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職業、鍛冶手伝い。

現代の迷工、未来の虚匠

伝統的工芸品産業の振興に関する法律 「伝産法」について考える�

2013-08-02 19:12:09 | ひとりごと
 前回では「伝統的工芸品」と「伝産法」についての長い記述となってしまいました。

 そもそも、現在「伝統工芸」と呼ばれるものは、それが生み出された時代から長い間立派な「産業」として生活や社会を支えていたものです。感覚的に捉えにくいことですが、今「手仕事」と呼ばれる職業が、概念的に現在で言う「工業」だった時代があったということになります。
 工業技術の発達と人口の増加とともに生活を支える主体産業は「手工業」から「工業」へシフトし、「手仕事」と呼ばれる業種は徐々に間口が小さくなっていきました。戦後の高度経済成長期には海外からの安価な輸入品や大量生産品に押され手仕事の様々な業種は全国的に逼迫し、バブル期の高級品志向の風潮などで一時的に伝統的工芸品の生産額が上がる時期もありましたが、バブル崩壊後右肩下がりとなり、現在ではほぼ横這い状態が続いています。 
 時代とともに伝統的工芸品を含んだ地場産業や伝統産業を取り巻く状況が変化し「ものをつくるだけが職人の仕事ではない」時代となってしまいました。全国の伝統的工芸品産地、地場産業の産地が様々な工夫を凝らして奮闘しています。
 
参考 経済産業省 製造産業局 伝統的工芸品産業室
伝統的工芸品産業をめぐる現状と今後の振興施策について(pdf)」(平成23年2月)

 ここまでこのような書き方をしていると、伝統的工芸品産業があたかも苦戦を強いられているような印象を与えるかと思いますが、逆に現代の大量生産・消費型の産業にない、「手仕事」の持つ側面に着目されている方も大勢いらっしゃいます。
 作り手の立場である私の目から見ても、これだけ大量生産・既製品のあふれる世の中で手仕事・地場産業・伝統的工芸品が産業全体の中では狭いながらも確固たる地位を保ち続けているように感じることが多々あります。その陰には生産にあたる現場の人間のみならず、使い手の方、品物を使い手の方まで繋いでくださる売り手の方、また手仕事のよさを様々なかたちで広く伝える活動をしていただいている方のお力があってのことと思います。
 
 伝統的工芸品を含む「工芸」の世界は本当に多くの問題を抱えています。大学時代から数えて10年以上「工芸」というものに触れてきた私ですが、手仕事は本来それらの問題を覆せるほどの力を持っているはず、という考えを持っています。おそらく今、手仕事に着目されている大勢の方も「手仕事の持つ力」に魅了されたり、どこか確信めいた何かを感じ取ったうえでのことではないかと思います。
 「温故知新」という言葉通り、伝統的工芸品の分野でも小さな革新を繰り返しながら現在に至るものですし、伝統的工芸品を取り巻く環境の変化の中でいかに軸をぶらさずに対応していくかということ自体が一番大きな課題であるかと思います。
 伝産法の項目の一つとして「活性化事業」というものがあります。割と分かりやすい事例を挙げていくと

・新事業育成、新製品開発とその発表のための展示会開催など

・デザイナー、バイヤーの方との交流をはかるフォーラムなどの開催

・海外市場に対する事業展開への支援

・現代生活にマッチした企画製品の浸透


 まだまだありそうですが、これぐらいにさせていただきます。これらの事例を詳しく調べていくと、国による事業から自治体単位でのものなど様々な取り組みがなされていることが分かります。上手く産地の活性化に結びつくものもあれば、残念ながら失敗した事例もあるようです。
 あくまで個人的な意見なのですが、これらの活性化事業について、その内容が「長く続くもの、次につながるもの」でなくては意味(意義)のあるものではないと思います。特にこのような分野での場合、実施から効果が出るまでの期間が結果的に長期にわたるものだと思いますし、目に見えての効果が非常に分かりづらいということも多いです。
 少なくとも、伝統的工芸品の分野においての活性化というのは「大きな花火を上げて終わり」ではないように思います。極端な表現ですが「小さな熾きになっても火を絶やさない」ことが本来の旨ではないでしょうか。

