職業、鍛冶手伝い。

現代の迷工、未来の虚匠

長期更新停止のお詫びと近況のご報告

2019-08-31 09:18:47 | お知らせ
 当ブログをご覧いただいております皆様、大変ご無沙汰しております。
 最終の記事投稿がおよそ6年前、もうそんなに時間が経ってしまったということへの驚きとともに、その間何も音沙汰もない状態を続けてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。
 約6年の間、紆余曲折はございましたが周囲の皆様のご助力をいただきながらなんとかこの仕事を続けています。また、私事で大変恥ずかしながらのことなのですが、現在家庭を持ち2児の父親として生活を営んでいます。
 気がつけばこの仕事を志し、師のご指導を賜ってから13年を迎えようとしています。そのような中、私にとっても転機となる出来事があり、自身のあり方を大きく変えようと一歩を踏み出す決意を致しました。
 当ブログをご覧いただいております皆様へ、お恥ずかしい限りですが私自身一時この仕事やものをつくること自体から身を遠ざけようと思ってしまうこともありました。多忙という言い訳で、当ブログからも逃げ続けてしまいましたこと、心よりお詫びを致します。
 本当に長い時間がかかってしまいましたが、この場に戻って来ることができたのは、皆様の支えがあってのことと存じております。
 私事ばかりのご報告となってしまいましたが、仕事についての仔細につきましては再び記事の投稿をさせていただきたいと思います。引き継ぎ、何卒宜しくお願い致します。

「新風展」と「南部鉄器青年展」のお知らせ

2013-10-20 20:04:23 | お知らせ
 またまた更新が滞ってしまい、大変申し訳ありませんでした。なんとか生きています。会期が始まってしまった展示会と、まもなく開催の展示会の二つのお知らせをさせていただきます。



 ECO Shirts Movement vol.12-東北の新しい風-
東北の再生に向けた若い工芸家たちによる「新風展」

2013.10/20(日)~27(日)
・時間/午前11時~午後7時
・場所/京町家キャンバス「ににぎ」
    〒604-8205
    京都市中京区三条油小路西入南側

天羽慎之介(木工・漆)、猪狩史幸(漆芸)、菊池翔(鍛造)
鈴木祥太(金工)、外丸治(木・石工)、高橋大益(金工)、
田代淳(漆芸)、二階堂明弘(陶芸)、古川響子(陶芸)、
本田ゆうすけ(金工)、牧野広大(草木染金属工芸)、矢萩誉大(陶芸)
(50音順)
招待作家 笠原博司(染織)、佃眞吾(指物)、村山耕二(ガラス)

 本日より開催です。宮城県加美町のギャラリー「工藝 藍學舎」にて、毎年8月「新風展」という展覧会を開かれています。東北の若い有望な工芸作家を集めて広く紹介する企画展です。有望なのかかなり怪しい私も出展させていただいております。
 主宰の染織家、笠原博司さんのご尽力により京都工芸繊維大学さんとのタッグを組み、8月の加美町での展示会に続き、京都において東北の若手工芸作家12名による展示会を開かせて頂きます。

詳細については下記のリンク先よりお願い致します。

・京都工芸繊維大学HPリンク

・藍学舎さんHPリンク

続いては…


今年も無事開催の運びとなりました。恒例の行事となりました、盛岡南部鉄器の若手職人たちによる作品展です。

 平成25年度 南部鉄器まつり

「南部鉄器青年展 若きFeたち。」

平成25年11月9日(土)~16日(土) ※11月11日(月)は休館日

盛岡市中央公民館1階創作展示室 午前9時~午後6時(日曜日は午後5時まで)

