職業、鍛冶手伝い。

現代の迷工、未来の虚匠

無事終了しました。

2010-01-25 19:10:34 | お知らせ

1月23・24日の東京青山での「2010 岩手の工芸 手仕事展」が無事修了しました。ご来場いただいた皆様、この場を借りての御礼となりますが本当にありがとうございました。
2日間という短い期間でしたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。今後の制作活動の励みとさせていただきます。

桜紋様

2010-01-21 18:29:04 | 古作に学ぶ

はめ込みの袋鉉です。表面に桜の紋様が入っています。この桜紋様の鉉は現在でもつけられることがあります。

紋様のアップです。袋張りする前の材料に桜紋様の刻印「鏨(タガネ)」で鉉の表側になる面に紋様を一つずつ穿ちます。彫金のような「彫り物」ではありませんが、上手くいかずに修正しようとして同じ箇所に刻印を打つとずれることが多いです。材料が赤く熱されているうちに1回で決めなければなりません。作者、制作年代ともに不明です。

紋様が薄れたり消えておらず、かつきれいに袋打ちがされています。

煎餅焼き

2010-01-18 19:11:45 | 金物

私の親方のお持ちになられているものです。鋳物の煎餅の形をとる型を鍛造の箸(火鋏)に取り付けたもので、昔の煎餅焼き器のオーソドックスなスタイルです。型同士が上手く噛み合うように作らなければなりませんので、かなり精度が必要な手仕事になります。盛岡を中心とした岩手の特産品「南部煎餅」も昔はこういった道具で一枚一枚手焼きで作っていたそうです。今ではあまり使われなくなった道具ですが、鋳物は熱を保ちやすく、じっくり加熱するのには向いています。

箸の部分だけでもかなりきっちり造られています。しっかり左右対称のとれた箸を造るのは結構大変です。箸の制作方法は後々ご紹介させていただきます。


竹鉉

2010-01-16 18:50:28 | 古作に学ぶ

竹をモチーフとした鉉です。無垢鉉ですが、竹の「節」の部分をつくるのに大変な手間が掛かります。この鉉の場合、1本の決まった太さの丸棒からつくるので、節の出っ張りを打ち出すのは大変です。作者・年代は不明です。

鉉の中に節が2つバランス良く配置されていて、シンプルさとモチーフの持つ伸びやかさを上手く表現されて、大変魅力的だと感じます。

大角豆鉉

2010-01-15 18:25:59 | 古作に学ぶ
何と読むか分かりましたか?大角豆と書いて「ささげ」と読むそうです。私も3年前までは知りませんでした。

「ささげ豆」のささげです。豆の鞘(実)をモチーフにした鉉です。これも袋鉉で作者・年代は不明です。

裏側からです。例によって端正な造り込みで、かつ愛嬌すら感じられます。合わせ目はほとんど見えません。

これも大角豆鉉の一種です。無垢鉉の中央に鏨(タガネ)を入れ、開いたものを上手く鞘の形にして打ったようです。作者・年代は不明です。この造り込みだけで十分驚いたのですが、さらに驚くべきことは

中の玉(豆)が鉉の切り込みの中で動くことです。引っかかりもなくスムーズに転がるのですが、当然のように中の玉が鉉から外れることはありません。意匠に遊び心あり、です。この2つの鉉を見せていただいた時は衝撃的でした。

立張り鉉

2010-01-13 00:18:23 | 古作に学ぶ
古作の鉄瓶には凝った造りの鉉がついていることが多いです(あくまで現存する鉄瓶ですが)。過去の鉄瓶についていても現在の鉄瓶では使われない鉉の種類もあります(特別な逸品作などを除きます)。私の師匠は古作の秀逸な1点や現在ではつくる機会のない鉉を資料として手元に保管していらっしゃいます。たいていは鉉のみで、どのような鉄瓶についていたか分からないものが多いですが、どうやってつくるのか私には分からないものも多いです。私の勉強も兼ねて、少しずつご紹介していきたいと思います。