 ここまで画像なしでの記事掲載となりましたが、次回からは伝産法の条文を引用しつつ出来るだけ画像を使っていきたいと思います。ご意見・ご指摘がおありでしたら是非宜しくお願い致します。
 
 

伝統的工芸品産業の振興に関する法律 「伝産法」について考える①

2013-07-30 20:08:38 | ひとりごと
 突然ですが

「伝統工芸ってなんですか?」と聞かれたとします。

 おそらく「伝統工芸」の現場で仕事をされている方でもはっきり答えられる方は本当に少ないと思います。私もいきなりそんな質問をされれば狼狽することでしょう。かといって「知らない」は通用しないのが従事者としての筋かと思いますし、工芸品をお求めになられるお客様がいらっしゃった場合は正しくご説明が出来るよう、またこのブログをご覧になられた方に少しでも認識を持っていただくことが出来ればと思い、私なりに「伝統工芸・伝統的工芸品について」考え、記事として備忘録的に書いていきたいと思います。当方の勉強も兼ねての記事掲載となっていますので間違いや誤解を招くような表記、偏りのある私の個人的見解となってしまう可能性があります。もし関係者の方がご覧になられて間違いなどにお気づきでしたら是非コメント欄等でのご指摘をお願い致します。
 
 「伝統工芸」という名称ですが、これは一般的に「始まりから一定の歴史を経て今なお製作され続けている工芸品」といった意味でしょうか。この名称はある意味曖昧な表現であり、不確定要素の多いものです。「伝統産業」や「地場産業」、「工芸品」と「民芸品」など同義・意義の境界がはっきりしない関連用語も多いことから、一般消費者の方はもちろん、それぞれの現場に従事する方も明瞭に区分することは困難なのが現実です。
 分かり易いかどうか微妙になりそうですが例を挙げると、南部鉄器の場合は国(かつての通産省、現在は経済産業省)の指定する「伝統的工芸品」です。この「伝統的工芸品」という呼称は、昭和49年5月25日に公布(平成4年、平成13年に一部改正)された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」において定められたものになります。
 ですので最初の質問を投げかけられた場合、私はこの法律の名前を出して説明せざるを得ないと考えるのですが・・・この「伝産法」の認知度は非常に低いものではないかと思います。「伝統的工芸品」における唯一の法律である伝産法、その趣旨と実態については現場で働く私にとっても肌で感じることが度々あります。ですが実際この法律について私自身どこまで知っているかというと、学生時代の座学に毛が生えた程度の非常に頼りない状態です。長い条文をすべて暗記!
 はさすがに無理ですので要所要所をかいつまんで上手くまとめられればと思います。

 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」は「一定の地域で主として伝統的な技術又は技法等を用いて製造される伝統的工芸品」の「産業の振興を図り、国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的」とし制定されました。その背景には制定時の伝統産業や地場産業が抱える様々な問題(後継者不足や原材料入手困難、それらに伴う産業としての不振など)の表面化があり、国としての特定産業の指定と指定後のあらゆる振興策と補助など名称どおりの内容となっています。
 概要としては一つの工芸品の生産に取り組んでいる複数の事業所の集合(「産地」として形成された団体)に対し

・一定の要件を満たすものを経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定
・指定された「伝統的工芸品」を様々なかたちで広く一般社会に対し公表
・指定された産地の提出する振興・活性化計画に対する国や地方自治体などからの助成

 という支援を受けることが可能となります。細かく分類すればもっと多岐にわたるのですが、大まかにはこのような内容です。かなりざっくりとした表現だと、「国が伝統的工芸品の産地に対し産業としての自立的活性化を促す手助けをするための法律」となります。
 では、産地側(指定組合等)はどのような形で支援や助成を受けることが出来るのでしょうか。あくまで、産地側から提出される振興計画の概要によりますが、その内容としては
 
・従事者の後継者の確保・育成、従事者の研修など
・技術または技法の継承および改善、品質の維持および向上
・原材料の確保、原材料についての研究
・需要の開拓
・作業場、作業環境の改善
・事業の共同化など
・品質の表示、消費者への適正な情報の提供
・従事者の福利厚生など
・その他伝統的工芸品産業の振興を図るための様々な要件

