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耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

今日は良い日だ

2010年05月28日 14時29分55秒 | 都会の風景
今日は良い日だ。
朝から五月晴れで、気持のよい初夏の風が吹いている。
今日は週に一回の平日の休日である。みんなが働いているのに、
こんなに気持ちの良い日にゆっくりできるのは有りがたい。

家の中に居ると少しひんやりとするが、外はもう夏の日差しだ。
いくら天気が良くても、仕事で拘束されていては意味が無いし、
リタイアして毎日が日曜日の身分なら、毎日遊びに行くわけにも
いかないから、そんなに嬉しくもない。

今日は、カミサンは近くのおばさん連中と谷津遊園にバラを見に
行っている。従って、私は一日中フリー。誰にも邪魔されずに自
分の好きなことを好きなようにできる。以前からやりたいと思っ
ていた写真の整理があるし、プレゼン資料のとりまとめにもまと
まった時間をかけたい。まずは、ハイドンでもかけることから始
めるか。

 このところ、練習不足で初歩的なミスばかりしているので、カ
ミサンが出掛けたら、近くの打ちっ放しで、練習して来よう。そ
の後は、老人福祉会館で風呂だ。

 昼は、カミサンがゆうべのカレーを温めて食えるよう用意して
行った。どちらもあるか、どちらも無いか、だが、今日はカミサ
ンが居なくて昼飯がある。こんな恵まれた環境が考えられるだろ
うか。

 今日は良い日だ。
 こんないゆったりした気分になるのは久し振りだ。 あまり気
持ちが良いから昼寝でもするか。
 久し振りに老人福祉会館の風呂に行ったら、タオルを持ってい
くのを忘れた。体を動かした後、日差しを浴びながら大きな湯船
で手足を伸ばすのは気分が良い。おもわず欠伸が出てしまう。

 4歳の孫が、英語の歌を歌ったと、娘からメールが来た。厚木
基地の近くに住んでいるので、幼稚園にも青い目の子供がたくさ
ん来てるみたいだ。最近は浦安も国際化が進み、中国語・韓国
語・インドネシア語・イタリア語その他雑多な言葉が飛び交って
いる。
自分が果たせなかった見果てぬ夢を、子供に託そうと言うアホ
な親だ。私にはそのチャンスが無かった、と返事を出しておいた。
しかし、この孫のIT機器操作能力には驚かされる。ひらがなと
わずかなカタカナしか読めないはずなのに、キーボードやマウス
を楽々と操作するし、ゲーム機のボタンに至っては、大人共より
はるかに上手に使いこなしている。一体どんな人間に育つのだ
ろう。

 今日は良い日だ、と思っていたら少し雲が出てきた。
何かをするなら、早くしないとうるさい奴が帰ってくる。

 ああ大変だ、忙しい!

花の雪

2010年04月18日 17時43分35秒 | 都会の風景
 今年は雪についている。
ワシントンは200年に一度の大雪だったし、3月の青森出張では岩木山麓の雪の回
廊をドライブした。
4月16日の山中湖のゴルフは、まさかこの時期に雪など思いもしなかったが、御殿
場ICを降りてひょいと見ると、山は真っ白だった。幹事に電話すると、ゴルフ場は
クローズだが、宴会は予定通りなので集まれ、と言う。篭坂峠に向けて山道を登る
につれて雪が激しくなり、泣きたくなる気分で走って行った。
 折角だから、花に降る雪を見ていこうと思い、富士霊園に回った。桜の名所もさす
がに森閑としていたが、物好きは居るもので、カメラを抱えて雪の中を歩き回ってい
る人が何人か見られた。

                     花の雪しとど重たくやわらかく 蛙蝉



 車が通る道は雪が無いが、ゴルフ状に入る脇道は雪がシャーベット状で、いかにも
滑りそうだった。随分前に蓼科でスリップした時のことを思い出した。あの時はブレー
キを踏んだ瞬間に横滑りして、法面に突っ込んだ。今回ためしにシャーベットの上でブ
レーキを踏んでみたら、ガリガリと音がしてブレーキがロックされた。ABS(アンチロック・
ブレーキ・システム)が効いているのだ。車も随分進化している。



