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新 ・ 渓 飲 渓 食 時 々 釣 り

魚止滝のずっと手前で竿をほっぽり
ザックの中身をガサガサまさぐる男の日記

乗り鉄ひとり旅も楽しんでいます

大人になったら、したいこと・・・いくべぇ青森 後編

2016-01-25 05:00:00 | 旅行、食い歩き

弘前は大雪だった。傘をさすのは旅行客で地元の方は上着に纏った雪をパンと叩いて振り払う。昔と同じ光景だが、そこに懐かしい“音”はなかった。シャンシャンシャンとタイヤの奏でる鎖のチェーンはスタッドレスの乾いた音に変わっていた。

酒呑みだが最近は甘党でもある。この弘前はアップルパイの街で観光協会では酸味、甘味、シナモンなど味の好みが店ごとに表示されたアップルパイmapを配布している。時間まで酸味の強い紅玉パイに抹茶ラテでティータイムと洒落込む。むむ、似合わないですと?ほっといてチョンマゲ。

せっかくのひとり旅、もうひと風呂は浴びたいところだ。路線バスで1時間ほど揺られ下車したのは懐かしの嶽温泉。さらに奥へと入ったところに初めて訪れる湯段温泉はあった。素朴で鄙びたと呼ぶには相応し過ぎる小さな湯宿『ゆだんの宿』は古風ながら明るく清潔感にあふれている。金気臭と甘さを感じる薄濁りの湯船に沈むとすぐに体中に泡を纏い芯までほかほかにあたためてくれる。湯量の豊富な源泉掛け流しは山の新鮮な気を満たしている。外は吹雪、窓を開けると岩木山の冷気が心地良い。ああ、いい湯っこだな~。

湯上がりをロビーで寛ぐ。薪ストーブの炎を眺めながらのビールが格別だ。「お昼ごはん食べたの?」と女将さんの声。弘前で食べるとこたえた後に後悔してしまった。それにしても居心地の良い湯宿だ、女将さんのあったかい笑顔と土地の言葉も魅力だ。次に訪れる時には手料理をいただきつつのんびりと夜の時間を堪能したい。心に残る宿が、またひとつ増えた。

  

帰りのバスで気がついた。やばい、今夜の宿を決めていない。時刻は午後5時、慌ててビジネスホテルを予約。 今夜は街呑みと決めていたが目ぼしの焼き鳥屋は予約が取れずならばの寿司屋も定休日。くぐる暖簾は満席ばかり。ならばと居酒屋チェーン店は僕の美学に反するし、こりゃマジでやばいですぞ。吹雪の街をひとり徘徊するよそ者の運命やいかに・・・

やっと入れた店で僕はいじめられる。しかもとんでもなくだ。カウンター端に席をもらい瓶ビールを注文するといきなり御高齢女子軍団ABCにからまれる。以下会話・・・A「こんだら寒い日にビールば飲む男はバカだあ」B「にいちゃん、ひゃっこいもん飲んだらキ〇タマ冷えて使いもんならねくなるべ」C「だら、わのオ〇タであっだめてやっかギャハハハ」A「あだヨソモンだっぺ。クッツに滑り止めなんが巻いで」・・・すでに泥酔ABC相手に耐える僕・・・A「あだネギッコ嫌いだか?」B「ガキだあ。かっちゃのオッ〇イでも吸っとれ」C「だら、わの吸うか」・・・助けを求めるも店主は困ったように頭ポリポリ。Aはあき竹城似でBはそのまま菅井きん、Cは見たことないほど変なお顔。だけど、だけどふと思う。おそらく70は超えているであろう女性がこんなにも元気に酒が呑めるのは素晴らしいことだ。僕「皆さん仲良しなんですね。良く呑まれるのですか?」A「だ!家さいでもひどりだば淋しぐでな」B「だ!他ん店は出入り禁止くらってるで週一ここに集まるだ」C「だ!だ!」僕「で、純情な旅人をからかって遊ぶと?」ABC「だ!だ!んだ!」・・・思わず皆で笑ってしまった。A「あだ名前は?どごがら来だ?何やっでんだ?」僕「コンド-マサノブです。東京のジャニーズ事務所で俳優やってます」・・・・・・即しらけて終宴。ふらふらのABCに手を振り、その後はゆっくりと美味いアテで地酒『豊盃』を呑む。おあいそをお願いすると、「ばっちゃ達からもらってるよ」と店主。「しかしお客さん、いい獲物だったねえ」と笑顔に見送られ外に出るとひとっこひとり歩かぬ時間になっていた。吹雪の弘前で、“さらば、愛しのエロババア”とつぶやいてみた。

ビジネスホテルの明け方に恐い体験をした。いきなり左足を掴まれぐぐっと引きずり込まれそうになる。慌てて電気をつけると太ももにはくっきりと指の跡がアザとなって残っていた。

  

海が見たくなった。羽越線特急いなほで新潟を目指す。暗く荒れた冬の日本海を電車から眺めるのは初めてだ。昼飯は秋田駅で買った駅弁。これがまた最高にうまい。大館の名物で旨味が凝縮した比内地鶏がたまらない。駅弁、風景、酒、うつら寝・・・これぞ正しい呑み鉄の極意である。

