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備忘録

そりゃメモ書きにきまってるさ

『黒い未亡人』(ダリアン・ノース:文春文庫)

2014年04月12日 | 海外ミステリー
 <カンザスは北米のど真ん中にあるど田舎である>

 高層ビルに囲まれて見晴らしがきかない空間に身を置いていると、閉塞感に駆られて、空を見上げたくなる。
 が、
 どこまでも平坦な世界に暮らしていると、これも人格を崩壊させ、あるいは平衡感覚を失わせるものらしい。

 宇宙空間にまで進出することは出来るが、そこで生活することはできない。
 アメリカは人口国家であるという指摘は観念的なものとばかりは限らない。
 西部に乗り出したが、そこには平坦な土地がどこまでもひらがる世界で、人間はどこかで山や森やらを必要としているのだった。
 砂漠に建物を作って視界を遮れたのは、まだしも沿岸地域から少しばかり内陸に入った立地で、それがラスベガスだった。

 ど真ん中は穀倉地帯であるが、居住するには難があり、それはどこか宇宙空間に似て、方向感覚を失わせるのだろうか。

 道があれば踏み外せるが、道のない広がりの中では踏み外したのかどうかわからなうなる。

 強く硬い原理主義が生ずるのは、こういう世界なのではないか。
 共和党の牙城は、中西部4州であるのとも妙に符合する。


 一方、都市空間の神は気まぐれである。
神は内面にはなくて、架空世界の決め事は外からやってきて、あるとき突然、すべてが塗り替えられてしまう。
 神という美徳を身につけるものは没落し、その都度、神を裏切る罪悪を重ねる者が立身する。
 君子は豹変するのである。

 1993年の作品だが、古典古代の中国の作品を読んでいるような気がしてくる。

 話は長いが、登場人物の行動にどこか必然性やつながりといったものがない。
 それが現実の写しなのかもしれない。
 『三国志』の登場人物たちと似ている。
 (敵味方が入り乱れるばかりか敵が味方に味方が敵にとめまぐるしく入れ替わる)
 「なぜ」にはあまり立ち入らないのであるが、それは作者が女性であることと関係があるのかもしれない。
 
 読みどころは、

 ①年老いた女性たちの物語の世界
 ②都会と田舎、人工世界と手付かずの自然あるいは手入れされた自然
 ③法廷は全体真実を探求する場ではありえない
 ④読み書きができないということで捉まえられる事象、読み書きが出来るがゆえに見えない世界
 ⑤法廷小説における法廷描写の位置づけの逆転
 ⑥暴力の意味(これが通奏低音かな)

 とりとめのない紹介だな・・・

 本筋はこうだ。

 カンザスで農場経営のかたわら作家を志望するオーウェン・バーンのもとにチャンスが転がり込む。
 ニュー・ヨークで起きた有名アーティストの焼死事件で、その未亡人リノーアに嫌疑がかけられていて、この裁判の傍聴記を書かないかというものだった。
 被害者に着眼しなければ記録に生彩が欠けることに気がついたオーウェンは、その複雑な背景(一部は自分と重なる)を追求していくうちに思いもよらぬ真相へと近づいていく。

 文庫上・下巻890ページの回想録的作品に仕上がっている。

 法廷での時間が、過去から現在そして未来へと進行する(結論へと収斂していく)一方で、作家オーウェンの探求は過去へと遡行して(空間的広がりを持って)いく。
 このコントラストの妙はなかなかうまくできていると思う。



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『断罪弁護』(ジョン・マーテル:徳間文庫)

2014年04月12日 | 海外ミステリー
 <一得一失>

 法廷書記を父に持つセスは、田舎町で弁護士稼業を営みながら、いつか大都会の法律事務所のパートナーになることを夢見ていた。
 ある裁判で有名弁護士に勝訴しチャンスをつかむ。
 しかし、大手法律事務所のトップはセスを歓迎するどころか潰しにかかる。(ライブドア騒動に似ている)
 ・・・・
 事務所をやめさせられ、街の小さな弁護士事務所に拾われたセスのもとに勝ち目のない訴訟が持ち込まれる。

 航空力学 カオス理論 マネーロンダリング 産軍複合体 インディアン ・・・

 現役トップクラス弁護士でもある著者の経験に裏打ちされているのか、大変わかりやすく書き込まれている。
 (そして現役だけにどうしても司法システムへの信頼を捨てきれないのであろう)
 ともかくも、
 なかでも、いまやボケてしまった父親の長年の法廷生活に裏打ちされた法廷戦術に関する教訓が随所に出てくる。
 そこだけ拾い読みしてもけっこういけるのだ。
 そして、

