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INFINITY

~人生、身軽に♪~
「今」やりたかったことをやりましょう。

悪は滅びる?!

2013-06-20 09:27:47 | awakening
私は長い間、正義感に従って生きてきました。
日本で生まれ、教え込まれた「道徳的に正しい」ことを良しとし、
道徳的に正しくないことは「悪」だと信じていたわけです。

これは子供の頃からの私の性質だったようで、
通知表の担任コメント欄に
「とても正義感が強く、規則を守らなかった相手を厳しく追及し説き伏せます」
「もう少し優しさが欲しいものです」
と書かれて母がショックを受けていたのを今でも覚えています


正義が勝ち、悪は滅びる。

悪いことをする人間は、最終的には失敗する。

・・・と多少なりとも誰の心にも刷り込まれているのではないでしょうか。

だから、例えば人を騙したり嘘をついて金儲けをしているような集団は
絶対いつか痛い目に合うはず!と思っていました。

それこそオレオレ詐欺をする集団や
1000円の壼を100万円で売るような組織などは、
一時期はうまく行っても、必ず退治されるはず。
・・・と強く思っていたのですが。


しかし、そもそも「正義」の定義って何でしょう?
判断の絶対的基準にふさわしいと思われる「正義」と「悪」。
裁判だって、この尺度に基づいて行なわれているもの。

でも、正義の定義は、実は非常~に曖昧です。

映画:相棒-劇場版II で官房長の言葉
「正義なんて立ち位置によってどうにでも変わる」
は正に真理だと思います。


人を傷つけたり騙したりするのは悪?
弱い人を助けたり守ったりするのは正義?

かのアインシュタインが「時間も速度も相対的なもの」と言った相対性理論は、
言葉の定義にも当てはまるんですね。

正義も悪も、全ては相対的に定義されている。
いや、定義している、個々人が。

そう思うと、最近、物事の見方が少し変わってきました。

さすがに犯罪レベルの悪は別枠ですが、
小市民レベルのちょっとした諍い、
「他人を利用して自分だけ美味しい思いをしている人」
「口だけ上手くて何もせず、他人の成果を横取りする人」
「粉飾商売している集団」
などの行く末が気にならなくなったのです。

以前は、そういう「プチ悪」もいつかは必ず崩壊、失脚すると
信じていました。
崩壊するべき、制裁を受けるのが必至、と。
その信念は、
「崩壊、失脚しないと”おかしい”」
という思考につながり、
「悪なのにまだ滅びないの?!いつ滅びるの?今でしょ!!
というイライラにまで発展

何年か前までの私はそんな人間でしたが(笑)、
最近「それが滅びても滅びなくてもどっちでもいい」
という心境になってきました。

滅びなければ正義、滅びたら悪、
という正義の答え合わせみたいなこと、
私の中ではもう不要になったのでしょう。

滅びても滅びなくても、一瞬でもサスティナブル(のように見える)でも
それが私の正義と悪の判断基準には関係ない。

大事なことは、自分の感じる「正義な方」と良心に従って
日々の生活を重ねていくこと。

「悪は滅びる?!」
という普遍的(?)真理は、
「悪は滅びるかもしれないし、滅びないかもしれないね~(笑)」
に昇華しました。



お金のこと

2013-06-19 18:05:47 | awakening
最近、バブル期とは全く別の意味で
「お金」「お金」
と騒いでいるように思います。

バブル期はそれこそ泡のようにブクブク増やすことに関心が集まり、
泡がはじけると自粛→節約ブーム。

そういえば節約アドバイザーでマンションを買ったという独身女性も
いましたよね。

そして最近感じる新たな潮流が
「スピリチュアル de お金を語る」

お金について勉強しよう、
とか
(あ、そういえばロバートキヨサキもブームでしたね。
節約ブームの前に「不労所得」ブームがあったかも)
お金に対する意識を変えよう
という類いの流れ。

私が”発信内容はすごく腑に落ちる(なぜなら老荘思想よりだから)”
はづきさんも「貯めなくたって大丈夫」という、
お金に対する考え方、財布の使い方などの本を最近出版されましたしね。

