「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

「江戸時代鞆町分の年貢について」

2014-01-27 13:00:43 | 福山歴史研究(文化財と歴史)

「江戸時代鞆町分の年貢について」
  ー桑田家文書から見えるー

 講師 青野春水 広島大学名誉教授
 
[講演要旨(概略)]

「鞆の浦歴史民俗資料館」では、「中村家文書」八巻出版の後、
「桑田家文書」の解読に取り掛かっている。
 その概略を含め、平成26年1月26日に講演があった。


 先ず、鞆の地域の区分けの疑問の話(後地の地域)から、
「町分」の意を説明され、
年貢の徴収がどの様に行われて来たか、信長の時代
から、秀吉、そして江戸時代に関わるまで、一連の説明を話され、
「鞆町分」の年貢を「桑田家文書」から解説されました。

 「鞆町分」の年貢は、農民の耕作地の年貢より極めて高く、
その年貢の率の高さに驚きました。


 年貢徴収は、領主や施政者にとっては欠かせないものであり、
その仕組みを中世からの仕組みを戦国時代の信長が行った方法を
秀吉、江戸幕府へと順次継承している事を解説されました。


 非常に解りやすく、また大変勉強になり、大いに参考となりました。


 「桑田家文書」は、まだまだ緒に付いたばかりで今後どの様な文書が
見つかるか大変興味深く感じています。


 「鞆の浦」は、大きな商家が軒を連ね繁栄した港町であり、一つの
文書により、どの様な歴史が埋もれているのかが、今からワクワクして
います。
 次回の講演を楽しみに待ちたいと思っています。


          (講演のタイトル)



   (まだまだ元気に講演中の青野春水先生)

                     (文責:福之山 鳳来)


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