「備後・福山」歴史の街

広島県東部の地域は、古代以降「備後国」と言われていました。その「備後・福山」から郷土の歴史を含めた情報を発信致します。

「高野山への旅」雑感

2012-09-12 15:21:01 | 福山歴史研究(文化財と歴史)

 福山市文化財協会では、秋の研修旅行に
「紀州山地の霊場を訪ねる」と題して、
平成24年9月6日~7日に掛けて一泊二日の研修旅行を
参加者総勢44名で実施しました。
 今回の研修旅行は天候に恵まれて、本来の晴男の面目を保つ事が出来、
安堵しました。

 [第一日目(9月6日)]

 7時には、福山駅北口を出発し、一路車は東進し、
途中PAで小休止を挟みながら、目的地の浄瑠璃寺に到着しました。


 浄瑠璃寺への参道は、両脇に萩の木が可憐な花を付け、鄙びた趣で我々一行を
出迎えてくれました。山門もしっとりとした雰囲気で私好みの大好きな
お寺の一つです。
 「浄瑠璃寺」は、九体の阿弥陀如来を祀るお寺として有名で、
東に三重塔、西に九体阿弥陀堂があり、中央には池を配置する構成で、
西方浄土へ極楽往生へと導かれ、この世から来世への祈りを具現した
伽藍配置となっていて、多くの参拝客が訪れるお寺です。
 まず、九体阿弥陀堂で住職によるお寺の解説を聞いた後、寺域内を
散策しました。
 丁度、庭園の池と九体阿弥陀堂の前で、発掘調査が行われて、太い
木を検出していました。その木の意味をお尋ねしたところ、
「まだ良く解からない」とのことでした。
 庭園の石組みが「洲浜」として検出された新聞記事も
今回の旅行で配布されていて、より現実味のある浄瑠璃寺でした。


    (浄瑠璃寺入口石塔)



 (浄瑠璃寺参道 萩の花がお出迎え)



    (浄瑠璃寺 山門)


(  浄瑠璃寺 九体阿弥陀堂(本堂)三重塔から)



  (三重塔 本堂阿弥陀堂から)


   (本堂阿弥陀堂前の発掘調査風景)


岩船寺]の辺りは、当尾(とうの)と言われる地域で古くからの石仏や
石塔、磨崖仏が多く存在する事で良く知られている所です。
 特に、その石造物に年号が刻まれて、時代区分が解かる事でも有名です。
 岩船寺には、丈六欅の一木造りで年号の解かる阿弥陀如来坐像があり、
天皇家との繋がりを伝えているお寺です。
 本堂には、その丈六欅の一木造りの阿弥陀如来坐像には、重量感・迫力
それに増して、次世代へと続く定朝様式を垣間見る御仏です。
 四方には、四天王の立像に囲まれて、より一層の威厳を醸し出しています。
 庭園内には、池越しに三重塔を配し、極楽浄土の一端を現しています。
 さらには、庭園内に多くの石造物が点在し、これらの風景も堪らない魅力の
一つです。
 

       (岩船寺 本堂)


     (岩船寺 三重塔)


(岩船寺 石造十三重の塔)


   (岩船寺 石造五輪塔)


 「栄山寺」は、国宝二点、重要文化財五点、更には文書類多数を
所蔵し隠れた秘宝を見る事が出来、穴場とも言えるお寺です。
 事前の予約時には、それらの文化財は拝観出来ないと聞いていましたが
直接お話しをし急遽、見せて頂ける事になり、自然とガッツポーズを
してしまいました。
 何と言っても、言いだしっぺの私としては、来た甲斐があったと思った
次第です。
 八角堂の柱、天井に描かれた絵画は、奈良時代の国の絵師の手による
もので、長い風雪に耐え僅かばかりの残存ですが、それでも引き付ける
力を感じ取る事が出来ました。「消え冷えの美」とは、この様な事を
指すのでしょうか?
 絶対的な栄華を極めた息吹を今に伝える力量に引き込まれ、往時の
光を感じながら、消え入りそうな絵画の残り火を目の当りにして、
今回の旅行に参加し、やはり来て良かったと、その喜びを感じていました。