他の人もブログやメルマガや個人セミナーなどで
「潜在意識でお金の概念を塗りかえよう」
という発信があちこちであります。

スピリチュアル系deお金の共通点は
「お金はエネルギー」
「お金に綺麗も汚いもない」
「お金は無限」(なぜなら宇宙のなんちゃらだから)
といった部分でしょうか。

一理あるとは思いますが、
全てを鵜呑みにはできない私。

それについて語るのはまた別の機会として、
今唯一「お金」についてシンプルに思っていることは
「一度出したものには執着しない」
をポリシーにしています。

日常生活で、ちょっとはありませんか。
買った後で
「うわ~この値段はないわ・・・」
「この値段でこれ~?」

価格 > 品質

なケース。

物に限らず、サービスなど無形のものも。
有形物より無形物ほど、こういうギャップは生じやすいかもしれません。

「なにこのセミナー・・・」
「たったのこんだけ?(これだけ払って)」

10回分まとめて払って、実際に使ったのは6回だったり。

以前は、そういう場合、可能な限り返金してもらっていたのですが、
(というか、返金してもらえる努力をしていた)
今はそういうの、や~めた!
のです。

理由は、
お金って、出し入れするものだから。
人間を通して出たり入ったりするもの。

空気にたとえるなら、
入金は酸素で出金は二酸化炭素。

も少し卑近なたとえでいえば、
入金は食べ物で出金は排出物

このたとえにおける出金を、
可能な範囲で美しく表現するならば、
頑張って活動した結果湧き出る汗や涙だし、
美しくない表現でいえば、オ○ッコやウ○チのようなもの。

自分がこの世の中で精一杯生きているうえで、
活動の結果として出した(支払った)お金。

出した後で「しまった!」「間違った!」と思っても
体の中に戻すのは不自然だと思うのです。

必要以上に出しすぎたり、
出す場所を間違えたな~ってことはあっても、
一度出してしまった二酸化炭素やウ○チをもう一度体の中に入れるのは
やっぱり体に良くないよね

そう思うようになって、
「しまった~!」
と思っても、それ以上執着しない(返金手続きなどに時間を割かない)ようにしています。

間違ったと気づいたら、
次は違うところに出せばいいんだしね。


なうマイブーム・老荘

2013-06-12 20:34:00 | awakening
過ぎ去ったものばかり書いてきたので、
じゃあ「今、キてる」ものは何かを
今日は書こうと思います。
↑この前置き、ややウザ。

ズバリ、老子/荘子。
老荘思想とひとくくりにされることが多いですね。

去年は孔子(論語)なども読んでいましたが、
孔子系の儒教とまた違って、
老荘系の道教的な考えが
今の私にはしっくりくるんだな。

Tao~道~無為自然。

力まず焦らず全てをありのままに受け入れる。

水のようにしなやかに滑らかに。

争わず。

行き着く所は、そこ=Tao なのかもしれないな、と。

老子の思想を汲んだ、加島祥造さんの本が読みやすくて好き。



「べき」はなくてどっちでもいい。
宇宙の流れに乗って動いている。

だから、以前とは捉え方がかなり変わって来た。

そうなると、悩むんだよね。

悪事は働く気がないけれど、
「べき」がないのだとしたら、
「困っている人を助けなきゃ」
とか
「もっと◎◎な(理想の)世の中にしなきゃ」
とかも
どっちでもいい~
というわけで。

そうなると、やるかやらないか、
というか
私、何しよう。

って所に行き着くのであった。




・・・ちなみに、はづき虹映さん(発信されている内容が好きでよく読んでいます)も
中庸とか「どっちでもいいんじゃない」「とらわれない」
をよく語っていらっしゃいますが、
老荘思想をかな~り汲んでいると思います。







変わっていく自分 変わらない自分

2013-06-04 22:06:01 | awakening
ここ数年、ライフスタイルを大きく変えたので、
習慣もかなり変わりました。

何の拍子か、5年くらい前に毎日読んでいた人様のブログを
久~しぶりに覗いてみました。

・・・お、やってるやってる。

変わらぬ調子で、楽しくブログは続いていました。

今読んでも、やっぱり楽しい^^

時が経つのも忘れて、しばし読みふけっていると
誕生日を迎えたその方が、
「年をとってもほとんど去年と何も変わっていないし、
そもそも5年前も10年前とも変わっていない」
と書いていました。

フムフム

私はといえば、5年前とは働き方も興味の対象もかな~り違う

2年前の私と今の私でさえ、大きく違う。

言葉の意味も定義も人生の目的も目標も。
繰り返す日々も世界の捉え方も、
本当~に変わりました。

20年前から変わらぬ「好き」を確かめた部分もあるけれど、
変わるところは想像もできない域に変わっている。

成長して、進化して。

真価がわかってきた部分もある。

脱皮とも言えるかな。


脱皮すると、もう元の殻には戻れないのと同じで、
2年前、5年前の私と同じ殻にはもう入れない。

正解か不正解かはわからないし、
きっとどちらでもないのだと思う。

ただ、これだけの変遷をへて最近思うことは、
未来の自分は想像を越え続けるんだろうなということ。

会社員時代の習慣だった、逆算思考はもうやらない。
何年後の目標を決めて、それから逆算して行動をしていくという方法。

それって、今のレベルの自分の想像の範囲での、今の自分の延長線上。

なんだかとてもちっぽけなことに思える。

人の進化って、現時点の想像を越えるものだよね。
その次元で生きていると。



変わっていく言葉・人間力

2013-05-20 07:34:35 | awakening
ブームが去って行くのと同じように、
私の中で意味が変わって行く言葉がある。

もしかすると、言葉は全てそういう不確実なものかもしれないね

何年か前、「成功」に向けて飛躍するのがマイブームだった(これも過ぎ去った(笑))のですが、その頃に入り浸っていた成功を目指すグループ(いわゆる起業家塾的なもの。”的”っつーのがポイント(爆笑))で「成功=お金を稼げる社長になる」には「人間力」が必要だ!という話になっていました。

