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馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

夜ノ岸和田城に登ってきました

2024年10月06日 | 城攻め

2024年10月5日、綾井城の後、続日本100名城の161番目、岸和田城に登ってきました。

昨年の8月以来2度目です。

綾井城で物足りなかったので、夕方の岸和田城を見学しますよ。

2023年の岸和田城攻略記はこちら。

 

岸和田城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

2023年8月13日岸和田城に登ってきました。続100名城161番目のお城です。まずは12時24分天下茶屋駅発の南海電鉄特急サザン21号に乗ります。南斗六聖拳の一人(大嘘)、サザン...

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高石駅から20分過ぎくらいで到着します。

懐かしの蛸地蔵駅です。

教会っぽい雰囲気の天井です。

岸和田城に迫る敵軍の根来衆。

蛸地蔵駅。ステンドグラスでは蛸が岸和田城を守るのです。

ここから歩いて数分、

三の丸神社です。寄って行きましょう。

由来が書いてあります。

お参り、お参り。

正一位白蛇大明神と謎の大木です。

17時半過ぎですのでお城に行きましょう。

夕闇迫る岸和田城!!

天守閣も夕日に染まっています。

焦点を変えると普通の色になりました(笑)

天守にはもう入れませんがカッコ良いですね。

東を進むと犬走りが見れました。

いやあ、良い眺め。

見惚れていると後ろをお城ランナーさん達が軽やかに走っていきます。

うーん、でもまだ日が出てます、もう少し暗くなるまでウロウロしましょう……っと。

二の丸公園に来たら猫ちゃんです!!

にゃーんと吠えてくれました。

耳が斬られてないから、野良ちゃんか飼い猫か……首輪も見当たりませんね。

おーい、餌はないけど遊んで下さいよ~

しかし、かゆい、かゆいです、やぶ蚊に刺されました、逃げます( ゚Д゚)

結局、猫ちゃんは遊んでくれませんでした(;´д`)トホホ

あ、岸和田初めてのマンホール。お城の鯱ヴァージョンですかね。

二の丸多門櫓ですがお手洗い。用を足していきましょう。

出ると、18時前、結構暗くなっております。

ではお城を見ましょう……

良い感じです、まだちょっと日が残ってますかね。

北側から東に向かって行きます。何か機械音が聞こえました、照明機器の音かな?

天守に照明がつきました!!

夜景です、美しい。

逆さ岸和田城ですよ、蛸も驚くでしょう(笑)

また犬走り。お堀の水が揺れてますねえ。

夢中になっていたら妙齢のおば様に声を掛けられました。

「キレイやねえ、岸和田城。私好きやわ」

キレイですね、と返答すると、

「地元の方?」

と言われたので、違いますと返答したら、それでは、と去ってしまいました(笑)

はえー見事です。昨年は真夏でしたのでこちら方面には来なかったんです。

写真では左の南隅櫓跡が重厚。

いやはや難攻不落ですよ、これは。

ウットリしながら道を戻ります。

逆さ岸和田城がどうも上手く撮影できませんね。

夜の岸和田城、充分に堪能しました。

18時半くらいになりました、遅くなりましたので帰りましょうか。

では、また。


綾井城に登ってきました

2024年10月05日 | 城攻め

2024年10月5日綾井城に登ってきました。

綾井城は8月11日の大阪・お城フェスに行った時、初めて知ったお城です。

 

大阪・お城フェス2024に行ってきました - 馬鹿琴の独り言

2024年8月11日大阪・お城フェスに行ってきました。城博かと思いきや、厳密な意味では違うのですね(´・ω・`)こんなフェスです。第参回大阪・お城フェス2024|テレ...

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高石市にあるそうです。こんなトコ。

今日は14時からの出発です、急いで行きましょう。

ってことで15時過ぎには高石市です。

ん、隣が羽衣?天女伝説でもあるのでしょうか。

もしそうなら天女さん、あちこちに降り過ぎではありませんか?

ギリギリ見える専称寺さんを目指して行きましょう。

10分歩くと、専称寺さんの駐車場が見えてきました。

これ、お堀ですよね、ワクワク。

石の橋が見えていますよ。そこまで行きましょうか。

おー城門ならぬ正門です。渡りましょう。

今は浄土宗別格城蹟山専称寺です。

浄土宗別格?