      (栄山寺 国宝八角堂)



   (栄山寺 国宝八角堂内陣)


        (栄山寺 本堂)


     (栄山寺 国宝鐘楼)


  (栄山寺 八角堂 旧石造鑪盤)

 続いては、今夜の宿坊「別格本山宝城院」へ無事到着致しました。
 当然、夕食は「精進料理」でした。旅の感動と移動への空腹感を覚え、
三杯もお変わりをしてしまいました。


      (高野山での精進料理)

 夜の宴会は、我が部屋と決まり、集まった人達の自己紹介から始まり、
参加された皆様の特技や隠れた才能を窺う機会となり、自然と般若湯の
量が増え、楽しい一時を過ごす事が出来ました。



   (高野山宿坊 別格本山宝城院)


[第二日目(9月7日)]


 朝6時15分からの勤行に参加し、真言密教の聖地である事に
気付き、身も心も引き締まる思いが致しました。
 昨夜の夕食も朝食も精進料理を頂き、自然の恵みを深く感謝する
自分が居ました。

 ガイドさんによる、「壇上伽藍」の説明を聞きながら、高野山の
文化財に沢山触れる事ができました。
 「壇上伽藍」では、「御影堂」「根本大塔」「金堂」「三鈷の松」
「西塔」「輪法堂」「一町石」「金剛峰寺」を廻り、バスで「奥の院」の
解説を聞き、それぞれに歴史やいわれをお聞きし、高野山の奥深い、また
懐の深い事を強烈に感じ取りました。


        (高野山 御影堂)


         (高野山 根本大塔)


          (高野山 金堂)


   (高野山 三鈷の松)


(高野山 一町石とガイドの林さん)


        (高野山 金剛峰寺)


       (高野山 金剛峰寺)

その後、奥の院の駐車場まで移動し、「奥の院」の墓石群を説明して頂き、
その量、大きさ、数量の多さに言葉では言い表せない程に圧倒されて
しまいました。
 「奥の院御廟橋」では、丁度弘法大師空海さんの食事を運んでいる
所に遭遇し、又と無いチャンスを見る事が出来ました。

 「奥の院」まで参拝し石室内の「空海」の姿を拝することが出来、
喜びと感動で心を揺さぶられた気が致しました。


  (奥の院 御廟橋での弘法大師空海の御食事)


      (奥の院 弘法大師空海の御食事)

 「真言密教」は、あらゆるものを包み込む宗教ではあるが、
その懐の深さと何人をも取り込む幅の広さを痛烈に感じ取り、
感動をし、人間は、宇宙の中で生かされている事を目覚めさせて頂いた
気がしました。

 その後、昼食は、「中本名玉堂」で頂き、その後の自由時間で
有志数名と「高野山霊宝館」を訪ねました。

 是非共、高野山の「両界曼荼羅」を拝観したく伺いました。
 「清盛時代の高野山」と題して特別展を開催されていましたが、
それを軽く見た後「両界曼荼羅」をじっくりと拝観致しました。
 やはり実物を拝見すると感動が全く違う事に気付き、新たな感動を
頂きました。

 僅かな時間で拝観を終え、バスで出発しその直後に雨となりましたが、
次ぎの「根来寺」では、夏の日差しに戻っていました。

 「根来寺」は、以前から訪ねたいお寺の一つでしたが、今回始めて
参拝が叶い、喜びも一入でした。


          (根来寺 大塔)


          (根来寺 本堂)


          (根来寺 大師堂)


        (根来寺 無縁仏)


   (根来寺 本堂横発掘調査)


  (根来寺 本坊と庭園の一部)

 訪ねて、やはり来て良かったと感じたのは、私一人だけ、だったのでしょうか?
 その規模と、古代から中世へとその勢力を拡大した一拠点を目の当たり
にして、現在の規模とその当時の規模とを思い巡らせていました。
 廻り全山がその勢力下と考えるだけで、その勢力を思い知る事が出来ました。


 帰りの道中も、笑い声の渦と旅への感謝の言葉があちこちから聞こえて
来ました。
 この文化財協会の旅は、心配り・目配り・気配りが行き届き、
楽しく参加する事ができました。

 それにも増して、この世から来世の巡りを感じる旅でもありました。
 高野山真言宗は、一宗教ではあるが、全ての生き年生きる者を
宇宙全体から、眺めている観がしたのは、高野山の空気を吸ったから
でしょうか?

