過剰な期待

2010-01-22 23:24:46 | ひとりごと
私は親ではない。
だから、親の気持ちは分からない。
ただ、自分が指導している子どもに対して過剰な期待をしてしまうことがある。
しかし、親ではないので過剰な期待をしても冷静さは失わない。
『これでは無理だ』『ここまでは届かない』
期待しながらも現実は見えているつもりだ。
親になるとその冷静さを失ってしまうことが時々あるようだ。

1~3までの平均で判断される。
必要とされる平均値は37。
3回の平均で37が必要となれば111必要になる。
111÷3=37となる。
1が30で2が35だと65になる。
残りの必要数は46となり、1+2の時点で37には絶対に到達しないことが明らかになる。
なぜなら、1~3の最高は45であるから。
どれだけ頑張っても45を超えて46になることは絶対にありえないからである。

過剰な期待が子どもに絶望を与えてしまうことがある。
残念ながら私にはフォローする術はない。
なぜなら、2が終わった時点であり得ないと冷静に判断できていたから。
私は教師ではないので、子どもや親に過剰な期待を与えるようなことは言わない。
第三者として「常に冷静であるべきだ!」と思っているから。
第三者は第三者として役割を全うすべきだと思っているから。
だから、子どもや親に過剰な期待を与えるようなバカな教育者を許せない。

そんなに親や教育委員会の眼が気になるか?
そうやって無駄に期待を与えるようなやり方をする教育者のことを私はバカ教師と呼ぶ。
人を育てるということは、いい顔だけではいけないんだと分からないのか?
学校で教えることなど何もない。
学校で必要なのは、子どもを育成するかということであって勉強を教えることではない。
それに気が付かないバカ教師がいる限り日本の教育は下降線を描くのみだろう!

本気で叱られたことのない子ども達が大人になったら、どんな子育てをするのだろうか?
叱られた経験が少なければ、叱り方が分からないから間違った叱り方をする。
それが虐待であり、暴行である。

体罰と暴行は違う。
体罰を肯定するつもりはない。
しかし、殴られた経験が少なければ殴り方を知らないから傷付ける。
いつか必ず昔ながら教育方針に戻る日が来るだろう。
殴られる経験も含めて、子どもはいろいろなこと学んでいく。
褒めるだけの教育や競争を否定するような教育はいつしか否定されるだろう。
それでは“生きる力”は育めない。
世の中、そんなに甘いもんじゃない。
私はそう思う。

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