見ごろ。
養老渓谷周辺の紅葉とイベント情報は、いすみ鉄道仲間のジャンヌさんの掲示板「れいるぅえい」とブログ「いすみ鉄道ファン」でチェック!!一般人の直レポート満載で、観光協会のHPよりよくわかるかも。
http://tetudoumania.8.bbs.fc2.com/
http://blog.goo.ne.jp/isumitetudo