Last Updated:March 6,2021
「鳥インフルエンザ問題(bird flu)」から「H1N1インフルエンザ(以前は豚インフルンザ)問題(swine flu)に変わって1週間もたたない内にメキシコを中心に世界中にその死者が広がっている。
未知のかつ極めて危険な伝染病の危機管理に関し、その兆候に鈍感であった初動調査のミスや情報開示の不徹底の問題が問われる例として、いずれ日本の新聞等でも記事になるであろう。 「英国インディペンデント紙」が引用しているAP通信の記事を紹介する。なお、5月1日のNHK「クローズアップ現代」でもこの話が紹介されていた。
4月29日AP通信
メキシコ南部観光都市のオアハカ(Oaxaca)の税務調査官(tax inspector)マリア・アデラ・グレティエス(Maria Gutierrez)39歳が病院外で死んだ。彼女の仕事は個別訪問が任務であり、メキシコの医療関係者の話のよると特定できないが少なくとも300人と接触している時に、彼女は最も伝染力の強い状態であったとされている。
彼女は4月8日に地元の病院でH1N1インフルエンザ発病が認められ、その5日後に死亡した。彼女は糖尿病(diabetes)と激しい下痢(severe diarrhoea)によって悪化した急性呼吸障害(acute respiratory)で、数十人に感染したと信じられている。
H1N1インフルエンザをメキシコの公的機関が特定する3週間前に彼女は死亡していたという今回の彼女に関する情報は、学校、官庁や多くの職場が非常警戒態勢の中から出てきた。2,000人以上が感染している状態でメキシコのH1N1インフルエンザの疑いのある死亡者数は4月28日夜の時点で152人に達している。米国では確認されたケースが64件、1ダース以上の感染者が出ているカルフォルニア州は健康緊急事態宣言を行っており、WHOは世界中で79例の確認事例を通知している。
グレティエスの最後は、メキシコにおける混沌と秘密主義によるインフルエンザの大流行であるとして論争を呼ぶ可能性がある。彼女の治療にあたったオアハカの“Hospital Civil Aurelio Valdivieso”病院当局は、4月21日まで伝染病で死亡したことを十分確認せず、その時点でさらに1人の患者が死亡したのである。
担当医は、当初グレティエスは肺炎(pneumonia)で苦しんでいると考えた。しかし、さらに16人の患者が重症呼吸器感染(severe respiratory infection)の兆候を示した時、緊急治療室の周りに隔離領域を設置した。その後まもなく同州の保健当局は彼女が最近時に接触したすべての人を捜し出し、健康診断を行い始めた。
その極めて慎重な姿勢は、グレティエスが現代のチフス・メアリー(Typhoid Mary) (筆者注1)であったかも知れないということを示唆した。当局が捜し出した300人には、彼女は3月下旬から4月前半に家庭等を訪問し面談した人々が含まれていたのである。地元筋の情報では死者はいないが、33人から61人の面談相手はインフルエンザに似た病気の「兆候」を示していたと米国医療危機管理会社(Veratect)に述べていた。(筆者注2)
オアハカはオアハカ州の歴史的な首都でメキシコの南太平洋岸の山岳地帯に位置する。この地理はH1N1インフルエンザの猛威に関し重要な点である。エドガー・フェルナンデス少年(4月2日に感染したがその後完全に回復 )は4月27日に患者ゼロ宣言を続けてきたメキシコ保健相ホセ・アンジェロ・コルドバ(Mexico’s Health Secretary Jose Angel Cordova)が公式に患者を認めた第1号である。少年はベラクルス地方のラ・グロリア(La Gloria)の小さな町に住んでおり、今回の爆発的広がりの潜在的源とされる広大な養豚場の5マイル風下に住んでいた。この農場は米国の農業会社であるスミス・フィールド(Smithfield Foods)が所有しており、メキシコの同子会社では1年間に100頭以上の子豚が生まれている。(筆者注3)(筆者注3-2)
2009年2月に何十人も地元住民が奇妙なインフルエンザに似た病気にかかり始めた。2009年4月6日にラ・グロリア市(人口3,000人)は「警戒宣言」を発し400人が治療を要し1,800人が呼吸困難を示していた。保健所員は町を封鎖したが家の中を飛ぶ巨大な数のハエの撲滅を開始した。しかしながら、彼らはこの大発生がH1N1インフルエンザとは認識しておらず、町に集まった報道陣は結論を急がないよう促された。
しかし、地元住民はそのことを信じていなかった。ホセ・ルイス・マルチネス(ラ・グロリアに住む34歳)は4月25日にレポーターに対し、高熱(fever)、咳(coughing)、関節痛(joint aches)、激しい頭痛(severe headache)、嘔吐(vomiting)や下痢(dirrhoea)が症状として出ると言うテレビを見てすぐに自分の周りの人々の症状であると理解したと述べている。
4月25日首都であるメキシコシティに非常警戒宣言が出された。大規模集会が禁止され人々は公然とマスクをつけレストランはテイクアウトのみでバーは午後6時には閉めるという状況である。H1N1インフルエンザの猛威は、4月のはじめの2週間で首都に到着すると見られていた。メキシコの聖週間(Semana Santa:Holy Week)では全国から首都に100万人が集まる時期であったからである。