 みんなで打ちっ放しで2時間憂さ晴らしして、温泉入って、宴会だ。



久しぶりの甲子園

2010年04月08日 22時10分21秒 | 都会の風景
大阪での仕事の後、コテコテの虎キチの八尾のオッチャンが甲子園に連れて行って
くれた。豊中の万博跡は桜が満開で太陽の塔も輝いていた。

 久し振りの甲子園は、改装なってこれまた光輝いていたが、相変わらず開戦前から
熱狂に包まれていた。
 前回の甲子園見参ではダイエーの地下で弁当を仕入れて乗り込んだが、今回は
そのダイエーの駐車場に停めて、外野席のすぐ外にある、いろは食堂でビールとヤキ
メシで腹拵え。連れて行ってくれた八尾のオッッチャンは、心は既に外野席に飛んで
いて、ヤキメシ食うの早いこと、ソースぶっかけて匙で掻き込んでいた。

 座席は外野席ライト中段で、切符売り場に並べば1900円だが全て指定席なので
良い席は手に入らず、チケット屋で調達してくれたとか。通路の直下で背もたれがあ
ってとても見やすい席だった。良い場面で興奮して立ち上がっても後ろを気にするこ
ともない(どこを見ても気にしているような人は居なかったが)。
 八尾のオッッチャンは、いつもは真面目なサラリーマンだが、野球の話になると目
の色が変わり、別人に変身する。車のトランクには4-5人分の応援グッズが用意
されていて、私は背番号6、いわずと知れた金本の縦縞のユニホームを貸してもら
い、虎一族に変身した。

 甲子園は外野席といえども指定席で、芝生に寝っ転がって観戦、なんてことはで
きない。しかも多くの座席にはオーナーの名前が刻印されている。ライト側の年間
指定を確保するためには、まずレフト側で2-3年修業して実績を積む必要がある
とか。右翼外野席は甲子園の中心であり、タイガース応援の原点である。

 能見が好投して序盤は淡々と進んだが、4回表何でもないセカンドゴロを平野が
1塁に悪送球し、やらずもがなの2点を献上してしまった。さあ、ライトスタンドは大
騒ぎ。ドアホ、マヌケ、早よシネ、甲子園の虎ファンは一瞬にして罵倒する側に回
ってしまう。
 しかし今日のタイガースはいつもと違っていた。新井の2ランで追い付き、アニキ
の長嶋に並ぶ444本目の決勝2ランで突き放す。最後はお定まりの球児だ。チョ
ッとひやひやさせられたが、興奮しまくりの試合だった。



 狂信的虎ファンの真ん中で、にっくきジャイアンツをやっつける試合を見たのだか
ら、応えられない。7回裏が始まる前に風船を膨らませようとしたら、大声を出し続
けたせいか咳き込んで頬に力が入らず、焦れば焦るほど膨らまない。やっと一個
だけ、半分ほど膨らませてファンファーレに間に合わせることが出来た。

 年は取りたくないものだ。


孫の春休み

2010年04月04日 11時34分17秒 | 都会の風景
 生意気に幼稚園にも春休みがあるようで、娘が孫たちを連れて里帰りしてきた。
久し振りに狭い家の中で、二人の幼児を追い掛け回すのに疲れたらしい。最近の
親たちはひ弱だ。

 毎朝会社に出掛けるときにはみんなで見送ってくれるが、孫曰く、「おじいちゃん
どこいくの?ゴルフ?」
そんなに毎日遊んでいるわけではないわい!

