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馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

久留米城に登ってきました

2025年03月02日 | 城攻め

2025年3月2日久留米城に登ってきました。

こんなトコです。

西鉄久留米駅から出発です。レンタサイクルを考えておりましたが、天候が怪しいので西鉄バスさんに乗りました。

と、乗ってるそばから次第に雨が降って参りました。

大学病院バス停で下車。ここから数分ですが、雨が大粒です(´・ω・`)

み、見えてきました……凄い石垣じゃあないですか!?

ビックリですよ( ゚Д゚)

今はほとんど篠山神社さんが城址の大部分を占めておるのです。

雨のそぼ降る久留米城址。

冷たいですが中に入るしかないのです。

城址の表示をいただきました。

分厚いです、入り口の石垣。

そうか有馬家なんですね。

戦国以降は記憶が曖昧でした(´・ω・`)

こんな感じで城址が点在しています。

雨と戦いながら参りましょう。

鳥居を潜ります。

主祭神は有馬一族なんです。

まずは神社でお参りを。天気が良くなるように、とお願いしますが、かなえてくれませんかね?

お参り後、社務所で続日本100名城のスタンプをいただきます。

雨で滲んでます(´・ω・`)

東郷元帥の書斎を東京から移築したんですって。

移築の由来が記してあります。さすがブリジストングループの力。

城の西側からは筑後川を挟んで九州新幹線が見えます。

少し待ちましたが新幹線は来ません( ;∀;)

乾櫓です。

振り返るとこんな感じです。石垣は草で隠れておりますね。

北側から見ると崩れた石垣が残っていました。

艮櫓。

この下は普通の人家があったりしました。

初めて筑後守になった人なんですって。道君首名と書いて【みちのきみのおびとな】さん。

こちらは大伴部博麻(おおともべのはかま)さん。

この人は白村江の戦いで負けて捕虜となり、30年後に帰国したという凄い人。

東側は崖状態で石垣も保存良く見ることができます。

雨に濡れる石垣ちゃん。

月見櫓跡も水たまり状態でした。

高石垣を見下ろすのです、足がすくむのです。

滑ったら一巻の終わり(´・ω・`)

小早川秀秋ではなく小早川秀包を祭神とする小さな神社。

彼は毛利元就の最後の男子で、兄の孝景の養子になったそうですが、文禄の役で大活躍します。

ところがその間に小早川秀秋が正式に孝景の養子となってしまったため、別の小早川家を建てることになります。

しかし関ケ原で西軍につき、野望は夢と消えました。

命は取られることなく、毛利本家内で隠居したんですって。

秀包の奥様は大友家出身の桂姫、引地の君はマセンシアという洗礼名を持っています。

このお墓、アンドレアス十字が刻んであります。見えませんよね。

このバッテンに見えるのがアンドレス十字、聖アンデレ十字です。

スコットランドの国旗が使用しているそうです。

しめ縄の奥に十字の形が少しだけ見えますよ。

珍しいですねえ。

高石垣が凄い~

本当に良く組んであります。

巽櫓跡。

雨が降っていても、見事な造りにしばし感動しちゃうのです。

良いですねえ。

さあ、10時42分です。次の目的に向かいましょう。

ブリジストンの工場群が幾つかあり、久留米城の二ノ丸、三ノ丸なんだそうです。

その名もブリジストン通りを歩いて、約15分雨の中を歩いてJR久留米駅に向かいます。

東芝創業者からくり儀右衛門こと田中久重さんのからくり時計。

幕末禁門の変で活躍した真木和泉さんも久留米出身でしたね。久留米藩の人材恐るべし。

JR久留米駅です。

冷え切った身体を温めてくれると良いなあ。

でわ。


大野城と岩屋城に登りましたが、水城には登れませんでした

2025年03月01日 | 城攻め

2025年3月1日、大野城と岩屋城に登りましたが、水城には登れませんでした。

ほらこの3つ、超近いでしょ。

大野城は100名城の86番目、前に一度太宰府と一緒に攻めたのですが、道が分からず、結局登山できずにスタンプだけ貰って無念の撤退をしました。

岩屋城は初めてですが、大野城登山口の途中にあるのですね。

水城に至っては初めてです、では行ってみましょう!