城蹟山というのも凄いです。綾井城の跡地を利用しているからでしょうか。

沼間日向守の綾井城四址の碑がありました。この人は応仁の乱で細川方東軍に属していたみたいです。

門は閉じていますね。

横が開いてるので中に入ってみましょう。

おろっ、中には誰にもいませんぞ。

お参りするにも、賽銭箱がありませんです。

こちらのお地蔵さんにお参りしてお賽銭を入れました。

……少し待ったのですが、どなたもいらっしゃいません。

本堂の方から掃除機をかける音だけが響いています。

おーい、いえ、すいませーん、いや、やめときましょう。

外に出ました。反対側にもお堀っぽい跡が見えています。

……え、これだけ……ですか。

他に城址らしきものはございませんねえ(´・ω・`)引き上げますか。

駅までの帰り道、自治会館の建物がありました。

綾井地車庫と書いてあります、多分たんじりの山車ですね。来週、高石のだんじり祭りだそうです。

岸和田だけでなく、堺にも高石にもそれぞれのだんじり祭りがあるらしいのですよ。

詳しくは知らないのですが。

そしてふと地面を見ましたら、

おお、天女様だ、天女様の降臨や~

高石市にも天女伝説がありました。

伝説の残る各地(笑)と連携して天女サミットがあるんだそうです。詳しくはこちら。

https://www.city.takaishi.lg.jp/material/files/group/30/tennyodensetsu.pdf

まだ16時、ちょっと行きたいところがあるので、買い物がてら寄って行きます。

でわ、また。


宇陀松山城に登ってきました

2024年09月27日 | 城攻め

2024年9月27日宇陀松山城に登ってきました。

宇陀松山城は、続日本100名城166番目のお城です。前は車で来ました。今回で2回目。

福島正則の弟、福島高晴が城主だったんですって。

こんなトコにありました。

実は午前中に健康診断を受けて、お昼にあの資さんうどんのお店が近くにあるのが分かったので、いただいちゃうことにしたのです。

九州3大うどんの一角ですよ、初体験です。

2階はびっくりドンキーさん、1階が資さんうどん……12時前ですが既に長蛇の列、私は10番目待ちでした(´・ω・`)

とか何とか言ってるうちに、すぐに入店できました。回転早し、です。

迷わず、かしわうどん細めんとお稲荷さんを注文。トイレ行っている間に、店員さんが運んできてくれました。

ほうら、かしわうどんです!!

お箸で口に運ぶと……肉うどんではないこれがかしわうどん。

讃岐でもない大阪風でもない、少し甘い汁。うどんには腰はなく、口で溶けていくって感じです。

 

おっといけない、今日は宇陀松山城に行かねばならんのです、今12時10分、12時半の電車に乗らないといけないのです。

急ぎましょ、食べましょ、流し込みましょ。

 

12時53分鶴橋駅発近鉄大阪線急行に乗って、13時46分奈良県榛原駅に到着です。

ここからは奈良交通バスのお世話になります。

14時9分です。まだ暑いので水分取って、お手洗いに行って。

大宇陀道の駅バス停で降りる予定ですが、2つ手前の西山バス停で下車します。30分ほど500円でした。

さあ、ここから歩きましょう。

宇陀市立大宇陀小学校前を抜けて行きます。

宇陀川に架かる宇陀橋を渡ると、町並みがそれらしくなっていきます。

あ、いきなり松山西口関門が現れました。

ここで左に折れる訳ですが、門が黒いため黒門とも呼ばれています。

この地図に沿って登っていきましょう。

坂道を登っていくと左が天理教教会、右が登城口に分かれました。

おや、一般のお宅に近づいちゃいました。

屋根部分が台風か何かで被災されており、無人の様です。

しかし右の口が開いており、私のナビはここを通れと指示出ししてきました。

すいません、前を通りますよ。

あれ、また道が2つに分かれます。

左が、

こんな感じで、いかにも登山道。

右の降りる感じが春日神社方面です。

ナビが登山道を指し示すの行ってみたら……行き止まりで宇陀市水道局の設備しかありませんでした( ゚Д゚)

諦めて下り、春日神社方面を探索してみます。

春日神社です、探索の無事を祈願しましょう。

江戸時代元禄年間に寄進されたお手水だそうですよ。

恐ろしい事件が記されています。

例の三介殿、織田信雄が大阪の陣後、上野と大和に領地を与えられました。

信雄は上野に四男を与え、自分は大和の宇陀松山の主になったようです。亡くなった後は、五男に後を託しました。

ちなみに近くの室生寺に分骨された信雄の墓があるんですって。

三介殿はともかく、五男高長、その次男長頼、その長男信武が継いでいくのですが……この信武さんがやってしまったのです。

織田信雄旧来の家臣と父の長頼が連れて来た加賀国出身の家来が対立し、信武は織田家旧来の家臣の田中某、生駒某を上意討ちで殺害し、生駒に至っては一族を討ち果たしてしまったのです。

