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新 ・ 渓 飲 渓 食 時 々 釣 り

魚止滝のずっと手前で竿をほっぽり
ザックの中身をガサガサまさぐる男の日記

乗り鉄ひとり旅も楽しんでいます

大人になったら、したいこと ・・・ 種差海岸遊歩道 前編

2012-06-24 14:13:13 | 旅行、食い歩き

 

平日であれば通勤、通学客で賑わう時間帯であろう早朝の八戸線車内は拍子抜けするほど空いていた。いつもなら決まって海側に席をとり車窓の風景を楽しむところだが、今日は故意に山側のBOXシートを選ぶ。やがて窓枠の落書き、『としお 早く帰っておいで』に目を落とすと暇な旅人は勝手な想像力を働かせてしまう・・・・・・

家族の反対を押し切り家を飛び出してからすでに7年の歳月が流れていた。就職先も見つからずアルバイト暮らしのとしおにとって都会の暮らしは楽なものではなかった。唯一の心の支えは仕事先で知り合った同郷の彼女の存在。としおにとって彼女とすごす週末のわずかな時間はなによりも大切なものであった。ある日、彼女からお金を貸してほしいと相談されたとしおは快くあるだけの貯金を渡してしまう。その日以降彼女はとしおの前から忽然と姿を消した。心の底から愛し信頼していた彼女に裏切られたとしおは明日をむかえる気力さえも残ってはいない。あてなく街中を彷徨い歩くとしおの目に飛び込んできたのは電気屋の店頭に陳列されたテレビから流されていた故郷陸奥湊の映像。漁船が帰港したくさんの魚が水揚げされたばかりの漁港はあの頃と同じように慌ただしさに充ち溢れていた。そこで働く女性たちの中にとしおは母親の姿を見付ける。家出以来一度の連絡も家族にしていなかったが、決して故郷を忘れたわけではなかった。いつだって思い出すのは青い森、清い水、港町の活気、飛びかううみねこ、そして母親の暖かい笑顔。「か、かあちゃん・・・」 ポケットの中で小銭を握りしめると公園まで走り電話ボックスに身を置く。何度も躊躇した指がやっとダイヤルを回しきると受話器越しに聞こえてきた懐かしい母親の声。「もすもす、もすもす」・・・としおは何も話せない。「もすもす、どなた?・・・としおか?としおなんだな?どこさいる?としお、としお、聞こえてたら返事してけれ、としお・・・」 う、ううっと小さな嗚咽だけを残しとしおは受話器を置いてしまう・・・帰りたいよ、かあちゃんに会いたいよ・・・本当はそう言いたかった。でも、言えなかった。色とりどりの装飾ライトとジングルベルが鳴り響く街中で、としおの電話ボックスだけが暗い闇につつまれていた・・・・・・

としおを安否する母親がこの落書きを残したのに違いない・・・旅人は勝手に物語をでっち上げた。しかしここで大きな誤算に気付く。本文の下に綴られた落書き、『ヘッコしようネ!』の文章に気付いた旅人は愕然とする。『ヘッコ』とはおそらく『グリグリ』や『へっぺ』と同意語に思われ、ましてや『ヘッコしようネ!』の『ネ!』の一文字だけカタカナで表現するのはどう考えても若者のしわざだ。この落書きを書いたのは、彼氏と『ヘッコ』をいたしたくていたしたくてたまらないイカガワシイ思想家の女性と考えるのが最も正解に近いのでは?冷静に考えれば年老いた母親ほどの人間が落書きのような悪戯をするわけなどないのだ。 『としお 早くかえっておいで ヘッコしようネ!』に翻弄される旅人・・・ま、どーでもいいことだけど・・・・・・

終着のJR久慈駅に到着すると、すぐ隣の三陸鉄道久慈駅へ向かう。待合所には三陸鉄道へ宛てたたくさんの励ましのメモがはってあった。立ち食いそば屋『リアス亭』で駅弁を購入しJR側の待合所で折り返しの八戸行き電車を待つ。岩手県の観光ポスターをながめながら、次はこの駅から三陸鉄道のひとり旅を実現したい、そう思った。

   

   

10分前に改札が開かれるが乗客はやはり少なかった。今度は海側のBOX席を選び風景を楽しむが、津波の傷跡を探すのは安易なことだった。 この八戸線も大きな災害を受けた路線なのだ。それでも素晴らしい海岸美は期待を裏切らない。浜で海藻拾いをする家族、砂浜まで乗り入れたスーパーカブなど和める風景をいたるところで見ることが出来る。

  

種差海岸駅で下車。ここから二駅先の鮫駅まで遊歩道を散策することがこのひとり旅のハイライトだ。駅からまっすぐのびた道の先に、いきなり吸いこまれるような景色があった。どこまでもひろがる天然の芝生と海の色が同調するこの絶景を、無理な言葉で飾り付けるのは野暮である。かの司馬遼太郎は著書『街道を行く』の中で、“どこか宇宙からの来訪者があったら一番先に案内したい海岸”と表現している。僕だったら、“ぼ~っと景色をながめても、たっぷり昼寝しても、腹一杯の弁当食っても、呑み過ぎても、決して飽きない場所。家族と一緒でも、恋人と寄り添いながらでも、ひとり旅でもずっといたい場所。でも男同士ぢゃ来たくない場所”と表したところでメシを食いましょう。

久慈駅で手に入れたこのうに弁当はリアス亭のおじちゃんおばちゃんが毎朝早起きして一生懸命につくる駅弁だ。一日20個仕込むのがやっとだそうで予約なしでは購入できないほど駅弁ファンにとって憧れの駅弁なのだ。震災後にこの弁当は幻となる寸前まで追い込まれたが存続を願う方々からの温かい励ましに勇気付けられ販売を続ける決心をされたそうだ。このうに弁当もまた無理な言葉で飾り付けるのは野暮である。見た目で“ぴゃあ~♪” 香りで“ぴゃあ~♪” 食べても“ぴゃあ~♪” のぴゃあぴゃあ尽くしの幸せ過ぎる弁当なのだ。美味い駅弁と素晴らしい景色に、僕はこの場所から離れられなくなっていた。

   

 

1時間ほどの昼寝から起きると行動を開始。整備された遊歩道は歩くごとに違う景色を楽しませてくれる。巨岩の頂上に人の姿が見えた時は思わず目を疑ってしまった(4枚目写真) 小さな漁港のたびに小休止を入れ釣り人の釣果など気にしたり、季節の花にレンズを向けたり、とにかくのんびりと自分のペースで歩く。この海岸沿いにはすべての海岸美が凝縮している。妻が50歳を迎えたら一番最初に連れてきてあげたい場所だと思った。それにしても人に会わない。ただ一人話をさせてもらったのは白浜で網を掬っていた初老の男性。小さなエビは釣り餌に最高なのだと教えてくれた。砂浜は波打ち際が歩きやすい。波がさらった後に残るものは僕の足跡の軌道だけ。まっすぐ歩いてるつもりがふらふらと歪んでいたものだから、「俺は矢吹丈か!」とひとりごとを言った。葦毛崎展望台には駐車場がありソフトクリームを販売する洒落た店があった。遊歩道はここで途切れる。多くの人が集まるところはひとり旅には似合わない。ソフトクリームを購入する時に味の種類で喧嘩をはじめたカップルに、「早く別れろ、このバカップルめ!」とつぶやいた旅人は先を急ぐのであった。

   

   

   

   

 も一回つづく


大人になったら、したいこと ・・・ 本八戸の夜

2012-06-23 20:57:12 | 旅行、食い歩き

 

