禅的な思想では、究極「無」にたどり着くために、
思考(マインド)を捨てて悟りを開けという流れ。
曲解すると、「思考が悪」のようになり、
な~んも考えない至上主義=感性バカに流れていく。
確かに、「幸せに生きるのに不要な思考」はある。
過去への不満、未来への不安。
もう「ない」のに、思考により生じる恐れ。
だから、「思考を捨てよ」には一理あると思うけれど、
行き過ぎた感性至上主義のグループには薄ら寒いものを感じてしまう。
波動がどうのこうの、地球のエネルギーを感じて・・・
んでもって、波動が合わないとすぐに体調が悪くおなりになる。
だから大事なヒーリング。お仲間同士でヒーリング。
口では「幸せ」といいながら、なんだかすっごく生きづらそう・・・
って私が傍から勝手に思っているだけだから、余計なお世話だろうけれど。
とにもかくにも、
不要な思考にとらわれるのは得策でないと感じつつ、全ての思考を自分から排除するのもなんだか違うと感じていたお年頃。
そんな私にズキューンと来たのが、池田晶子なのである。
池田氏は、徹底的な思考でいわゆる「無」「空」に辿りついた人。
故人だしお会いしたこともないけれど、読めば明らかに「あちら側が見えている」のが伝わってくる文章。
宗教の教祖的に、何かの論(私が見た真理とか)を掲げるでもなく、
学問的に哲学史を解説するわけでもない。
この人の取り上げるテーマは、
そう、そこそこ、それよ~!
っと自分の中にモヤっと籠っていた
潜在的な疑問が白日の下にさらされる感じ。
「かゆいところに手が届く」
というより
「かゆいところを指し示される」
「かゆいところが明確になる」
という感じ。
だからといって、掻いてはくれないのだけど、
どこが痒いか自覚することで、
それを掻くか放置するかかゆみを感じないようにするかは自分次第。
面白いわよ~。
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