さて、人間力とは何ぞや?!
と当時もグループ内で討議をして、その場における答えも出ていました。

その答えは愚かしいのでここには書きません。


今ここで言えることは、その言葉の定義、
「違うなぁ~


人間力とは・・・(今の私の辞書調べ)

どんなときも、心静かにいられること。

自分の心を動かせるのは、自分のみであること。


そこに達した人が「人間力のある人」で、
そこに向かうことが「人間力を鍛える」
ことだと思います


人生、全てが過程。

またこの意見も時が経てば変わるかもしれないし。
変わらないかもしれない。

過ぎ去ったマイブーム・マーフィー

2013-05-19 09:34:22 | awakening
去年はハマってました。

マーフィーの潜在意識。

ザ・シークレット。


でも、私の中ではもう古くなっちゃった。

どこが?

「視点」。


あの理論は一理ある。
引き寄せ、潜在意識、思い描いたことが現実化する。


しかし。
それって「プールの中」にいる。

ひとつ外側の視点、プールの外側の視点を持つようになると・・・
バチャバチャとバタ足をしている自分の姿がわかってきたりして。

プールの中で必死に引き寄せても、結局行き着く先はプールの向こう岸。



もひとつ外側から眺めてみようよ♪

ズームレンズ

2013-03-15 08:18:29 | awakening
マクロにミクロの、
ミクロにマクロの
ヒント というか こたえ があるものだ。

分子の構造を詳しく調べて行くと
そこに宇宙の構造があったりして。

自分一人のことだけ考えても、
ひとつの出来事を少し引いて全体的に見つめて
あれをこれに、それをあれに置換えてみると
同じことだなぁと気づくことがある。

ズームしたり、広角で見たり。
柔軟に視点の倍率を変えられると、
人生また深くなるものですね

スポーツ観戦への欲求

2013-03-12 21:46:37 | awakening
スポーツ観戦が趣味の友達がいた。
野球、サッカーなどを好んでいた。

その友達は女性で、自分がそれらのスポーツをプレイするわけではない。

私はどちらかというと、スポーツは自分がプレイしてナンボ(楽しい!)の性格なので、あるとき友達に聞いてみた。

「見てるだけで楽しい?」

すると友達は、
「大観衆のワーっとなる大歓声の中にいるのが心地よい」
と答えた。

自分も大観衆に混じって、大声を出すのが楽しい、と。

今の私は「個の確立」に興味があるけれど、
彼女のその欲求は、真逆だ。

自分の個を「その他大勢」に溶け込ませる。

一体感?
安心感?

今流行のコミュニティも、それと同義なのかもしれない。

「その他大勢」に溶けちゃうことって、
ある意味の幸せなのかもしれない。

選択肢が多すぎて、むしろ不幸な現代の
悩み多き人間の
安全な幸せの形なのかもしれない。



ノンダイレクト

2013-03-12 17:44:26 | awakening
電車か喫茶店かどこかで耳に入ってきた会話。
「ありがとうの一言もない」
とご立腹。

わかるわかるわかります

このブログの昔の記事で、
外出先でドアを押さえて相手に先を譲ったら、
立て続けに3人が先に通り、
ありがとうの一言もなかったと
私自身も立腹投稿しておりました、ええそういえば

いつも愛犬と散歩に出かけている、お気に入りの場所があります。
うちは典型的な市街地なのですが、
野鳥も多く訪れる自然豊かな気持ちの良い環境です。

会社員時代は時間に追われる毎日で、
(というより、繰り返しのパターンに組み込まれた毎日)
あまりこの環境を楽しめていませんでしたが、
この2年の間に生活も変わり
そのおかげで、あらためてすばらしい環境を堪能できています。

今日出かけた図書館で、
この環境が今こうして「ある」理由を見つけました。

昭和何年だかに、都市整備計画でこの環境にも手が加えられそうになった時。
当時の近隣住民が署名や抗議運動を起こしたそうです。
その結果、この環境には手が加えられずに保存されたという事実。

私が今この豊かな環境を心から楽しめるのは、
その方々の尽力のおかげなのです。

きっとその人達は、自分が心から「残したい」という思いから、
自分達のため(もしくは+未来の人達のため)に頑張ったのだと察します。

でも、それが、何十年後かに知らずにここにやってきた
私のためになっている。

人が何かをしたときに、その影響は見えている範囲だけとは限らない、ってこと。
時間も空間も越えて、何かの誰かの役に立つこともある、ってこと。

ちっぽけな自分の存在や
ちっぽけな自分の行動が、
知らない所で知らない誰かを喜ばせることもある、ってこと。

因果関係は、見えている範疇ではなくて、
もっともっと広~いところで捉えるといいね。


何かを好意でしたときに、
「ありがとう」が返ってこないと
ちょっと寂しく感じるけれど、
ダイレクトな反応だけに意識を傾けるのは
なんだかとっても狭いことだと感じられた
今日のプチ発見でした。