立張り鉉で、袋鉉の1種です。おそらく南部型の鉄瓶の鉉ではないかと個人的には感じます。作者や年代は不明ですが、端正な造り込みに圧倒されます。

上からの写真です。鉉の上面が角ばっているのが分かると思います。これが立張り鉉の特徴です。立張り鉉は現在でも制作されますが、ほとんど一点制作の鉄瓶につけられることが多いです。
立張り鉉はほとんど、顔が映るくらいまで「磨き」がかけられることが多いようです。この鉉も磨きがかけられたようですが、時代の移ろいとともに鉄錆色に変化しています。

袋鉉なので鉉の下面に合わせ目がありますが、ほとんど見えません。いくら後からの「削り・磨き」加工があるとはいえ、鍛造でこの造りこみには言葉がありません。
この鉉をつくられた方のこだわりが他にも随所に見ることができますが、今回はここまでにしておきます。

鉄瓶?

2010-01-12 18:38:16 | 金物

鉄瓶ではありません。材質は「アルミ」です。時々行く中古品店で見つけ、金肌の色が妙で、錆もなく変な鉄瓶だと思って手に取ってみると、あまりの軽さに思わず笑ってしまいました。中身の入っていない薬缶を水が入っていると思い持ち上げた時のような感覚でした。
実はこの「アルミ瓶」は日本の工芸・手工業鋳物の悲しい歴史の遺産と言えます。
日本各地の鋳物産地の多くはもともと生活用品から農具・工具や武具などを生産し、それぞれ産地として確立が成されました。かつては工程のほとんどを手作業で行っていましたが、大正時代頃から電動モーターの使用が始まり(送風機などに利用)生産効率は格段に上がりました。昭和期に入り第二次世界大戦が始まると、軍による「金属類回収令」が出され、寺院の梵鐘から金属製の洋服ボタンまでが回収されました。また、多くの鋳物の産地は軍の統制化に置かれる事になります。特に鉄は軍事物資として必要不可欠です。「銑鉄物製造制限規則」が施行され、鋳鉄での軍需関連品以外の製造が禁止されました。南部鉄器の産地である盛岡・水沢でも鉄瓶・茶の湯釜の生産は「技術保存のため」一部を除いて禁止されました。鉄瓶の製作が制限された戦時下の職人さんたちは仕事として手榴弾や鉄兜などの武器の生産をしなければならなかったそうです。鉄が軍事生産にしか使えなかった時代、鉄瓶の代わりとして作られたのがこの「アルミ瓶」でした。しかし太平洋戦争末期ともなると、そのアルミですら不足していたと祖母から聞きました。

「アルミ瓶」と普段使っている竹寸胴の鉄瓶です。容量は「アルミ瓶」の方が多いです。

かわいい秤は実家のキッチン用です。竹寸胴は約1.8㎏です。普段使っているせいかそこまで重量があるとは思いませんでした。

「アルミ瓶」は750gありました。金属の比重(水を1とした重さの比)では鋳鉄(銑鉄)が7~7.2、アルミが2.7だそうです。

「寿」の一文字が大きく押してあります。

銘はなく、二重丸のような印と

「2」のナンバーが押してあります。隣の鉄瓶屋さんに見ていただいたところ、埼玉県川口市で戦時中作られたものではないかということでした。川口も鋳物の町として有名です。
正直なところ、当たり前のように素材があり、当たり前のように物を作れることが自分の中で「当然」という感覚になってしまうことが度々あります。それは手仕事をしていくうえで必ず戒めなければならない部分であると思います。材料を探すことからが仕事だった時代、昔の作り手の方々が、今作られているもの以上の仕事をしてきたことは事実です。決して物質的に豊かではなかった時代でも、作り手として一番必要なものをきちんと大事にしていたことと思われます。果たして自分にそれはあるのか、考えさせられます。
そんな気持ちも込めたうえで、この「アルミ瓶」を資料として手元に置くことにしました。ちなみにお値段は・・・ワンコインでした。作り手としての意識:pricelessということで。






仕事始め

2010-01-04 18:12:01 | 仕事
明けましておめでとうございます。
本日が仕事始めでした。今朝、氷点下の仕事場で打ち水(鍛冶場で常時、桶に入っている水です。様々な用途で使います。)に氷が張っていました。身が引き締まる思いで本年の仕事がスタートです。ちなみに「私事」始めは体慣らしのため昨日でした。怪我や事故がないよう、充実した一年となるよう心掛けていきたいです。
本年もよろしくお願い致します。