私は長い間、正義感に従って生きてきました。
日本で生まれ、教え込まれた「道徳的に正しい」ことを良しとし、
道徳的に正しくないことは「悪」だと信じていたわけです。
これは子供の頃からの私の性質だったようで、
通知表の担任コメント欄に
「とても正義感が強く、規則を守らなかった相手を厳しく追及し説き伏せます」
「もう少し優しさが欲しいものです」
と書かれて母がショックを受けていたのを今でも覚えています
正義が勝ち、悪は滅びる。
悪いことをする人間は、最終的には失敗する。
・・・と多少なりとも誰の心にも刷り込まれているのではないでしょうか。
だから、例えば人を騙したり嘘をついて金儲けをしているような集団は
絶対いつか痛い目に合うはず!と思っていました。
それこそオレオレ詐欺をする集団や
1000円の壼を100万円で売るような組織などは、
一時期はうまく行っても、必ず退治されるはず。
・・・と強く思っていたのですが。
しかし、そもそも「正義」の定義って何でしょう?
判断の絶対的基準にふさわしいと思われる「正義」と「悪」。
裁判だって、この尺度に基づいて行なわれているもの。
でも、正義の定義は、実は非常~に曖昧です。
映画:相棒-劇場版II で官房長の言葉
「正義なんて立ち位置によってどうにでも変わる」
は正に真理だと思います。
人を傷つけたり騙したりするのは悪?
弱い人を助けたり守ったりするのは正義?
かのアインシュタインが「時間も速度も相対的なもの」
と言った相対性理論は、
言葉の定義にも当てはまるんですね。
正義も悪も、全ては相対的に定義されている。
いや、定義している、個々人が。
そう思うと、最近、物事の見方が少し変わってきました。
さすがに犯罪レベルの悪は別枠ですが、
小市民レベルのちょっとした諍い、
「他人を利用して自分だけ美味しい思いをしている人」
「口だけ上手くて何もせず、他人の成果を横取りする人」
「粉飾商売している集団」
などの行く末が気にならなくなったのです。
以前は、そういう「プチ悪」
もいつかは必ず崩壊、失脚すると
信じていました。
崩壊するべき、制裁を受けるのが必至、と。
その信念は、
「崩壊、失脚しないと”おかしい”」
という思考につながり、
「悪なのにまだ滅びないの?!
いつ滅びるの?今でしょ!!
」
というイライラにまで発展
何年か前までの私はそんな人間でしたが(笑)、
最近「それが滅びても滅びなくてもどっちでもいい」
という心境になってきました。
滅びなければ正義、滅びたら悪、
という正義の答え合わせみたいなこと、
私の中ではもう不要になったのでしょう。
滅びても滅びなくても、一瞬でもサスティナブル(のように見える)でも
それが私の正義と悪の判断基準には関係ない。
大事なことは、自分の感じる「正義な方」と良心に従って
日々の生活を重ねていくこと。
「悪は滅びる?!」
という普遍的(?)真理は、
「悪は滅びるかもしれないし、滅びないかもしれないね~(笑)」
に昇華しました。
日本で生まれ、教え込まれた「道徳的に正しい」ことを良しとし、
道徳的に正しくないことは「悪」だと信じていたわけです。
これは子供の頃からの私の性質だったようで、
通知表の担任コメント欄に
「とても正義感が強く、規則を守らなかった相手を厳しく追及し説き伏せます」
「もう少し優しさが欲しいものです」
と書かれて母がショックを受けていたのを今でも覚えています

正義が勝ち、悪は滅びる。
悪いことをする人間は、最終的には失敗する。
・・・と多少なりとも誰の心にも刷り込まれているのではないでしょうか。
だから、例えば人を騙したり嘘をついて金儲けをしているような集団は
絶対いつか痛い目に合うはず!と思っていました。
それこそオレオレ詐欺をする集団や
1000円の壼を100万円で売るような組織などは、
一時期はうまく行っても、必ず退治されるはず。
・・・と強く思っていたのですが。
しかし、そもそも「正義」の定義って何でしょう?
判断の絶対的基準にふさわしいと思われる「正義」と「悪」。
裁判だって、この尺度に基づいて行なわれているもの。
でも、正義の定義は、実は非常~に曖昧です。
映画:相棒-劇場版II で官房長の言葉
「正義なんて立ち位置によってどうにでも変わる」
は正に真理だと思います。
人を傷つけたり騙したりするのは悪?
弱い人を助けたり守ったりするのは正義?
かのアインシュタインが「時間も速度も相対的なもの」

言葉の定義にも当てはまるんですね。
正義も悪も、全ては相対的に定義されている。
いや、定義している、個々人が。
そう思うと、最近、物事の見方が少し変わってきました。
さすがに犯罪レベルの悪は別枠ですが、
小市民レベルのちょっとした諍い、
「他人を利用して自分だけ美味しい思いをしている人」
「口だけ上手くて何もせず、他人の成果を横取りする人」
「粉飾商売している集団」
などの行く末が気にならなくなったのです。
以前は、そういう「プチ悪」

信じていました。
崩壊するべき、制裁を受けるのが必至、と。
その信念は、
「崩壊、失脚しないと”おかしい”」
という思考につながり、
「悪なのにまだ滅びないの?!


というイライラにまで発展

何年か前までの私はそんな人間でしたが(笑)、
最近「それが滅びても滅びなくてもどっちでもいい」

という心境になってきました。
滅びなければ正義、滅びたら悪、
という正義の答え合わせみたいなこと、
私の中ではもう不要になったのでしょう。
滅びても滅びなくても、一瞬でもサスティナブル(のように見える)でも
それが私の正義と悪の判断基準には関係ない。
大事なことは、自分の感じる「正義な方」と良心に従って
日々の生活を重ねていくこと。
「悪は滅びる?!」
という普遍的(?)真理は、
「悪は滅びるかもしれないし、滅びないかもしれないね~(笑)」
に昇華しました。