事件を知った幕府が事情聴取をしようとすると、信武さんは自害……織田家は丹波柏原に減俸の上国替えをされてしまう訳なのです。

これが宇陀崩れ。

この信武さんの癇癪っぽいところ、ご先祖信長の短気と少し似ている様な気がしますが、やっぱり三介殿の血なのでしょうか。

 

さあお城攻略に戻りたい、のですが、道が分からないです。

以前に登った道の駅ルートから改めて行きましょうかねえ。

神社を下って行くと、あ!!

わはは、これは罠です、孔明の罠です。

ですが孔明の罠に乗ってやりましょうぞ!

まるで獣道(笑)大丈夫かいな。

泥道を通った後、少し道が伐採されてます。

左が開けて石垣、いやこれは近世のものでしょうね。

石段が出てきました。手すりもあって安心かな?

南北朝のころの名前の秋山城という別名の表示です。

これも罠?

でも登るしかないのです。

あれ!!

視界が広がり、車が見えてきました(笑)

駐車場でした、ここは見覚えがあります。

道の駅から登って来るとここに出るのでした、孔明殿、疑ってすいませんでした。

説明版もあるのです。

上から見るとこんな感じです。山城ですね。

もう少し登らないといけません。

空堀ですね、ヒイヒイ。

石垣が見えてきましたよ。

雑草を伐採していただいてる方々が数人いました。先ほどの駐車場に停めている車は彼らの物なのでした。

彼らのお陰で探索できる訳です、感謝。

雑草が無くなってスッキリ!!

ヒィヒィ言いますが心は弾みます。

隠れていた崩れた石垣がゴロゴロ。

15時15分、早くしないと日が傾いてしまいますね。

この傾斜を右に曲がりますと……

もう少しの感じ。

キタ――(゚∀゚)――!!

本丸跡です、つきました。

西山のバス停から40分、迷った時間を含めて登れました。

また石がゴロゴロです。

振り返れば、遠く東吉野方面の山が見えます。

更に登れそうです。

天守閣があったそうですが、本当でしょうか。

一番上はこんな感じでした。

宇陀城山471メートルと書かれています。

何故か白髯神社、同じく471メートル。

下はきちんと伐採されております。

煙突の見える建物は何と火葬場でした。では降りましょうか。

こちらも虎口、高麗門があったそうです。

駐車場付近まで戻ってきました、いえ、正しくは管理者用駐車場付近ですかね。

こちらにも説明版。

ずーっと降りて行きます。

この道を歩くと両側が伝統的保存地区です。薬屋さんが多い感じ。

10分ほど歩くと……

あれ、行きの春日神社参道に当たりました。

宇陀松山城春日門跡の石垣。立派に積んであります。

ちょっと登ってみます。

なるほど鳥居が見えます。

春日門跡の説明です、詳しくは読んで下さい(笑)

この参道を行けば、先ほどの本殿に行ける訳です。ようやく納得しました。

私ったら遠回り(笑)

宇陀市立松山地区まちづくりセンターでGETした御城印、単に松山城ですので備中松山城、伊予松山城と間違えそう(笑)

道の駅に着きましたよ。

【しかのこしかのここしたんたん】でラスボスだったせんとくんがお迎えしてくれました。

バス停から見る宇陀松山城。全然分かりませんよね。

16時半です、16時33分のバスに乗って榛原駅に向かいます。

なかなかハードなお城探索でした、でわ。


新高山城に登ってきました

2024年09月15日 | 城攻め

2024年9月15日、新高山城に登ってきました。「しんたかやまじょう」ではなく、「にいたかやまじょう」と呼びます。

ちなみに第二次世界大戦で真珠湾攻撃に使われた暗号は「ニイタカヤマノボレ-二〇八」ですが、その新高山は台湾にあり、今は玉山と呼ばれております。

こちらの新高山城は続100名城の173番目です。

こんなトコです。

昨日は広島駅前に泊まったので、早速出発します。

8時7分広島発山陽本線に乗ったのですが、意識を消失してしまい、起きたら目指す本郷駅の隣、三原駅でした(´・ω・`)

どうやら、吉田郡山城登城の疲れと暑さに参っております( ;∀;)

9時半ですが、9時58分まで電車がないので、三原城のお城カードを求めに行きました。

JR三原駅の観光案内所でGETします。

外側から見た天守台ですかね。JRで切られちゃったお城です。

三原城に登ってきた話はこちら。

 

三原城に登ってきました - 馬鹿琴の独り言

続100名城172番三原城へ行くため、三原駅を下車。時間が16時を回っていたため、観光協会さんで先に続100名城スタンプと御城印を貰いました。駅から指示に従うとこんな感じで...