 となっています。基本的に産地の抱える「深刻な」問題を自立的解決するための支援を受けることが可能ですので、産地側はあくまでそれに甘えることなく活用することが大切だと思います。産地側が「支援・助成は当たり前」という考えに至ったらそれこそ伝統的工芸品は産業として最悪の末路を辿ることになるでしょう。

 その他にも

・技術・技法の記録収集・保存事業
・意匠開発事業
・地域伝統的工芸品産業人材育成・交流支援事業
・産地プロデューサー事業

 などがあります。大変長くなったしまいましたが今回はこれくらいで切り上げるとします。間違いなどをご指摘いただければと思います。 
 
 参考

伝統的工芸品産業振興協会編著『伝統的工芸品ハンドブック』

伝統工芸青山スクエア(旧 全国伝統的工芸品センター)webサイト
http://kougeihin.jp/top

経済産業省webサイト
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html

   

一瞬

2012-12-16 19:44:50 | ひとりごと
 先日告知させていただきました環境学習講座も本日無事終えることができました。最後までお聞きいただきました参加者の皆さん、今回の講座のセッティングに当たっていただきました環境学習センターの皆さんにこの場を借りて心よりお礼を申し上げます。普段仕事場にこもって仕事のみと向き合っている私のような者にとって、受けるべき刺激を受けるための非常に貴重で有意義な機会だと思います。人生経験の一つとしても。
 
 今回の講座のために資料集め際に、鉄瓶の製作工程の説明のための画像が必要となってしまい、両隣が鉄瓶屋さんであるのをいいことに、鉄瓶屋さんの仕事場、工房内の写真を撮影させていただきました。自分の仕事の合間を縫っての撮影でしたが、ちょうどその日の午後は隣の工房で「吹き(鋳込み)」でした。これはすごいチャンス!と仕事の手を休めて(本当はいけません)一瞬だけ撮影させていただくことに。

隣の「薫山工房」さんの吹きの様子です。「甑(こしき)」という溶解炉で鉄を熔かします。送風と炎の大きな音、鉄の火花が走る様子は緊張感があります。私も学生時代にブロンズなど銅合金の「吹き」は何度も経験がありますが、鉄の「甑」による吹きの緊張感はその比ではありません。



「とりべ」という柄杓を大きくしたようなもので甑から出る溶けた状態の鉄(「湯」といいます)を受けます。

手早く鋳型のある場所まで移動してとりべの中の湯を鋳型の口(湯口)に流します。手に汗握っている間に鉄瓶屋さんは一瞬でこの作業をこなしていきます。絶対に失敗は許されませんし、湯の温度や湯の注ぎ方など様々な条件により成功する場合も失敗する場合もあります。丹精込めてつくった鋳型でも、吹きが上手くいかなければ「お釈迦(修正不可能な欠陥)」になってしまいます。

 この一瞬に魅了されて鋳物の仕事に携わる決心をした職人さんも多いと思います。
 ところが私の場合はその逆でした。「吹き」のその一瞬に、金属というものが自分の手から離れていってしまうような気がしてしまったのです。溶けた金属を鋳込んだその一瞬、自分の中で金属というものがどうなるか分からない存在になってしまう、といった感じです。実はこれも私が鍛冶屋の仕事を選んだ理由の一つでもあります。一から十まで直接自分の手で金属を扱えるという点では鍛造が一番だと思います。
 ですが鉄瓶屋さんが甑で吹きをしているのを見るとやはり懐かしい感じがしてきます。正直あの一瞬の緊張感をちょっとだけもう一回味わってみたい気持ちになりかけたりもしますが、鉄の吹きはそんな生半可な気持ちではこなせませんので。
 まさに「鋳物は魔物」です。

後継者の考える「後継者問題」

2012-11-18 17:31:33 | ひとりごと

 盛岡市のもりおか歴史文化館での「南部鉄器青年展」も17日土曜日より無事開催の運びとなりました。盛岡南部鉄器若手職人たちの力作を一同にご覧いただけます。25日(日)までの会期となっておりますので、多くの方のお越しを心よりお待ちしています。
 