新潟駅に到着すると無性にラーメンが喰いたくなった・・・まずは餃子だな!ラー油たっぷりにビールはサッポロ赤星。〆めに澄んだスープの中華そば。どこかホテルにチェックイン後にまた夜の街へと繰り出す・・・うむ、完璧なプランだ!しかし僕にはここの土地勘はまるでなかった。そそる店構えのラーメン店は見つからず駅周辺はパチンコスロットカラオケ居酒屋チェーンそして路地裏は風俗が独占。食べ〇グなどで店を探すのは大の嫌いだし・・・今夜も徘徊する僕はもう疲れちゃってサイトで今夜のホテルを予約。チェックインし通された部屋がそりゃもう酷かった。ゴミ箱には使用済みのティッシュと薄ピンクのアレ。そして掛け布団には変なシミ、シミ、シミ。これは絶対にあのお汁が乾いたものに違いない相違ない間違いない。窓を開ければいかがわしいピカピカネオンと大音量花〇〇大回転アナウンス、本日伝説の〇〇嬢出勤のタテ看板・・・速攻5分でチェックアウトし上越新幹線帰宅の人になるのであった。

旅の想い出は、艶やかでなくとも、眩いほどでもなくて良い。土地に触れ、情に触れ、酒に酔い、少しの美味いものにありつけ、たまにはいじめられ、それでも笑顔の妻のおかえりだけで、それだけで満点のひとり旅。 ただ、シミだけは・・・・・・新潟の街よ、覚えてやがれ!

 

またお会いしましょう。。

 


大人になったら、したいこと・・・いくべぇ青森 前編

2016-01-24 05:00:00 | 旅行、食い歩き

冬になると病的に遠い地方の雪深い風景が見たくなる。はらりはらりと粉雪舞う露天で『ふぅ~』を吐き出す瞬間を想像するともういてもたってもいられなくなるのだ。

弘南鉄道終着駅の黒石駅に降り立つ。あまりの冷気にきりりと引き締まる頬の感覚がたまらない。まずはこみせ通りを目指すが、すぐに迷子になった。つるつるに凍った歩道を自転車で歩く女性に道を訪ねると一緒に途中まで案内してくれた。八千草薫さんにそっくりな美人の方だったので『サブちゃん』と呼ばれてみたくなった。前略おふくろ様、黒石の方はとても親切です・・・ちと古いか(汗)

雪囲いのある路地の風情が懐かしい。以前も立ち寄った酒蔵で酒瓶を買い、ついでに試飲もたくさんさせていただいたらすっかり酔っ払った。肉が食べたくて入った食堂でのこと・・・700円のカツ丼を玉ネギ抜きで注文したら会計の際に750円を請求された。聞けば手間の掛かる特別注文は50円増しとのこと・・・前略おふくろ様、玉ネギが食べられるようになりたいです。

  

駅前から路線バスに乗る。終点で送迎車に乗り換え山の奥へ奥へとどんどんのぼって行く。ランプの宿青荷温泉・・・冬場には自力では辿り着くことの出来ない一軒宿だ。案内されたのは雪景色に埋もれた離れの部屋。いいぞ、いいですぞ・・・僕、すぐにうかれる。

部屋には石油ストーブ、すでに点火されたアルコールランプ、ラジオもねえ、テレビもねえ、携帯電波なんて入るわきゃねえ、ガラス窓は隙間風、耳をすませば渓流のせせらぐ水音、ミソサザイの鳴き声。あとは本当になにもねえ。すぐに布団を敷きごろんと横になる。

さっそく露天風呂に入る、思わずこぼれる『ふぅ~』 ほぼ1年ぶりの『ふぅ~』はまさに最上級だ。がつんと成分の強い温泉ではないが湯量豊富な山の優しい湯は長湯するにはちょうど良い。雪景色を独占しながら、僕はしばし無の人になる。

総ヒバ造りの健六の湯はガラス張りの明るい浴場で湯気と香りがこもっている。露天よりいくぶん湯温は高く芯からあたたまり体中の疲れが湯にとろけ出る。一緒になった常連客は四つある風呂の中でもこの健六の湯が一番のお気に入りだそうだ。「風呂上がりのビールがたまらないんだよ」とグラスを飲み干す仕草をして「お先に」と部屋へ戻って行った。

夕食までの時間、部屋でひとり飲む。まずはビールで喉を痛めつける。プハァ、たまらないのだ。黒石で買った『菊乃井本醸酒』は澄んだ甘さが特徴だ。吟醸や純米系の酒も好きだが本醸酒の素直な味が飲み飽きなくて良い。やがて山の闇は突然に訪れる。まだランプひとつのあかりには慣れていないが酔いのおかげでこの部屋にはすっかり馴染んでいる。さて、どんな夜が待っているのだろう。