八戸駅で、入線してきた八戸線リゾートうみねこをぼんやりながめていると携帯電話が鳴った。「君は今緑色のリュックを背負ってぼけっと突っ立っているね!」 あたりを見回すと車両のガラス越しに手を振るM氏の姿があった。M氏とは月に2.3度は酒を飲み交わす中学からの古い親友で、彼もまた大人の休日倶楽部パスでひとり旅を楽しむ同じ趣味の持ち主なのだ。いつか旅の日程がかさなったら現地で呑むべと話してはいたが、それがこの八戸で実現したのだ。

18時半、本八戸の居酒屋『ばんや』で待ち合わせるも残念ながら店内は満員。第二候補の『さめ八』で乾杯すると、いつも地元で呑んでる気分になってしまった。二人揃うとたくさんの種類の肴を少しずつつまめる利点がある。満腹にならないぶん酒の入る隙間が増えるのだ。当然ひとり酒より酔いはすすむ。またそれが楽しい。「むむ、この〆鯖はいけますぞ」「真鰯の刺身も最近じゃ食えなくなりましたね」「吉次と鮭と縞𩸽あげるから鰆と鱸ください」「お~こりゃ脂がのっててうまいですぞ」「利き酒3つの中では菊駒が一番美味いです」「しかし隣に若い地元ギャルが座ってなくて残念でありました」「うむ、そしたらおごってあげるとそそのかし次の店に誘っていたのに」「さっきの店、まだ満席ですかね?」「うむ、酔う前に行ってみますか」・・・互いの旅の報告など一切話さないところが普段っぽくて・・・普段っぽすぎる。 『さめ八』はきれいなダイニング炭焼き居酒屋といった趣きの居酒屋で地元の方、観光客どちらも気軽に楽しめる雰囲気だ。

   

「やった、入れましたぞ」「やはり開店間際から一回転するぐらいの時間帯が狙い目でしたね」 メニューを見ると達筆過ぎて読めない。「こ、困りました」「ご主人におすすめの酒を聞いてみましょう」 居酒屋『ばんや』は、それはそれは僕たち好みの落ち付きのある渋い店でして、カウンター内で接客するご主人もまた人柄の良さそうな方である。「そうだね、せっかくだがらこの辺の酒がいいね。どんな酒が好みなの?」「はい、あの、普通(高くない)のお酒」「んだば、これやっでみで」ご主人が握った一升瓶のラベルが僕達には読めない「ひ、ひつじ・・・」「“善”って読むの。この字はわしが書いだんだよ」キレがあるのに辛口過ぎずスッと馴染む味は、この居心地の良い空間にはぴったりの酒だ。旬の肴から鳥貝とツブ貝を選ぶ。「ぴゃあ~うまい!」 鳥貝の弾力とツブ貝のコリコリ感がすべての咀嚼筋を喜ばせる。そして噛めば噛むほど口内にひろがる貝独特の甘みと磯の香り。「ぴゃ~たまらない」「ぴゃ~幸せ」 僕達のぴゃ~ぴゃ~に感化されたか隣の男客も鳥貝とツブ貝を注文。この男と僕達との会話がすごかった。僕達「どちらからですか?」男「千葉だよ」僕達「やはり大休パスで?」男「俺、まだそんなオヤジ年齢になってねえし」僕達「なんだとテメエ、50前のガキが年上にタメ口きいてんぢゃねえ」男「あ、すいません」僕達「うるせー!オヤジ呼ばわりした罪滅ぼしに、オマエ焼きウニ注文しろ。そしてちょびっとだけ食べさせてね」男「は、はあ・・・」 残念ながらこの日はすでに売り切れだった。聞けばこの男は居酒屋『ばんや』を目当てに初めて青森に来たそうだ。それほどまでにこの店が人気店とは知らなんだ僕達に、「これ、石の森章太郎さんから直筆でもらったサインだよ」と店主から見せていただいたサインを、やはり何て書いてあるのか読めない僕達であった。 

店を出ると、北国の風は冷たく肌にからんだ。M氏は電車で八戸のホテルへ戻ると言う。僕は歩いてすぐのホテルなので、「じゃあな」といつものようにそっけなく別れる。今夜は偶然にもふたり酒を楽しむことが出来たが、互いに別々の旅の途上なのだ。

弘前の『松の木』、青森の『ゆうぎり』と『おさない食堂』、そして本八戸の『ばんや』・・・ひとり旅ごとに、僕のお気に入り店が増えていく。 ぴゃあ~♪

   

  

まだまだつづく

 


大人になったら、したいこと ・・・ まさかり半島 尻屋崎編

2012-06-23 18:01:26 | 旅行、食い歩き

 

むつバスターミナルは下北半島の各地へのびる路線の主要ターミナルとなっている。いわゆるむつ市の中核地域なのだ。しかしどの路線にしても運行本数は極めて少ない。ふらりとこの地を訪れた旅人が気軽にあちらこちらと観光しようとしても乗り継ぎは決して容易いものではなく事前に時刻表を把握していなければ、行けたけど帰れなくなるケースも多々あるようだ。むつバスターミナル~JR下北駅間も同じで、ましてやJR時刻表との連結等は一切考慮されてはいない。もともとJR大湊線の運行本数もやばいほどに少ないのだが・・・ このようなバスターミナルは子供のころは決して珍しいものではなく、旅行や海水浴に行く時には決まって利用したものだ。まさしくこのむつバスターミナルこそが地元の方々にとっての『駅』なのだ。ノスタルジックを感じさせるこの駅が僕は一瞬にして好きになった。

「2番線から7時40分発尻屋行きバスが発車します」とアナウンスされるも乗客は僕ひとりだけだった。運転手さんから、「この先誰も乗っでこねがら、窮屈な席じゃなく広い席にゆったり座っでいでください」と優しい言葉をいただくと、昨日のトラウマがすっと消えた。この尻屋線の風景は本当に素晴らしかった。牧草地を抜けると漁師町の風景がひろがる。まるで北海道のどこか小さな町に来ているような錯覚さえ覚える。ひとり旅の途上で味わうわくわく感が凝縮されたような気分だ。朽ち果てた校舎の壁に描かれた『ありがとう〇〇小学校』の文字と夏草の勢いに負けたそこだけ平べったい校庭の風景が僕の心を少しだけさみしくさせた。

「左手に寒立馬の親子がいますよ。せっかぐだがら降りて写真撮っでください」 と運転手さんはバスを路肩に寄せ停車させてくれる。寒立馬とはこの東通村尻屋地区で放牧される馬のことだ。極寒の冬、風雪にじっと耐える姿から寒立馬の名が付いたそうだ。「昔は農耕馬だったけど今は青森県の天然記念物として保護されでるんです。天気の良い日は灯台のあだりにたくさん出てるんだけど、今日はどうがなあ?難しいかなあ?雨も降りそうだし樹林の中に隠れちゃってるかなあ?昨日のお客さんは見れながって言っでだし、実際見れる確率は高ぐはないです・・・」 う~む、知らなかった。寒立馬に会うことが今回の旅の目的だったのに・・・

   

遠くに灯台が見えてくる。「いるがなあ?いだらいいなあ?いなぐども尻屋崎灯台だって見る価値はあるんですよ。でも、やっぱいで欲しいなあ・・・」 話しながらバスを走らす運転手さん。灯台に近ずくにつれ緊張が増すこの感じは、映画『幸福の黄色いハンカチ』のラストシーンに似ている。「お客さん、いだあ~、ほらあそご、あそごにも!」 興奮気味の声に顔をあげる僕。バスから降りる時に思わず運転手さんと握手をかわしてしまった。下北交通のこの運転手さんはじ~んとくるほどにそれはそれは親切な方でした。1時間ほどの尻屋線バス旅は超おすすめの路線です。

   

 

   

   

すぐに一頭の仔馬が近寄ってくる。かわいい!とにかくかわいいのだ!誰ひとりいない尻屋崎の寒立馬を今僕は独占しているのだ。寒立馬はとにかくでかい。まつ毛や足の毛が長いのは厳冬の季節を耐え忍ぶためのものだろう。人慣れしているらしくどの馬も逃げずにマイペースでもくもくと草を食んでいる。母親に甘える仔馬、無防備に大きなイビキをかく仔馬。あこがれの寒立馬は北のはずれの岬にはそぐわないほどに優しい表情をしていた。