 子供たちのIT環境への順応能力には驚かされる。4歳の子はWiiの飛行機を
いとも容易に乗りこなしてアクロバチックな飛行をするし、スーパーマリオの複雑
な操作を軽々とこなす。少なくとも私よりはるかにウマイ。2歳の子に至っては、
画面の文字が判別できるはずはないのに、カーソルの位置と押すべきボタンを覚
えていて、チャンババ(ちゃんばらのこと)に熱中している。まだオムツもとれていな
いくせに。


 
 一方、空間認識能力はまだまだのようで、我が家の中庭に連れて行っても、しょ
っちゅう迷子になって泣いている。面倒くさくなって目を離す私が悪いのだが。

青森

2010年03月22日 09時06分03秒 | 都会の風景
 ひょんなことで、青森に行って来た。

 青森なんて、新幹線で2-3時間で行けると思ったらとんでもない、飛行機で
往復することになった。
 いつも思うけど、東北の人達は純朴で親切で、良い人達ばかりだ。前の会社で
田沢湖の発電所の仕事をした時も県の職員の方が良い人達で、裏山で取れた
ネマガリダケの缶詰だとか、家で作った蜂蜜だ、とか行くたびにお土産を貰って
いた。兼好法師も、「良き友は物くるる友」と言っているではないか。

 BigSightの展示会で、私が説明を担当した商品に注目した人がいて、サンプル
を青森の展示会に貸し出して欲しいとの、申し出を受けた。初対面でもあり少々
胡散臭いかな、とは思ったが思い切って展示してもらうことにした。しかも説明員
が要るだろうから、私も行く、ということにして。

 折から当社の幹部社員向けの研修会の席上で、講師の先生に社長がその話
をしたら、その会社は私が名付け親だ、ということになって、お互いびっくりしたな
あ、と言いながらの青森行きになった。

 青森は好天で、道路は完全に除雪されていたが、道の両脇には2mほどにも雪
が残っていて、頬を刺す風は冷たかった。



 展示会の人出は少なかったが、先生からの電話の御利益もあって昼夜の歓待
を受け、最後はお岩木山の山麓まで、雪のりんご畑の中をドライブして蕎麦を御馳
走になった。



手打ちの天麩羅蕎麦は香りも歯ごたえも好く絶品だったが、その蕎麦屋の佇まいが
ユニークだった。写真を見た頂きたい。




これでは市内では建築確認も保険所の認可も無理だろうと、言っていたが、岩木
山の雪の中で競争相手が居ないから、黙認なのだろうか。

ひったくり その後

2010年03月22日 00時11分12秒 | 都会の風景
 その時は必死になって追いかけた。自分でもびっくりする程の大きな声を出して、
全力疾走した。次の日は緊張したせいか何ともなかったが、その次の日には足は
ガクガクするし、声はガラガラに嗄れてしまって、もうヨレヨレだった。

 なんでそんなに向きになったか、考えてみた。元来ケチンボで少しでも損するの
は嫌な性分だが、それほど値打ちがあるものが入っていた訳でもないから、それ
だけでは無さそうだ。
 色々考えて分かったことは「人に馬鹿にされるのが許せない」という性格のせい
ではないかということだった。元々、冗談でも「馬鹿だ」と言われることが嫌いで、
褒められると有頂天になるくせに、貶されると極端に気分を害するきらいがあった。
しかし今回、あれだけ必死になって追いかけたのは、あの若者が私を弱者とみな
した、どうせこんな年寄りは走れやしないと多寡を括った、つまり馬鹿にされた、と
感じて瞬間的に反発しようとした、というのが深層心理ではなかったかと思う。何
とも業の深い男であることよ。

 業が深いと言えば、タイタイ病だ。盗難を含む団地保険に入っていたので、被害
の申請を任せたが、保障金額が決まる前から、カメラを買う!と張り切って、池袋
の電気街まで連れて行かれてしまった。そしてヤマダとビックを競り合わせてとう
とう買ってしまった。ついでに掃除機が古くなったからとそれまでも。

 団地の理事会も動いた。監視カメラの映像は個人情報保護の観点から、理事長
とセキュリティ担当理事の立会いの下でないと見せない、と犯行時点での警察の
閲覧要求を拒否したくせに、当事者である私に無断で掲示板に写真を貼り出して
いた。警戒を呼び掛けるために掲示することは歓迎するが、私の立場はどうなる
んだろうか?