6時きっかりに食堂へ行くとすでに宿泊客であふれていた。みんな夕食が待ち遠しくてフライングをしたのだろう。岩魚の塩焼きにかぶりつく。渓流釣り師のくせにしばらくこの味に御無沙汰していた。燗酒をすすると岩魚の残り香がふわりと鼻をくすぐる。川鱒のマリネ、鴨鍋、きんちゃく煮、イガメンチ、わらびお浸し、あみ茸酢の物など美味そうな山の幸が食卓をにぎわせている。しかし、それにしても暗い。箸で摘まんだものが何なのかが解らない。ままよと頬張ったものが生の玉ネギで僕のお口の中と脳ミソは今とっても困っている。しかし他のものは感激するほどの素晴らしい味だ。正直山奥の一軒宿でこれほどまでの美味さに出会えるとは思わなかった。

ここは本当にランプの宿。潔いぐらいにランプのあかりだけが頼りの夜。逆に雪あかりがこんなにも明るいとは思わなかった。部屋に戻りまた酒を飲む。からっぽの頭でランプだけを見つめる。この宿では他にやることがないのだ。それが、また贅沢な時間に感じる。寝しなに温泉に浸かる。湯気の向こうにぼんやり灯るランプのあかり。溢れた湯が排水溝に流れ込む音が賑やかな笑い声に聞こえた。

    

    

   

   

こんなにも寝覚めの良い朝は久しぶりだ。さっそく露天に浸かる。昨晩はそうとう降ったのだろう雪の景色が嬉しいほどに濃くなっていた。朝飯の時間には明るくなっていた。これがまた美味過ぎておかわりがすすむ。溶き卵の鍋はこの宿の名物だ。

帰りの送迎車の中で会話した方は、なんと藤沢在住で家もすぐ近くの同級生の女性だったので互いに驚いてしまった。共通の知り合いの名前が出ると会話が弾んだ。鷹ノ巣と角館を結ぶ秋田内陸縦貫鉄道を楽しんでから今日帰ると言う。僕はまったくのノープラン。取り合えず弘前に出てから考えますかねえ。

前略おふくろ様、ランプの宿青荷温泉は、お湯も料理も、従業員の方々も、それはあたたかいお宿でございました。

 

つづく・・・きっと


早春の海草を味わう

2015-03-22 15:56:24 | 旅行、食い歩き

小坪の春の風物詩はなんといっても新わかめを干す風景です。浜茹でされたばかりの初物はまさに旬の味。毎年これを楽しみにこの地を訪れるのです。

  

どん詰まりの小磯からは遠く江の島が望めます。家族でバーベキューを愉しんだり小魚をとって遊んだり、懐かしい思い出がたくさん詰まったとっておきの場所なのです。来年は網とバケツを持ってこよっと。ちなみに緑の小エビは伊勢海老の赤ん坊です。 

  

  

小坪のあさりも美味しいんです。シンプルに酒蒸しでいただきましょう。新わかめのヌタと一緒に、今夜は飲むしかないのです。

  

 


大人になったら、したいこと・・・海の混浴編

2015-03-02 13:00:30 | 旅行、食い歩き

川部駅で五能線へ乗り換える。悪天候のため30分の遅れが生じていると車内放送があったがこの路線では珍しいことではない。どの駅で途中下車しようか、昼飯は何を食おうかなど発車しない車内で考える時間も楽しいのだ。

横殴りの雨が雪へ変わると少々不安になってくる。上り列車が隣ホームに到着すると待ちかねたように電車は動き出した。五所川原に到着すると再び運転を見合わる放送にここで途中下車を決める。まずは飯処でも探そうと改札を出て駅前の道を歩きだす。のんびり温泉に浸かったおかげでやたらと体が軽い。肩なんかグリングリン回っちゃったりするし・・・やばい!猛ダッシュで駅まで戻ると改札員をふりきり二段とばしで階段を駆け上り下り・・・よ、よかった、ホームにはさっきまで乗っていた車両がまだ停車している。網棚の上に置き去られたリュックザックを抱きしめた時の喜びと情けなさは、旅に出るたび思い出すことだろう。

よってまれ丼という海鮮丼を喰った。各鮮魚店で好みの刺身を酢飯にのせてもらうとオリジナルの丼ぶりができる。十二湖のしじみ汁が付いてくるのも嬉しい。特に筋子はめちゃうまだった。立佞武多も見ることが出来た。そのでかさと迫力には驚かされた。祭りの日には高さ20mを超えるこの山車が“よってま~れよってま~れ”の掛け声とともに五所川原の街中にくり出すという。

   

五能線の旅を続ける。鯵ヶ沢駅前に佇む旅館ははじめてのひとり旅で二日目にお世話になった宿だ。豪勢な海の幸、寒さと怖さで眠れなかったあの夜のことは今でも鮮明に覚えている。あの旅から4年、思い出の宿には売却物件の看板がつけられていた。

Lookチョコをすすめるとイチゴ味を探しながら“これも違うこれも違う”とかじっては破片を増やしたあの少年との出会いはいわて銀河鉄道だった。障害のある少年はあの日初めてひとりで電車に乗った。盛岡駅で母親に見送られ、目時駅で待つ父親に飛びついたあの時の喜びの顔は今でも忘れない。