尻屋崎灯台はレンガを使って建てた灯台で東北地方初の洋式灯台だそうだ。レンガの灯台そしては日本一の高さで、『日本の灯台50選』にも選ばれているそうだ。

岩場の突端の地蔵さまと、すく近くの尻屋崎沖で遭難した漁師たちの慰霊碑はこの尻屋崎で一番悲しい風景なのだろう。

おみやげと食堂を兼ねた店がバス停近くに一軒だけ建っている。昼まではまだ時間はあるが帰りの時間の関係上ここで腹ごしらえをしておこう。尻屋の海で今朝あがったばかりのウニとホタテを是非にとすすめられ海鮮丼を注文。本当は観光地の観光客相手の観光食堂に期待などはしていなかったが・・・う、うまい、うま過ぎる。ご飯よりも具材の量が優っているこのアンバランスさは間違いなく僕へのサービスだと勝手に思う。こうなりゃ呑まざるを得ないとばかり冷蔵ケースから日本酒とぶどうサワーを取り出す僕。あこがれの地で呑む酒はとにかくうまい。あまりにもうまかったので、馬買った(ダジャレだぞ)

   

バスが来るまでの時間、寒立馬の写真を撮りまくった。次に訪れた時に、「こいつは前にもいた馬だな」とわかるように全員の写真を残したかった。 バスが動き出すと一番最初に近寄って来た仔馬がこちらを目で追っていたので名残惜しさが残った。ばいばい、また会いに来るよ。 ちなみに最後に撮った写真は、コレだ!

 ←コレ

寒立馬のぬいぐるみにはカンダチメの『メ』、ウンチの『ンチ』をくっ付けて、『メンチ君』と名付けた。しかし旅先でぬいぐるみの衝動買いをする僕は、幼稚過ぎるかしら?

帰りのバス、廃校近くのバス停を通過した直後にバスは急に停車した。リヤガラス越しにふり返るとおじいちゃんが手を上げながらバスに向かって走ってくる。サイドブレーキをギギギッと引いた運転手さんはバスから降り、「〇〇のじっちゃん、走らなぐでいいって、心臓に悪いがら歩げ」と大きな声を掛けた。バスに乗車したおじいちゃんは、「すんません」と頭を下げている。ひとり旅ではこんな出来事ひとつでも、心に沁みる。

むつバスターミナルに戻り野辺地駅行きバスに乗り換えると昼酒の酔いがまわり終点までぐっすりと寝てしまった。青い森鉄道には車両によってはアテンダントさんが乗車している。せっかくの機会なのでこの周辺でおすすめの銭湯を教えてもらう。とても感じの良いアテンダントさんだったのでピンク色のモーリー君ピンバッチをでれでれ顔でついつい購入。せっかくなので写真も撮らせていただいた。どこから見ても乗り鉄君が僕を羨ましそうに睨みやがったので睨み返すと目をそむけた。俺の勝ちだザマミロ! 

無人駅の小原川駅で下車すると姉戸川温泉はすぐ目の前にある。脱衣所からガラス越しに見える湯船は広く、もったいないほどの湯量がオーバーフローしている。湯に浸かるとヌルヌルスベスベでびっくりしてしまった。温度も低くこれなら楽に長湯を楽しめる。カランとシャワーが古風で良い感じを醸している。ものすごい勢いの水量が湯船に叩き付けられ、誰もいないことを幸いにうたせ湯を楽しんでみたら真面目に息が出来なかった。源泉掛け流しどころではない、源泉掛け流し過ぎだ。髪の毛がまことちゃんみたいなとんでも情けない写真になってしまったぞ。やっと地元の方が入ってきた。聞けば風呂の温度は38度だそうだ。青森県人は熱い湯を好むそうで、だからこの銭湯は夏の時期以外はめったに混まないのだそうだ。僕にとってはまさに天国銭湯だ。気付けばすでに1時間以上も湯船に浸かっている。風呂からあがり番台のおばあちゃんと話す。隣町の上北町には温泉郷がありそちらが人気だと言っていたが、僕は比べるまでもなくこっちが好きだと答えた。笑顔の素敵なおばあちゃん、素晴らしい風呂をいただきました。いつまでもお元気でいてくださいね。

  

  

 

さて、今夜は本八戸ではしご酒だべさ。

まだつづく


大人になったら、したいこと ・・・ まさかり半島 下風呂温泉編

2012-06-22 13:49:51 | 旅行、食い歩き

 

また来てしまった青森県。

今日の宿泊地へ向かう前に朝酒を楽しんだのは青森駅前のながつか食堂。旬には少し早いホヤは逆に若い素直な味を堪能できる。ホタテ貝のひも刺しも注文し二本の冷酒を飲み干すとほろ酔いオヤジの出来上がりだ。

青い森鉄道で野辺地駅へ向かう。ここの駅そばは本州最北端の駅そばだ。JR大湊線に乗り換え終着ひとつ手前の下北駅で下車。この駅も、やはり本州最北端の駅なのだ。

下北半島での移動手段は車か路線バス以外はない。レンタカーも考えたが、やはり安さと楽さから言えば路線バスに軍配があがる。大間経由佐井車庫行きバスの乗客は僕ひとりだけ、この時までは・・・

  

10分ほどでむつバスターミナルに到着するや、ご年配の修学旅行かと思えるほどのもの凄い集団が乗り込んでくる。どうもすべての乗客が診察の帰りらしい。一番後ろの長椅子の端っこに席をとっていた僕はリュックザックに挟まり立とうにも立てず、席を譲ることも出来ぬままに身を縮めて座っているしかない。車内はこれぞまさしく寿司詰め状態。近くで立っていたお年寄りの小声が聞こえてくる、「あの若いのは観光客がね?年寄りに席も譲らずにずうずうしく座っちゃってるよ」「いやだねえ、どういう教育ば受けできたんかね?」・・・間違いなくみんなが僕を見ている、視線がとっても痛いのだ・・・違う、違う、リュックが邪魔で身動きがとれないのだ、普段の僕はとっても優しくて親切な男なのだ・・・とも言えず、ただひたすらにゴメンナサイゴメンナサイと何度も頭を下げ、決して誰とも目を合わせぬように心掛けた修羅場は一時間近くも続き、やっと解放された時にはもうヘトヘトだった。座って疲れる旅なんて、面白い経験だと実は思ってしまった。

下車した途端に嗅いだ硫黄臭が旅ごころをくすぐる。閑散とした温泉街の雰囲気も僕好みだ。まずは宿に顔を出し、すぐ隣の共同浴場へ向かう。 「お客さん初めてだが?」番台のおばちゃんが話し掛けてくる。「ここの湯っこの熱さは凄いがら、何度も何度もかけ湯しで慣れでがら入るだよ」・・・そうする前に滑って転ぶ僕。“すべります”の注意書きは中じゃなく外に貼ってもらいたいぞ。足の指先をちょこんと湯船に浸けてみる・・・ウァッチッ!こんな熱い湯に入れる人などいるのか?かけ湯ったって熱過ぎてとてもじゃない、どうする俺? ガラガラと風呂場入口のドアが引かれ番台のおばちゃんが顔を覗かす。「なにやっでんだ、よぐかけ湯さするんだよ!」「ひゃい、」 こうなりゃもう破れかぶれだ!一気に頭ならかけ湯すると頭皮が熱死するほどの痛さにみまわれるも二度三度繰り返すうちになんとか慣れてくる。人間やればできるものだと片足を湯船に沈める・・・やがて肩までなんとか沈ませることが出来たが、それもせいぜい30秒ぐらいだったと思う。地元漁師風の男が入ってきて湯船の湯をかき回しやがったものだから僕は我慢できずに飛び出した。思えば僕は心臓が悪い。無理は禁物だ、もうやめだ、もういやだ、出る、もう出る、僕は苦しむためにここに来たんじゃないやい。地元漁師風の男は気持ち良さ気に肩まで湯船に浸かってやがる。こいつは絶対に特異体質なのだ。いや、人間得意不得意があってもおかしくはないのだ。鏡に映った僕の体はまさに茹でダコ真っ赤っか人間だ(写真の色は無修正です) でも風呂上がりの牛乳はめちゃくちゃうまかったぞ。番台のおばちゃんに、「慣れだよ慣れ!ひゃっはっは!」と笑われた。おばちゃんは人が良さそうだから好きだけど、地元漁師風の湯をかき回しやがった男は、いつか意地悪してやるぞ。

