goo blog サービス終了のお知らせ 

馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

山本山城に登ってきました

2024年10月27日 | 城攻め

2024年10月26日、山本山城に登ってきました。

山本山城はこんなトコ。

余呉駅発13時10分に乗って、一瞬目を閉じたら乗り過ごして長浜駅!!

あ~山本山城のある河毛駅行きの電車は30分来ません( ;∀;)

これだったら、毛受兄弟のお墓に行けたな、と思いましたが後の祭り。

とにかく敦賀行きに乗り、河毛駅で降りたら、14時10分。

小谷城でもお借りしたレンタサイクルに申込むと、少し係のおじ様の困ったお顔。

小谷城に行った話はこちら。

 

小谷城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年6月29日、小谷城に登ってきました。100名城の49番目、通算4回目くらいでしょうか。暑いですけど頑張りましょう。9時17分JR河毛駅着です。この間の長浜駅の2つ先、木ノ...

goo blog

 

17時までに自転車を返して下さいとのこと。そりゃそうですね。

では急いで参ります。5キロほど20分掛かりそうです。

こちらが山本山。こんもりした可愛い山です。

この上にお城があるのですね。

山本山麓の朝日山神社。お参りしてお城に向かいます。

神社脇の登城口です。結構目立たないところにあるので要注意。

熊出没注意ですって( ゚Д゚)

史蹟天孫御降臨御守、山本判官古城と書いてあります。

山本義経は近江源氏で、新羅三郎義光の血を引いております。各地の源氏が反乱を起こした際に近江で暴れ回りました。

山本山城に籠って平家と戦いますが、一旦負けて城は落城、山本義経は鎌倉まで逃げて頼朝に仕えます。

これが本当であれば、そのころ源九郎義経が黄瀬川で頼朝と対面しており、同じ陣に2人の義経がいたことになるのですって( ゚Д゚)

しかしこの後、山本義経は源義仲の木曽軍団に加わり、入京後は源範頼と義経軍と戦うことになります。

源義仲敗北後は、山本義経は行方不明となります。なかなか劇的な運命の方ですね!

朝日山神社脇階段を登ると常楽寺というお寺がありました。更にこのそばを上がって行きます。

鳥居と獣防止柵。熊と猪に気をつけて行きましょう。15時2分です。

忠魂碑が現れました。ちょっぴり紅葉してますね。

うーん、眺めがあんまり良くないです。

上から2人組の若い男性が降りてきました……負けないで登りましょう。

後500メートルです。

結構、道が急で休まないと厳しいです。1日2山城はさすがに厳しいです(´Д⊂グスン

本当に約15分で登れました。下の登り口からは30分でしたよ。

上は開けています。

ここは二の丸でした。

琵琶湖が望めました。

竹生島です~

ここを降りると北部へ繋がっているようですが、15時37分、厳しいですね。

今いるところは山本山324.4メートルなのです。

一応三角点です。

賤ケ岳縦走ができるようですが、7.3キロもあります。

15時41分ですので降りましょう。おじ様との約束を守らなくては。

足がガクガクになっており、神社まで降りるのに30分も掛かってしまいました。

急いで河毛駅に戻ります。16時45分の電車に乗れそうです。

山本駅の御城印をいただきました~

 

JR長浜駅に行って買い物をして、夜ノ長浜城でも撮影しましょうかね、でわ。


玄蕃尾城に登ってきました

2024年10月26日 | 城攻め

2024年10月26日、玄蕃尾城に登ってきました。

玄蕃尾城はこんなトコ。

玄蕃尾城は続日本100名城の140番目。滋賀県と福井県の県境にある、非常に行きにくいお城です。

前に一度、鉄人さんと車で行きましたが、今回は公共交通機関を使って攻略してみます。

ということで9時前に余呉駅に着きました。

お隣の木ノ本駅は賤ケ岳砦攻略時に降りた駅です。

時刻表を確認、あちゃ~ほとんど1時間に1本です。用心して行きましょう。

JR余呉駅付近のMAPです。

目指すは余呉駅北側の玄蕃尾城址登山道です。もちろん歩けませんので、レンタサイクルです。

電動アシスト付き自転車、1日1,000円で駅でお借りしました。

約6キロの道、往復12キロお世話になるのです。よろしくお願いします。

駅では飲み物の自動販売機しかありません、食べ物は事前に用意しましょう。

お手洗いを済ませて、いざ出陣。

最初は田園風景でしたが、次第に道が細くなっていきます。国道365号沿いに走ります。ちなみに北陸自動車道が横を走っています。

30分ほど走ると、

柳ケ瀬集落です。ここまで来れば安心です。

更に5分走るとまた目印が出てきました。ここを左側の砂利道に進みます。

そして川を渡ると、

この案内板のところで自転車を止めます。1,700メートルですけど、という表示にイラッとしちゃう私はカルシウム不足かも。

歩きますよ。

刀根越えをして玄蕃尾城を目指すのです。

最初、道はこんな感じです。緩やかな登りです。

あと400メートルですけど……ですけど?(# ゚Д゚)

しかし倒木が目立ちます。少し歩きにくいですよ。

これは序の口です。

あと1000メートルですけど!!