やがて車窓に広がる海。久しぶりにこの景色が見たかった。五能線はひとり旅の初心。ウイスキーをころがすと旅の思い出がふわりと香った・・・なんちゃって、キザな自分が実は恥しい。

深浦駅で下車し送迎車で宿に向かう。案内された部屋は広々とした真新しい和室で僕には少しこちょばゆかった。窓をあけるとすぐそこには海があった。間近5メートルの距離をカモメが飛び交っている。

この宿の自慢はなんといっても磯場につくられた混浴露天風呂。源泉掛け流しの茶褐色の湯は適温で長湯が楽しめる。ひょうたん型の湯船に浸かりながら日没を待つ客同士の会話も楽しい。あいにくの雲に遮られ海に沈む夕陽を見ることはできなかったが真っ赤に染まった夕焼け雲のその見事さに皆が歓喜した。すぐ隣には女性専用の露天風呂もあるがご夫婦で混浴を楽しまれる方も少なくなかった。ここはまさに絶景温泉、いつか妻も連れてきてあげよう。

   

冷酒と燗酒で夕食を楽しむ。部屋別に配膳が決められてひとりぼっちが少し淋しかった。それでもしっかり呑み、がっつり喰らい、そしてデブは加速した。

部屋に戻るとすでに布団が敷かれていた。『自分でどうぞ』的な宿ばかりを利用する僕にとっては感動的なサービスなのだ。思わずダイブしふんわり掛け布団をムギュ~してしまった。

翌朝、5時半には露天風呂を独占していた。海風が強く露出した顔は凍えたが湯の中はまさに極楽だ。すぐそこの磯岩には白い波がぶち当たり、緩やかな波間には海鳥の群れがぽかりと浮いている。あとからいらしたご年配におはようの挨拶をいただく。仙台の方で30年近く年2回通われているとのこと。「すっかり老いてしまいましたが、まだ死なないのは半分はこの温泉のおかげですよ」と品の良い笑顔を浮かべてくださった。

朝飯のバイキングには筋子もあったので僕はたくさん食べたかったけど残りが少なかったのでひと切れだけで我慢した。それなのにすぐ後ろの人は五つも取りやがったので僕の心は日本海の荒波だ・・・なんて遠慮の無い野郎だ!ちきしょう、お前なんか血管詰まっちゃえ・・・でもすぐ補充されみんなたくさん取っちゃってるから僕も並び直し三つも取っちゃって僕の心は穏やかな太平洋平へと戻った。筋子すじこスジコsuzikoウレチ~♪

  

食後に周辺を散策。宿のすぐ下に小さな港があった。防波堤を境に外海では荒い白波が立ち入り江は静かだ。小さな魚の群れの下にどでかい魚影が見えた。今度は振出竿を持ってくると楽しそうだ。

途中で見事な奇岩を見つけた。戻ってフロントに聞くも、そんな岩は知らないと言う。もしかしたら世紀(?)の大発見では!そうだ、この岩に名前を付けなければ!・・・神奈川県在住54才自営業血液型O型の男は本気で思うのであった。

    

帰りの列車がやってきた。旅の終わりに五能線の風景は沁みる。

秋田駅から新幹線に乗ると風景はもう見なかった。2012年に亡くなられた大田蘭三さんの釣部渓三郎シリーズを読む。20歳以上も年下の恋人アキちゃんと(の)昆布じゃない海藻類のお酒をすするシーンで眠気に襲われ、気が付くとすでに上野駅だった。石巻の懐かしい顔に会いに行こうと思っていたが、それは出直すことにしよう。

おしまいです。

 

※ 旅のものではありませんが柑橘類のお土産があります。読んでくださった方、どうぞお早めにお寄りくださいませ。


大人になったら、したいこと・・・山の混浴編

2015-03-01 12:16:41 | 旅行、食い歩き

3月、歩道の片隅に寄せられた雪は黒く汚れていた。風はまだ冷たいけれど春はすぐそこまで来ているのだ。

青森駅はひとり旅の玄関口。方向音痴の僕ですら迷わずに歩けるぐらいの土地勘はすでに身についていた。いつもの駅前食堂で昼食を食い、買い出しをしてから純喫茶で時間を調整する。

宿の送迎車は観光用大型バスなのに補助席まで満員状態だ。さすがに人気の高い宿だけのことはある。市街地を抜けるとすぐに雪景色へと変わる。この白い風景が見たかったのだ。

八甲田山麓に滾々と沸き続ける一軒宿の湯治場。今回この場所を選んだのには大きな理由がある。

六畳一間の客室に通されるとアップルパイをかじる。青森県は言わずと知れたリンゴの産地で、アップルパイは酸味や甘味をいかしたもの、シナモンを強くきかせたりバター風味に仕上げたりと店ごとに味の違いを楽しめるのだ。テレビをつける、電波が弱いのだろう時折ザザザッと画像が荒れるさまがいやらしいモザイクみたいで笑ってしまった。

   