ひったくりに遭った

2010年03月07日 16時43分06秒 | 都会の風景
 よもやと思ったが、昨夜ひったくりに遭った。それも自宅マンションのエレベータ
ホールで。

 アメリカからのお客さんを接待して、23:30頃帰り付いた。郵便受けで新聞を取り
出して、エレベータに乗ろうとしたその瞬間、手に持っていた鞄を後ろからもぎ取ら
れた。若い男が走って逃げたので慌てて追いかけたが、100mほど追いかけたとこ
ろで、息が切れて逃がしてしまった。すぐ携帯から110番したら、ミニパト2台と数人
の警官が駆けつけてきた。それから、現場検分と遺留品探しで1時間、最寄りの
交番で被害届の書類作成に1時間。ダッシュで若い男を追いかけたので足はガク
ガクになったが大声を上げながらあれだけ走れたんだから、我ながらビックリ、お巡
りさんも、何か運動されてますか?と呆れていた。

 鞄にはカメラと財布が入っていた。クレジットカードはすぐ電話して止めてもらった
が、カメラの中に貴重な映像が入っていて、それを失ったのが極めて遺憾である。
 1日明けて、近くの住民の皆さんにも注意してもらった方がいいと思い管理組合
に電話したら、警察官が来て一緒にカンシカメラの映像を確認中とのことだったの
で、一緒に見せてもらった。
 すると、あまり鮮明ではないが私と犯人の映像が映っており、昨夜現場検分で
説明した方向と、逆方向に走っている。完全に私の勘違いであった。とっさのこと
で頭に血が上り猛ダッシュしたから、記憶が曖昧になっていたみたい。人の記憶
の好い加減さを思い知らされた。

 頭にきて火事場の馬鹿力を出して走ってしまったが、追いつかなくて良かった
ですね、向こうは必死だから何をされるか判らなかったですよ、と言われ、考えて
みれば向こう見ずだったなと反省している。

 みなさん、慣れた道・場所でも人通りが少ない時は気を付けましょう!

 なんとも殺伐とした世の中になったもんだ。情けないねえ。

おみやげ

2010年02月28日 21時49分26秒 | 都会の風景
 1週間ぶりに日本に帰って来た。
家に着いたら情熱的な抱擁が待っているとは思わなかったが、待っていたのは、
「おみやげは?」の一言。小心者の私は、それだけでどぎまぎして、「一生懸命
探したんだけど、買い物の時間が殆ど取れなくて、買えなかったんだ」というの
が精いっぱい。「何言ってんのよ、あれが買えなければ、お菓子でも何でも買っ
て来れば良いじゃないの!」とけんもほろろ。
 買って来れば来たで、こんなものどこでも売ってる、とかなんとか言って罵倒
されるのが落ちなのは分かっているので、行く前にリクエストを確認して、「エコ
バッグ」というコジャレタ買い物袋を人数分買ってこい、と言われていたのだ。
連れのみんなも心配してくれて一緒になって探してくれたが、夜中の土産物屋
や空港内の免税売店では売ってなかった。

 ANAのカウンターでは、あそこの売店は見たか、DFSはどうだ、と探し回って
くれた挙句に、ANAの紙袋を2重にして、これでどうですか、と持ってきてまで
くれた。そこら辺がアメリカのサービスと違うところだ。空港職員などは、荷物の
確認をするのを自分らの特権とでも思っているのか、顎で指図しやがる。国内
での、恐れ入りますが、という態度はついぞ見かけない。と、これは閑話休題。

 そこで、会社の女性職員にお詫びを。そんな事情で今回は、お土産はありま
せん。どうぞ、御容赦ください。
                              恐惶謹言