 胃薬

 大都市の弁護士の必需品らしい。
 (『ビッグ・ピクチャー』参照のこと)
 ストレスが多く超多忙でもある。
 そして、家庭生活は破綻する。
 著者自身も1年で結婚生活に破れてしまったらしい。
 このあたりの描写は実感がこもっていてリアルだ。
 読んでいるだけでもいたたまれなくなってくる。
 これに子供が絡むとリチャード・ノース・パタースンになる。
 
 翻訳にはいくらか難点もあるが、話の面白さがそれをはるかに凌駕している。
 上・下巻で800ページばかりの作品だが二日ばかりで読み終えてしまった。

 原題は、conflicts of interest

Merriam Webster's Dictionary of Law

 によれば、

1 a conflict between the private interests and official or professional responsibilities of a person in a position of trust

2 a conflict between competing duties(as in an attorney's representation of clients with adverse interests)

 ま、法律用語である。

 それが、複数形になっているところがミソで、これはなかなかうまく翻訳しにくい。
 まさにタイトルどおりの展開になるのであるが『断罪弁護』ではなにがなにやらわからない。
 日本の法律でも対立する当事者双方の利益を代表することはできない(あたりまえだが)ことになっていて、それに応じた専門用語もあるが、やっぱりタイトルとしては、こなれなかっただろう。

 前作に『訴訟』(ハヤカワ文庫)もあるので併せて読んでみようかと思う。



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THE STONE MONKEY Jeffery Deaver POCKET BOOKS

2014年04月11日 | 海外ミステリー
 <動かないのではない。動けないのだ>

密出国や密入国を斡旋する犯罪組織、蛇頭のゴーストと呼ばれるメンバーを捕縛せんとしてリンカーン・ライムのチームは、密入国船の所在を突き止めたが、ゴーストはライムの意表をつく行動にでる。
 ゴーストは、証人を残さないために、生き残った密入国者家族の皆殺しを図る。
 家族を見つけるのはゴーストが先か、それともライムたちは無事、事前に彼らを発見できるか。(政治亡命者でもある彼らは姿を隠すに巧みであり、ゴーストはもとよりアメリカ当局からも身柄を拘束されることを恐れているのだ)
 ゴーストを追跡して密入国船に乗り込んだいささか型破りな中国人刑事ソニー・リーの非科学的(?)捜査法がライムの科学捜査と競い合う場面は笑えた。

 が、
 なによりもこのシリーズで興味深いのは首から下は指以外動かせなくなったライムの描写である。
 アメリア・サックスも腰痛を抱えていて、今回は漢方治療を試みる。
 ライムは、一か八かの手術を受けようかと考えている。(成功率は低く成果は少なく危険の大きい手術である)
 リーは、陰陽の考え方ですべてはバランスが取れているから今のままでよいのだと説得する。
 このあたりのやり取りもなかなか面白い。
 ともあれ、
 ささやかな描写の中に捜査に当たって理性に徹底して感情を排除するライムの内面がにじみ出る。(このあたりがディーヴァーの巧さだろう)

 たとえば、

 Chapter Ten (p.107)

Her fingers disappeared into her abundant red hair and worried the flesh of her scalp. Sachs would often injure herself in minor ways like this. A beautiful woman a former fashion model she often had stubby sometimes bloody fingernails. Rhyme had given up trying to figure out where this painful compulsion came from but oddly he envied her. The same cryptic tensions drove him as well. The difference was that he didn't have her safety valve of fidgety motion to bleed off the stress.

ストレスを発散させるために血がにじむほどに頭をかきむしる癖のあるサックスのことが、ふと、ライムには羨ましく思えた。

 ま、そういう描写だが、

 全く体の動かせないライムには、そういうささやかな自傷行為さえ羨望の対象となるというわけ。

 かつてモデルだった(美容には細心の注意を払うはずの)サックスが、爪に血がにじむほど掻いてしまう強迫観念の出所をサックスが解明しようとしていた、という書き込みなども巧い。

 なるほど、こういう具合に書いていくか、などと感心しながら読んでいるとなかなか先へは進まないのだ。

 翻訳が何ページになるのかは知らないが、原書で548ページ。
 カバンがかさばって仕方なかったが、それだけの値打ちはあったような気がする。

『死者の長い列』(ローレンス・ブロック:二見文庫)