風呂に入る。千人風呂で有名な混浴の湯治場だ。総ヒバ造りの広い浴場にこもるプンプンの硫黄臭。ああ、良い匂いだ。二つの湯船がありどちらも広々としている。中央を境に男女分けられてはいるが隔てるものは一切無し。それでも混浴が気にならないのはものすごい湯気と濃い白濁湯のおかげであろう。湯船に身を沈めると思わず声に出てしまった“ふぅ・・・” 何も考えず、ただ山奥の秘湯の時間を楽しむだけ。“ふぅ・・・” また出てしまった。体の毒素が抜けるようだ。この湯はまるでお酢のように酸っぱい味がする。顔をぬぐうと目にしみるほどの強い成分。底板の隙間から湧き出る新鮮な湯は本当に気持ちが良い。やはり温泉は源泉掛け流しに限るのだ。ちなみに、もしもポスターのように混雑していたならば僕はきっと躊躇してしまっただろう。

 

湯治といえど晩飯は決して貧粗ではない。品数は多くはないが好みの味付けだ。宿泊客のほとんどが年配のご夫婦かご友人同士。たまに若いスキー客も目につくが、とにかく皆さんほがらかな笑顔だ。

食後、外に出ると粉雪がはらりはらりと舞っていた。火照った顔に気持ちが良い。館内をふらつく。混浴場のほかに男女それぞれの内湯がある。男湯の名前が玉の湯とはなんとも合点してしまう。9時を過ぎると廊下の足音が静まった。湯治宿の夜は早いのだ。

しかし、僕はまだ浮かれている。わくわくしている。この雰囲気がたまらないのだ。ロビーでビールを飲んでいると声を掛けられた。72歳にして初めてのひとり旅だそうだ。秦野にお住まいで若い頃には丹沢の山を楽しんだとのこと。スズメバチは朝方に刺されるのは厄介だけど夕方には毒素が薄まっているとか、マムシはよく食べたとか、友人の猟師から猪肉をもらうのが楽しみだったとか・・・僕にとっても身近だった話にあの男の顔を浮かべてしまう。「ひとり旅ってなかなかはまりますね先輩!」と、大先輩からそう呼ばれたのが妙におかしかった。

就寝前にまた風呂に入る。腹に大きな傷跡がある方が僕の胸の手術痕に目をやり、「合わさったらアジの干物だね」と互いに笑った。

27才のあの日、交通事故で右指二本がもげた。あれから27年、指の欠けた人生のほうがすこしだけ長くなった。正直人には言えない苦労もあった。今の仕事を選んだ後悔もあった。今回のひとり旅はこの右指をねぎらうための癒し旅。最近は健康面でも気になることがある。それも乗り越えていきたい。日頃強い負担をかけてしまう右手を白濁の湯の中でよく揉んでやる。今思うことは、とにかく良い仕事がしたい。ただそれだけを願っている。

せっかくだからたくさん願っちゃう・・・妻とずっと楽しく暮らせますように。家族や友人が元気でありますように。竹♂が長生き出来ますように。美味しいものがたくさん食べられますように。納豆が食べられるようになりますように。たまにはデヒャヒャなことがありますように。お金がたくさん貯まりますように。大きな魚が釣れますように。蛾がいなくなりますように。少しは痩せられますように。肩こりが楽になりますように。髪の毛や歯が抜けませんように。呆けませんように。変な事に巻き込まれませんように。世界が平和でありますように。朝起きたら指が生えてますように・・・それでは、グッナイ!

    

旅は朝風呂に限る。四時起床し仙人風呂へ。じわり体があたたまると眠気に襲われこくりと首を垂れる。ばしゃっと顔に湯を掛け目覚めを促す。気が付けば広い浴場に僕ひとり。湯気の中に黒い影が動いた。ほっ、人がいたんだと思いきや、そこには誰もいなかった。ここは八甲田山中の一軒宿、彷徨う方々だってお風呂に入りたいのであろう。女性が入って来たようなのでここはひとりきりの空間を譲ることにした。

外は猛吹雪、あっという間に丹前も髪の毛も白くなった。積った雪に自分の足跡を刻むのは楽しい。海外の女性から写真を撮って欲しいと頼まれカメラを渡される。かなりの高級機種でいぢくりかたが解らずおまかせモードにて撮影。おお、なんというシャッタースピードの速さなのだ。撮影した画像を見せると「グゥ!(good)」と笑顔を返してくれたので「でへへ、なんもなんも(dehehe,nanmonanmo)」とはにかんだら、「ォワッ?(what?)」と言われた。一緒に撮影した一枚を出来れば僕にも欲しかった。これから船でhakodate(ハコダーテ)に出て最後はtokachi(トカチッチ)へ行くと言う。「Japan(日本)に来て本当に良かった」と美人で明るい29歳のスウェーデン女性だった。どうぞ良い旅を。

 

素晴らしい宿だった。送迎バスに乗り込むと少し淋しくなった。もっと雪深い季節に今度は二泊で計画をしよう。 青森駅へ到着すると客はそれぞれがそれぞれの方面へと散らばる。僕も二日目の旅モードに切り替えるのだ。 