機内食 その2

2010年02月28日 15時33分09秒 | 都会の風景
 帰りは、どういうわけか無料でビジネスクラスに格上げになった。
 座席は広いしリクライニングは電動でほぼ水平まで広がるし、何より美人のおねえ
さんの丁寧な対応が嬉しい。
 離陸したらすぐ飲み物を聞きに来たので、シャンペンを頼んだ。プラスチックの検尿
カップではなく、ちゃんとガラスの足つきグラスである。食事は和食か洋食。岩ジイは
洋食を頼んでいたが、私はもちろん和食。飲み物は日本酒の地酒。100cc入りのミニ
酒びんと、ちゃんとしたガラスのシャンペングラスがうやうやしく運ばれてきた。
 そもそもアメリカの機内サービスは、客をもてなす/満足感を与える、という精神がな
い。おざなりにやっているだけで心がこもっていないから、哀れな客がオーダーを理解
できないなら、鼻でせせら笑って愚かな客を無視する。これも民族性だろうか。
 ロスのANAカウンターでは、ちょっとした問合せにも大勢が飛び回って対応してくれ
た。だから採算が悪くなるのかもしれないが。

 朝3時に起きて、空港での発券トラブルもあって6時過ぎに乗り込むまでは食事の余
裕はなかった。ロスまでの4時間のフライトでも食事のサービスはなく、コーヒー1杯飲
んだだけだった。ロスではビジネス用のロビーが使えたが、30分しか時間がなかった
ので小さなサンドイッチ2切れと、バドワイザーを1缶だけ。12時近くになってやっと、
まともな食事にありついた。
 
 ビジネスクラスの食事は、こんなに差別するか、と思うほど違う。
まず洗いおろしのテーブルクロスが来た。器は使い捨てのプラスチックではなく白い
磁器である。献立は、多分エコノミーより内容が上なんだろうが、私には良く分らない。
しかし、雰囲気と食器と給仕をしてくれる人によって、へそ曲がりの私でさえこんなに
も満足感が充足されるものだとは、驚きであった。



 ほぼフラットに伸びる座席でひと眠りした後、着陸前には温かいうどんを注文した。
脂っこいスパイシーな濃い味付けに辟易していたので、やっとこれで日本に帰れると
いうことを実感できた。

 なんだかんだ言いながら、矢張り古い人間なんだねえ、俺は。

セキュリティ

2010年02月28日 15時31分12秒 | 都会の風景
 ニューオリンズでのチェックインで、問題発生。

 セルフサービスの発券端末機はユウチャンの担当で、今回の旅行でも何回も操作
して慣れているはずだった。今回はちょっと複雑な応用問題で、ニューオリンズから
ロスエンジェルス、ロスで成田行きに乗り換えるのだが、この操作はうまくいった。
ところが4人分の印字をする段階でプリンターがジャムッた。前に操作した人のチケ
ットが引っ掛かったままになっていていたのだ。やむを得ず、隣の発券機で再操作
したら、ロス行きの最後の1枚が引っ掛かり又エラー。何とかこれを取り出したが、
成田行きが出てこない。端末機には英語で、係員に電話しろと出ている。日本語
混じりのタドタドしい英語で、ユウチャンが電話で訴えるが、通じなかったのか誰も
来てくれない。近くの係員に言っても、担当外のことには対応しないで、ただ列に並
べ、としか言わない。

 やっと、鍵を持った黒人のおやじを捕まえて、切々と状況を話したら、成田行きは
ロスでGETしろという。そのうち、哀れを感じたのか荷物受け付けのカウンターを
開けてくれて、預ける荷物の札を発行してくれた。思わずサンキューベリマッチ!と
最大限の謝辞を述べたが、ここはいい加減な対応を怒るべき場面であることに気が
付き、それを表現できない自分が歯がゆかった。
 つぎは預けるカバンのチェック。カバンを境界線の内側に置け、と言われた岩ジイ
は手に持ったままテープの下をくぐろうとして、制服を着た黒人のネエチャンにエラ
イ剣幕で怒られていた。
 かばんは透視の結果がPCの画面に映されて、人の目でチェックしていた。私の
バッグはなんと開けられる羽目になったが、ほんの申し訳程度に一番上だけ触って
すぐOKになった。
 このバッグは、出発前に急遽購入したファスナー式で、ファスナーの取っ手を固定
して3桁のPWでロックする方式で、勿論STAロック付きだ。係官はSTAキーでロッ
クを開けて、中身をチェックした後ファスナーは閉めたが、ロックをしなかった。
 成田で、返してくれるまでにどうなる事かと心配したが、なんとか無事だった。
 国際便で預けるトランクは、ファスナー式は止めた方がいいかも。