久方ぶりの博多。人が多くてビックリしました。

西鉄バスで行きたかったのですが、乗り場が分からず(´・ω・`)、聞いたこともないJR福北ゆたか線で長者原で乗換えて、これまた聞いたことのないJR香椎線の終点宇美駅で降ります。

長者原はちょうじゃばらでなく、ちょうじゃばるなんですね( ゚Д゚)原ははらと呼ばず、はると呼ぶので焦りました。

可愛いJR九州のDENCHA。

中ものらくろみたいなワンコのイラスト。全車両のドアの内側がこんな風に彩られていました。

博多から30分くらいでJR宇美駅に到着。

今回は事情があって太宰府駅や大野城駅からは攻めないのです。その代わり歩きまくり、大丈夫でしょうか、私の足は。

宇美駅の駅舎は太宰府を模しているのでしょうか。

まずは大野城ではなく、先に宇美町立歴史民俗資料館へ参ります。

応神天皇と神功皇后を祀る宇美八幡宮。

朝の9時半から結構参拝者が来ています、赤ちゃんを抱っこしているお母さんも多く見られました。

みんな可愛いです。

取り急ぎ神功皇后と応神帝に今日の無事を祈願しました。

隣りの民俗資料館で登城MAPとお城カード、御城印をGETです。

3月1日発売開始ですって。

かなりピンボケのお城カード。

ちなみに係の方に

「歩いて登るのですか」

と心配されてしまいました。

登り道をひたすら登ります。資料館から40分くらい歩くと、大山祇神社神社が現れました。

更にどんどこ登ります。ちなみに歩いているのは私だけ、後はトラック野郎がビュンビュン通ります。

あ、大野城の船石です。

とうとうお城の域内に入った模様です。

地図。大野城ってこんなに広いのです、驚きです。

船石から15分、百閒石垣が登城です。どれどれ……

えーーーこんなに高いの?

眼が眩みます~なるほど、奥は石垣です。

勇気を出して登ります、道が細くて怖いのです。

草に覆われていますが、本当に石垣です。

振り返ると、

もうこんなに高い(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

落ちたら、おむすびころりんよろしく転がることでしょう。

あら、百閒石垣はここまでですね。大分高度が上がりましたが、道がないので一旦下ります。

落ちませんように、落ちませんように。

迂回すると百閒石垣の上を歩き、更に上を目指すことができます。

ロープ場です。掴まってよいしょよいしょ。

休み休み登りますと、

クロガネ岩城門跡。城に幾つかある門の一つです。

しかし肝心の門はこんな風に劣化してしまいました。

更に5分ほど歩くと、

野外音楽堂です。お食事してる方がちらほら。

11時48分ですもんね、私もそろそろお腹が空いてきました。

ちょっと頑張って毘沙門堂に行ってみます。

と軽口を叩いたのですが、これが大野城内の登山です。

たっぷり30分掛けて、

毘沙門堂に到着。別に上杉謙信は関係ありません。

元々この山を四王寺山と呼んでいたから、だそうですよ。

ん~さすがにくたびれました。どこか休むところはないかいな、っと。

一番高いところ、大城山410メートルを踏破してしまいました。

お昼休みを取ったベンチそばにあった表示板。

左端にいるんです(笑)

お弁当の後はまたまた回らなきゃ。

また違う門の一つ、水城口城門です。

ん、やっぱりこんな感じです。素人目には石垣の残骸です。

けいさしの井戸なんて井戸の跡がありましたが、底は埋まっていました。

県民の森、大野城の中心にある県民の森センターにやってきました。

そろそろ足が疲れて、お手洗いも行きたいので、絵を見ながら休みます。

思ったより大野城址、広いです(´・ω・`)簡単に回れると思った自分が甘すぎでした。

猫坂礎石群という建物の跡。

その先にあるのは大石垣。350メートルほど坂を一気に下ります。

ん、何かあります。左脇の道を通って振り返ると、

ほほう、これが大石垣。2015年に集中豪雨があって石垣が大分崩れてしまったんだそうです。

また組み直ししていただいたんですね、ありがたいことです。

太宰府天満宮方面に行く必要があるため、泣きながらこの激しい下り坂を登り直します(´・ω・`)

この大石垣を降りると、大宰府政庁方面なんですって。

増長天礎石群。

この辺りも大野城址。

高橋紹雲さんの辞世の句碑。

読み辛いですが、

流れての 末の世遠く 埋もれぬ 名をや 岩屋の 苔の下水

と書いてあるらしいです。

高橋紹雲さんは大友家の忠臣、立花宗成の実のお父さん。

島津の攻めに良く岩屋城を守りましたが39才で玉砕、島津も彼を激賞したんだそうです。

ってことで岩屋城も近いのですが、まだ大野城で見たいものがあるんです。

これこれ。

車道沿いにあるので、車の人は降りないと見れませんし、私みたいな徒歩の人はかなりの距離を歩く必要があります。

でも何故か牧場の芝草を積み上げた様にしか見えない(´・ω・`)

