
鉄瓶ではありません。材質は「アルミ」です。時々行く中古品店で見つけ、金肌の色が妙で、錆もなく変な鉄瓶だと思って手に取ってみると、あまりの軽さに思わず笑ってしまいました。中身の入っていない薬缶を水が入っていると思い持ち上げた時のような感覚でした。
実はこの「アルミ瓶」は日本の工芸・手工業鋳物の悲しい歴史の遺産と言えます。
日本各地の鋳物産地の多くはもともと生活用品から農具・工具や武具などを生産し、それぞれ産地として確立が成されました。かつては工程のほとんどを手作業で行っていましたが、大正時代頃から電動モーターの使用が始まり(送風機などに利用)生産効率は格段に上がりました。昭和期に入り第二次世界大戦が始まると、軍による「金属類回収令」が出され、寺院の梵鐘から金属製の洋服ボタンまでが回収されました。また、多くの鋳物の産地は軍の統制化に置かれる事になります。特に鉄は軍事物資として必要不可欠です。「銑鉄物製造制限規則」が施行され、鋳鉄での軍需関連品以外の製造が禁止されました。南部鉄器の産地である盛岡・水沢でも鉄瓶・茶の湯釜の生産は「技術保存のため」一部を除いて禁止されました。鉄瓶の製作が制限された戦時下の職人さんたちは仕事として手榴弾や鉄兜などの武器の生産をしなければならなかったそうです。鉄が軍事生産にしか使えなかった時代、鉄瓶の代わりとして作られたのがこの「アルミ瓶」でした。しかし太平洋戦争末期ともなると、そのアルミですら不足していたと祖母から聞きました。

「アルミ瓶」と普段使っている竹寸胴の鉄瓶です。容量は「アルミ瓶」の方が多いです。

かわいい秤は実家のキッチン用です。竹寸胴は約1.8㎏です。普段使っているせいかそこまで重量があるとは思いませんでした。

「アルミ瓶」は750gありました。金属の比重(水を1とした重さの比)では鋳鉄(銑鉄)が7~7.2、アルミが2.7だそうです。

「寿」の一文字が大きく押してあります。

銘はなく、二重丸のような印と

「2」のナンバーが押してあります。隣の鉄瓶屋さんに見ていただいたところ、埼玉県川口市で戦時中作られたものではないかということでした。川口も鋳物の町として有名です。
正直なところ、当たり前のように素材があり、当たり前のように物を作れることが自分の中で「当然」という感覚になってしまうことが度々あります。それは手仕事をしていくうえで必ず戒めなければならない部分であると思います。材料を探すことからが仕事だった時代、昔の作り手の方々が、今作られているもの以上の仕事をしてきたことは事実です。決して物質的に豊かではなかった時代でも、作り手として一番必要なものをきちんと大事にしていたことと思われます。果たして自分にそれはあるのか、考えさせられます。
そんな気持ちも込めたうえで、この「アルミ瓶」を資料として手元に置くことにしました。ちなみにお値段は・・・ワンコインでした。作り手としての意識:pricelessということで。