盛岡市中央公民館アクセス



 
どちらとも、ぜひともお越し下さい。お待ちしております。

伝統的工芸品産業の振興に関する法律 「伝産法」について考える�

2013-08-02 19:12:09 | ひとりごと
 前回では「伝統的工芸品」と「伝産法」についての長い記述となってしまいました。

 そもそも、現在「伝統工芸」と呼ばれるものは、それが生み出された時代から長い間立派な「産業」として生活や社会を支えていたものです。感覚的に捉えにくいことですが、今「手仕事」と呼ばれる職業が、概念的に現在で言う「工業」だった時代があったということになります。
 工業技術の発達と人口の増加とともに生活を支える主体産業は「手工業」から「工業」へシフトし、「手仕事」と呼ばれる業種は徐々に間口が小さくなっていきました。戦後の高度経済成長期には海外からの安価な輸入品や大量生産品に押され手仕事の様々な業種は全国的に逼迫し、バブル期の高級品志向の風潮などで一時的に伝統的工芸品の生産額が上がる時期もありましたが、バブル崩壊後右肩下がりとなり、現在ではほぼ横這い状態が続いています。 
 時代とともに伝統的工芸品を含んだ地場産業や伝統産業を取り巻く状況が変化し「ものをつくるだけが職人の仕事ではない」時代となってしまいました。全国の伝統的工芸品産地、地場産業の産地が様々な工夫を凝らして奮闘しています。
 
参考 経済産業省 製造産業局 伝統的工芸品産業室
伝統的工芸品産業をめぐる現状と今後の振興施策について(pdf)」(平成23年2月)

 ここまでこのような書き方をしていると、伝統的工芸品産業があたかも苦戦を強いられているような印象を与えるかと思いますが、逆に現代の大量生産・消費型の産業にない、「手仕事」の持つ側面に着目されている方も大勢いらっしゃいます。
 作り手の立場である私の目から見ても、これだけ大量生産・既製品のあふれる世の中で手仕事・地場産業・伝統的工芸品が産業全体の中では狭いながらも確固たる地位を保ち続けているように感じることが多々あります。その陰には生産にあたる現場の人間のみならず、使い手の方、品物を使い手の方まで繋いでくださる売り手の方、また手仕事のよさを様々なかたちで広く伝える活動をしていただいている方のお力があってのことと思います。
 
 伝統的工芸品を含む「工芸」の世界は本当に多くの問題を抱えています。大学時代から数えて10年以上「工芸」というものに触れてきた私ですが、手仕事は本来それらの問題を覆せるほどの力を持っているはず、という考えを持っています。おそらく今、手仕事に着目されている大勢の方も「手仕事の持つ力」に魅了されたり、どこか確信めいた何かを感じ取ったうえでのことではないかと思います。
 「温故知新」という言葉通り、伝統的工芸品の分野でも小さな革新を繰り返しながら現在に至るものですし、伝統的工芸品を取り巻く環境の変化の中でいかに軸をぶらさずに対応していくかということ自体が一番大きな課題であるかと思います。
 伝産法の項目の一つとして「活性化事業」というものがあります。割と分かりやすい事例を挙げていくと

・新事業育成、新製品開発とその発表のための展示会開催など

・デザイナー、バイヤーの方との交流をはかるフォーラムなどの開催

・海外市場に対する事業展開への支援

・現代生活にマッチした企画製品の浸透


 まだまだありそうですが、これぐらいにさせていただきます。これらの事例を詳しく調べていくと、国による事業から自治体単位でのものなど様々な取り組みがなされていることが分かります。上手く産地の活性化に結びつくものもあれば、残念ながら失敗した事例もあるようです。
 あくまで個人的な意見なのですが、これらの活性化事業について、その内容が「長く続くもの、次につながるもの」でなくては意味(意義)のあるものではないと思います。特にこのような分野での場合、実施から効果が出るまでの期間が結果的に長期にわたるものだと思いますし、目に見えての効果が非常に分かりづらいということも多いです。
 少なくとも、伝統的工芸品の分野においての活性化というのは「大きな花火を上げて終わり」ではないように思います。極端な表現ですが「小さな熾きになっても火を絶やさない」ことが本来の旨ではないでしょうか。

 ここまで画像なしでの記事掲載となりましたが、次回からは伝産法の条文を引用しつつ出来るだけ画像を使っていきたいと思います。ご意見・ご指摘がおありでしたら是非宜しくお願い致します。
 
 