もっと近づきましょ。

土塁っぽい、でも脇は石垣ですね。

これは水ノ手口石垣です。太宰府城門口を守っているのです。

気を取り直して太宰府駅方面へ降りて行きます。

くねくね降りる道の中にも岩屋城近道なんてありました、助かります。

この階段を登らねばなりません。

ううっ!足に激痛が走りました(´・ω・`)

岩屋城の城址を見たところでまた休憩します。

足が痛すぎる……

しかしこの石碑、凄いですね。

嗚呼壮烈岩屋城址、です。

岩屋城763名全員が島津の降伏勧告を蹴って戦死ですって( ゚Д゚)

眺めが良く太宰府政庁跡が見えました。真っ平です。

太宰府天満宮と九州国立博物館が見えております。行きたいなあ(今日は無理なのです)

岩屋山281メートル。

足の痛みも少しだけ和らいだので降ります。

下界の太宰府館で入手した岩屋城の御城印ですが、!!

今年は令和七年ですが、五年と書いてある……ま、いっか(笑)

16時になっちゃいました、とっとと行きましょう。

太宰府政庁跡にある太宰府展示館が次のターゲット。しかし博多や天神行きのバスは超満員。

私はもう歩くのが結構きついです……太宰府市役所行きのバスを見つけました、ガラガラです。

これに飛び乗って足を休めていきます。残りあと600メートルほどを歩きます。

紅梅白梅が良く咲いています、太宰府市役所前ですよ。

ヒイヒイ泣きながら歩いて太宰府展示館に到着です。

大野城のお城カードを入手しました。これは2枚目。

宇美町で1枚目、大宰府市で2枚目、そして急いでこれから大野城市の大野城心のふるさと館で3枚目を入手せねばならんのです(# ゚Д゚)

3枚も出さないでよぉぉぉぉ

太宰府政庁跡で紅梅。昨年の大河で紫式部は太宰府を訪れていました。

これが太宰府政庁の遠景。16時半ですので見ている余裕なし( ;∀;)

史跡太宰府跡。

タクシーに乗ろうか迷っていると……無情の雨。かなりの大粒です。

結局タクシーは捕まらず、都府楼駅から春日原駅まで西鉄に乗って歩きます。ズキズキ痛む足が辛いです。

大野城心のふるさと館に駆け込みます、17時20分ですが建物はまだやっています……

受付のお姉さんにお城カードを聞くと、建物内のコーヒーショップ兼お土産物屋さんで販売、無事入手できました(*´▽`*)

まだ行ってませんが、水城の100名城スタンプまで入手。

心のふるさと館で見掛けた水城。

太宰府を守るために大野城から水城で防衛線を敷いている訳ですね。

水着……じゃない水城を見たいなあ、でもこれから暗くなるしなあ、もう17時半だし雨も降ってるしなあ。

水城は次の機会としますです。あ、高橋紹雲さんのお墓も見逃しました(´・ω・`)

ってことで今日のお宿は久留米です。

久留米と言えば久留米ラーメン。

お腹が空いてやきめし(炒飯ではない?)を付けた屋台ラーメン、1,170円。

あ、お店は精陽軒さん。

清陽軒[久留米ラーメン]

麺の固さはバリカタではなく普通です、少しスープに臭みがありますが、疲れた身体に染みました。

雨は今はやんだみたいで、身体は温まりました~

明日はまた別のところを探検するので、天気が持つと良いのですが、でわ。


船上城に登ってきました

2025年02月23日 | 城攻め

2025年2月23日、船上城に登ってきました。

ドコやねん、って感じでしょ、こんなトコやねん!

 

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JR明石駅に12時半ごろ下車。

魚の棚で明石焼きと蛸飯をいただきます。写真はなし。

その後一駅だけ山陽電鉄に乗りますよ。

JR明石駅隣の山陽明石駅から。

出発する山陽電鉄。科特隊カラーかな(笑)

西新町で降りました。

船上町を取りあえず目指します。

歩いて20分くらい……

畑の真ん中に神社が。

もちろんこれ以上は入れませんのです。近づけません。

隣りの公園からも良く見えそうです、そちらに行ってます。

船上西公園からもっと接近しましょう。

おー詳しい地図です。

やっぱりこのお社が本丸跡みたいですが、私有地ですのでこれ以上は接近できません(´・ω・`)

