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INFINITY

~人生、身軽に♪~
「今」やりたかったことをやりましょう。

hon

2014-01-11 13:37:54 | 
本とは面白いもので、
グイグイと惹き込まれて一気に最後まで読み上げてしまうものもあれば、
途中でいつの間にか自分の思考(または意識)が飛んでニマニマし、「あ」と気づいた瞬間に本に戻ってくるものもある。

どちらも「面白い本」の特徴。


斜陽

2014-01-11 08:37:22 | 
実のところ、太宰治を読んだのはこれが初めてかもしれない。

特に「読みたい!」と思って買い求めたものではなく、
kindleで偶然入手したので何気なく読んでみたのだけど・・・

圧倒された。

日本語が美しい。

みどり色のさびしさ という言葉にグッと惹き込まれた。

ここでその言葉だけ書いても意味をなさないけれど。


激しい。

深淵を覗き込んでいる。
影も光も見えない深淵。
美しいのか美しくないのかさえ全くわからない。
そんな淵で各々が独自の美学を貫いている。
というより、生き死にの方法が「それしか仕様がない」人間が、
答えなどわかりもしないまま、それを美となす、なしているような錯覚の中で存在しているというか・・・

生きることに対して、あまりにも真面目なのかもしれない。

思わず「退廃的」という言葉を使いそうになるけれど、
本当はそれよりもっと静かで革命的で何か違う暗さがあるというか、、、
それこそ「太宰的」という独特の世界観・情景がある。

文学とはこういうものを指している言葉なのだろう。

圧倒された。
そして
今読めて良かった。

・・・やっぱり私はまだまだ何も知らなすぎる。

ゼロ

2014-01-09 07:35:23 | 
この年末年始、やたらと書店で「ビジネス書第1位」などの目立つ位置に陳列されている
ホリエモンこと堀江貴文の最新刊「ゼロ」。

発行日は2013年10月31日ですが、私の目の前に頻出するようになったのはごく最近のこと。

正直な話、ホリエモンという存在は私の中では「好ましいと思わない」カテゴリーの中に入っていたのでこの本を見かけても何度もスルーしていた。

しかし、、、あまりにも何度も目に入る=アピールが強かったのと、
本の装丁(白に黒いタイトル文字だけのシンプルなデザイン、帯には白いワイシャツとネクタイ姿のホリエモンの写真)が許容範囲だったので手に取ってみた。

実際に読んでみると、私のような人間でも最後まで気持ちよく読めた。
作者の狙いどおりか。

つまるところ、収監(というより一連の出来事)前後で、根本的な思想は一貫している(変化なし)が、対人関係の姿勢は大きく変化したVerX.Xホリエモンをヨロピクというメッセージ。

全て無くなってもマイナスではなくゼロになるだけ。
ゼロに小さなイチを足して行くのみ。

とかく、「楽をして金持ちに」「簡単に成功できるコツ」などを探したがるネット質問世代
には有意義なメッセージもアリ。
そういう意味で、ビジネス書といえばビジネス書なのだろうけど、メインは自身の半生語りだろう。

一昨年あたりは、私も「各自の人生ストーリー語り」に大いに興味があって、そこから学べると本気で思っていた時期もあったけれど、それはエゴのから騒ぎだと気づいてから一気に覚めた。
人生の切り売り、過去のストーリー語りはエゴにはガンガンに響くものだけれどもね。


ちなみに、この本はプロジェクトチームで制作されており、どこまでが現在の堀江氏のありのままの姿なのかは正確にはわからない。

試しに他の雑誌やメディアに出ている対談文章などを読んでみたが、口調やら語る内容やら、やはり以前と同じ匂いが漂っている=好みではない(笑)。

それにしても、それも含めて、人間(彼に限らずすべて)の存在とはオモシロくてせつなくて滑稽で愛らしいものだなと、そんな気持ちになる一冊だった。

kindle祭り

2014-01-06 14:36:26 | 
年末年始で生活リズムも日常と違って図書館もお休みだし、
私自身、微妙に風邪をひいたりもして家に籠りがちな今日この頃。

ここにきて俄然注目なのが kindle です。

専用の端末など持ち合わせていませんが、
iPhoneで読めるという最大のポイントが効いています。


あれこれとAmazonで物色してポチるだけで
すぐにマイ・iPhoneでブツが読める!

