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馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

雪の米子城に登ってきました

2025年02月10日 | 城攻め

2025年2月10日米子城に登ってきました。

こちらも昨年7月以来3回目。

以前の攻略記はこちら。

 

米子城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年7月21日米子城に登ってきました。昨晩は米子泊でした。それでは朝からキツい日差しですが、行ってみましょう。米子城は続日本100名城169番目、以前2017年に一度行って...

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13時40分JR山陰本線に乗って5駅30分ほどで米子駅へ。

ふーむ、米子の方が松江より雪が深い気がします。

では、荷物を預けてちゃっちゃっと進みます。

米子城も雪化粧。

津和野の悪夢が甦りそうですが、今日は登山靴で臨んでおります。

麓はこんな感じなんです。

竹の杖をお借りしちゃいましょう。

雪には負けませんぞ!!

前は夏草で見れなかった井戸。

恐る恐る近づいてみました。水が……ありそうです。

登ります~

結構順調なんです。

右は内膳丸、左が本丸。

内膳丸は前回行ったので、左だけにしましょう。

お~見えてきました。

雪に凍る米子城址なのです。

道を踏み外すと、真っ逆さまに堕ちてデザイアーになってしまうのです。

もうすぐ頂上です。

私が米子城で一番好きなところです。麓から20分程度。

素晴らしい光景ですね!!

上には3、4人いました。

西側水手御門跡方面。しかし一面雪だらけでした。

一転して伯耆大山を見ましたが、上は雲の中。

北西の境港方面です。

俯瞰絵図ですが小さくて見えませんね(笑)

水手御門方面から本丸方面を見ました。

ここから左側を回って降りることができます。

15時半ですので、そろそろ降りましょう。視界が悪くなると、足を踏み外す可能性があります。

さらば米子城。

降りる時は竹杖が役立ちます、滑りそうですが杖が頼りなのですよ。

今日は米子に泊まって明日朝別のお城にチャレンジするのです。

ココよりも雪が凄かったら、登れませんでしたレポートでご報告いたします。

ひゃー寒くなってきました、でわ。


雪の松江城に登ってきました

2025年02月10日 | 城攻め

2025年2月10日、雪の松江城に登ってきました。

昨年の7月21日以来の登城です。通算3回目です。

以前の登城はこちら。

 

松江城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年7月20日浜田城から松江駅で下車、松江城に登ってきました。100名城64番目、2回目の登城です。こんなトコにあります。松江駅です。しまねっこが迎えてくれました。出雲...

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何で登ったかと言えば山陰地方のあるお城に行きたいのですが、どうしてもお泊りが必要になるので、そのついでに登城いたしました。

国宝のお城を、ついでに登城、とか言語横断、問答無用、誠に申し訳ない限りでございます。

しかし予想外は最強寒波でした(´・ω・`)こればっかりは参りましたねえ。

 

前回は浜田城から松江に来ましたが、今回は朝早く大阪からバスに乗って松江に直行です。

6時40分発一畑バスさんに乗って、11時半松江駅に到着、雪はかなり残っていましたが、思ったほどではありません。

それに結構暖かく、太陽さえ出ているのです。

こちら松江駅前。雪がないでしょ。

もちろん雪かきしていただいている方のお力ではありますが。

ぐるっと松江レイクラインという観光バスが待っていてくれました、これに乗って松江城に直行です。

10分弱で松江城に到着です、助かります。

徳川家康の孫、結城秀康の三男の松平直政さんと松江城。

うっすら雪化粧の松江城。意外と緑が残っていて雪をかぶっていませんね。

堀も凍る冬の厳しさです。

それでも結構見物客が来ています。天守もちらと見えています。

例の石の壁。地面がぬかるんでいます。

松江城はですねえ、個人的感想なんですが樹木が伸び過ぎなんですよ。

もっと切りましょうよ~

繁りすぎです。

例のバイオハザード風の洋館も雪化粧。

油断して近づくと、屋根から雪が落ちてきます、要注意なのです。

南多門櫓跡。この先はチケット売り場ですが、今日はこの中には入りません。

その代わり、お城の東側を歩きましょう。

相変わらずの黒さです、松江城。

馬洗池も凍結中。

人間ではない何か小動物の足跡がちらほら。

この辺からお城を見上げますと……

良いですねえ~

こっちは人が少なくて雪もまだキレイ。少し得した気分です。

雪化粧の松江城さんも美しいのです。

真っ青のお空と真っ黒の松江城、石垣が雪をまとっておりますよ。

松江城はここまで。撤退します。

 