2014年04月11日 | 海外ミステリー
 <安心して読めるミステリー>

 A LONG LINE OF DEAD MEN

 長い死者の列の先端に位置しているのが自分である。
 
 いつとは知れぬ昔から<31人会>というものが受け継がれてきたという。
 年に一度一堂に会して一年間の出来事を報告しあうだけで他に儀式や義務は一切ない。
 主たる目的は、互いの死を見つめあうことだけ。
 そして最後に残った一人が、新しい会員30名を募って引き継ぐ。
 
 この会員が32年の間に、異常な高比率で亡くなってきたことに気がついた会員の一人が、マット・スカダーに原因究明を依頼する。

 読みすれた私には最初の方でネタが割れていたので謎解き的な楽しみを追求するには向いていないかも知れないが、エレイン、TJ、ミック・バルーなどおなじみたちとの会話や新しい人間関係が築かれていくプロセスが、もう手馴れたもので、安心して楽しめる。
 
 匿名と顕名、隠匿と陰徳、羨望と嫉妬

 こういうテーマに関して昔ほど根拠を探ろうとせず淡々として事実を綴るのはブロックの年齢のなせる業か。
 ゆえにますます安心して読めるミステリに仕上がっているというわけだ。
 ともあれ、読み足の速さは絶品である。




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『ラグナ・ヒート』(T・ジェファーソン・パーカー:扶桑社文庫/サンケイ文庫)

2014年04月07日 | 海外ミステリー
 <なんでそんなことしなくちゃいけない?>
 これは、
 善いことにはネガティヴな問いであり、悪しきことには、ポジティヴな問いとなる。
 どちらでもないことにつ「てはどちらとも言えない。
 そして、しばしば善悪の区別を立てること自体にも投げかけられる疑念でもある。

 気持ちや気分や感情は移ろいやすい。
 しかし、気持ちが収まらないということがある。
 
 復讐

 太古の昔から受け継がれてきた負の感情、人間精神の暗黒面である。
 長い目で見ればそれ自体は善いとも悪いとも言えない結果につながっていくが、その場、その時には、あるいは人間的観点からすれば長い期間にわたって持続される感情のひとつである。
 理性に照らせば、愚かに聞こえ、そう見える。
 しかし、どこかで決着や踏ん切りやけじめやらをつけないことには、先へ進めないと思い込む。
 そういう思い込みのひとつでもある。

 ヨハネ黙示録第21章第8節

 <すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである>

 申命記第4章第24節

 <あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である>

 
 殺人事件などおきそうにない平和な観光地、廃れてしまい再開発を待つラグナ・ビーチに2件の猟奇的殺人事件が相次いで起こる。
 死体は、テレピンオイル(燃焼促進剤)を用いて焼かれている。
 そのうえ、一人は口の中に1000ドルもの紙幣が詰め込まれ、一人はまぶたを切り落とされていた。
 一人は年老いた男、ひとりは老女、どちらも内向的で孤独に暮らしていた。

 ロサンゼルスで少年を射殺してしまい、トラウマを抱えて、いったんは警察をやめたが(いまだに精神カウンセラーにかかっている)、故郷のラグナビーチ警察で唯一最年少の刑事として職場復帰したトム・シェパードが、この事件を担当することになった。
 彼の父もまたかつては警察官だったが、今は引退して聖職者となっている。
 だが、どうやらその父親たちの過去の過ちと掟が今回の事件に深く関わりを持っているらしいことが次第に明らかにされていく。
 
 トム自身も触れずに秘めておきたかった過去を、いやおうなく自らの手で掘り返していくことを余儀なくされていく。

 「あるものを見るとき、それについて考えてはいけない。ただ見るんだ。そのあとで考える」

 ディック・プローブ(刑事の探りの針)

 これをトムの父親はそう呼ぶ。
 よい刑事になるための教訓だ。

 「喪失の痛みは奇跡を起こす煉瓦である」

 聖職者となったトムの父親ウェイドはそう言う。
 
 話の糸は、おおむね、この二つの言葉によって紡がれていく。
 したがって、
 これは滅失と復活の物語でもある。

 まあ、大筋はそう読めて大きく破綻はしていないと思う。

 しかしである。

 冒頭に掲げたように、あちらこちらで、

 そもそも、どういうわけでそんなことをしなくてはならなかったのか?
 
 私の中で、この疑問が頭をもたげてくるのだ。
 
 物語の中の人間たちがそれぞれの物語を生きて、その物語を読者が共有できる世界があるとすれば、多分、私はその部外者なのだろう。

 わかるということが必ずしも共感とは一致しない。
 漠然とそんな読後感を得た。



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