goo blog サービス終了のお知らせ 

マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

私がモノの処分を繰り返した話

2019-06-08 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
終活を始める前から、何度も繰り返し、不要品の処分をしてきましたが、最初のきっかけは、20代の頃の母への怒りと、阪神淡路大震災の発生でした。

最初のきっかけと処分
当時、どうしても受け入れがたい、母の言動がありました。言動というよりは、物事の捉え方や考え方に、同調も共感もできなかった、と言った方が正しいかもしれません。
ある日、自分の心が「ブチッ」と音を立てて割け、怒りが吹き出し沸点に達しました。以後母が私のために購入してくれたモノをみるたびに、その怒りが何度も沸点に達します。
そんな折、阪神淡路大震災が発生します。発生後の被害状況を伝えるニュースで、家具が倒れている映像や、家具やモノの下敷きになり亡くなった人がいたという報道。
私は、直接被害を受けたわけではないのに、震災以降は自分の部屋にある背の高い家具に対して、恐怖心を抱くようになりました。

このままでは、理由は何にしろ精神的に参ってしまいそうだ、と思った私は、自分の家具を粗大ごみに出し、家具の中に入っていたモノは、自分のお気に入りのモノ以外、すべて処分することにしました。新品はリサイクルショップへ持ち込み、引き取り手のないモノは捨てました。

今となっては、母のどういった言動に怒りを覚えたのかは、思い出せませんし、高い家具を見て抱いていた恐怖心は消えました。おそらく、不要品を処分したことで、いろんな気持ちに整理がついたのだと思います。

片付けと処分のノウハウを探す
処分したとはいっても、家具という粗大ごみもあるし、最初は不要品と必要品の取捨選択が、思うように進みませんでした。
というのも、古くなったり壊れたり汚れたりしていれば、難なく捨てられるのですが、まだ使えるモノや、一度も使わずに大事にしていたモノは、処分しようと思っても「もったいない」「高い値段で買った」「もしかしたら、価値が出るかもしれない」などなど、いわゆる「モノが捨てられない人」に特有の未練やこだわりといった感情に囚われてしまったのです。

それでも、どうしても処分がしたい気持ちが勝っていたので、ネットでキーワード検索をし、自分の気持ちや状況に合う片付け方、処分の方法とその時の心持ちをどうしたらいいか?を探しました。
探していく中で、今では目にすることが当たり前になってきた、ミニマリスト、ダンシャリ、ときめく片付け、シンプルライフなどをテーマにした、ブログやサイトに行きつきます。
しかし、それらから発信されている内容が、すべて自分の状況や心持ちに合うわけもなく、情報が飽和状態になり、どうやって気持ちの区切りをつけながら処分していけばいいのか、わからなくなっていました。

そんな時、ある方のブログに出会いました。その方のブログは、プライベートでトラブルがあったらしく、ずいぶん前に閉鎖されてしまったのですが、発信されていた内容に、とても共感できる部分がありました。
その方のブログを読み進めるうちに、モノに対する気持ちにブレがあるから、処分しようと思ってもできていなかったのだ、と気がついた私は、モノに対する未練や妙なこだわりを捨てることができるようになってきたんです。

そもそも、負の気持ちである「怒り」や「恐怖」が湧いてくるモノを処分したかったわけですから、モノの市場価値やもったいないなどの精神は、関係ないんですよね。
自分の気に入らないモノ、嫌なモノ、気分が落ち込むモノ、そういったモノはすべて“不要品”でいいんです。

二度目のきっかけと処分
複雑な気持ちを整理しながら、人生で最初の不要品の大処分が一段落したところ、今度は家の中の不要品が気になり始めました。
我が家は、数回引っ越しを経験しているんですが、その都度所有していたモノをすべて持ってきました。中には、新しく買い換えたモノもありますが、入れ替わっただけで、モノの所有数が減ったわけではない上に、貰い物や下手に収集したモノが増えていき、最終的には住み辛くなるくらいまで、モノがあふれてきました。

加えて、母が病的なまでに衣類や服飾品を買っていたので、ひと部屋が衣類で埋まり、まともに使えない状態でした。
床にもモノがあふれだした頃、母がそのモノに躓いて大怪我をして入院する羽目に...自業自得です。モノを増やさなければ、起きなかった事故です。
このことをきっかけに、母にモノを減らすよう言いました。モノがありすぎることが原因で、躓いて怪我して入院だなんて、何かのコントか?って話ですから。
この時も、リサイクルショップに通い、ごみを山ほど捨てた結果、使えなかった部屋が使えるようになりました。