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あ、9時58分の電車が来ました。隣の本郷駅で下車。

コインロッカーが500円玉のみ使用可ですって!!

ぐぬぬ、三原城のお城カードで虎の子の500円玉使ってしまいましたよ、売店も付近に見当たらず、(;´д`)トホホ

しゃあなしです、重い荷物を持って登城します。

JR本郷駅。無人駅でした。

新高山城登山口に向けて出発です。

そもそも高山城があって、新高山城が新しくできた訳なのですね。

こんな碑がありました。

登山道の案内板。

日差しが今日も強いです、でも隠れるすべもないので、沼田川を渡ります。

弥生本郷遺跡道とか新高山小早川城址道とか示しています。

更に沼田川を北上。

左が新高山、右が高山ですって。

城とは関係なしですが、三原のやっさ踊りのマンホール。

更に北上して浄水場を越え、山陽総業さんの配送センターを越えると、左に……

登山道の表示が出てきました。

曲がりましょう、地味に分かりにくいです。

両側は一般の方のおうち(笑)静かに通ります。

傾斜がきつくなってきました。

道が狭く要注意です。あー、今日も暑い。

これが新高山城です、竹杖があるので使わせていただきましょう。

ちなみにいろいろ彷徨いましたので、駅から約1時間掛かっております。ん?

うわ、蛇ですっ!!心臓が止まりそうで死ぬかと思いました(真剣)

黒いのが蛇くんです。もう逃げますね。

にしても、昨日の郡山城より厳しく感じます、何ででしょう。

竹杖のところから15分、鐘の段というものが出てきました。行ってみます。

やぶ蚊が多いです、虫よけスプレーを巻いているのですが、うっとうしいことこの上ありません。

曲輪でした。

眺めも見えずでした。戻ります……暑い。

戻って上を目指します。

番所跡。平たい場所があるだけでした。

後ろから家族連れが来てます、追いつかれてしまいました。

竹杖から35分、匡真寺という小早川家の菩提寺跡に来ました。

礎石や石の壁が見られました。小休止します。

10分ほど休んでまた登りますよ。

中の丸、二の丸跡。

かなり登りましたね。竹杖から1時間です、ヒイヒイ。

すぐに本丸跡に到着です。

1時間ちょっとです。

謎の石の軍団。水の流れか、石垣のなれの果てか。

本丸ですがこの標識があるだけで殺風景です。詰めの丸というのがあるので向かいます。

何かそびえておりますよ、何でしょう?

石仏?

南無大師遍照尊と記されています、空海さんに帰依するってことでしょうか。

左が石鉄大権現と記されており、右は不動明王?三面ですね、降三世明王かしら?

こちらも石鉄大権現。

調べると石鎚山と関係がありそうです、それ以上は分かりませんでした。

新高山城197メートル、やっと到着した感がありますね。

石仏群、皆怒っています、怒っている感が怖い(笑)

向う側の山が高山城。

かつての小早川家のお城がありました。

調べて分かったのですが、小早川家の祖先は鎌倉時代の土肥実平の一族なんですって。

鎌倉時代の御家人粛清の嵐にも生き残った訳です。だけど幕府要職にも付けなかった、のでしょうか。

 

さっきの家族連れや他の方が休んでる中、また別の場所を探索してみます。

本丸を降りると釣井の段というものがありました。

井戸が幾つか。

こんな感じの井戸がゴロゴロしていました。水対策もばっちりですね。

さてどうするか、城内の標識を見ると、ライゲンガ丸という曲輪がある様ですが見つけられませんでした。

ライゲンガ丸……カッコ良い名前です、行きたかったのですがどうしても分かりません。

体力も消耗していますし、水も尽き掛けております、ついでに荷物も重い。

三原城の造営に新高山城の石垣を持って行ったそうで、その名残りでしょうか。

かなり崩れています。

よし、12時半過ぎです、引き上げましょう。

13時過ぎ下界に降りましたよ。

やっさ踊りの蛸武将のゴミ箱、でも捨てられない様です(笑)

あんまりにも暑いのでコカ・コーラを買って一気飲みです。たまーに飲みたくなるのです。

本郷生涯学習センターに寄ります。

続100名城スタンプGETです、あれ???

御城印がない?