倒木を避け、キノコをかわして進みます。

道も狭く、落ちたら二度と這い上がれません。スマートフォンもアンテナが立っていませんのよ。

また倒木です。避けて避けて。

んことボヤいている間にあと300メートル。あ、ですけどがいつの間にか消えています(笑)

キノコびっしりの倒木。

あと100メートルまで来ました。頑張りましょう。

落ちない様に、落ちない様に。

虎口まで200メートルと出ていますが……ん、あの背中を向けた看板に見覚えが。

玄蕃尾城は階段を登るのです。

ああ、ここには見覚えがあります。以前、車で来た時、ここを上がりました。

福井県側の車からの登城ルートと合流したことになります。ここまで登城口から約40分。

ここからは急な階段を登ります、ヒィヒィ。

10分弱登ると、いきなり開けました。

削ったのでしょうか、それとも最初からこんな感じの道?

山の尾根なのでしょうか。

進みましょう、進みましょう。

おお、右手はVの字谷になっています。気持ち良い広さの場所です。

底から登れませんよ、これは。

お城の見取り図です。まだ左下にいますね。

規模の大きいお城なんです。

奥に進むと……

大手口の南虎口に来ました~

土塁の嵐なのです。

東虎口……これ虎口なのでしょうか。良く分かりません。

ここで初めて他人に会いました。先方は探索を終えて降りて行きます。

私はこれからこのお城を独占しちゃうのですよ、ウフフ。

虎口廓と書かれていますが正直分かりません。

分かるのは土塁とV字谷の数々のみ。

馬出しなんですって。

主郭、本丸だそうですよ!!

かなりの規模の広さです。

賤ケ岳の戦いに備えた柴田勝家や佐久間玄蕃允盛政が築城したのかと思いきや、朝倉の武将の手によって造られたお城なんです。

東の方の張出廓。見張り台なんですって。

上がれるか心配ですが、恐る恐る降りてみました。腰廓と書いてますがV字の底です。

他には何もないので上がるしかありません( ;∀;)

何とか登れました(笑)

ここを登ると、

ここが主郭の天守台。

左から、

右まで主郭を眺めました。

本当に土塁しかありませんのよ。石垣がまったくありません。

奥の馬出し。ここから馬出せるのかいな?

一番奥の搦手廓です。いや規模が大きいです。

北の虎口。ここから先は怖くて進めません、迷ってしまいそうです。

土塁と空堀を踏み越えて戻りましょう。ここまで石がないのは埼玉の杉山城以来ですね。

杉山城に登った話はこちら。

 

杉山城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2023年5月4日杉山城に登ってきました。続100名城119番、2回目ですがかつて登った時はあまり整備されておらず、スタンプも入手できなかったため、再チャレンジしました。実は...

goo blog

 

 

おや本日2組目の方がおいでです、おっちゃん3人組です。

挨拶してお別れして私は下ります。御城印やスタンプは取得済みですので、今日はいただきません。

ちなみにJR余呉駅で販売していました。

下りは順調に進みました。あ!

柴田勝家に仕えて賤ケ岳の戦いで戦死した毛受勝照、茂左衛門兄弟の墓があるそうですが、電車の時間が迫ってるのでパスしました、残念。

駅に戻って自転車を無事お返しし、13時10分の列車に乗って次の目的に向かいます、でわ。


高知城に登って、石樋の数を数えてきました

2024年10月14日 | 城攻め

2024年10月13日、高知城に登って石樋の数を数えてきました。

高知城はこんなトコ。

帰りのはりまや橋のバスターミナルを確認していたら、こんなものが。

河田小龍は坂本龍馬の師匠さんです。はりまや橋の東に塾があったのですね。

そこから大通南側を西へひたすら歩きます。

約1.5キロ歩くと、ああ、とさでんに乗れば良かった(笑)

上町病院前にあるのが、龍馬生誕地の石碑。

組み合い角に桔梗紋。

龍馬さんの写真と船の舵輪。

寺田屋事件で龍馬も使ったピストル。高杉晋作寄贈でしたっけ。

ベンチに座って、しばらく物思いに耽っているとキキーッと自転車を止めた白人のお姉さんが、

「写真を撮りましょうか」(爆)

何でそんなに日本語上手いねーん!