 心洗われる旅となった次第です。
 今回の旅を通じて、特に旅は参加すべきものと感じ入った処です。
                    (文責:芦田流水)


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4 コメント

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どうも有難うございました!! (飛天)
2012-09-14 00:01:03
昨日から今日にかけて、ブログや写真、それからS先生作成の資料や鳳来さんの感想メールも再度拝読させて頂きました。同時に、各お寺のHPも見て勉強していました。
改めて、『何て内容の濃い旅だったのか』と思いました。それからバスの中や旅館でも楽しそうで、鳳来さんをはじめ事務局の皆さまの行き届いたご配慮に只々頭が下がりました。有難いですね。(涙)感謝・感謝ですね。
鳳来さんの感想メールやブログ等では、大変解りやすく各お寺の歴史や現在の状態を理解することが出来ました。また、豊富な語彙と深遠な表現力で感動が手に取るように伝わってきました。とても深い内容で、興味深く面白かったです!素晴らしい感想を、どうも有難うございました。魅了されました!!
どのお寺も私好みで、ぜひ訪れてみたいと思いました。
建物にもお庭にも伽藍にも・・、深い意味が込められていることを改めて認識しました。仏教は深いですね・・・。真髄が理解できるよう勉強したいです。
質問:親鸞が高野山奥ノ院にお墓を建てらたのはどうして(どういう考えに基づいて)だと、推察されますでしょうか??他にも、他の宗教家のお墓が色々あるのでしょうか?
返信する
高野山奥の院では、 (流水)
2012-09-14 02:00:56
飛天 さん
今回の旅に関して、大変温かいコメントを頂きありがとうございます。

現地を訪ねて学んだ以上のものを感じ取り、その中で色々思いを綴ってみました。
その事が、参考になれば幸いです。

奥の院での印象は、ガイドさんの説明で、「信長」の墓も見つかった、と話されその墓も見て参りました。
誰が建立したのかは、現在調査中とのことです。

「真言密教」とは、あらゆるものを包み込む宗教と窺っていましたが、
宗教を否定していた「信長」までも包み込むその懐の深さを、体感しました。

「親鸞」のお墓も、多分信者の方が建立されたのでは無いか?(或いは、弟子の誰か)
と考えています。浄土真宗のお寺にお尋ねしたところ、
「さぁて・・」と知っておられませんでした。
これもまた、(信者さん、或いは弟子、または有力者)が建立?されたのでは、と考えています。

これは、私個人的な考え方で、確証はありません。
帰りのバスの中で、様々な私考を巡らせて、明確な考えとは、
なっていません。
今後の研究課題と考えています。

貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。
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もう一点、おたずねの件 (流水)
2012-09-14 09:23:11
飛天 さん

もう一点、おたずねの件について、

高野山奥の院の、他宗派のお墓についてですが、
各時代の城主や藩主のお墓が沢山存在し、
各城主・藩主は、それぞれ宗派が異なると思います。
例えば、禅宗・曹洞宗・法華宗などなど。
また、ガイドさんの説明では、キリスト教のお墓も
存在するとの事でした。

以上の点を追記しておきます。
返信する
宗教家のお墓について (流水)
2012-09-18 12:37:25
飛天 さん

高野山奥の院へ建立の宗教家のお墓については、
現在確認の出来るお墓としては、
「法然」「親鸞」だと思います。
宗教家ではない人として「芭蕉」のお墓もあります。
ここまで、確認が出来ます。
それ以外は、チト勉強不足です。
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