 忙しさのあまり認識が薄れていたのですが、ここ1年ほどの間で盛岡南部鉄器業界には続々と20代の新人さんが入門しています。盛岡の鉄器業界の若手から中堅の層が確実に固められつつあり、5年ほど業界最年少だった私も肩の荷が降りたというか、とにかく安心です。気づけば30代まで残りわずかとなってしまいました。
 伝統工芸にとどまらず、伝統産業・伝統文化の各分野で長い間問題視されているいわゆる「後継者問題」のリスクは現在の盛岡の鉄器業界にほぼ存在しないと言えます。私自身、個人としての意識も社会的位置づけも、伝統産業の現場に従事する「後継者」の一人となりますが、果たして伝統工芸における「後継者」という意味合いはもっと広いものではないかと常々感じるところがあります。
 様々な場面で取り上げられる伝統産業における「後継者」の言葉の意味は、あくまで伝統産業の現場で次世代の担い手として入門またはお仕事をされている方を指すように聞こえますが、「伝統工芸品」という分野の特性上、お客様に「使っていただくこと」無くして本当の意味で成立するものではなく、いくら現場の作り手が品質の高いものをつくったとしても、その本質的な良さを認めて使っていただく方がいなければ、伝統工芸という一つの世界は長期的にに成立するものではありません。また、つくられたものの全てを現場の職人が販売することは絶対的に不可能ですので、きちんと正しくもののよさや使い方を伝えて「もの」と「使い手」の方とをつなげてくださる「売り手」の方の存在が必要不可欠です。
 この様に、現場の作り手から離れた「もの」が良い形で「使い手」の方のもとに届き、「もの」としての役割を全うするまでに関わるすべての方が「後継者」ではないかと思います。そうあって欲しいという個人的な思いもありますが。伝統工芸品の本当の意味での良さを理解していただき、積極的に関わって下さる方が増えていくこと。「現場の後継者」の一人としての大きな願いです。
 
 
 
 

忙しさの中で

2012-01-22 18:25:30 | ひとりごと
忙しさが続いています。ある日の仕事場での一枚です。

こっちから向こうへ

向こうからこっちへ。
鉉がいっぱいです。これでも半分ほど消化したのですが・・・。

そんな忙しさを理由に「私事」のほうはスローペースになりがちでした。さすがにいけないと感じた時、あることを思い出しました。
昨年の鉄器まつりの後に行われた盛岡の鉄器業界全体の従事者交流会でのことです。その席で、新作展の審査もしていただいた私の尊敬するベテランの職人さんから講評をいただき、そのお話の中で「どんなに忙しくて厳しい状況でも、自分のものをつくることを忘れないでほしい。」とおっしゃったいたことを思い出し、大いに反省すべきだと思いました。


盛岡は相変わらず寒いです。ある日気づいた、工房裏の立派なつららです。

素敵な透明度で向こうの波板トタンが奇妙に透けて・・・何かに似ている、と思ったら

なかなか自然な模様が出せない「練りこみ地金」です。

見る角度によって模様の見え方が変化して面白いです。

良いタイミングで自然からアドバイスをもらった気持ちです(季節限定ですね)。忙しいのは確かですが、こういう時こそ新作を見ていただけるよう頑張っていきたいです。
疲労と怪我だけは十分気をつけながら。



「存在感のあるものを」

2011-10-26 18:32:38 | ひとりごと
「今の時代の中ではスマートで主張の少ないものが受け入れられがちですが、存在感のあるものをつくっていって下さい。」
花巻での個展に足をお運びいただいたお客様からいただいたお言葉です。
私のような若輩者には本当に身に余るお言葉でした。会場でそのお客様と少しお話をさせていただき、「この方は本当に多くのものをご覧になられてきたのだなあ」と直感的に思いました。
一言で言っても「存在感」と言っても様々なものがあると思います。強いものであったり、静かなものであったり、得体の知れないものであったり。
古作・新作、作品の大小などに関わらず、優れた技術や感覚に裏打ちされたものは、どれだけ時が経とうといつまでも存在感とエネルギーを発し続けます。

また、学生時代にご助言をいただいた方のお言葉を思い出しました。
「最近の伝統工芸はみんな同じに見えてしまって寂しい気持ちになる時がある。シャープさとか、スマートな部分を追求しすぎて、人間らしさとか野暮ったさがない。本来の「人の仕事」って何だろうね?」