伝統的工芸品産業の振興に関する法律 「伝産法」について考える①

2013-07-30 20:08:38 | ひとりごと
 突然ですが

「伝統工芸ってなんですか?」と聞かれたとします。

 おそらく「伝統工芸」の現場で仕事をされている方でもはっきり答えられる方は本当に少ないと思います。私もいきなりそんな質問をされれば狼狽することでしょう。かといって「知らない」は通用しないのが従事者としての筋かと思いますし、工芸品をお求めになられるお客様がいらっしゃった場合は正しくご説明が出来るよう、またこのブログをご覧になられた方に少しでも認識を持っていただくことが出来ればと思い、私なりに「伝統工芸・伝統的工芸品について」考え、記事として備忘録的に書いていきたいと思います。当方の勉強も兼ねての記事掲載となっていますので間違いや誤解を招くような表記、偏りのある私の個人的見解となってしまう可能性があります。もし関係者の方がご覧になられて間違いなどにお気づきでしたら是非コメント欄等でのご指摘をお願い致します。
 
 「伝統工芸」という名称ですが、これは一般的に「始まりから一定の歴史を経て今なお製作され続けている工芸品」といった意味でしょうか。この名称はある意味曖昧な表現であり、不確定要素の多いものです。「伝統産業」や「地場産業」、「工芸品」と「民芸品」など同義・意義の境界がはっきりしない関連用語も多いことから、一般消費者の方はもちろん、それぞれの現場に従事する方も明瞭に区分することは困難なのが現実です。
 分かり易いかどうか微妙になりそうですが例を挙げると、南部鉄器の場合は国(かつての通産省、現在は経済産業省)の指定する「伝統的工芸品」です。この「伝統的工芸品」という呼称は、昭和49年5月25日に公布(平成4年、平成13年に一部改正)された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」において定められたものになります。
 ですので最初の質問を投げかけられた場合、私はこの法律の名前を出して説明せざるを得ないと考えるのですが・・・この「伝産法」の認知度は非常に低いものではないかと思います。「伝統的工芸品」における唯一の法律である伝産法、その趣旨と実態については現場で働く私にとっても肌で感じることが度々あります。ですが実際この法律について私自身どこまで知っているかというと、学生時代の座学に毛が生えた程度の非常に頼りない状態です。長い条文をすべて暗記!
 はさすがに無理ですので要所要所をかいつまんで上手くまとめられればと思います。

 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」は「一定の地域で主として伝統的な技術又は技法等を用いて製造される伝統的工芸品」の「産業の振興を図り、国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的」とし制定されました。その背景には制定時の伝統産業や地場産業が抱える様々な問題(後継者不足や原材料入手困難、それらに伴う産業としての不振など)の表面化があり、国としての特定産業の指定と指定後のあらゆる振興策と補助など名称どおりの内容となっています。
 概要としては一つの工芸品の生産に取り組んでいる複数の事業所の集合(「産地」として形成された団体)に対し

・一定の要件を満たすものを経済産業大臣が「伝統的工芸品」として指定
・指定された「伝統的工芸品」を様々なかたちで広く一般社会に対し公表
・指定された産地の提出する振興・活性化計画に対する国や地方自治体などからの助成

 という支援を受けることが可能となります。細かく分類すればもっと多岐にわたるのですが、大まかにはこのような内容です。かなりざっくりとした表現だと、「国が伝統的工芸品の産地に対し産業としての自立的活性化を促す手助けをするための法律」となります。
 では、産地側(指定組合等)はどのような形で支援や助成を受けることが出来るのでしょうか。あくまで、産地側から提出される振興計画の概要によりますが、その内容としては
 
・従事者の後継者の確保・育成、従事者の研修など
・技術または技法の継承および改善、品質の維持および向上
・原材料の確保、原材料についての研究
・需要の開拓
・作業場、作業環境の改善
・事業の共同化など
・品質の表示、消費者への適正な情報の提供
・従事者の福利厚生など
・その他伝統的工芸品産業の振興を図るための様々な要件

 となっています。基本的に産地の抱える「深刻な」問題を自立的解決するための支援を受けることが可能ですので、産地側はあくまでそれに甘えることなく活用することが大切だと思います。産地側が「支援・助成は当たり前」という考えに至ったらそれこそ伝統的工芸品は産業として最悪の末路を辿ることになるでしょう。