NRCA

2010年02月28日 15時07分26秒 | 都会の風景
 展示会はホテルのすぐ近くの会場。今ジイが事前登録してくれているはずだったが、
どこで間違えたか、受付で各自が申込書を書くことになった。入場料35$だけは私が
払う、と今ジイが息巻いていたのに結局各自で払うことに。会場に入るだけで大騒ぎ。

 会場はまだ混雑していなくて、ゆっくり見ることができた。C社の小間はほぼ中央の
良いところで、国内では見たことがないカタログやサンプルが数多くあり、しかも取り
放題。やはり展示会の効果だ。
 会ったことがない技術者も来ていて、風の影響やPVシートの話を聞くことができ、
E-mailでの問合わせの約束も取り付けることができた。



 昼食はロボさんのおごりでシーフード。まず生かき、焼きカキ、次にロブスター、
タラバ、ズワイ、海老、貝、とうもろこし、ジャガイモの盛り合わせ。まあその量の多い
こと、日本の常識のほぼ3倍以上はある。しかも全て、バーベキューのような濃い味
付けで、スパイスがきつい。カニやエビが、である。素材の生の味を大切にするという
考え方はしないようだ。1時間以上かけて彼らはばりばり食べ、更にデザートに格別に
甘いケーキを食べていた。これじゃ戦争に負けて当り前であろう。



 その後は店を変えて、納入実績の写真をノートPCで延々と見せられた。今ジイは
我々のことは完全に無視して、本社のえらいさんにタケチャンを取り持つことにより、
自分の存在価値をアッピールすることに専念。挙句の果てに自分のワインをひっくり
返して私のPCと手帳をびしょ濡れにしたのに、ごめんの一言もない。あんなジイさん
にはなりたくないものである
 
 
出張締めの打ち合わせの後、寝なければならない時間まで余裕はなかったが、食事に
繰り出した。オイスターバーは沢山有ったが、どこも行列ができていたのでラーメンに
した。

 長かったようであっという間にすぎた出張だった。いよいよ明日は帰国の途だ。ニュー
オリーンズ空港6:35発だから、起床:3:00、チェックアウト:3:40、ホテル発:4:00、空港
着:4:30、と予定が決まった。
 大好きな風呂も省略して9:00にはBEDに入ったが、お別れの握手の時のロボさんの
「ダイオードは1個も無いよ」の一言が蘇ってきて、だとするとセルが1個日陰になった
時の逆流電流はどうなるだろうかとか、パネルを接続するケーブルが切れたらどうなる
だろうかとか、いろいろ考えだしたら頭の中をオ-ムの法則が走り回りだして止まらな
い。うつらうつらしているうちにもう2:30になってしまった。念のためにと会社のグル
ープウェアにつないでみると、なんとこんな時まで追いかけてくる人がいた。

 もう最終日だよ!

MEMPHIS

2010年02月24日 15時18分43秒 | 都会の風景
 プレスリーの聖地メンフィスに来た。ボルチモアからローカル機に揺られて3時間、
着陸前に上空から見たら、広い街で街灯が縦横に整っている感じがしたが、実際は
他と同じでだだっ広くて閑散とした街だった。
 宿はヒルトンインで、今ジイによると「ホテル」は浴槽が深くてゆっくり入れるが、
インは浴槽が浅いのが違いだという。
半分眉に唾しながら聞いていたが、実際に浴槽は浅かった。

 宿の近くは歓楽街のようで、赤いネオンが連なっていたが、物乞いの黒人が何人か
いるだけで、歩き回っている観光客はほとんどいない。晩飯はステーキ屋に行ったが、
テーブルに赤いコースターがある。裏返すと青い。この店はウェイターが50cm程の
金串に焼いた肉の塊を刺して持ち歩き、青い札を出している人の皿に配って歩く。
赤い札は今は肉は要らない、というサインのようだった。デザートのサラダバーにも
焼きベーコンやチーズ、サラミ、えびなど沢山あって、それだけでも満腹になりそう
だが、いくつか肉にもトライした。