便利すぎてたまりません。

本屋で視界に入ってきた本と出会うのも楽しいけれど、
寒いこの季節、kindleもいいね

これからどう生きるか

2014-01-05 21:14:00 | 
2014年の初詣~ならぬ初本屋。

「これからどう生きるか」というタイトルが目に留まった。

今の私の興味はこの言葉に集約されている気がした。


本田健の最新刊。
以前なら購入していたけれど、
「自分で考えればいいこと」
だと思って手に取った本をもとに戻した。



「これからどう生きるか」という問いに続いて
どういう話が展開するか。

それこそ、その人の人間開発度が浮き彫りになるところ。

話が合うか合わないかも
この問い一つですぐにわかるね。



善は数値化できない

2013-12-24 13:50:23 | 
数値で動いている世の中だけれど、
忘れてはならないこと。

数値が神話化し、幻想が生まれる。

そしてそれが絶望につながる。

善は数値化できない。



「リーダーシップとは、人々に愛情を注ぐ行動の中になんとかしてとどまる能力」

自分の成果を喜ぶこと。
どこかで行なった善い事を祝う事。
ひとりの子供の瞳に灯をともしたこと。
誰かが立ち直れるように手を貸したこと。
小さな善を行なえた事を嬉しく思うこと。

「リーダーシップ白熱教室」より
ハーバード ケネディスクール教授
ロナルド・ハイフェッツ

============================
うん。
響いた。
しっかりと。

「善く生きたい」
というのは人の根源的な欲求。
それはソクラテスの時代からの自明の理。


「ビッグになりたい」
「でっかいことがしたい」
「おっきな夢を叶えたい」

ビッグマウスでチンケな自分にならないように。



今年の最後に読んだ本が
「君自身に還れ 知と信を巡る対話」
というのも、自分の2013年を表していて
妙にピッタリとはまった感がある。


無執着という執着

2013-11-24 10:21:33 | 
クリシュナムルティの「生と目醒めのコメンタリー」読書中。

300ページを超える本ですが、クリシュナムルティの本の中では
割と読みやすいタイプです。


真実を求めて悟りを得る為に「執着を捨て去る」という執着の存在について、思い当たるフシさまざまあり。


「私、執着ないから」
とやりかけたことを人に押し付けて途中で投げ出すレベル(いたんだよね~そういうの)はこの論外ですが、
内面的or外面的に何かであろうとする果てしない願望に駆られて、世の中を捨て去るのも(捨て去り自慢)のも物欲・蓄積主義と同じ次元の極。。。

**** 「生と目醒めのコメンタリー」P50心の単純さ より ****
真実は、無執着によって到達されるものではない
それはいかなる手段によっても到達されえないのである
すべての手段と目的は一種の執着であり、そしてそれらは、真実があるためには消えてなくならねばならない。
*****


pay forward

2013-11-11 07:20:57 | 
昨日は予定もなく、雨のお天気だったこともあり
久しぶりに家でのんびり読書をして過ごしました。

10月はスケジュールが満杯で何かと外出していたのでね。

乾いた土に水がぐんぐんしみ込んで行くように
久しぶりにゆっくりできるまとめ読みタイムで読書がはかどりました。
昨日の午後だけで6冊


あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密
これもわかりやすい自己啓発本なのだけど、
「Win-Win は勝ち負けを隠す方便。相手になにかしてやったら、お返しを欲しがる」
というWin-Winの浅ましさの指摘に共感。

結局、Win-Winって損得を計算した上での話。
点取りゲームのルールをちょっといじっただけ。
だから浅ましく感じるんだな~。

この本では、そういう損得の「点数をつけないこと」を説いてあったけど、賛成


やっぱりPay forwardだよね。
スピ系や哲学本を読んでいなかった10年前でも深く心に響いた映画。
善意をうけたらその人に返すのではく、第三者に伝播していく。
それが広い意味での悟りなんだろうな~。


だから、
「私のこの発信で感銘を受けた人は、代わりにこれ(お金クレ、応援クレ、など)してちょうだい」
という見返り要求型は
結局、開けてないんじゃないでしょうか。

瞑想 meditation

2013-11-10 21:41:14 | 
瞑想がいい、瞑想をしなさい 
と多くの発信者が
それぞれのポリシーや手段を語っている。

黙想したり
息をスーハーして呼吸を見つめてみたり
私もいろいろ試してみた。

悟りたくて。

でもな~んか違うと違和感があった。

どういう違和感か上手く表現できないけれど、
お勧めされている方法を試しても
途中で飽きちゃったり
眠ってしまったり。

スピ系のセミナーをしている人も、セミナー始める前に精神集中するからと一人で瞑想をしていたけれど、その後、バンバン手を叩いて「悪い気を追い出しています」ってキツい顔して部屋中を動き回りだしたときに、言いようのない不快感を覚えたことがある。
(それはエゴの大騒ぎだったから、と今となって思う)

で、私が思う瞑想についての真実が書かれている本。
瞑想

お勧め。

クリシュナムルティ。

meditationという言葉は、実は1980年代から身近にあった(当時好きだった杏里のアルバムのタイトルで覚えた)けれど、今になってようやく真の意図に近づけた気がする。

本を買え

2013-10-19 22:40:58 | 
本を書いている人はそう言う。
本は買うからこそ意味があるとか
できる人は文庫化されるまでの時間を無駄にせずにまっさきに買うとか。