 

うーん、帰りましょうか。

ちょっと待って、あの図面にある土塁と明石川沿いの出羽殿堤だけでも見学しましょう。

南側のお寺、密蔵院さんの向こうに土塁があるみたいです。

行ってみると野球場があって少年少女が練習中……その先が植樹した公園で更にその先が海なのです。

これは瀬戸内海の船を入港できる様にした水路と思われます。

明石川東側の岸はも整備されたようになっていました。

左側の岸はこんな感じ。

高くて降りられませんけれど(´・ω・`)

出羽殿堤は以上です。

続いて土塁に向ってみましょう、先ほどの野球場に戻ります。

この植樹された丘……?

これが土塁か?うーん、悩みますが、他に見るべきものもなく船上城を撤収します。

 

せっかく明石近辺まで来たので、八房の梅のある月照寺に行きましょう。

明石駅の先にある人丸前駅で下車。何か由緒がある駅名っぽいです。

あ!!

灯台!!

ではありません、明石市立天文科学館がこんな至近距離にあるのです。

そうです、子午線があるのです、日本の標準時がここにあるのです。

月照寺も都合良くここにあるのですよ。

後で時間があれば寄りましょう、天文館。

マンホールも子午線をアピールしてます。

日本標準時間が制定されてから100年経過しています。

明石天文台の前に月照寺に行かなくてはいけません、今は天文台をスルー。

私のナビは月照寺に行くためには柿本神社の前を通りなさい、この厳しい階段を上がりなさいと言ってきます。

人丸前駅の人丸とは、柿本人麻呂のことでしょうか。

息が……切れて……膝が……砕けてしまい……そう、ガクッ

何とか登り切りますと、人丸山の額を掲げた柿本神社が現れました。月照寺の前にお参りしちゃいますか。

ここにも八房の梅です。

真心を 神もよみして 武士の 祈りは結ぶ 八房の梅

と書いてありました。

赤穂浪士の一人、間瀬久太夫さんが仇討ち成功を祈って植えたとか何とか。

神社本殿。

盲人が桜の杖を持って、人丸の塚を見たいと願って祈ったところ、眼が治ったそうです。

桜の杖をそこに刺したところ、桜の木が根付いたんだとか。

神社由緒。

明石城主が1620年元和6年、歌聖柿本人麻呂を祀ったことに始まるのだそうです。

明石は人麻呂の歌が結構詠まれているそうで(検証はしてません)

御朱印を入手です。

子午線表示柱越しの天文館。

表示柱の上には赤いトンボがいますね。

柿本神社お隣にはお目当ての月照寺さん。

八房の梅はどうなってますでしょうか。

子午線沿いの大梵鐘です。

あらあ、梅はまだまだでしたか。

ちょっとだけ紅梅。

現在は三代目、そりゃそうですね。

可憐な紅梅でしたが、これから花の盛りになるのでは?

月照寺さんは法事の真っ最中でしたのでこれで引き上げます。

まだ14時半ですから、明石天文台を見学しましょうか。

ココ入口です、入場料は700円です。

いきなり14階の展望台までワープです。

先ほどの子午線標示柱を遥か上から見つけました。

真上にはやっぱりトンボです。

明石城まで見ることができます。2つの櫓が美しいのです。

左は明石海峡大橋、真正面は去年攻略した洲本城のある淡路島。

後は4回まで降りて、宇宙や時計の展示物を見学しつつ、プラネタリウムに行きます。

15時50分から約50分の天体ショウを見れるのです。

日本最古のプラネタリウム投影機。

1960年から稼働、カールツァイス社製だそうです。

明石の夜の星空、そしてオーロラの風景を見学して、久々に夜の空を堪能しました。

 

終わって外に出ると16時45分。明石駅までブラブラしましょうか。

長い石段を降りると、

柿本神社の鳥居でした。脇には亀の水という清水が湧いています。

真上から天文台タワーが見守っています。

触ってみましたが冷たくないんです。

そろそろ17時、明石駅まで歩いてみます、でわ。


伊賀上野城に登ってきました

2025年02月15日 | 城攻め

2025年2月15日伊賀上野城に登ってきました。

日本100名城の47番目です。4回目くらいですね。

再現天守ですが大好きなお城です。こんなトコにあるのですよ。

今日は天気も良くお出かけ日和。気持ち良く探索ができそうです。

まずは近鉄電車で伊賀神戸駅へ。ここからは伊賀鉄道線に乗換えます。

くノ一の電車ですが全然忍んでいません。松本零士さんのデザインですかね。ニンニン。

20分くらいで最寄りの上野市駅に到着です。

コインロッカーも忍びだらけニンニン。

上野市駅……忍者市駅?ニンニン

メーテルと哲郎がいました、忍者に取り囲まれています。

ポケモンのマンホール、アギルダーとミジュマルです。あまり詳しくないのですいません。

北へ5分くらい歩くと旧の伊賀市役所が取壊し中で、その横を歩いていきます。

すぐにお城公園の入り口が。

日差しが暖かいです、嬉しいですね。

伊賀上野には雪は見当たりませんでした(笑)