市民会館近くからバスに乗って松江駅に向かいます。

お昼は出雲そばにしました。

たたらやさんです。

松江観光協会 - グルメ|店舗情報

割子そば定食1,180円です。おそばも美味しいのですが、出汁飯としじみのお味噌汁が最強です。

駅の階段に描かれた松江城。

次の目的は今回も米子駅ですが、列車は1時間に大体1本。

でもお昼を食べたので時間調整済みです。

各駅停車で米子に向かいましょう、でわ。


紀伊太田城に登ってきました

2025年02月01日 | 城攻め

2025年2月1日、太田城に登ってきました。

太田城はこんなトコです、どこか、いえそもそもどんな城か知らないでしょ?

和歌山駅から徒歩7分というロケーションの良さ。

こちら関西の天気もあまりよろしくないので、駅からの近さに魅かれて行くことにしました。

ほい、和歌山駅。

いつものことですが、お腹が空きました。

それでいつもの丸美商店さんへ行きます。

今日は比較的空いていました。

和歌山ラーメン880円です。

食べても食べても飽きない味なのです。

さあ、天気も怪しいのでさっさと太田城へ参りますよ。

お寺の来迎寺さん。

こちらが紀伊太田城址なんです。

正門の傍らに、

ね、太田城址なんです。

しかも備中高松城、武蔵忍城、そしてここ紀伊太田城と併せて、日本三大水攻めというのだそうです。

ん、全部秀吉さんの功績じゃないですか!?

第一次太田城の合戦は織田信長の紀州攻めの時、第二次太田城の合戦は羽柴秀吉が小牧長久手の戦いの後に行ったのです。

それではお寺の中に入ってみましょう。

桃の瓦です!

花壇の中に置いてありましたよ。不思議です~何で置いてあるのでしょう。

もっと奥に進むと、

城址の碑です。

揮毫は従三位侯爵徳川頼倫(よりみち)さん。

紀州徳川家第15代当主だそうです、幕末の紀州第14代紀州藩主茂承(もちつぐ)の養子になったんですって。

 

さてお寺にお参りはしましたが、これ以外には特にお城関連の遺物はありません。

最初のお城の説明版にあった水攻めの堤跡でも見に行きましょう。

あら出たところに小山塚がありました。

降伏した武将たちの首塚!

埋葬できたのですね、良かった良かった。

調べると、来迎寺さんから北東700メートルのところに堤跡が残っているそうです。

きのくに信用金庫出水支店さんを目印に参ります。

と、歩いて10分くらいで見えてきましたよ。

ふーむ、これですね。

備中高松城、武蔵忍城、紀伊太田城でこれで日本三大水攻め城制覇です(笑)

これ以上は近づけません(´・ω・`)

あ、奥にはみかんがなっていますよ。

登りたいですが、柵もあってこれ以上はダメの様です。

 