   

   

風呂上がりに付近を散策する。その昔大間鉄道という路線の計画があり橋脚の建設や一部に線路がひかれたが、敗戦後にその計画は消えたそうだ。その跡地はメモリアルなんとかといった形で残され、今は観光用に足湯が作られている。下風呂漁港はすぐ目と鼻の先だ。いか釣り舟に光が灯るのは7月中旬過ぎで、この頃の夜の沖にはたくさんの漁火が美しく見えるそうだ。やはり漁の船ってかっこいいなあ。

  

宿に戻るとテレビにはなぜか笑っていいともが映っている。持ち込み酒をちびりちびりやりはじめると晩飯が配膳された。見た目の派手さはないが小鉢ごとの食材や味付けがとても良い。ただイカのチャンチャン陶板焼きには玉葱もピーマンもたくさん入っていたから、蓋で遊んでやったぞ。寝る前に宿の風呂をごちそうになる。白濁した硫黄泉は実に良い。湯の花を濾す袋がまた風情があって良い。しかしこの湯もアッチッチでこっそり水で薄めてしまった。おかげでのんびり入ることが出来た。文豪井上靖はこの地で、「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる」と言ったそうだ。俺だって嗅いでいるぞ、クンクンッ!それにしても、本当に滲みる湯だなあ。

  

  

昨夜のうちに、始発バスに乗りたいと女将に告げると、なななんと朝食を5時半前に用意してくれた。このようなもてなしが旅人の心には沁みるのだ。つぼた旅館のみなさん、どうもお世話になりました。次は漁火の景色と歯切れのよい透き通ったイカ刺しを目的にお邪魔します。最高の宿でした。

 

下風呂温泉からの客は僕だけだったが、すでに数人の乗車客がまばらに席を埋めていた。斜め前のアベックの男の方はどこか昨日の地元漁師風に似ている。女はどこか水商売っぽい厚化粧で僕の苦手なタイプだ。互いの年齢は60前後と言ったところだろうか、その二人の会話がどうしても耳に届いてしまう。「次だばオールナイトでグリグリだっぺ!」「あだ、スキモノだあ~、ア・ダ・シもだけんじょ、グフッ!」・・・『グリグリ』とはおそらくアレを意味する言葉であろうが、青森では『へっぺ』と言うのではないのか?まあグリグリでもへっぺでも勝手にいたしてくれ。

数年前に廃線となった大畑線の大畑駅跡は当時本州最北端の鉄道駅だった。その頃鉄道旅に興味があったなら、もっと早くにこの地を訪れていたのかもしれない。

 

つづく


わさび栽培発祥の地 ・・・ 有東木

2012-04-10 10:44:22 | 旅行、食い歩き

 

8時48分静岡駅発梅ヶ島温泉行バスは数人程度の乗客を乗せて安倍川沿いをゆったりと走ります。10時に渡本という停留所で下車、山奥へとつづくうねった急坂の舗装路を歩き始めると早くも息が切れてきました。「箱根の七曲りか日光のいろは坂を歩いてるみたいだ、ヒィフゥ、山登りにきたわけじゃないんだから、ヒィフゥ、」と妻の愚痴が飛び出します。さらに見上げた山頂部に付いた道路を見つけ、「まさかあそこまで歩かせんじゃないでしょうね?」と今日の妻はちょびっと不機嫌です。車で来れば苦労せずも、電車とバスで来るにはとても辺鄙な目的地の名は有東木村。誰が言ったか『静岡のチベット』 そんな異名をもつ、それは山奥の集落なのです。

大きなおむすび型の岩、茶畑、ひょっこり姿を現したカモシカ、なんとも長閑な風景にどこか懐かしさを感じながら歩きつづけると、やっと有東木集落に到着。わさび栽培発祥の地の碑がありました。有東木の歴史は500年ほどだそうです。沢の源流に自生していたわさびを村人が湧水地に移植しそれが繁殖したことがわさび栽培の始まりだそうです。当時駿府城に隠居していた徳川家康がこのわさびの味を大変気に入り、わさびの葉が徳川の家紋である三葉葵の模様にも似ていたことから門外不出のご法度品として珍重されました。この有東木わさびが広まったのは伊豆から椎茸栽培を教えに来た男に村人がこっそりと弁当箱にしのばさせ持ち帰らせたことから天城地方にもわさび栽培が伝わったとされているそうです

沢沿いや湧水周辺のあちらこちらでわさびは栽培されています。山間の清らかな水は四季を通じて温度差が少なく適しているのです。有東木の始まりは、大阪の役で敗れ落人となった真田幸村の家臣がこの地に逃れ大樹のウロを住家とした。それにより地名を「うとろ木」 と名付け→うつろぎ→うとうぎ(有東木)と変化した説が有力だそうですが、今川、武田の時代に金の採掘目的で住み着いたものが村を拓いた説や、なかには大昔に泥の海だったこの地に白セキレイが舞い降りて尾をチョンチョンと動かし土地を固めていったなどの俗説もあるようです。この村に白鳥の姓が多いのはロマンを感じますね。

   

   

村を散策しましょう。山間の平坦な土地の少ないこの村にはそこかしこに石垣を見ることが出来ます。白髭神社は村の鎮守様です。樹齢750年を超える大杉に囲まれた神楽殿と社はまさに静寂の地。春秋に行われる祭典では雅やかな衣装をまとった村人の神楽の舞いを見ることが出来るそうです。・・・村の鎮守の神様の今日はめでたい御祭日どんどんひゃららぴーひゃららどんどんひゃららぴーひゃらら朝から聞こえる 笛太鼓・・・ こんな歌詞を思い出したのは何十年ぶりでしょうか。神楽殿の天井部に飾られた色とりどりの折り紙が春の風に揺れておりました。茶畑の農道を登ると風景がひらけました。バスを降り途中で見上げた山頂部の道を僕達は今歩いています。下界にのぞむ安倍川の流れ、そして有東木の集落を見降ろす素晴らしい風景に出合うことが出来ました。

   

    

   

腹が減りました。この集落には一軒だけ蕎麦屋があります。ツンと鼻を刺激するわさびの茎の酢漬け、地野菜の天ぷら、手打ちの蕎麦、素朴なわさび飯など、どれもが風味豊かな田舎の味がしました。ただ・・・残念ながら酒は置いていませんでした。有東木のゆったりとした時間の中で酔いを楽しみたかったなあ。ちなみにこの店で購入したわさび漬けは今まで食したそれのなかで一番美味いものでした。

  