と、心の中で突っ込む私。ですが丁重に遠慮してしまいました。

そうこうしているうちに、地元ガイドさんに連れてこられた観光客さんが数組やって来たので、ベンチを離れることにしました。

お城に向かいましょうか。

高知県庁沿いに東に進みます。土佐の豊穣祭2024というお祭りをやっており、賑わっています。

お祭りの会場から見える高知城。

門の中に入って、例の雨どいのところまで来ました。

一緒に行ってくれている人が、このまま天守に登るのはつまらない、どうせなら!

どうせなら?

石樋を16個探しましょう!

えーーーーーでも面白そう、ということで高知城16個の石樋探索の旅をすることになりました。

1個目。まるで高飛び込み用の板みたいな石樋です。ふむふむ。

2個目。三ノ丸広場下の石樋。山内一豊夫人お千代さんの像の前です。

そのまま三ノ丸下を進んでみます。あまり行ったことのない方向です。

階段を登らず、そのまま進むのですよ。

石樋はなく、穴だけ。

こちらも穴だけです。

ほとんどお客はいません。でも新鮮な感じで嬉しいです。

3個目、ありました。

ありゃま、黒鉄門下まで来ましたが、あれは?

4個目。電気ケーブルとか一緒にあって見にくいのです。

5個目。4つ目の奥にまたありました。

6個目。5個目と並んで2つありましたよ。

7個目。これはなかなか難しいです。

8個目。もう場所が分かりません(笑)

9個目。上に上がる階段の途中にありました。

その左側に黒鉄門がありました。中に入って向う側に参りましょう。

黒鉄門も渋い感じがします。

今日も素敵な本丸さん。でも今日は君の中には入らないの、ごめんね。

10個目。懐徳館の入口に戻って、降りようとしたら発見。

苔生ししていて、これも難易度高めです。舌先の様に飛び出しているのです。

11個目。詰門のところに地味にありました。石落としの横にあるのです。

12個目。更に進んで頭上に発見。結構ありますね。大体見つくしました。

13個目。階段横です。ここを降りると千代さん像にのところへ戻ってしまいます。

13番目を正面から見ました。ホントに石樋です。

後3つあるはずでしたが、ここで力尽きました。。。

 

気を取り直して高知城歴史博物館へ。

3階展望台から高知城が一望できました。

門を含めると、城の巨大な縄張が分かります。

博物館の中はほとんど撮影可能でした。

歌川国芳の美人画。上は土佐鰹、下はてるてる坊主を持った美人さん。

歌川広重の六十余州図名所図会、土佐海上松魚釣りです。

あべのハルカス摺の極広重展で見たかな、どうでしょう、覚えていません。

山内家第16代当主山内豊範さんの月琴。ちなみに15代はあの鯨酔候、山内容堂さんです。

陸奥守藤原歳長。

山内容堂が孝明帝より下賜されたそうですよ。

 

博物館を見終えて13時過ぎ。

やはりひろめ市場は大混雑で、食事が取れません。

ぶらぶらアーケードを歩くと、鍋焼きラーメンのお店がありましたので、入店。

うどん屋城、というお店です。

 

うどん屋 城 (大橋通/うどん)

★★★☆☆3.09 ■予算(昼):~¥999

食べログ

 

アツアツの鍋焼きうどんをいただき、大満足です。

小ライスは雑炊にして食べちゃいました。

 

ではそろそろ、はりまや橋に向かって……あれ、新幹線の0型が!

とさでんさんの新兵器でした(笑)

15時になると、はりまや橋反対側の時計台がメロディを奏でます。

動き出すからくり時計。よさこい軍団登場ですきに。

赤いはりまや橋が飛び出してきて……

はりまや橋の先では、お坊さんがお馬ちゃんにかんざしを買ってあげた恋物語が。

この後二人は駆け落ちまでするのですが、捕まってしまうのです。

 

見物しているうちにバスの時間が来ました。

ちょっとマニアックなお城登城のお話でした、でわ、また。


夜ノ高知城に登ってきました

2024年10月13日 | 城攻め

2024年10月12日夜ノ高知城に登ってきました。

16時31分安芸駅発の列車に乗って17時半ごろ高知駅に到着、ここから今日の宿までは高知市電、路面電車に乗ります。

こちらもアンパンマンでした。

今日現在、200円ですが11月から大人一人230円に値上がりするそうです。チンチン♪

 

はりまや橋で下車、宿に荷物を置いて少しまったりしてから、夜の高知城探索にGO!