どうも三原城、朝に寄った観光案内所にあるらしいのです、ぐぬぬ。

今日2回目のぐぬぬ。

しかし今日は疲れました、帰るとします。でわ。


広島城に登ってきました

2024年09月15日 | 城攻め

2024年9月14日広島城に登ってきました。100名城73番目、2回目です。

13時42分で安芸高田市役所バス停で広島バスセンター行きに乗りました。

15時半ごろ到着して広島城までの行き方を調べると……もう歩くしかない!

あ、広島城はこんなトコ。

15分ほど歩きました。

今日はお月見ナイトだそうですが、朝郡山城に登った私には余裕がありません。

とりあえず登ります、15時55分。

夕方なんですがお客が多い、海外の方も多いです。

表御門が見えます。

お城内の配置はこんな感じ。

表御門を独り占めした瞬間。

狭間が見えました。いい造りです。

ん、表御門内に入れそうです、入りましょう。

素晴らしいです。

さっき渡って来た橋の上の人を狙い撃ちすることができます。撃てぇー

ジオラマがありました。

広島城の鯱がこんなところに!!

表御門の裏側です。

太鼓櫓。手作りの味わいを感じてしまうのです。

番所跡の礎石がありました。

16時を過ぎています、進みましょう。

ここはお堀の幅が広く感じます、何でだろう。

中御門の鏡石。広島城で一番大きいそうですよ。

真ん中の赤い石に注目。

被爆したそうです。

広島護国神社。

前に来た時、この奥に入れました。防空壕があったのですよ。

元第五師団や第二総軍の司令部が置かれていたのです。

 

進みます。

天守が見えてきました。

復興天守の下はこんな感じでした。

どんどん天守に迫ります。人が多いです。

破風が凄い。

370円(安い)の入場料で中に入ります、写真撮影はOK。

書名の輝元、しか読めませんが、毛利輝元の書状。

拡大する毛利家勢力。良く破綻しませんでしたね。

吉田郡山城の古図面です。こんなところ良く登りましたね(自画自賛)

秀吉からの所領安堵の書類。

安芸、周防、長門、石見、出雲、備後、隠岐、伯耆三郡、備中のうち一部、って書いてあるのでしょうか。

備中高松は秀吉方に譲ったでしょうしね。

派手な金箔鯱。

地味に石落としです。使ったことないでしょうね。

秀吉の書状とほぼ同じ資料。領土のイメージです。

112万石か、120万石いってると思ってました。上杉景勝に負けてしまいますぞ、輝元さん。

竜吐水とか防災系の道具。

時代は進み、幕末へ。

右がゲベール銃、左がエンフィールド銃。

第二次長州征伐の四境戦争のイメージ。

先日行った浜田城、藩主が逃げちゃってる(´・ω・`)

広島城のゆるキャラ、しろうニャさん。

広島城下絵屏風、複写ですがちゃんと広島城が描かれていますよ。

文化年間の作だそうです。

原爆で吹き飛んでしまった広島城、Oh,my,God!

哀しくなりました。

刀も幾つか展示されています。青龍軒とか厳島大明神とかあるとときめいてしまいます(笑)

鹿の兜。ひょっとして毛利家の仇敵山中鹿之助の兜ではないか、と思ってしまいました。

広島城ジオラマが誇らしげに飾ってありました。

おお、この写真は素晴らしい。こんな光景を撮ってみたいなあ。

一番上の階、見晴らし台に出ましたよ。

原爆ドームが見えました!!

桃瓦はなさそうでした。

17時15分、大分人が減りましたね。

外に出て今度は東側の出口から回ってみます。

東御門跡の石垣です。重厚です。

石垣を見ながら北を回ります。広島城は北側からの眺めが良いと聞きました。

黒い広島城。

暗黒の広島城。

本当です、北から天守が良く撮影できます。

今日は風で水が揺れていて、逆さ広島城は無理でした。

西日を浴びて眩しい広島城。

最後までしつこく撮る私(笑)

陸橋の上からだって良い眺め。

市電を待っていたらレトロな車体がやってきました。

こんなモダンな車体もあるのです。

市電って良いですね、大好きです。

広島は混雑しているせいか、車掌さんが乗っていました。チンチン鳴らしていましたよ。

お仕事お疲れ様です。

帰りに宿近くで見つけたマンホール。

西国街道のマンホールですが、広島城が描かれていました。

あの屏風絵図がモチーフかもしれませんね。

 

明日も天気が良ければ良いのですが、でわ。

 

おっと広島城の御城印を忘れていました^^