再び集落を散策します。狭いけどしっかりと舗装された路地、古民家、湧水を貯めた防火用水、お地蔵さま・・・この集落の戸数はおおよそ八十ぐらいだそうです。東雲寺は集落の真ん中に位置します。有東木の盆踊りはこの境内で行われ国指定無形民俗文化財に指定されているそうです。敷地内にはわさび田があり脇の石段を登ると小さな墓石が並べられていました。鎮座されるお地蔵さまは季節ごとの花に囲まれながら優しく集落を見守っておられるのでしょう。小学校跡地はこの集落で一番広い場所です。校庭に残された遊具で遊びました。幼少の頃二段とばしで手長猿のようにぶらさがった雲梯、誰よりも大きくこいだブランコ、ローラー滑り台ではお尻を汚して帰るとかあちゃんに怒られたっけ・・・放課後、友達と遊びほうけたあの頃の汗まみれの笑顔と青空を、この有東木で思い出すことが出来ました。この小学校は昭和44年に廃校になったそうです。最後の卒業生はさほど年齢の変わらない方々なのでしょう。片隅の用具入れに刻まれた落書きは、錆びて読み取ることが困難なほどに時は流れてしまいました。消防団の建物は寄り合いにも利用されているようです。この集落に消防信号が鳴り響くことがありませんように。集落の奥まで歩きました。茶畑の中の石段の向こうには高くそびえる遠くの山々。この有東木は山梨との県境に位置するそうです。山葵栽培発祥の地の碑を見つけました。すぐ近くにはえぼし石の上に鎮座するお地蔵さま。この有東木は幾度の大災害をも乗り超えてきた集落です。山肌から剥がされ土砂は民家を襲い、沢の流れは濁流となりすべてを流しつくす・・・その度に村民の方々は助け合い大災害と戦ってきたのです。釣り師の性でしょう、水の流れには必ず渓魚の姿を追ってしまいます。この有東木沢でも美しいヤマメが釣れたそうですが、現在は山奥まで河川工事が施され淵もトロ場もエグレもない流れと化しています。しかしそれでこの集落が守られれば良いと思います。人の命・暮らしを守るためには必要なのです。ぷらっと訪れた旅人はこの部分には触れてはいけないことだと思いました。

帰りは有東木発新静岡行のバスが出ています。乗客はもちろん僕達だけ。次はこの集落の祭りの日に来てみたいと思いました。賑わいだ有東木もまた趣深いことでしょう。

わさび栽培発祥の地で素晴らしい原風景に出会えることが出来ました。いつの日までも、水も空気も清いままの有東木であれ。

   

   

   

   

   

 

静岡に来ると決まって訪れるのは青葉おでん街。真っ黒な出汁に浸かったタネをながめるだけで涎が出てしまいます。しぞーかおでんと言えば絶対に黒はんぺんは外せません。魚粉と青のりのふりかけをたっぷりかけるとたまらなく美味いのです。緑色の飲みものはしぞーか割りです。緑茶粉を焼酎で割ったローカルドリンクです。昼に飲めなかったぶん、この店で爆発してから帰りました。ちなみに妻も会計直後に爆発しておりました。 

   


大人になったら、したいこと ・・・ ふたつの憧れ編 

2012-01-24 14:32:01 | 旅行、食い歩き

 

青森駅到着後、コインローカーに荷物を預け駅周辺を散策。

懐かしの青函連絡船『八甲田丸』は雪の中でした。幼少の頃、内地へ渡る際に幾度乗ったことでしょう。思わず父の顔を瞼に浮かべました。 ねぶたミュージアム『ワ・ラッセ』では迫力あるねぶた像にくぎ付けになりました。この場合の漢字は鑑賞?それとも観賞?なんだかFKさんに似ているとひとり吹き出し楽しんだので観賞が正しいのかしら? 駅前のショッピングセンター『AUGA』の地下は新鮮市場になっています。たくさんの店舗がひしめきあい青森の地元食材や海産物が所狭しと並べられていました。惣菜店で帰りの列車内の肴を買いました。

  

時刻はまだ15時半前、とりあえず目的の場所だけでも確認しておきましょう。 AUGA裏の細い路地にその店はありました。人目につかぬ場所でひっそりとたたずむ店構えは、まさに北の酒場です。大衆酒房ゆうぎり・・・この店に寄ることを僕はずっと憧れていたのです。

青森に単身赴任していた知人からこの店のことを聞かされたのは、前回の竜飛崎ひとり旅から帰った後のことでした。 「おさない食堂も良い店だよね。でも青森ってったらやはりゆうぎりさんは外しちゃ駄目さ。メニューなんか無くて値段別のコースしか選べないけど、出される一品々々がやたらと酒に合うのさ。君だったら絶対に気に入ってくれると思うから、次は絶対に寄って欲しいさ・・・」 その言葉に魅かれ、やがては憧れに変わっていったのです。

店内をのぞくと年配の女性二人が忙しそうに手を動かしています。初めは開店時間だけを聞くつもりでした。 「何時からって、なにか都合でもあるのかい?」「はあ、6時半ぐらいの列車に乗らなくちゃいけないので・・・」「じゃあ入りな」・・・開店一時間以上も前なのに、すんなりと受け入れてくれたことに僕は感動してしまいました。

カウンターに座ると熱燗を注文。「うちは手の込んだ料理は出せないけど」と言いながらも間合い良く机に置かれる肴の数々。次はどんなものが出てくるのかを楽しみに熱燗はどんどんすすみます。 あんこう肝和え、生うに、たらこ醤油漬け、たら白子の湯通し、毛蟹、いか刺しとヒラメ刺しに縁側、ほたて焼き、〆に粕汁。 最後に弘前の地酒『豊盃』をコップ酒でもらい、〆の粕汁はおかわりまでしてしまいました。 店内の雰囲気はごく普通の昭和の酒場、特別な料理人もおらず三人の女性で切り盛りするごくごく普通の北酒場。洒落た世界とはまったくの一線で仕切られたごくごく、ごく普通の裏路地酒場。なのにこの満足感はなんなのでしょうか。 知人曰く、「ちょっと無愛想な店だけど」・・・そんなことはありません、無愛想ながらも青森弁の暖かさは充分過ぎるほど充満した店です。 大衆酒房ゆうぎりでの時間は、でっかい旅の思い出になりました。

  

 

 

 

3番ホーム、すでに列車は入線していました。青森発上野行寝台特急あけぼの号は憧れの列車です。発車時刻まで余裕があるのでカメラに記録を残しました。乗車し自分の指定席を探します。3号車1番下段、およそ12時間半もの間、僕はこの座席で最後の旅を楽しみます。荷物を整理し楽な服に着替え席にシーツを敷くと、黒石で買ったにごり酒とアテを出します。あとは出発を待つだけです。ずっとホームをながめていました。やがてその風景が流れ始めると、いよいよ青森ともお別れです。乗車率は6~7割程度でしょうか、幸い僕の上段の席には最後まで乗車客はいませんでした。正面の席は初老の感じのよい男性客です。僕がにごり酒をあけるとその方もビールを片手に話し掛けてきます。「お帰りですか?これからですか?」「はい、この電車が旅の最後の楽しみです」「私もそうなんです。どちらをまわられたのですか?」僕は、樹氷を見たこと、地吹雪を体験したこと、温泉地でのんびり出来たこと、黒石散策、津軽百年食堂、そして最後に青森の幸を堪能出来たことを話すと、「たくさんまわりましたね、良い旅が出来てなによりです」と優しい大人の笑顔で応えてくれました。まるで学校の先生に褒められたような錯覚を起こしました。その方も大人の休日倶楽部パスを利用しひとり旅に出るのが何なによりの楽しみだそうです。今までまわられた旅先の思い出話をゆっくりとした口調で聞かせてくださいました。中学の教員を定年し、その後10年近く他の仕事を頑張り、今は隠居の身なのだそうです。思わず、「なんとなく学校の先生じゃないかと想像していました」と伝えると、「そうかい?」と今度は子供じみた笑顔を見せてくださいました。にごり酒をすすめると、かわりにツマミにと鮭トバをいただきました。穏やかで楽しい会話はしばらく続きました。 大館で数人の乗車があると、その後は車内が静かになりました。就寝する方が増えたのでしょう、先生も、「じゃあ、私もこれで」と静かにカーテンを閉め床につかれました。