こんなものでしょうか、天気も崩れそうですねえ、帰りましょうか、まだ早いですけれど。

それでは、また。


津山城に登ってきました

2025年01月25日 | 城攻め

2025年1月25日、津山城に登ってきました。

日本100名城67番目です。こんなトコにあるのですよ。

私は2回目。

行き方はJR岡山駅から北上する手もあるのですが、直通高速バスがありましたので、今回は利用することにしました。

6時半発、津山駅行き急行301号です。

例のごとくベルトをして、しばらくすると失神、休憩所で起きてまた失神。

9時40分には津山駅に着きました。

武家屋敷柄のJR津山駅。

津山出身幕末の蘭学者、洋学者である箕作阮甫(みつくりげんぽ)さん。

ペリー来航時のアメリカ大統領国書や旧約聖書の翻訳、医学教授に努めた偉い人なんです。

その奥には機関車がありました。

C11型機関車ですね。おっと城に向かわねば。

歩いて15分です。

河童。津山にはごんごという河童伝説があるそうです。

鶴太郎さんという河童。

マンホールまで河童。石垣がきちんと描かれております。

15分ほど歩くと……あ、見えてきました。

壁状態の石垣が見えますよ。

城内の池の上にも石垣。こちらは裏門ですが、今日現在は入れないみたいです。

正門側に回ります。

良い感じに道が伸びています。

石垣、凄いなあと感想が洩れてしまいます。

延々と続くのですよ。

こちらは大手口、坂道を下ると駅の方へ向かいますよ。

史蹟津山城址とその脇は石垣になれなかった切り出された石です。

当時は天守が五重?それは凄いですね。

森忠政さん。

宇佐山城で戦死した森可成の六男、つまり森蘭丸、力丸、坊丸の弟です。

森可成の戦死した宇佐山城に行った話はこちら。

 

宇佐山城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年5月26日、宇佐山城に登ってきました。宇佐山城はこんなお城です。第28回宇佐山城-近江の城めぐり|出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖場所はこんなトコです。信長包囲網に...

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忠政も当時12歳で小姓として信長に仕えていましたが、同僚と喧嘩した結果、親元に戻されています。

親元、つまり森可成は戦死していますので、森家後継ぎの森長可のところ、美濃金山城に戻されている訳です。

鬼武蔵こと森長可の居城ですねえ。美濃金山城に行った話はこちら。

 

美濃金山城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年6月15日美濃金山城に登ってきました。2回目です。続100名城143番目のお城です。岩村城からの帰りに目指しました。こんなトコにあります。同じ県と思っていたら、移動...

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従って本能寺の変が勃発すると、変には巻き込まれず無事でした。

安土城にいたそうで、母と一緒に甲賀方面に脱出して兄の迎えを待っていたそうです。

しかし兄の森長可も小牧長久手の戦いで戦死しちゃうので、6人兄弟のうち5人が死亡、唯一の生き残りは森忠政さん。

森家を継ぐしかないのです。まるでプライベートライアンみたいなお話ですね。

しかしこの像はハンサムではありません(笑)

受付があり310円をお支払いして中に入ります。

もうね、序盤から重厚な石組みなんですよ。

ね、ね、ね、重厚と言っても良いでしょう?

白亜の備中櫓がやけに遠くに見えます。それだけ規模も大きいのです。

鶴山館という藩校兼道場の跡。

森家系図です。本当に6番目の男子でした(笑)

再び探索をします。しゅ、しゅごい石垣。

広い道とそれを囲む重厚な石垣にため息が出ます。

脇の道があります、登ると第二次世界大戦の忠魂碑がありました。

そこからも備中櫓が見えております。

階段を登って、登って、石垣を越えて、越えて、渡って、渡って。

まだまだ天守も備中櫓も先です(´・ω・`)

桜の木々もあちこちに植えられています。桜の時期は凄そう。

あれ、この先は入ることができません。違う方向へ向かいましょう。

ここを登ると……

太鼓櫓と鐘が見えますね。

ここを登るのかな?

あれ?行き止まりでした、鐘の方へは行けません( ;∀;)

やっぱりこれ以上鐘の方角へは行けませぬ。

反対側には備中櫓があります。中に入れそうです。

ひびが入っております。

広い広い備中櫓。

2階にも上がれますが滑りやすくて手すり必須です。

客間です。

ここは、森忠政が娘婿の鳥取藩主池田備中守長幸さんが津山に来た時のために作った櫓なんだそうです。

娘婿の官職である備中から建物名が取られているのです。

釘隠しは金色でした。

2階の窓から天守台が覗くことができました。

襖に貼られたのは日本航空JALさんの……ではなく森氏の家紋鶴の丸。

1階に戻って順路を進むと厠がありました。

こちらも客向けのお部屋です。違い棚があるのですぞ。

一番奥には茶室があるのでした。

出入口に戻って売店があるので、戦利品を入手です。

御城印。

津山城は日本三大山城、では他の2つはどこでしょう?

