スターリンが対日参戦の意志を米国に伝えたのは43年10月の米英ソ外相会談。翌11月のテヘラン会談では、見返りとして日露戦争に敗れポーツマス条約で失った南樺太や大連の租借権など帝政ロシアの領土・権益を要求した。
しかし、日独の敗色が濃厚となった44年12月には、日露戦争の“損失”ではない千島列島も南樺太と合わせて要求。ヤルタではルーズベルトとの合意内容を文書化することを提案した。ソ連が作成したその草案が、今回英国立公文書館で見つかった極秘文書だ。
スターリンはその中で、日露戦争で日本が譲り受けた南樺太はソ連に「返還される」とし、一貫して日本領だった千島列島は「引き渡される」とした。旧ロシア領ではない千島列島の割譲が大西洋憲章やカイロ宣言で禁じた領土拡大に該当する-との議論を自ら懸念していたのだろう。書き分けた文面には、深謀遠慮を施した形跡がうかがえる
産経新聞
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