  

  

ひとり呑み続けます。狭い車窓に顔をかたむけ、ただ暗闇をぼんやりとながめています。ときおり通過する小さな町の灯はぽつりと、ほんの少しだけ楽しめる風景でした。線路の繋ぎ目にガタゴトッと振動する様を気にするでもなく、ひとりぼっちの最後の夜が、静かに、穏やかに、沁みていきます。東能代駅を通過すると仕舞っていたカメラを取り出します。その先にはどうしても見ておきたい駅があったのです。森岳駅・・・漢字一文字違いますが親友と同じ名前の駅名です。

酒の席で聞かされた東北ひとり旅の話は今でも覚えています。雪道を歩いてやっとたどり着いた岬、海を眺めながら入った露店風呂、民宿の飯の豪勢さ、居酒屋でナンパして撃沈したこと、旅の途中で金が無くなり交番で借りた話しなどなど・・・当時の僕には興味のないことを、あいつは楽しそうに話していました。今、僕はあの頃のあいつと同じ旅を楽しんでいます。

森岳駅に到着すると、心の中で今回の旅の話をあいつに聞かせてやりました。

心地良い酔いは眠気を誘います。うとうとしながらも、「いかん、寝台車でションベン漏らす伝説をつくっては一生涯の恥!」とばかり寝る前に便所行ってから座席のカーテンを閉めました。座席は大柄な人には少々窮屈なのでしょうが僕には気にならない狭さです。 「もう一度あの歌を一緒に歌いたかったな、」、あいつの好きだった演など思い出しながら堕ちていく、そんな旅の終わりでした。  チャーンカチャンチャンチャンチャンの演歌ですが・・・

最後まで読んでくれてありがとうです。

 


大人になったら、したいこと ・・・ 黒石こみせ通り・津軽そば編

2012-01-23 15:27:49 | 旅行、食い歩き

 

翌朝は弘南鉄道で黒石に出ました。相変わらず雪は降り続いていますが、傘をさす人は見掛けません。湿気の少ない粉雪はパッと払えば良いのです。駅前は思いのほか拓けた街でしたが雪深さは弘前以上のものでした。観光案内所で散策マップをもらいぶらぶらと歩きはじめます。繁華街(呑み屋街)には居酒屋チェーン店や怪しげな路地裏があり、僕はなぜかこういう通りに興味を覚えてしまう癖があります。黒石市消防団第三分団第三消防部屯所は趣のある建物と火の見櫓が特徴です。見学は出来ませんでしたが中には現役では日本最古の消防車もあるようです。

 

 歩きはじめて10分ぐらいで目的の場所に到着。日本の道百選に選ばれた“こみせ通り”です。伝統的な建造物と長くのびた木造アーケード状の通路は昔からそのままの姿で残っています。しんしんと降り続く雪のこみせ通りをゆっくりと歩きます。まるで軒先の下にいるような、なんとも言えぬ落ち着き感がありました。観光客も少ない今こそが一番風情に充ち溢れた季節なのかもしれません。

   

   

この通りには歴史ある酒蔵があります。

菊乃井(鳴海醸造店)ではにごり、辛口、本醸造、純米、そして大吟醸を試飲させていただきました。さらりと飲みやすいもの、燗酒の似合いそうなもの、どちらもいけそうなもの、自分の感想を主人に伝えると嬉しそうにうなづいてくれました。中でも大吟醸は格別の美味さでした。吟醸香といい味のふくよかさ、ひろがり、喉を通る際の心地良さ、そのすべてに感動させられる酒でした。ただ、値段を聞いて・・・カップ酒2本と濁り酒(300ml)だけ購入させていただきました。黒石温泉郷にある青荷温泉(ランプの宿)用にも酒を仕込んでいるそうです。新酒の時期にも尋ねてみたい酒蔵です。

 

 

玉垂(中村酒造)でも本醸造を試飲させていただきました。きれのあるはっきりとした味わいには雑味のひとつも感じられません。舌にからむ濃い目の酒は僕好みです。こちらでは一合瓶一本だけ購入させていただきました。もうもうの蒸気の中で働く蔵人の仕込み作業を遠くから眺めることが出来ました。

  

どちらの酒蔵も丁寧な応対をしていただけました。酒造りにかける情熱を感じずにはおられない酒蔵でいただいた味は、どんな素晴らしい居酒屋で呑むそれよりも美味いのです。 思わず、『酒は心で呑むもの』・・・こんな言葉が浮かぶのでした。なんてっちゃったりしてみたりして。。 

 

さて、ここからは喰らう編です。

先日読んだ本に、『津軽百年食堂』があります。四代にわたり75年以上食堂を引き継いでいる店を青森では百年食堂と呼ぶそうです。その食堂のひとつが黒石駅前にあるのです。建物が傾いているのか?屋根の傾斜が普通ではないのか?よくわかりませんが年季の入ったお店あることは外見から理解できます。黒石名物つゆ焼きそばを注文。見た目は太麺のソース焼きそばにラーメン汁をかけ揚げ玉をちらしたもので、食べると太麺のソース焼きそばにラーメン汁をかけ揚げ玉をちらした味がしました。初めての味に困惑するも、慣れるとなかなかイケる気がしました。 「あや、屋根の雪がおっごじだぁ~」とスコップを持って外に出る店のおばちゃん。冬の雪国は本当に大変です。 

 

弘前に戻り、もう一軒いきましょう。 映画のロケで使われた食堂を目指します。しかし冬の市街地ほど歩きにくいところはありません、歩道は雪で埋まり、車道は雪解けの泥水がビチャビチャ、凍結している所もあり、車は歩行者など気にせずバシャバシャとハネをあげて走り去る・・・もうイヤ! 20分ほどで到着。さっそく目当ての“津軽そば”を注文すると店主が詳しく説明してくれました。

津軽そばは豆腐を作る前の呉汁と蕎麦がきを混ぜ一晩寝かせ、それを打ってから茹で上げさらに一晩寝かせるそうです。出汁には砂糖も味醂も使用せず特別な煮干しで味を出すそうです。蕎麦は挽きたて打ちたて茹でたての三たてが通常では美味い蕎麦の常識ですが、津軽そばとはまったく真逆な蕎麦なのです。

ほんのり甘味をおびた蕎麦はやわらかめで、それでいて喉越しは良くするりするりと食がすすみます。汁に甘味は感じられませんが、なんといいましょうか、これ以上優しい味はないほどに体に良さそうな“粋な味”がしました。もとは江戸時代に栄養の偏りを補うための工夫だったようで、その食文化が現代にも伝承された昔ながらの津軽そばだそうです。この蕎麦を食すことが出来て本当に感激でした。

ちなみに僕以外の全員は中華そばを食べていました。。

  

 

この旅は今日が最終日です。青森から電車に乗って帰らねばならないのです。その前に、もう一軒行かねばならぬ店があります。旅の集大成はこの店でと決めていました。 いざ青森!!