志の輔師匠じゃあるまいし(笑)、お姉さんにお聞きしました。姫路城と伊予松山城なんですって。

どちらも現存12天守ですから強力なライバルですね。

お城カードですが、全部ピンクです。お花見の季節も良いのでしょう。

では備中櫓の外に出て、天守に向かいます。

あの中に入るのです。

ダンジョン感があるのです。

迷ってしまいそうです。

なかなかたどりつけません(´・ω・`)

ふーむ、これは門の跡でしょうかね。

どこから入るんじゃーい(笑)

あ、ここです、良かった、見つかりました。

たまりませんねえ、ここ凄い好きです。

この赤く囲った場所、ハートの石垣なんだそうです。

言うほどハートではありませんでした。

在りし日の津山城。4層か5層か。

真上から見た天守台です。

古図の津山城、やっぱり5層ですかね。

しかし櫓の数が多くて凄いです。

VRの津山城、見ごたえがありますです。

鐘が遠くに見えます。降りましょうか。

い、井戸です。結構怖い感じです。

あの映画の井戸に見えてしまうのです((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

!!!

水を湛えています、落ちたらあかん!!

違うルートを楽しみながら外に向かいます。

大手口を降りて振り返りました。

規模の大きさを改めて知ることができましたね。

離れたところに京橋御門跡。

一番下の赤いところにいる訳です。

津山駅にやって来ました、ここからが岡山駅に向かおうと思います。

約1時間半、この列車に揺られて岡山駅に到着しました。

でわ、また。


川越城に登ってきました

2025年01月18日 | 城攻め

2025年1月18日、川越城に登ってきました。

日本100名城19番目、2回目です。前回は御殿が改装中で中に入れませんでした。

リターンマッチに挑む訳です。ちなみにこんなトコです。

西武鉄道新宿線の本川越駅で下車。

川越市のゆるキャラときもがたくさんいました。

本丸御殿に時の鐘に山車に、と。ワラワラいます。

お城を攻略する前にお昼をいただきましょう。

埼玉県では有名なラーメン屋さん、頑者さんに決めました。

20分くらい並んでから食券を買ってGO!

つけ麺中盛1,050円です。

讃岐うどんの様に太い麺と濃厚スープに満足でした。

 

では出発です~

ときもくんの消火栓(笑)

武州ガスさんもときもくん。

そうこうしているうちにまず第一の目標、喜多院に行きました。

喜多院はこんなトコ。

天台宗の寺院、別名川越大師。830年に創建です。

どろぼうばし、とか言う物騒な名前がついています。

謂れはこんな感じです、人情噺みたい。

ところでこの橋が一本の丸木橋としたら……橋の回りが凄いのです。

ほら橋の下はV字谷。お堀なんです。

北条と上杉の河越夜戦などの戦いでお寺も炎上した様です。

やはり戦いも多く自然と備えを構えたのでしょうかねえ。

ちなみに関ヶ原前に天海僧正が住職になったそうなんです。

慈眼大師こと天海を祀っている慈眼堂。

見事なタワーは多宝塔です。

1638年寛永15年に火事があり寺院が焼失してしまいましたが、三代将軍徳川家光は江戸城から建物を移築したんですって。

見に行きましょう。

この辺りです。

残念、中は撮影禁止ですって。お庭はOK……

な、何か動いています!!

どうやら鳥を追い掛けている様です。

こちらの呼び掛けに応じず、獲物を追う猫さん。去って行きました。

赤い唐橋が遠くに見えます。

建物の中には春日局化粧の間というものがあり、これも移築されていました。

本殿と客殿を結ぶ廊下。奥は現在護摩を焚いていて進むことができません。

御朱印をいただきました。

厄除 川越大師、星野山 喜多院と書いてありますね。

外から見た客殿。葵の紋付きでした。

外から見た渡り廊下。

 

また五百羅漢がありますので見に行ってみます。

全部で538体あるそうですよ、誰が数えたのでしょうか(笑)