日本三大夜城だそうですよ。他は大阪城、新潟の高田城なんですって。

 

夜ノはりまやばし。

ここからお城まで歩きます。

20分弱くらいで東南側門にたどり着きます。

おお、門が開いてます、不用心不用心(笑)

天守も白く輝いてますよ~ワクワク。19時12分です。

夜で暗く、どこで撮ったかも分かりませんが、城く輝く天守。お千代さんと馬の辺りかも。

三ノ丸石垣辺りで撮影。月も光っています。

私的には今日のベストショットです。

鉄門辺りからも夜ノ高知城。

同じ様なショットで申し訳ありません。月に免じてお許しを。

懐徳館入口辺りから。

夜も結構人がいます、カップルだったり、散歩してたり、軽く運動してたりと。

月なしで撮ってみました。

降りて三ノ丸広場から。

階段の途中から。天守横にまた月が来ました。

これが限界ですね。

19時40分、帰りましょう。まだ晩御飯も食べていません。

反射した高知城(笑)お化け城状態です。

来ました、ひろめ市場。

一度ここで鰹を食べたかったのですが、大混雑、席もありませんし、どう注文したら良いのかも分かりません。

従って撤退(´;ω;`)

一緒に行った人が、ここにしようというので、ひろめ市場から少し離れた明神丸さんで食べることにしました。

並ぶこと20分、入って鰹三昧です。

鰹タレたたきと塩たたき、鰹の巻物である土佐巻き、鰹と松茸の釜めしなどをいただきました。

写真撮るのも忘れて夢中でパクパクです。

本当に鰹って美味しいのですねえ。

 

さて良い気分、明日は15時くらいまでまた探索をこの辺りでするつもりです、でわ、また。

 

 


安芸城に登れませんでした

2024年10月13日 | 城攻め

2024年10月12日安芸城に登れませんでした。

こんなトコです。

岩崎弥太郎生家の後、レンタサイクルを返却するのに1時間半あるので、安芸城に行くことにしました。

現在地の右側に安芸城址と表示があります。早速向かい……ん?

にゃーんと聞こえました。黒猫さんですよ。

弥太郎邸を出るところですが、魅了されます。しかしすぐにどっかに行ってしまいました。

仕方ない、安芸城へ向かいましょう。

 

細い道を通って、くねくね曲がって、15分ばかり走るとありましたよ!

一般のお家の間です。これは凄い。

きちんと虎口が置かれています。

後1時間10分です、探索を急ぎましょう。

安芸城は元々安芸国虎さんのお城でした。長宗我部さんの土佐統一の途中で滅ぼされてしまったのですね。

安芸国虎……まさか阪神タイガースはそれでキャンプをしているのではないですよね?

虎口の石組み、私は分厚いの好き。

右の奥は歴史資料館になっている模様です。本丸はどこかいな。

標高41メートルの山城ですって、どうしましょう?

ここを登るみたいです。

迷っていると2、3組がどんどん登っていきます。焦る私、刻む返却時間。

結局諦めました(´・ω・`)

結局資料館にすがりつく私。

御城印を入手しました。現在は販売しておらず、前の制作分があるから、と快く分けていただきました。

縄張図面までいただいちゃいました。後30分早く来ていればなあ。

登りましたか、という職員さんのご質問に、時間がなくてすいませんと何故か謝ってしまいました。

白い彼岸花が私の無聊を慰めてくれました。

これを見ると山内一豊さんにも武功があったのですね。

唯一見れた初期の頃っぽい石垣です。

背後の山が恐らく本丸の山。四国で言う詰ですね。

アデュー、安芸城よ。

レンタサイクルを漕いで虎口を脱出します。

マンホールは野良時計。

5分ほど走った先にありました。

札幌時計台ではありませんよ。

今はもう動かない、野良時計。

由緒について書かれていました。畠中さん、凄い方ですね。

野良時計とコスモス。秋っぽいでしょ(笑)

16時25分、駅についてレンタサイクルをご返却成功。

あきうたこちゃんがお出迎え。

ちょうど16時31分高知駅行きの土佐くろしお鉄道が出発します。

乗りましょう乗りましょう。

あ、巡礼の方々もいるみたいで、列車は混雑していますよ。

瞼が重くなってきました、眠り鉄の本領発揮です。お休みなさいZZZ

でわ。