 食後は、今ジイの案内でプレスリーゆかりの「BB King's」というライブハウスに入
った。ブルースのライブステージが売り物の店らしい。観光客が大部分だが常連の





客も多いようだ。ブルースというよりは、ジャズとかソフトロックのような迫力ある
演奏だった。My girlには泣かされた。演奏の休憩時間に、ユウチャンと二人で、隣
のみやげ物屋を冷やかしに行った。入口にエレキギターやプレスリーの写真などが
飾ってたが、中は普通の土産物屋だった。ここでショットグラスと絵葉書と、アカシャ
カシャン用にジャズギターのCD をGET。




 ホテルに帰ってPCを立ち上げたが、どうしてもネットにつながらない。
 1.LANケーブルを接続
 2.IEでyahooにアクセスして、つながっていることを確認
 3.ホテルにログイン
 4.VPNクライアントにログイン
 5.IEで会社のグループウェアにログイン
 6.WEBメールにログイン
という手順で良いはずだが、4.のログインが受け付けられない。
翌朝、タケチャンに聞いたら、ホテルが手書きで書いてくれたIDを読み間違えていた。
4500だと思っていたら6500だという。
アメリカ人の6という字は限りなく4に近いということを再認識した。


工場の見学

2010年02月24日 09時34分12秒 | 都会の風景
 朝6:00から朝食だというので5:30に起きて、底の浅い浴槽でシャワーを浴びていたら、
ユウチャンから電話がかかってきた。この旅では心がけを変えて、早起きになったのか
なと思っていたら、どうやら某国の女性からモーニングコールが来る仕組みになってい
るらしい。まさか、私が起こさなければならない彼から、もう起きたか?と言われると
は! しかも、ネットと格闘していたら今度は岩ジイから電話。彼も年のせいか早起き
らしい。

朝、出る前にホテルの窓から下を見降ろしたら、雑なアスファルト防水屋根が目につい
た。わずかながら防水屋の性が身についてきたのだろうか。



 今日はTPOの工場見学だ。広大な平屋の工場の屋上一面に、真っ白のTPOシート
が貼られている。こうなると岩ジイの出番だ。俄然張り切って、貼り重ねがどうの立ち
上がりがこうの、施工性がなんだとかパイプとの接合がかんだとか、とうとう今ジイを
刺激しすぎてバトルに発展してしまった。



 だいたい、今ジイは自分の気に入らないと、相手を無視するか怒り出すか、その両方
かで始末に負えない。
昨日のPVの打合せでは彼が通訳役だったのに、誤訳を2回訂正したらその後はふくれ
て通訳をやめてしまったし、MC社が通関手続きで迷惑をかけたら、その後はソノタさん
に当たり散らしていた。

帰りに社屋の前の旗について、デービスさんから蘊蓄!
 右から、社旗、国旗、そして南部連合旗とのこと。



  ニューオリンズ空港からホテルは、7人乗りのリムジンがありそうだったのでデー
ビスが頼んだら、来たのは何と初日の黒塗りのリムジンとそっくりの馬鹿でかいヤツ。
こんなのにまたのるとは思わなかった。

 ホテルはNew Orleans Casino & Hotel。今ジイの言ったとおり、浴槽はしっかり深か
った。 たまにはホントのことも言うらしい。

打ち合わせ

2010年02月23日 22時04分03秒 | 都会の風景
 さあ、今日はメインイベントの、輸入元との打ち合わせの日だ。ゆっくり寝て、
時差ぼけを解消して、頑張ろうと思っていたのに、3時過ぎに目が覚めなんとか
寝ようと思ったが寝付けず、結局そのまま起き出してしまった。PCをネットに
つなごうとするが、うまくいかない。会社に電話して聞いたが、結局まずホテル
にログインしないといけないようだということが分かった。
  
 会社を出る時みんなに、道ずれのユーチャンを朝起こすようにと厳命されてい
たので、シャワーを浴びた後、電話したら殊勝にも寝ぼけ声で答えた。さすがの
彼も緊張しているのかな。