***********************************************************************************************
(筆者注1) チフス・メアリーの本名は、メアリー・マローン(Mary Mallon)である。Wikipediaほかによると「世界で初めて臨床報告されたチフス菌(Salmonella enterica serovar Typhi)の健康保菌者(発病はしないが病原体に感染していて感染源となる人)。ニューヨークに移住したアイルランド系移民のシェフで、1900年代初頭にニューヨーク市周辺で散発した腸チフス(Typhoid fever)の原因になり、53人に感染させうち3人が死亡、彼女自身1938年に死亡、「腸チフスのメアリー」あるいは「チフスのメリー(Typhoid Mary、タイフォイド・メアリー))という通称で知られる。」
(筆者注2) Veractect社のCEOの説明によると、今回のH1N1インフルエンザ問題で世界的伝染病予防危機管理機関である「米国疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)」に対し、2009年3月末にメキシコでのインフルエンザの流行の兆候を初めて行っており、またコロラド州、ネバダ州、ワシントン州の厚生関係機関にこの情報を提供していた。同者の特徴は人工知能や多言語アナリストの世界的ネットワークを駆使して24時間365日体制で疾病の追跡情報をカークランドとアーリントンの運用センター(30人体制)で監視を行っている。同CEOの説明では世界中のブログを見たり情報提供を行いながら迅速な情報収集を行っているとのことである。
(筆者注3) この関係について、わが国のブログがメキシコの人権擁護グループ“LA VOZ DE AZTLAN”の報告を紹介している。
「豚フルー感染爆発の“グラウンド・ゼロ”は米国畜産大手スミスフィールド・フーズの子会社グランハス・キャロルで、昨年末から感染が始まっていたことが判明。
《ラ・ボス・デ・アストラン》はメキシコの非抑圧状況を鋭く分析する情報サイトとして定評があるが、今回のレポートによると、米国系大手畜産企業の子会社が、メキシコシティから100マイルほど離れた場所で運営している養豚場が、豚フルー感染爆発の“発生源”とのこと。この養豚場は衛生管理がズサンで、屎尿の沼ができており、大量のウイルス媒介昆虫が“涌いていた”という。すでに昨年12月には感染が始まっており、今や周辺住民の6割が感染症状を呈しているという。だが養豚企業側がワイロを使ってこのスキャンダルの露呈を阻止しており、地元ベラクルス州当局が、この問題を暴露した村民を「虚偽風説流布」の罪状で逮捕するという状況になっているという。
このレポートの内容が事実なら、米国とメキシコからの豚肉は感染リスクが高いので、輸入禁止措置も検討されるべきであろう。」
http://www.asyura2.com/09/buta01/msg/146.html
(筆者注3-2) 2020.6.16 Asahi Shinbun英字版 Opinonが「VOX POPULI:無症候性ウイルスキャリアリスクを思い出させるTyphoidMary事件(VOX POPULI: Typhoid Mary case a reminder of asymptomatic virus carrier risk)」と題する記事を載せている。COVID-19パンデミックの対策を考えるうえで1つの問題指摘を行っており、ここで全文を仮訳する。
腸チフスの無症候性キャリアである彼女は、無意識のうちに47人に感染し、そのうち3人が死亡したとの報告がある。メアリー・マロン(1869-1938)は、メイドとしても働いていた才能のある料理人であり、子供たちと仲が良かった。
彼女が1906年の夏に彼の借りた別荘で裕福な銀行家を雇っていた間、銀行家の家族の6人が腸チフスにかかった。感染源としてマロンが疑われた。しかし、公衆衛生当局から血液検査と尿検査の提出を求められたとき、彼女は拒否し、彫刻フォークで彼らを脅したと伝えられている。
金森修(1954-2016)氏の「病魔という悪の物語:チフスのメアリー」によると、マロンは強制的に隔離されたが、自分には病気の症状がなかったため、隔離の理由がわからなかった。
3年後に検疫から解放された後、マロンは偽名で病院に通い、そこで大量感染を引き起こした。
当時、この病気の治療法は知られていないため、新聞は彼女の事件をセンセーショナルに扱い、彼女を「無実の殺人者」および「アメリカで最も危険な女性」と見なした。
彼女は1915年に検疫に戻された。この2回目の検疫は、23年後の彼女の死まで続いた。
国立保健医療科学院の研究者である逢見憲一氏(54歳)は、チフス・メアリーは公衆衛生の歴史において非常に重要な名前であると述べている。
「彼女は、公共の福祉と個人の自由の概念の間の根本的な対立を表している。前者は感染を封じ込める必要性に関係し、後者は絶対に必要でない限り個人を隔離することを強制しない。」
現在のCOVID-19のパンデミックは、無症候性キャリアによるウイルスの拡散に対する実行可能な対策なしに戦うことは不可能である。
私自身、感染症に対するあらゆる予防策を講じており、これまでのところ元気である。それでも、電車に乗るたびに、無症候性キャリアの一人なのか、隣の乗客が一人なのか、とても緊張する。マロンは死後も邪悪な女性として描かれ続けた。彼女の悲劇的な人生は、私たちを非常に重大な問題について熟考し、苦労させている。
〔参照URL〕
http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-wellbeing/health-news/swine-flu-was-first-victim-a-modern-typhoid-mary-1675807.html
******************************************************************************
Copyright © 2006-2021 芦田勝(Masaru Ashida).All Rights Reserved.No reduction or republication without permission.