ちなみにどちらの方も「作り手」さんではありませんが、作り手以上に非常に的を得た言葉だと思います。
多くの方が危惧されているように、様々な問題が山積みの日本の伝統産業は「受難の時代」の真っ只中にあります。全国各地の伝統産業が「新しいもの」を求め、「時代に合わせたもの」を発信しています。ですがまだ学生の頃の私にとって、それらの多くがいささか産地や企業、行政などの独善的な行為のように見えてしまうことがしばしばありました。実際に現場で働くようになり、「生産者」の目で各地の伝統産業を見るようになってからも「?」と疑問に思うこともあります。「伝統とは?」「手仕事の意義とは?」色々な解釈の仕方があって、多くの考えがあるとは思いますが、漠然とした疑念を抱きながらも今に至るのが現状です。
伝統的工芸品を含めた「手仕事」には、「すがた」と「かたち」があるように思います。時代に合わせて変化していく手仕事のあり方が「すがた」であれば、出来上がるものは「かたち」であると考えます。長い時間をかけてつなげられた「すがた」「かたち」には相応の意味と意義があることと思います。それを変えるということにはそれ以上の意味と意義が必要なのではないでしょうか。
目先の収益や注目を集める為に、盲目的に「時代に合わせた成長」を遂げていったその先にある手仕事の「すがた」は…もはや本質的な手仕事たる意義を失った、形骸化したものだと思います。根を失った樹木が枯れていくのと同様です。枝葉を広げることだけが実を結ぶことにつながるとは思えません。
周りの先輩職人の皆さんも、時代の流れと作り手としての在るべき姿、古作への憧憬や新しいものへの挑戦、様々なこととそれらによる一種のジレンマの中で葛藤しています。それでもつくり続ける「すがた」、出来上がった「かたち」を見せていただくことで、作り手として私自身も本当に何度も救われました。この「すがた・かたち」を次につなぐために私も本質的な意味で成長していかなければなりません。
時代がどう変わろうと本当に「存在感のあるもの」をつくるために。

「便利さ」とは?

2011-03-30 20:40:34 | ひとりごと
居候から市内での生活に戻りました。一週間以上お世話になりました親戚に心から感謝しています。
私の住む盛岡市内のコンビニエンスストアは現在軒並みは閉店または営業時間短縮の状態です。それ以外の店舗も営業時間短縮や節電営業の措置を講じているようです。日は長くなってきましたが、夕方の退勤時は以前より闇が濃いような気がします。私も節電を心掛けながら生活しています。
数日前、工房を訪れた方が「今までが便利すぎた」と仰っているのを耳にして、「便利さ」について色々と考え直しています。
私たちの享受している「便利さ」とは、大きな代償のうえで成り立っているものだと思います。今の暮らしの中で生活している全ての方がその代償を背負っていることが容易に見えなくなるほど、現代社会の「便利さ」は巧妙で複雑化しているように思えます。もちろん学校教育でその事に触れる機会があっても、私もひと通り受けた教育の性質自体が、どこか「みて見ぬ振りをするのが一番楽」ということを示唆しているようで、当時から漠然とした疑問を感じたものでした。教育すら体系化した「便利さ」の一部のようにも思います。
高校時代、あるきっかけで「ものづくり」と「手仕事」に深く興味を持ち始めてから、大学時代の研究を通して、どこか実感の湧かなかった「人の生活」というものに対し、自分なりに少しずつ答えが出始めてきました。人とモノを通じて今まで見えなかったものが「視え」始め、そういった事を自分のものさしにして生きていけたらと思い、今に至ります。
歴史の表・裏には数え切れないほどの「ものづくり」と「生産」が積み重ねられています。便利さ、豊かさを絶えず追求し続けて多くの犠牲を払ってきたことも事実です。もっと便利にもっと豊かにと進んでいく中、いつの間にかどこかで「生産」が人の手から離れてしまったようにも思えます。「生産者」からも「生産を享受・消費する側」からもです。
生産者は誰のために、何をつくっているのかすら知らなくてもいいですし、消費者は誰がどこで、どのようにつくっているのかすら知らなくてもいいのです。これが「人間の生産」でしょうか。つくられたものは「単なる消費」を生むか、または消費すらされずに終わる始末です。
生産・消費問わず「便利さ」とconvenient※の区別があやふやになっている状態です。これが本来の豊かさとは到底思えません。
手仕事は人と人、人とモノをつなぐ性質を持っているように思います。また、良いモノは使う人間を成長させると信じています。モノが生活をつなぎ、命をつなぎ、道具が仕事を支え、人の所作をつくるというのは現代でも同じはずです。ですがそれを実感しながら生活されている方はごくごく少ないのではないでしょうか。機械的な豊さが溢れる中、「人間らしさ」のある生活を求める方が多くいらっしゃるのも事実です。
私も単なる「便利さ」に辟易したり、便利さを支えるための複雑な骨組みに唖然とすることがしばしばあります。ですが単純に享受すべきものかどうか悩んでいるうちに「便利さ」は加速して過ぎ去って行きそうな勢いです。歳でしょうか。
日本の歴史を支えてきた手仕事の奥ゆかしさは、便利さや豊かさの本質に少なからず結びつくものと考えています。日本に生まれ手仕事に従事する人間として、少なくとも便利さ・豊かさの根本にあるものについてこれからも考え続けるべきと思います。
これからも手仕事が人と人をつなぎ、人とモノをつなぐものであり続けるよう、その根本を見失うことのないよう心掛けていこうと思います。
長文、駄文を大変失礼致しました。