 その他にも

・技術・技法の記録収集・保存事業
・意匠開発事業
・地域伝統的工芸品産業人材育成・交流支援事業
・産地プロデューサー事業

 などがあります。大変長くなったしまいましたが今回はこれくらいで切り上げるとします。間違いなどをご指摘いただければと思います。 
 
 参考

伝統的工芸品産業振興協会編著『伝統的工芸品ハンドブック』

伝統工芸青山スクエア(旧 全国伝統的工芸品センター)webサイト
http://kougeihin.jp/top

経済産業省webサイト
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html

   

石鳥谷図書館での作品展のお知らせ 

2013-07-14 20:10:40 | お知らせ



 去年に引き続き今年も花巻市の石鳥谷図書館内ギャラリーにて作品展を開催させていただくことになりました。

 

 菊池翔 鍛冶作品展

2013年7月31日(水)~8月25日(日) ※休館日8月1日(木)、5日 12日 19日(いずれも月曜日)

9:00~18:00(最終日15:00まで)

花巻市石鳥谷図書館 2階市民ギャラリー(道の駅いしどりや近く)  




 石鳥谷図書館で作品展示をさせていただくのは今回で2度目です。少しですが成長した姿をご覧いただければと思います。皆様のお越しをお待ちしております。

鉉〆

2013-06-17 06:15:22 | 仕事
珍しい仕事がまとまった数で入ってきたので記録しておきました。

つかみ鉉」のつかみ部分を鉄瓶の環付に取り付けるための工具「鉉〆(つるしめ)」です。鉄瓶屋さんで鉄瓶本体と鉉を同じく着色仕上げした後、鉉の取り付けが行われます。鉄瓶屋さんが最後の最後に使う大事な道具です。

小箸」などと作り方はほとんど同じですが大きさがあるので少し大変です。

地金は少々硬めのS45C(単純炭素鋼?)の18㎜丸棒を使用、片側を打ち延ばし、対象をつかむための先端となる部分を火造りします。

同じようにカーブをつくろうとしますが

へたくそですなー



一対を合わせるための穴あけです。ドリルで切削すると材料がその分目減りするので強度的にも弱くなります。火造りで穴あけします。

真っ赤にした状態でこのような道具で表裏から打ち、鉉の「つかみ割り」と同じ要領で穴を穿ちます。

テーパーのついたピンをつくり





真っ赤にした状態でカシメます。

先端部分の滑り止め加工

今回小箸も4丁同時進行でした。

「鉉〆(つるしめ)」は見てのとおり頑丈な工具ですのでそうそう壊れるものではありません。ですので新規で製作する機械は少なく、あるとすれば新たに工房を構えて鉄瓶屋さんが独立されるとき、くらいでしょうか。またお願いされることがあれば、私としても嬉しい限りです。

第23回 工の会展 のお知らせ

2013-06-09 16:23:31 | お知らせ




おかげ様で今年も工の会展は例年通り6月中の開催となりました。
第22回 工の会展
第21回 工の会展
第20回 工の会展
総勢18名(14名+1団体)の個性様々な作り手の展示会になっています。




 第23回 工の会展

岩手県公会堂 (盛岡市内丸11-2)

6月28日(金) ~30日(日)  10:00~18:00(最終日17:00まで)

後援:盛岡商工会議所  協賛:花坂コーヒー

お問合せ:090-3517-2204/teshigoto.kounokai@gmail.com

◎工の会展の売上の一部は、東日本大震災の義援金として寄付いたします。




皆様ぜひ足をお運び下さい。お待ちしております。


鉉鍛冶の系譜

2013-04-14 20:02:53 | 鉄瓶の鉉について
 日頃から大変お世話になっている職人さんのお持ちの書籍の中に先々代(私の親方の親方の親方)の柴田長助氏の記事が掲載されているということで、現在お借りしています。
 湯釜や鉄瓶は多くが作者の銘が入れられ、いつ、どなたがつくられたものかだいたいわかり、また世襲制であることからわりあいきちんとした系譜が残っています。鉉鍛冶の場合はほとんど記録が残っておらず、今回お借りした書籍のこの記事についても大変貴重なものだと思います。
 現在記録に残っている鉉鍛冶の系譜(「南部鉄器 美と技」より)は、先々代の柴田長助氏の時代からとなっています。その頃は盛岡の鉉鍛冶の軒数は柴田氏の他に3軒、盛岡近郊に全部で4軒の鉉鍛冶の工房があったとされます。今回の記事でも記述されていますが柴田長助氏の晩年の頃には柴田氏以外の鉉鍛冶は残念ながらなくなってしまい、最後の1軒となってしまいました。その後、息子の柴田長一郎氏(先代)に引き継がれ、現在の私の親方に継承されています。




以下、記事本文より

「鉄瓶の鉉を造って半世紀」

「真赤に焼けた鉄板にひとたびハンマーを当てると、その質が分かる」という柴田さん。産地きってのわざ師である。
 大正十一年、十五才のときにこの道に入ったというから半世紀以上、鉄瓶の鉉づくりに徹してきた人だ。
 南部鉄器の要である焼型づくり、鋳型の組立て、溶解などのように表面に出る仕事ではなく、常に陰になっている仕事である。それだけに人はよくいう。「縁の下の力持ち」、だが本人はそうは思っていない。「鉄瓶の型、肌合も大事なことだが、それを吊るす鉉がなければ鉄瓶は鉄瓶にならない。そして使う人の肌にふれるのは、この鉉である。物が鉄だけに冷たい感じを持たせてはならず、ふっくらと丸みを帯びた暖かさが必要だ。真赤に焼けた鉄板にハンマーを当てる時、そのまろやかさは、すでに作られるものだ。」と話すように、何の変哲もない鉄板がみるみる袋鉉に変わっていく。炭火の中から取り出した鉄板は二、三分後には冷えて堅くなる。ふたたびそれを炭火の中へ入れて焼く、この繰り返しを十二、三回するこの作業を見ていると丁度動画のひとコマひとコマを見ているようでその動き方が実に妙だ。
 この袋鉉の作り方は高度な技術を要し、工芸的なセンスも要求される。まったくの手仕事であるこの作業、鉉の湾曲度を計るにも、これと言った道具はない。すべてが勘にたよるものだ。柴田さんが作った十四、五本の袋鉉を型に合わせて積み上げてみた。三十センチ位の高さに積み上げられた、その鉉の曲線は見事に重なって一分の狂いもない。これが半世紀にわたって、みがかれた勘であり、技である。
 戦前から戦後にかけて盛岡には多くの鍛冶屋があった、それは農機具を作る鍛冶屋であり、一方では鉄瓶の鉉も作られてきた。それが最近では全くなくなり柴田さんが盛岡で唯一の鉉つくりである。
 この産地では、焼型、鋳型組立て、溶解などの工程はすべて同じ場所で流れ作業的に行われているが、鉉づくりだけは、別個の存在である。柴田さんの作業場も離れた場所にあるが、ここがこの人の城であり、後継者の息子さん(昭和九年生まれ)を育てる道場でもある。そのような孤立した仕事場であるせいか、マスコミや見学する人の出入りを極端にきらうといわれて、おそるおそる会ってみると、どうしてどうして、なかなか話が面白い人である。「私はこの仕事をはじめていて本当に良かったと思っている。世の中の好、不況にはまったく左右されず、そのうえ定年がない。こんな年とってもこうやって働けるのだから、こんな有難いことはない」と話しているように、この人まったく自分のペースで仕事を進めている。朝七時には工場に入って仕事をはじめる。そして三時になると仕事をやめる。家に帰ってからひと風呂あび、それから好きな酒をチビリチビリやりながらテレビの映画をたのしむ。そして陽が落ちる頃になると友人宅を訪問、将棋のお手合わせとなるのだが、この腕前は三段という、なかなかの達人である。
 労働大臣賞を受賞
 柴田さんが五十余年の間、ひとつの仕事にうち込み、南部鉄器産地に大きな貢献をしたということで、四十八年に盛岡市の商工勤続者として表彰されたのをはじめ、昭和五十年には、永年の功績をたたえられて労働大臣賞を受けている。
(ジャパンローカルプレス「伝統工芸 八月号」昭和54年9月15日発行)