続く


妻とハコーネ泊

2015-02-22 14:43:01 | 旅行、食い歩き

 たまには夫婦で旅行も良いものだ

運転は面倒なので、電車かバスで行ける温泉地を探す

仙石原の別荘地にあるこの宿は濃い硫黄の匂いが充満していた

小さな貸切の露店風呂は温度も丁度良く長湯するにはもってこいだ

コガラ、ヤマガラ、シジュウカラと好きな野鳥がすぐ近くまで寄って来ては木の芽をついばんでいた

  

暖炉が燃え、その上には愛犬の写真が飾ってある

雰囲気の良い宿だ

  

でも、実は素泊まりだ

オランジュという洋菓子と

近くの精肉店で購入したローストビーフは妻のリクエスト

しかしとて

やはり僕には駅弁と日本酒、漬物、ゆで卵が似合う

   

朝、餌台にはひっきりなしに野鳥が集まっていたが

ヒヨドリが来るとすぐにその姿を消してしまった

   

夜中、窓ガラスを雨風が強く叩きつけたが

朝にはからりと晴天になっていた

ゆっくりと朝風呂に浸かりご満悦の妻

雑誌で読んだが50代は妻に投資することが

夫婦円満の秘訣だそうだ

そろそろ、妻への感謝の気持ちをカタチにせねば・・・

 

なんちって

実は近々いつものひとり旅を目論んでいる

いわば

妻のご機嫌取りハコーネなのですね

てへぺろ


神津島へ

2014-11-05 13:19:24 | 旅行、食い歩き

たまには海の温泉で一杯やるべと友人Mと始発電車で伊豆急下田駅へと向かう。

神新汽船の受付で『本日は条件出航』だと告げられるも、この晴天にまさかと甘く見たのが間違いだった。出航し外海に出るや船は揺れに揺れた。荷物が飛ばないよう必死に抱えるほどの時化に常連の釣り客達すらよろけながら便所へ向かうも、僕らはキャッキャ言いながら酒を飲み続けた。こんな時には脳ミソを鈍感にするほうが良いのだ。

今日の目的地は式根島だ。この島は温泉に恵まれ秘湯も楽しめるという。が、時化はおさまらずに式根島は素通りされ着岸出来たのは神津島だけであった。

このまま下田港へ戻ればお金はタダ・・・これが条件出航だが僕達は“呑めればどこでもいい”と迷わずに下船。ちなみに下船したのは僕達だけだった。

   

神津島には2つの港があるが、島の中心から外れた不便なほうで降ろされちゃったので島の交通について係の人に聞いたところ、「さあ?」とだけ言われなんとなく“島流し”的な気分になるもすぐに島内バスが到着しなんなく移動。「さあ?」の人はとても美人さんだったが次にものを聞く時はあったかそうな人を選ぼうとMと意見が一致した。

まずは昼飯だ。キンメ煮付けがあまりにも美味しかったのでお酒もたくさん呑んだ。さて今晩の投宿を探すべく観光案内所へ向かう。ごつくて怖そうな漁師さんの経営する宿よりあったかい女将さん的なほうが良いと好みを言うと、決まったら携帯に連絡をくれるとの優しい対応に僕達は安堵し島で唯一の温泉施設へと向かった。湯上りのトマトジュースと夕焼けがやたらと沁みた。

しかしなかなか観光案内所からの連絡が来ない。不安になったころ施設の館内放送がながれた・・・『さきほど観光案内所にて宿の相談をされた2人組の男性のお客さま、フロントまでおこしください』・・・2人とも携帯番号を教えずにいたことをこの時初めて気が付いた。親切であったかい係の人に、ごめんなさい。

紹介された民宿を訪れる。昔通った南伊豆の民宿のおばちゃんに似た女将が笑顔で迎えてくれたので嬉しくなってしまった。素泊まりだったので近くの居酒屋を教えていただくと、こっちのお店はおすすめだけどあっちのお店はおすすめできない。でもこっちのお店に入れなかったらあっちのお店に入るしかないの。だって今の時期はこっちとあっちの2軒しかお店やってないんだものと申し訳なさそうに言われたので祈る気持ちでこっちのお店へ出向くと感じの良い女性がカウンター越しに招き入れてくれた。「観光?」と聞かれ首を振り、「登山?」と聞かれ首を振り、「釣り?ダイビング?」とこれも首を振り、呑みにだけ来たと言うと「素晴らしい!」と誉められた。この店の鯵のくさやの干物と亀の手の味噌汁は生涯忘れることのできないほどの美味さだった。

  

 

翌朝周辺を散策。立派な小学校があった。たくさんの思い出を島の子供達に残してあげることだろう。

鮮魚店の主人が猫の名を呼んで餌をあげていた。僕と同じ名前だったのでなんとなく話しかけたくなった。昨日食べた鯵のくさやの干物はあいにく今日は無いとのことだった。

 

昨日の港まで送っていただく。思えばこちらのほうが風景の素晴らしい港だ。

東海汽船の大きな客船が到着すると島ガールの出迎えがあるが乗客の下船が終わるとすぐにいなくなってしまった。『ようこそ』はあっても『サヨナラ』のない神津島との別れが少し淋しかった。

  

   

式根、新島、利島、大島と寄港しそれぞれの港で紙テープが舞った。酔っ払いのMはそれを引きちぎって遊んでいた。よせ、やめれ!

