2025年3月21日石神井城に登ってきました。
土の城シリーズ、続きます。
こんなトコです。
練馬区のど真ん中なんです。
でも登城の前に昼ごしらえ。
何故か東武東上線上板橋駅に舞い降りる私たち。
蒙古タンメン中本本店さんです。5人待ちくらいでした。
白根社長の立て看板!!肝心の本人さんは……ご不在でした(´・ω・`)
机の上に、龍がいました( ゚Д゚)
……ところが肝心の味噌タンメン辛さレベル3の写真を撮り忘れました(´・ω・`)
味噌のコクと辛さ、野菜の旨味も合わさって最高なのでした。
ちなみに隣りの方々は、蒙古タンメン辛さレベル5を注文して汗ダクダクになっていました。
お昼をいただいた後は、今度は西武池袋線に乗って石神井城址に向かいます。
石神井公園駅で下車。
本当は歩いても良いのですが、楽して荻窪駅行きバスに乗車します。
3つ目くらいのJAあおばバス停で下車して、歩いて参りますよ。
7分ほど歩くともう公園地帯。
鴨君が優雅に泳いでいます。
石神井公園の中に石神井城址があるのです。左の緑目指す城址なんですよ。
池に掛かる橋を渡りますと……お城が、うん?
昭和12年の城址に関する石碑。読むにはちと難解でした。
現代語訳(?)
その向こうには石神井城の石碑。
更に詳しい表示板なんですが、読みにくいですねえ。
南総里見八犬伝でヒロインを務めています浜路ちゃんの実家方練馬家の属する豊島家が、石神井城の城主なのです。
豊島氏は秩父平氏なのですが、室町時代になると豊島勘解由左衛門尉泰経が、関東管領に叛いた長尾景春に味方してしまいました。
従って関東管領の扇谷、山内の両上杉家から見れば、長尾景春の一味ですから、討伐しようということになります。
1477年文明9年、管領の命を受けた太田道灌によって、落城してしまうのでした。
豊島泰経は脱出しますが、ここ石神井城で馬と共に三宝寺池に入水したという話もあり、娘の照姫さんも父の死をはかなんで、後に池に身を投げたんだとか。
太田道灌は照姫を憐れんで塚を築いたそうなんですが、その塚は私の視界には入りませんでした。
しかし上で書いた通り、豊島泰経は脱出して相模国小机城に逃げ込んでいるんですよね。
すると照姫は死んでいない……少なくとも身を投げる必要がないですよね。
それとも豊島泰経は影武者かなんかを使って、落城の時に入水したフリでもしたのかしら。
しかし一番驚いたのは豊島泰経を味方にした長尾景春さんです。
この人、長生きするのですよ。太田道灌が扇谷上杉定正に暗殺された後も、謀略の限りを尽くして暗躍します。
両管領の仲たがいにも乗じて、下剋上の先駆け北条早雲といろいろ企てるのです。
山内上杉顕定、扇谷上杉定正が揉めて、そして2人が亡くなっても、しぶとく生き続けました。
彼の口車に乗せられた豊島氏も家臣の練馬氏も滅んでしまったというのに(´・ω・`)
振り返ると三宝寺池。お堀の役割があったのでしょう。
主郭跡なんですが問題発生です。
保存状態が良いのはありがたいのですが、養生するため、背後にはフェンスが築かれています。
今は中に入ったらダメなのでした(´・ω・`)これは残念です。
向うが本丸です。
おーい、本丸さーん。フェンスが無くなったらまた来ますよぉ。
気を取り直して奥に進みます。神社の塀が見えています。
隣接しているのは豊島氏が寄進した氷川神社でした。
三宝寺池を一周しましょう。てくてく歩くと、
あら、可愛い道案内人が現れました。
鴨君が2羽、急いで早歩きしています(笑)
立ち止まった鴨ちゃん、捕まえて今日の夕飯にしてしまいましょうかね(嘘)
厳島神社弁天さんもいる様です、覗いてみます。
赤橋を渡って、
厳島神社ですね、弁天さんにお参りします。
三宝寺池の果てから見た厳島神社。湖面に映っております。
羽を休める鴨ちゃん。
かと思えば、餌を求めて彷徨う鴨ちゃんたち。
三宝寺池を一周しました。物足りませんが石神井城、攻略です。
その後またバスに乗って、今度は西武新宿線上井草駅へ。
この駅には秘密があるのです。
駅前南口には……
機動戦士ガンダムの像があるのでした(笑)
この頃、武蔵野この辺りまでだったのでしょうかね…湿地ぎりぎり?
浜路ちゃんの実家でしたか!
太田道灌とか北条早雲とか知った名前が登場しても経緯がわからず
まことに複雑な感がします
厳島神社…将門討伐の際に祀られたということですかね?
清盛はまだ後ですよね…
湿地かどうかは分かりませんねえ。
浜路の実家はどちらかと言えば練馬です。
石神井は豊島氏の本拠、練馬氏はその配下。
厳島はどうも豊島氏が勧請したみたいです。