スーパーNINJAショウ、時間が合えば見ていきましょう、ニンニン。

この石垣は多分当時のものでは……ないかな?

進むと、

見えてきました、伊賀上野城。

うーん、木が邪魔です。

門の跡。裏門らしいですよ。

降りてみましょう。

降りて振り返ると、素晴らしい石垣があるのでした。

お城に近づきます。

素晴らしいですね!!

1935年昭和10年に復興天守が完成したそうです。

第二次世界大戦の戦災には遭わなかったのでしょうか。

お城に入る前に……

日本一・二の高さで有名な高石垣、これを見ない手はありません。

西側から見た天守。これを見ながら進みます。

来ました、高石垣。

高さのライバルは大阪城だそうですよ。

眼が眩みますね。

時々高石垣から転落して亡くなる人もいるんですって。

私も足がすくむので、城内へ参ります(笑)

別名、白鳳城。その異名にふさわしいですね。では登城します。

入場料は600円、若干値上げしたみたいです。

1612年慶長17年に建設途中の天守は倒壊してしまい、そのまま大阪の陣に突入、徳川幕府が安泰になると、そのまま天守はなし( ;∀;)

藤堂高虎もきっと涙目だったでしょう。大阪の陣では藤堂勢は大損害を受けておりますし、津城を本拠としてしまいました(´・ω・`)

ですので、復興天守は歴史的には正しくないと思われます。

入ってすぐに藤堂高虎の唐冠形兜があります!!

しかしこの兜……首を捻ることも難しいのでは?

一族の若武者に与えて使用させたは良いのですが、木村重成にやられてしまったのですね。

藤堂家系図。ちなみに左の寅さんは関係ないんですよ。

あ、養子の藤堂高吉さんの名前が出てますね。

本家は実子の藤堂高次が継いだ訳ですが、高吉さんとの軋轢についてはこちらを。

 

伊賀と名張を探検してきました - 馬鹿琴の独り言

2023年2月23日伊賀と名張を探検してきました。先日甲賀を探検したので、今度は伊賀とその奥地にある名張を見てきたくなったのです。伊賀や名張と言っても、いろいろ見て回る...

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入口の全景。壁に忍者が貼りついて常時見張っています。突き当りに兜が展示されています。

和風バイオハザードな階段。

こちらも展示物が飾っています。

武器武具ではなく藤堂家の調度品などを展示していました。

例えば藤堂家のタンス。剥き出しで置いてありますからね、触れるのは我慢です。

面白い文書がありました。藤堂高虎が家臣たちに伝えたものだそうです。

今回は全部は訳せませんが、赤線を引いたところにご注目。

ここだけ意訳しますと、

【衆道に手を出した者は、妻子ともども成敗仕るべきことを心得る様に】

男色、NGなんですよ。妻子ともども、とあるから両刀使いの人もダメどころか、家族も一緒に罰をもらってしまいます。

怖い怖い。

更に上の最上階へ。

こちらが最上階。

天井に揮毫した当時の名士たちの名前が記してあります。

尾崎行雄、若槻礼次郎、高浜虚子、金子堅太郎、清浦奎吾、細川護立(細川護熙さんのお爺さん)、横山大観、岡田啓介、徳川家達(第16代徳川家当主)、近衛文麿、宇垣一成、徳富蘇峰、下田歌子(岩村城の途中にお家があるのです)他多士済々。

政治家、軍人から学者、芸術家までそろっています。

近衛文麿さんの揮毫。明績重新???

横山大観さんは満月の絵。キレイ。

桃瓦はなかった感じ。

伊賀忍者と神君伊賀越え、伊賀でもう1つ有名なのが、鍵屋の辻の敵討ち。

赤枠四角内に荒木又右衛門ならぬ唐木政右衛門の絵が描かれております、剣の達人設定のせいか、敵討ちの当人より主役になっているのです。

後で鍵屋の辻にも寄ってみましょう、近いので。

大体城内を見終わって外に……あ、別に資料館があります。

いきなりの井戸。外に繋がっているとかいないとか(どっちなんだい!?)