遺品整理で湧いた感情
二度の大きなきっかけにより、以降はことあるごとに、不要品を目にしては、家族に許可を得て、リサイクルに持ち込んだり捨てたり、を繰り返しました。
それは、家の中を少しでも広く使って、家族が住みやすくなればよいと思ってのことでした。
しかし、そう思っていたのは私だけで(苦笑)母は、相変わらず無駄に買い物をするし、父は趣味が広く、その趣味に関するモノで自分の部屋を埋めていました。
おまけに、1人暮らしをしていた兄が戻ってきて、1人分の荷物が増えただけでなく、兄も収集癖があり、家の中は元の木阿弥です。
唯一、モノが減った状態をキープできていたのは私の部屋だけ、という状況でしたが、兄が戻ってきた数年後、突然脳梗塞で亡くなったため、遺品を整理する機会がやってきます。

私は、とにかく兄が使っていたモノは、すべて何も考えずに捨てるつもりでいました。現金や大事なカード通帳類や携帯電話以外は、故人を偲ぶほどの思い出の品など何もなく、すべてが無くても困らない“ガラクタ”でしたから。
ですが、ここで戦中生まれの父と母の「もったいない」「まだ使える」が発動してしまい、結局いくつかの兄の所有物が残りました。

兄が亡くなってから数年が経ち、父が病気になり何度目かの入院で病状が急激に悪化し、帰らぬ人となりました。二度目の遺品整理をする機会がやってきたのです。
今度こそは、と不要品をすべて処分するつもりで、遺品整理に取り掛かります。結果、やはり母が「これは私が使う」「もったいない」と言い、全部は処分できませんでしたが、幸い母が残すと言ったモノは小さかったので、そのままにしてあります。
また、父の趣味の一つであった水彩画の作品だけは、思い出の品として残したいと思いましたので、一応保管してあります。

家族二人の死を、冷たく淡々と語っていると思われるでしょうが、遺品を整理していて、次から次へと出てくる不要品を目の前にすると、悲しみとか思い出に浸るなどの感情が、徐々に怒りに変わってくるんですよね。
「何故、こんなモノを買ったんだ?」「汚れたり壊れたりしたモノを、なぜ捨てずに取っておいたんだ?」などなどの怒りです。
そうです、モノに対して負の気持ちが噴き出てくるんです。こうなってしまったら、涙なんか流している場合じゃなくなるのです。
結局、父と兄の所有していたほとんどのモノを、かなりの勢いで処分しました。

現在の状況と将来の計画
20代の頃に始まって、現在も続く不要品の処分は、現在進行中です。
今は大きいものの処分はお休みして、一般ごみで捨てられるものを、毎日探してはごみ袋に入れています。
食器の処分は毎週実行していて、目標は食器棚1個分を空けること。今の調子で行けば、年内には達成できそうです。
魔窟となっている押し入れの整理も、着手しなくてはいけません。今月中には始める予定です。

今後の予定としては、母が着ない服を処分することです。これが一番ハードル高いかもしれません(笑)他のものは、母も「もう好きに捨てていい」と言います。本人も使ってないし、存在を忘れていますからね。
しかし、洋服だけは捨てて良いか確認すると「まだ着れる」「高かったから捨てないで」と言われてしまうので、なかなか減りません。

ただ、服が減るとタンスとチェストが要らなくなるので、その分家の中のスペースが広がるんですよね。万が一、母が自宅介護になった場合は、介護ベッドや介護用品が家の中に入ってきます。その時を想定して、少しでもモノを減らして備えておきたいです。


今回は、これまでの不要品の処分を振り返って、自分がすべきことを再認識できました。
自分が所有しているモノは、たとえ家族であっても、どんなに価値があると思っていても、自分以外の人にとっては不要品になる。不要品が大量にあったら誰でも負の気持ちが湧いてしまう。だから、自分が死んだ後に処分してもらうモノは、最小限にしておかなければ。
そう考えると、まだまだ処分しなくてはならないモノが家中にあふれていて、先はまだまだ長いです(苦笑)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。