※convenientは「自分勝手な、身勝手な」という意味もあるそうです。

手仕事の立場とは

2011-03-22 19:53:42 | ひとりごと
しばらく画像無しの記事投稿となりそうです。どうかご容赦いただければと思います。
震災から10日以上経過し、各地で復興に向けて本格的に動き始めています。
東日本全体が大きな影響を受けたこの震災ですが、私自身の仕事について、深く考えることとなりました。
本日、職場で会議と情報交換会がありました。私の職場は十数件の様々な分野の手仕事や地場産業の工房・事業所が集まった施設の中にあります。各工房の代表者が集まり、各自の現状と、施設全体としての今後の方針などを話し合いました。現在親方は津波の被害のあった岩手県沿岸部へ救援活動に向かわれており不在でしたので、私が参席させていただくことになりました。
ほとんどの工房で、物流の停滞による原材料の入手困難や、機械用の燃料不足、遠方への製品の発送が出来ないなどの問題が挙げられました。さらに従業員の方が通勤のためのガソリンを確保することさえも難しい状況です。
物流が停止するだけでこの有り様です。地場産品や伝統産業を銘打って日々仕事をしている私達が、いかに現代という時代に埋もれ、高度で複雑な文明に甘えていたか、この非常事態の中で気づかされました。
伝統とは?地場とは?常々ぼんやりと考えていたことが、この状況下でだいぶ見えてきました。
手仕事主体の生産から、機械による大量生産・大量消費の時代へ。問題として提起されていることが多いですが、現代社会の中で大量生産・大量消費のシステムを否定することは、社会そのものから離反するに等しいのではないでしょうか。人でいうと窒息するまで走り続けなければならないのと同じなようで、ゾッとすることがあります。
そのような社会の中で、手仕事や伝統産業の立場とは?恐ろしい速さで発展していく文明の恩恵を受け、絶対に乖離してはいけない領域を見失ってしまったのではないでしょうか。しかし、それにしがみつき続けることは猛スピードで進んでいく世の中・社会が許してはくれません。あくまで手仕事や伝統産業も社会の機構の一部として組み込まれているのが事実です。
相反する概念と理念のジレンマの中、守り続けなければならないものとは?見失ってはいけないものとは?変えていかなくてはならないこととは?それを考え続けながら、次に繋ぐことが手仕事や地場産業、伝統産業に携わる者の使命でもあります。
本日の会議では厳しい現状の報告が主となりましたが、最終的に今後の方針について各々の工房の代表者の方からは前向きな姿勢が見受けられました。同じ土俵で戦う者同士、協力し合ってこの厳しい状況を乗り切っていきたいと思います。
私も考えを深めながら、一日一日を懸命に生きていきたいと思います。
しばらく私のひとりごとが続くと思いますが、何卒一つご容赦をお願いします。新作も作っていますので、後ほどまとめてご覧いただければと思います。