ふ、深いです。

探偵ナイトスクープという番組で潜ったそうですが、抜け穴は見つからなかったそうです。

外に出ました。12時過ぎですので、ぶらぶらと忍者屋敷に向かってみます。

城代役所跡なんてものがありました。

今はご覧の通り何もありませんです。

伊賀上野地場産買物処。忍者グッズばかりです。

外国人の方々は楽しそう。

今、12時20分。13時のショウまで忍者屋敷に忍んでみますニンニン。

その前に城山稲荷神社に詣でました。

お代は800円ですが、今年の4月から1,000円になる様です、ニンニン。

潜り戸に入りますよ~

縄梯子です、上に隠し部屋があるのですニンニン。

赤いくノ一が隠し部屋から覗いています。

出た、どんでん返しニンニン。

別のどんでん返しですニンニン。

お仏壇がありました。不動明王でしょうかニンニン。

その脇の絵が……

服部大明神画像。服部神社というのは諸国にある様です。

しかし絵の左に江府四ツ谷西念寺、とあります。服部半蔵(初代)他服部一族数名のお墓があるところなのですよ。

初代槍の半蔵を神格化したのでしょうか。

今度は西念寺に行ってみる必要がありますね(笑)

地下に潜りますニンニン。

水遁の術でお馴染みの水蜘蛛ですよニンニン。

上に乗ってお堀を渡れるかという疑問がありますが……

水蜘蛛の術の正体は、浮き輪状態でした。

そりゃそうですよね、ニンニン。

忍者服。黒ではなかった様です。柿の葉色でもないのかな?

紺色だとは知りませんでしたニンニン。

様々な手裏剣があるのです。結構重いんですってニンニン。

みんな大好き苦無(くない)

反りのない直刀、いわゆる忍び刀ですが、幕末のころのものでシンボルチックな感じだそうですニンニン。

踏んだら痛いまきびし、アタタタ

隣接した忍者伝承館に入りました。

出ました、役行者さん。数々のお寺や寺院を建てた上に忍者の一人として紹介されています。

鬼神も使い、呪法も使い、空も飛びます。追放もされていますし、八犬伝でもお馴染みです。

支那の伏義、黄帝が始まりとされておりますよニンニン。

孫氏の兵法も忍術の一種なんですかねえニンニン。

もうすぐ13時の忍者ショウです、楽しみですニンニン。

500円の見物料が必要ですが、撮影禁止でした(;´д`)トホホ

殺陣、手裏剣術、組み紐による捕縛術、鎖鎌の演武、忍び刀の使い方、吹き矢など盛り沢山でした。

 

お昼を食べたいので、上野市駅方面に向かいます。

外に出る訳ですが……

高石垣を充分見学できるのです。

素敵な石垣、ウットリしちゃいます。

天守もチラと見えるのです。

伊賀と名張を探検しました、で見つけた忍者マンホールのカラー版がありましたよニンニン。

伊賀市ハイトピア2階のグラツィエさん。

グラツィエ | 伊賀肉(伊賀牛)の奥田

ハンバーグランチ1,490円、食後にソフトドリンクとデザート付き。

美味しかったですのよ。

 