 朝食は、ホテルの食堂でバイキング(ビュッフェ方式というらしい)。食べすぎ
を警戒してセーブしたつもりだったが、菓子パン一個が余計だったようだ。

 事前に質問と要望をまとめて、ヤフーで翻訳して送っておいたが、日本駐在の
今ジイが検閲して半分くらいに絞って伝えておいてくれた。ロボさんは誠実に説明
してくれるが、質問の意図が正確に伝わらないため、行き違いが多く、聞きたいこと
の半分も消化できないまま4時間が経過。ぎりぎりまで対応してくれようとして、
営業のデービスはサンドウィッチを用意してくれて、それを頬張りながら続けた。



 そのサンドウィッチがすごい。2枚のパンの間にスライスした肉が5cmくらいの
厚さで挟まっていて、極限まで口を開けないと入らない。聞きたいことを質問しても
通訳してくれないので、書類を持って口をモグモグさせながら、ロボさんに「ジス、
ジス、プリーズ!」これじゃハカが行かないよね。

 ボルチモア(今ジイは気障にバーチモーという)からメンフィスはDELTAのローカル
便。空港のゲートから飛行機まで雨の中を走らされた。機内では、素晴しい体格の
スチュアーデスが飲み物をサービスしてくれたが、ふんぞり返って注文を聞くので、
こちらが中腰になって申告しなければならない。しかも「ホットコーヒー」を理解
しようとしない。飲み終わるか終らないうちにゴミ袋を提げて、回収に来る。ANA
のサービスとは大違いである。

ワシントンDC

2010年02月23日 21時58分24秒 | 都会の風景
 ダレス空港に、デービスさんと今村さんが迎えに来てくれていた。
なんとその車がすごい。全長20mはあろうかという、黒塗りのリムジン。中は向い
合せのダイニングソファとバーラウンジ。10人以上がくつろげるような広さだ。
 これに乗り込んでまず、空港隣接のスミソニアン航空機博物館へ。入場無料だが、
ありとあらゆる航空機の実物が並んでいる。鮫が牙を剥いている顔のキティホーク
や原爆を投下したエノラゲイ、零戦は無かったけど紫電改やナチの戦闘機など古い
ものだけでなく、ステルス偵察機、コンコルド、更にスペースシャトルの実物まで、
所狭しと並んでいた。


 外は快晴、風は少し肌寒いが、半袖で歩き回ってる人も見かける。雪は人が歩か
ないところはうず高く残っているが、道路は完全に除雪されて不便はない。



 ワシントンからハリスバーグは、このリムジンで高速道路をドライブ。昼食は
デービスさん心尽しの手巻きサンドウィッチをリムジンの中で。made in USの日本
酒が、コクがあって旨かった。



 GSで給油兼トイレ兼タバコ休憩。
ここで仕事熱心のタケチャンが意外なことを発見。
看板の価格表である。ディーゼルが一番高い!? これもお国柄か、はたまたエネルギー
政策か、しばしの話題となった。

カーライルの町は、端整な街並みでこじんまりとしているが、商店が殆ど見当た
らない。夕食を取ったのは、小奇麗なイタリヤ料理店だったが、飲み物はリムジン
の中で飲み残した日本酒とワインだ。アメリカではお酒を提供する料理店が少ない
という。持ち込みを歓迎するらしい。分らないもののメニューを見ると、前菜、
ファーストプレート、セカンドプレート、デザートとそれぞれを注文する仕組みら
しい。結局私は、スパゲッティ一皿だけにしたがそれでも腹一杯だ(お酒とワイン
を飲みすぎたせいもあるが)。奴らはとにかく良く食うようである。

 仕事熱心なタケチャンが、ホテルに帰ったらミーティングだという。時差ボケと
飲みすぎでフラフラの私は、メモを取りながらイネムリ。後で読んで、何を書いて
いるか分らないメモだった。

もうじきチェックアウトの時間だ。
 写真は今夜貼り付けることにする。(2/23 7:00AM)