花より、ならぬお参りより団子。しばしの休憩を取りました。

立派な山門、たくさんの人で境内は賑わっております。

星野山って素敵な山号ですね。

天海僧正、実は明智……いやいや、が睥睨しておりました。

ではお参りして参りますね。

参拝の後、お城を目指して歩きます。意外と近い感じ。

ざっと15分歩くと、川越城富士見櫓跡が見えてきました。

横に階段があります。登りますね。

更にもう一つ階段があるのです。

あら、何もなし。敷石だけが見当たりました。

1457年に太田道灌がお父さんと築城したんですって。

かつてはこの富士見櫓に三重の櫓があったとのことです。今は何もありませんが、ワクワクします。

更に歩きます。5分くらいで、

かつての川越城の地図。天守はないようですね。

かつて入れなかった川越城本丸御殿です。

御殿の全景です。中に入る前に、辺りをうろうろします。

初雁武徳殿と書かれています。

昭和初期には本丸御殿は武道の修練場として使用されていたんですって。

しかし、何か音が聞こえます。にゃーにゃー言ってますが……

いました!

眠そうな猫、球場の向こうで、ひなたぼっこでもしているのでしょうか。

実は球場があって金網で遮られているのです。

あ、でもにゃーにゃー鳴いていませんよ、この子は。

どこだろう、また鳴き声が聞こえてくるのです。

!!

あ、木の上です。どうも降りられないようです。

3メートルくらいの高さです。助けてあげたいけど、金網の向こう側ですし、手も届きません。

こういう場合は119番でも呼ぶのでしょうか。

一緒に行った人と見上げていたら、近在のおじさんが近づいてきました。

棒で突っつけば降りるだろ、ですって。

 

私たちは何もできないので、もうおじさんにお任せすることにしました。

後ろ髪を引かれながら、この場を去ることにしました。

 

では眼の前の本丸御殿に入ります。

入場料は何と100円!この破格なお値段!!

案内図です。

篠山城、二条城、佐賀城、掛川城、高知城以来の御殿ですかね。

長~い廊下です。こちらも外人が多いのです。

物頭の詰所だそうです。

やはり天守はありません、御殿のみです。

奥に進みますと家老さん達が詰めてました。ほら。

これこそ正に膝詰め談判ってやつですね。

釘隠し。ハートマークがついています。

大広間の襖絵です。枯れた味わいが素敵なんですよ。

なお御城印は売切れなんですって(´・ω・`)

御殿を出て北側に向かって歩きます。振り返ると両側は土塁なのでした。

今ごろ川越城の石碑がこちらにもありました。

自販機は、お城ではなく時の鐘をモチーフにしております。

更に北側には虎櫓という遺構があるのですが、ご覧の通り、金網に包まれていて接近できませぬ。

大体川越城を見て回りました。

三芳野神社という神社があります。逸話が興味深いので行ってみます。

川越城七つの不思議について書いてあります。

童謡通りゃんせの舞台なんです。

昔、三芳野神社は川越城内にあり、庶民は気軽に参拝できなかったんですって。

で、お参りの帰りに番人の厳しいチェックを受けるため、これは密偵を防止するためなんですが

「行きはよいよい、帰りは怖い」

ということなんです。これは知りませんでしたね。

鮮やかな朱の三芳野神社。

書置きの御朱印をいただきましたよ。

さあ川越の市内を散策しましょう。

中ノ門堀跡というのがありました。

Vの字です。

左側がお城側、右側が外側なのです。敵は苦しむのでしょうね。

こんな感じです。這い上ることができず、防衛側にやられる訳です。

市役所前まで来ると人混みが酷くなります。

ここには大手門跡と太田道灌像があります。狩衣です、山吹の逸話の最中でしょうか。

菓子屋横丁です。

ココも賑わっていてますねえ。みんな買い食いして食べ歩きされています。

例のでかいお麩も売れているみたいなのです(笑)

町のシンボル、時の鐘が見えております。

寛永の時代に川越藩主の酒井忠勝が作らせたそうです。

下を潜って中に入れそうです。

高さ16メートル!!

上に鐘があるのが分かります。

色つきマンホールがありましたが、時の鐘バージョンでした。

そろそろ帰りますか、でわ。