横浜港の夜の灯りは華やか過ぎた。恋人同士には似合うがオヤジ2人はそそくさと野毛の街へ逃げる。思いがけずの神津島だったが、たまの船旅もなかなか良いと来年の式根島リベンジを誓うのであった。


大人になったら、したいこと・・・函館にて

2014-06-21 12:42:51 | 旅行、食い歩き

旅はまだ終わらない。函館行き路線バスの待ち時間を利用し鴎島を散策。千畳敷では釣り人がのんびりと糸を垂れていた。江差もいい街だなあ。

  

二時間ほどバスに揺られる。乗客は数人のみ。海岸線をひた走り、右折すると緑あふれる渡島半島を横断、13時半前函館駅到着。ここにはお気に入りの店が数軒あるが、そのほとんどは夜間営業の居酒屋。ならばとて頭に浮かんだ古い大衆食堂へ足を向ける。おお、まだ健在だ!いきなり気分は孤独のグルメの井之頭五郎だ・・・久しぶりの函館だが観光客にまぎれて海鮮丼の気分じゃない。俺の脳は今何を求めている?俺の胃袋は何を入れて欲しがっている?そうだ、肉だ!肉と言っても焼き肉屋の気分ではない、もっとガツガツ喰らうような大衆的な肉を俺は今無性に喰いたがっている。それほどまでに俺の空腹感は追い込まれている・・・と、迷わずカツカレーを注文。う、うまい。うま過ぎるほどの美味さでないところがまた嬉しいのは、思い出そのままの味に再会したからだ。久しぶりの味が前よりもっと美味くなっていたならば、それはただ単に美味いとだけ表現される薄っぺらい美味さであり、その中には喜びなど無いのだ・・・と、ほぼ10年ぶりの変わらぬ津軽屋食堂であった。

   

もう一軒寄りたい店があった。『酒の丸善 瀧澤商店』の創業は戦前で北海道を代表する角打ちの銘店なのだ。観光客相手の店では活イカ一パイ1000円以上は当たり前だが、この店ではなななんと350円で食える。小ぶりだがその歯ごたえはポキポキで味も甘く、この肝がまた美味いのだ。奥尻で撮った画像をディスプレイで再生しながらハイボールを楽しむ、まさに旅の余韻に浸るには最高の時間だ。「奥尻かい、いいねえ。なまらうまかったっしょ?」と店主の言葉に、二軒の寿司屋の大将と塩ラーメンの店の親子の笑顔が浮かんだ。21年間、ずっと抱き続けた憧れの奥尻島、この旅のフィナーレにふさわしい時間だった。この満足感、達成感は一生涯消えることはない。

   

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

 

追記 

いつもお世話になっている大切なお客様方、ささやかではありますが北海道民ソウルフードであるお土産を用意いたしました。

どうぞお気軽に店へお寄りくださいませ。おそらく、もらっても迷惑なものでしょーが。

 


大人になったら、したいこと・・・奥尻島③

2014-06-20 14:16:49 | 旅行、食い歩き

逆方面へのびる路線バスにも乗る。下り最終便だったので途中下車できるのは一箇所限り。終点から折り返す便に乗らねばならず見学時間は20分足らず。運転手の方は賽の河原をすすめたが個人的に抵抗のある場所だったので、ならばと教えていただいた宮津バス停で下車。海に突き出た要塞のような岩の上にお社が建てられており、その場所へ行くにはとってもおっかなそうな急な階段を下りてからまたとってもおっかなそうな急な階段を上るのだが、これが本当にとってもおっかなくて、どれぐらいおっかないかと言えば冷や汗がだたららと首筋を垂れるほどおっかなかった。ここにはもともと番所があったが島人が大漁祈願のためお社を建て弁天様を奉納したそうだ。おっかない急な階段を下りきった場所からの眺めは素晴らしく、でもまたおっない急な階段を上って、また下って、また上らねばバス停まで帰れないと思ったら、やはりおっかなくなった。 

ここにたてられた説明書きによれば、奥尻の名前の由来は古いアイヌ語が起源で、イクシュン・シリがイク・シリと転訛し意味は「向かう(イク)島(シリ)」 江戸時代に著された「蝦夷史」の中で初めて奥尻の漢字を当てたそうだ。う~む、現場でお勉強をしてしまった。

   

宿でくつろぐが、暗くなると無性に外出したくなるのが旅先での本能だ。カメラをぶらさげ港の外れを歩くと、沖合の漁火が水平線にあかりの線を引いていた。幻想的な夜の光景にレンズを向ける。ISO3200では画像が粗くなってしまい、露出は開放のままISO1600~800でシャッタースピードを調整しながら撮影。上手な写真は撮れなかったが、昼間といい真剣にカメラと遊べた充実感に浸ることが出来た。