しかし、なにか重要なことを忘れている気がします ・・・・・・ しししまった、一番の目的だった弘前城の見学をすっかり忘れちゃったあ~だよ。

駅にあった模型で “見た” ということで。

最後に続くずら。。

 


大人になったら、したいこと ・・・ 冬はやっぱし温泉だべさ編

2012-01-23 10:01:17 | 旅行、食い歩き

 

弘前駅に戻り、駅前バス乗り場から枯木平行き路線バスに乗りました。

この路線は津軽フリーパスを利用できる区間です。弘南鉄道(全線)、津軽鉄道(金木まで)、そして弘前管内路線バスは二日間有効で2000円ととても便利なパスでのです。

市街地を抜け岩木川を渡るとバスはどんどん山奥へと入ります。不安になるぐらいの雪深い山奥です。1時間ほどで温泉地に到着。岩木山の麓に湧き出る秘湯“嶽温泉”です。数件の旅館、民宿、食堂があるだけの小さな温泉街です。バスを降りると大好きな匂いがしました。

温泉を好きになったきっかけは長野県白骨温泉でした。あの時嗅いだ硫黄臭は今でも鮮明に覚えています。その匂いを、今、僕は嗅いでいるのです。

あいかわらず雪が降っています。ひとりの温泉客にも会わない温泉街、そそられるではありませんか。共同浴場はないようです、ここぞといった雰囲気の旅館に立ち寄り湯を申し出ると快い返事が返ってきました。350円を支払い二階へのぼると男女別の風呂入口がありました。決して新しい建物ではありませんが、こざっぱりと清潔感があります。脱衣所の大きな窓から入る光線に湯気が反射し、まさにすっぽんぽんで日向ぼっこをしている気分です。窓から見える裏山の雪景色は絶景とは言えませんが、長閑さを楽しむには最高の雰囲気を醸しています。

浴場のドアを開けるとものすごい蒸気が脱衣所に流れ込みます。さっと閉め汗を流してから湯船に浸かります。ああ、ああ、ぬあああぁぁぁぁぁぁ~~~~~ 溶けました。

成分が濃いのでしょう、お肌がものすごくすべすべぬるぬるです。湯船をかき回すと沈殿した硫黄が舞い上がり一気に乳白色へと変わります。 石鹸の泡もたちません。いつのひかこの旅館に宿泊し朝昼晩そして深夜までも温泉に浸かりのんびりとした時間を満喫したいと思いました。

 

  

長湯し過ぎました。出てから気付きましたが、『成分が強いので初めての方は5分ほどの入浴にしてください』 と書いてありました。

帰りのバスまでまだまだ時間はあるので食堂に入りました。まずはビールです。グビグビグビグビッ・・・・・・ぷはぁあぁぁぁぁぁ~、ウマい!カレーライスを注文するとコップの水にスプーンが入って出てきました。まさに昭和の懐かしさでした。 この食堂も旅館を営んであり立ち寄り湯も楽しめるそうです。せっかくなのでいただくことにしました。

コンクリの床が尋常じゃないほどにツルツル滑ります。これは怖くて立てません。四つん這いで湯船に向かいます。小さめの湯船は少し熱めの湯で充満されていました。ゴボゴボバシャバシャと大きな音は、どうやら板向こうにあるもうひとつの湯船に落ちる打たせ湯の音のようです。せっかくなので肩凝りの酷い左肩に当てたく誰にも見られたくないカッコウで移動。ひゃあ~っ、すんげ~勢いだぁ~、こりゃ気持ちよかばってんがくさぁ~。 ヘタッピなマッサージより効きました。

長湯はダメだと知りながら、それなのに、ああそれなのにしっかりとまた長湯してしまいました。

  

サッシのカギがボロボロになっていました。防水とはいいながらも、いそいでデジカメを真水で洗ってこの湯を後にしました。 

晴れた日には間近にそびえる岩木山の雄姿は、まさに感動ものだそうです。8月から9月にかけては、名物の嶽きみというトウモロコシ目当ての観光客で賑わうそうです 必ずまた訪れたい嶽温泉でした。

 

湯あたりなのか、さすがに疲れたのでホテル近くの店に入ります。軽く一杯やって早めにぐっすりと寝るはずだったのに、それなのに、ああそれなのに、僕ってダメな奴。弘前の地酒をすすると疲れなどすぐに吹き飛んでしまいました。お通しのいか飯、郷土料理のほたて貝焼き、刺身は大間のまぐろにすずきにほっき、鰊の麹和え、子持ち昆布、十三湖産しじみ汁とくれば、熱燗おかわり、またおかわり、こんどは冷やで・・・どうしても夜にあつくなるひとり旅のオヤジです。店の方々の気遣いも調度良く、弘前在住11年目の常連客アメリカ人女性との会話も楽しく、とてもあたたかくやわらかく仲間に入れていただけたような喜を感じることが出来ました。 またおじゃまします。

 

明日に続くもん。。


大人になったら、したいこと ・・・ 津軽鉄道 地吹雪のメッカ編

2012-01-21 11:08:16 | 旅行、食い歩き

 

翌朝は五能線鯵ヶ沢行き始発電車から行動します。せっかくの旅ですもの、めいっぱい遊ばなくちゃ。

 

車窓からこぼれる灯りが、凍てつく冬の津軽平野を少しだけあたためるような風景が続きます。乗り換え駅では懐かしいでっかいねぶたの顔が待ってくれていました。昨年の同じ時期に大雪のため1時間半も足止めされた五所川原駅です。今日はこの駅から津軽鉄道に乗り寒さを体験しに行こうと思っています。

 

 

 

津軽五所川原駅の待合所にはちらほらと学生さん達が集まってきました。聞けば部活の朝練がある生徒だけがこの時間の列車を利用するそうです。ストーブを囲み談笑する者、無言で携帯電話をいじる者、おにぎりを頬張る者・・・それぞれの津軽の朝の日常風景です。

 

  

 

金木駅でほとんどの乗客は下車します。この駅は上り下り列車がすれ違うのでけっこう大勢の乗客がホームに溢れていました。先発の津軽五所川原駅行き列車が発車しかけたその時、行く手を阻むよう線路に入り込んだひとつの動く生物体!熊か?鹿か?猿か?

 

いえいえ、その正体は・・・ばばあ様でした。ばばあ様危機一髪!津軽のばばあ様はいつだって命懸けなのです。

  

ふた駅先の川倉駅で下車。この地こそ地吹雪のメッカなのです。メッカといえど観光客も地元の方すらも乗り降りする人などいません。五所川原市金木町藤枝地区、津軽中里行きの列車が走り去った後の津軽平野の淋しい無人駅に、今僕はひとりぼっちで佇んでいます。 

佇んでいるのは、佇むしか出来なかったのです。こんなちっぽけな駅から、出られないのです。すぐ脇には道路も踏切も見えます。それなのに、ああそれなのに、そこまで行けないのです。ホームの雪が深すぎて身動きが取れないのです。誰も雪かきしてくれてないのです。待合室も雪で埋まりおそらくは引き戸も開かないことでしょう。どうする俺? ・・・ 線路に飛び降りるしかないようです。

 

  

 

駅のすぐ裏手が地吹雪のメッカの地でした。強風から家屋を守るために立て掛けられた高い木の柵、これを見たくてここまで来ました。この柵の名前を『かっちょ』と呼ぶそうです。厳しい極寒の地に住む方々の生活の知恵なのでしょう。 

いきなりもの凄い強風・・・地吹雪です。一瞬にして視界は遮られ、踏ん張っていても体ごともっていかれそうになります。かがんで耐えますがせっかくのチャンスです、手袋をはずしカメラを構えます。しかしディスプレイにうつるものはただただ真白い風景のみ。被写体のかけらすら確認できずに勘を頼りにシャッターを押し続けました。もともと雪は振っていました。そこに地吹雪によって舞い上げられた平地部の溜まり雪が襲いかかってきます。息を吸えば冷たく細かい雪の結晶が気管を埋め尽くし、息を吐くにも圧迫層に押し負けてしまうほどの激しい地吹雪。 ・・・妻を連れて来ていたら、怒られただろうな・・・死んじゃう前に、帰りたい・・・そんなことを考えていました。

   

引き返すと、柴犬が道路に飛び出してきました。ものすごい勢いで吠えられてしまいます。間違いなく僕は不審者に見られているのです。「ワウワワワウン(誰だお前は?)」「ひとり旅のおやじです」「ワワワンワン(どっから来た?)」「あっち」「アウウ~ッ(怪しい奴だ!噛むぞ)」「痛いのよして」「ギャウワワン(じゃ早くあっち行け)」「はい、ごめんなさい。お詫びにバタピーあげる」 ポイッ 「アグアグッ(う、うまいな、もっとちょうだい)」「やだ、僕の分がなくなっちゃもん。じゃあ、バイバイ」 彼は淋しげな顔で見送ってくれました。 