そんなことを言っているのは
最近の商業出版の著者たち。

本当に伝えたいことのある人
商品ではなく作品を作っている人は
そんなこと
誰も書いてない。

自同律の不快

2013-10-03 07:35:17 | 
難読の死霊(埴谷雄高)。
少しずつ読み進め、今3章の途中あたり。
この山(本)はまだまだ時間がかかりそう。。。

超スピ、ありのまま派、すべてはひとつの禅 etc...
興味があって探索しているけれど、
「そういえば何で楽になりたいんだっけ」

そういう精神や哲学の世界に足を踏み入れるのは
もっと楽に生きたい、もっと苦から逃れたいという願望が根底にあるような気がする。

But...
そもそも存在が「完璧であることに退屈したワンネスが作りだしたゲーム」であるのなら、根本からその願望ズレてることになる。

って気づいた瞬間、笑ってしまった。
あらら~

人がいいからつけ込まれる?

2013-09-24 06:55:22 | 
自分は人がいいから、すぐ人に騙される/利用される。

そのように語る人に一度ならず会ったことがある。

否定もせず話を聞いていたけれど、
この本をプレゼントして差し上げたい。

アレンの言葉366日
1日1ページでアレンの言葉が書かれているが、
September22 には
「誘惑とは、すべてあなたのなかから起きたものです」とある。

人が持つ妄想には2種類あり
1。誘惑が全て外部からやってくる
2。善良さにつけ込まれて誘惑される
これらはアレンに言わせれば「妄想」であり、ここに束縛されている限り、人は進歩することはないでしょう、と。

「全ての誘惑の根源は、自分のなかに潜んでいる欲望です」

その通りだと思います。




いまここ

2013-09-13 10:11:38 | 
一瞬で幸せになる方法
「いまここ」というフレーズ、2年くらい前に私のまわりにやってきて、
ずっと気にはなっているけれど腑に落ち切っていないもののひとつ。

この本で、「いまここ」の意味がしっかり捉えられた気がします。

「いま、いま、いま」ってこの瞬間的な今をがむしゃらに追いかけるということではなく、もっと静かにすべての出来事をあるがままに受け入れ見つめる状態
なのだそう。

そこなんだよね~、今の私が探究しているテーマは。

「執着を捨てました!」って宣言している人はまだ執着しているというくだりも
私が前にこのブログに書いた内容とおんなじことだな~と共感。

謙虚なフリをした尊大な師の精巧に研ぎすまされた自我
とかね、
わかるわかる~

納得の1冊。

2013-2nd シーヨックDJ121-FTGFOP1 Muscatel

2013-09-11 10:31:55 | 
9月になり、朝晩はすっかり秋の気配。
とても過ごしやすくて心地よい~

こんな時期は、紅茶も美味しくてついついたくさん飲んでしまいます。

極上のダージリンセカンドフラッシュ。


こちらはG-clefのイチオシ。
ネットで事前にキャッチしていた絶賛情報に寸分違わぬ逸品です。

前回紹介したタルボのムーンライトは後味の良い上品な香りタイプでしたが、
こちらのシーヨックはダージリン・セカンドの王道を行く仕上がり。

タルボが助演女優賞タイプなら、こちらは主演女優賞タイプ。

味も香りも王道のど真ん中を突き進んでいます。
潔い存在感が「女王様~!」とひれ伏すに値します。

この紅茶を飲む時は、他に何もいりません。
クッキーもチョコも絶対いらない
この紅茶だけ、しっかりじっくり時間をかけて飲むのが一番。

ど真ん中のダージリンセカンドフラッシュ。

これだけで十分なのです。


与える喜び~真の意味~

2013-09-08 10:58:17 | 
この本から学ぶものは多いけれど、
ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
「与える」ことの真の意味も理解できた気がします。

与えるという言葉自体、別の意図を感じることもあって
(持てるものが持たざるものに「施して」「やって」いるという類いの意味)
あまり好きではないけれど、
「見返りを期待せず、純粋に善意から相手に何かを差し上げる」
を指す言葉として「与える」という言葉を捉えるとする。

与える方が幸せだとか
与える喜びだとか
そういう表現をこれまでに見て来たけれど
その真の意味は
「与えても与えても本当の自分は損なわれることがない。
それを確認できるたびに自分の本質を感じ、
喜びや幸せを感じることができる。」
ということだと、、、読んでいて感じた。

与えるにはもらって下さる相手が必要。
その相手のおかげで自分は「与える」という行為を通じて
究極の真実につながり、感じ、確認できるという幸せがある。

こう文章にしてしまうと、どこかでエゴが顔をのぞかせているようにも見えるけれど、
これが今の私が言葉で表現できる限界です。


「与えるのが先」
「損して得とれ」
なんて言う人達は、真実は見えていないのではないかしら。

自分のエゴを増強するために、与えるという行為を利用する人もいる。


でもその行為は、
本当は真実に触れる絶好のチャンスだったりする。