近況報告と私感

2011-03-19 05:22:59 | ひとりごと
内陸部の盛岡市在住で大きな揺れはありましたが、被害は殆どありませんでした。地震後のライフラインの停止等でさすがに慌ただしい日々を過ごしていました。ようやく身が落ち着きましたので、近況報告をさせていただきます。
工房の方は14日より仕事を開始しました。工房が盛岡市郊外にありますので、現在は盛岡市内より、工房から近い隣町の親戚の所に暫く御厄介となり、そちらから自転車で通勤をしています。
各地でガソリンの供給不足となっているということですが、岩手県でも同様です。ほぼ全てのガソリンスタンドは営業停止で、給油可能な店舗には一般車の長蛇の列が出来ています。
被害の少ない地域ではありますが、どうしても今すぐ物資が必要な方もいらっしゃると思います。私はもっと優先すべき方がいると思いますので、震災前と同程度に供給が安定するまでは車を使う予定はありません。
被災地で懸命に毎日を過ごしていらっしゃる方、命を張って救援や復旧に当たっておられる方。
すぐ近くにいながら何もする事ができないでいる無力な私がせめて出来るのは「この状況下できちんと考え、きちんと生きる」ことではないかと考えます。
この震災の犠牲となってしまわれました多く方、今も必死で生き抜いている被災地の方、一つでも多くの命を救おう、一刻も早い復旧をと奮闘されている方に、必要な物資が少しでも多く届いて欲しいと思います。

電気や水道、ガス等ライフラインが不通となり、短期間ではありましたが非常に原始的な生活を強いられることとなり、人と人との繋がりや普段当たり前に、ぞんざいに扱ってすらいた生活の中の様々な物事に気づかされることとなりました。私自身大きな被害を受けたわけではありませんが、この震災で「生きること」や「人間らしさ」本来持つべき原初的なこと、人として、作り手としても大切な多くのことを考えさせられました。手仕事の芯の部分に少しだけ、ですが体現的に触れた気がしました。
震災発生から一週間経過しましたが、震災後、私は自分の無力さや手仕事の無力さを感じていました。ですが同時に、ものをつくるしか出来ない自分、非常の中で見えてくる手仕事の大切な部分に気づくことができました。平和だから出来ること、平和すぎて見失ってしまったもの、平和で便利な社会の中で手仕事の位置づけとは?
このような非常事態の中で不謹慎ではあると思いますが、数多くの課題が見えてきました。
毎度のことですが、上手くまとまった文章とならず大変申し訳ありません。長文駄文となりましたが、近況報告と私感とさせていただきます。
各被災地の一刻も早い復旧と生活の安定を心より祈っております。
それでは仕事場に向かいます。

あれやこれやと

2010-09-13 19:36:07 | ひとりごと
鉄器祭り、旧石井県令邸での展覧会の準備と忙しい毎日を送っております。ようやく今年の暑さも和らいで、秋の気配を感じる岩手です。
おかげ様で今日でこのブログを開設して丸1年となります。不定期での更新ですが、ご覧下さっている皆様、誠にありがとうございます。相変わらずマニアックな内容となりますが、今後ともよろしくお願いいたします。
さて、鉄器祭りも近づいてきました。釜屋さんに新作の色付け(着色)をお願いしていたものが仕上がって戻ってきました。この記事の作品です。
http://blog.goo.ne.jp/forginer1984/e/ec3029a3db7d0f05a69c4918c602bafb
少し特殊な技法を使っているので、さらに仕上げを掛けます。少しだけ画像を掲載させていただきます。

暗くなってから蛍光灯の下で撮ったので、色合いが悪いです。

フラッシュを焚いて撮影、やっぱり自然光が一番正直にものが見えます。

今回は新作3点を出品予定です。
間近に迫ってきました「第23回 盛岡 南部鉄器まつり」です。

ブログ内記事http://blog.goo.ne.jp/forginer1984/e/6e782a6c8f3fcb079570f1617736815c

ウェブもりおかhttp://www.city.morioka.iwate.jp/02kikaku/koho/kohomorioka/100901/02.html

ぜひ皆様足をお運び下さい。