コーチになった訳

2006-01-26 21:56:05 | ひとりごと

 


 


時々自分の仕事に自信を失くすことがあります。


実は僕、あまり水泳が好きではないかも知れません。今でも野球やサッカーを見ていた方がよっぽど面白いですし、泳ぐよりも好きかもしれません。(下手だけど...。)


 


11年前、大学を卒業する時には私が「水泳コーチ」をすることになるなんて想像もしていませんでしたし、今も「天職ではない」と思っています。


 


当時、うちの大学は少数精鋭の水泳部でソウルオリンピック代表のN先輩をはじめ、高校時代にインターハイや日本選手権で活躍していた人ばかりです。


実際、同級生も3人しかいませんが、バルセロナオリンピック5位のK・K(200Flyで初めて2分を切った日本人)、大阪のK大付属高でバリバリ活躍し、リレーで高校記録を樹立していたS・N、そして三流選手だった私。


自主性を重んじる部活だったので、3年になる前に私はマネージャーに。


水から上がることは納得のうえだったが、目標を持って入学したので目標を達成できなかったことに対して悔いはありました。


 


悔いを残したまま選手からマネージャーになったわけですが、マネージャーになって良かったとよく思います。


マネージャーになったことで今まで主役の一部だった選手から、脇役にマネージャーになったおかげで見えなかったことがたくさん見えるようになりました。


そのことには社会に出てから気が付きましたが、自分ではその経験が『今』すごく活かされていると感じています。


就職先も決まらないまま、大学を卒業し実家に帰ってきました。


というのも、その年の6月に新規設立企業の就職試験を受けることは決まっていたためです。


でも、とりあえず一年間は就職浪人になるので、4月からは高校まで通っていたスイミングでバイトをすることになった。


私がずっと指導を受けていたコーチの下で...。


そこで腑抜けになった自分が大学入学時持っていた目標というか、夢を思い出したんだろうか?


 


なんとなくバイトを始めた4月。先生が気を使ってくれたのでしょうか


「ちょっと選手を手伝ってくれるか?」


「ハイ」


それから、ほとんど毎日のように手伝わせてもらいました。


タイムを計ったり、チビッ子を教えたりと。


これが結構面白かった。


6コース(実際は7コースあるが、フロアが入れてあるので)に広がった選手たちのタイムをいとも簡単に計る先生。


私が選手の時からそうでしたが、何で1コースと6コースで泳いでる子のタイムが計れるんだ?すごいです。今でも6コースは無理だな~、4コースだったらできるけど。


そこでいろんなことを教えてもらったりしているうちに大会にも連れて行ってもらえるようになりました。


やっぱりレース。自分が泳いでなくても熱くなるものです。


「みんな必死でがんばってるな。あ~、自分もそうだったな。ドキドキするけどワクワクするなんともいえないこの興奮!」


 


グループで取り組んでいるスイミングだったので、姉妹校のT先生にもいろいろ可愛がってもらいました。


T先生は私が小学生時代のSSの先輩。子どもの頃から面倒見の良い人でした。


今でもすごくお世話になっています。他の人にはお願いできないことでもT先生にだけは無理を言ったり言われたりの関係です。


結構言いたいことをはっきり言う。でも相手への配慮は忘れない。


頭の回転も早い。言わば『できる人』です。


 


就職試験直前まで悩みました。


水泳コーチをやるか、1年前から受けることが決まっていた会社の試験を受けるか?


何をそんなに悩んでいたのか?


 


何を悩むことがあったのか?


やりたいと思うならば、悩むことはないだろう。


そのとおりです。金銭面?プライド?...ではありません。


もう一度自分の夢を叶えたいのもあったが、O先生やT先生などと一緒に仕事をしたいと強く思ったから水泳コーチという選択肢が浮上してきたのです。


でも、実はそのスイミンググループの社長が父であるということです。父が創った会社ではありません。理由あって社長になったようです。


 


それだったら、別のスイミングでやればいい。


でも、O先生・T先生と一緒に仕事がしたいとの気持ちがあったから選択肢の一つになったので、そこしか考えられませんでした。


何が一番気になっていたかというと、周りの人から『跡取りに来たか』という冷たい視線に自分が耐えうるだけの根性があるのかということ!


その時点では、誰もそんな目で見ていなかったと思うが、入社すればそうなるだろうなと思っていた。


 


ホント悩みましたよ。


そんなつもりはなくても『社長の息子』という見られ方をするのが当然です。


でも、それに耐えられるか不安でしたよ。


父からも言われました「絶対に入社することは許さない」と。


当時、会社はいい状態ではなかったのでしょう。トップにいた父が言うのですからね。(現に入社した年の12月にはグループは2つに分かれました。そして、現在ではほとんどが独立しています。うちのクラブもそのひとつです。)


 


それでも一緒にやりたい気持ちのほうが強かったし、自分が達成できなかった夢を追いたい気持ちが強かった。だから父の反対を押し切って水泳コーチになりました。


もちろん今でも水泳コーチになったことは全く後悔していませんし、やりがいを感じているし、やりたいことを仕事にできている自分はいい給料もらっていてもやらされている仕事をしている人よりある意味幸せだとも思っています。


でも、日々悩みまくりです。自分のコーチングに自信を失くす時もあります。


ただ根性だけはあるつもりです。


今はまだ『夢の途中』なので、どんなに大変で悩んでも夢を叶えるまでは挫けられません。


 


昨年の1月くらいに書いた日記です。引越しをした時に全ての日記(記事)をワードに貼り付けてから、サイトを閉じました。


今は、その記事を再び載せられるように振り返っています。


 


それにして、日記を書き始めたおかげで一年前は自分が何を思って仕事やコーチングしていたのかを振り返ることができています。


いいもんですよ、日記って。


本当はこんなところに書いてないで、ペンを持って、字を書いて・・・。


そんな日記の方が温かみや自分のこころをもっと感じられるんだろうなと思います。


 


 


2006・1・26~2・03



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする