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備忘録

そりゃメモ書きにきまってるさ

『帰還』(ディック・フランシス:早川書房)

2014年04月07日 | 海外ミステリー
 <事実を基に一人で考え、危険を一人で引き受け、ひとりで行動する>

 元の赴任地日本・東京から外交官ピーター・ダーウインはロンドンの本庁付けとなり英国に帰還する。
 8週間の有給などをとってマイアミの同僚の所へ立ち寄ったときに知り合った老カップルと帰国することになる。
 その老婦人で歌手でもあるヴィッキーの娘の結婚式に出るためだった。
 しかし、
 ピーターは、娘のフィアンセである獣医のケンの巻き込まれたトラブル解決に一肌脱ぐことになる。

 故郷への帰還
  もはや昔のふるさとではない
 過去への帰還
  穿り返さないほうがよかった過去もある
 本国への帰還
  海外赴任のほうがよかったということもある

 しかし、帰還がもたらしてくれた新たな出会いもある。

 障害競馬の騎手でもあった作者の馬に対する想いはその描写に存分に表されている。
 英国外交官事情も簡潔かつ的確に書き込まれていて興味深い。
 ついでに、日本のことも紹介されていてサービス精神たっぷりである。
 
 ともかくもピーターはにわか探偵をやるのであるが、このやったことがないことに責任を背負って取り組むいさぎよさというのが爽快である。

 英国ミステリに共通する香りがあって、これにもそれが感じられるが、まあ、これがやめられないのだ。




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『火炙り』(ジョン・ラッツ:ハヤカワ・ミステリ文庫)

2014年04月07日 | 海外ミステリー
 <火の用心>
 
 連続放火殺人犯の話。
 ただし、放火の対象は建物ではなくて、殺害されたご本人である。
 しかも、正確には殺してから火をつけるのではなく生きたまま火をつける。
 ついでに言えば、火をつけるのは相手を燃やすのが目的で建物自体が燃えることは極力避けようとしている点が奇妙なのである。
 しかし、建物も燃える。
 巻き添えを食う者たちも出てくる。
 犯人はそれを嘆く。

 放火犯の立場からの描写もあれば焼かれる側からの描写もあり、火の立場からの描写もあって、いわば、火事が立体的に描かれてリアルである。
 
 放火犯はもう一人別ルート別動機から登場して話を複雑にする。
 裏に政治や利権や個人の嗜好や恨みなどが絡んでいるのだが、主人公は、やはりすべてを飲みつくす火炎である。

 危機「管理」の邪魔をするのは、危機管理を声高に唱える政治である。
 その政治の仕組みもわかる。

 一方で現場の消防士の声を反映した話になっている。
 高層建築火災の恐さ、無対策の現状が抉り出されている。
 現実にそういうことの詳細が明らかになったのは、もちろん9・11テロによる。
 ニュー・ヨークは、高層建築の林のようなものであるから、その恐ろしさはいやましにふくらむ。
 高層階は完全密閉で窓も開かない。
 空調はすべての部屋を通してつながっている。
 火災の際にはスプリンクラーが機能し、他の部屋に煙が流れないようにダクトが閉じる設計になっているところもあるが、それも必ずしも機能しない。
 計算上はそうではないのだが。
 そして、計算上も床面積に対して消火用に供給される水の量は10%に満たない。
 延焼を避ける犯人の意図に反して火災が広がるのは言うまでもない。
 これは最新のマンションがそうなのであって旧来のものに耐火・防炎(煙)装備はほとんどない。
 あっても、燃えないというわけではないのだし。
 閉ざせば煙が充満し開けば炎の食事を供給してしまう。
 実は、火事は起こらないという前提が暗黙の了解事項なのである。
 これが危機管理というものの現実。
 これは外国の話だろうか?

 しかし、それでもなお、その高層マンションに入居することが出来るのは高所得とマンション管理委員会の承認を得られた者に限られる。
 この委員会の実際は、ほとんど中世ヨーロッパの異端審問会のようなものである。
 これをクリアするには、やっぱり、賄賂が必要である。
 賄賂は、お金の呼び方のひとつで、無用の規則を(実際は既得権者の気分)解除する合理的な手段である。
 アメリカという社会は(その意味では形は違ってもどこの社会でも同じだろうが)この合理性を理解して実行に移す者の元にお金は集まるようにでいている。
 そして、無用の規則は、たとえば、マフィアと同じ建物にいたくないという理由から始まって、結局、マフィアだけが入居できるように仕向けるようにできている。
 笑止。
 この話でも、現に若い警官の夫婦が入居を拒否されてしまう。

 定番どおり、警察組織の話でもある。
 社内恋愛はご法度だが、警察もそれは同じ。
 恋は計算と規律と冷静な判断を破る。
 (日本でも外務省の女性高官が秘密を漏洩した事件があった。下半身の統御はむずがゆい、いな、難しい)
 上司は、組織全体の経営に配慮して政治化する。
 現場の論理は、その正反対である。
 両者のひずみを解消するベアリングにちょっとした暴力、詐術、賄賂などが用いられるのは、どの本でも同じ。
 無理をすると周囲の尊敬と信頼が得られるが家庭が崩壊する。
 
 これは、また、美容整形の話でもある。
 化粧という手入れは毎日やらなくてはならない面倒な方法だが、これは掃除と同じで、汚れたから捨てるという過激なやり方ばかりが通用するものではない。
 整形も有効期間は半年から一年なので、頻繁にやらねばならず金がかかる。
 ピアスと同様、いじくれる自然がない世界では最後の自然である自分の身体を毀損するという手に出ざるを得ないのであろう。
 これが煎じ詰まると自殺になる。
 
 ほかにも株式アナリストや画廊のオーナーも殺される。
 どちらも虚妄の価値をひねり出す代表として扱われているようだ。

 いろんな伏線が放り出されて話が終わってしまっているところがあるのもニューヨークという都会の病理を「炙り」出すのに効果的である。
 その手段に「火」を使ったのであろう。



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『ボストン、沈黙の街』(ウィリアム・ランディ:ハヤカワ・ミステリ文庫)

2014年04月07日 | 海外ミステリー
 <口外できない秘密を抱えてしまったら?>

 真面目で良心的なゲイの検察官が殺害され、メイン州の架空の田舎町のでもしか警察署長ベン・トゥルーマン(=真実の男という意味の苗字)が捜査に乗り出した。
 ベンは歴史学を専攻していた大学院生だったが、母親の痴呆が原因で田舎に帰り、父親が警察官だったこともあって、27歳で警察署長を務めることのなったのだった。
 経験はない。
 経験豊富な引退警察官の助力を得て、麻薬の売人と渡り合うことになる。
 事件は、何年も前の二件の警官殺害事件に関係していく。

 歴史学の考え方やらサブカルチャーのお話もからみ、テンポよく展開していく。
 まあ、伏線は敷いてあるにせよ最後のどんでん返しには、いささか作りすぎの感じがぬぐいきれないが、初めての作品にしてはよいできである。
 引用はしないが何箇所か折り曲げて読んだところもある。
 私は、薀蓄や洞察が好きなのだ。
 それに物語の基本を踏まえた構成も好感が持てる。
 これが日本人作家の手になれば60ページくらいの小品に収まるところだろうが、その10倍のボリュームがあるあたりは、やはり、食事の違いかなとも思われてしまうのだ。


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『儀式』(ロバート・B・パーカー:ハヤカワ・ミステリ文庫)

2014年04月05日 | 海外ミステリー
 <列外、外れ者、はみだし・・・行き場を失った子供の行く末は?>

 失踪した少女(16歳)の捜索依頼を受けたスペンサーは、ボストンの歓楽街に赴く。
 父親は娘を拒絶し母親は狼狽する中、娘は家に戻ることを拒絶する。
 更生プログラムといった社会システムによる立ち直りは望めない。
 スペンサーも「システム」を基本的に信じていない。
 そして、高級売春婦へと娘は「新たな」一歩 を踏み出す。
 
 子供は自然である。
 計算や思惑通りにはいかない。
 社会システムには馴染まない。
 システムに順応しきれないでそのまま大人になれば、はみ出し者になる。
 システムにつかず離れず生きていくのもシステムに順応して生きるのもはみ出し者になるのもそれぞれに生き難さを伴う。
 どういう生き方がよいのか。
 正解はない。
 とりあえず、しかし、何らかの打開策、よりマシな手段を模索してみるしかない。
 
 家庭のみならず、その家庭が所在する地域の全体としての色合いに馴染めない個人は常に生まれ出てくる。
 たいていは緩やかな選択肢が残されていて、それなりに身の置き所、働きどころが得られるであろうが、まれに、はみ出してしまう「不器用な」人間もいる。
 地域社会の縛りがきつい場合や周辺世界の変転が激しい場合にはそういう例外が数多く出てしまう危険が高まる。
 こういう問題に正解はありえない。
 あがいたりもがいたりできるだけである。
 子供の望む、それでいてよりマシな方向性としてスペンサーが提案した解決策は、あまりに安直にして私には容認できないものである。
 スーザンの立場からする解決は狭くスペンサーのそれが広いということは少しもない。
 二人して、あがく代わりに投げ出したという感じがぬぐいきれないのだ。
 まあ、しかし、アメリカというのはそういう社会を作り上げてしまったということなのだろう。
 この点、少しもお手本にしたいとは思えないのだ。



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『バッドラック・ムーン』(マイクル・コナリー:講談社文庫)

2014年04月05日 | 海外ミステリー
 <逃げたいのなら金が要る>

 原題はVOID MOON 占星術のうえでは月がvoid of course(軌道喪失)する不吉なタイミングを表すものらしい。
 「逢魔がとき」といった意味合いだろうか。

 マイクル・コナリーは、私立探偵ヒエロニモス・ボッシュシリーズで有名な作家であるが、これは単発もの、stand-alone(米国)one-off(英国)である。
 他に、『ザ・ポエット』『わが心臓の痛み』などシリーズものと単発ものを器用に書き分けながら、登場人物をクロスオーバーさせている。
 この作家は、登場人物名を周囲の実在に人物のものを借用することが多いらしい。
 こういう借用をSF作家ウィルスン・タッカーにちなんで「タッカライズ」というらしい。

 解説には他にも裏話などが詳しく紹介されていて、なかなか面白い。
 勿論、それを知らなくても作品自体が面白いことは言うまでもない。

 主人公は男女を問わず、人生行路の軌道から、程度の差はあっても、外れてしまった人物になるのが通り相場である。
 本編では、前科もの(仮釈放中)の女性窃盗犯が据えられている。
 敵役は、手品師の父親を持っていた人格破綻した私立探偵ジャック・カーチ。
 舞台はラスベガス。
 賭博場のお約束で背後にはマフィアの影がある。
 が、
 主旋律は、屈折を伴った親子小説とでも言うべきものであろう。
 もちろん、最新テクノロジーを駆使した盗みの場面やその対極にある占星術の予想などが交錯しつつもテンポのよいストーリーにまとまっている。
 アメリカの作家は、このスピード感が身上ではなかろうか。
 話の中で子供が見ているアニメ番組が『ロード・ランナー』だったりするのは、展開のちょっとした隠し味を添えている。

 期せずして、アテネオリンピックのドーピング疑惑がニュースを賑わせていたが、尿検査には検査官が付き添って採取の場面に立ち会うと聞き、「人権」はどうなっているのだろうかと思ったが、仮釈放中の「受刑者」は定期的に面接、検査を受けなくてはならない決まりのようだ。
 もちろん、オリンピック選手同様、監査官が立ち会う。
 この限りで、オリンピック選手も受刑者同様人権の制限が課せられているのである。
 共通項は再犯防止である。
 人権以上にフェアネス(公正さ)が重視される社会なのであろう。
 そして、この公正さの根っこには、(宗教的)原理主義が潜んでいるように思われてならない。
 「人間は必ず悪事を働く」という懐疑主義が根底にあって、ならば、そこにも投げ縄を掛けて公正さを担保しようという考え方は、評価されるべきだと、『長崎ぶらぶら~』の作家は語っていたが、私は手放しで評価したくはない。
 そのような不当な辱めによって得られる、あるいは守られる『利益』とは何なのかをもう少し検討し、反省してみる必要があるのではなかろうか。
 結局のところ、一説にはオリンピックの全歴史を通してかような「ドーピング疑惑」あるいはその再犯を防ぎきれなかったのはどういうわけなのかという点を横に置いた議論は、物事の一面のみにスポットライトを当てたものでしかないと思うからだ。
 たまたま発覚したハンガリーの選手は、まあ、「運が悪かったな」ということでしかないのだろう。

 まとまった金が必要になったキャシーが、かつての仲間の依頼でカジノギャンブラーの稼いだ金を盗んだところ、それは危険でホット(やばいとか違法という意味がある)なものだったとわかる。
 本人の知る限りで、また知らない側面でも不幸を背負い、人格破綻した、それでいて滅茶苦茶有能な私立探偵カーチが、これを追跡し始める。
 追跡の過程で、次々と人が消されていく。
 間一髪、危難をすり抜けていくキャシーは、「ロード・ランナー」を想起させる。
 ボッシュもの同様、どうやら作者の子供の頃の体験と重なるのであろうが、別離を余儀なくさせられる親子の姿がBGMというか通低音として流れる。
 ともあれ、自らの選択の有無に関わらず背負った定めにせよ、死者の亡霊や罪悪感からにせよ、いくら金があっても、どんなに速い車に乗っても、どれほど遠くまで行こうと逃れられはしないのだ。