  

 

 川倉駅まで戻ります。通過電車がもの凄い雪しぶきをぶちまけていきました。駐輪所には自転車がひっそりと春を待っていました。電車が来るまで30分はあります、なんとか地吹雪から逃れようとダメモトで待合所の引き戸に手を掛けるとなんとか開いてくれました。スキットルのウイスキーを口に含むとやっと一息つけた気がしました。なかなか居心地の良い空間でした。公衆電話に10円玉を入れ自分の携帯ナンバーをダイヤルしてみますが鳴りません。受話器を置いても10円玉は帰ってきません。損した腹いせにイタズラしてやりました。

   

津軽五所川原駅に戻ると、駅前食堂に直行です。冷え切った体にラーメンのあたたかさが沁みました。あっさりした煮干し風味の汁は、店名通りのやさしい味がしました。

 

五所川原駅前にはバスセンターもあります。昔はバスターミナルのことを“駅”と言った時代があったことを思い出しました。待合所には立ち食いそばもあります。いつかここから遠く見知らぬ土地を訪れてみたいと、そう思いました。 五所川原・・・好きな地です。

 

午後に続くのよ。。

 

 


大人になったら、したいこと ・・・ 秋田内陸縦貫鉄道編

2012-01-19 15:10:42 | 旅行、食い歩き

 

ひとり旅の季節です。

50円玉以下の釣り銭を缶カラチンに貯め続けると、4か月でなんとか交通費と宿泊代は出るのです。飲代飯代遊代雑費は、売上からちょろまかす、ということで・・・

秋田県は角館駅から旅の始まりです。新幹線車内では熟睡していましたので、いきなりの雪景色に心が躍りました。 駅前では地酒や甘酒、汁物がふるまわれ、駅員や観光協会の方々が笑顔で接しています。こういう旅の始まりっていいものです。

乗り継ぎの待ち時間に周囲を散策しました。雪国らしい素朴な商店街には数件の居酒屋や食堂がありました。少し歩くと武家屋敷通りに出ます。奥に行くほど上流の武家屋敷を見ることが出来るそうです。枝にもたれる雪化粧の風景はとても風情がありました。

 

 角館は秋田内陸縦断鉄道の始発駅でもあります。駅舎に入ると冬季は封鎖された待合室の脇にきっぷ売り場があります。駅員さんが秋田弁で「もすもす、んだな、だすだす、へばへば」と優しい声で会話をしていました。松葉~鷹巣間は土日祝日に限り1000円のフリーきっぷが発売されます。これを利用して途中駅下車のローカル路線旅を楽しみましょう。

 

急行もりよし号にはアテンダントさんも乗車します。いらないけどパンフレットをもらってしまう僕です。

 

 車窓はいきなりの猛吹雪です。でも、この風景が見たかったんです。今回のひとり旅の目的は吹雪を体験することにもあるのです。

阿仁マタギ駅で途中下車。連絡しておいた送迎車で打当温泉マタギの湯へ向かいます。まずは温泉に浸かります。茶褐色の湯からはほんのりと鉄分と硫黄臭が香ります。いや~いきなり癒されますね。のんびり体を温めた後は食堂で目当てのどぶろくを飲みましょう。ここは特区に選ばれているようでどぶろくの製醸販売の許可を受けているそうです。濾さず火入れせずの発酵途上のもろみ酒をどぶろくと呼ぶそうで、ここがにごり酒との違いだそうです。甘酒やにごり酒よりも米のブツブツが残りピリリと辛味のある味でした。アルコール度数は約10パーセントですが体内で2~3度上がるので、呑み過ぎると足をとられるのだそうです。またひとつおりこうさんになってしまいました。いつか各地のどぶろく巡りもしてみたいな。

ただ、どぶろくだけしか注文しなかった客は、今までに僕だけだそうです。ごめんなさい。

  

阿仁マタギ駅に戻り旅を続けましょう。

 

30分ほどの阿仁合駅でまた下車します。ここは有人駅で駅員さんが手を振って電車を送っていました。駅舎内には『こぐま亭』という立ち食いそばがあります。後で寄ることにして予約していたタクシーに乗り込みます。向かうは阿仁スキー場。目当ては・・・

 

 

 樹氷見学です。樹氷と言えば蔵王や八幡平、八甲田が有名ですが、ここ森吉山でも樹氷が見られることはつい先日のテレビで知ったばかりです。ゴンドラに乗り頂上駅から歩いて5分ほどで樹氷帯に到着。始めて見る樹氷は迫力満点のまさにスノーモンスター。これはゲージツ写真が撮れるのでは・・・とそんなに甘いものではありませんでした。氷点下17度の世界にホッカイロひとつで太刀打ち出来るはずがありません。体幹はさほどの寒さは感じませんが、しかし指という指には激痛がはしり、やがて触れてもつねっても感覚はなくなり、真っ赤から白く変色しはじめると、さすがに“もげる”恐怖から撤退を余儀なくさせられざるを得ません。いや~早春の渓流釣りの沢の寒さなんてもんじゃありませんでしたよ。

やっと一息つけたのが下りのゴンドラ内でした。衣服を整えようと立ち上がり座りなおした時に何故か帽子がスポンッと脱げました。帽子の水分が天井に触れた瞬間に凍りついちゃったんですね。素頭だったら・・・危うくザビエルみたいになっちゃうとこでしたよ。

  

  

スキー場までのタクシー料金は通常だと片道6000円ほどかかるそうですが、樹氷ライナーという定刻出発のタクシーを利用すれば2000円で往復出来ます。知っててえがったなや。

阿仁合まで戻り待ち時間でこぐま亭の馬肉ラーメンを食べるつもりでしたが、さっき閉店したばっかりでした。朝からまだなにも食べていない16時ちょうどのことでした。

 

鷹巣へ向かいます。内陸鉄道とJRの駅はすぐ隣り合わせですが、駅名は鷹ノ巣となっていました。すでに真っ暗です。腹が減りました。しかし駅前の商店街で開いている食堂も居酒屋もみあたりません。待合室では地元ガキツッパリ君達が騒ぎながらテレビの大相撲を見ていました。短気になっていた僕は、「テメ~、ガキはガキらしくまるちゃんでも見やがれ!」と怒鳴りたかったけど、旅先でガキに殴られ鼻血など流した大人はかっこ悪すぎなので、「君はお相撲さんで誰が好き?」なんてつまらない質問をしてしまいました。旅先でガキに無視される大人もかっこ悪すぎです。

 

弘前に到着したのは19時半をまわっていました。ホテル受付でおすすめの居酒屋を教えてもらいさっそく入店。心地良い津軽三味線が流れる店内にはたくさんの地元客が集っています。二合徳利の熱燗をすすり、青森のホッキ、ツブ、ホタテと貝づくしの刺身を堪能し、声の聞こえないNHK大河ドラマ「平清盛」をぼんやりながめ、やがてほろ酔うと津軽弁の女性店員と会話を楽しみます。「お客さん関東がら?」「よくわかったね」「んだ、前の彼氏がそっちのひどだっだんだ」「むむう、過去形だね」「んだ、半年前に別れだ」「そ、そうか、若いんだから素敵な恋をたくさんすればいいさ」「んだ、わだし来年は東京に就職しにいぐつもりだ」「そりゃいいな、こっちきたらおじさんのお店に寄ってね」と名刺を渡す。「きゃは、へんてこな名前の店だなや」「む、」名刺をとりあげる。「でも、わだしはおじさんぐれーの歳のひどが好きだ。おどなは優しいから」「そ、そんと?」・・・旅先で変な日本語を使ってしまったかっこ悪すぎの大人なのでした。

 

 明日に続くだよ。。