食後は鍵屋の辻へ。西に向かって歩きます。

こちらは初めての忍者マンホール。伊賀上野城ヴァージョンです。

1キロほど歩きますと、

下ると鍵屋の辻です。

ほほう、ここが日本三大敵討ちの鍵屋の辻の現場ですか。

他の2つは、曽我兄弟の敵討ち、赤穂浪士の敵討ちです。

敵討ちの概要です。

これも発端は衆道ですね、藤堂高虎の命令は正しかったのかも。

岡山藩士河合又五郎が藩主池田忠雄が寵愛する同僚の渡辺源太夫に言い寄ったものの、源太夫さんは殿様の恋人ですので肘鉄を喰らわせたのです。

怒った河合又五郎さんは源太夫さんを殺して、江戸へ逃亡、旗本の安藤さんのところへ逃げました。

恋人を殺されて怒った池田忠雄さんは激怒、幕府に訴えますが安藤さんは河合又五郎の引渡しを拒否してしまいました。

大名対旗本の対決ということで世間は盛り上がります。

小牧長久手の戦いで、安藤さんの親戚の徳川方旗本安藤直次が池田元助を倒しているという因縁があります。

池田元助の弟の輝政が池田家を継承しているので、池田対安藤というのは、不思議な結びつきなんですねえ。

困った幕府は旗本たちを謹慎させ、犯人の河合又五郎を江戸から追放しました。

ところが肝心の池田忠雄が病気に罹り、死に臨んで遺言として河合又五郎を討つ様に命じるのです。

渡辺源太夫の兄、数馬は姉の旦那さんである荒木又右衛門に助太刀を依頼しました。

又右衛門は伊賀出身、新陰流を学んだ剣の達人ですので、当てにしたのでしょう。

又右衛門は了承し、大和郡山藩の剣術指南役を辞めて、渡辺数馬に随伴します。

最初の事件から4年後、1634年寛永11年、とうとう渡辺軍団は河合又五郎を見つけて決闘を挑むことになったのでした。

ちなみに渡辺側は4人、河合側は11人だったそうですが、死者は渡辺側1人、河合側4人。

ターゲットの河合又五郎は渡辺数馬が無事討ち取ったそうですよ、良かったですね。

ただこの決闘、早朝から6時間も掛かったそうですよ。敵討ちも大変なのです。

荒木又右衛門はバッサバッサとたくさん斬ったイメージがありますが、それは講談や映画の話で、実際には2人のみ斬ったそうです。

それでもやはり剣豪ですね。魔界転生でも召喚される訳です(笑)

あれ、資料館はお休みでした(´・ω・`)

記念碑までもあるのです。

しかし荒木又右衛門からすれば、出身の伊賀で敵と遭遇ですから、地の利を得ておりますなあ。

それではそろそろ帰ろうと思いましたが、伊賀電鉄さんの時間が約1時間もあります。

上野市駅まで戻ります。

お昼を食べた伊賀市ハイトピア5階には展望台があったのです。白鳳城素敵。

俳聖芭蕉さんの像も駅前にはあります。

芭蕉さんも忍者説があって楽しいですね。

伊賀鉄道さんのイメージキャラ、広小路かやさん。

伊賀線は開業して100年以上あるのです。この先も頑張って走って欲しいですね。

電車が来そうです、でわ。


雪の月山富田城に登ってきました

2025年02月11日 | 城攻め

2025年2月11日、雪の月山富田城に登ってきました。

今回はここがメインなのでした。

月山富田城は日本100名城65番目、尼子氏の居城。

私は3回目だったかな。こんなトコにあります。

結構不便なところにあるのです。米子駅か荒島駅、安来駅からバスが出ています。

ということで7時半にJR荒島駅。米子から出雲、松江方面に向かって2駅です。

ご覧の通り雪は降っていませんが、積もってますねえ( ゚Д゚)

これは厳しいかもしれません( ;∀;)

JR荒島駅です。ポストの隣にバス停がありますでしょ?

ここからバスに乗って向かいます、お庭で有名な足立美術館には寄りませぬ(笑)

駅も山中鹿介のポスターを貼って推しています。私も彼が好きです。

麒麟がくるではなく、麒麟がいる、です。山陰の麒麟児、山中鹿介、カッコいいのです。

赤の四角が荒島駅、右上方の赤い丸が目的地の月山富田城です。遠いですね(笑)

あら、7時50分バスの時間になりました。

これこれ。安来市のイエローバスという乗り物に乗ります。

ICカードは使えず後払いの200円でした。

乗客私一人でした(´・ω・`)では出発~

 

寝たら危険ですので、おメメぱっちりでいきます。

見た目の距離の割に、約20分でピュアレ前というバス停で下車しました。

あれが月山富田城です、(;゚д゚)ゴクリ…雪積もってますやん!!

バス停から15分、安来市立歴史資料館と道の駅広瀬・富田城に着きました。

雪は降っていませんが、暗鬱な曇り空。そして風が冷たいです。

こんなイメージ。雪もフカフカですが行きましょうか……

でもその前に安来市立歴史資料館がオープンしています、寄ってみましょう。

凄いです、こんな要塞だったのでしょうか。

尼子氏と中国地方の関係図。

これを見ると、尼子・大内の勢力圏のはざまにいた毛利氏が、中国地方の覇者になるとは分からないものです。

紅顔の美少年な山中鹿介さん、可愛い(笑)

今どきゲーム風の鹿介さん。月にもっと祈って下さい。

御城印を入手しました。

お城カードもGETです、ミッションクリア。

これで登らなくても良いのですが、そんな訳にも参りません。

昨日、米子城で雪の登城訓練をしたので、行けるところまで行きましょう。

尼子興久さんのお墓が起点となります。

彼は尼子経久の三男で、塩谷氏に養子に行きます。父に反乱を起こして、結局負けて自害。38才で亡くなりました。

その横を失礼しますよ。

道があるようでありません(見えません)が、誰かさんの足跡があるので踏んでたどっていきます。

早速の登り道を登って行くと、

尼子神社です。無事を祈願せざるを得ません!!

