平日であれば通勤、通学客で賑わう時間帯であろう早朝の八戸線車内は拍子抜けするほど空いていた。いつもなら決まって海側に席をとり車窓の風景を楽しむところだが、今日は故意に山側のBOXシートを選ぶ。やがて窓枠の落書き、『としお 早く帰っておいで』に目を落とすと暇な旅人は勝手な想像力を働かせてしまう・・・・・・
家族の反対を押し切り家を飛び出してからすでに7年の歳月が流れていた。就職先も見つからずアルバイト暮らしのとしおにとって都会の暮らしは楽なものではなかった。唯一の心の支えは仕事先で知り合った同郷の彼女の存在。としおにとって彼女とすごす週末のわずかな時間はなによりも大切なものであった。ある日、彼女からお金を貸してほしいと相談されたとしおは快くあるだけの貯金を渡してしまう。その日以降彼女はとしおの前から忽然と姿を消した。心の底から愛し信頼していた彼女に裏切られたとしおは明日をむかえる気力さえも残ってはいない。あてなく街中を彷徨い歩くとしおの目に飛び込んできたのは電気屋の店頭に陳列されたテレビから流されていた故郷陸奥湊の映像。漁船が帰港したくさんの魚が水揚げされたばかりの漁港はあの頃と同じように慌ただしさに充ち溢れていた。そこで働く女性たちの中にとしおは母親の姿を見付ける。家出以来一度の連絡も家族にしていなかったが、決して故郷を忘れたわけではなかった。いつだって思い出すのは青い森、清い水、港町の活気、飛びかううみねこ、そして母親の暖かい笑顔。「か、かあちゃん・・・」 ポケットの中で小銭を握りしめると公園まで走り電話ボックスに身を置く。何度も躊躇した指がやっとダイヤルを回しきると受話器越しに聞こえてきた懐かしい母親の声。「もすもす、もすもす」・・・としおは何も話せない。「もすもす、どなた?・・・としおか?としおなんだな?どこさいる?としお、としお、聞こえてたら返事してけれ、としお・・・」 う、ううっと小さな嗚咽だけを残しとしおは受話器を置いてしまう・・・帰りたいよ、かあちゃんに会いたいよ・・・本当はそう言いたかった。でも、言えなかった。色とりどりの装飾ライトとジングルベルが鳴り響く街中で、としおの電話ボックスだけが暗い闇につつまれていた・・・・・・
としおを安否する母親がこの落書きを残したのに違いない・・・旅人は勝手に物語をでっち上げた。しかしここで大きな誤算に気付く。本文の下に綴られた落書き、『ヘッコしようネ!』の文章に気付いた旅人は愕然とする。『ヘッコ』とはおそらく『グリグリ』や『へっぺ』と同意語に思われ、ましてや『ヘッコしようネ!』の『ネ!』の一文字だけカタカナで表現するのはどう考えても若者のしわざだ。この落書きを書いたのは、彼氏と『ヘッコ』をいたしたくていたしたくてたまらないイカガワシイ思想家の女性と考えるのが最も正解に近いのでは?冷静に考えれば年老いた母親ほどの人間が落書きのような悪戯をするわけなどないのだ。 『としお 早くかえっておいで ヘッコしようネ!』に翻弄される旅人・・・ま、どーでもいいことだけど・・・・・・
終着のJR久慈駅に到着すると、すぐ隣の三陸鉄道久慈駅へ向かう。待合所には三陸鉄道へ宛てたたくさんの励ましのメモがはってあった。立ち食いそば屋『リアス亭』で駅弁を購入しJR側の待合所で折り返しの八戸行き電車を待つ。岩手県の観光ポスターをながめながら、次はこの駅から三陸鉄道のひとり旅を実現したい、そう思った。
10分前に改札が開かれるが乗客はやはり少なかった。今度は海側のBOX席を選び風景を楽しむが、津波の傷跡を探すのは安易なことだった。 この八戸線も大きな災害を受けた路線なのだ。それでも素晴らしい海岸美は期待を裏切らない。浜で海藻拾いをする家族、砂浜まで乗り入れたスーパーカブなど和める風景をいたるところで見ることが出来る。
種差海岸駅で下車。ここから二駅先の鮫駅まで遊歩道を散策することがこのひとり旅のハイライトだ。駅からまっすぐのびた道の先に、いきなり吸いこまれるような景色があった。どこまでもひろがる天然の芝生と海の色が同調するこの絶景を、無理な言葉で飾り付けるのは野暮である。かの司馬遼太郎は著書『街道を行く』の中で、“どこか宇宙からの来訪者があったら一番先に案内したい海岸”と表現している。僕だったら、“ぼ~っと景色をながめても、たっぷり昼寝しても、腹一杯の弁当食っても、呑み過ぎても、決して飽きない場所。家族と一緒でも、恋人と寄り添いながらでも、ひとり旅でもずっといたい場所。でも男同士ぢゃ来たくない場所”と表したところでメシを食いましょう。
久慈駅で手に入れたこのうに弁当はリアス亭のおじちゃんおばちゃんが毎朝早起きして一生懸命につくる駅弁だ。一日20個仕込むのがやっとだそうで予約なしでは購入できないほど駅弁ファンにとって憧れの駅弁なのだ。震災後にこの弁当は幻となる寸前まで追い込まれたが存続を願う方々からの温かい励ましに勇気付けられ販売を続ける決心をされたそうだ。このうに弁当もまた無理な言葉で飾り付けるのは野暮である。見た目で“ぴゃあ~♪” 香りで“ぴゃあ~♪” 食べても“ぴゃあ~♪” のぴゃあぴゃあ尽くしの幸せ過ぎる弁当なのだ。美味い駅弁と素晴らしい景色に、僕はこの場所から離れられなくなっていた。
1時間ほどの昼寝から起きると行動を開始。整備された遊歩道は歩くごとに違う景色を楽しませてくれる。巨岩の頂上に人の姿が見えた時は思わず目を疑ってしまった(4枚目写真) 小さな漁港のたびに小休止を入れ釣り人の釣果など気にしたり、季節の花にレンズを向けたり、とにかくのんびりと自分のペースで歩く。この海岸沿いにはすべての海岸美が凝縮している。妻が50歳を迎えたら一番最初に連れてきてあげたい場所だと思った。それにしても人に会わない。ただ一人話をさせてもらったのは白浜で網を掬っていた初老の男性。小さなエビは釣り餌に最高なのだと教えてくれた。砂浜は波打ち際が歩きやすい。波がさらった後に残るものは僕の足跡の軌道だけ。まっすぐ歩いてるつもりがふらふらと歪んでいたものだから、「俺は矢吹丈か!」とひとりごとを言った。葦毛崎展望台には駐車場がありソフトクリームを販売する洒落た店があった。遊歩道はここで途切れる。多くの人が集まるところはひとり旅には似合わない。ソフトクリームを購入する時に味の種類で喧嘩をはじめたカップルに、「早く別れろ、このバカップルめ!」とつぶやいた旅人は先を急ぐのであった。
も一回つづく