ここは北の島、夜になるとさすがに寒い。冷えた体は酒であたためるのが一番、やはり呑むしかあるまい。今夜はまた違う寿司屋へと足を向ける。まずは燗酒と、そしてウニ刺しを注文。なまらうめぇ~♪ この寿司屋にはホヤ刺し、海老卵の塩漬けなど酒のアテが充実しており居酒屋使いする地元客であふれていた。ここでもいろいろな話を聞くことが出来た。道内のそこここで楽しめる三平汁はこの奥尻島が元祖あるいは発祥の地で、その由縁は昔南部藩の斉藤三平さんがこの奥尻で作った汁が道内にひろがったとのこと。次の日曜日に催される賽の河原祭りではたくさんの海の幸が振舞われ、7月のウニ漁解禁を迎えると奥尻にも夏が来るということ。島は山菜の宝庫でもあることや渓流釣りも楽しめること。イカは朝から丼ぶりでかっ込むのが最高だとのこと。そして・・・

21年前の震災のことは島に上陸してから口にすることをひかえていた。あの日あの時間、僕はこの島にいるはずだった。僕が宿泊するはずだった地区や宿の方はどうなったのか、この答えが自分の安否と一致することは間違いのないことだった。報道された奥尻の惨状を見て震えがとまらなかったあの日から、僕の島時間は止まったままだった。その時計が、この寿司屋で動き出した。その地区すべては全壊したが幸いにも亡くなられた方はいなかったと言う事実、しかしこの島でたくさんの尊い命が奪われたことも悲しい事実、軽はずみには島人の過去の部分に触れてはいけないのだ。今は素直に島時間を楽しみたいと、そう思ったら酒がなまら美味く感じた。

  

  

翌朝4時前には目が覚めていた。6時50分発帰りのフェリーに乗る。短い滞在だったけど素晴らしい思い出ができた、最高の島旅だったと思う。これから夏になるとたくさんの観光客が訪れる奥尻島。イク・シリ=向かう島と名付けられた奥尻を島人はこう呼ぶそうだ、「奥尻は、こころの島」と。

  

さて、函館さ寄って一杯ひっかけてくべかね~♪

 

 


大人になったら、したいこと・・・奥尻島②

2014-06-20 12:28:04 | 旅行、食い歩き

もう一艘は兵庫の方で、日本一周はすでに達成されたことのあるベテランだ。お二人はネットのヨット情報を介してこの奥尻でお会いしたと言うが、なんだか昔からの親友みたいだった。このお二人に混ぜていただいたのが僕。3人でバスに乗るとなんだか男三人珍道中(失礼)みたいで楽しいのだ。いつの間にか青空がのぞき、一瞬だが北海道らしい干し草ロールの風景を見ることが出来た。

青苗地区へと向かう。ここは北海道西南沖地震で最も被害の大きかった場所。津波館に寄ると係員の方から生々しい体験談を聞かせていただくことが出来た。津波に襲われたのは地震発生わずか3分後のこと。地域によっては30メートルを超える巨大津波だった。北海道にはね返されたその津波は13分後に再び奥尻を襲った。東日本大震災の津波の3倍以上の早さで時速500キロを超えていたという。青苗灯台はへし折られ、沖で火災を起こした漁船は風にあおられ着岸すると地区全体が火の海となった。残されたのは青苗岬突端の洋々美徳という塔だけ。奥尻島では200人近い方が尊い命を奪われた。その慰霊碑として『時空翔』はたてられた。毎年7月12日の夕陽がそのくぼみに沈むよう設計されたという。 

緑の中で風にそよぐ黄色い野の花は復興した奥尻に似合っていた。優しくて、強くて、へこたれずに生きているのだ。  ※勾玉はとても貴重な出土品で、あとの説明は忘れました。

  

   

宿のある奥尻地区まで戻る。奥尻島のシンボルである鍋釣岩で記念写真後昼食の店を探す3人。魚介系の店は開いておらず大衆食堂に入ると、昨夜寿司屋にいらしたお年頃の女性のお店だった。兵庫の方が注文したウニ丼はかなり美味しかったようで、「これ食わないなんてダメだよ」と、横浜の方が、「こっちの塩ラーメンセットだって超うまいよ」・・・ごく自然の会話すら旅先では楽しい。数時間のお付合いでしたが、航海の話や麻酔科女医さんのナンパ話などなど、楽しいひとときをありがとうございました。10月過ぎまで航海は終わらないとのことですが、なにとぞ気をつけて夢をかなえてください。

 

ぶらぶら歩く。奥尻の美しい海の色を写真に残したかった。どっかと腰をおろし三脚を立て真剣にマニュアルモードにて撮影。安物の古いミラーレス一眼だけど、このカメラは旅の大切な相棒なのだ。せわしい移動を強いられるいつもの鉄道旅も好きだが、せっかくの奥尻島、静かな島の時間をもっと楽しまねば。

  

フェリーでのアクセスは瀬棚からの昼便もある。ターミナルでは島のゆるきゃら“うにまる君”が迎えに出ていたが、どうにも子供達には人気が薄いようだ。無視され怒ったうにまる君がおばば様にパンチを入れ幼な子を泣かしていた・・・ウソだけど。

ちなみに、うにまる君はその時(人)によって足の太さが変わるらしい。 

  

 

もちっと続く