千畳平。大きくて広い曲輪なのですが、今は単なる雪原。

先進むと境界が分からなくなるので困ります。

またちょっと登りますと……

月に祈る山中鹿介像。

願わくは我に七難八苦を与え給えと三日月に祈り、それが実現してしまった戦国きってのマゾヒストなのです。

更に登ると、花の壇と呼ばれる施設に来ました。

発掘すると、当時の花壇みたいなものが見つかったそうですよ。

休憩できる様なんですが、この時間は施錠されていました^^

部分部分では石垣もあるのです。

上部にはこれから登る七曲りが見えていますが、真っ白(涙)

うわ、何か吹雪いてきました、前途多難かも。

軍用大井戸と書いてありますが、何も見えません。

菅谷口と書いてあります。虎口なんでしょうか。

これ以上は先に行けません。

方向を変えて山中御殿平(やまなかではありません、さんちゅうごてんひら)に進むと、

鏡石のある石垣。

この左側を歩きます。少し雪が深いです。

石垣がキレイすぎます、後で直したのかな?

とうとう来ました、七曲りの入り口。9時25分です。

10分進んで小休止。後ろを振り返りました。

山吹井戸。

しかし井戸が見当たりません、足もずぼっとはまりそうですので、探索は断念。

あれ、意外と呆気なく七曲りを登り切ったようです。9時39分。

15分弱で雪道を登れた訳ですね( ̄ー ̄)ニヤリ

私、頑張りました(自画自賛)

西袖ヶ平から見た三ノ丸。

左側から登ることができます、行きましょう。

大きな鳥居が見えました。

すぐ二ノ丸です。

ここからは眺めが良く海も見えるのです。

米子方面の中海です。

薄く日も差してきました、もっと早くお願いしますよ(笑)

二ノ丸の小屋は、休憩用でここは開いていました。

地元の写真家の方の作品が展示されていました。

では、最後の本丸に行きましょう……あれ?二ノ丸から道が繋がっていません(´・ω・`)

雪で良く分かりませんので探してみましょう。

ありました、一旦下る必要があるのでした。

雪道をおいしよおいしょ。

振り返って二ノ丸。やっぱり直接進めない様になっているのですね。

本丸に到着しました!9時44分。

山中鹿介記念碑……ですが、これ割れていませんか?

題字は【山中幸盛塔】と記されております。

本丸の頂上には神社があります。

勝日高守神社です。大国主命を祀っているそうです。

お参りしたのですが、少し不思議に思いました。唐獅子から見て、本殿は何故か右側を向いているのです。

中のご神体の向きまでは確認できておりませんが……

 

さて恐怖の下山を開始します。

七曲りが滑りそうで怖いのですが、手すりに掴まってそろそろと降ります。

30分近く掛けて山中御殿平に到着です。

この階段も降りるのが苦戦しました。

大土塁、というのがあるそうです、見に行ってみます。

おー立派な石垣です。

その隣が土塁でした。うーん、良く分かりません。

御子守口に出てしまいました。

史跡の表示をパシャリ。

自動販売機も山中鹿介推しでした。

入口から3時間弱で月山富田城を登って降りることができましたね。

 

バスの時間がまだありそうですので、何か探しましょう。

山中鹿介生誕地!!これは見ない手はありません。

自動販売機から10分、見つけました。

やれやれ、坂を登るみたいです。

ここですね、屋敷跡。

ご自由にお入り下さいと書いてあるのですが、門が雪で動きませんぞ(´・ω・`)

仕方ありません、門の外からパシャリ。

山中鹿介幸盛屋敷跡を確認しました。

後は新宮党館跡があるのですが、距離があるのと時間が厳しいので諦めました。

新宮党とは尼子氏の中の精鋭部隊なのですが、武芸を鼻に掛けて傲慢な振舞いをすることもあり軋轢があって、当主尼子晴久は粛清してしまいました。

一説には、毛利元就が新宮党を厄介払いにするために謀略を仕掛けたとか何とか。

 

では道の駅で食事をしてバスに乗りましょう。

どじょっ子の停留所です。

それではイエローバスに乗って米子駅に帰ります、でわ。