 ある意味職人にとって過ごしやすい、仕事ときちんと向き合えたおおらかな時代のお話ですが、長い時間をかけて確かな技を手にする、ということは手仕事にとって今も昔も変わらないことです、これからも変わらないで欲しいところでもあります。
 この仕事に入りようやく私も7年目となります。初心を忘れずと言う意味で少し立ち止まる瞬間をこの記事からいただいたような気がします。


 

岩手県美術選奨受賞者作品展 会場の様子

2013-03-17 19:53:51 | 日常
 本日は会場の岩手県立美術館で美術選奨受賞者のギャラリートークが行われました。私も作者の一人として不束ながら参加させていただきました。会場にお越しいただいたお客様、誠にありがとうございました。
 私の展示のみ会場の様子を撮影しました(撮影は許可を得て行っています)ので、少しだけご紹介させていただきます。

















 一生に一度と思われます県立美術館での展示は、私にとって本当に身に余るほどの出来事です。このことを糧に今後も手仕事、ものづくりに励んでいきたいと思っています。

アートフェスタいわて 2012の展示は24日(日)までとなっております。ぜひ足をお運び下さい。宜しくお願い致します。 

愛すべき道具たち10 「石の台」

2013-03-17 19:03:08 | 仕事
極寒だった盛岡も少しづつですが春めいてきました。朝のつらさが和らいできます。

 増産(?といっても手仕事なので上限は低いのですが)と私の技術向上のために工房に代々伝わる大切な道具を写し(複製)で製作を依頼しました。今回ご紹介するのはまさに鉉鍛冶ならではの道具です。


「袋鉉」をつくるために絶対不可欠な道具です。硬い花崗岩(通称ゴマ石)で出来ています。

道具としての正式名称はないようで「石の台」と呼んでいます。親方がこの仕事を始められた時にはすでに工房にあり、親方が先代に聞いたところ、先代もいつからあるか分からないとおっしゃっていたそうです。

かなり年季が入っています。もちろん手彫りのようですし、中央が大きく凹んでいます。長い間の使用により擦り減ったのではないでしょうか。これまで修正することなく使い続けてきたということです。

熱に強く硬いこの石は盛岡で採れたものと伝えられています。擦り減ったことで溝がだいぶ浅くなり、溝の形も変形しています。
何より問題なのは私は「左利き」であることです。この道具は右利き用に出来ています。

石屋さんにお願いして私用のものを新調させていただけることに。親方の使われている代々からのものは工房の床に据えて使用する形です。私が使う場合はその置き場所から私の横座(火床のそば)まで石の塊を移動しなければなりません。腰とかが大変です。
ですので新調したものは従来より半分の厚みとし、火床のすぐ横に据え置くかたちに改めさせていただきました。

これにより火床から出した袋鉉の地金が冷めないうちに袋打ちできるうえに、火床・石の台・金床までほぼ同じ高さで仕事が出来るので足腰に対する負担も大幅に軽減することが出来ます。

せっかくの新調でしたので先を見据えて道具としての最低限の強度、仕事のしやすさ、身体への負担軽減まで考えました。もしこの台自体を移動する場合でも軽量化したことで簡単にできます。

幅の広さを変えて4本の溝を切っています。







材料をこのように溝にあてがって(本来は火床で真っ赤に熱します)、溝の凹に合わせて「コシキ鎚」という鎚(写真撮るのを忘れてしまいました)を凸として馴染むように打っていきます。

最初に鉉の両端の部分から袋打ちします。使い勝手は最高です。細かい注文にも応じてくださった石屋さんに心から感謝です。
写真はつかみ鉉です。



おそらく代々からのものと同じで、よっぽどのことがない限り私よりもずっとずっと長生きする道具です。「定礎」みたいにつくった日付でも記載したプレートでも取り付けておきましょうか・・・大切に使っていきたいと思います。